トレセン学園に転入したその日にチームの所属が決まり、それから一週間もせずにメイクデビューが決まった。
レースに出るまでの間、レースの進行を一通り学んだあとは、ゲートのスタート練習と併せてひたすら走って走って走りまくる。とにかく、経験が私には必要だった。
それまでで分かった事は、私自身ゲートはあんまり苦手ではないこと、スタートダッシュはしっかり決めれること、そして他のウマ娘に競りかけられてもパニックにならないこと。
人によっては周りに囲まれたり、ハナを取らないと自分の力を発揮できなかったり、ゲートが苦手だったり、色々敏感なものらしい。幸い私にはどうやら無縁なことのようなので、後はレース中の色々をしっかり覚えておいてほしいとトレーナーに念を押された。
ともあれトレーナーの意向で、私のデビューは阪神レース場・ダート1200mに出走することになったわけだけど、今私は既に現地入りをしている。そう、私はその前日に阪神レース場の近くにあるホテルへ前泊している。
……え? メイクデビューでいきなりこんな新幹線でお出かけして、ホテルに泊まれるんですか?
トレセン学園太っ腹だなって思ったら、ホテル代はトレーナーの自腹だったんだけどね。どうやらメイクデビューとか格の低いレースだと、ローカルレース場でもない限り当日移動はザラらしくて、トレーナーの思いやりに大変感謝しなければならない。
……というか。
「……う~ん」
「大丈夫かしら、スノーラビットさん。なんだか落ち着かないようだけれど」
一緒にキングヘイローさんも来てくれているし、明日には森村トレーナーも来てくれるとはいえ、だ。
「こんないいお部屋に泊まっていいものでしょうか……!」
「そこ!?」
そこ!? とは失敬な。
「確かにいい部屋ではあるけれど、ビジネスホテルよ……?」
「それでも私が実家で使ってた布団よりはるかにいいですもん!!」
「それは……その、ごめんなさい……」
いや、そこで申し訳無さそうに謝られても。キングヘイローさんの実家はとても凄いそうだし、やっぱ住む世界が違うのを分からされてしまう。
でもそういうのをひけらかさないから、とても優しいなって思う。
「とはいえ、いつかG1の遠征をするようになったらハイクラスのホテルに泊まることだってあるわよ。少しでも慣れておかないと」
「そんなホテル泊まったらしんでしまいますっ!」
A○Aとか帝○ホテルとか泊まった日にはどうなってしまうのか。今から考えても気が狂ってしまいそう。
────といっても、まだ私が
そうだ、キングヘイローさんは新バ戦、どうだったんだろう?
「キングヘイローさんのときは、メイクデビューどうだったんですか?」
「私? そうね、圧勝とはいかなかったけれど勝ったわよ。重賞も勝ったりしたけど、色々大変だったわ」
遠くを見つめるような、懐かしい思い出に浸るような目線でキングヘイローさんは語る。その様子には、沢山の谷あり山ありの競争人生があったことを思わせる雰囲気を感じた。
「……って、私のことはいいじゃない。なにより、あなたの事が一番大事よ。さぁ、早く寝ましょう」
そうせっつかれたので、仕方なく着替えて床についたのだけれど……。
「………………………………寝れない」
隣のベッドで既に深い眠りに就いているキングヘイローさんを横目に、私は眠れぬ夜を過ごすのだった。
──────★──────★──────
そして、翌日の阪神レース場の選手控え室。始発の新幹線でやってきた森村トレーナーは、恐らくキングヘイローさんの報告を受けたのだろう、私のげっそりした表情を見て頭を抱えていた。
「…………なんだか、凄く体調良く無さそうだけど」
「すみません…………」
結局寝付けたのが午前3時、起きたのが6時半。
無事寝不足です、本当にありがとうございました。全身の細胞がブルジョワジーを拒絶しているような感覚だった…………。眠い。
「うーん……流石に遠征でのメイクデビューは厳しかったか……? いや、僕にはそんなタマには見えなかったけど……」
ホテルのベッドが高級品だったからだと思います、とは口が裂けても言えなかった。
「全くもう、駄目よそんなのじゃ。どんなところでもしっかり寝れるようにしなさい」
「ほんともう、おっしゃる通りでございます……」
お金の目途が立ったら、それなりの家具とか身の回り品を用意しよう……。なんなら、一昨日もお風呂で全身石鹸で洗おうとしたら――――
『馬鹿か君は!? これから世間の目に晒されるのに、もう少し身だしなみに気を付けたまえ!』
とか言ってキンカメちゃんに怒られたっけ。うう、身だしなみとかおしゃれに気を使ってられる家庭じゃなかったもん……。
「まぁしかし、今更後戻りも出来ないからね。コースとかについておさらいしておこうか」
そう言って、トレーナーは鞄からスケッチブックを取り出して表紙をめくった。
「今回のコースは最初の1ハロンは平坦だけど、それから4ハロンずっと長い下り坂だ。ここで調子に乗ってスピードを出し過ぎると、最終コーナーで膨らんでロスしたり、最後の坂で脚が止まってしまう」
「そうすると、カーブのあたりはある程度抑えつつ走って、直線向くくらいで一気にスパートって感じですかね?」
「そうだね。見ている感じ、君のコーナリングはしっかり出来てるほうだからいける! って思ったらスパートしてもいいと思う」
「あなたの枠は4枠7番。15人立てだから、ちょっと内枠気味ね……ダートレースというものは、芝と違って基本的に外枠が有利なの。何故だと思う?」
え? レースに枠の有利不利があるの? まぁでも、確かに陸上みたいに走るレーンが決まってないし
、スタートラインも一緒だもんね。ということは、それ以外の理由だと思うんだけど……。
「え? なんでですか?」
「ヒントをあげる。もし、あなたが内側を走ってる時に外から進路を取られたとき、何が起こるかしら」
えーっと、ダートレースで私の前に人が来たとして、足元は砂だから……ああ!
「蹴り上げられた砂を被るからですか?」
「そうよ、正解。まぁ気にならない人もいるかもしれないけれど、少しでも状況を把握しないといけない場面で砂を被ると目を開けていられないわよね」
確かに。それが短いところだと、一瞬の判断の遅れが致命的になるはずだ。だから、外側でも砂を被るリスクと天秤にかけたとしても、砂を被らないほうが大事なのね。
「だから、なるべく砂を被らない位置取りを取りつつ、なるべく先行出来るのが理想の展開だね。ダートに限った話じゃないけど、余程末脚に自信がない限り後ろに位置取るのは致命的だ」
二人の説明に、はぇ~ってなりながら、知識を深めていく私。ウマ娘競走レースのレも分からない私にとって、トレーナーの説明がとても分かりやすい。
「出走表見ても、そこまで気にするほど強いウマ娘はいないと思うから十分勝ち抜け出来ると思う。とにかく、まずはレースを楽しんでおいで」
「はい!」
『スノーラビットさん、そろそろパドックに向かう時間ですので準備お願いします』
軽くおさらいとレースの走り方について確認できたところで、係員の人が扉越しに私を呼び出してきた。
もうすぐレースに出るのだ、と思うと少し高揚感が湧いてくる。なんというか、今すぐ走り出したいみたいな、そんな感じのわくわくを全身に感じる。
「よし、じゃあ行ってこい!」
「はい――――行ってきます!」
そう告げて、控室を出て、係員の誘導の元、地下バ道を通り、パドックのお披露目場の前まで来た。
辺りを見渡すと、他にも何人ものウマ娘が、順番待ちをしながら軽くストレッチしたり体を動かしている。
《それでは、阪神レース場第5レース、『メイクデビュー阪神』阪神ダート1200mのパドック入場です》
放送が流れて、出入り口の向こうから歓声が聞こえる。すると、一人ずつ出入り口に入っていくのが見えた。
「名前を呼ばれたら、あっちに入ってアピールしてくださいね」
「あ、はい」
え? アピールって何? そんなことトレーナー達言ってたっけ?
急にぶち込まれた要求に頭がややパニックになりながら、私は出番になったので、出入り口をくぐり抜けた。すると――――
「――――――――――――!!」
見渡す限りの人、人、人。満員御礼とはいかないものの、たくさんの人が私達ウマ娘に注目している。だけど、声を出して応援するでもなく(後から聞くと、声出しはご法度らしい)ただただ私達を見守ってくれている。
これが、レースに今から出るってことなのか。
《4枠7番、スノーラビット。3番人気です》
《今週トレセン学園に転入して、いきなりのメイクデビューですか。今日はやや調子が悪そうですが、追い切りではかなりいいタイムを出していましたよ。私の注目ウマ娘です》
どうやら、パドック解説はそのまま私達にも聞こえるらしい。15人中3番人気とは、結構見込まれたのかなぁ。あ、とりあえず手でも振っておこう。順番を終えると、ステージから降りて、その周りで待機することになる。
(皆、めっちゃ気合入ってるなぁ)
いや、私も結構気合入れてきたつもりだけど、周りの皆の目がギラギラしている。何人かは、こっち見ながらガンつけてくるし。どこのヤンキーですか、あなた達は。
ともあれ、今から真剣勝負の舞台、文字通りこの世界で生き残りをかけた戦いが今から始まるんだ。
(負けるもんか)
その想いを胸に、私は係員の号令とともに、本バ場へ向かった。
──────★──────★──────
さぁ、本バ場での準備運動も終わり、ついに発走時刻。ファンファーレも鳴り響き、奇数番からゲート入りが始まる。私は3番目のゲート入りとなった。
練習では慣れたつもりだったけど、結構狭いなぁ。今でもスタートの時にこすったりしないか心配だ。
ともあれ、出たとこ勝負。とにかくスタートをきっちり決めて、後は成るがまま――――!!
《さぁ、大外15番枠入り完了――――今、スタート!!》
ガシャン、という音と共に全力でスタートダッシュ。視界には誰も映ってない――――よし、これはハナを奪えたか!?
《7番スノーラビット、好スタート! 続いて13番アルセーヌ、15番ソルダバシオーネ、8番ハイタイムスーンがハナを主張しにいく!》
っと、逃げウマ娘がハナの奪い合いをしに殺到してきた。うーん、囲まれるのは避けろって話だし、無理に逃げる必要はないかな?
というか、もうカーブ!? 早い早い早い!
《先頭集団が早くも第三コーナーに差し掛かる。先手は13番アルセーヌとハイタイムスーン、続いてソルダバシオーネ――――》
私の位置取りはどうなんだ!? 前を走ってるのは6人くらい、私はたぶん7番手から8番手くらい――――囲まれるのを嫌ってわざと内側開けてるから、後ろからのウマ娘が殺到するかもしれない。
ていうか先頭、もう最終コーナー入りそうなんだけど! ええい、もうスパートしてしまえ!
《――――さぁ隊列はおよそ12バ身くらい、淀みのない展開です。おっと、スノーラビットが早くもスパート! これはどうでしょうか!?》
《掛かっているかもしれません、初めてのレースで気が逸ったでしょうか》
とにかく、走る、走る、走る! コーナーの膨らみなんて気にしてられない、全力で突っ走ってやる!
《先頭は最終コーナーを抜けて最終直線。先頭はアルセーヌとハイタイムスーン、続いてブラックミスワキが上がってくるが――――おっとここでスノーラビット、先頭を捉える勢い! 並びかけて、いや、そのまま交わして先頭!』
息が苦しい。全力で走るってこんなに苦しいんだ。でも、ここまで来て負けたくない、負けるわけにはいかない!!
「やああああああああ――――ッ!!」
『残り200m、先頭はスノーラビットどんどん突き放す、二番手は交わしてブラックミスワキ、ブリッジコンプ、しかし届かない届かない! 1着スノーラビット、ゴールイン! 二着、ブラックミスワキ*1、ブリッジコンプがほぼ同時、4着以下も接戦です!》
最終直線からは何がどうなったか分からない。ただ、ゴール板を駆け抜けて、ゆっくりと速度を落としながら息を整え、第1コーナーに入ったあたりで立ち止まり、振り返ると――――
『良かったぞスノーラビットーーーー!!』
『次も応援してるからな――――!!』
「か……った?」
私の勝利を讃える歓声。大型ヴィジョンの入着順を見ると、確かに私の数字が一番上で点滅を繰り返していた。
やった、勝った、勝ったんだ。あれ、おかしいな。嬉しいはずなのに、なんで。
(なんで、涙が出るんだろう)
訳が分からないまま、その場で膝をついて――――泣き出してしまった。
声が遠い。前が見えない。でも、不思議ととても満たされる感じがした。