【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜   作:さくらのみや・K

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Disc-3 夢を運んで
Track-13 鏡を見る度、私は現実を思い知る


『おはようございます、お兄さま』

小さく愛らしい声を聞き、少年は振り返る。

手提げカバンを両手で前に持ち、桜ノ宮 慧梨主が小走りに駆けてくるのが見えた。

『おはよう慧梨主』

彼は微笑んで返す。

それを見て、慧梨主も嬉しそうに微笑んだ。

 

 

少年と慧梨主は遠い親戚の間柄であり、そして恋人同士でもあった。

 

今年の春にこの街に越してきた少年は、十数年ぶりに慧梨主に再会した。

かつて彼を“お兄さま”と呼んで慕っていた彼女は、いつしかとても愛らしい少女へと成長していた。

幼い頃は大人しい人見知りな女の子から、お淑やかで、純朴で、可憐な少女へと。

 

一言で言ってしまえば地味めな性格であったが、そんな慧梨主に似つかわしくない出来事が起こった。

 

『あ、あのっ! わ、私……お兄さまの……ことがっ……ううっ……そ、その……』

ある日の放課後。

いつもの帰り道で、慧梨主は少年を呼び止めてこう切り出した。

『わ、私!……お兄さまのことが……好き……なの……!』

少年は、それを聞いて驚いた。

 

引っ込み思案で弱気な性格だと思っていた慧梨主が、まさか自分から告白してくるなんて______

そして、今まで妹みたいに思っていた彼女から、1人の男として慕われていたなんて______

少年は、今まで異性として意識していなかった彼女の告白に驚き、そして困惑した。

 

だが、足を震わせ、涙声で言葉を紡ぐ慧梨主。

彼女が持ちうる、ありったけの勇気を振り絞るその姿を見ると、少年は最早拒否することはできなかった。

それに、こんなに可愛い彼女ができるなら大歓迎だった。

 

 

『あれ?そういや、今日は亜梨主は一緒じゃないの?』

並んで歩きながら、少年は慧梨主に尋ねた。

『え、えっと……お姉さまは用事があるからって、先に登校したみたいです』

少し困ったような顔をしながら、彼女はそう答えた。

『そっか……』

『お姉さまは、いつもお忙しいですから……どうなさいましたか?お兄さま』

無言になる少年に、慧梨主は首を傾げた。

『あ、いや別に……あいつも大変だなって思ってさ』

そう言いながら、彼は彼女にそっくりな、もう1人の少女のことを思い浮かべていた。

 

慧梨主には、亜梨主という双子の姉がいた。

妹とは反対に明るく勝気な性格で、姉妹が通う学園の中でも常に注目を集める存在だった。

学業優秀で運動神経も抜群。

生徒会の仕事を手伝ったり、いくつかのクラブの助っ人を務めるなど、八面六臂の活躍をしていた。

そんな彼女に惹かれる者は多く、特に男子からは垂涎の的であった。

 

『あの……お兄さま。昨日は、一緒に帰れませんでしたよね。何かお忙しかったのでしょうか?』

『ん? ああ。亜梨主に頼まれて、本屋に付き合ったんだよ。定期試験も近いし、勉強に使う参考書を見繕って欲しいんだって』

『そう……ですか。お姉さまと……』

『で、酷い話でさ。結局、参考書は買わずに、買ったのはファッション雑誌ばっかり。しかもそれ、全部家まで持たされたんだよな』

『ふふ……お姉さまらしい』

少年の話す昨日の出来事に、慧梨主は笑って見せた。

 

晴れて慧梨主と付き合い始めた彼は、それからやけに亜梨主に絡まれていた。

下校時はカバン持ちをさせられ、放課後は買い物に付き合わされ……

気が付けば、恋人であるはずの慧梨主と過ごす時間よりも、亜梨主と過ごす時間のほうが確実に長くなっていたのだ。

 

まるで、

慧梨主の彼氏は自分の彼氏だと言わんばかりに______

 

 

別れ際______

 

おずおずとした口調で、切り出した。

『私、実は今でも意外に思っているんです』

『ん……? 何を?』

『お兄さまが……私の申し出を受け入れてくれたのが、今でも信じられなくて……』

 

お兄さまもきっと、

お姉さまの方を好きだと思っていたんです_____

 

嬉しさと、どこか儚げな感情がこもった声で、慧梨主が告げた。

『むかし私が好意を寄せた方は……みんなお姉さまのことが好きだったんです。無理もないですよね……地味な私と華やかなお姉さまとじゃ、月とスッポンですし……』

確かに慧梨主を恋人にしたことで、少年はクラスメートから羨望の眼差しを受けていた。

但し……

 

あの桜ノ宮 亜梨主の妹を彼女にした______

 

というふうに、あくまで話題の主体は亜梨主であったのだが。

 

『何言ってるのさ!慧梨主はもっと自信を持っていいよ』

 

慧梨主をないがしろにするつもりはなかった。

一生懸命告白してくれたし、いじらしい性格は、守ってあげたいという気持ちにもなった。

だが慧梨主とは緊張の壁を取り払えずにいて、互いに手すら繋いでいない。

一方の亜梨主とは、ふざけてだが少年と抱き合ったくらい、距離感の差がある。

そんなところを慧梨主に見られたら大事だが、それになんら抵抗を感じていない自分がいた。

何より亜梨主といる時は、たくさんの人間が側にやってくる。

 

 

何はともあれ彼は_____

 

可愛らしい恋人である慧梨主と、

何故かモーションをかけてくる姉・亜梨主。

 

その時の少年は、この微妙な関係を気に入っていた。

 

 

 


 

 

 

鏡を見る度、私は現実を思い知る______

 

慧梨主は、部屋にかけられた鏡を見ながら呟いた。

 

同じ日に生を受けた双子であるにも関わらず、慧梨主と亜梨主は何もかもが正反対だった。

まるで鏡写しのように。

誰にでも好かれ、いつでも皆の輪の中心には亜梨主がいた。

誰もが彼女に頼り、憧れ、好きになる。

『地味で目立たない私とは大違い……』

対象的に、引っ込み思案で内向的な慧梨主は、そんな姉の陰に隠れるようにして生きてきた。

一方で、責任感が強く面倒見の良かった亜梨主も、そんな気弱な妹を気遣い守ってきた。

 

だから、コンプレックスを感じる一方で、慧梨主が誰よりも尊敬していたのも亜梨主だった。

彼女に助けられ、支えられながら生きてきた。

誇れるものが何も無かった彼女にとって、皆に好かれて何でもできる姉の存在は、胸を張れる唯一の自慢だったのだ。

両親を失ってからその気持ちはより一層強くなり、慧梨主は心身共に亜梨主の存在に強く依存するようになっていた。

 

そして、慧梨主が少年に告白する、その後押しをしたのも亜梨主だった。

 

 

私なんかに振り向いてくれるはずが無い______

 

でも、

一生に一回だけ、奇跡が起こせるのなら……

お兄さまに私の思いを伝えたかった______

 

私を……選んで欲しかった______

 

そして奇跡は起こった。

亜梨主の後押しで慧梨主は願いを叶え、彼女の初めての恋人は小さい頃から憧れていた、大好きな“お兄さま”となった。

 

『今でも、信じられないっ』

彼女はその事を思い出し、思わず笑いが溢れた。

 

 

それなのに______

 

 

慧梨主が人を好きになるのは、これが初めてではない。

何度か恋をしたこともあったし、想いを伝えたこともあった。

慧梨主に自覚はなかったが、可憐で清楚でお淑やかな彼女は、男達には魅力的に映っていた。

 

だが、その恋は一度も成就することなく、みじめに散っていった。

 

慧梨主は知っていた______

 

あの彼も、

別のあの彼も、

亜梨主に心奪われ、慧梨主から離れて行ってしまったのだと。

 

慧梨主に惹かれたものは、

慧梨主が好きになったものは、

みんな亜梨主のものになる______

 

その度に傷つき、打ちのめされる慧梨主。

だが、それでも亜梨主を恨んだりする気持ちにはなれなかった。

 

みんなが私から亜梨主の元へと離れていくのは、姉と比べて地味でつまらない性格のせい。

私が尊敬するお姉さまが、私の好きになった人を奪うはずがない。

悪いのは自分のせいだ______

 

慧梨主はそう思ったから……いや、そう言い聞かせていたからこそ、慧梨主は亜梨主を疑ったりしなかった。

 

 

しかし______

 

とうとう、慧梨主は見てしまった。

 

ある日の帰り道。

夕暮れの河川敷で、抱き合っている彼と亜梨主の姿を______

 

見間違いでは無い。

見間違えるはずなんかない。

 

夕日に浮かび上がったシルエットは、どちらもお兄さま、お姉さまと呼んで慕っている二人のものだった。

 

なんで、どうして______

 

お姉さまは……私がお兄さまとのお付き合いを、認めてくれたんじゃなかったの______?

 

『もう、意味が……分からないよ……』

 

何より自慢の姉として、たった1人の大切な家族として信じてきた亜梨主に、

小さい頃から思い続け、ようやく恋人同士になれたお兄さまに、

慧梨主が信じるたった2人の存在に、一度に裏切られていた真実。

 

私は何を信じれば良いの?

お姉さまは、私を裏切ったの?

お兄さまは、私を騙してるの!?

 

このまま、

お姉さまに、お兄さまを盗られちゃうのかな______

 

『やだ……嫌だ……っ』

 

何もかもが崩れていく______

 

亜梨主への愛が、

彼への恋心が、

それらだけが全てだった慧梨主の心が、バラバラになってく______

 

『折角、お兄さまとお付き合いできたのに!』

『折角、幸せになれたのに!』

 

夢が……叶ったのに______

 

心の破片が、深い闇へと堕ちていく。

どんどん黒く染まっていく。

 

絶望の底へ沈みながら、慧梨主は独り叫ぶ______

 

『そんなの……そんなの……やだぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!』

 

信じられない!

信じたくない!!

嘘!嘘!!嘘!!!

 

『嘘なんだからぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!』

 

慧梨主が気がつくと、部屋が散らかっていた。

無意識のうちに暴れていたようだ。

部屋のものが散乱している。

 

『そうだ……お姉さまに直接、聞けば良いんだ。単なる勘違いかもしれないし……』

 

 

お姉さまはきっと、

本当のことを話してくれるはずなんだから______

 

 

 


 

 

 

別の日______

 

『そ、そうだお兄さま。休日にお時間があれば、一緒にどこかにお出かけしませんか?』

並んで歩きながら、慧梨主はそう切り出した。

『いいね。テスト期間が終わったら、気分転換に出かけるのもいいな。そう言えば昔は一緒に、よく動物園とか行ってたよね』

『ええ、覚えてます』

慧梨主と少年は小さい頃を思い出し、少しの間思い出話に花を咲かす。

 

彼と亜梨主の行為で、疑心暗鬼になってしまった慧梨主。

それでも彼女は、大好きな彼と姉の前では、バラバラになり黒く染まりそうな心を隠し続けていた。

 

『またお兄さまとお出かけできるなんて、夢みたいです』

しかし、ほんの小さなきっかけで、彼女は限界をこえてしまうだろう。

『そんな大げさな。んじゃ、何かしら計画を立てておくからさ』

『は、はいっ、楽しみにしてます』

 

裏切られ、踏みにじられ、絶望の底に突き落とされた慧梨主。

 

彼女が狂気に包まれるまでの秒読みは、残り僅かだった______

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