【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜 作:さくらのみや・K
He took Alices out of Wonderland,
from Neverland______
前編 “ネバーランド”
程よい重低音を響かせて、黄色いスイフトスポーツは桜満開の木々に囲まれた国道を駆け抜けている。
GW後半でありながら、朝早いこともあって道はさほど混んではいなかった。
「桜、綺麗ですね」
「今年はベストタイミングだったね」
この地域は、桜前線が来るのが遅い。
木々の狭間から見える、黒々とした切り立った岩肌。
ところどころにある白い滝の流れと合わせ、この辺り一帯は紅葉の時期に一番美しい景色を見せる。
もう数キロ先には温泉街があり、観光地として国内外の観光客が多く訪れる。
「温泉、入りたいですね」
「何言ってんの、これから行くんだよ。しっかり~」
「ち、違います!ここの温泉も入ってみたいって意味ですっ!もう!」
そう言って、慧梨主は頬を膨らませる。
「ごめんごめん、お金次第だね」
そう答えつつ、頭の中では早速予定を考えた。
慧梨主と約束したGWのドライブは、
結局______
「ふぁ〜あっ……」
後部座席で、目を覚ました亜梨主が腕を前に伸ばす。
「あ、おはようございます!お姉さま」
「んっ……おはよ、慧梨主」
振り返った慧梨主に、亜梨主は目をこすりながら応えた。
「爆睡だったね。初めて乗せた時は狭いだのなんだのって文句言ってたくせに」
「ふん、くつろいでやったのよ。感謝して欲しいわね」
「んなぁ〜にが感謝して欲しいだよ、っんとに。まあ、あん時は冬で道ガタガタだったし」
「実はお姉さま、昨日わくわくし過ぎて全然寝付けなかったんですもんね?」
「ちょっと慧梨主!?〜っ」
亜梨主が顔を赤らめて窓の方へそっぽを向くのが、バックミラー越しでも分かった。
慧梨主と約束したGWのドライブは、結局亜梨主
予約したホテルに連絡したが、急遽宿泊人数が増えたにも関わらず、快くそれに対応してくれた。
亜梨主も嬉しそうにOKし、こうして三人はスイフトの車内に集まった。
「くちーづーけをー、かわーしたーひーはー、ママーのーかおー、さえもー、みれなかーったー……」
「ポケーットのー、コインあつーめーてー、ひとーつーずつー、夢をーかぞーえたねー……」
慧梨主の好きなレベッカを、スイフトのオーディオで再生していた。
「「どーこでー、こーわれーたーのオー、フレーンズ……」」
慧梨主と亜梨主の楽しそうな歌声が、小さなスイフトの車内に響く。
慧梨主を好きになったその時から見たいと願った、心の底から湧き出る笑顔。
ようやく、ようやく見れたはずのものなのに。
「……」
それなのに、俺の心は晴れない。
夢が叶うとは、こういう事なのか_____
「あの、夢明希くん」
「ん?」
隣を見ると、慧梨主がこちらを見つめていた。
「大丈夫……ですか?」
「えっ」
「なんだか、その……あんまり楽しそうじゃないっていうか……」
彼女の表情は、心なしか不安そうに見えた。
「ご、ごめんなさい……!こんな、空気を壊しちゃうようなこと……」
「あぁごめん!こっちこそ……大丈夫。俺も、楽しみ過ぎて眠れなかったかも」
俺は努めて笑って見せた。
せっかくのドライブだ。
慧梨主に心配させてはいけない。
「そうですか。無理しちゃだめですよ」
「ありがと」
慧梨主の心遣いに、不安にもやつく俺の胸がちょっと温まる。
「事故んないでよね」
後ろから、亜梨主がため息交じりに言ってきた。
「はいはい」
「全く、頼むわよ」
その声は、亜梨主らしい優しさが混じっていた。
修復され、固い絆で結ばれた双子の姉妹。
黄色いスイフトの小さな車内で、俺は二人の温もりに包まれていた。
その温もりを感じれば感じるほどに、
胸の内に抱えてしまった不安も大きくなる。
平和だけどスリリングで、
きっと人生で飛び切り最高な時間。
その最高な物語の終幕が、地平線の端に姿を現した。
スイフトが進むたびに、それは近づいているような気がする。
桜の花びらを舞い上げながら、スイフトは駆け抜けて行く。
夢の終わりへと向かって______
木々に囲まれた道を抜け、峠を越え、田植え間近の水田の間を駆けていく。
途中で休憩したりしながら、お家からずいぶん遠くまでやってきた。
やがて、車はとある小さな田舎町へと差し掛かった。
「お腹空きましたね」
「そうね」
もう正午をとっくに過ぎている。
朝ごはんを食べるのが早かったのとあって、お腹はぺこぺこだった。
「なんか美味しいお店、ありますかね?」
「この先にちっちゃい食堂があるんだ。カレーがね、めっちゃ美味いんだよ」
なんでも、昔に夢明希くんが家族とここへ来た時、たまたま入ったのがそのお店だったという。
あまり期待してなかったのもあって、とっても美味しかったんだとか。
それから、ドライブに来るたびにここへご飯を食べに来ているという。
「有名なの?その店」
お姉さまが尋ねた。
「まあそれなりに」
「じゃあ混んでるんじゃないかしら?」
「仕方ありませんよ。連休なんですから」
途中途中で休憩したところは、どこも車と人でいっぱい。
有名なものを食べたい反面、人だかりの中へ身を投じたくない気持ちが、私達の中にあった。
でもGW中に、観光スポットを辿って走っているのだから、あまり文句を言っても仕方がない。
「ま、ここまで来たら食べれればなんでも良いわよ」
「だな」
「そうですね」
とにかくお昼ごはんにありつこうと、夢明希くんは車を走らせた。
「自分の運転で、自分のクルマで食いに行く日が来るなんてなあ」
「楽しみですね」
夢明希くんの目は、輝いていた。
「あーらら……ついてないわね」
私達三人の前には、古い民家がぽつんと立っていた。
外壁には、取り外された看板の跡が残っている。
食堂は、半年ほど前に閉店してしまっていた。
お店に人の気配は全くなく、辺りには寂しげな雰囲気が漂っていた。
「どうしましょうか、お姉さま」
「そうねぇ……あ、もうちょっと行ったら道の駅あるわよ」
お姉さまは、自分のスマートフォンで地図を調べていた。
「食べ物もあるって」
「本当です!?よかったあ」
二人でほっとした。
このまま夕飯まで何も食べられないかと思ったから……
「じゃあそこにしましょうか。ね、夢明希くん」
私は、ガラス戸の貼り紙の前に立っている夢明希くんに声をかけた。
「ほらー!早く行くわよ!」
「……」
私とお姉さまが声をかけても、夢明希くんは振り向かない。
「あの、夢明希くん!」
私は夢明希くんに駆け寄る。
「さ、夢明希くん。そろそろ……」
夢明希くんの腕を引こうとして、私は一瞬言葉を失った。
夢明希くんと再会して一年。
ずっと笑顔で、ずっと明るく振舞ってくれていた。
私は初めて見た。
夢明希くんが、ここまで悲しそうな表情をするなんて。
「あ……ご、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって」
「……そうですか。なら、良いんですけど」
「さ、行こうか。どこで食べようか」
「この先に道の駅があるって、お姉さまが」
その表情を見せたのは、ほんの一瞬だった。
だけどやっぱり、何かが違う。
今日に限った話じゃないけれど、最近の夢明希くんは、何かがおかしい。
まるで、お日様に雲がかかっているかのよう。
日に日に、その雲が多くなっている。
「ほら、早くしなさいよ運転手」
「うるせえ荷物」
「なんですってえ」
すっかり日常になった、夢明希くんとお姉さまの会話を見ながら、私は心の中で問いかけた。
夢明希くん______
その純粋な心の中に、
何を隠しているのですか______と。
お昼ご飯は、道の駅に売られている手作りパンになった。
外に置かれたテラスで食べた後、夢明希くんはお腹いっぱいになって早々に眠ってしまった。
「スー……」
春の心地良い風に吹かれながら、夢明希くんは木のテーブルに突っ伏して眠っている。
「疲れてたんですね」
彼にとって、これほどの長距離ドライブは初めてだった。
家からここまで6時間近く。
運転に疲れて、眠ってしまうのも無理はない。
「……子供みたい」
寝息を立てている夢明希くんを見て、お姉さまが呟いた。
「ねぇ、慧梨主」
私は夢明希くんの頭に手を乗せる。
ちょっと癖っ毛な髪の毛が、指の間をすり抜けていく。
「こいつ、なんかちょっと変じゃない?」
「元からですよ?」
「ちょ……フフっ、いや、そうじゃなくて」
「わかってますよ。お姉さまも気づいていたんですか?」
「分かるわよ、こんな単純な奴」
私と夢明希くんの反対側に座るお姉さまは、突っ伏した彼を見下ろしながら言った。
夢明希くんの様子が変わったのに気づいたのは、お姉さまが帰ってきてすぐだった。
学校帰り、いつものように私達の家に寄った日。
明らかに、いつもより表情が暗かった。
『どうかしたんですか?』
『え、あ、いや……急に暖かくなったから、その気温差でね』
そう言って、いつもの笑顔を必死に作ろうとしていた。
だけど私には、それが口先のでまかせだってすぐにわかった。
「慧梨主はなんか聞いてる?」
お姉さまの問いに、私は首を横に振った。
「私もよく分からないんです。夢明希くん、何も教えてくれなくて……」
「ふーん」
「こう見えて、意外と一人で抱え込むところがあるっていうか……」
「すぐにわーって泣きつきそうな感じするけど」
夢明希くんは、普段は色々なことを隠さずにお話ししてくれる。
何か悲しいことがあったら、すぐに慰めてもらいに来る甘えんぼさん。
だけど、自分の中で一線を引いている。
肝心なことは話してくれない。
「お姉さまに会いに行ってた時も、私何も知らなかったですし」
「そうだったわね」
私も受験だったこともあって、夢明希くんが裏であれだけ行動していたことに、全く気が付かなかった。
「……話して欲しかった?」
「ちょっと……でも、いざ話されたら、きっと怖くて止めちゃったと思います。夢明希くんはきっと、それが分かっていたから黙っていたんだと思います」
夢明希くんの頭を撫でる。
無垢な子供のように、彼は眠り続ける。
「向こうにいたとき、夢明希に何度も慧梨主の話を聞かされたわ。その度に思った。こいつ、人の……というか、自分の好きな人の気持ちを読み取るのが上手だなって」
お姉さまの手が、夢明希くんに乗せた手の上に重なる。
「だから、これは喋っちゃいけないって察して、そういうのは隠したがるんじゃないのかしら?こいつの人一倍強がりな性格は、アタシが一番見てきたから」
確かにそうだった。
今でこそ穏やかになったけど、小学生の頃の夢明希くんは、誰よりも強がりだった。
その強がる一番の相手こそ、当時のお姉さまだった。
出会ってから一年。
私の気持ちを知って、ずっと守ろうとしてくれた。
お姉さまに会えない孤独に寄り添ってくれた、夢明希くんのその温もりは永遠に忘れない。
だけど私は乗り越えて、今はこうしてお姉さまと一緒にいる。
「私は、変わったんです。弱い自分はもういない」
「そうね、よく分かってるわ」
「だから今度は、私が夢明希くんを助けてあげなくちゃ。それが、恋人というものでしょう?」
きっと今の私は、夢明希くんの肩を抱いて守れるくらい強くなれたはず。
もう、守られてばかりの私じゃない。
「……強くなったわね、慧梨主」
その言葉に、私の胸は高鳴った。
「お姉さま……!」
「立派になったわ。これからは、アタシも守られることになるのかしら」
ずっとずっと、私はその言葉を望んでいた。
いつか私も、
お姉さまのように強い人になりたいと______
「あなたがそのつもりなら、アタシも何もしないわけにはいかないわね」
お姉さまも、夢明希くんの頭を撫でた。
「恩返しくらい、ちゃんとやんないとね。これだけで返しきれるか分かんないけど」
お姉さまの瞳は、今も変わらない。
強くて優しいお姉さま。
私にとって
私達の周りには、変わらず心地よい風が吹いていた。
ゆっくり昼休憩を取った後、目的地のホテルがある温泉街へ向けて走る。
慧梨主と席を入れ替え、アタシは助手席の窓枠に肘をかけて窓の外を見ていた。
夢明希の車は、山道を登っていく。
外を流れる木々は、いくら眺めていても不思議と飽きなかった。
後部座席の慧梨主は、すやすやと眠っていた。
アタシは、あの町で夢明希に出会った時から気付いていた。
こいつが心に何かを抱えていることを。
雪に埋もれた町で最初に夢明希と話した時、アタシは内心戸惑っていた。
夢明希の変わりの無さに。
確かに昔みたいな噛みついてくる感じじゃなかったし、見た目も大人だったのに、こいつの漂わせる雰囲気はあの日の記憶を溢れさせた。
小学生の頃の、純粋に慧梨主と仲が良かった時の気持ちを思い出させて来る。
それに混乱して逃げ出し、それでも追いすがる夢明希をアタシは吹っ飛ばした。
まるでタイムマシン______
時空を超えて、幸せだったあの頃の記憶を見せつけられているような気分。
それがどうしてなのか。
こいつと向こうで話を重ねることで、アタシは段々分かってきた。
「ねえ」
アタシは慧梨主のように、変に気を使ったりはしない。
「教えなさいよ、何があったか」
はっきりストレートに言った。
「え?いやだから、別に何も……」
「質問は一回しかしないわよ?」
アタシは夢明希に微笑みかけた。
観念したのか、夢明希はハンドルを握り直してから、口を開いた。
「……将来のことで、ちょっとね。こないだ、学校で話があってさ。高専は5年制だから、大体4年くらいからぼちぼち本格的に、進路の話が出てくるんだ」
その解答に、アタシは拍子抜けした。
ありきたりというか、アタシ達くらいの年代なら誰しもが抱えるはずの悩み。
「そんなこと……って言い方はダメよね。でも、慧梨主に隠すようなことなの?」
「そうだよな、ホント……」
どうも煮え切らない。
進路なんてのは、こいつの悩みのほんの表層に違いない。
「はっきり言いなさいよ。アンタ、アタシにあれだけしゃべらせておいて、自分は言わないつもり?」
アタシはこいつに何もかも明かした。
ずっと心に隠してきた本音も本性も。
「マウント取るつもりはないけど、きっとアンタの悩みなんて、アタシ達が経験してきたことよりはずっとマシよ。さらけ出してまずいことなんて、何一つないんだから」
アタシの言葉に、夢明希は意を決したように深呼吸をする。
「……亜梨主は、将来の夢はある?いやその前に、大人になりたいって思ったことはある?」
「え?うーん、まあないことはないわよ?キャリアウーマンとか憧れたり」
自分のお金が使えて、大人に頼らず生きていける。
それに憧れたことはある。
そうすれば、完全に自力で慧梨主を守ってあげられるから。
「アンタはないの?」
夢明希は力なく首を振る。
俺は、
大人になりたくなかったんだ______
夢明希の、悲しみに雲る眼を見た。
アタシはこいつの本心を掘り当てた。
小学4年生の終わり。
クラス替え前の学級文集を作っているとき、夢明希は先生に呼び出された。
相当怒られたらしいが、周りのみんなはそれがどうしてか分からなかった。
アタシは先生の手伝いをしたとき、直接聞いてみた。
『柏木くん、こんどはなにをしたんですか?』
そう聞くと、先生は一枚の紙を取り出した。
文集に載せる将来の夢が書かれた紙。
一人一枚提出したものだった。
『とんでもないこと書いてたからな』
アタシはてっきり、変ないたずらでも書いてるんだと思った。
だけどアタシは、その紙を見て言葉を失った。
いつもあんなにはしゃぎまわっている、あの夢明希の書いたものだとは思わなかったから。
大人になりたくない______
鉛筆書きの汚い字から漂う何かに、小学生のアタシは困惑するしかなかった。
夢明希の言葉を聞いて、アタシは理解した。
何もかもが変わってしまった
何かが変わるのを拒み続ける