『合鍵を渡していると朝起きたらいきなり家に居る』という茅子からの前情報を得て、早起きを心掛けていた撫子が目を覚ましたのは、朝の6時。
昨日、茅子の武勇伝*1を聞いて夜更かししたとはいえ彼女の肉体はピチピチの女子高生。多少の短時間睡眠でも問題なく起動した身体は、美味しそうな匂いと極力抑えられてはいるものの確かに聞こえる作業音を感知した。
「その、おはよう、桔梗くん」
「おはよう撫子ちゃん。もうすぐ朝ご飯出来るから顔洗っておいで」
「う、うん」
なんて初々しいやり取りをしつつ、ワンルームアパートの手狭なキッチンで腕を振るう桔梗少年の後ろを抜けて洗面所へ向かった撫子は、顔を洗い、少しばかりお化粧をして、部屋へと舞い戻る。
————目を覚ませば恋人が朝食を作ってくれている。
それはなんと甘美で、心をくすぐる響きだろうか。少女漫画を読んでは妄想に耽っていた夢の様なシチュエーション。今それを自分が体験しているのだから、撫子の乙女心は起床早々フルスロットルで全身に血流と乙女回路を巡らせている。
「えっと、桔梗くん、今日の朝ご飯って何か聞いても良い?」
「今日はパンケーキだよ。撫子ちゃん好きでしょ? *2スフレ生地のふわふわパンケーキと迷ったけど、朝食だし薄焼きタイプにしてみたんだ。どうかな? あ、おかずはベーコンエッグとコールスローね。そうそう、パンケーキ用にカラメルソースとカルピスバター、それと自家製リンゴジャムもあるから味変もアリだよ。————そうだ。飲み物は紅茶とコーヒー、どっちが良い?」
なんて、穏やかに、しかし流れる様に語る彼。エプロンを来て笑顔を振り撒くその姿は正に理想の『夫』と言えるだろう。
昨今では男女差別だ旧時代の悪習だなんだと言われる事も多い『女は働き男が家庭を守る』という価値観。だがそれが人類誕生から続く価値観*3な以上、本能にグッと来てしまうのは不可抗力なのだ。
故に、撫子はぽぅっと頬を染めて、その光景に見惚れてしまい。————そんな彼女を覗き込む様に、桔梗少年はグッと顔を寄せてくる。
「————撫子ちゃん、どうしたの?」
「ふあっ!? えと、その、ごめん。ウチ、コーヒーで!」
「そっか。ふふふ、ぼうっとしてたけど、まだ眠かったのかな? はい、おはようのキス♡」
挙句にそんな事を言いながら、撫子の顎を指先で捉え、甘い口付けをそっと交わしてくるのだから、撫子の心臓が120BPM*4でエイトビート*5を刻んでしまうのも無理はない。
————このままキッチンに居たら死ぬ。
冗談抜きにそう考えた撫子は『あの、邪魔しちゃあれだから。ウチ、あっちで学校の準備しとくね、うん』などとしどろもどろな事を言いながら、逃げる様自身の勉強机へと舞い戻る。
もちろん、この朝の時間を楽しむべく昨日のうちに登校準備は完了済み。学校の準備など建前でしかないのだが、ともかく時間稼ぎをしなければ『死因:キュン死』などと書かれた死亡診断書を頂戴する事になってしまう。
「やっばぁ……。茅子ちゃんよく生きてるなマジで。それよりもっとヤバいのは芳子ちゃんだけど……」
この淫魔と同棲していては幾つ心臓があっても死ぬのでは? なんて、芳子の凄さを改めて感じつつ、どうにかこうにか息を整える撫子。
そんな彼女の苦悶を他所に、調理器具の片付けと食事の配膳を終えた桔梗少年は、なんとも柔らかな声で「撫子ちゃん、朝ご飯準備出来たよ♡」なんて言ってみせるのだ。
その微笑みも、少し首を傾げて撫子の様子を窺う仕草も、何もかもが完璧。そう、完璧に『
だが、そうとわかっていても撫子は誘蛾灯に惹かれる羽虫のようにふらふらとローテーブルに着いてしまう。月も見えない朝なのに『死んでも良いわ』と言いたくなるような、耐え難いほどの恋心が彼女の脳を蕩かして、悲鳴をあげる心臓すら気にもならなくなっているのだ。
だが、そこまで脳が蕩けてしまっているが故に、彼女がゆっくりと朝食を摂る様をニコニコと嬉しそうに眺めている桔梗少年もその胸を高鳴らせていると気が付かなかったのは、撫子にとっては幸いだったのかもしれない。もし気づいていれば、いよいよ乙女回路が暴走して恋愛脳が砂糖漬けになってしまっていたところだ。
だがまぁ、そんな延命も、桔梗少年を前にしては束の間のものである。
「撫子ちゃん、食べる時ハムスターみたいでかわいいね」
「むぐッ……そ、そうかな」
「なんかチマチマしてるというかさ。小動物っぽい感じ? 僕より大きいのにね*6。……あ、口の端にカラメル付いてる、んちゅ♡」
「ミッ゛!?」
情け容赦のない彼氏様による、唇を
そして混濁する記憶を紐解けば、放心状態のまま着替えも歯磨きもすっかり全てを桔梗少年に介助された記憶が蘇り、彼女は再びエクトプラズムを吐き出す事になるのだが、まぁ、無理もない話であろう。
恋に恋する乙女にとって、桔梗少年はバターのバター揚げのハチミツバター乗せより心臓に悪い超高カロリー。何も油っぽいものは食べていないのに胸焼けがするその原因は、ルックスも態度も甘過ぎる彼氏のせいなのは言うまでもなく。
河原撫子の水曜日は、朝から既にハイカロリーなものになり始めていた。
好きなキャラクター
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皇塚桔梗
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粟草紀子
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尾花茅子
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河原撫子
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袴田藤子
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萩原久仁子
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諸葛芳子