【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜   作:さくらのみや・K

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この砕けた心を奪ってくれ

君が引き裂いたメトロノーム

チクタクと鳴り続けていたのは、

僕の記憶か空想か




Track-16 ルッキング・グラス

 

私は耐えられなかった______

 

悲しみを、

虚しさを、

そして怒りと憎しみを______

 

『なっ……それおもちゃでしょ?仕舞いなさいよ、そんな危ないもの!!』

『大事なものを奪われた時ってね、心がとってもズキズキするんです……』

 

鞘から引き抜いたナイフの刃に、自分の虚ろな瞳が映る。

 

『楽しかった思い出が、ぜーんぶ無駄になって……思い描いていた未来が、ぜーんぶバラバラになって……ウフフ』

 

何もかも奪われた。奪われ続けた。

友達も、

恋人も、 

思い描いていた未来も___

 

『痛いなあ……すっごく痛いなあ……』

 

奪われるものが増える度、心の痛みが鋭くなっていく。

もう、この世界では生きていけないくらいに……

 

『この痛みって……説明しても、分からないですよねえ……?だったら……』

 

 

身体で分かってもらうしか……

 

ない______

 

 

ずっと光り輝く世界にいて、

ずっと上からの景色にいて、

失うことも知らずに奪い続けてきた。

 

そんな女には、どれだけ言葉を並べても意味はない。

 

『慧梨主!?いい加減にしないと許さないわよ!?』

『許さないのはこっちですお姉さま?』

なんて醜いんだろう。

私は、こらえきれない笑いをこぼしながら思った。

もうお姉さま……いや、この女にそんな権利はないのに。

 

見てられない______

 

だけど、だけど……!

お姉さまは私のたった一つの自慢。

私の憧れだから。

 

『私のお姉さまは……清廉潔白で思いやりがあっていつも私を支えてくれた』

 

だから_____

 

『私を裏切るようなことは絶対にしない!お前はお姉さまじゃない!!』

『人を平気で裏切る……この……』

 

 

人でなし____________!

 

 

私はお姉さまに飛び掛かった。

ナイフの切っ先をお姉さまに向けて。

 

『いやあああああああ!!』

 

お姉さまに投げつけられた本が当たるのも気にせず、私はナイフを振り回す。

 

『慧梨主!やっ!やめなさ……!』

 

殺意だけが、私を突き動かした。

 

『これからもっ!私を!嘲笑いながら!生きていくんでしょっ!?』

 

マグカップが投げつけられ、私の頬をかすめて壁に打ちつけられる。

派手な音を立てて、粉々に砕け散る。

 

『いつも見下して!必死な私を嘲笑って!!』

 

飛びついた私の身体を、お姉さまが突き飛ばす。

壁際の本棚まで飛ばされ、分厚い本たちが降りかかった。

 

『私の心を……土足で!踏みにじる______!!』

 

それでも私は止まらない。

この、お姉さまのような悪者をやっつけなくてはいけないから。

 

『お願い慧梨主!アタシの言うことを聞いて!』

 

焦りと恐怖の懇願が、悲鳴となって部屋に響き渡る。

 

『……消えて……』

 

肩で息をしながら、両手でナイフを握りしめる。

 

『あんたなんか……この世界から、消えてよぉおおおおおおおおおおおおお!!!!』

 

満身の力を込めて、お姉さまに飛び掛かる。

 

『きゃああああああっ!!』

 

避けきれず、お姉さまは私の下敷きになった。

 

『やめてえ……』

泣きじゃくりながら、力なく懇願するお姉さま。

 

『……あんたにも、私の痛みを……』

 

 

教えてやるんだからあああああああああ____________

 

 

それが私に残った最後の記憶。

 

私はナイフを突き刺した______

 

 

 


 

 

 

 

慧梨主の犯した罪はあまりに重く、綺麗で純粋で、繊細な彼女の心は耐えられない。

そして慧梨主を慰めて、優しく肩を抱き寄せてくれる人も、もうこの世界にはいない。

 

自らの過ちで、ひとりぼっちになってしまった慧梨主。

 

自業自得なのは分かっている。

でも、ずっと憧れだった恋人と、ずっと尊敬していた姉に裏切られた。

心を踏みにじられた慧梨主にとって、この結末はあまりに惨すぎる。

 

鏡は変わらず、冷たいガラスの板に現実を映し続ける。

嘆きと絶望の表情を湛え、泣き続ける慧梨主。

 

このままでは、本当に慧梨主の心が壊れてしまう。

 

 

そんなのはあんまりだ______!

 

 

()()()は、居ても立ってもいられなかった。

 

慧梨主と鏡写しのような容姿と、正反対な性格を持った双子の姉に、コンプレックスと共に強く抱き続けた憧れ。

その強い思いは、いつしか彼女の中で少しずつ、彼女を守ろうとする意思として形作られていた。

 

そして事件が起こった時、

その意思は、慧梨主のもう一人の人格として、愛する姉のなり代わりとして鏡の向こうからやってきた。

 

 

そうして()()()は、

 

もう一人の桜ノ宮 亜梨主は生まれた______

 

 

 


 

 

 

 

慧梨主の犯した重罪と、愛する姉ともう二度と会うことのできない、という事実。

その辛い記憶を、あたしは自分の中に取り込み、慧梨主の記憶から消し去った。

そして、記憶と現実との齟齬が生じないよう、あたしは慧梨主の記憶を改ざんした。

 

“ケンカ別れしてしまった双子の姉と、いつかまた仲直りできますように”

 

少しでも希望を持たせて、慧梨主の心がバラバラに砕けてしまわないように。

夢に向かって進めるように。

 

 

新しい学園へ転校し、新しいスタートを切る慧梨主。        

 

皆の注目を引き寄せる姉のいない世界の慧梨主を、あたしは“亜梨主”としてずっと見守ってきた。

慧梨主の心優しい性格は、最初に仲良くなった綾瀬ちゃんのおかげもあって、彼女の周りにたくさんの人を呼び寄せた。

いろんな事件にも巻き込まれたけれど、それも慧梨主にとっては初めての、楽しい青春の思い出だった。

 

そして、その集大成こそ______

 

「あんたとの出会いだった______」

 

夕暮れ。

家の前で、あたしは家に帰ろうとする夢明希を呼び止めて話していた。

直ったばかりの自分の愛車に寄りかかりながら、彼はあたしの話を聞いていた。

 

去年の冬。

夢明希は()()()()が同一人物だと気付いていること、この間あいつと会って話をしたことを明かした。

 

全てを知ってしまったと______

 

泣きながら、それでも夢明希は、変わらずに慧梨主といると約束してくれた。

慧梨主がお日様みたいと表現した瞳に、嘘はなかった。

 

「全部見てたわよ。あんたが慧梨主と公園で会ったときも、慧梨主に告白した時も、全部ね」

「マジかよー。本物じゃなくてよかったわ」

「いい顔してたわよ。今思い出しても笑えるわ」

「やっぱ良くなかったわ……」

マフラーとダウンジャケットで身をくるむ、母親に無理やり厚着させられた子供のような格好で、顔を赤くする夢明希。

 

彼の存在は、この一年で慧梨主の心を変えた。

 

困り顔で駆け寄ってくる少年。

それはこの世でたった一人、何にも惑わされずに慧梨主を想い続けた、真の運命の相手。

最後に現れた、慧梨主の安住の場所。

 

緊張と期待と不安に顔を赤くし、真剣な表情で慧梨主に告白する夢明希を目の当たりにしたとき、それを確信した。

 

そして慧梨主と夢明希は恋人同士となり、その関係を深めていく。

日を重ねるにつれ、慧梨主の心が幸せで満たされていくのを、あたしも感じていた。

支えきれないほどの悲しみに押しつぶされそうになる時も、夢明希はいつも優しく抱きしめてくれた。

あたしが生まれてからずっと望んだ場所で、夢明希は慧梨主に寄り添い続けた。

 

慧梨主もあたしも、

心の底から幸せだった______

 

 

でも______

 

 

希望が残された記憶も、

あたしという存在も、

その全ては、犯してはならない罪を隠した、愚かな虚像に過ぎない。

 

この幸せな時間は終わりを告げ、再び鏡が映し続けた現実に向き合う時がやってくる。

 

愛する家族を手にかけた、

その罪を償う時がやってくる______

 

そしてその時は、決して遠くないことを知らされた。

 

あいつは……慧梨主がお兄さまと呼び慕ったあいつは、事の真相を知っている。

流されるくせに、中途半端に融通の利かないあの男が、いつまでもそれを胸の内に秘めているとは思えない。

 

 

全てが明るみに出て、あたしが隠していた記憶を慧梨主が思い出した時……

 

あたしは消滅し、

慧梨主の心は今度こそ壊れてしまうだろう______

 

「ねえ、夢明希」

「ん?」

「これからも、慧梨主の恋人でいてくれる?あたしが……いなくなった後も」

もし私が消え去れば、慧梨主を守れるのは夢明希しかいない。

 

最後の希望だった______

 

「そりゃね、もちろんですとも」

「……ありがとう」

 

本当は、慧梨主と夢明希が恋人同士で……ただ一緒に居続けることすら、叶わないだろう。

夢明希がどれほど願っても、破滅的な別れがきっとくる。

 

ならば、せめて慧梨主に審判が下るその日まで、つかの間の幸せを感じさせて欲しかった。

 

 

夢から覚める、その時まで______

 

 

「で、ものは相談なんだけど」

「え?」

車に寄りかかっていた体を起こして、夢明希は話の流れを変える。

その唐突さに、あたしは戸惑った。

 

「この話……去年俺が、慧梨主のお兄さまに会ったって話した時、今は聞けないとか言ったじゃん?」

「そうね」

あの時、あたしは今の話を語ろうとして、夢明希に遮られた。

あたしは、彼の中で心の整理がついてなくて、とても聞ける状態じゃないんだろうと思った。

「まあ、あん時は混乱してたのもあるけど、それだけじゃなくってね」

「どういう意味?」

「……なんか、今じゃないかなって。だって、まだ何も解決してるわけじゃなかったから」

話が見えてこなかった。

「それで、今はもう解決したわけ?」

夢明希は頷いた。

 

その瞳は、あの時と……慧梨主に告白した時と同じ、期待と不安が入り混じった真剣な眼差し。

あの日と同じ決断を、夢明希はしようとしている。

 

「言ったろ?ものは相談だって。これは……慧梨主の中の“亜梨主”にしか話せない」

「な……何よ……?」

「亜梨主______」

 

 

 

 

 

 

一生に一回だけ、

奇跡が起こせるのなら______

 

 

慧梨主が叶えたと思った願いは、

奇跡に見せかけた地獄の始まりだった。

 

 

なら、

本物の奇跡は______

 

 

 

 

 

 

 

「どうして______?」

あたしは、夢明希の言うことが信じられなかった。

 

そんなこと、あるはずがない。

あるわけがない!

 

「あ……あははっ……あはははははははははははは!あーっはははははははははははは!!!!!」

 

そんな、

夢みたいな話______

 

「……亜梨主?」

「はぁ……はぁ……あはは、そっか……そうなんだ……」

涙がこみ上げる。

感情の整理が追い付かない。

 

「本当、夢みたいな話ね」

慧梨主が鏡の前で願った、一生に一度の奇跡。

 

遂に叶う、

その時がやってきた______!

 

「それで、答えは……って!?」

あたしは、夢明希を抱きしめた。

 

 

小学生の頃、事あるごとに“あたし”に突っかかっては、こてんぱんに言い返されていた夢明希。

そして6年振りの再会では、壊れたラジコンの部品を追っかけていたという、何とも締まらない感じだった。

そして付き合い始めてからも、デートにはしょっちゅう遅れるわ、好きなものに使っていつも金欠になってるわ、ちゃらんぽらんで子供っぽくて、傍から見ればとても理想的な恋人には見えない。

 

でも______

 

ずっと一途に慧梨主を想い続け、

この一年、ひたすら慧梨主に寄り添い続け、

 

 

そして夢明希は、

 

あらゆる災いを吐き出したパンドラの匣に、

ただ一つ残った最後の希望を、遂に見つけ出した。

 

「良い名前ね……夢明希」

そっと夢明希から離れる。

 

まだ目には、涙を浮かべていた。

「なあ、亜梨主……」

「大丈夫よ」

あたしは、セーターの袖で涙を拭った。

「それこそ、慧梨主が何より望んでいることだから……あたしは心配いらないから」

不安そうにしている夢明希に、あたしは精一杯の笑顔を向けた。

「ね!」

 

夢明希が夢を叶える。

 

その奇跡を起こすということは、

()()()が消滅することを意味している。

 

でも、あたしはちっとも悲しくない。

 

「あたしは……慧梨主だから」

 

鏡の前で分かれた慧梨主の記憶と心が、

また元に戻るだけ______

 

幸せに包まれ、慧梨主を守る存在が不要になるのなら、これほどうれしいことはない。

 

「そっか、そうだな……」

夢明希の瞳に、安堵が宿る。

 

「それに、うっせえやつが何人もいたら面倒くさいしな。いっか!」

「はあ~?あたしはいつも慧梨主のために言ってるのよ!ていうか言われたくなかったら、そのだらしない性格なんとかしなさいよね!」

「え?俺はいつでも紳士ですけどなにか?」

「紳士ねえ?慧梨主と付き合ってから、何回ごはん奢らせたのよ!」

「全く、記憶にございません!」

「このっ……本当、慧梨主はこいつのどこを好きになったのかしら」

なんだか不安も残るけど、きっとこいつなら大丈夫。

 

夢明希なら、きっと慧梨主をこれからも幸せにしてくれる。

 

 

 


 

 

 

 

夢明希は、車に乗り込んだ。

車体が振動し、普通よりうるさいエンジン音が響き始める。

辺りは、すっかり暗くなっていた。

 

「ねえ!」

窓をノックして呼び止めた。

運転席側の窓が、するすると下がっていく。

「がんばってね」

「うん、わかった」

 

 

「さよなら______」

 

 

あたしがそう言うと、夢明希は首を横に振った。

 

「また今度」

そうだ。

またこれからも、あたし達は一緒。

何も変わりはしないのだから______

 

 

「ええ、またね______」

 

 

あたしはゆっくり、車から離れた。

夢明希は窓を閉めると、ヘッドライトを点けた。

うるさいエンジン音を響かせて、彼の黄色い車はゆっくりと走り出していった。

 

 

黄色いボディは暗闇に消え、赤いテールランプが点になる。

 

右に曲がり、それも見えなくなるまで、あたしは見つめていた______

 




君は不思議の国のアリス

スローモーションで舞いながら

不思議の国のアリス

時は無常に流れてく

僕の物語の狭間に

君は住んでいるんだ
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