巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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評価バーが全部埋まったので、感謝を兼ねた記録は今回で終わりにします。

*追記*
こちらの方が収まりが良いので、〝失せ物の神子〟を〝探知の神子〟に変更しました。ちなみにシンシアは便宜上神子を名乗っているだけで実際は別の存在なので、神子という設定は今後あまり使われません。(2023/1/14)





十 収穫祭

  私は緑の妖精

  私の服は希望の色

  私は破滅と苦しみ

  私は不名誉

  私は恥辱

  私は死

  私はアブサン

 

 

「誰だァ? 子供たちにあんな歌教えたのは」

「耳に痛いな」

「まったくだ! ハハハ!」

 

 憶えたての歌をうたい歩く私たちを眺め、酒精で顔を真っ赤にした大人たちが笑った。

 

 五月の春祭り、またの名を収穫祭。

 大地の恵に感謝する日だと母様は言っていた。

 色んな家から食糧をもちよって、お腹いっぱい食べて、私たちが飢えず病まず暮らせることに感謝をするのだ。

 

 生前は、この時期といえば五月忌みか。

 早乙女*1が菖蒲や蓬で葺いた仮小屋や神社の中に一日だけ閉じこもり、穢れを清める日である。

 本格的に田植えに参加する齢に病み、野良仕事はできなくなった私には馴染みの薄い行事だ。

 翌月のサネモリ様*2ならば、子供の頃に参加したのでまだ懐かしさもあるのだが。

 

 

 前世はさておき、去年の記憶と比べると、今年の祝祭は盛大である。

 まず、今年はツィゴイネルの一団が収穫祭の前から村で野営していた。祝祭のある村々を回り、熊踊りの見世物や演奏で稼ぐツィゴイネルは、定住地を持たず、日々の糧は施しに頼る。ツィゴイネルは大森林を追い出された獣族が多く、物乞いより少しましな最下級に属する、と村の大人たちが話しているのを聞いた。

 うちにも何度か食事を乞いに来たが、母様とリーリャは、老人と子供を含めた八人の集団に嫌な顔ひとつせず食事をふるまった。

 

 物乞いよりましと影で蔑まれようと、彼らの日焼けした指が紡ぐ音色は人々の心を充たす。

 熊踊りは残念ながら見られなかった。熊はすでに老齢で、見世物としてはもう使えないと判断したツィゴイネルにより、川で血抜きをして捌かれ、祝祭の食卓に並んでいる。

 ツィゴイネルの仲間ではないブエナ村の住民まで熊肉にありつけるのは、ロールズさんが生け捕りにした子熊を彼らに渡したからだ。さらに、シルフィのお父さんのロールズさんが狩ってきた猪や兎も女衆が血抜きをしてその場で焼かれ、ついでに本来の予定より酒樽を多く開けたそうだ。

 

 

「はい、シンディの肉」

「ありがとう」

 

 兄に大きな骨付き肉をもらった。香ばしい匂いだ。

 ンア、と口を開けてパリパリの皮にかぶりついたら、通りかかったヤーナム君にものすごく笑われた。

 山賊みたいな顔、とゲラゲラ笑うヤーナム君の足を蹴りつつ、兄も「なんで一番大きな部位からいくんだ」とやや引いていた。

 

「それ何食べてんのー」

「ベリーパイ」

「もうない?」

「まだあったまだあった。あっちのテーブル」

「いいな、あたしも持ってくる」

「パウンドケーキも美味しいよ」

 

 大人たちが林檎酒やアブサンを飲みながら雑談をしているところにいても退屈なので、子供は子供で食べたり遊ぶことになる。

 飲み食いをしている場からちょっと離れた草っ原に敷物を広げ、ときどき大人が屯している机から食糧を取ってきてお喋りしながら食べるのだ。

 

 

 八つ九つの男の子がやってきて、敷物の上に座った。

 ツィゴイネルの一員である。獅子の耳と尾をもつアンガラという名前の彼に近よると、彼は微笑み、手に持ったリュートの弦を弾き始めた。

 

  あたしたち、野原で花になる

 

 それはアスラ王国ではよく知られた俗謡であった。

 私も、リーリャが寝かせ歌代わりに歌うので聞きおぼえていた。母様も子守唄は歌ってくれるけれど、出身が異国であるためか、ブエナ村の人々がうたう歌とは、やはり異なる。

 

  兄さん、あんたは黄色い花に

  あたしは白い花になる

 

 先端が房になった尾をゆらめかせ、近くでじゃれあっていた子供らの注目を集め、アンガラは透明に澄んだ声で歌った。

 ソーニャちゃんが声をあわせた。歌声は、淋しいとも楽しいともつかぬおかしなものになった。

 

  アルスを追って、マリアは走る

  兄さん、あたしも連れていって

 

  兄さん、あんたが、あたしは好きよ

  神様が許さないことだけれど

 

 兄と妹のあいだの恋慕を歌った歌詞は、妹から兄への呼びかけだけで、兄がどう応じたのか、わからない。

 歌い終えると、アンガラはソーニャちゃんの皿を指さした。上に乗った切り分けられたパウンドケーキを指し、自分の口元を指して唇を開け閉めした。

 ソーニャちゃんがおっかなびっくりという感じで皿を差し出すと、手で掴んで食べた。メリーちゃんが分け与えたレバー入りのソーセージも、うまそうに食べた。

 彼は私を膝に抱え、リュートを持たせた。私の手は、ツィゴイネルのような哀愁と華やかさが溶け入った音色を紡ぐことはできない。それでも、弾けば音が鳴るのが楽しくて、下手くそな音を出していると、他の子供らがアンガラを囲み始めた。

 

「歌じょうずだったね!」

「いいなあ、その楽器、私にも触らせて」

「……」

「ダメだよ、こいつ、人間語はわからないよ」

「話セる。ちょっトだけ」

「うわぁっ、喋った!」

「しっぽって触られたらどんな感じ?」

「くすぐっタい」

 

 好意的に迎えられたとわかると、アンガラは私を退かし、他の子にねだられるままに歌をうたい始めた。

 ソマル君が駆け寄ってきて、その輪から外れていた子供に見せつけるように籠を掲げた。

 

「くすねてきた! 食い物!」

 

 くすねる、と悪っぽい言い方をしているが、普通にちょうだいと言えばもらえる。

 それだけではない。酔っ払って上機嫌な親に近よると、親のほうでも雛のように寄ってくる子への愛しさがふくらむとみえ、赤ん坊よろしく抱きあげて頬ずりをしたり、甲斐甲斐しく食べ物を取り分けてやったりするのだ。

 だから子供たちはご飯や甘味をつまみに行く体で甘えに行き、楽しそうに戻ってくる。

 

「お前も食うか?」

「くう」

「食べる、でしょ! シンディちゃんに悪い言葉づかい教えないでよ」

「あっかんべー」

「もー!」

 

 乱暴なソマル君が今日は比較的大人しいのは、普段は厳格な彼の祖父が膝に乗せてくれたからだろう。

 あそこにいる、椅子の上からあまり動かないおじいちゃんが、ソマル君の祖父だ。

 足が悪く、母様が薬を届けに行くのについて行ったこともあるが、一人暮らしで寂しいのか、私を本当の孫のように可愛がってくれる。ところが本物の孫であるソマル君からは苦手意識を持たれている、ちょっと不憫なお爺ちゃんだ。

 これをきっかけにソマル君と彼の祖父が仲良くなったらいいな。

 

「シンディちゃん、あーん」

「あー」

 

 ソマル君が籠に入れてもってきたのは、豆を高温で熱して弾けさせたお菓子だ。黄色のふわふわしたそれをエマちゃんに食べさせてもらっていると、一歳のワーシカが敷物の上をはいはいして近寄ってきた。

 ひとつ摘んで口元に近づけてあげると、指ごといかれた。かじられる前に引き抜き、スカートの裾で唾液で濡れた指をそっと拭う。

 

「おいしい?」

「んまんま!」

 

 よしよし。かわいいね。ワーシカかわいいね。

 

 他の赤ちゃんは母親に背負われるかえじこに入れられている。ワーシカが唯一触れ合える赤ん坊であるわけだ。

 

「赤ちゃんが、赤ちゃんのお世話してる」

 

 シルフィが言い、兄が吹き出した。

 私はもう三歳だというに。

 

 

「こっちだよ、あの子が――の子」

「ババァもなんか失くしたのか?」

 

 兄は、リュートの音色を聞くうちに寝入った。シルフィの腿に頭を乗せた兄の横で、ワーシカを構っていたとき。

 リチャード君とヨッヘン君が近づいてきた。彼らは一人の大人を連れていた。

 二人とも靴から胸まで泥だらけだ。バイタという、柔らかい土に木の棒を刺して倒し合う遊びをしていたためだろう。

 

「だれ?」

「誰かこの人知ってる?」

「ううん、知らなーい」

「おばさんどこの人?」

 

 みんながきょとんとした目をその人に向ける。

 長い蓬髪に、まん丸の眼鏡をかけた、初老の女だ。

 

「あんたもジプシー?」

 

 ヤーナム君がアンガラに一瞬視線をよこし、大人を見上げた。アンガラの毛に覆われた三角の耳がピクッと動き、ゆっくりと横に寝た。

 

「いいや、私は行きずりの冒険者さ。ハーヴォ村からブエナ村まで、彼らの幌馬車に乗せてもらったんだ」

 

 彼ら、と言うとき、彼女の杖の装飾部はアンガラを指した。

 

「ふーん、ジプシーじゃねえんだな」

「ジプシーと言うのは、やめなさい。彼らはツィゴイネルだ」

 

 静かな眼で大人は告げた。唐突に諭されたと感じたのか、ヤーナム君がちょっと不満そうに口をとがらせた。

 

「だって、その名前、言いにくいし」

「そうかい。じゃ、次から〈ロマ〉と呼ぶといい。ヒトという意味だよ」

 

「わかった」とヤーナム君が頷き、

「冒険者ってほんとう?」と身を乗り出したのは、リチャード君だ。

 大人は鷹揚に答えた。

 

「そうだよ、私は冒険者。物書きでもある」

 

 と、言い、歌を一節口ずさんだ。

 

「この曲の作詞は私なんだ。君たちも知ってるだろう?」

「知らない!」

「はじめて聞いた!」

「え。そーかー……私、けっこう有名だと思うんだけどなー、本も出してるし……ブラッディー・カントって名義で」

「ブラッディー・カント!?」

「ひゃっ! ルディ!?」

 

 兄はシルフィの腿から跳ねるように起き上がった。

 口端のよだれを手の甲で拭いつつ兄は「知ってます」と声を上げた。

 

「『世界を歩く』ですよね? 父様の書斎にあるのを読みました」

「嬉しいねえ。読書家だな君は。偉いぞ」

 

『世界を歩く』?

 そんな本あったかな。……あったかもしれない。

 

「少年、君は……」

「ルーデウスです。ルーデウス・グレイラット。この村の駐在騎士、パウロ・グレイラットの長男です」

「おれヨッヘン!」

「あ、ぼ、僕はリチャード!」

「あたしハンナ!」

「私ソーニャ!」

「ボクはシルフィエット。……です!」

 

 兄が好意的な態度を見せたことで警戒心が解けたのか、我もわれもと子供らは自己紹介を始めた。

 私はまだお喋りできないワーシカを背後から抱きかかえ、片腕を挙げさせて「ワーシカです!」と叫んだ。

 

「おお、おお、元気いっぱいだ。さて、ルーデウス君、〈探知の神子〉とは、君のことかな?」

「……え、いや、違い、ます、けど?」

 

 ワーシカがお菓子の入った籠を倒そうとしている。

 抱っこでワーシカを籠から離れた場所に置いて阻止した。

 

「仮に僕が神子だとしたら何なんですか?」

「神子? ってシンシアのことだよな?」

「あっ! 馬鹿ソマル!」

「馬鹿って言ったほうがバーカ!」

 

 名前を呼ばれ、振りかえる。

 カントさんがこちらを見ていた。兄はソマル君との口喧嘩を中断し、何かを危惧する眼で、私とカントさん、父様や母様たちがいるほうを見比べた。

 

「君はシンシアというんだね」

「うん」

「私も失せ物をしてね、捜索を頼めるかい」

「いいよ!」

 

 失せ物は財布だそうだ。カントさんは最近できた、村唯一の旅籠(はたご)に泊まっているそうで、宿泊代を払えないのでは、と兄が心配したが、

「ああ、平気だよ」と、カントさんは右足のブーツを脱ぎ、靴底から金貨を一枚取り出した。

 

「この通り、体のあちこちにお金を仕込んでる」

「用心深いんですね」

「なに、冒険の基本さ。掏摸に遭わないとも限らない」

 

 私はカントさんを見つめる。労するまでもなく、ぽっと頭の中に絵が浮かんだ。

 

「ここ」

 

 カントさんの三角帽子を見ながら、私は自分の頭を――正確には頭上を、指さした。

 彼女は帽子をひっくり返し、おや、とおどけた調子で目を見開き、革の巾着袋を中から取り出した。

 ええーっ、と、周囲からあどけない声が湧き上がる。

 

「なんでそんなとこに入れてんの?」

「忘れてたの?」

「ドジだな!」

「私も歳だからね」

 

「もうひとつ訊ねてもいいかい」と言われ、うなずくと、

 

「今朝、魔道具の手鏡を失くしてしまったんだけど、それはどこにあるかな?」

「どんなかたち?」

 

 鏡という物が存在することは知っているが、実物を見たことはない。硝子でさえ、前世では見た事がなく、今世で初めて見たのだ。ゆえに形状を訊ねると、カントさんは指で宙に円を書いた。

 

「こんなふうに、丸い形をしている。普段は貝のように閉じていて、蓋を開けると片面に鏡が貼られているんだ」

 

 なるほど。

 

「部屋に、寝床にあがるはしごがある。はしごの裏の床に穴があって、板をかぶせてある。その板のしたに、あるよ」

 

 カントさんは銅貨をソマル君に握らせ、言われた場所を探してくるように頼んだ。ほどなくして戻ってきたソマルは丸い手鏡をつかんでいた。

 

「うん、確かに私のものだ。ありがとう、シンシア。助かったよ」

「へへっ」

 

 褒められて、胸を張る。頭撫でてくれないかなあ。

 

「占命魔術とは違うんだね」

「せ……?」

 

 降ってきたのは、頭を撫でる手ではなく、聞き馴染みのない言葉であった。

 首をかしげていると、兄が私をひっぱって自分の後ろに隠した。「母様のところに行って」と言われたが、兄にしがみついて拒否した。警戒した様子を気取られまいとする兄の姿に、むしろ不安をあおられていた。

 

「失くしたと仰ったの、嘘ですよね。わざと隠しましたね?」

 

 カントさんは微笑みを返した。

 

「一度、神子という存在を、この目で見てみたくてね」

「ほう。で、どうでした? 物珍しさに攫いたくなりましたか?」

「その子がもう少し大きければ、養子にしたかもね」

 

 カントさんはぬっと兄の後ろに隠れた私を覗き込み、何かを渡す素振りをした。手のひらを出してみると、「はい、お駄賃」という言葉と共に、硬貨が落とされた。

 ソマル君に渡していたのとは少し異なった。銀ぴかだ。

 

「銀貨だ」

「アスラ銀貨だー」

「初めて見た!」

 

 見せて見せて、と請われるまま銀貨を渡そうとしたら、エマちゃんがその手を押さえた。

 

「これはシンディちゃんが稼いだお金なんだけど」

 

 エマちゃんが睨みをきかせると、兄とシルフィを除く他の子たちはしゅんとして大人しくなった。

 エマちゃん、やっぱり強い。

 

 手に持った銀貨を見つめる。

 村の人たちに失くしたものの捜索を頼まれることは、時々あった。依頼は両親かリーリャの立ち会いのもと聞き入れる事になっている。

 母様もリーリャも父様も、お礼の農作物等なら受け取るが、金はもらわず、無償で行っている。

 彼女らは、私の霊能力そのものより、力を持つことによって私が将来増長するやもと危惧しているようなのだ。

 増長などしない。前世の私はトウビョウ様の力を自在に使えたがために、霊験あらたかな巫女のように扱ってもらえたが、トウビョウ憑きは、本来ありがたいものではなく忌まれる存在なのだ。

 

「お兄ちゃんみてみて!」

「近い近い」

 

 初めて稼いだ銀貨を兄の顔に押しつける。

 顔から離し、改めて見せると、「よかったな」と頭を撫でられた。うれしい。

 

「私は生涯旅を続けるだろう。長いこと色んな国を彷徨してきたが、神子には会ったことがなかった。もし会えたら、老い先短い人生を、神子と一緒に旅をしてみるのも一興と思ったが……こんなに小さくては、ねえ? まだお母さんが恋しい齢だろう」

 

 カントさんは私を見て、苦笑した。

 よいしょ、と気合を入れて立ち上がり、カントさんは帽子を被り直した。

 

「一週間はこの村に留まるつもりだよ。君たち、退屈になったら私のいる旅籠(はたご)までおいで。世界中の色んな話を聞かせてあげよう」

 

 じゃあね、と手を振り、カントさんは大人たちの宴に混ざりに行った。声は聞こえないが、雰囲気と仕草からして歓迎されているようだ。

 

「はぁ…………ん? シンディもあっち行くのか?」

「かあさまに見せるの」

 

 銀貨を大事にもって母様のところに急ぐ。

 妊っている母様は酒は飲まず、ジュースを少しずつ飲みながら、セスちゃんのお母さんと歓談していた。

 

「かあさま! みて!」

 

 背伸びをして銀ぴかの硬貨を掲げると、こちらを振り向いた母様は目を丸くした。

 

「あ……あら、どうしたの、それ」

「もらったの。カントさんに」

「母様、実は――」

 

 兄が事情を説明し、母様はやや不安そうな眼をしつつも、やや離れたところでエールを飲んでいるカントさんに向けて、スカートの端を片手でつまんで膝を少し曲げる簡単な挨拶をした。

 両手でつまんで片足をもっと後ろに引く格好の膝折礼もある。そっちはもっと畏まった場でする挨拶だそうだ。

 

「良かったわね。そのお金は、シンディが大きくなるまで、お母さんが預かっていてもいい?」

「いいよ」

 

 もう満足するまで眺めた。銀貨を渡すと、母様はパウンドケーキの干果物が入っていない生地だけの部分を食べさせてくれた。私がいちばん好きな部分だ。

 

「おいしい?」

「おいし!」

「お母さん今年も作って良かったわ。はいっ、ルディも、あーん」

「あ、あーん」

 

 もっとたくさん食べたいけれど、この体は胃の腑が小さく、食べすぎると吐き戻してしまう。

 ひと口を大切に味わいながら横を見ると、兄がちょっと照れながらケーキを食べさせてもらっていた。

 

 そういえば、と母様が思い出したように私に訊ねた。

 

「失くした物の場所を教えるときに、人をばかにしたり、いばったりはしてない?」

「してないよ」

 

 張り切って答え、褒められるのを待って母様を見上げていると、母様はしゃがんで私の頬に交互に口をつけた。

 

「えらい、えらい。貴女は私の自慢の娘よ」

「かあさまも、じまんのお母さん!」

「まあ、うふふ」

 

 これくらい! と、両手をひろげて自慢の度合いを表現する。

 ザザザッと草をふむ音が猛然と近づいてきて、背後から勢いよく抱えあげられた。酒の匂いをおびた吐息を間近に感じるやいなや、高い高いをされて視界が揺れた。

 父様の顔が見えない高い高いがこんなに怖いとは。

 

「んきゃああ!」

「抱っこか? ん? 抱っこのポーズしてたな? 母さんはお腹に赤ちゃんがいるから、抱っこは父様で我慢しなさいって言ったろ!」

「抱っこちゃう! ち()う! じまんしてたの!」

 

 両腕をあげると抱っこをねだる格好になる。

 尺度を表現するつもりが、遠目にはそれが妊娠中の母様に抱っこをせがんでいるように見えたらしい。

 ジタジタ暴れているとエマちゃんが走ってきて、「可哀想! 嫌がってるのに!」と父様のベルトをがっちり掴んで揺すった。しかし父様はビクともしない。

 

「よし、エマ、そのまま抑えて! 俺は父様のズボンを下ろす!」

「えっ」

「ソマル、こっちだ、こっち来て手伝え!」

「やるんだな! ズボン下ろし!」

「おれ観衆(ギャラリー)集めてくる!」

 

 思いがけず子供に群がられ、父様はたじろいだようだった。さらに主に娘ばかりの観衆まで集まってきて、くすくす笑う彼女たちの期待と好奇の目が父様に向けられる。

 

「やめろお前ら、男のパンツなんて見て何が楽しいんだ! もっと建設的なことをしろ! 女の子のスカート捲るとか……」

「とうさま、わたしのスカートもめくる?」

「最低……」

「今の無し。完全にオレが間違ってた」

 

 父様は即座に非を認めたが、それで兄たちの手が緩むはずもなく、父様は足さばきのみでズボンを引き下ろそうとする小さな手を避けながら母様とリーリャに助けを求めた。

 

「ぜ、ゼニス、リーリャ、助けてくれ、ルディがオレのパンツを見ようとする!」

「いいんじゃない? 〈建設的なこと〉なんでしょ?」

「旦那様の所業よりはかなりましな悪戯かと」

「ぐぬぅ」

 

「我々の要求はただひとつ! シンディを解放しろ! さもなくばズボンを下ろす!」

 

 私は地面に優しく置かれた。

 

 

「ルディ、お前な……ロキシーちゃんがいたときのほうが大人びてたんじゃないか?」

「子供が子供らしくして何が不満ですかね」

 

「悪いってことはないが」と、父様はぐりぐり兄の頭を撫でくりまわした。ふんす、と兄が鼻息を吐いて父様を見つめ返し、私に視線をよこして指を二本たてた。

 勝利を意味する仕草だと教えられて知っている。私も同じ仕草を返そうとしたが、薬指を親指で押さえきれずに指が三本立った。

 私はツィゴイネルたちを指さし、彼らの歌が美しい事を父様に訴えた。

 

「そうだな、確かに、獣人族は良い喉を持っている。吠魔術の声量に耐えられるように、丈夫な造りになっているんだろう」

 

 吠魔術って? 訊く前に、父様は「だが、父さんも上手いぞ」と言って、老爺のツィゴイネルに〈途上の歌〉は弾けるか、訊ねた。老爺――獅子の耳は先端が欠けていた――が剥げたバラライカを弾き、父様が声をはりあげて歌った。

 

  麦は地から生え

  光は太陽から生まれる

  冬が死ぬ時に

  歌は心臓から流れ出る

 

 一節ごとに、一緒に歌う者の数が増えていった。懐かしそうに、大人たちは歌った。知っている歌も知らない歌も、次々歌われ、〈アルスの橋が落ちた〉になると、踊り遊びを始めた。

 父様とロールズさんが両手を高く掲げて門をつくり、その下を、子供が一列につながって、歌いながら通り抜ける。私も仲間に入った。小さい方が有利で、マイ・フェア・レディの声で門の手が降りてきてもすばやく下を通り抜けられた。

 人間語が堪能ではないアンガラはすました顔をして、テーブルのそばで尾をゆらめかせていたが、ちょうどくぐり抜けようとした者が門に捕らえられ、笑い興じるのを見て、アルスの橋が落ちタと楽しそうに歌いながら列に割り込んだ。

 

 

 


 

 

 

「はーい、もう子供は解散の時間よー」

「さあ、帰った、帰った」

「えー、まだ遊びたいよう」

「お母さん、お願いー」

 

 日輪が落ちてくる時刻になると、子供は家に帰され、だいたい十三、十四歳から上の若者が焚き火を囲んで外に残る。

 母様もリーリャも子供ではないが、兄と私がまだ幼く家に二人きりにはできないこと、腹に子供がいることもあり、一緒に帰った。父様は名残惜しそうにしていたが、酒の勢いで妾を増やされたらたまらないと思ったのだろう、母様に耳朶を引っぱられて強制帰宅である。

 

「今日は楽しかった? ルディ、シンディ」

「はい、とても」

「おうたが楽しかった」

「ふふ、良かったね。晩ご飯……は、さっきまで食べてたし、入らないわよね。ちょっと早いけど、体を綺麗にして、寝る支度も済ませちゃいましょうか」

「はーい」

 

 盥に湯をはり、すっぽんぽんになって湯に浸した布で体と頭皮を拭ってもらう。寝間着に着替え、髪を梳かしてもらった。

 裂いて房にしたニムの木の枝で歯をきれいにするのは自分でして、磨き残しがないか、母様に確認してもらう。

 それらが済んだら、寝る時間帯になるまで、自由な時間だ。私は兄の部屋に行って、魔術を教えてもらうことにした。

 扉をとんとん叩いて、背伸びして取手を掴んで下げる。

 

「お兄ちゃん! まじゅち!」

 

 噛んだ。

 

 

「魔力総量は、使えば使うほど増えていくものだ」

「うん」

「だから今日も疲れるまで魔術を使おう。火は危ないし、土がいいな。ただし、くれぐれも家の中を汚したり、壊したりしないこと」

「まかせて!」

 

 人には、魔術の苦手系統・得意系統というものがそれぞれあるらしい。確かに、エマちゃんは火系統の魔術が得意だけれど、反対にシルフィは苦手だ。

 お兄ちゃんのトクイとニガテは? と、訊いたら、土と水系統が得意で、苦手はないと言われた。すごい。

 

 私の得意は、たぶん、火だ。ほかの系統より明らかに扱いやすい。

 苦手なのは風系統の魔術だ。生前に最期に聞いたのも、西風が家を揺らす音だった。風にはあまり良い思い出はない。

 

 一方で、よくわからないのが、水系統の魔術。

 屋外で、兄に教えられながら水の初級魔術『水弾』(ウォーターボール)を使っていたとき、いくら詠唱しても何も起こらず、しかし魔力が消費されていく独特の疲労感だけが蓄積していた。

 おかしいな、と不思議そうな兄が、ふいに地面に映る影に気がつき、空をみあげて「なんじゃこりゃ!」と叫んだ。

 私も見上げた。

 私たちの頭上には、梢を横に広げた大木にも負けないほど巨大な水弾が、ぷかぷかと気楽に浮かんでいたのだ。

 次の瞬間水弾は落ちてきて、一帯が水()くになった。兄も私も濡れ鼠だ。そういうことが、時々起こった。

 魔力によって水を生成することは十分すぎるほどできるのに、量や速度の調節で、何かしらの不具合が起こる。

 

 トウビョウ様は、元々、雨乞いの神様である。

 水系統の魔術は極めれば天候を操る事もできるそうなので、己の特性を侵された、と感じたトウビョウ様に邪魔をされているのかもしれない。

 

 得意でも苦手でもないのが土系統。

 でも、兄のように、片手で土の増減を、もう片手で魔力を流して形の調節をすることはできない。

 私の左腕は魔力を通さないので、形を変えるのは難しい。岩みたいな不格好な土塊を右手から量産するのが精一杯だ。

 

「単純な形なら、右手だけでも作れるはずだ。頑張れ」

「ん゙~……」

 

 左手で右腕を支え、呻吟しながら土塊を作っていく。

 理想は、完全な球体だ。それが作れるようになったら、他の形に挑戦する。そうしてゆくゆくは、妹たちに姉様人形を作ってやりたい。

 千代紙はないが、鮮やかな布の端切れは、近所をまわればもらえる。必要なのは土台だけだ。

 

「お兄ちゃん、どう?」

「お……おお!? 丸に近づいてきた気がする!」

「ほんと!?」

「あっ、デコボコに戻った」

「ざんねん」

 

 私が魔術に堪能になれる日はくるのだろうか。不安である。

 いや、頑張ったら、無詠唱でもできるようになってきたのだ。

 だから、いける。がんばれ。

 

 

 コツン。

 

「!」

 

 窓を叩く音。

 うちの家は、この村には珍しい二階建てである。手で叩くことはできない。兄が観音開きの窓を開けると、布でくるまれた小石がぽんと部屋に飛び込んできた。

 拾って、布をひろげてみる。何か書かれていたので、燭台の傍に近寄って照らした。

 

「〝たんけんするぞ〟?」

「探検?」

 

 布を覗き込んできた兄が、窓枠に手をかけて身を乗り出し、下の庭を見下ろした。

 

「シルフィ! ……と、ソマル、ヨッヘン」

「シルフィいるの?」

 

 兄に支えてもらい、庭を見下ろした。

 夜に外に出たことはない。見慣れた、しかしいつもとは顔色を変えた夜の庭に、月明かりに照らされて、三人の子供がたむろっていた。

 子供だけだ。大人が一緒じゃなくていいのだろうか。

 あ、子供だけだから、玄関からじゃなくて、窓からこっそり伝言を投げたのか。

 

 これは、兄への秘密の探検の誘いなのだ。

 いいなあ、面白そうだ。うらやましい。

 

「お兄ちゃん……シルフィのとこ行っちゃう?」

「ああ。あいつらだけじゃ、絶対どこかでバレて叱られる」

「……」

「シンディも行くか」

「いいのー!?」

「シーッ」

 

 兄が人差し指を口の前でたてたので、慌てて口を噤む。

 兄はまず、一階に降りて、母様に私と兄がいっしょに眠る事を伝えた。

 さっき私が作った土塊はぼろぼろ崩れかねないので、兄が子供大の土人形を作りだし、箱床に寝かせた。上から毛布をかぶせると、まるで子供が二人よりそって寝ているように見える。

 

「これ、持って、お兄ちゃんの手元を照らしてくれ」

「はい」

 

 上着をはおり、窓辺から身を乗り出した兄は、両手を下に向かって突き出した。

 私は蠟が床に垂れないように、燭台を持って兄を照らす。

 

「ふあ!」

 

 何をするのだろう、と思って見ていたら、兄は土魔術で、庭に降りる坂を作った。ときどき作ってくれる〈滑り台〉という遊具を、とても大きくした形だ。

 

「すべるの? お兄ちゃん、すべるのっ?」

「滑るよ。蝋燭消して、早く行こう」

「うん!」

「滑るときと、地面に到着したときは、静かにしろよ」

「うん」

 

 兄がまず、滑り台の頂点に作った、平らな部分にすわった。

 私は燭台の蝋燭を吹き消して、椅子を踏み台にして、窓枠を跨いで外に出た。言われるままに窓を閉じて、兄の足のあいだに座る。

 滑り台の下の方は暗くてよく見えないけれど、兄が後ろから抱えて守ってくれるので、何も怖くはない。

 

「カウントアップする?」

「する!」

「わかった、じゃあ、行くぞ。

 いち、にの」

「さん!」

 

 兄は足で蹴って傾斜に移動した。団子のようにくっついた私たちの影は、大きな滑り台を滑り落ち、風が顔を打った。

 私は目を瞑って体を固くした。怖いのではない。心を石にしなければ、興奮に歓声をあげてしまいそうだった。

 

「あれ」

「シルフィいないね」

 

 庭に到着した。大きな滑り台は兄が砂に戻して、ぎゅっと縮めて小さな硬い球体にしてしまった。

 さっきまで庭にいた影が見つからない。

 つまり、失せ人だ。私は目を瞑り、シルフィの姿を視た。

 

「お兄ちゃん、あっちよ。もうみんな庭の外にいるよ」

「お、おお。そっか」

 

「ルディー……こっちだよ」

 

 広い庭を囲む石垣に近づいていくと、石垣の外で、女の子の白い手がひらひら動いていた。

 兄に押し上げられ、石垣に乗り上げる。

 

「げ。お前もいるのかよ」

「お兄ちゃんがいいって言ったもん」

 

 ソマル君に冷たくされたが、平気だ。

 嘘だ。ちょっと傷ついた。私がいても大丈夫だよね? と不安に思っていると、シルフィが両腕をひろげて待ち構えてくれたので、腕にむかって飛び降りる。

 

「……よっ……と。平気? シンディちゃん、どこか痛いところない?」

「げんき!」

 

 シルフィはちょっとふらつきながら受けとめてくれた。

 次に兄が誰の手も借りずに石垣をのりこえて、シルフィ、ソマル、ヨッヘンをぐるりと見回した。

 

「探検って、どういうことだ?」

「そりゃ、決まってるだろ、俺たち抜きで、大人が何してるかキュウメーしてやるんだよ!」

「究明って……」

「なんか大人だけで美味いもん食ってるに違いないぞ!」

 

 そう言って、ソマル君は意気揚々と歩き始めた。

 月明かりがあるので、歩くには困らないが、離れれば暗闇に紛れて見失う。私は彼を追いながら、私と手をつないだ兄が二人と話すのを聞いていた。

 

「ヨッヘンはともかく、シルフィまでいるのは珍しいな。親御さんに許可は……もらってるわけないか」

「おれは楽しそうだったから! だって兄貴たちだけ夜も外にいていいのはさあ、ズルいじゃん」

「ボクは、お母さんは片付けの当番があるから居なくて、お父さんは、狩りで最近寝てなかったから、家でぐっすり寝てる。

 で、でも、バレたら……お、怒られる……」

 

 すん、と鼻を啜る音が聞こえたと思ったら、シルフィは泣き出していた。あらら。

 

「シルフィ、私のおうち泊まる?」

 

 そう提案してみたが、シルフィは手の甲で涙を拭いつつ首を横に振り、兄がシルフィの背中をなでなでしながら言った。

 

「大丈夫、すぐに終わらせて家に帰ろう。そうすればバレないよ。……シンディはシルフィと手繋いでて」

「ん!」

 

 私がシルフィと手を繋ぐと、兄は駆け出して、ソマル君の肉づきの良い背中に思いっきり飛びついた。

 

「んぎゃっ!?」

「シルフィが優しいのをいい事に無理やり連れてきたな! こいつ!」

「ムリヤリ連れてきたわけねーだろ! うんって言うまで誘っただけだ!」

「あーあ、シルフィの父ちゃん怖いんだぞ。ソマルが怒られても俺しーらねー!」

「う、うるさくしないでよぉ、見つかっちゃうよ……」

 

 声をひそめ、木々にかくれながら、私たちは収穫祭の名残の焚き火に近づいていく。白樺の葉の緑が月光にするどく光り、風が吹くと、小さい鈴のように鳴った。木々のあいだを、何かを煮るにおいが流れた。大蒜のにおいが強かった。

「腹減ったな」ソマル君がつぶやき、「でも、俺たちは食えないよな。本当は、出てきちゃいけないんだから」と、肩を落とした。

 

 およそ十歳以下の子供を除いた老若男女が、焚き火を囲み、重々しい聖歌を歌っていた。リュートの旋律がくわわった。奏でているのはヨッヘン君の兄のイッシュさんだ。

 ほかの少年や若い男たちも、タンバリンだのバラライカだの思い思いの楽器を奏ではじめた。娘たちが手拍子をとり、歌声をあわせた。ソマル君の母親も混ざっていた。彼女も、まだ娘といえる年頃なのだ。聖歌を歌うおとなたちと、リュートにあわせて俗謡を歌い踊る若者たち、ふたつの群れにわかれた。

 

 老人が杖をふりあげて、リュートをやめさせようとしたが、若者たちはかまわずつづけ、歌い踊りながら焚き火のそばを離れて移動した。

 

「森に行くんだ」兄がつぶやき、追いかける足を止めたが、「行こう」とヨッヘン君に背中を押されて、また歩き出した。

 

「行っていいの?」

「魔物が出ても、おれが追っ払ってやる」

「魔物は、出ないよ。つい最近、まとめて駆除されたばかりだし、手前までなら丸腰で入っても平気」

「詳しいな、シルフィ」

「お父さんに狩りを教えてもらうときは、森に入るから」

 

 兄たちの会話を聞きながら、私は口をまるく開けてあくびをした。魔物筋は、たしかに薄くなっている。立ち入っても平気だ。

 話しているあいだに、若者たちの群れとは距離ができた。少し早足に梢の下をくぐった私たちは、森の静寂に怖気づいた。

 

「あ」

 

 シルフィの長い耳がぴんと真横に張った。

 びくりと肩をすくませたヨッヘン君がなんでもない顔を取り繕った。

 

「誰か泣いてる」

「そうか? 聞こえないよ」

 

 兄が首をかしげ、聞こえた? と確認するように、私たちを順繰りに見た。何も聞こえなかったので、首を横に振った。ソマル君とヨッヘン君も同様にした。

 

「あ、そうか……人族は耳が悪いから、わからないんだね。ボクは、聞こえる。あっちだ。怪我してるのかもしれない」

 

 シルフィはずんずん進んでいった。そのまま真っ直ぐ行けば、湖がある。私は彼女と手を繋いだまま、後ろを振り返った。月は雲で隠れ、現れ、暗闇が晴れる度に兄たちの姿は遠ざかっていく。兄が追いかけてくるのを確認し、木の根でつまづきそうになりつつ、前を向き直した。

 

「あれ……んん?」

「どうしたの?」

「うん、いや、なんか、へん……?」

 

 水草のにおいを感じたので、湖の手前に着いたのだろう。シルフィは立ち止まり、首をひねりながら、耳をしきりに触った。

 そこで、私も気がつく。すすり泣き、呻き声。それらは火を囲んで熱狂に呑まれた若者たちが野合する声であったのだ。

 前々から想いあっていたのか、手近な女を木立に引き込んだのか、区別はつくまい。媾合の声を、闇からわきあがるもののように、私たちは聞いた。

 ふだんは子供に対して分別顔の若者たちが、狂い乱れるさまは、おぞましい。

 

「シンディとシルフィには、ちょっと早いかもな」

 

 追いついてきた兄が、好奇の視線を木陰に向けながら、そんな事を言った。

 森はあくまでも静謐で、狂瀾としらじらしさの境界に私たちは佇んでいる。兄は、もう少しで、足を踏み出してその中に飛び込み、我を忘れそうな危うさを孕んでいた。

 私は、なにも感じない。もし、からだが成熟していれば……考えて、やめた。トウビョウ様の怒りを買う。

 

「ソマルの母ちゃんもいるのかな」

「うへえ、やめろよ、もう帰ろう」

「俺は残るぞ」

「なんでだよ」

 

 普段どおりの声量で喋るのははばかられたか、兄たちは小声でひそひそ喋っていた。私の手をにぎるシルフィの手がするりと抜けた。

 シルフィは腕をつかまれて木陰に引き入れられた。彼女はまるく目を見開き、悲鳴もあげずに影に紛れた。

 追いかけた。木に手をつき見下ろす私の前で、仰向けに引き倒されたシルフィの足のあいだに少年が顔を埋めていた。細い悲鳴は、風と、そこここにおこる悦楽の声にまぎれた。若々しい獅子の耳が見えた。私の耳に兄と妹のあいだの恋慕を歌った歌詞が(おこ)った。

 アンガラが腿を押さえつけると、シルフィの上半身は自由を得た。シルフィは半身を起こし、彼の髪をひきねじり、膝でアンガラの顎を蹴りあげ、這い逃れた。

 

 シルフィは両手を伸べて私を抱きかかえ、猫のように飛んだ。あの美しい華奢な少女のどこからこんな力が湧いてくるのだろう。私は、先ほどまで手をついていた白樺の木に、炎が宙に向けて一直線に走っているのを見た。

 上裸のアンガラが炎に片頬を照らされながら、こちらを見ていた。

 彼は凄艶に笑っていた。口が〈にゃーお〉という形に動き、しかし実際に聞こえたのは、若獅子の咆哮であった。

 

 シルフィは、兄ほどの持久力はない。走って逃れる最中に、私の小さな躰はシルフィから兄の腕に渡った。

 森を抜けると、兄の足は緩やかになり、私を地面に降ろした。

 

 兄は、数えで七つ。この国の数え方では六つである。

 鍛えられているとはいえ、三歳の幼子をかかえ、全速力で走るのは並の負荷ではない。

 震える足に治癒魔術をかけ、兄はおずおずとシルフィに訊ねた。

 

「大丈夫か?」

 

 く、くくっ、と俯いたシルフィの喉から押し殺した笑い声が洩れた。

 

「怖かったあ」

 

 シルフィは泣き笑いの表情を見せ、兄にぶつかるように寄りかかった。兄はその肩を抱き、そうして、二人は手をつないで歩きだした。

 一緒に成長していけば、彼らは、この村で祝言を上げるのだろう。私はトウビョウ様に頼らずとも彼らの行く先が見えた気がした。

 

「兄ちゃん、女とヤッてた。くくっ、あはは!」

 

 ヨッヘン君は口元を歪めて笑い、興奮が醒めぬのか、唐突に私を抱えて駆け出したりした。

 

「あれってそんなに楽しいのか?」

「さあ。でも、女って、スカートめくるとキャーって言うのに、パンツ下ろすときは静かなんだな」

「じゃあ、べつに、楽しくなさそうだな」

「楽しいんじゃないか? 大きくなったら、みんなしてるんだから」

「ふーん」

 

「ねむい?」兄に話しかけられ、返事の代わりにあくびが出た。兄は「寝るな~」と、私の肩をかるく揺さぶり、ソマル君とヨッヘン君のふたりに帰宅をうながしたのだった。

 

 最初に、みんなでシルフィを家まで送った。

 

「じゃーな」

「また明日ー」

「しーっ、お父さん起きちゃう」

 

 シルフィは灯りの消えた家の中を用心深く振り返り、「おやすみ」と、手を振って、扉をそっと開け、ぽっかり口を開けた暗闇に溶け消えた。

 

「お前らは自力で帰れよ。俺は男は送らんからな」

「いらねーよ」

「森の中に母ちゃんがいたこと、父ちゃんに言っていいと思う?」

「やめとけ。それじゃあ、解散!」

 

 解散! と、声をあわせ、彼らはそれぞれの家の方角に歩み始めた。

 私も兄と並んで、夜空の下を、家をめざして歩く。

 

「今日のことは内緒な」

「どこまで、ないしょ?」

「滑り台で外に出たところから、家に帰るまで」

「わかった。お兄ちゃん、たんけん楽しかった?」

 

 媾合する男女を見る兄は、楽しいか楽しくないかで言えば、前者に見えたのだが。兄は「意味わかって聞いてんのかね、この子は」と当惑の笑みを浮かべ、楽しかった、と答えた。

 

「いつかシルフィと……」

 

 つながれた手に力がこもる。シルフィと手をつないだ事を思い出しているのだろう。

 

 兄が誘えば、シルフィも嫌とは言わないはずだ。

 でも、関係を持つのは、もっと長じてからがいいと思う。 

*1
田植えをする女性

*2
虫祈祷のこと。斎藤実盛の怨霊が害虫になり稲を食い荒らすという言い伝えから。




※スカートめくり/ズボン下ろしは犯罪です
アルス(勇者の方)に妹がいたという事実は原作にはありません

作中に引用した詩
アルテュール・ランボー『緑の妖精』
フィリップ・ヴァンデルピル『途上の歌』
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