【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜 作:さくらのみや・K
「いつ振りだっけ」
「そうね、小学生振りじゃない?」
俺達は、近くのバス停の中にいた。
小さなプレハブの中に、ベンチが一個置かれただけの簡易的な待合所だが、氷点下の屋外で立ち話よりはマシだった。
会えるのか、会えないのか______
そもそも生きているのか______
唯一の望みをかけてやってきたこの街で、俺はその希望を見つけることができた。
亜梨主はちゃんと生きている。
それだけで、泣きそうなほど嬉しかった。
それでも俺は、なるべく平静を装っていた。
子供の頃に言い合った相手に泣き顔を見せるのはなんか悔しかったし、シンプルにそんな反応をしたらドン引くだろうなあとも思った。
内心は喜びと興奮で溢れ、両手が震えていたが、寒さでそうなっているように振舞った。
それに、まだ手放しで喜ぶわけにもいかない。
「それで、何しに来たのよ?こんなとこに」
亜梨主が俺を見る鋭い目は、疲れ切ったような感じだった。
声色も、どこかでこちらを鬱陶しく思ってるような、暗い雰囲気を漂わせている。
「……亜梨主に、会いに来た」
「へえ……?」
亜梨主の声色に、変化はなかった。
拒みはしないけれど、歓迎もしない。
そんなところだろうか。
「びっくりしたでしょ?アタシが、こんな何もないとこに住んでたなんて」
「んーまあ、ちょっとだけ」
正直に言えば、そんな些細なことを考える余裕なんてなかった。
「それで、アタシに何の用?フフ……この惨めな姿を笑いに来たとかかしら?」
自嘲的に笑う。
あの頃の、自信満々でその場の女王様として君臨しているかのような、あの亜梨主の今の姿。
その変わり果てた様子は、覚悟していたとはいえ、ショックだった。
俺は返答に困った。
今ここで、素直に「慧梨主と仲直りして欲しい」と話すべきか、どうか。
そのために会いに来たとはいえ、ここで素直に話したら拒絶されるかもしれない。
「慧梨主が亜梨主を殺した」というのは、お兄さまの勘違いと思い込みだった。
さすがに大げさに考えすぎだろ……とも思うが、実際に亜梨主が殺されると思うほどの事が、あの部屋で起こったのはきっと事実だ。
破滅的な仲違いをし、自分の事をを刺し殺そうとした双子の妹。
亜梨主に、自分を殺そうとした張本人と仲直りしてくれ……なんて、簡単に言えるわけがない。
亜梨主がいないという、最悪の想定は避けられた。
しかしそれは、姉妹の絆を修復し、慧梨主の夢を叶えるという目的を果たしたことにはならない。
言葉に詰まっていると、亜梨主が口を開いた。
「……ところで、慧梨主はどうだったかしら?」
「!」
俺は驚いた。
まさか亜梨主から、慧梨主の名前を聞くとは思わなかった。
「会ったんでしょ?慧梨主にも」
「どうして……」
「そりゃ……アタシに会うったら、元々の家に行くでしょう?」
そりゃそうだ……と納得した。
「会ってないの?」
「会ってると言えば会ってっけど……」
「何よ」
「……」
俺は、ポケットにしまったスマートフォンを引っ張り出す。
一瞬躊躇った。
自分を殺そうとした妹の姿を見て、どんな反応をするのだろう。
怖かった。
でも、慧梨主のことに言及しなければ、先には進まない。
「ほら」
俺は、自分と慧梨主の映った写真を見せた。
高専の学校祭の帰りに、同じ科の友達に撮らせたやつだ。
「な……っ」
亜梨主は俺のスマホを手に取ると、黙ったままその写真を見つめていた。
「……ど……どういう……も、もしかして……」
「まあ……うん、そういうこと」
ずっと沈んでいた亜梨主の瞳が、初めて揺れ動いた。
そのまま亜梨主は、しばらくその写真を見つめていた。
写真の中で、慧梨主は満面の笑みを浮かべていた。
何を思っているのか______
俺には計り知れないほど、沢山の想いが亜梨主の心の中を巡っているのは、想像に難くなかった。
どれぐらい経っただろう。
亜梨主は目を伏せ、スマホを俺に突き返した。
あまりの寒さで、充電が20%くらい減っていた。
「亜梨……」
「無駄よ」
亜梨主は、また元の沈んだ目に戻っていた。
でもその瞳は、まだ揺れ動いているように見えた。
「どうせ、仲直りして欲しいとでも言うんでしょ?」
「……」
ずばり言い当てられ、俺は何も言えなかった。
「なんでアタシが、ここに引っ越したか知ってる?一人で」
「……まあ、想像はできてる」
「自分を殺そうとした相手と、仲直りしてなんて……アンタ、アタシのことバカにしてるの?」
「そ、そんなつもりじゃ……」
やっぱりだめか……
落胆が、胸の中に広がる。
「……帰って」
「なっ……だけど……」
「帰れって言ってるでしょっ!?」
亜梨主は声を荒げて立ち上がる。
思わずひるんでしまった。
「もうあの娘は……慧梨主はアタシの妹じゃないのよ!だから、関わらないで……」
「だけど……」
「帰ってよ!!帰って、二度と……来ないで!」
慧梨主と同じ碧い瞳。
そこには、深い悲しみと絶望、そして怒りや憎しみが渦巻くように見えた。
その瞳で睨みつけられ、俺は動けなかった。
「亜梨主……」
その瞳を伏せ、背を向ける。
「次また会いに来たら……殺すから」
そう吐き捨てると、亜梨主は逃げるように歩き去っていった。
俺は、それをただ見ているしかできなかった。
「どうして……どうしてよっ!」
布団に潜り込んだアタシは、涙が止まらなかった。
少しずつ、少しずつ。
やっと、忘れられるかも知れないと思ったのに。
それなのに、
それなのに______!
「慧梨主……」
あの写真の記憶が、目に焼き付いて離れない。
かつて愛した、妹の笑顔が。
幸せそうに笑う、慧梨主の表情が忘れられない。
それは、ずっと守り続けていたかったもの。
そして、アタシが壊してしまったもの。
アタシには、もう見る権利なんてないもの。
「慧梨主……慧梨主……っ」
蘇ってしまった。
もう戻れない、慧梨主との日々の記憶が。
ずっと一緒にいて、いつも「お姉さま」と慕ってくれていた慧梨主。
アタシは、慧梨主がいればそれで良かった。
ずっとずっと、天使のように清純な慧梨主を守り続けていたかった。
願ったのは、ただそれだけ。
それだけだったのに______
「会いたいよ……慧梨主……」
アタシだけの慧梨主______
一晩中、アタシの涙は止まらなかった。
その日は、アタシは家に一人だった。
叔父さんは今日も仕事、叔母さんは町内会の集まりで多分夜まで帰ってこない。
今は、アタシは叔父さんと、ママの二つ上の姉である叔母さんと三人で暮らしている。
おばあちゃんは町の老人ホームに入って何年も経ち、おじいちゃんはアタシが中学校を卒業する少し前に、心臓の病気でこの世を去った。
ここでの暮らしは、決して幸せとは言えなかった。
この家の人達は、みんなパパとその家系を嫌っていた。
はるか昔、それこそ日本が戦争をしているずっと前から、日本の北半分はとある大きな勢力の支配下にあった。
桜ノ宮家はその分家であり、この一帯を裏で統治していたと言われる。
戦後、その支配は大きく弱まった。
桜ノ宮はただの名家のひとつとして、今はその名を恐れる人はあまりいない。
しかし、当時の記憶がある人達は、桜ノ宮の名を恐れたり嫌ったりする人もいる。
ママの家族も、そんな人達の一部だった。
そんな家系のせがれに、自分の娘を差し出すのは嫌だったらしい。
だけどママは、そんな家族の反対を押し切り、大学時代に恋に落ちたパパと結婚した。
そしてアタシと慧梨主がこの世に生まれた。
双子の姉妹としてうまれ、外見こそそっくりだったアタシ達。
だけど性格は、きれいに正反対になった。
アタシはママ似、慧梨主はパパに似た。
そしてママの家族は、アタシだけを可愛がり、パパに似た慧梨主を明らかに嫌っていた。
慧梨主に嫌な思いをさせたくないと、ママはこの家にアタシ達を連れてくるのをやめた。
それがアタシ達が幼稚園児だったころ。
それから十余年。
慧梨主との関係が崩壊し、一緒に暮らせなくなったアタシを、半ば攫うように叔母さん達は引き取った。
パパとママが事故で死んでしまったあたりから、彼らは慧梨主を桜ノ宮の親族達に押し付け、アタシだけを引き取ろうと考えていたらしい。
この世を去った娘の、あるいは妹の忘れ形見だったから……というのもあるだろう。
アタシは最早、高校生として学校に通うことすらままならない精神状態だった。
引き取られたあと、アタシはずっとこの家に引きこもり続けた。
そして、少しずつ精神的に落ち着くに連れ、アタシは居心地の悪さを感じるようになった。
別に、酷い扱いをされてるとか、そういうわけじゃない。
でも、アタシは慧梨主の双子の姉。
叔母さん達が嫌った、パパの娘。
露骨に嫌悪感を見せてくる、慧梨主やパパの話題は、ほんの少しでも出せなかった。
もし嫌われても、アタシには帰る場所がないから。
アタシは暇を持て余し、居間で寝転んでいた。
テレビでは、10年くらい前のドラマが流れている。
当時はわくわくして全話見た記憶があるが、今のアタシにはまるで興味がなくなってしまった。
ドラマだけじゃない。
色々なものに対して、喜びも悲しみも感じなくなって久しい。
玄関のインターホンが鳴ったのは、そんな時だった。
「……はあ」
億劫だなと思いながら、アタシはのっそり起き上がる。
回覧板か、それとも近所の誰かが叔母さんに話しに来たか。
特殊な事情でここにいるアタシにとって、近所の人間に会うのは嫌いな事の一つだった。
でも居留守しようにも、アタシが常に家にいることは周知の事実。
なぜ出なかったのか、と後で小言を言われるのも嫌だった。
「はーい」
アタシは適当な上着を羽織って、玄関のドアを開けた。
「やあ」
「……」
そこにいたのは、1週間前に追い返したはずの男。
夢明希の姿があった。
そのインターホンを押すのは、ものすごい勇気がいる行為だった。
『もうあの娘は……慧梨主はアタシの妹じゃないのよ!』
亜梨主のあの言葉が、頭の奥で響いている。
どんなに説得しようとしたところで、結局は無駄なんじゃないか。
高飛車で偉そうで、でも誰よりも妹を大事にしていたあの亜梨主はいないんじゃないか。
このまま拒絶され続けて、時間だけが過ぎていく。
すべては徒労に終わるんじゃないか。
亜梨主は生きている______
それだけで十分じゃないのか。
そう思って、逃げ出したくなった。
亜梨主がいなくても、慧梨主は今も懸命に生きている。
一人じゃない、俺もいるし友達もいる。
でもきっと、慧梨主は亜梨主との絆を修復できない限り、心の一部が欠けたまま生きることになる。
そのまま大人になり、慧梨主が何を思うのか……俺には想像がつかない。
だけど……だからこそ、想像し得ない苦痛に自分の好きな人を晒し続けるのを、黙って見ることはできなかった。
俺はインターホンを押した______
俺は何も知らない。
大事な人を失くしたことも、
裏切られたことも、
絶望も悲しみも修羅場も知らない。
そんな俺が、絶望に壊された二人を救うには、ただ愚直に正攻法で行くしかない。
いつかわかってもらえると。
甘い考えだとか言われても、俺はそれしか知らない。
でもやらなきゃいけないから。
慧梨主の恋人になりたいという夢を叶えてくれたのだから、今度は俺が慧梨主の夢を叶えてあげなくちゃいけないから。
ドアが開かれる。
「やあ」
顔を覗かせた亜梨主は、冷たい視線をこちらに向けた。
「……」
亜梨主は少しの間、無言でこちらを見ていたが、やがてドアは無言で閉じられた。
ダメか______
閉じられた木目のドアに、暗い気持ちを感じる。
「やっぱ手土産、あった方が良いのかなぁ」
ぽつりと呟いた。
その時。
「ねぇ……」
不意にドアが開かれ、亜梨主が出てきた。
「!」
俺は、わずかな期待に胸を躍らせる。
話さえできたら、きっとなんとなる。
そう思った。
だけど______
ふと視線を下に向ける。
亜梨主の手には、銀色に光るゴルフクラブが握られていた。
見た目からして、アイアンなのはすぐに分かった。
ゴルフには詳しくないけど、ヘッドが金属製なのでアイアンと呼ばれる……と誰かに教わった。
「言ったわよね……?」
ギリギリ……と、グリップのラバーに力が籠る音が聞こえる。
「次また会いに来たら……殺すって」
亜梨主の鋭い瞳。
それが意味するもの。
ゆっくりと振り上げられたアイアンを見て、俺はようやく知った。
殺意______
初めて向けられた感情に気づき、そして恐怖した頃には遅かった。
「待っ……ッ」
アイアンが振り下ろされ、世界が暗転した。