【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜 作:さくらのみや・K
慧梨主を守る______
純粋な姉妹愛は、未熟な彼女達にとって必要不可欠な大人達を失った時から、徐々に狂い始めた。
すれ違い続けた挙句、二人は引き裂かれ、癒えない心の傷がお互いに深く刻まれた。
慧梨主と亜梨主の絆を、もう一度取り戻せるかも知れない。
そのために必要な、欠けたパズルの最後のピースが、俺の手に舞い降りた。
選ばれた……なんて大層なものじゃないけれど、慧梨主の恋人になったその日から、俺はそれをはめる使命を与えられていたのだろう。
ならばその使命を、俺は全うしよう。
慧梨主と亜梨主の笑顔を、
もう一度見るために_____
3月の終わり______
スイフトスポーツが俺の元へ納車されたその日、俺はその足で亜梨主の元へと向かった。
時刻表に縛られた列車と違い、自分の車の方が自由度は高い。
そして亜梨主は、そんな俺をとある場所へと連れ出した。
「久しぶりに来たな」
丘の上にある展望台。
テーブルとベンチ、数台分の駐車場があるだけで、俺達以外には誰も居ない。
「アタシも」
暖かくなり、かき氷のようになった雪を踏みしめる。
まだ丘の上や森の中は、雪が多く残っていた。
丸太で組まれた柵に手をかけ、亜梨主は眼下の街を見下ろす。
そこは、かつて亜梨主が過ごした場所。
慧梨主の肩を抱きながら、暮らしてきた俺達の街だ。
「……」
まだ冷たい春の風を受けながら、長い髪をなびかせて街を見下ろす亜梨主。
その横顔は、とても同い年の少女とは思えなかった。
慧梨主を守ろうとし続けた使命感、
慧梨主を想い続けた愛情、
そして過ちを犯して離れ離れになった孤独感、
その寂しさ____
平凡な人生では一生をかけて経験するであろう色々なものを、一気に背負わされた思春期。
それに耐え続けた彼女の横顔は凛々しくもあり、胸を締め付けられるような哀しさも感じる。
思えば慧梨主にも、そんな表情を浮かべるときがある。
慧梨主もまた、過酷な青春を生き抜いてきた。
俺に見せてくれる笑顔は、優しさの中に強さと寂しさがある。
その滲み出る悲しみを浴び続け、俺は耐えきれずにここまで来た。
「ねえ、夢明希」
「ん?」
顔にかかる髪をかき分けながら、亜梨主は一歩引いたところに立っている俺の方へ向いた。
「アンタには……アタシが慧梨主に何をしたか、慧梨主に何をされたか、全部話したわよね」
「うん」
「それでもアンタはさ……」
「アタシと慧梨主が、また一緒に過ごせるって信じてるわけ?」
「……っ」
俺は顔を上げた。
トレードマークだったポニーテールを捨てた、ロングヘアーがなびく。
サファイアブルーの瞳。
慧梨主と同じ宝石のような瞳に、不安と期待が揺れている。
確かめる眼______
俺は、無我夢中で見つめ返した。
ちょっと怖かった。
引き込まれそうで、
押しつぶされそうで、
その瞳が生み出す重圧は、自分に課した使命の重みそのものだった。
俺の行動が、意志が、姉妹の人生を左右してしまう。
きっと彼は、この重圧に耐えられなかった。
生半可な気持ちでは、その何倍もの重圧は受け止められない。
今更後には引けない。
「でなきゃ、頭吹っ飛ばされになんて来ない」
俺は、必死に自分の意志を瞳に浮かべ、その重圧に応え続けた。
どれほど時間が経ったのか。
亜梨主の瞳が、大きく揺れ動く。
涙が溢れ、零れ落ちて風に吹かれていく。
「本当は……いつか、会いに行かなくちゃいけないって、思ってた」
亜梨主は声を震わせる。
「今まで、慧梨主を傷つけていたことを謝らなくちゃいけない。あの優しい慧梨主を、あそこまで追い詰めたことも……」
俺は、そっと前へ踏み出した。
「そして、アタシにナイフを向けたことを、許してあげなくちゃいけない。だって、あの娘はなにも悪くないもの!」
亜梨主の涙は止まらない。
きっと子供の頃から、優れた姉として、憧れの優等生として、何度も涙を堪えてきたのだろう。
小学生の頃でさえ、俺が亜梨主の涙を見たのは一度しかない。
逆に俺が泣かされてばかりだった。
「だけど……うぐっ……できなかったの……っ……だって……怖くて……慧梨主に、また……ひぐっ……人でなしって……罵られるのが……っ」
両手で涙を拭っても、亜梨主の涙は止まらない。
拭くものを渡そうにも、そんな気の利いたものは持ち歩いていない。
「だから……ずっと……あの町に……ううっ……あの家に隠れてたの……っ……ぐすっ……なんにもない町で、慧梨主に殺される悪夢に怯えて……っ……慧梨主に……またお姉さまって…………呼んでもらえるのを夢に見て……っ」
亜梨主はずっと待っていた。
誰かが、自分を連れ出してくれるのを。
卑怯者だとか、怠け者なんかじゃない。
その壁はとても一人では越えられない。
誰かが手を貸さなければ。
俺は亜梨主を抱き寄せた____
「あ……」
その身体は、慧梨主と瓜二つ。
華奢で繊細な身体に、慧梨主以上のものを背負おうとしていたのだ。
亜梨主の両腕が背中に周る。
「お願い……夢明希……っ」
アタシをもう一度……
慧梨主のところへ連れて行って____!
誰もいない展望台に、亜梨主の悲痛な叫びが響く。
「……あぁ」
腕の中で泣き続ける彼女を抱きしめる。
帰ろう、
亜梨主_____
まだこの季節は、日が沈むのが早い。
やがて辺りは暗くなり、眼下の街に灯りが灯り始める。
アタシ達は並んで、夜景を見下ろしていた。
「そういえばさ、亜梨主」
「何よ」
「どうして、こんなとこまで来たんだ?」
この展望台は、アタシが今住んでいる町から、車で1時間くらい離れた場所にあった。
「いや、別に良いんだけどさ。なんか、思い出でもあんのかなって」
「アンタは、覚えてないの?」
夢明希の方を向く。
「え」
きょとんとした顔で、こっちを見る。
「……昔、ここで会ったことあるじゃない」
視線を、展望台の後ろにある森へと向ける。
葉を落とした木々の間に、細い隙間があった。
雪に埋もれて見えないけれど、そこには散策用の遊歩道がある。
正確には獣道に近いけれど。
「だから、アタシはなんだかんだで、アンタのことを信じたのよ。きっとアンタなら、もう一度失ったものを取り戻せるんじゃないかって……」
「……思い出したよ」
あの日。
アタシは初めて、夢明希の温もりに触れた。
夢明希の背中に身体を委ねる。
アタシと同い年で、背丈もそんなに変わらない。
その背中の温もりに、恐怖に染まっていたアタシの心が解けていく。
森の中を揺られていく。
いつもは言い争ってばかりの二人なのに、今は静かな時間が流れている。
こいつに助けられることに、ちょっとムカつくような感じと、ほっとした気持ち。
複雑に混じり合った感情に、新たな想いが芽生える。
二人で森を抜ける。
展望台の空は陽が沈みかけ、星が出ていた。
それもきれいな、
天の川が______
その幻想的な夜空に、子供ながらに心を動かされる。
『ねえ……』
『うん?』
『ありがとう、…………』
『え?』
『……ううん、なんでもない』
アタシはきっと忘れない。
陽が沈む天の川と、
彼の温もりを______
「あの日から、アタシはずっと決めていたの」
真冬にコイツと再会した時、アタシは反射的に拒絶した。
頭を吹っ飛ばしたこともある。
だけど何度も会ううちに、アタシはかつて夢明希に抱いた感情と、心に決めたことを思い出した。
「本当は慧梨主のこと、誰にも渡したくはない。だけど……いつかあの娘も誰かを好きになって、その誰かのものになる。そうならなくちゃいけない時が来る」
そしてアタシもいつか……血の繋がった双子の妹以外に、本当に純粋な恋心を抱く日が来るかもしれない。
「その時、慧梨主には、アタシの一番大切な誰かを愛して欲しい。アタシが誰よりも愛せる誰かのものになって欲しいって」
「亜梨主の一番好きな人……」
「だからアタシは幸せよ。その夢が叶って____」
「……えっ」
夢明希が、驚いてこちらを見つめる。
赤くなったその顔に、アタシは不敵な笑みを返して応えた。
「それって……」
「人のタブーに手土産もなしに踏み込んで……そんな無粋な人間に、ここまで心を許すわけないじゃない。何も感じてない奴に」
「……ごめん」
「ふんっ」
こうやって迎えに来たのが、慧梨主が最後に結ばれた相手が夢明希だったこと。
これは運命だ。
アタシ達が双子の姉妹として生まれたこと、
パパとママが死んでしまったこと、
アタシが間違った選択肢を取ってしまったこと、
慧梨主に殺されかけたこと、
そして離れ離れになってしまったこと。
それも運命で、その全てに意味があるとしたら____
行き着く先には、きっと幸せが待っている。
慧梨主と笑って過ごせる、幸せな未来が______
鏡の前に立つ。
自分のロングヘアーを後ろでまとめ、長いリボンで縛り上げる。
ありがとう、“亜梨主”____
髪をまとめながら、アタシは鏡に語りかける。
夢明希が教えてくれた。
アタシがいない間、慧梨主はアタシの幻を心に宿し、心の平穏を守ってくれていた。
“彼女”はアタシのことを聞き、その役目を終えて消滅した。
アタシは、なんて言って謝ればいいのかしら______
アタシの問いかけに、“亜梨主”はただ不敵な笑みを浮かべる。
リボンをまとめると、アタシは頷いた。
腰まで伸びるポニーテールが揺れる。
そうよね____
アタシは慧梨主のお姉さま。
清廉潔白で、
思いやりがあって、
いつも慧梨主を支えてきた。
お姉さまとして、ふさわしい振る舞いを。
それが、慧梨主に対する一番の贖罪なはずだ。
荷物はスーツケース一つだけ。
この家に来てから、私物はほとんど買わなかった。
余裕も、必要もなかったから。
それに、アタシはこれから自分の家に帰る。
必要なものは、みんなそこにある。
誰も居ない家の玄関で、黒いブーツに足を通す。
叔母さんには何も言わなかった。
桜ノ宮の家とまた関りを持つことを、あの人たちは嫌がるだろう。
きっと、家から出られなくなる。
その前に、アタシはこの、何も良いことのなかったこの町を出ていくことにした。
この数年間、住まわせてくれたお礼は、いつか必ずしよう。
そう決めて、アタシは外へ出た。
玄関のドアを開ける。
4月の半ばとは思えない、冷たい風が吹きつける。
雪がちらつく曇り空、その下で彼の黄色いクルマは……そして夢明希の笑顔は、眩しく輝く太陽のようだった。
「このアタシを迎えに来るなら、もっとおしゃれなクルマにしなさいよね」
「フェラーリの方が良かったか?じゃあ買ってくれよ」
「冗談よ、素敵なクルマね」
小さなクルマだけど、いたるところから夢明希らしさが漂ってくる。
アタシは後ろのドアの前に立つ。
「助手席じゃなくていいの?」
「VIPは後ろに乗るものなの。それに、そっちは慧梨主の特等席でしょ?」
アタシはここで良い。
後ろから、慧梨主と夢明希の幸せを見守る。
それが、慧梨主の姉としての役割だから。
「そっか、じゃあ……何してんの?」
「開けなさいよ」
「あ?自分で開けろよ、トランクに乗せるぞ」
「何よ、文句でもあるの?」
「下僕じゃないんだが」
「ふんっ、慧梨主の彼氏には、アタシの下僕になる義務があるのよ」
「やなこった。GT-Rでも買ってくれたら考えてやるよ」
下僕になれと言って、ここまで真っ向から歯向かう奴は、夢明希以外いなかった。
そういうとこが、実は大好きだった。
結局、アタシは自分でドアを開けた。
空は暗雲が立ち込め、刺すように冷たい小雨が降っている。
天気予報では昼過ぎから雪に変わると言っていたが、それは正しいだろう。
スイフトスポーツの車内は、エンジンのアイドリングとマフラーの重低音だけが響き、静けさをより掻き立てていた。
ここに来るまで、色んなことがあった。
何もかもが、覆ってしまったこともある。
だけど、俺の意思は変わらなかった。
慧梨主の夢を叶えると誓って数ヶ月。
ついにこの日がやってきた。
バックミラー越しに、スイフトの後席に視線を向ける。
「じゃ、行こうか。亜梨主」
シフトレバーを1速に入れ、クラッチを繋ぎながらアクセルを踏み込む。
力強い重低音を響かせながら、黄色いマシンは走り出した。
Disc for Alice 遠くで汽笛を聞きながら
FIN_________