巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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あけましておめでとうございます。
大晦日と正月に更新する予定でしたが、ダラダラ過ごしすぎてすっかり遅くなりました。
相変わらず展開が遅くて申し訳ない。


十二 累卵(前)

 

 備前のたふべう(とうびょう)の事、或人曰く、備前の国にもたふべうを持と云者あり。是は狐に非ず。煙管の吹煙筒程の小蛇、長さ七八寸に過ぎざるものなり。之を飼て、家毎に一頭二頭宛所持する村里あり。是も其人の好んで所持するには非ず。心の中にはうるさく思へ共、先祖いつの時代の人の飼て所持せし事なれば、最早其家を離れず、其子孫に伝りて末代迄所持するなり。是も犬神と同前にて、他人と争ふとか、或は他の家にて一座せる人、或は道を往来して人に逢ひて、ある者は小面憎き顔なりと思ふとか、又其人の持ちたる物を見て羨ましく心に思ふ時、我が家に残し置きたる蛇神は、忽ち人の一念の微動を知つて、向ふの人に行く事、間髪を入れずといふが如く、本人の眼にも見えず、他人の眼にも見えず、向ふの人に依托して、皮肉の間にせまり、苦悩せしむるなり。若し其病人其れを知つて、蛇神を持ちたる人に納得するやうに和解すれば、忽ち病人の身を離れて別条なし。之を覚らずして和解せざれば、終には其人を脳害するなり。蛇神を持ちたる人も夫程深くは思はざるに、右の通りなれば、甚だうるさく思へ共、我と自ら厭離す事能はず。其蛇を殺しても、本の如く立戻りて、取り絶やすことが出来ず。其蛇神、本人に怨ある時は、却て本人の皮肉の間に入りて責殺す故に、たふべうを持たる者の之を崇重すること神の如しとかや。(上野忠親『雪窓夜話』)

 

 

 


 

 

 

「んぎゃああ! びえええ!」

 

 よく晴れた日のブエナ村。

 これといった特徴はないが、しいて言えば村人の気性が穏やかな傾向があることが特徴の、のどかな村である。

 そんな辺鄙な村の一角に、一台の乗合馬車が停まっていた。

 馬車の前に少女が立っていた。少女の名をエマという。

 彼女にも、彼女の両親にも苗字はない。彼女はただのエマとして生まれてきた。

 持ちうる中でいちばん上等な服を着込んだ彼女は、革のトランクを体の前に両手を揃えて持ち、自分を囲む両親や下の弟妹、友人たちに笑みをむけた。

 

「みんな、見送りにきてくれてありがとう」

「遠い場所にいても、私たちは友達だからねー」

「奉公先でもがんばってね!」

「私、字をちゃんと憶え直したら、手紙書くから!」

「もし向こうでイジメられたら報せるんだぞ、俺が話をつけに行くから」

「そしたらボクも行くよ、絶対に」

 

 最後の二人は、エマより一つ年下の友人たちだ。

 言わずもがな、ルーデウス・グレイラットとシルフィエットである。

 同じ村で育ちながら、五、六歳までろくに顔を合わせることなく過ごしてきた彼女たち。既に完成されていた子供同士のグループに、ルーデウスとシルフィエットは遅れて参入した。

 大人のような理性が働きにくいぶん、排他的になりやすい子供だけの集団に、彼らが衝突もなく受け入れられたのは、きっかけこそルーデウスの妹にあるとはいえ、最大の決め手は、子供たちのリーダーであるエマが彼らを歓迎したことにあるのだ。

 

 よってルーデウスは彼女に恩を感じていた。彼女が困っていたら能う限り力になろう、と考えるほどには。

 シルフィエットは、頂点の存在に歓迎されたから他の子供たちにも受け入れられた、という集団の心理はまだわからない。

 しかし、今までたくさん一緒に遊んできた友達が、知らない人ばかりの環境でイジメを受ける可能性に気がつき、義憤を滾らせていた。

 

「いいなあエマ、貴族のお姫様のところで働くんでしょ?」

「お金持ちの家に泊まれるんだもんね、すごいよ」

「シンディちゃんの家より大きいのかな?」

 

 農村の女の子たちの想像の中で、他領の中級貴族の屋敷の外装及び内装は、王族の豪華絢爛な城と化した。キラキラした羨望の眼差しを受けて、エマは整った顔を苦笑の形にした。

 

「ううん、泊まるのは使用人用の部屋だし、すぐにお嬢様に会えるわけでもないから、全然すごくないよ」

 

 エマの奉公先は、さる中級貴族の館の下働きである。

 下働きといっても、いちばん辛いといわれるスカラリーメイドではない。上級使用人であるレディースメイドの見習いである。

 見習いから昇格し、長く働けば嫁ぎ先の面倒をみるという条件で、住み込みの奉公をするのだ。つまり、行儀見習いである。

 簡単な読み書きができること、初級魔術が使えること、そして器量が良いこと。平民の彼女が下級貴族や商人の子供を押しのけて貴族の館で働けることになったのは、この三つの条件が揃った子供はそうそういないためである。

 

 ゆえに、これは祝うべき新たな門出なのだが、

 

「びゃあああ!」

 

 爽やかな別れの雰囲気に、似つかわしくない泣き声が先ほどから響いている。

 ゼニスに抱かれた三歳のシンシアが、世の終焉のような悲痛な泣き方をしているのだ。

 

「シンディ、泣かないで。ほら、エマちゃんにバイバーイって」

「エっ、エマちゃ、行っちゃやああ゛あ゛」

「困ったさんね……」

 

 別れの言葉を告げることさえ嫌がる始末。ゼニスは愛娘を悩ましい顔で見下ろした。

 シンシアとて、母や友人を困らせたくて駄々をこねているのではない。大好きな年上の女の子と会えなくなることが何より悲しく、その感情はまだ微妙に未熟な前頭前野によるブレーキが利かず、こうして感情を表出して泣き喚くことしかできないのだ。

 

「ごめんね、エマちゃん。前からお話しはしてたのだけど、やっぱりよく分かってなかったみたいで……。エマちゃんには、赤ちゃんのときからお世話してもらったから、離れがたいのよ」

「シンディちゃん……」

 

 どこにも行かないで。ずっと私と一緒にいて。

 そんなシンシアの心の叫びを感じとったエマは、初めて瞳をうるませた。

 

「やっぱり私行かない! それかシンディちゃんも連れていく!」

「ど、どっちも難しいんじゃないかしら」

 

 奉公の話を突如反故にすれば顰蹙を買う。また八つの少女が幼子を連れて働くというのも、まず無理な話である。

 

「シンディ。シンディは赤ちゃんなの?」

 

 人知れずため息を吐いたルーデウスは、脈絡のない問いかけを妹に投げた。シンシアはグズグズと鼻をすすりながら「赤ちゃんじゃない」と首を振る。

 

「そうだね。赤ちゃんは、ノルンとアイシャだ」

「わたしはおねえちゃんだもん」

「そう。もうお前はお姉ちゃんだ。それなのに、赤ん坊みたいに泣くのは、恥ずかしいこと? 恥ずかしくないこと?」

 

「……はずかしいこと」と、答え、シンシアはスンスン鼻を鳴らしながら泣き止んだ。

 ゼニスは目顔でルーデウスに感謝を伝え、ハンカチで娘の涙と鼻水を拭き取ってやった。

 

「エマちゃんとバイバイできる?」

「でき……できる」

 

 こくんと頷いたシンシアの額にゼニスは口づけを落とし、エマの前に送り出した。

 

「またね、エマちゃん。ねんき明けには、帰ってきてね」

「年季明けって……難しい言葉知ってるのね。初めて会ったときは、小ちゃな赤ちゃんだったのに」

 

 エマは荷物を馬車に運び入れ、シンシアをぎゅっと抱きしめた。

 

「ちゃんと帰ってくるよ。手紙も書くからね。

 シンディちゃんは、もうお姉ちゃんになったよね?」

「うん」

「お姉ちゃんのシンディちゃんには、私の妹と弟の友達になってほしいの。それで、私とシンディちゃんがしてきたみたいに、二人とたくさん遊んであげてほしいんだ。私、シンディちゃんになら安心して任せられるな」

 

 安心して任せられる。

 この言葉は、シンシアに使命感を与えた。

 転生してから初めてできた友達であるエマは、幼いシンシアには憧れの対象であった。身内にルーデウスという天才の兄がいる彼女だが、異性と同性ならば、この人みたいになりたい、と明確な憧れを抱きやすいのは後者である。

 

「……まかせて!」

 

 先ほどまで泣きに泣いていた事などどこ吹く風。

 シンシアは使命感に表情を明るませ、胸を張って答えた。

 単に子守りが好きで、実妹が生まれて〈お姉ちゃん〉という肩書きを得ただけで満足していた節のあるシンシアが、血の繋がった妹たち、そして村の自分より幼い子らに対して、姉としての真の自覚が芽生えたのは、この日・この瞬間であったのだ。

 

 


 

 

 ノルンとアイシャを見ていると、あっという間に日々は過ぎていく。

 アイシャは最近、「クー」と声を上げるようになった。

 ありのままに言えば鳩のような、綺麗に言えば可憐な声である。

 揺りかごの中でむずがって今にも泣きそうなアイシャに「クークー、ほら、クークー」と言ってみると、アイシャはぴたっとむずがるのをやめ、私を見て「クー」と言ったのだ。あのときの「クー」がいちばん可愛らしかった。

 

 ノルンはあお向けに寝そべったまま、しきりに足を屈伸のように曲げ伸ばしする。「なーにしてるの」と訊ねると、ニコニコ笑って足をもっとばたつかせる。ついでに毛布を蹴っとばす。

 お喋りはアイシャが先で、たっちやアンヨはノルンが先だろうか。楽しみである。

 

 そして、二人の妹はよく泣いた。

 私など可愛らしいものだったと思えるほど、泣いた。元気いっぱいな証拠だ。

 

 妹たちが揃って泣き始めたら私は安心して喜びの舞を踊るのだが、母様と父様はげっそりしているし、雪白は煩そうに部屋を出る。

 兄は妹たちの襁褓(むつき)を替え、汚れたそれを洗濯し、襁褓が汚れていないけれど泣いているときは、ヒゲダンスという妙な踊りを一緒に踊ってくれる。

 

 一緒になって踊る私たちを眺めた父様が「子育てを舐めてた」と疲れた顔でつぶやき、夜泣きで寝不足の母様はうとうとしながらノルンにおっぱいをあげていた。

 リーリャのほうはむしろ張り合いが出てきたらしく、

 

「これこそ赤ん坊! この理不尽さが子育ての真髄です!」

 

 と、泣くアイシャを背中に括りつけてあやし、ノルンの滝のような吐き戻しを掃除していた。

 

 

 そんな日々を過ごすうちに、

 私は四歳に、兄は七歳になった。

 

 この国の言葉はほぼ完璧になった。

 本だってすらすら読めるし、「いくつ?」と訊かれても指を四本立てられる。

 私も成長したものだ。

 

 前世では、野良仕事のあいだは赤ん坊は素っ裸でえじこの中に放置が当たり前だった。この村でも、親が働いている間は、幾重にも布で巻かれた赤ん坊が蓑虫のように壁や木の枝に吊り下げられている光景をたまに目にする。

 前者はともかく、見慣れぬ光景であるせいか、後者はやや可哀想に感じた。

 

 でも、そんな育て方でも赤子は育つのだし、母様と父様はもっと雑に子育てをしてもいいと思うのだが、この両親であったから私は快適な赤ん坊時代を過ごせたので、あれこれと物申せる立場ではない。

 ついては少しでも両親の負担を減らすため、ノルンを連れて兄と散歩に行くことにした。

 ノルンはまだ歩けない。ハイハイもまだだ。

 よって、ノルンを背負うのは兄の役目、ぐずるノルンを横からあやすのは私の役目である。

 

「あぅあ」

 

 ノルンは初めての外に興奮している。

 おんぶ紐で兄の背中にくくりつけられた赤ん坊の妹は、ぷくぷくの手で兄の髪をつかみ、ば! と叫んだ。

「あばば」と返してみた。

 

「あきゃきゃきゃ」

 

 笑った。かわいい。

 

「ノルン、寒くない?」

 

 ノルンのほっぺと手をさわって確認して、どちらも(ぬく)かったので、安心した。

 ブエナ村をおおった雪は溶けて、今は日陰に少し残っている程度である。でも、吐く息は白いし、遠目に見える赤竜山脈はまだ雪化粧をしている。冬のときの中国山地みたいだ。

 

 私はノルンに髪の毛をひっぱられている兄に話しかけた。

 

「ねえ、お兄ちゃん、あのお山の向こう」

「いた、痛た、ハゲそう。……ん? どうした?」

「山脈より向こうにも、人が住んでるんでしょ」

「そうだよ。よく憶えてるな」

「へへん」

 

 あっ、ちがう。褒められたくて言ったのではない。

 私はノルンの手をそっと開いて髪の毛を離させながら、引き続き訊ねた。

 

「あっちには、どんな国があるの?」

「小さな国はたくさんあるけど、有名なのは、魔法三大国らしいぞ」

「まほう」

 

 私の反応を見て、兄は魔法三大国について説明してくれた。

 ラノア王国、ネリス公国、バシェラント公国の三国から構成されている。それぞれ魔術の研究に力を入れていて、隣りあったこれらの国々は同盟を組んでいるから〈三大国〉とひとくくりにされているらしい。

 

「同盟っていうのは、〈あなたが困ったときは助けるから、私が困ったときは助けてください〉っていう相互援助の約束を結ぶことだ」

「仲良しとは、ちょっと、ちがう?」

「どうしてそう思う?」

「だって、仲良しの人だったら、助けてもらえなくても助ける」

「まあ、そうだな。人の関係と国交は違うからな。

 友達じゃなくて、助け合うことを約束した知人みたいなもんさ」

「友達じゃないの……」

 

 ノルンがへぷちっと可愛らしいくしゃみをした。

 私は右手のひらを上に向け、火弾を作った。散らさないように炎の大きさを維持する。木のいらない焚き火である。

 

「あったまる?」

「ああ。ほーら、ノルン、あったかいよ」

 

 兄がノルンを前に抱き直し、火にあたらせた。

 

「あぅあ゛! へぅあ!」

「こら。さわったらアチチだぞ」

 

 興味深々に伸びてくるノルンの手をおさえ、思いどおりにならなくてぐずりかけたノルンに、兄が俗謡を口ずさんだ。

 赤ん坊がみんなそうであるように、アイシャは子守唄に聞き入るうちに寝てくれるのだが、ノルンのほうは楽しい気持ちが勝るようで、歌を歌い聞かせても眠るのが遅かった。

 

 広げた手のひらを握ると、魔力の流れが途絶え、火は息吹の前に置かれた蝋燭の火のように消えた。

 火の魔術は、うっかりすると自分が火傷してしまうのだ。

 近距離の炎でじりじりと灼かれた手に息をふきかけ、冷ましていると、兄がその手をとって耳介に当てさせた。

 冷気にさらされた兄の耳はきんと冷えていた。

 

「ひやっこー」

「あったかー」

 

 私たちほとんど同時に言い、ほほえみを交わした。

 

  燃えろ燃えろあざやかに

  夏はかっかと照るだろう

  冬はなるたけあたたかく

  春はやさしく照るがよい

 

 二人で歩きながら歌うと、ノルンはにこにこ笑った。

 いつもこんなふうにご機嫌なら、母様もちょっとは楽になるんだけどな。

 

「誰かいないかなあ」

「友達がいるといいね。でも、洗濯場より遠くは行かないからな」

 

 兄は「近ごろ物騒だから」と、大人のような口を聞いた。

 あてなく始めた散歩であったが、村共同の洗濯場まで、と出歩く範囲は大人に決められている。前まではなかった決まりだ。

 

 友達、と聞き、私が最初に思い浮かべたのは、エマちゃんだ。

 数えで九つ、満年齢で八つの彼女は、住み込みの奉公が決まり、冬になる前に村を出て行った。

 鋳掛屋の娘が、貴族の館で、一定の地位を保証された環境で働けることはそうそう無い。娘に文字を教えてくれた君のおかげだと、エマちゃんの両親は兄にいたく感謝していた。

 

 芸は身を助けるとはこのことか、と、私は初めて実感した。

 ソーニャちゃんとワーシカの両親も文字は読めないらしいので、ワーシカには私が教えてあげよう。それから、エマちゃんの妹のイヴと弟のエリックにも。そのためには、まず私が完璧にできるようにならなくてはいけない。

 そんな訳で、最近の私は意欲に満ちている。

 

 それはそうと、エマちゃんが遠くに行ってしまったのは寂しい。

 

「エマちゃん、何してるかな」

「元気にやってるはずだよ」

 

 む。またその答え。

 

 エマちゃんが村を出てからというもの、頻繁に「エマちゃんはいま何してるの?」と兄に尋ねていたら、「今はご飯食べてると思うよ」「夜だし寝てると思うよ」と答えてくれていたのに、最近は面倒くさくなったのか「元気だよ」としか答えてくれなくなった。

 

 無病息災が何よりだけれど、こう、なんか違う。

 私は、エマちゃんが今何をしてるか、何を思っているか、そういう事を一緒に考えてほしいのに。

 

 モッ…と頬に空気をためて兄を見つめてみた。

 兄に頬を押されて、空気がぷしゅっと漏れた。ちょっと楽しい。

 いや違う。これは怒りを相手に伝える仕草であるはずだ。

 

「ほっぺたぷにぷにしないで!」

「じゃあこちょこちょだ!」

「いひひひ」

 

 首元をくすぐられて、私は首をすくめて笑い声をたてた。

 体をよじり、道の端に、いつもはないものが停まっていることに気づいた。

 

「ツィゴイネルのひとが、また来たの?」

「え?」

 

 幌馬車が三台ある。幌の部分は継ぎ接ぎがめだち、あまり綺麗とはいえない。収穫祭の時期に村に逗留していたツィゴイネルの獣族たちが移動に使っていた幌馬車も、あんな感じだった。

 

「またお祭りあるのかなあ」

「こんな時期には何も……」

 

 兄は不思議そうにしながら、前傾気味に体を揺すり、背負ったノルンの位置をずり上げた。

 幌馬車の周囲に人影はなく、御者台も無人だ。

 

 不思議に思いつつ、洗濯場に移動した。

 川辺に板を敷いて足場にし、屋根をつけた場所がブエナ村共同の洗濯場である。

 おさげの女の子が桶に水を汲み、服を浸してもみ洗をしていた。横にも衣服の山がある。

 

「ハンナちゃ!」

 

 走り寄って背中に抱きつくと、女の子は振り向いて笑みを見せた。

 

「シンディにルディ、やっほー」

「ハンナちゃん、やっほー!」

「おはよう、一人か?」

「うん、お母さんが風邪ひいちゃって」

 

 だから今日は私だけ、と、白い呼気を吐きつつハンナちゃんが言った。

 立派なことだ。彼女とてまだ七つか八つだろうに。

 風邪といえば、あれだ。解毒魔術で治せると母様が言っていた。

 

「ノルンちゃんもおはよう」

「あゃう」

「ハンナちゃん、解毒魔術よ」

「ん? ……あ、それで治せるんだっけ。でも私、解毒はできないんだよね」

 

 ハンナちゃんはきまり悪そうに肩を少しだけすくめた。

 そうか、彼女の苦手系統は治癒系だったっけ。

 

「私が治しに行ってあげる!」

 

 張り切って言うと、ハンナちゃんは「ええ?」とからかう顔をした。

 

「シンディにできるの? ほんとに?」

「できるもん。……できるよね?」

 

 実際に人に使った事はないが、詠唱は憶えている。魔力を注ぐ瞬間も教えられている。だからできると思ったのだが、やはり不安になって兄に助け舟を求めた。

 

「それは試してみないとわからないけど」と、兄は訳知り顔で言い、母親を私の解毒魔術の練習台にさせてくれるようにハンナちゃんに頼んだ。

 

「もし失敗しても、何も起こらないだけで体に害はない。シンディが上手くやれなかったら俺が代わりに治すよ」

「えっ? いいの?」

 

 僥倖だというふうにハンナちゃんは喜んだ。

 

「お母さんも良いって言うと思う! あとでうちに来てくれる?」

「ああ。ありがとう。シンディもお礼は?」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。……へへ、治してもらう側がこう言うのも、なんか変な感じ」

 

 ハンナちゃんの傍にしゃがみこみ、服を水で濯ぐのに手を貸した。二人でしたほうが早く終わる。

 

「俺も手伝うよ」

 

 背中のノルンを気遣いつつ兄がしゃがんだとき、つんと垢の臭気が鼻をついた。臭気のほうを振り返ると、襤褸服の若い男がたっていた。

 頬や指先は垢で黒ずんでいる。物乞いだろうか。

 ハンナちゃんはいやな顔を彼に向けた。

 

「会話を少し聞いていたんだが、君たち、病人を治せるのかい?」

 

「はあ、まあ……」と、怪訝な顔をしながら返事をしたのは兄だった。襤褸男は大袈裟とも見える仕草で胸をなでおろした。

 

「よかった……娘が昨日から風邪気味なんだ。今は向こうの馬車の荷台で休ませてる。君たちに治してもらいたいんだが、頼めるかな?」

「それでしたら、村の治療院まで案内しますよ」

 

 黒ずんだ顔の、額の皮が動いたので、困り顔だろう、と私は思った。

 

「この通り、おじさんは明日の食い物にも困る暮らしだ。医者にかかる金もないんだ」

 

 坊主、わかるだろ、と懇願するような声を掛けられて、兄は逡巡しているようだった。

 

「わかりました。僕で良ければ力になります」

「本当か!? 助かったよ、娘はあっちだ!」

「はい。すぐに行きます。ハンナ、しばらくノルンのこと預かっててもらえる?」

「いいけど、ゼニスさん呼ばなくて平気?」

「風邪程度なら、俺だけで大丈夫だ」

 

 きょとんとしたノルンをおんぶ紐でハンナちゃんの背中に括りつけながら、兄はふと思いついたように「お前がしてみるか?」と私に提案した。

 

 何を、と疑問に思いかけて、兄の言わんとすることに気づいた。

 解毒魔術だ。私に練習させようとしてくれているのだ。

 もし、ノルンやアイシャ、私より小さな村の子供たちが怪我や病気をしたら、助けてあげられるようになりたい。だから答えは決まっていた。

 

「……お兄ちゃんもくる?」

「そりゃもちろん」

「じゃあ私がやる!!」

 

 兄の付き添いが確定して、ひと安心。知らない人と二人になるのは気まずいのだ。

 私と兄は、襤褸男のあとをついて行くことにした。

 

「ノルン、ねぇねたちすぐ戻ってくるからね」

 

 ノルンにばいばいと手をふる。

 同じ日に生まれたアイシャならば同じ仕草を返してくれるのだが、彼女に比べるとややぼんやりさんなノルンは、大人しく人差し指と中指をしゃぶりながら私たちの方を見つめていた。

 

 

 

 しばらく歩いただろうか。

 襤褸男は、ぼろっちい幌馬車の前で立ち止まった。

 さっき兄と見た馬車である。三台あるうちの一つの前に案内した襤褸男は、周りを伺うように見回した。

 

「娘さんは荷台に?」

「あ、ああ、そうだ、はやく見てやってくれ」

 

 幌馬車の後ろには、ふつう、上げ下ろしのできる板と段差がつけられていて、階段のように登ることができる。

 襤褸男は段差を下ろさずにいきなり兄を抱き上げ、荷台の中に降ろした。

 

「むー! んん!」

 

 別の馬車の荷台から、女の子がこちらを見下ろしていた。

 ふわふわの金髪。ときどき辛辣だけど、ほんわりした雰囲気の女の子。そんな彼女が、口に布を詰められて、必死の形相で私に訴えていた。

 

「メリーちゃ……」

 

 がばっといきなり後ろから抱えられた。

 

「病気の娘さんってどの子……あ、ええ?」

 

 ひょこっと顔を出した兄が、目を丸くしてこちらを見た。

 私は男に抱き上げられ、首元に錆びたナイフを宛てがわれていた。

 腕が震えている。痛い。臭い。臭いのは前世で慣れっこだからまだいいとして、強くさわられるのは嫌だ。

 ウィーデンで攫われた時は、涙は出なかった。自分でどうにかしなければならない事を悟っていたから。

 けれど今、涙がじわりと滲むのは、目の前に頼れる兄がいるからだろうか。

 助けて、と、甘ったれた私が、訴えているのか。

 

「シンディ」

 

 呟いた兄の手のなかで、何かが生まれた。

 それは水であったかと思えば、氷になり、溶けて炎に変わり、砂が凝固して尖った岩になりもした。いちばん殺傷力の高い形状を探っているように見えた。

 

「う、動くな」

 

 どもり気味に、押し殺した声で、襤褸男は告げた。

 俺はこれからお前たちを売りに行く。大人しくしていれば痛いことはしない。だから黙って馬車に乗れ、と。

 

「……わかりました。妹のことは傷つけないでください」

 

 兄が睨みつけながらそう言った時、私は襤褸男を呪殺しようとした。

 母様のおまじない。トウビョウ様を封じた箱。

 そんなのは意味がない、はず、だ。私が意識するのをやめていただけで、トウビョウ様は、いつでも私の――チサの――お傍に。

 

 体の震えは止まった。襤褸男の黒ずんだ手の甲に触れ、胸元に鱗の冷たい感触を感じたとき、兄が言った。

 

「シンディ、大丈夫だ」

 

 蛇を使おうとした事がわかったのだろうか。

 兄の顔を見て、わかった。違う。彼は必死に考えているように見えた。

 どうすれば状況を打破できるか、逃げ切れるか、考えている。

 その上で、人質に取られた私を怖がらせないように、声をかけてくれた。

 トウビョウ使いの私に頼る気は毛頭ないのだ。

 

 もし、目の前で呪い殺して、お兄ちゃんに嫌われるのは、いや。

 

 生まれた躊躇の隙に、あれよあれよと兄は馬車に隠れていた女に両手首を縛られ、私は御者台に座る襤褸男の横に置かれた。

 馬車の車輪ががたごとと回りだした。

 大きな外套を着せられて、頭巾を頭に被せられる。周りの景色は見えなくなった。

 

 御者台に乗せられるときに、幌の内部を覗けた。

 中には、赤ん坊を抱いた若い女と、幼い子供が兄のほかに三人ほどいた。

 縛られているのは兄だけだった。

 女は襤褸男の妻だと、なんとなくわかった。子供は攫われた被害者なのか、夫婦の子供なのか、わからない。

 

 加減を誤り、夫婦を同時に呪えば、縁故の深い彼らの子供も何人か死ぬだろう。

 兄に嫌われる。そう考えた瞬間、母様のおまじないがより強固になった気が、私はしていた。

 こんなとき、トウビョウ様は都合よく助けてくださらぬ。

 チサだった時に凌辱された時もそうだった。

 

 思い出したくないことを思い出して、ざわりと身柱元に寒気がはしる。

 すべてのものが動きを止め、一面が薄墨色に染まる錯覚を得た。

 左袖の裾から、頸に白と金の輪がある蛇が這い出てきた。

 

 

「あぎゃあー……ぎゃあー……」

 

 赤ん坊が空腹を訴える声に、はっと現実に帰った。

 ノルンでも、アイシャでもない。あの子らは、こんな弱々しい泣き方はしない。泣き声は後ろから聞こえてくる。

 寒気を感じたのか、ぶるっと横の襤褸男が身震いをした。

 

「泣きやませろ」

「嫌だよ、どうせ乳も出ないのに」

「出なくても、吸わせろ」

「……」

「あと少しの辛抱だ」

「……そんなら、いいけどさ」

 

 襤褸男が乾いた咳をする音がやけに響いた。

 何があっても声をあげるな、と、厳しく言われ、身を縮こまらせた。

 

 助けて、母様、父様、リーリャ、助けて。

 

 私の祈りを乗せた馬車は無情にも、村の外に向かって進んでいく。

 

 


 

 

ルーデウス視点

 

 俺の名はルーデウス・グレイラット。

 七歳になったばかりのキュートボーイだ。

 得意なのは魔術。

 という自負があったが、俺が教えているブエナ村の子供たちがバンバン無詠唱を使えるようになり始めたことで、少々焦りを感じている。

 そんな折、ロキシー師匠から手紙がきた。

 ロキシーは水王級魔術師になったそうだ。

 一番弟子たる俺はといえば、いまだ水聖級をブーラブラ。

 これはいかん。伸び悩みを感じていた俺は、ラノア魔法大学への留学をそれとなくパウロに打診し、却下された。

 せめて12歳まで家にいてほしいとのことだ。

 上の妹にも、お兄ちゃん居なくならないで! なんて玄関の前で通せんぼされてしまったので、どこにも行かないよと抱きしめて頭を撫でておいた。もうゼニスのおっぱいは吸っていないはずだが、赤ん坊の妹たちをよく構っている彼女からは、ほんのり乳の匂いがした。

 

 まあ、今まで頑張ってきたし、ここでの居心地も良いし、12歳になるまでの数年は、人生の夏休みだと思っておこう。

 休みすぎて、いつのまにか社会に復帰できなくなっていたのが、生前の俺なんだが。

 ……いやいや、昔と今では、休む動機からしてちがう。昔は、全裸磔刑ゆえの挫折というネガティブな理由だが、今は、田舎でスローライフを送ろうというポジティブな理由なのだ。オーケー?

 

 そんな俺(とシンディ)は、何やら遠い地で、強制労働の憂き目にあいそうになっている。

 それもこれも、パウロが自分の学費くらい自分で稼げと俺を馬車に放り込んだせいだ。

 怒った俺は、打倒パウロを目標に掲げた。父親の威厳か何だか知らんが、奴が肉体の全盛期であるうちにパウロを倒し、父親の威厳をヤバくしてやる。

 

 なんてな。打倒パウロの目標は本当だが、前半は嘘だ。普通に誘拐されて売られそうになっている。

 

 俺一人ならば、どうにでもなっただろう。

 見たところ、俺とシンディを誘拐したのは、子連れの夫婦。

 上は俺と同じくらいの男児と、年子と思わしき五歳かそこらの男女の子供が二人、そして痩せた赤ん坊。

 俺は奥さんと四人の子供と共に小さな幌馬車の荷台に、

 シンディは顔の隠れるローブを着せられて御者台に、

 それぞれ拉致されている。

 

 夫婦は魔術も武術もかじっていない素人だろう。おまけに幼い子供を四人も連れている。適当に魔術で目くらましをして、逃げ出すのは容易い。

 

 それを躊躇してしまうのは、シンディが人質になっているからだ。

 シンディは大人に比べたら断然足が遅く、使える魔術は初級を少し。

 初級でも、それを人に向けることは厳しく禁じている。

 魔術の他にも、シンディはちょっとばかり特殊な力を使える。

 しかし、俺の前では、それは人を助けるためだけに利用されてきた。現在の状況をどうにかできるとは考えにくい。

 

 馬車を横転させ、混乱の隙に逃げ出す?

 御者台に座っているシンディが外に投げ出され、打ちどころが悪かったらどうする。

 

 魔術で男を攻撃し、ひるんだ隙に逃げる。

 これもダメだ。そうされないために、シンディを人質にされているのだ。

 

 一応、確実に助かる方法はある。

 男を殺すことだ。思いっきり威力を込めた岩砲弾を射出し、頭部を綺麗な更地にする。

 必要とあらば、女の方も殺す。子供は無力だから放置でいい。そしてシンディを連れて大人の所に急ぎ、起こったことを説明する。

 完璧な作戦だ。殺るのが俺で無ければね。

 

「あたしにもちょうだいよぉ」

「うるさい! あっち行け!」

 

 七歳くらいの男の子と、五歳くらいの女の子が喧嘩を始めた。

 兄(多分)につき飛ばされて後頭部を打ち、大声で泣きわめく女の子。

 女はそんな兄妹を怒鳴りつけ、苛立たしそうに胸をはだけた。

 ついついチラ見してしまうが、興奮はしなかった。

 子供に吸わせすぎたのだろう、彼女の乳首は爆ぜ割れていた。エロさより痛そうという印象が勝つ。

 女は血のにじむ乳首を赤ん坊に咥えさせ、痛みが走ったのか、顔を顰めて悪態をついた。

 

 なんか、全体的に荒んでるな。

 

「お金がないから、こんなことをするのですか?」

 

 俺は女のほうに話しかけた。

 痩せぎすで、もう少しふくよかなら可愛かったのだろうなという顔立ち。余裕のなさが人相に現れている感じだ。

 頚部に瘰癧(るいれき)だろうか、赤黒い瘢痕がある。

 

「そうだよ」

 

 女は案外くったくなく答えてくれた。

 住んでいた村が、魔力異常によって増殖した苔に侵食され、家と仕事を失い、自分の子を食わせていくためによその村から子供を攫って売り飛ばしているということも、話した。

 

「この村の子は魔術を使えるのが多いって聞いてたから、きっと高く売れると思ってさ」

 

 ブエナ村の子供なら誰でも良かったらしい。

 村に入ってきた人攫いはこいつらだけなのだろうか。他の子は無事だろうか。

 不安が募ってゆく俺をよそに、

 分け前をもらう契約で、奴隷商会と繋がっている野盗にブエナ村の情報を売ったこと、

 アスラは豊かな国だから奴隷でも食事や寝床は確保されること、

 金持ちに気に入られれば、ひょっとすると今より良い暮らしができること、

 を、彼女は俺にペラペラ話した。

 身勝手な言い分だ。俺にだって生活があるのだ。

 それを、自分の事情で攫って、金を得ようとしている。

 

「……僕の父は駐在騎士です。村でもそこそこの地位にいます。もし、僕たちを逃がしてくれたら、僕が父に頼んで、ブエナ村にあなたたちが移住できるように計らいます」

「田舎暮らしはもう嫌だよ、森の近くに住むから魔物は出るし、苔に呑まれるんだ。あたしたちは安全な都市に住みたいんだ」

 

 そのために、金が必要ってわけか。

 

「自分の子を売ればいいだろ。四人もいるんだから」

 

 俺は相手を嘲った顔をしていたと思う。

 犯罪者のくせに自分の子は可愛いのか、と。

 すうっと女の顔から血の気が引き、次の瞬間、木の棒で殴られた。子供の躾に使われる制裁棒だ。ブエナ村でも、年寄りのいる家によくある。

 制裁棒で子供を本当にぶつ事はない。せいぜい、脅しに使われるだけだ。

 俺は思いっきり殴られた。憎しみのこもった表情に、鈍い痛みに、生前家を追い出されたときの事を思い出した。反撃は思いつかず、次の衝撃に備えてとっさに手で頭を守った。

 

 剣術の稽古中も、パウロにボコボコにされることはままあるが、彼は頭はあまり打ってこない。

 子供同士の喧嘩も介入することないが、頭を殴ろうとしてるのを見ると止める。「もし友達が喧嘩をしてるのを見たら、互いに頭は打たせるな。大事なところだからな」と、俺にも言って聞かせるくらいだ。

 

「やめろ! 傷がついたら値が落ちる!」

 

 男の制止する声が油膜を隔てているように(こも)って聞こえた。

 制裁棒で、頭だの背中だのを何度も殴られる。

 俺は手で頭を抱えるようにして、亀のように縮こまった。

 

 あれ。おかしいな。

 どうして体が動かない?

 

 俺は以前とはちがう。あろうことか両親の葬式に自慰に耽り、兄弟に見限られて家を追い出された(クズ)は、もういない。

 いないはずだ。

 今の俺は、あれ?

 高校のDQNどもに体育館に呼び出されて、

 じゃなくて、パソコンの画面を見た兄貴にぼこぼこにされて、あれ?

 記憶が支離滅裂だ。

 何だっけ。

 

「お兄ちゃん!」

 

 振り向いた幼女が、御者台の背もたれを掴んで泣きそうな顔をした。

 ヨーロッパ系の幼女に〝お兄ちゃん〟と呼ばれている。

 中々ない体験……ん? それは別に当たり前のことじゃないか? 彼女は、血の繋がった妹なんだから。

 いや、俺に妹はいない。兄兄姉弟の五人兄弟の四番目で……や、いや、ちがう。俺が長男だった。妹が三人いる。

 幼女の名前は、えっと、そう、シンシアだ。シンディ。

 俺の妹。で、俺は、ルーデウス。

 

「ハッ!」

 

 自分の名前と家族構成と住所と電話番号(ない)と友人関係とロキシーを思い出した俺は、思い出しついでに土の魔術で岩石を作り出し、それを女の手に叩き込んだ。

 

「ぎゃ!?」

 

 射出した岩石は女の手を打った。

 女は制裁棒を取り落とし、手を押えて蹲った。

 女の手はもげていないが、骨は折れているかもしれない。

 これをパウロ以外に向けたのは初めてだ。パウロならば、必ず避けるか斬るか弾き返してくれるという信頼と安心があったが、一般人に向けるとなると、無意識のうちに威力を殺してしまう。

 

「母ちゃん!」

「父ちゃん! 母ちゃんが!」

 

 兄弟が女に抱きつき、怯えた目で俺を見たが、構っていられなかった。

 男はしばらくポカンとしていたが、俺を睨みつけてシンディに手を伸ばした。

 俺が魔術を使ったせいでシンディが痛めつけられる。

 そんなのは許せない。

 

 狙うは頭部。

 相手に手を出させる暇は与えてはいけない。

 手の震えを抑え、岩石を男の頭めがけて射出しようとした。

 

 その途端、馬車が揺れた。急停止だ。

 外から怯えるような馬のいななきが聞こえてきた。

 

「お母ちゃん……ヒューがおかしいよ」

 

 女の子が赤ん坊を抱いていた。あの子は、さっき兄らしき子と喧嘩して泣いていた子だ。

 泣き止んだあとは、赤ん坊をあやしていたはず。

 ヒューと呼ばれた赤ん坊は泡をふいて痙攣していた。

 医者じゃなくても、一目見てヤバそうな状態だとわかる。

 

「ああ、ヒュー!」

 

 女が赤ん坊をひったくるように抱く。背中を叩き、体をゆすり、赤ん坊を助けようとしている。

 男もおろおろと心配そうな顔をしていた。

 

 ぐったりしている赤ん坊を見捨てるのは気が引けるが、チャンスは今だ。

 俺は荷台の親子を押しのけ、素早く御者台に上がった。

 

「っ!? おい、待て!」

 

 なぜか馬が歩みをやめていたのも都合が良かった。

 俺はシンディをお姫様抱っこして、御者台から地面に飛び降りた。

 外に出てみてわかったが、三台の幌馬車は一列に連なって進んでいたらしい。俺が乗せられていた馬車は最後尾だ。

 先頭二台に置き去りにされかけていた。

 

「うおっ!」

「なんだ!?」

 

 岩石を射出して、ほかの馬車の車輪を破壊した。

 俺たちの他に子供が攫われている可能性がある。

 

 まずはシンディを安全な場所に連れて行くことだ。そっちを助けに行くことはできない。

 だから、捕らえられているであろう俺の友達に向けて、怒鳴った。

 

「聞こえるか! 魔術を使ってもいい! 倒して逃げろ!」

 

 うっかり怪我人や死人が出たら手に負えん。そう思って、村の子供に魔術を教えるときは、それを人に向けないことを約束させていた。

 例え喧嘩のときでもだ。

 だが、この状況は別だ。万が一殺してしまっても構わん。親元に帰ることを最優先してほしい。

 

「シンディ、ちゃんと掴まってるんだよ」

「う、うん」

 

 俺はシンディを背負い、馬車に背中を向けて逃げだした。

 後方から叫び声だの爆発音だのが聞こえてくる。俺の声は届いていたらしい。

 

 それにしてもシンディが重い。

 そりゃそうか、もう生まれて四年も経っているのだ。

 一年前は、収穫祭の夜にシンディを抱えて走って逃げたっけ。

 シルフィがあのツィゴイネルの少年に性的に襲われかけたからだ。

 六歳のロリにエロいことをするなんてけしからん羨ましい。思い出したらムカついてきた。

 

「ルディ?」

 

 噂をすればシルフィだ。背中に子供用の弓、腰には矢筒というお子さま狩人ルックのシルフィは、シンディを抱えて走ってくる俺を見て不思議そうな顔をした。

 ロールズはいないのだろうか。いつもなら白い歯をキラめかせて「やあ、シルフィ。今日も可愛いね」などと言うところだが、いま会うのはまずい。

 

「逃げろ! 人攫いだ!」

「え!?」

 

 近くに逃げ込めるような民家はない。村の大人もいない。

 一面の田園地帯は遠くまで見渡せる。追いかけられたら隠れられる場所はないに等しい。

 

 馬車から飛び降りた男がこちらに走ってくるのが見えた。

 足元に火球を撃ち込んでみたが、ひるまずに向かってくる。必死だ。他人の子供を攫って売ろうというクズだが、彼も命がかかっている。

 俺たちを逃がしたら生活が立ち行かなくなる。

 村の男衆に捕まって断罪されるかもしれない。

 

 へん。知らんね。奴らはブエナ村に住めるように取り計らうという申し出を跳ね除けた。

 子供の言うことで本気にされなかっただけかもしれんが、救済の手を叩き落としたのは、向こうだ。

 背中がいてえ。頭にたんこぶもできてるな、この痛みは。

 

「ルディ! こっちだよ!」

 

 冷静に考えれば、それは悪手だっただろう。

 いくら誰も見当たらなくても、逃げ続けていれば、あるいは大声を出せば、大人が見つかったかもしれない。

 

 それは自ら逃げ道を塞ぐ行為だった。

 でも、俺は人攫いにあうのは初めてで、シルフィも突然のことにパニクっていた。

 

 俺たちは村を外れて、森の中に逃げ込んだのだ。




冒頭『雪窓夜話』のざっくり訳:
トウビョウ持ちの嫉みや恨みを買うと、トウビョウ持ち本人にその気がなくても呪われることがあります。トウビョウをひとたび所持すると末代まで離れません。
トウビョウ様に恨まれたトウビョウ持ちは殺されるから、トウビョウ持ちはトウビョウ様を神のように尊び重んじましょう。
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