巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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十一 見えぬ因果

 冒険家だというカントさんは、村にいる間、屋外の適当な場所に腰を下ろして子供たちに色んな話を聞かせてくれた。

 世界中を渡り歩いてきたらしい彼女の話は面白かった。

 冒険家とは、つまり世間師のような存在であるらしい。

 

 大日本帝国を訪ねたことはあるかと訊いてみたが、そんな国は無いと言われた。

 朝鮮は? 清国や魯西亜は? 遼東半島は? と聞いても、国名すら聞いたこともないと言われた。どうやら私は、よほどの辺境国に生まれたらしい。

 まあ、その話は置いておこう。

 

「ずっと不思議だったんだ。どうして僕の兄ちゃんは死ななきゃいけなかったんだって。なんで僕じゃなくて兄ちゃんだったのかって。うまく言えないけど、旅をすればその理由もわかる気がするんだ」

 

 リチャード君は、出立するカントさんについて行くことになった。兄のケイン君が亡くなって落ち込んで、元気になったように見えていたけれど、思うところはあったのだろう。

 カントさんは老齢という事もあり、神子云々を抜きしても、今まで培ってきた知恵だの魔術だのを授ける相手がほしかったようだ。リチャード君を連れて行くことを承諾した。

 村を出る二人を、元気でね! と、リチャード君の家族と仲良しの友達共々みんなで見送った。

 また会えるといいなあ。

 

 

 


 

 

 

 柵でかこった農家の庭で、イッシュさんが羊の毛を刈っていた。横で手伝うのは、ジャンさんの次女のエーヴさんだ。二人は時々ほほえみを交わしながら仕事をしている。

 鋏の先が陽に光り、まるで肌から湧き出るように、羊毛はふくれあがり、(むしろ)の上に落ちてゆく。

 

 私はしゃがんで、溜まってゆく羊毛をみていた。触っていいよ、と言われたので、山になった羊毛を撫でる。

 

「エーヴさん、けっこんするの?」

「んふふ、誰と結婚すると思う?」

「イッシュさん!」

「そうよ」

 

 やっぱり。

 ヨッヘン君から兄貴が結婚しそうだと伺っていたのだ。おそらく、収穫祭で仲良くなったのだろう。

 

「赤ちゃんができたら、シンディに教えてもらおうかな」

「ん……ううん、もうわかんない」

「あれ、そうなの」

 

 今は、トウビョウ様の力はほとんど封じられている。蓋を押さえているのは、母様だ。

 だから視てあげたくても教えることはできない。申し訳なさにもじもじしていると、イッシュさんが声をかけてくれた。

 

「嬢ちゃん、産まれた仔猫は、もう見たかぁ?」

「みてない」

 

 猫の赤ちゃん! 見たい!

 腹が大きい黒猫は何度か見かけたが、その猫がとうとう出産したのだろうか。

 

「どこ!? にゃんこ、どこにいるの?」

「あ、こらこら、鋏持ってるんだから、あんま近づくな」

 

 そうだった。刃物を持ってる人に近づいちゃいけないんだった。

 三歩ほど後ろに下がると、彼は溜まった羊毛を回収しにきた弟に「案内してやれ」と言った。

 

「おれ仕事あるんだけど!」

「こんなときだけ仕事仕事と言いやがる」

 

「僕が行きますよ」と申し出てくれたのは、弟のヨッヘン君を手伝っていた兄だった。

 

「場所はわかるのか?」

「はい、前に見たので。行こうか、シンディ」

「やったああ!」

 

 嬉しくてその場でぴょんぴょん跳ねた。

 ヨッヘン君は「もっと年下に優しくしろ。ルーデウス坊を見習え」と、説教されていた。

 

 

 そうして兄と共に移動したのは、畑の畦の掘っ建て小屋である。中に入ると、農具が置かれた小屋の隅に、誰が用意したものか、藁が敷き詰められていた。

 その上に横たわるおおきな毛玉と、ちっちゃな毛玉。毛玉にはみんな三角のちいさな耳がついている。

 

「にゃんこ!!」

「シーっ」

「にゃんこ」

 

 案内してくれた兄に注意されたので、小さな声で言い直した。母猫が眼をまるくおっきく見開いてこっちを見ている。大声を出したので驚かせてしまったようだ。怖がらせないように、その場にしゃがんで体を小さく見せることにした。

 猫の親子を眺める。

 

「かわいーね」

「そうだね」

 

 兄は、行商人の財布を鼠と間違えて咥えて持っていった母猫を追いかけ、たどり着いたのがここ、猫の(ねぐら)であったそうだ。

 灰色、片目黒、鯖模様の仔猫たちがミューミュー鳴きながら競うように母猫のおっぱいに吸いついている。

 

「赤ん坊の時のシンディみたいだよ」

「いっぱい飲んでた?」

「飲んでた、飲んでた」

 

 近ごろ赤ん坊のときの記憶が曖昧だ。生前の自分が赤ん坊だった頃の事も一切憶えてはいないから、こうして成長の途中で失われるものなのだろう。

 一匹だけ、母猫のもとにたどり着けず、敷かれた藁の外でみーみー鳴くだけの仔猫がいる。私が近づいても逃げないので、そっと持ち上げて母猫の前に置いてやろうとした。

 真っ黒な和毛の下が骨同然なことに驚き、その顔をみたとき、「あっ」とつい声をあげた。

 

「おめめ開いてない」

「目ヤニで塞がってるな。痩せてるし、育児放棄されてるのかも」

 

 と、仔猫をまじまじと見た兄が言った。

 

「いくじほーき?」

「産まれた子供の世話をしないことさ」

「なんでお世話しないの?」

「動物はときどきそういう事をするんだよ」

「? 人間もするでしょ」

「ん!? ま、まあ、そういう奴もいるだろう」

 

 例えば鼠もろくに狩れない環境で、限られた数の子供を確実に育てるために弱い個体を見捨てるのはわかる。

 この土地は肥沃で、生活に困窮することはないみたいだが、生前暮らしていた村は頻繁に凶作の年がきた。凶作の年は子堕し婆の懐が暖かくなるし、産まれた赤ん坊は、森に埋めたり、筵に包んで川に流して間引くこともある。

 私が気になるのは、母猫は丸々と――まではいかないけれど、そこそこに肥えていて、飢えた様子もないのに一匹だけ仔猫に乳をやらない理由である。

 

 母猫の腹の前に置いてみても、あっというまに他の兄弟に足蹴にされて隅に追いやられてしまう。

 黒い仔猫は塞がった視野で口を大きく開けて鳴いているが、母猫は我関せずで他の仔猫の毛繕いをしている。

 母親に見捨てられているのに、生きようと必死なのだ。

 でも、じきに飢えて死ぬだろう。

 

 ……わたしが代わりにお世話したらだめ?

 

「連れてかえっていい?」

「母様と父様がいいよって言ったら、いいと思うよ」

「……」

「……」

「一緒におねがいしてくださいな」

「いいよ」

 

 飼えることになった。お兄ちゃん大好き。

 

「ちゃんと最後まで面倒を見るのよ」という母様の言葉に何度も頷き、糞尿がこびりついた仔猫のお尻を洗うために、兄に混合魔術で桶にお湯を溜めてもらっていると、リーリャに止められた。

 

「衰弱した仔猫を濡らしますと、ますます弱りますよ」

「でも、お湯あったかいよ」

「ええ。ですが、お湯は冷めるでしょう」

「なんと……」

 

 確かに。

 

「できるだけ暖かくさせて餌をあげるべきかと。洗うのはその後です」というリーリャの言葉に従い、予定を変更。兄が冬用の行火(あんか)を引っ張り出し、リーリャが仔猫にやる牛乳を温めているあいだ、私は仔猫を抱っこして手持ち無沙汰にうろうろしていた。

 

 わ、私も、私も何かしなければ。

 

 リーリャが目脂で塞がった仔猫の眼を眺めて言った。

 

「丸洗いはできませんが、そのままでは汚いので綺麗にしてあげましょう」

「うん! どうするの?」

「通常は母猫が舐めてやりますが」

「わかった」

「私たちの場合は濡らした布で拭けば……お、お嬢様!?」

 

 リーリャにあわてて仔猫を取りあげられ、人には猫みたいな舌のざらざらが無いから、人が舐めてもあまり綺麗にはならない事を教えられた。

 

「私が拭きますから、お嬢様は鍋の様子を見る係をお願いできますか? 泡がふつふつ湧いてきたら、リーリャに教えてください」

「わかった!」

「火や鍋に触ってはいけませんよ」

「うん!」

 

 私が火にかけた鍋を見ている間に、リーリャが濡れた布で仔猫の眼と尻を拭いてやっていた。綺麗にはなったが、そのせいで体温が下がったのか、仔猫はぷるぷると震えている。

 少し濡らすだけでこれなのだ。桶の湯に浸さなくてよかったと心底思った。

 

 兄の提案で、清潔な布の先を縛って丸めたものを温かい牛乳に浸し、仔猫の口元に近づける。これは私にやらせてもらえた。

 前足を交互にだしつつ、思いのほか力強く吸い付いてくることに一安心。その日は、仔猫が満足するまで浸して与えるのを繰り返した。

 

 

 数日後。

 

「かわいい!」

「私もやりたい!」

「ぐえっ」

「る、ルディ……」

 

 床に座って仔猫に牛乳を吸わせていたら、遊びに来ていた友達が目を輝かせてにじり寄ってきた。私の横にいて見守ってくれていた兄は、哀れにも雑に押しのけられて倒れ、シルフィがあわあわしながら兄を支えた。

 

「けっこう元気になったんじゃないか?」

 

 兄の言葉に頷く。目を塞ぐように固まっていた目脂は取り除いたものの、涙を一日中流しているので涙焼けが治らないし、心配になるくらい小さいが、でも、元気だ。

 鳴き声は大きく、ご飯をたくさん食べ(飲み)、父様の足に果敢に飛びかかる。

 

「この子、名前は?」

「にゃんこ」

 

 ハンナちゃんに訊かれ答えると、彼女はカクッと項垂れた。

 単純な名前だと思われているのだろうが、仕方がない。もう私の中で仔猫のなまえはにゃんこで固定しかかっているのだ。

 ちなみに父様は「猫」と呼び、母様は「にゃんちゃん」と呼び、リーリャは「猫さん」と敬称をつけて呼ぶ。

 

「もうちょっと捻った名前にしてあげたら?」

 

 お兄ちゃんにそう言われるとな。

 にゃんこで強行するわけにもいかなくなってくる。

 

「にゃ……にゃんごろべい」

「にゃんごろべい?」

 

 兄は微妙な顔をした。だめか。

 私は考え込むときの父様の真似をして腕をくみ、他の候補を考えることにした。

 

「あぁっ」

 

 シルフィの焦った声が聞こえて瞼を開ける。

 牛乳を容れていた皿に、仔猫が顔をつっこんでいた。いつまでも次のご飯を与えない私に痺れを切らしたのだろうか。そして自らおかわりに行ったのだろうか。

 しかし今まで人が手ずから与えてきたのに、急に自分で飲もうとして、上手くいくはずがない。

 私も乳離れの時期に匙で薄いパン粥を与えられたが、おっぱいとは勝手が違うので最初はうまく飲み込めなかった。

 

「あーあ……」と言いながら兄が仔猫を持ち上げる。

 

 仔猫の顔は鼻先を中心に牛乳まみれになっていた。

 クシュンと嚔をして、心做しかキョトンとしている。

 仔猫の真っ白な顔をみて、セスちゃんがくすくす笑った。

 

「雪白」

「え?」

「その子の名前、雪白(ゆきしろ)にするの!」

「え、シロ? この子黒猫だよ?」

 

 黒猫にクロと名づけても面白みがないもの。

 でもハンナちゃんたちは納得がいかないみたいだ。雪白ったら雪白だい。

 

「……ボクはいいと思うな。ほら、雪を被ったみたいに真っ白になってたもん」

 

 反対意見が多い中、シルフィはちょっと所在なさげに、指を胸の前で交差しながら肯定してくれた。

 かくして、仔猫の名前は「雪白」となったのだった。

 

 

 


 

 

 

 雪白は順調に回復し、すこやかに育っている。

 涙は止まったので涙焼けも治り、やや濁っていた青い目は澄んで水晶のようである。掠れていた鳴き声は今は張りのある声に戻っている。

 

「にゃんにゃんにゃーん」

 

 猫の鳴き真似をしつつ、床に垂らした紐の先をゆらゆら動かす。雪白は床にひっくり返り、ニャウニャウ鳴きながら紐の先にじゃれついている。

 かれこれ一時間はじゃれ続けている。

 雪白は体力があるらしい。いずれ母親のように鼠を捕まえられる猫になるだろう。

 

「シンディ、クララさんの赤ちゃんのスプーンが見つからないんですって」

「養蜂箱の台のしたにあるよ。でもね、折れてる」

「そうなの? 誰かのイタズラかしら?」

「ないしょー」

 

 正直に視たものを答えたら、ヤーナム君が母親に怒られてしまう。

 私のところには、ときどき、失せ物を見つけてほしい人の依頼が来る。

 依頼は、カントさんのときを除き、今のところブエナ村の住民からのみである。一度だけ、新しく家を建てるが、その土地が曰くつきでないか見てほしいという人が隣村から来たが、母様が「そういうのは管轄外ですので」と追い返していた。

 

「赤ちゃん、まだかな」

「まーだまだ。もっと大きくなったら、出てくるわ」

 

 紐を床に置き、母様の膨らみが目立ってきた腹に頬ずりをした。雪白が紐の端を咥えてトトっと走ってきた。母様がそんな雪白に目をむける。

 

「天気も良いし、日向ぼっこさせてあげたら?」

「日向ぼっこってどういう意味?」

「お日様に当たって暖まることよ」

 

 なるほど。

 

「日向ぼっこしてくる!」

「ああっ、雪白ちゃんも連れて行くのよ、お母さんそのつもりで言ったのよ」

 

 踵を返し、雪白を抱っこして玄関に行く。扉が立ち塞がるが、雪白の黒いふわふわの毛で両手が塞がっているので困っていると、ついてきた母様が扉を開けてくれた。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 母様にお礼を言ってから、庭に出た。

 

「お兄ちゃん!」

「シンディ。……ぁ痛ァ!?」

「よそ見厳禁だぞ、ルディ!」

 

 兄は横っ腹を父様の木剣で殴りつけられ、とっさに腕で防いだものの横に吹っ飛ばされた。

 倒れた地面に土の小山を生やし、兄は起き上がる。

 初めてじっくり見たときは、地面が抉れたり突風が吹いたり水が出たりと、仕合の見た目がかなり派手で驚いた。

 しかし父様はなかなか怪我をしない質であるらしいし、兄は擦りむき傷や青あざができてもすぐに治癒魔術で治すから、双方とも大事には至ったことがないようなのだ。

 

「ちょっと早いが、午前の訓練は終了!」

「ありがとうございました!」

 

 父様に一礼した兄は防具を着たままこちらに来た。雪白の肉球を触りに来たようだ。雪白は一心に地面を見下ろし、スンスン鼻を鳴らしている。

 そういえば、雪白を外に出したのは家に連れてきて以来だ。たった一旬程度の日数だが、久しぶりの地べたが恋しいのだろうか。

 

「座ってくれ」

「ありがとう、あなた」

 

 日がほどよく当たる場所――花壇の傍に移動すると、父様が庭に元々置かれていた椅子を持ってきて、母様に座るようにすすめた。

 父様は女人に優しい。下心ありき、というより、そうするのが自然な感じのする優しさなのだ。

 

「日向ごっこしに来たの」

「ごっこ? ……ああ、そうか、日向ぼっこか。いいなあ」

 

 父様は顔をほころばせた。そうして、母様が座る椅子の横の地べたにどさりと座った。

 地面に降りた雪白は、しっぽをピンと立て、全身のうぶ毛のような和毛を逆立てて同じ場所をうろうろしている。

 兄は頬についた土を母様に拭ってもらったあと、しゃがんで雪白を見つめる私の横にならんだ。

 

「雪白はちっちゃいねえ」

「そうだね」

「かばっじ……からばっじゃ……かばっちはあんなに大っきいのにねえ」

「カラヴァッジョって言うの諦めたんだな」

 

 兄はしばらく雪白のせまい額や顎の下を撫でていたが、それも飽きたとみえ、父様にじゃれつき始めた。

 父様は仰向けに躰をのばし、その上に覆いかぶさった兄の両手をつかみ、両足で兄の腹をささえ、脚をのばして高く持ちあげ、ゆらゆら動かした。

 母様は心地よさそうに膝の上で手を重ねて目を閉じている。

 

 リーリャもこの場に居てほしい。リーリャはどこだろう。

 

 私は彼女を呼びに家の中に戻り、手をつないで連れてきた。

 

「皆様、お揃いで何を……」

「日向ごっこ!」

「ええ。日向ごっこです」

「そうね、日向ごっこよ」

 

 リーリャの椅子は兄が土魔術で用意した。魔力で生み出した土のみで構成しているはずなのに、素焼きのように固い椅子だ。

 いえ、坊っちゃまと旦那様をさしおいては、と恐縮しつつも母様に押し切られる形で、リーリャも座った。

 

「雪白は、お父さんのことが好きみたいよ」

 

 兄と持った花茎を交差させてひっぱり合っていた私は、母様の声で顔を上げた。見ると、雪白が、地面に足を投げ出した父様の上半身を、ちいさな爪を立ててよじ登っていた。

 仔猫は、()をかっきりと見ひらいていた。

 明るい陽の下で見た()は透明な水色であった。

 

「眸のなかに、空があるよ」

 

 母様を振り向き、言った。

 母様は不意をつかれたような顔をしたあと、やさしく微笑んだ。慈母のような笑みだった。

 大きな母の手がいたわるように私の両頬に触れた。

 

「あなたの眸にもよ、私の可愛いシンディ」

 

 かわゆく思われていることがわかる口調で、仕草だった。

 膨らんできた腹に足が当たらないように抱いて膝に乗せられ、頬ずりをされる。

 前世のお母を思い出した。私は恥かきっ子で、物心ついた時には歳が離れた上の姉たちは、すでに嫁に行っていたり、住み込みの奉公に行っていたりして、あまり家には帰ってこなかった。

 ひとりだけ幼い私は、一人娘のようなものだったのだろう。お母にはずいぶんかわいがってもらった。

 

 でも、母様までかわいがってくれるのはどういう訳だろう。

 さほど年の離れていない長男がいて、腹には産み育てなければいけない次の子がいるのに。

 

「かあさま、私のこと好きなの?」

「ええ、大好きよ、愛してるわ」

 

 背中をゆっくり撫でられる。

 太陽のてのひらに撫でさすられたら、きっとこんな心地だろう。私は猫なら喉を鳴らしそうな心地になった。

 

 私を産んでくれた人。

 惜しみない情を与えてくれる人。

 私に憑いたトウビョウ様を抑えてくれる人。

 消えていくチサの魂を胎に宿して補填してくれた人。

 

 ゼニス・グレイラット。

 私は、この人に、深く感謝をしている。

 

 だから助けてあげたいけれど、かつて未来視によって見えていた姿も、あれだけでは何が起こったのかわからない。

 死んではいない、生きている、とは、思う。

 

 先に起こることがわかるからといって、その結果を変えることはとても難しい。日露戦争に出征した息子の生死を占ってくれと頼まれ、不吉の目が出ても、遠く離れた戦地のことはどうにもできないように。

 

 ならば、せめていま共にいる母様のことをいたわり、大事にしよう。

 私は母様の美しい顔をしばし見上げ、お腹の妹を押しつぶさないように、用心深く母様にしがみついたのだった。

 

 

 


 

 

 

 秋である。麦穂の脱穀の時期だ。

 母様が、道端で奥さんたちと世間話をしているときに産気づいたそうだ。

 そのとき私は兄とシルフィに魔術を教えてもらっていて、母様と一緒にいた人が走って知らせに来てくれたのだ。

 

 治癒魔術を使える兄はいそいで家に戻り、私は出産のあいだシルフィの家に預けられることになった。

 お世話になります! と大きな声で言うと、礼儀正しいね、とシルフィのお母さんに褒めてもらえた。

 

 シルフィの家は、うちとちがって窓に硝子が嵌っていない。

 部屋はふたつあって、ひとつの部屋には真ん中に囲炉裏がある。簾で仕切られた隣の部屋が寝室だそうだ。

 

「苧を裂いて……そうそう、上手よ。……ん? あら? ほんとうに上手ね」

 

 ()()むのを手伝うことになり、前世の記憶を頼りに足も使って裂くと、シルフィのお母さんに驚かれた。前世でたくさんやってきたのが活きた。

 

 でも、じきに飽きてきて、家の中を見回すうちに、壁に吊り下がった容れ物の存在に気がついた。瓢箪みたいなかたちだ。

 

「それクラーレだよ!」

「ぴゃっ」

 

 近くに寄って見つめていると、シルフィに大きな声を出された。

 

「くらーれ?」

「クラーレは、毒だよ。お父さんが猟に使うやつ。

 さわらないでね。危ないから」

「わかった」

「もし触ったらね」

「?」

「息止めてみて」

 

 止めた。

 

「くるしい?」

 

 頷く。

 

「それがずっとつづいて、死んじゃう」

「しんじゃうの」

「あと、すごく苦い」

「にがいの……」

 

 嫌だなぁ。

 細く裂かれた苧をくわえ、たくみに端を縒りあわせて糸を紡いでいるシルフィのお母さんの傍に行くと、作業を中断して膝に抱き乗せてくれた。

 

「ルフィが怖がらせちゃったわね。あの子ったら、ロールズの真似してるのよ。ルフィも小さい頃は、ロールズにああ言って注意されてたの」

「小さいとき? さんさいくらい?」

「ええ、そのくらい」

 

 シルフィが「ボク三歳のときのこと憶えてるよ」と言いながら隣に座った。

 

「青い髪の女の子が家にきてたの、憶えてる」

 

 青い髪。女の子。

 思い浮かぶのはあの人だ。兄が先生ヽと慕っていた、ロキシーという魔族の子。

 

「ロキシーさんのことね。確かに何度か来ていただいたわ」

「ろきしー!」

「シンディちゃん、知ってるの?」

「ろきしーは、お兄ちゃんの先生」

 

 不思議そうなシルフィに答えると、「ルフィにとってのルーデウス君みたいな存在よ」とシルフィのお母さんが補足した。

 

 尋常小学校のような施設は村の近くにないみたいだし、先生という言葉に馴染みがないのだろう。シルフィはよくわかっていない顔で首をかしげた。

 ふいに、手のひらを開いて見せられる。

 シルフィの手のひらにはケロイドの痕があった。

 

「もっと小さいときに火串を掴んだことがあるんだって。そっちは憶えてないけど」

「はわあ」

 

 手のひらをよしよしと撫でた。痛々しい痕である。

 

 生前、片輪になる前に、村に立ち寄った世間師から聞いた話を思い出した。

 大学の学者様に野口清作という者がいるが、彼は貧しい百姓の子で、赤ん坊のころに囲炉裏に落ちたために片手が溶けて畸形になった。そのせいで、小学校では、てんぼう、カタワだのといじめられもしたが、しかし彼はふてくされずに勉強に励んだ。そして二〇歳にして医師の免許をとり、さる偉い学者の助手になった。

 逆境に負けなければ人は成功できるのだ、と、そのような内容の話であった。

 

「シルフィはえらくなれるね」

「フフっ、なにそれ、どういう意味?」

 

 痛々しい痕を慰めるつもりで言ったのだが、伝わらなかった。

 

「元気な赤ちゃんだといいね」

「うん」

 

 別の話題を出したシルフィに頷きかえした。

 リーリャの赤ちゃんもそろそろ産まれるだろう。会うのが楽しみだ。

 

「ボクも妹か弟ほしい。お母さん産まないの?」

「そうねー、機会があればお母さんも欲しいんだけど、ロールズは長耳族(エルフ)だもの。中々できないのよ」

「ふーん……」

「まあ、ルフィが知るのは、まだ早いわね」

 

 シルフィのお母さんの膝から降りて、二人の会話を聞き流しながら、曲物の桶にたまってゆく糸を眺めた。視線を火に移す。

 囲炉裏の火がゆらぐたびに、私たちの影もゆらめいた。

 

 母様の出産が無事に終わりますように。

 

 私は手を合わせた。これは(のろ)いではなく、(まじな)いである、と、自分に言い聞かせながら。

 

 

 母様の出産後、かつて視たとおり、リーリャも同じ日に産気づいたそうで、結局出産には丸一日かかったそうだ。

 私はシルフィの家に一泊させてもらい、翌日にシルフィの母に伴われ、家に帰った。家には紅葉のような産まれたての赤ん坊が二人いた。名前は既に決定されていた。

 

 母様が産んだ子は、ノルン。

 リーリャが産んだ子は、アイシャ。

 

 アイシャのほうは月足らずで産まれてきたため、ノルンより一回りほど小さい。でも、泣き声の大きさは同じくらいだ。

 指を手に滑り込ませると握ってくる強さも同じくらい。

 

「がんばったね」

 

 箱床をのぞきこみ、清潔な産着にくるまれた妹たちに話しかけた。

 無力な赤ん坊を見ていると、私にできることはたかが知れているけれど、世話をしなければ、守らねば、という気持ちがふくらんでくる。

 

 

 

 

 

 痩せた蜻蛉に痩せた草叢。泥の色の小川を飛び越えて、森へ。梢にとまり、通りかかる者を見下ろしてくる烏は、嘴に目玉を咥えてはいなかったか。

 腰巻はまだつけていなかった私は、大暑だというのに、股の間をすうすう通り抜ける風の冷たさに飢饉を予感した。

 穴を、掘り返したのは、狐狸の類いにちがいない。底のほうで蠅がわんわんたかっている。蚊は、死者の血は吸わない。

 森に無数の赤ん坊の啼き声が響いた気がするのは、後に私が付け足した偽の記憶であろう。実際、樗の葉に覆われた森は夜のように昏く不気味で、大の大人でも女のすすり泣きだの男の呻き声だのを空耳するほどなのだった。

 産着と名前を用意されない、祝福もされない赤子を、チサは――私は、知っている。

 

 

 

 

 

「アイシャ、ノルン、よかったねえ」

 

 この子たちは運が良い。それは私も同じだ。

 兄は、いい。長男だし、跡継ぎである。どの親のもとに生まれようと、それが飢饉の年であろうと、苦心して育ててもらえるだろう。

 でも、と、私は父様を見上げ、そして別室で休んでいる母様を思った。

 この二人ならば、きっと、どんな子が生まれても、どんな環境であろうと、間引く選択肢はとらず、子を大切に育てるのだろう。そんな気がした。

 

「ニャーン」

「娘に引っ掻き傷でもつけてみろ、その髭ちょんぎってウチから追い出すからな」

「ニャン」

「ニャンじゃない。返事はハイだ!」

「フーッ」

「なにおう!?」

「父様……」

 

 成猫とほぼ変わらぬ体躯に成長した雪白を抱え、口喧嘩をしている父様を、兄がぬるま湯のような眼で眺めていた。

 出産は夜通しかかったと聞く。産んだのは母様とリーリャだが、父様まで草臥れているように見えるのは、気疲れによるものか。

 つくづく情が深い人である。

 

 

 


 

 

 

 

 

 私の姉がむかし語った話に、「ラビはゴーレムを使う、道通様は蛇を使う」というものがあります。それは今から六〇年ほど前、甲龍歴四二〇年以前に聞いた話でありました。

 ゴーレムは太古の昔に存在していたとされる死霊魔術の一種で、それらを生み出し、使役する者をラビといいます。現在でよく知られているゴーレムは、それらが魔物化したものという説もあるようです。

 姉が言うことには、ゴーレムは中核の髑髏を破壊すると土に還るが、蛇は骨と皮だけになっても喰らいついてくるという話でした。その理由として、蛇は動物の中でもいちばん執念深く、狡猾で、生命力が強く、陰気を好むというのです。

「手負蛇に近よってはだめ。怪我をした蛇は、近づいてきた人を自分を苛めた相手だと勘違いして、仇をなしてくるのよ」

 と、姉は幼い妹たちに言い聞かせるのでした。

 三女のアイシャは、「よく見ると、つぶらな目が可愛いよ」と言って平気に触りましたが、私は蛇が怖いので、近づこうとも思いませんでした。噛まれたことはありません。でも、物心ついたときには、もう蛇が大嫌いで、恐怖の象徴であった気がします。

 とくに、幼い頃の怖がりようは酷く、短く切った縄を「そら、ヘビだぞ……」と足元に投げ捨てられただけで、この世の終わりのように大声で泣いてみせたといいます。

 フィットア領捜索団の団長であった父・パウロの活動についていき、捜索団の本部をミリシオンに定めたために自動的に私もミリシオンに暮らすことになりましたが、遊び場となる自然もなく、退屈をもてあましていた学齢前の少年らにとって、私は良いおもちゃでした。

 ある日、姉と幼い私だけが、家で留守番をしていました。

 パウロは仕事で不在だったように思います。思い返して心に浮かぶのは、湖の底のように静まり返った家の居間なので、転移事件でシーローンに転移したリーリャとアイシャが父を頼ってミリシオンに来る前だったのでしょう。

 この時期、五、六歳であった私は、姉を母の代わりにしていたように思います。姉も子供でありましたが、小さな頃の三歳差というのは、十になるかならないかの姉を、現実よりもずいぶん大人に見せていました。

 家の前で遊ばせていたはずの私のえんゝ泣く声を聞きつけた姉は、かなしそうに私を家に入れました。

 当時私が気に入っていた青砂の砂時計を握らせて、姉が語ったのが「道通様は蛇を使う」という話でした。(後年この道通様なる存在について調査されたが仔細は不明。著者の聞き違いか著者の姉の創り話であると思われる。)そして、蛇を使う力は自分にも少しだけ備わっている、と姉は秘密を打ち明けるように言うのでした。

「私きっと、無意識のうちにお腹にいるノルンを蛇で脅してしまった。はやくお母さまのお腹から出ないと、頭から食べてしまうぞ、と、あなたの目の前で口を大きく開けてみせたのだと思うわ。ノルンが蛇を恐がるのは、このときの事を憶えているためよ」

「どうして、私にそんな酷いことをしたの」

「お母さんが苦しんでいたから」

 こんなに恐がるようになると知っていたら、しなかったのだけど、と姉はすまなそうに言うのでした。

 私は母のように思っていた姉が、記憶も朧気な実母を私より優先していたらしいことが哀しいやら悔しいやらでたいへんなショックを受けましたが、いま思えばそれもいとしい、懐かしい幼少時の思い出です。

 姉妹仲は良好であった一方で、姉から私に対する愛情があるのかないのか、自ら疑う程で彼女を墓場に送り込んでしまったのは、多分幼時を長く共に生活をしなかったためだろうと思われますが、その中に一すじの光を認め得られるように感ずるのは、この私の出生に関する母と姉の乏しい物語にあるように思います。

 この話を私に語ったときの姉の本当にすまなそうな様子は、その一生中、外では一度も見せなかった彼女の気弱さであるように私には思われるのです。

 

 ノルン・グレイラット著『自伝 天才に囲まれた凡人』より抜粋

 

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