【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜   作:さくらのみや・K

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Track-14 ブラン・ニュー・ラヴァー

4月の初め______

 

慧梨主は大学に入学し、俺は自動車免許と愛車を手に入れた。

俺達の関係は変わらず良好で、春休み中はほぼ一緒にいた。

ドライブは一度だけ出かけたが、その日の帰りにいきなり車が壊れた。

 

「今日はいつになくご機嫌ですね」

慧梨主の家で、俺は彼女にそう言われた。

実際その通りだった。

「遂に直ったよ!俺のスイフトスポーツくん!」

それを聞くと、慧梨主はぱあっと表情を明るくした。

「本当ですか!おめでとうございます!」

 

慧梨主との初めてのドライブデートの帰り、新しい相棒であるスイフトスポーツが、突如マフラーから爆音をあげた。

そのまま、車を格安で譲ってくれた顔なじみの修理工場に持ち込むと、センターパイプに穴が開いているのが判明した。

さびで腐食したらしい。

手元に届いて一週間、さすがにこちらの不手際ということで、余っていたHKS製のエグゾースト一式にタダで交換してくれることになった。

ついでに、中古のエンケイ製ホイールを装着した夏用タイヤも、格安で譲って交換してくれた。

まあそのおかげで、俺の金欠は悪化の一途を辿るのだが……

 

「ありがと!これでゴールデンウィークも予定通りだぜ」

「よかったです」

俺達は二人で、GWに旅行に出かけることにしていた。

車で出かける前提で予定を立てていたが、中々車が直ってこないのでちょっと心配していたのだ。

「でもこれで、色々見て回れるね」

「はい!」

列車で行くなり、バスで行くなり、手段は色々あった。

でも、観光客であふれかえる連休にそれでは、二人きりの時間はあんまり確保できない。

それに俺も慧梨主も、人ごみの中はあまり得意ではなかった。

 

行先は、受験前に約束した場所だった。

慧梨主が、()()で出かけるのを夢見ている場所。

「楽しみですね……」

慧梨主はぽつりとつぶやくように言った。

「……あの頃は、楽しかった。お母さまがいて、お父さまがいて、私と……お姉さまがいて……」

「家族でよく行ったの?」

「はい……」

慧梨主の口から度々聞かされる、かつての桜ノ宮一家は平和そのものだった。

あの頃……俺が恋した頃の慧梨主は、幸せに包まれていたのだ。

さんざん言い争った亜梨主も然り。

 

だが、奪われたものは還らない______

 

「夢明希くん……」

「ん?」

慧梨主は、俺を見つめる。

宝石のような、でも何かが欠けた瞳。

 

「私はもう一度、お姉さまを……お姉さまと呼べる日が来るでしょうか……」

 

その問いかけは、俺の胸に重くのしかかる。

 

慧梨主の言葉に重しを乗せるものの正体……

 

俺は、真冬のあの日の出来事を思い出した______

 

 

 


 

 

 

今年の冬は雪が少ない気がした。

クリーム色のダウンジャケットに両手を突っ込み、ユニオンジャックモチーフのマフラーで口元まで覆い、俺は白い息を切らしながら歩いていた。

『でも、こういう年って春先にドカッと降るんだよなあ……』

アスファルトが露出した運河沿いの道路を眺めながら、俺は歩道に残る雪を踏みしめた。

 

特急で1時間半くらい。

その街は、開拓当時の姿が残る運河と、その周辺が観光地として栄えていた。

夜になれば昔ながらのガス灯とライトアップできれいなのだが、真昼間の、しかも雪が積もりきっていない今時期は微妙な風景だった。

 

俺が、この街にわざわざ来た理由。

それは、彼に会うためだった。

 

『柏木さん……ですよね?』

運河沿いのベンチに座っていると、雪を踏みしめながら、グレーのトレンチコートをなびかせてその男は近寄ってきた。

『あ、はい』

『初めまして』

物腰柔らかそうなその彼は、人のよさそうな笑顔をこちらに向けた。

俺も同じように、愛想笑いを浮かべて応えた。

『はじめまして。すみません、わざわざ会っていただいて』

『とんでもない。こちらこそ、こんな遠くまで来ていただいて……』

パッとしない……というのは失礼だが、いかにも平凡そうな感じの青少年。

 

彼こそ、かつて慧梨主が愛した男。

 

慧梨主の“お兄さま”だ______

 

 

運河沿いを歩きながら少し雑談した後に、俺は慧梨主と亜梨主の話を切り出した。

『二人とは小さい頃……小学校に上がる前後くらいまで、よく一緒に遊んでいたんだ。遠縁で、家族ぐるみで仲が良くてね』

彼の家は仕事柄、かなり頻繁に引っ越しを繰り返していたという。

小学校に上がってすぐ、彼は九州の方に転勤し、慧梨主達とも離れ離れになった。

その後、東京、大阪、更にはロンドンを転々とした。

『そして17のときに、僕はまたあの街に帰ってきたんだ』

『そんで慧梨主ちゃん達に再会したと』

彼は頷いた。

『驚いたよ。二人とまた知り合えるなんて。学年も違うし、こっちから女の子に声をかける勇気もない。なんなら、僕のことを覚えていてくれたことにもびっくりだったよ』

だが姉妹……とくに慧梨主は、ずっとこの男のことを想い続けていた。

 

それから三人は、再び……男女として関係を深めていく。

そして、慧梨主と彼は恋人同士になった。

 

『正直に言えば、慧梨主にそんな特別な気持ちは無かったよ。ただただ、初めて女の子に告白されて、舞い上がって承諾したところはある。それは認めるよ』

『……でも本当は、亜梨主が好きだった……?』

『ははは』

何をわろとんねん……というのは心の奥底に留めておくことにした。

『でも、異性として好き嫌いは別にして、気持ちが通じるのは慧梨主の方だったよ。少なくとも付き合い出すまでは』

『どういう意味っすか?』

『僕はずっと転校続きで、全く友達がいなかった。積極性のある性格でもなかったし』

『……』

『そして慧梨主も、おんなじだった。みんな亜梨主に引っ張られて、慧梨主はずっと独りだった』

それは、俺の記憶の中の慧梨主もそうだった。

小学生時代の彼女が、亜梨主以外の誰かと話しているところを見たことがない。

『だから意見が合うのはいつも慧梨主だったし、一緒にいて癒されるのもあの娘だったんだ』

彼の話を聞きながら、俺は困惑していた。

 

俺の中のお兄さまは、もっと自分の欲のために人の心を踏みにじるような、そういう奴だと思っていた。

だが実際は、本当に普通の……どっちかと言えば慧梨主みたいな大人しいタイプの人間だった。

悪い人間には見えないし、実際違うんだろう。

 

だからこそ、疑問が大きくなる。

『じゃあなんで、君は慧梨主をその……』

『裏切ったのか……かい?』

『あ、いや、その……』

ストレートな表現に慌てる俺を見て、彼は笑って見せた。

『いいんだ。その通りだし……』

『……』

 

彼は続けた。

『僕はずっと独り。何でも話せる友達も、もちろん恋人もいなかった。そんな僕の人生を、慧梨主と亜梨主は変えてくれた』

ずっと孤独で、色んな土地でひっそりと過ごしてきた彼。

そんな彼が生まれ故郷で手に入れた、慧梨主という初めての恋人。

その“桜ノ宮 亜梨主の妹”の恋人という肩書きに向けられる、尊敬と羨望の眼差し。

それに惹きつけられ、彼の周りに集まるたくさんの人間達。

 

そして亜梨主の存在____

 

それらは、彼にとって目がくらむほどに、魅力的だった。

『僕は気づいたんだ。自分の運命のカードを、返せるかも知れないって』

『運命のカード……?』

『ああ。裏から表へ……日陰で一人寂しく、退屈に過ぎる筈だった青春を、もっと刺激的で、華やかで、光り輝くものに』

亜梨主の周りには常に大勢の人間がいた。

それは、高校生になっても変わらなかったんだろう。

『亜梨主のものになれば、僕はその輪の中心に入れる。亜梨主からのアプローチは、願ってもないチャンスだった』

 

光の世界に憧れ、導いてくれる亜梨主を選んだ。

そんな彼には最早、慧梨主のことは見えてなどいなかった。

 

『気が付くと、慧梨主といるより、亜梨主といた方が気が楽になっていたんだ。その頃はもう……慧梨主の気持ちが全然共感できなくなってたことを隠すので精一杯でね』

慧梨主とは最早同じ立場にはいないこと、亜梨主のアプローチを無抵抗で受け入れていることを隠しながら、彼女と恋人同士でいることは、彼にとって苦痛でしかなかった。

そしてそれは、長く隠し通せるものでもなかった。

 

『それじゃあ……』

俺は今まで、彼のことを“意志が弱くて亜梨主の誘惑に耐えられなかった奴”と思っていた。

でも話を聞くと、その表現は間違ってる気がする。

 

『もしかして……慧梨主も亜梨主も……大して好きじゃなかったんですか?』

その問いが、一番しっくりくる。

彼の話からは、慧梨主はおろか、亜梨主への好意も感じられない。

 

そして彼は、首を縦に振った。

『……今思えばね』

悪い人間には見えない。

俺は少し前の考えを取り消した。

 

慧梨主への同情で告白を受け入れ、

自分の青春のために亜梨主からの誘惑を受け入れた。

そこには愛情など存在しない。

『亜梨主も魅力的だと思うけど……あんまりこき使われるのも好きではなかったし、本気で付き合うのはちょっとね……』

自分のため、

自分自身の青春を彩るため、

それだけのために、かけがえのない姉妹の絆は引き裂かれた。

 

全ては過去の話。

何年も前の彼の行為に、当時は赤の他人だった俺が怒るのは筋違いだし、そういうので頭に血が上ったりする性格ではない。

でもこれは……この男の話は、さすがに怒りが込み上がる。

『……そうなんすね』

俺は曖昧な返事で、感情をもみ消した。

 

 

『さて……君が一番知りたい話、だけど』

『はい』

だが、彼がどういう気持ちで二人を引き裂いたかはどうでも良い。

仮にこの男が、亜梨主みたいなのに尻に敷かれるのが好きな奴だったとしても、姉妹が引き裂かれた結果は変わらない。

 

俺が一番知りたいのは……

『あいつの、亜梨主のいる場所を……教えて下さい』

おそらくあの家にはいない、桜ノ宮 亜梨主の居所だ。

 

この男は、慧梨主の元カレである前に、遠いとは言え親族でもある。

それに同じ学校にも通っていた。

ならば、親族なり友人なり、その線で何か知っているに違いない。

連絡先でも良い。

『何か、手がかりでもいいんです。とにかく、俺はあいつに話がしたい』

慧梨主を傷つけてまで得た交友関係で、何か知らねえのかよ……という本音を隠して、俺は迫った。

 

慧梨主に、自分の幻影を植え付けて消えてしまった亜梨主。

もし会って話せるなら、あいつに慧梨主の今の気持ちを伝えたい。

慧梨主の見る夢を、伝えてやりたい。

 

今すぐは無理でも、

いつかまた二人が再会できるのなら……

 

例え何年かかっても、いつか笑って話せる日がくるのなら、慧梨主の瞳のピースは埋めることができる。

 

『その事なんだけど……』

少年は、そう言って黙り込む。

その表情は、さっきまでの半笑いを浮かべたものとは全く違った。

『……なんです』

濡れたアスファルトの飛沫をあげながら、脇を大型トラックが走り抜ける。

俺は聞き返した。

『本当に良いのか?』

『は……』

 

『君は慧梨主の恋人なんだろう?これを聞いたら、もう元の関係には戻れなくなるかもしれないよ?』

 

その目は、本気で心配しているものだった。

だが意味がわからない。

『何も聞かないで、そのまま帰った方が……』

『気にしないでください』

俺は言葉を遮った。

長々と言い訳されたところで、俺の気持ちは変わらない。

『特急だって安くないんすよ。ここまで来て手ぶらじゃ帰れないって』

ここまで来る金があれば、慧梨主にもっといいクリスマスプレゼントを買ってあげられた。

 

それでも俺はここへ来た。

慧梨主の、欠けてしまった幸せのピースを探して……

 

『……そうか。わかったよ』

少年はため息をついた。

俺にとって衝撃的な話であると同時に、彼にとっても口にしづらい話であるのは想像がついた。

 

でも聞かないわけにいかない。

聞いたところで、慧梨主を好きな気持ちも何も変わらない。

変わるはずがない。

 

だが、次のひとことで……

俺は彼の言葉の意味を理解した_____

 

『結論から言うよ……亜梨主は、もういないんだ……』

『……は?どういう……』

『あの日……僕は、確かに聴いたんだ……』

 

 

慧梨主が、

亜梨主を刺し殺した瞬間を______

 

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