【完結】アリス・イン・ワンダーランド 〜ルッキング・グラス〜   作:さくらのみや・K

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後編 “フューチャーランド”

長旅の末、俺達はホテルへ到着した。

巨大なカルデラ湖の湖畔にある温泉街を、少し行ったところにそのホテルはあった。

 

2ヶ月前から宿泊施設を探し始めていたが、その時点で湖に近い温泉街の中にあるホテルは軒並み満室だった。

仮に空いていても、学生の小遣いをかき集めて泊まれるような値段ではなかった。

俺達の泊まるホテルは、外見はやや年季の入った感じで、湖畔にある温泉街から少し離れてはいるが、その分安くて予約も空いていた。

 

チェックインして部屋に向かう。

部屋は6畳くらいの和室だが、三人が泊まるには充分だった。

「おおーっ!」

「綺麗ー!」

「すごーい!」

窓の外からは、温泉街とその向こうに広がる湖が一望できた。

これだけの景色が楽しめるなら文句はない。

 

「ふいーっ」

畳の上に横たわると、無意識に長いため息が出た。

家からここまで300km以上。

こんな長い距離を走り続けたのは、免許をとって初めてだった。

運転は全く苦ではなかったが、さすがに身体はそれなりに疲れていたらしい。

 

「お疲れさまでした」

そう良いながら、慧梨主が隣に腰掛けた。

「ありがと。そっちこそ疲れたんじゃない?」

身体を起こした。

「いえいえ、私達はただ座ってただけですから」

実際は座っているだけでもかなり疲れただろうに、慧梨主は優しく微笑んでくれた。

「アタシに労いはないの?」

亜梨主が慧梨主の隣から聞いてきた。

「……ん?なにか?」

「このっ」

「あいたたたっ」

腕を伸ばして頬をつねられた。

 

しばらくはしゃいで落ち着く。

部屋の中に、穏やかで静かな空気が流れた。

開いた窓からは、ホテルの周りに植えられている木々のざわめきだけが聞こえてくる。

 

「俺達……いつまでこうやって、自由でいられるのかな……」

ぽつりと、そんな言葉が漏れた。

「夢明希くん」

「ずっと、このままでいられたら良いのに……」

「……」

「そうしたら、この気持ちも忘れちゃうことはないのにな」

俺は身体を起こした。

俺の呟きは、部屋に吹き込む春風に溶けていった。

 

「夢明希くん」

慧梨主がそっと寄り添ってくる。

「……話してくれませんか?夢明希くんが、何を思い悩んでいるのか」

「慧梨主ちゃん……」

「私なんかじゃ、力不足かもしれないけれど……せめて、一緒に悩んでいたいんです!」

「やっぱり、気づいてたか」

「当たり前です、私はあなたの恋人なんですから」

その言葉に、思いがけず泣きそうになった。

 

力強い言葉が、不安に囚われた心に響いた。

もう亜梨主を失い、幻想で心を保っていた慧梨主はいない。

誰かのためになろうとする彼女を見て、自分が成し遂げた事の大きさを改めて思い知る。

「今度は私の……私達の番です。そうでしょう?お姉さま」

慧梨主が亜梨主の方を見る。

昔のように、自信に満ち溢れた笑顔で、亜梨主はウィンクして見せた。

 

俺は意を決した。

二人の前に、全てをさらけ出そうと。

 

 

 


 

 

 

俺は世間の子供達の中でも、とても恵まれている方だと、小さい頃から自覚があった。

仲の良い両親に恵まれ、可愛がってくれる沢山の親戚や周りの大人達に恵まれ、一緒に遊んでふざけてくれる仲間に恵まれてきた。

そうやって幸せに育ってきた俺は、何も疑うこともなく、こんな毎日が続くんだと信じて疑わなかった。

 

だけど大人に近づくにつれ、恵まれた俺の周りの環境が、いかに儚く脆いものなのかを知るようになる。

 

小学校4年生の冬。

父方のじいちゃんが、大動脈瘤の破裂で急死した。

 

そしてそれからまもなく、

大人たちは遺産の相続をめぐって争いを始めた。

 

生前、既にじいちゃんの建設会社を引き継いでいた父さんは、面倒を嫌って会社経営に関するもの以外の相続権を放棄。

父さん以外の叔母さん叔父さんで争いが起き、裁判沙汰にはならなかったらしいが、兄弟姉妹は険悪なまま疎遠となってしまった。

父さん自身も「長男のくせに無責任」だと愛想をつかされてしまったのだ。

 

かつて、お盆や年末年始に集まれば、ご馳走を囲み、酒をしこたま飲んで大盛り上がり。

昔話をして騒ぐ大人達の隣で、一緒におもちゃで遊んで騒いだ従兄弟達。

父さんを見限り、見限られた叔父さんや叔母さんはみんな、子供の俺を心から可愛がってくれた人達だった。

 

その事件の後、俺も仲が良かった従兄弟達と離れ離れになり、それ以来みんなが何をしているのかも知らない。

今も連絡を取れるのは、たまたま慧梨主と同じ学校に通っていた園子だけだ。

 

大人になったら誰もが直面するであろう問題で、仲の良かった皆の関係が壊れてしまう。

その経験は、俺の中に()()()()()ということに不安を抱かせた。

 

 

それからも、大人になるにつれて色んな別れを見てきた。

それは物であり、趣味であり、人であり、かつての自分自身。

どれも、純粋な子供の頃の思い出だった。

成長していって、かつて好きだったものを簡単に捨てていく人間を目の当たりにするたび、不安と寂しさが心の中で大きくなっていく。

 

俺達は今年で19歳になる。

同い年の中には、就職して社会人になった奴らもいる。

実際、俺の中学時代の友達は、今年の4月に地元のスーパーに就職した。

この前まで中学の頃と変わらない、下らない話題で盛り上がっていた。

それなのに、就職した途端、一気に距離感を感じる大人な話題へと変わり始めた。

あと何ヶ月かで、きっと話題が噛み合わなくなってしまうだろう。

 

俺はそういうのを見る度、自分はそうなりたくないと思うようになった。

失わないように、

別れたりしないように。

気が付くと、俺の身の周りにあるものは、子供の頃から何も変わっていなかった。

 

それでよかった。

自分の元へやってきたものと、ずっと一緒にいよう。

失わないように、

失ったら頑張って直して取り戻そう。

それが、俺にとっての夢であり幸せだから。

 

 

「俺は、今が楽しくて仕方ないんだ」

俺の話を、二人は黙って聞いてくれていた。

 

脳裏には、今までに至る楽しい日々が浮かぶ。

「気の合う仲間がいて、学校じゃ課題やらレポートやらを見せ合ってこなして、終わったらゲーセン行ったりカラオケで騒いだりしてさ。休みの日はサーキットとか公園行って、常連さんとか友達とラジコン走らせたり」

子供の頃からずっと、変わらずにそんな毎日を送ってきた。

いや、変えないようにしてきた。

 

「そして慧梨主ちゃんと出会って、恋人になれた」

「夢明希くん……」

去年の今日。

俺は慧梨主と再会した。

「仲間がいて、親友がいて、その上恋人までいて……こんなに幸せな奴、そうそういないよ」

 

自分がいかに恵まれているか。

俺は今、本当に幸せだった。

 

だからこそ、子供の心で好きになったものを、大人になっても好きでいられるのか。

それが怖かった。

 

だけどこの一年、慧梨主と恋人になり、夢中になって色んな思い出を紡いできた。

そして亜梨主を連れ出し、姉妹を関係を取り戻す使命を成し遂げた時、俺は気が付いた。

 

 

漠然と恐れていた“未来”が、

数年後の“現実”へと変わっていたことに______

 

 

大人になれば、人は変わらなければならない。

というより、否応無しに変わってしまう。

 

その時、俺はこの気持ちを忘れずにいられるのか。

子供の頃から守ってきたものに、慧梨主という最愛の恋人が加わったとき、その不安は限界に達した。

 

「自分が俺が大人になってくのが怖いんだ。大人になっていって、色々変わっていって、なにもかも忘れてしまうんじゃないかって……」

 

楽しい思い出が増える度、子供でなくなることへの恐怖も大きくなっていく。

 

何が好きだったのか、

何が嫌だったのか、

何が楽しかったのか、

何ではしゃいだのか……

 

俺がどうやって、

慧梨主に恋をしたのか______

 

 

この幸せな瞬間を、幸せだと思えなくなる日が来るんじゃないか。

色んな出来事を通して感じた、その気持ちをいつか忘れてしまう日がくるのではないか。

 

 

「夢明希くん」

「……っ」

不意に、慧梨主に抱き寄せられた。

「慧梨主ちゃん……?」

「大丈夫。大丈夫ですから、だから泣かないで」

気が付くと、俺は泣いていた。

 

俺は慧梨主を抱きしめた。

何度も抱きしめた彼女を、こんなに頼もしく感じたことはなかった。

今はただ、無心に彼女の温もりに甘えることにした。

 

この温もりを、俺は失いたくない。

この関係が、どれほどの奇跡の上に成り立っているのか、忘れてしまわないように。

 

 

この気持ちを、

子供の俺が繋ぎ止めた幸せを、

 

どうか奪わないで______

 

 


 

 

 

私達はホテルの大浴場にいた。

連休なので、脱衣所も浴場内もそれなりに人が多かった。

 

身体を流して、外の露天風呂に向かう。

「ひゃーっ」

陽が沈みかけた冷たい外の空気に、小さな悲鳴をあげるお姉さま。

その後ろについて、そそくさと湯船に浸かる。

「気持ち良い〜!」

「はあ〜癒されますぅ〜」

お湯に肩まで浸かると、暖かさが身体の芯まで、じんじんと染み込んでいく。

一日の旅の疲れが、溶け出していくような気がした。

 

空はもうすっかりオレンジ色で、日が沈みかけていた。

上がる頃には、きっともう夜になっている。

「お姉さま、少し痩せましたか?」

ふと見た時の、お姉さまの身体のラインが少し細くなったような気がした。

「そうかしら……向こうじゃ運動とか、何もしてなかったけどね」

「そうですか」

お姉さまの向こうでの生活がどういうものだったか、なんとなく想像がつく。

余計なことを聞いてしまった気がした。

 

「……そういう慧梨主はっと!」

「ひゃ、ひゃあっ!?」

お湯の中で、お腹を摘まれた。

「あら〜?ちょっと太ったんじゃない?」

「や、やめて下さい〜っ」

お姉さまの手を払いのける。

「昔はこんなにもちもちしてなかったわよねぇ?何よ、幸せ太りかしら?」

「い、言わないで下さい〜!もう、気にしてるんですから」

最近、ちょっとずつ体重計の数字が増え始めている。

気にしていたことをもろに言い当てられて、私は恥ずかしくてたまらなかった。

 

湯船の反対側にいた女子大生達が上がっていった。

露天風呂で、私達は二人きりになった。

 

「……お姉さま」

「ん〜?」

「夢明希くんのこと、なんですけど」

私は、お姉さまに尋ねた。

 

私は今まで、夢明希くんがあんな風に泣いた姿を見たことがない。

初めて知った彼の本心と、何かに怯えるように涙を流す姿に、どうすべきか分からない自分がいた。

これだけのことをしてくれたのに、何もできない自分が情けない。

 

「私は、どうしたら良いんでしょうか」

「そうねえ……」

お姉さまは考え込んだ。

「アイツは、自分が気づいてる以上に、ショックを受けてるのよ」

「え?」

「アイツは慧梨主やアタシと再会してから、普通の人にとって当たり前のものが消えてしまうということを知ってしまった。自分が失ったものより、ずっと身近にあるものを……ね」

 

夢明希くんは、家族ともとっても仲が良い。

幸せな家庭のお手本とも言えるような、理想的な家庭環境を築いている。

だからこそ、両親を亡くし、お姉さまを失った私の姿は、彼にとって大きなショックだったに違いない。

そのショックが、元々一途な性格と合わさって、不安をより大きくさせてしまうことになってしまった。

 

「そのせいで夢明希くんは、余計に何かが変わるのを恐れるようになったのでしょうか」

「そうね。特に、今までで一番失いたくないものができた、今のアイツにとっては」

「一番、失いたくないもの?」

「決まってるでしょ」

私が首をかしげると、お姉さまはこちらを向いて言った。

 

「あなたのことよ、慧梨主」

「私の……こと……」

「アイツは、いつか慧梨主がいなくなってしまうんじゃないかって、その恐怖におびえているのよ」

「……っ!」

 

お姉さまの言葉に、私は夢中で首を横に振った。

「そんなっ、そんなことはあり得ません!」

「慧梨主……」

「私が、夢明希くんと別れるなんて……そんなはずないじゃないですか!」

「もちろん、それはアイツも同じでしょ」

取り乱しそうになった私を、お姉さまは微笑んで優しく抑えた。

「なら、どうして……」

「でもそれだけじゃないわ。この先、就職とか進学とか……色んな要因で、離れ離れになるかも知れない。アイツはきっと、それを一番怖がってるのよ」

「あ……だから、夢明希くんは」

お姉さまは頷いた。

 

大人になるのが怖い_______

 

大人になるということは、一緒にいられる時間が減ってしまうということ。

その時間の少なさが、いずれすれ違いを生む。

 

それは、私とお姉さまも同じだった。

事件より前、私とお姉さまがなんの隠し事もせず、最後に胸の内を話し合えたのがいつだったのか。

成長するにつれ、それすら思い出せないくらい、いつの間にかコミュニケーションが減っていた。

 

どれだけ愛し合っていても、大人になるために必要な過程を歩む道のりが、二人を引き裂いてしまう。

夢明希くんは、そんな私達を見てしまった。

その不安が、きっと夢明希くんの今の苦悩の根底にあった。

 

「だけど、お姉さま」

「何?」

「あんなことがあって、離れ離れになって……それでも私達は、またこうやって一緒にいるじゃないですか」

本当なら、もう二度と会うことすら叶わない。

それほどの罪を犯していながら、私達はまた双子の姉妹として、再会することができた。

「なにより、そんな私達を引き合わせてくれたのは、他の誰でもない夢明希くんじゃないですか」

「慧梨主……」

「そんな私達が、これから先、離れ離れになるなんて……もう絶対にありえません」

 

幾多の困難を乗り越えた私達姉妹と、その手助けをしてくれた夢明希くん。

私達三人の関係は、微妙なバランスなんかでは成り立っていない。

何よりも強い絆で結ばれている。

この先に何が待ち受けていても、絶対に崩れるはずはない。

それだけは断言できた。

 

「アタシも同感よ、慧梨主」

お姉さまは頷いた。

「だから……」

湯船から上がる。

お湯が身体から流れ落ちる。

「そのことを、夢明希に教え込んでやれば良いんじゃないかしら」

「お姉さま」

「絶対大丈夫だって、アイツが思えるようにね」

私は、お姉さまに続いてお湯から上がった。

 

私達の絆がいかに強いものか。

それを、夢明希くんに気付いてもらうには、どうすれば良いか。

考えながら、私達は屋内の浴場へと入っていった。

 

 

 


 

 

 

温泉を満喫した後、俺達は夜の温泉街へと足を運んだ。

決して規模は大きくないが、GWなだけあって人通りはそれなりに多かった。

幸い俺達は空席のある食堂を見つけ出し、今日初めての真っ当な夕飯にありつけた。

 

「お腹いっぱいね〜」

「美味しかったですね」

店を出て、満足そうな双子の後ろを、俺は口元を押さえながら着いて歩く。

「大丈夫ですか?」

「うん……くそぉ、多すぎんだろあれは」

「ふん、調子に乗って大盛りなんかにするからよ」

「あれは大盛りのレベルじゃない……うぷっ」

カツカレーの大盛りを頼んだのは良いが、明らかに通常サイズの2倍はある量が出てきたのだ。

なんとか食べきれたが、腹がパンパンになった。

 

腹ごなしを兼ねて、俺達は湖の方へ向かって温泉街を歩いて行った。

 

 

バブル崩壊を境に一気に寂れてしまった温泉街は、ほんの少し歩くだけですぐに静かになった。

GWという連休でなければ、観光客はほとんどいなかった。

 

三人は湖のほとりへと辿り着いた。

人気もなく、小さなさざめきと木々のざわめきだけが聞こえてくる。

俺達は、そんな湖を静かに眺めていた。

ライトアップも街灯もない湖を、ほのかな月明かりだけが照らしていた。

 

ほとんど真っ暗な景色に、俺は今の自分の未来を重ねていた。

この湖には何が浮かんでいるのか、

この湖の底には何が浮かんでいるのか、

この向こう岸には何があるのか、

見通しの利かない景色に、足がすくむ。

 

この暗闇で何かを失くしたら、きっともう二度と取り戻せない。

いや、失くしたことにすら気づかないかも知れない。

大事なものを失くしてしまったのに、それに気づかず平然と生きていく。

そんな冷酷な大人にはなりたくない。

 

湖岸を囲む木の柵を掴み、そんな恐怖に唇を嚙み締めた。

 

「怖いですか?夢明希くん」

慧梨主の声に、顔を上げる。

横を向くと、彼女はこちらを見つめていた。

「え……」

「その、怯えているように見えたので」

「……うん」

俺は素直に頷いた。

 

「私が一緒にいても?」

そう言うと、慧梨主は俺の手を取って引き寄せた。

「わっ」

「フフ」

驚く俺を抱き締める。

「私がつらい時、いつもこうしてくれるじゃないですか」

俺は慧梨主の背中に、自分の腕を回した。

 

あの日、想いを受け入れてくれた慧梨主を抱きしめた時は、縋るようなか弱さと悲しみが伝わってきた。

そんな慧梨主はもういない。

「私は絶対に……夢明希くんから離れたりしませんから」

慧梨主の力強い抱擁と、やさしい言葉に、ずっと自分を苦しめていたものが解けていく。

 

「私はずっとここにいます。夢明希くんの側に……そして、夢明希くんが何かを失くしそうになったら、私が取り戻して見せます」

「……強いなあ、慧梨主ちゃんは」

「弱かった私を変えてくれたのは、夢明希くんじゃないですか。今の私に、怖いものなんてありません」

自信に満ち溢れた慧梨主の言葉に、不安や恐怖が和らいでいく。

その安心感に、身を委ねる。

 

慧梨主は、そして亜梨主は、失くしてしまった一番大切なものを取り戻した。

彼女はたくさんの苦しみを乗り越えて、今この場所に立っている。

俺なんかより、ずっとずっと強い。

 

「だから夢明希くんは、安心してください。ずっとずっと、いつまでも……私は一緒にいますから」

 

愛する慧梨主の優しさに、俺は涙が溢れた。

「あ……ありがと……慧梨主ちゃん……」

「いいんですよ」

慧梨主は俺の頭を撫でてくれた。

「その代わり______」

「え……?」

慧梨主は、間近に顔を見つめてくる。

 

「夢明希くんも、絶対に私から離れないでくださいね」

「慧梨主ちゃ……んっ」

言葉を真意を尋ねる前に、彼女の唇に塞がれた。

 

慧梨主からされた、

初めてのキスだった______

 

「愛しています、夢明希くん」

 

 

 

ようやく見つけた、本当に大切な運命の人。

 

絶対どこへも、

逃がさない______

 

 

 

 

 

 


 

 

 

ホテルへ戻った後は、あまり記憶がない。

着替えた後、疲れがどっと出たのか、早々に眠ってしまった。

ふと目を覚ます。

よほど眠りが深かったのか、夢を見ることもなく爆睡していたらしい。

 

「寝相わるっ」

子猫のようにくるまって寝ている慧梨主とは対照的に、亜梨主は敷かれた布団を蹴とばして大の字で寝ていた。

その姿に思わずクスリとなりながら、俺は窓際の椅子に腰かけた。

 

少しだけカーテンを開けると、外は夜が明けかかっていた。

かすかに、スズメのさえずりが聞こえる。

備え付けの冷蔵庫の振動だけが聞こえる静かな部屋で、俺はこれからのことに想いを馳せた。

 

将来への不安は、まだまだある。

やっぱり、責任ある大人になるのは怖い。

だけど、昨日までの逃げ出したくなるような恐怖感は無かった。

どんな未来が待ち構えていようと、俺には慧梨主がいるし、彼女を一緒に支えてくれる亜梨主がいる。

絶対に、それだけは失うことはない。

 

いや、俺は離れられない。

愛する人のために、文字通り何でもしてきた少女達。

そんな二人から逃げるのは、比喩抜きで自殺行為だった。

ましてや、本来なら立ち入ってはいけない二人のタブーに飛び込んで、その一つを解決してしまったのだ。

それだけのことをしでかして、今更逃げられるはずもない。

 

でも、一生外せない首輪に繋がれたと気づいても、俺は怖くなかった。

他人が病的だと表現しようとも、それだけの深い愛情を向けてもらえる人間は、この世にそう多くはない。

その優しい監獄にいられる権利があれば、俺はいつでも未来へ羽ばたける。

 

「何黄昏てんのよ」

気がつくと、亜梨主が目を覚ましていた。

「……おはよ」

「おはよう」

起き上がると、向かいの椅子に腰掛ける。

 

「少しは気が晴れた?」

「え?ああ、おかげさまでね」

さっきより、少し部屋が明るくなっていた。

俺の答えを聞いて、亜梨主はふっと微笑んだ。

「昨日は見せつけてくれたわね」

「だって、慧梨主ちゃんが積極的だったから」

「……そうね」

顔を赤くする俺の答えに、亜梨主は眠る慧梨主の方を見ながら頷いた。

 

「ありがと」

「え」

「慧梨主がここまで強くなれたのは、アンタのおかげでしょう?」

亜梨主の問いかけに、俺は首をかしげて見せた。

「どうだろ?俺はただ、彼氏として一緒に居ただけだし」

 

俺が実際に、慧梨主にしたことは多くない。

彼女は亜梨主と離れ離れになってから、自分の力で生きていく術を手に入れていた。

俺と出会った時、既に慧梨主にはその気丈さを感じられた。

俺がしてあげたことは、それを確かなものにするための、最後のピースをはめただけだ。

 

「やっぱ、憧れの素敵なお姉さまがいたおかげじゃない?」

例え裏切られても、

離れ離れになっても、

慧梨主にとって亜梨主は、彼女が何より誇れる自慢の姉であり続けた。

だからこそ、時間がかかっても、二人は仲直りができたのだ。

 

「アンタには、一生かかっても返せない借りができたわ」

「そんな、気にするなよ」

「そんなわけにはいかないでしょう?」

亜梨主の真剣な瞳が、向けられる。

「だからこれからは、一人で抱えちゃだめよ。今のアタシにできることは多くないけど、アンタの相談くらいはいつでも乗ってあげるから」

「わかった、ありがとう」

「あ、別にアンタのためじゃないんだからね!あくまで、慧梨主のためなんだから!」

はっとして、慌てて付け足す亜梨主。

 

またいつもの返しを何か言ってやろうと思った矢先、

「但し……」

身を乗り出してきた亜梨主の言葉に遮られた。

 

「アンタはもう、アタシ達からは逃げられない。それだけは、許さないから」

亜梨主の青い瞳。

「分かってるでしょう?あの娘がどれだけアンタを愛していて、アタシがどれだけ慧梨主を愛しているか」

慧梨主を愛する狂気は、決して消えてはいない。

本当に大切なものを理解し、その純度が増したに過ぎない。

 

それが桜ノ宮 亜梨主という人間であり、

俺はそんな彼女と血を分かつ慧梨主の恋人なのだ。

 

失くす心配なんてあり得なかった。

俺にはもはや、選択肢などないのだから。

 

「もし慧梨主を傷つけたり、逃げたりしたら、その時は……」

「……また頭かち割るのか?」

「まさか……」

俺の間抜けな返答に、亜梨主は笑いながら自分の椅子に腰かけた。

 

「つま先から、順番に叩き潰してやるわよ」

亜梨主は不敵に微笑んだ。

 

 

 


 

 

 

今日も、空は綺麗に晴れ渡っていた。

春の心地良い空気が漂う。

「さあ出発だ」

車に乗り込みエンジンをかける。

スイフトの1600㏄のエンジンが、元気よく目覚めた。

 

「夢明希くん、忘れ物はないですか?携帯は?」

「持ったよ」

「財布は持ってるかしら?」

「落としてもないよ」

「燃料は?足りますか?」

「は、入ってるよ。足りる足りる」

「トイレは済ませた?この先しばらくコンビニも何もないわよ?」

「母さんが二人いるみたい……」

姉妹のチェックリストをこなして、俺はギアを1速に入れた。

 

温泉街を抜けると、すぐに木々に囲まれた道に出た。

「そうだ夢明希」

「ん?」

「何でアンタ、ずっと慧梨主のことちゃん付けしてんのよ」

「え?」

そういえばそうだった。

なんだかんだ変えるタイミングを逃がし、ずっとそう呼んでいた。

「ダメだった?」

「私はあんまり気にならないっていうか……私だって、くん付けしてますし」

「なんか距離感じちゃうっていうか……傍から見てるともどかしいのよね」

「お姉さまも、亜梨主ちゃんって呼んで欲しいんですか?」

「なんでそうなるのよ」

「亜梨主ちゃ~んぅげえっ、死ぬ死ぬ!俺達が!」

「調子に乗んじゃないわよ!」

後ろの席から手を伸ばしてきた亜梨主に、首を掴まれた。

 

「ていうかアンタもお姉さまって呼びなさいよ」

「はあっ?」

「いいですね!それ」

亜梨主の提案に、慧梨主が乗っかる。

「なんでそうなんの」

「あら、いずれは呼ぶことになるのよ?今から慣れておきなさいよね」

確かに、俺の方が誕生日が遅い。

どちらかといえば亜梨主の方が、数週間だけ歳は上ではあった。

「そうですよ。さあほら、恥ずかしがらないで」

「ったく、この……」

慧梨主の不敵な微笑みに、逆らうことはできない。

 

「……お義姉さま」

 

自分でも、顔が真っ赤になっているのがわかる。

「はぁ~い、よくできました」

「あっはは、やればできるじゃない」

二人に頭を撫でられる。

「くっそ……二人乗り買えば良かった」

「ん?なんですか?何かご不満ですか?」

「うぅっ」

日を追うごとに、慧梨主が亜梨主っぽくなっていている気がする。

そのうち、彼女から丁寧語が消えてしまうかもしれない。

 

……ま、イヤではないんだけど。

 

 

道路は木々を抜け、開けた草原を突き抜ける。

どこまでも続く道を、スイフトは駆け抜けて行く。

 

新たな夢へと向かって______

 

 

 

 

 

この世で何よりも大切な恋人の慧梨主と、

そんな彼女を見守る気高い姉の亜梨主。

今の俺は……この何よりも強い絆で結ばれたこの関係を……

 

 

心の底から気に入っている_____

 

 

 

 

 

 




Alices took Peter Pan out of Neverland.
And they will go to Futureland____
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