【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜 作:さくらのみや・K
インターホンを押した。
すぐに扉の向こうから足音が駆けてくる。
待ちに待ったこの瞬間。
「相変わらずでっけえ家だな……」
「おはようございます、夢明希くん!」
「わ、おはよ。はやいっすねえ」
ドアが開く。
想像の3倍くらい早く出てきたので、びっくりした。
慧梨主は俺の顔を見るなり、それはそれは嬉しそうな顔をした。
「楽しみで仕方なかったんです!さ、どうぞ入って下さい」
「おじゃましまーす」
俺は慧梨主に招かれ、桜ノ宮家の中へ入っていく。
今日は初めての泊りだった。
「広っ!」
外見からなんとなく予想はしていたが、リビングの想像以上の広さに驚いた。
「すげぇ〜……芸能人の家以外で見たことないぜ」
「そんな……大げさですよ」
ラジコンマニアの性なのか、ついつい頭の中でサーキットを広げてしまう。
流石に1/10じゃでか過ぎるし、ミニッツ辺りが良い感じだろうか。
「ここならラジコンやり放題じゃん、なんてね」
「んふふ、良かったら毎日遊びに来ますか?毎日会えるなら、私は大歓迎ですよ」
「マジで?じゃあそうしちゃおっかな〜」
いっそ京商のミニッツシリーズを1台買って、ここで二人で好きなだけ走らせても良いかも知れない。
「あはははは。なんてね、本当にそうしたらやっぱ、迷惑かけちゃうし。結構うるさいからね、フローリングで走らせると」
妄想から現実に戻る。
さすがに人様の家のリビングでラジコンはまずいだろう。
「大丈夫ですよ。その……夢明希くんといられるなら」
「うーん……でも、家族の人に迷惑じゃない?亜梨主とか、慧梨主ちゃんの父さん母さんとか……」
「家族の……人……ですか?」
その時、ほのぼのと流れていた空気が変わった。
途端に、慧梨主の顔がどんどん青ざめていく。
「え、慧梨主ちゃん……?」
「いや……そんな……いやだ!」
そう叫ぶと、固く目を閉じうずくまった。
ガタガタと震えが止まらない。
「慧梨主……!」
どうすればいいのか分からず、俺はただ背中をさすりながら名前を呼んだ。
「慧梨主!!」
何度その名を叫んだろうか。
我に返った慧梨主は、そっと目を開けた。
「夢明希くん……」
俺の顔を認識すると、震えながらため息を吐いた。
すると、今度はぽろぽろと涙が流れ出す。
こんなことが起こるのは、薄々予感していた。
伺い知れない悲しみを抱えた慧梨主が、その絶望にとらわれて、我を失うことがあるかもしれない。
そのトリガーを、引いてしまうかもしれない。
それでも俺は、泣き続ける慧梨主の背中をさすり続けた。
ずっと見ていると、
ずっと傍にいて逃げないと誓ったから。
慧梨主はしばらく泣き続けていたが、ようやく心を落ち着かせた。
ぎゅっと唇を噛み締めて、そして口を開いた。
「あの……夢明希くん」
「ん?」
「実は……夢明希くんに話さなきゃいけないことがあるんです」
「話さなきゃいけないこと?」
「私の家族のこと、なんですけど……」
慧梨主が恐る恐る尋ねてきた。
どんなつらい話でも、恋人として聞かないわけにはいかない。
今更、目を逸らせない。
「うん、分かった……無理しないでね」
「ありがとう」
俺は快く受け入れた。
慧梨主の両親は、2人が中1の時に交通事故で亡くなっていた。
そして、慧梨主も亜梨主も深い心の傷を負ってしまった。
「もう……いないんです……お父さまも、お母さまも……」
泣きながらその事を話し続ける慧梨主。
それから、姉妹の家庭環境は大きく変わった。
幸せのカタチが、バラバラになった。
俺は慧梨主を抱き寄せた。
情けないけど、俺にはこれ以上できることがないから。
「……」
ただ黙って、慰め続けることしかできない。
慧梨主のすすり泣く声が、広いリビングに空虚に響く。
こんな華奢に、あとどれほどの悲しみを抱えているのだろう。
そこまで考えて、俺は気づいた。
「ねえ、慧梨主ちゃん……」
あいつはどこにいるんだ。
あの日、慧梨主を守ろうと、殺意すら感じるほどの敵意をむき出しにして俺に迫ったあいつ。
この世界で誰よりも慧梨主を気遣っているであろう、双子の姉。
桜ノ宮 亜梨主は______
きっと、一緒に悲しみを抱え、それでも手を取り守ってきたであろう亜梨主。
何も知らず、ただ傍にいることしかできない俺ではなく、ここにいるべきはあいつじゃないのか。
「いや……大丈夫。大丈夫だよ、慧梨主ちゃん」
俺は、亜梨主のことを聞こうとして、やめた。
きっと、慧梨主の両親の話は、深い深い悲しみのまだ表層に過ぎない。
まだ俺の触れられない悲しみの中に、亜梨主の記憶が沈んでいるのだろう。
『アンタ……慧梨主になにしたの……?』
『……アタシの妹になにかしたら、ぜったいに許さないから』
俺の知っているあの亜梨主はもういないかも知れない。
だが、それでも俺は思わずにはいられなかった。
人を泣かせておいて、
お前は何をやっているんだと______
夜______
慧梨主と二人で食卓を囲んだ。
好きな人と食べる夕飯は、楽しくもありちょっと緊張感があったりと、なんだか不思議な気持ちだった。
仲の良いクラスメイト達と安い食べ放題に行く時よりは賑やかさに欠けるが、充分過ぎるほど幸せだった。
「え?学校にピザを……?」
「うん」
良くも悪くも、俺の同級生は面白くてヤバイ奴らの巣窟だ。
そんなところで学生生活を送れて、そして昔から想っていた慧梨主を恋人にできて……
俺は充分恵まれている。
「休憩時間になんか電話してんなって、思ったんだけどさ。なしたん?て聞いたら『ピザ頼む』って」
「そんな、学校に?」
「うん。じゃあせっかくだし、みんなで割り勘してでかいの頼もうってなってね。ちゃんと届いたよ、でっけえの3枚」
「3枚も……」
「めっちゃ見られてたわ、当たり前だけど」
「……おいしかったですか?」
「まあ……ピザはピザだよ。ただ20人くらいで分けたら全然足りなくて、今度は6枚ぐらい頼むかって話してるわ」
「え!?またやるんですか?」
真面目な人間には下らないことだと吐き捨てられるようなバカ話だったが、慧梨主は笑ってくれた。
付き合い始めて……というよりは出逢ってから初めて見るような笑顔だった。
慧梨主も今、幸せを感じてくれているんだろうか。
身支度を済ませ、俺達は寝る事にした。
慧梨主はいつものベッド、俺はその隣に敷かれた布団に寝る事になった。
「それじゃあ、その……おやすみなさい」
「うん」
そう言って、慧梨主は部屋の電気を消した。
慧梨主の部屋で、慧梨主と一緒に過ごす夜。
ドキドキと胸が高鳴る一方で、急に不安になってくる。
隣のベッドで寝ている慧梨主が、いなくなってしまうんじゃないかと。
彼女の胸に秘めた暗闇が、慧梨主を飲み込んで奪い去ってしまうんじゃないかと。
「ねえ、慧梨主ちゃん……」
「な、なんですか……?」
俺は手を伸ばした。
お化けを怖がり、母の手を求める幼子のように。
「手、繋いでも良い?」
そうしないと、慧梨主がどこかへ行ってしまう気がした。
慧梨主は毛布から手を伸ばし、そっと俺の手を握ってくれた。
手から伝わる温もりが、慧梨主の存在を確実に伝えてくれる。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
ずっと慧梨主の側にいたい_________
そう願いながら、やがて俺は深い眠りについた。