巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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ここすき機能の見方を最近知りました。
押してくださった方ありがとうございます。感想もですが、どこが好きか伝えてもらえると嬉しいものですね。

今回は相互不理解の話です。


十三 累卵(後)

 ノルンを迎えに行かなきゃ。

 まずそう思った。ハンナちゃんに預かってもらったままだ。

 早く行かなければ。すぐ戻ってくる、って言ったのだから。

 

「追ってきてる?」

「ん……ううん、足音は聞こえない、かも」

 

 木の根に足をひっかけて転びそうになった。

 兄に腕を捕まえられ、用心深く耳を澄ませていたシルフィに背中を支えられる。

 そのまま、兄に手をひかれ、朽葉を踏み分ける。

 兄、私、シルフィの順番で薄暗い森を歩いた。

 

「お兄ちゃん、ノルンは?」

「ハンナがきっと家まで連れて行ってくれてるよ。俺たちは、森を通って物見櫓に行こう。そこなら絶対に大人がいる」

 

 元気づけるように握った手を揺らし、兄は前を向き直した。

 やっぱり彼はすごい。私は、馬車にいた人たちを全員呪って、脱出することしか考えつかなかった。

 

 とんとん、とシルフィに肩を叩かれた。シルフィは小さな声で「先に行ってて。すぐ追いつくよ」と言って、私たちから離れた。

 獣道を少し引き返した彼女が、むらがる羊歯のあいだにしゃがむのが見えた。あそこには沼があったはず。

 何かを捕まえようとしているみたいだ。

 

「お兄ちゃん」

「なんだい」

「赤ちゃん、苦しんでたね」

 

 女に抱かれた、ヒューと呼ばれていた赤ん坊が、痙攣して泡を吹く光景を、私は思い出していた。

「病気だったんだよ」と、兄はこちらを見ずに答えた。

 

「ちがうよ、あれ、私のせい」

 

 あのとき、蛇は見えなかった。

 でも、兄を叩いたあの人を、私は強く怨んだ。

 トウビョウ様は、持つ人の知らぬまに、持つ人の怨みや嫉みを体した蛇を相手に使わすことがある。

 私が怨んだのは母親のほうだ。しかし私の管轄を外れた蛇は、より弱い赤ん坊のほうに付いた。

 

「あの子、死んじゃったらどうしよう」

 

 足がとまる。喉の奥が勝手にすぼまり、水が手の甲にぱたぱた落ちた。

 二歳のワーシカ、イヴ、一歳のエリック、クラレンス、妹のノルンとアイシャの顔が心に浮かんだ。

 小さい子に優しくしてあげて、という母様の声と、私の弟と妹をよろしくね、と頼んだエマちゃんの声を思い出した。

 

「ちっちゃな子に、ひどいことしちゃ、いけなかったのに」

「……」

 

 もう遅い。母様のおまじないを破り、使ってはいけない力を使って、小さな子を殺した。

 

「シンディ」

 

 両肩に兄の手が乗り、私と視線を合わせた兄が言った。

 

「お前のおかげで、俺たちはこうして逃げられたんだ。それに、まだ死んだと決まったわけじゃない。仮にそうなったとしても、シンディの責任じゃないよ」

 

 違う。

 私の責任だ。

 最初から夫婦に狙いを定めて呪っていればよかったのだ。

 (チサ)にはそれができたはずなのに。子供が巻き添えになる可能性はあったが、巻き込まれない道もあったのだ。

 半々の確率で起こる未来に恐れをなして、きっと兄がどうにかしてくれるとどこかで思って、その兄が加害されるまで何もしなかった。

 

「大丈夫、次はうまくやろう」

 

 次、と、兄は言った。

 周囲を用心しながらの言葉だったから、もしかすると、適当にかけた励ましだったのかもしれない。

 私はその言葉に希望を感じた。

 兄はここにいる。死なずに済んだ。生きてさえいれば次はあるのだ。

 

 無垢の者を害し、殺すのは、業の深い行いだ。

 でも、家族や友達が、その罪悪感がためにひどい目に遭ったら、私は行動に移さなかったことを後悔するだろう。

 

「……うん。次は、まちがえないようにするね」

 

 ならば、喜んで業を背負おう。

 母様が、父様が、リーリャが仕合わせに暮らせるように、兄が、妹たちが、その子孫に至るまで繁栄するように。

 それが、この世に私を生み出してくれた者たちにできる、私の恩返しだ。

 

 

 ふと痛そうに顔を歪めた兄は、治癒魔術の詠唱を口にしながら己の背中に手で触れた。

 

「……シルフィは?」

 

 私の手を握った兄がちょっと不安そうに周囲を見た。

 沼に行った、と、教えるより早く、羊歯をガサガサ掻き分けてシルフィが出てきた。

 

「早く行こう」

「居た! シル、……それ何?」

 

 兄がシルフィの手に持っているものを見て、怪訝な顔をした。

 シルフィは先が鋭利に尖った枝を握っていた。ただの枝ではなかった。大きな茶色の蛙が刺さっていたのだ。

 枝は、蛙の口から臀を貫通している。まだ生きていて、手足がピクピク動いていた。

 

 シルフィはちらっと手に持った蛙を見て、「使えるかと思って」と言い、兄と私に傍の(にれ)の木に登るように促した。シルフィも後から登った。

 繁る葉に体を隠せそうな位置に登ると、十まで数えないうちに、男の話し声が聞こえた。

 馬車にいた襤褸服の男と、もう一人は帯剣した男だ。破落戸みたいな風貌をしている。

 

「くそっ、どこに行きやがった」

「お、おい、見つからなくても、分け前はあるんだろうな」

「あぁ? そんなの、ナシだ、無し。ガキがいねえのにやれるわけねえだろ」

「そんな……情報を提供したのはこっちだぞ……」

 

 男が離れていくと、別の大枝に跨っていた兄がほっと息を吐くのを聞いた。

 落ちるのを心配され、しっかり木に抱きついているように言われた私は、全身で幹にしがみついていた。

 頬にあたる部分の樹皮がはがれていて、蠹の食痕が眼前に見えた。

 懐かしい。生前は、飢饉の年は楡の葉と種子も食糧だった。

 この国では楡は良縁の象徴で、魔術師の杖に加工される事もあるらしい。母様に教えてもらったことだ。

 

「何してるの?」

 

 ひそひそ声で兄がシルフィにたずねた。

 シルフィは串刺しにした蛙の背中から出た泡を矢尻に塗りつけていた。

 

「……ルディ、あの人たちは悪い人なんだよね?」

「ああ。そうだよ」

「よかった。これ毒で、刺すと死ぬから」

 

 そう言って、シルフィは背中に括りつけていた弓を構えた。

 不安定な木の上だから、怖々としつつも、背筋はまっすぐ。

 梢が邪魔で見づらいが、多分私たちを追ってきた男を狙っているのだろう。

 

「ちょちょ、シルフィエットさん!?」

「え、ど、どうしたの?」

「殺すの? シルフィが?」

「うん、ルディとシンディを守るためだもん。

 ……あっ、お父さんには内緒にしてね? 今日は弓矢の重さに慣れるために持ち歩くだけの日だから、本当は使っちゃいけないんだ」

 

 兄はあんぐりと口を開けていた。

 説明は済んだとばかりに弓矢を構え直すシルフィを、兄があわてて止めた。

 

「まて、ちょっと待てシルフィ、それはダメだ!」

「なんで?」

「えっと、ほら、シルフィも百発百中じゃないだろ? 当たればいいけど、外れたら俺たちの場所がバレるかもしれない。ここは大人しくやり過ごそう」

「むーん……わかった……」

 

 潜めた声の応酬の末、シルフィは弓矢を下ろした。

 その直後、木の下を通る足音がして、素早く矢をつがえたシルフィの手を兄がさっと押さえる。

 

「たしかに声が……」

 

 襤褸男の独り言がきこえた。

 この辺に隠れていることを察しつつ、私たちの姿はまだ見つけていないようだ。

 

 三人で息を殺していると、襤褸男は離れていった。

 

「……行ったみたい」

 

 耳の良いシルフィがそれを確認し、私たちはそろそろと地面に降りた。

 

「ふう」

 

 兄がため息を吐いた。疲れているみたいだ。

 パチンと頬を叩いて、活を入れた兄は、「そういえば、もう一人は」と呟きながら、片手を鞠を掴むような形にした。

 すぐに応戦できるように魔力を溜めているのだろう。

 

 けど、もう心配にはおよばない。

 

「あっち」

 

 私は微笑みさえして、沼の方を指さした。

 羊歯にまぎれて、四つん這いになっている男の臀が見えた。

 

「うおっ」

 

 兄は驚き、水魔術で鋭利な氷柱を作った。いつでも射出できるように構えつつ、動かない男を不審に思ったのか、じりじりと近づいてゆく。

 

「死んでる?」

「死んでるよ」

 

 不審そうな兄の横からひょいっと顔を出し、教えた。

 つい普通の声量で言ったので、シーっと唇の前で指を立てられた。

 しまった。口を両手で塞ぎ、コクコクと頷く。

 

「……これ、シンディが?」

 

 もう一度うなずいた。兄はしげしげと死体を見つめた。

 

 男は溺死していた。

 沼の水に顔をつけて、沈黙している。

 沼の縁に両手をつけて肘を曲げ、水を飲むみたいな格好で。

 あぶくも立っていないから、完全に死んでいるとは思うが。

 即死じゃないのは、母様に封じてもらって、霊能力が弱くなっているせいだろうか。

 

 その場で膝をついて両手を合わせ、トウビョウ様に感謝を捧げた。さほどお怒りになられていないといいのだけれど。

 

 

「死体? ホンモノ?」

 

 シルフィはちょっと珍しそうだ。

 兄は顔をしかめて死体を眺めている。

 私は立ち上がり、神妙に兄に話しかけた。

 

「しゃべってもいいですか」

「どうぞ」

「今度はうまくやれたね」

 

 お兄ちゃんのおかげだ。

 次はうまくやろう。その言葉がなかったら、私は罪悪感で躊躇していただろうから。

 

 兄はもう一度死体をみて、口元を手でおさえてえづいた。

 どうしたのだろう。急に具合が悪くなったのだろうか。心配して背中を撫でると、兄は血の気がひいた顔で私を見た。

 

「シンディ、俺のことは好き?」

「だい好き!」

 

 優しくて、賢くて、面白いお兄ちゃん。大好きにならないはずがない。

 兄は笑ってはくれなかった。彼は溺死した死体を指さした。

 

「もし、嫌いになったら、……」

 

 兄は途中で言葉をとめた。その先を言うべきか、言うまいか、迷っているようだった。

 チサだったときなら、その先を察することができただろうか。

 私は、わからない。察してあげるには人生の経験が足りない。

 

「……何でもない。お兄ちゃんも大好きだよ」

「えへへ」

 

 お兄ちゃんに大好きって言ってもらった。うれしい。

 プクッと頬をふくらませたシルフィが兄の背中にくっついた。

 

「ボクのことは好き?」

「うん、大人になったら結婚しよう」

「え!? そんな、結婚なんて、きゃーっ」

 

 照れて耳をぴこぴこさせるシルフィが可愛い。

 はしゃいでいる母様を見ているみたいだ。

 兄は「もっと違う状況で言いたかった」と、どんよりした雰囲気を纏いながら歩き出した。

 

 ちらりと四つん這いのまま死んでいる男を見た。

 

 確かに、死体の横は睦言には向かないかもしれない。

 

「そのカエル捨てないのか?」

「うん。この子一匹で、五十本の毒矢が作れるんだ。

 あと、毒は蛙からの贈り物だから無駄にしちゃいけない、ってお父さんが言ってた」

「あ、そう……」

「くらーれ?」

「ううん、あれは植物からとった毒で、これは……」

 

 歩きながらシルフィが答えようとしたとき、遠くから鉦の音が聞こえた。

 私たちは顔を見合わせる。

 非常時の警報だ。

 村に魔物が入ってきたとき、怖い人がきたとき、鳴らす音だと父様が言っていた。

 聞こえたら、建物の中に避難しなければならない。

 

「お兄ちゃん、シルフィ、ひなん!」

 

 シルフィのところに行こうか迷って、――彼女は串刺しの蛙を持っていたので、お兄ちゃんに抱きつく。

 危機感を煽られる音だが、兄の表情に安堵が広がった。

 

「誘拐犯のことを、大人が把握したんだよ。もう、何人か捕まってると思う」

「じゃあ、安全?」

「油断はできないけど、多分な」

 

 それを聞いて、私は安心した。

 一応、確実に人がいる物見櫓に行こうという会話をシルフィと兄が交わし、当初からめざしていた方向に足を進める。

 

「ボク、この音ニガテだな」

「そうか?」

「よく通る音だけど、その分、他の音が聴こえづらくなるから……」

 

 不安そうに肩をそびやかしたシルフィだったが、その音がハッキリ聞こえるようになるにつれて、上機嫌になった。

 目的地に近づいてきたのだ。

 物見櫓の足が見えた。シルフィは駆け出した。

 

「お父さん!」

「ルフィ! 無事だったか!」

 

 物見櫓で鉦を鳴らしていたのはロールズさんだった。

 

 私たちもシルフィに続こうとした。

 しかし、その矢先、木陰に隠れていた男が、兄の頭を殴りつけた。そして、私と兄をひっ攫った。

 驚いて、声も出なかった。襤褸を着た男はなりふり構わず森の奥深くに走り出した。魔物に遭遇しても構わないと言わんばかりだ。

 

 なぜ。

 蛇を遣わせたのに、どうしてまだ生きている。

 

「わからん……」

 

「真面目にやってきた。両親の世話もちゃんとして、嫁をもらって、ガキこさえて食わせて、ちゃんとしてきた」

 

「だから幸せな奴からちょっとばかり幸せを分けてもらおうとした途端これだ……わからん……わからん……」

 

 襤褸男はしきりに首をひねりながら、たどり着いた沢のそばに私たちを置いた。

 頭を殴られたせいでくらくらするのか、兄が頭を手で押さえて起き上がろうとした。

 男の目をみてわかった。呪いは効いている。

 狂死。それが彼の死に方だ。

 時間がかかるやつである。

 

 彼はブツブツ喋ったかと思えば笑いだし、また無表情で独り言を言い、溺死させた男が帯剣していた剣を振りまわし始めた。

 

「ふざけんなよ、おい、ふざけんなよ」

 

 自分の太ももをザクザク刺している。

 うわっと兄が横で声をあげた。

 

「赤ちゃん殺してごめんね」

 

 もう遅い言葉を、届かないであろう言葉を、私はその狂人に告げた。

 襤褸男はよろよろ立ち上がり、大上段に剣をかまえた。

 振り下ろされる前に、右脇腹に細い棒が刺さった。

 矢尻は腹に埋まっているのだろう。男は倒れ、喉が詰まっているみたいな変な呼吸をした。

 あの矢には見覚えがある。シルフィの矢だ。

 では射ったのは、ロールズさんだろうか。

 

 足をつかまれた。私の足は、大人の男の手にすっぽり包まれる小ささだ。

 痛みが走る。足の甲を折りたたまれるような痛みに息をとめた。

 

 兄が襤褸男の腕を蹴り、甲を殴り、指をつかんで引き剥がそうとしたが、素の力の差は絶望的だった。

 ぎりぎりと痛みは増す。ゆっくり足が壊されてゆく。

 

「やだ」

 

 じたばた動かすこともできないほど、力を込めて地面に縫いつけられている。

 兄が、沢の荒削りな石を抱えて、重たそうに掲げるのが見えた。

 襤褸男の頭にそれを叩きつけた。

 

 ごんっ。ごんっ。ばきっ。どちゃっ。

 

 頭をぶつ音が水っぽくなってきたあたりで、足を引っ張ると抜けた。

 

「痛い?」

「ちょっと」

「そう……」

 

 兄は私の靴にさわると、疲れたように隣に座った。

 黒柿色の外套と灰色の靴に点々と赤黒い血が飛び散っている。

 

 つつけば倒れてしまいそうだ。

 腿に頭をのせて休ませてあげようと、私よりは大きい、でも子供の体を引きよせた。

 兄は全部の体重をかけてきた。頑張って支えようとしたが、無理だった。

 私はあお向けに倒れ、覆いかぶさった兄が胸に顔をうめた。

 手を出したときの猫の雪白みたいに顔をこすりつけてくる。

 

「お兄ちゃん、あのね、ひざ枕……」

「……」

 

 うるさそうに顔をしかめられた。

 口を噤むと、穏やかな表情にもどる。

 このままお兄ちゃんが喋らなくなったらどうしよう。

 

 喋らなくなったら……、まあ、いいか。

 どんなになってもお兄ちゃんだもの。私が世話を焼けばいい。

 

 横の死体から、垢の匂いに混ざって、血の匂いが臭ってくる。

 沢のせせらぎを聞きながら、猫のようになった兄の頭を撫でた。

 

 私と兄を呼ぶ父様の声が、だんだん近づいてくる。

 

 

 


 

 

 

パウロ視点

 

 カタンと物音がして、めざめた。

 ノルンとアイシャが同じタイミングで昼寝をして、いつの間にかオレもうたたねをしていたらしい。

 肩を軽くまわし、固まっていた筋肉をほぐした。

 テーブルを挟んで、椅子に登った娘と目があう。

 

 我が家の長女、シンディは、テーブルの上の花瓶に手をのばしかけた格好で固まっていた。

 眠っていたはずの偉大な父親が、突然起きたことに驚いているのだろう。

 

「びっくりした……」

「そりゃ悪かったな」

「ううん、父さまは悪くないのよ」

 

 シンディはそう言いながら、抱えていた三輪の白い花をテーブルに置き、花瓶を両手で自分のほうに引き寄せた。

 倒しやしないだろうか。いつでも支えられるように片手を添えると、シンディは笑みをオレに向けた。

 ゼニスに似た笑顔だ。そして、夭折したオレの母親、バレンティナの面影もある。

 不思議なもんだ。ゼニスとオレの母は似ていないのに、こうして生まれた娘はどちらの面差しも受け継いでいる。

 

 シンディはくたびれた花を花瓶から抜き、パッパと茎についた水滴を払った。

 テーブルに置いてあるのは新しく活け直す花だろう。

 ゼニスが家の内装にこだわり、園芸に手を出し始めたのはこの家に住み始めてからだ。

 冒険者時代はそんな余裕はなかったが、元々庭いじりが趣味で、ラトレイア家でも自分専用の花壇をもらって色々育てていたそうだ。

 薬草の知識も豊富だし、植物そのものが好きなのだろう。

 

「母さんに頼まれたのか?」

 

 訊ねると、花の交換をしていたシンディはうんと頷いた。

 そのついでに、無詠唱で作りだした水を花瓶に満たした。

 ルディもシンディも当たり前にやるが、無詠唱で魔術を使う者、それも子供を、オレはそれまでの人生で見た事がなかった。

 うちの子は天才だ。そう自慢すると、少し前のルディは「神童も二十歳過ぎれば只の人、と言いますし、他の子も出来るんですから、そんなに珍しいことじゃありません」と澄ました顔で言ったものだ。

 

「でもね、夏の雪(サマー・スノー)を選んだのは私で、……えっと、この花は夏の雪(サマー・スノー)っていって、なんでその名前かっていうと、夏に咲く花なのに花びらが雪みたいに白いからでね……」

 

 と、娘の話に戻ろう。

 正直、花の名前はどうでもいい。

 花は花だ。色の違いまでは判別がつくが、花弁の形まで言及されるともう訳がわからん。

 一生懸命説明するシンディが微笑ましいから、いかにも興味深そうに聞いておく。

 

 ほんの10年前のオレだったら、耐えられなかっただろう。

 ベッドに行くための前戯だと思えば、興味のない話題でも辛抱強く聞いたかもしれないが、そうでないなら逃げ出していた。

 

 しかし、もう夏か。

 ノルンとアイシャが生まれてもう半年経ったことになる。

 

 ひとしきり話したシンディが椅子から降りた。

 何事もなく、足を痛めた素振りもない。そのことに安堵する。

 

 4ヶ月前、ブエナ村の子供が攫われかけた。

〝あの村の子供は全員魔術を使える〟という噂を、野盗が聞きつけたのだ。

 技能が高いほど奴隷としての価値は高まる。

 

 だが、まさか無詠唱だと思わなかったらしい。魔術師ってのは、通常詠唱ありきだからな。

 拐った子供の口を塞いで慢心していたところ、あっさり反撃された。

 大人が駆けつけたときには、6人いた野盗の半数が重傷、2人は死んでいた。

 生き残っていたのは近くの街の役人に突き出し、野盗の仲間には幼い子供もいて、彼らは孤児院に引き取られていった。

 中には赤ん坊もいた。そちらは体調を崩していたから村の治療院でしばらく看病された後、ブエナ村の若夫婦の養子になった。

 彼等はなかなか子供ができないことに悩んでいたから、収まるべきところに収まったという感じだ。

 

 死体は、森の中でさらに2体発見された。

 ひとつは変死体だ。そちらの詳細は、まあ、今思い出すのはやめておこう。

 もうひとりは、ルディが殺した。

 

 ロールズが遠方から毒矢で射ったのを、ルディがとどめをさしたのだ。

 ルディのしたことは正しい。

 そうしなければ、シンディの足が潰されていたのだ。

 シンディは幸い足の甲が折れていた程度で、ゼニスが後遺症が残らないように丁寧に治した。

 

 ロールズから攫われたと聞いたときは、生きた心地がしなかった。

 駆けつけたところ、シンディもルディも多少怪我はしていたものの、治癒魔術で治る範囲だった。

 数日もすれば外で遊び、家事を手伝い、勉強と剣術にも励んで元気に過ごしている。

 

 他の誘拐されかけた子たちも日常に戻った。

 子供が魔術で人を殺したことを危険視する者もいたが、オレに言わせりゃ平和ボケもいいとこだ。

 自分の身を守る手段が多いのは良いことだ。無差別に使ってる訳じゃなし、才能は伸ばしてやれ、と丸め込んだ。

 

 集団誘拐事件はブエナ村ができて以来の大事件で、駐在騎士であるオレは報告や後処理に追われたが、日々は代わり映えなく過ぎていく。

 事件が起こる前と同じように。

 しかし、何故だろうか、オレは違和感を拭えないでいた。

 

「ルディはどうしてる?」

「お庭で雪白とあそんでたよ」

 

 寝ているアイシャとノルンを眺めていたシンディが窓の外を指さした。

 開け放した窓に近づき、緑豊かな庭を眺めた。

 さっきから騒がしいと思っていたが、近所の子供が遊びに来ていたらしい。

 ルディは腹に結びつけた紐の先を地面に垂らして走っていた。

 紐を追うのは、〝雪白〟と名付けられたウチのペットだ。

 追いつかれるだの、屋根にジャンプしろだのと聞こえるから、紐の先を捕らえられたら負けというルールなのだろう。

 

 ルディがソマル坊の後ろに隠れると、雪白はソマル坊の体を駆けのぼった。子供の悲鳴と笑い興じる声が青空を突きぬけるようだ。

 

「お」

 

 ルディが飛び石に蹴躓いて転んだ。前をよく見ていなかったせいだ。

 自分の子が派手な転び方をしてるのを見るとけっこうビビる。

 膝をすりむいたルディは、片足立ちで飛びはねて移動し、花壇の花の剪定をしていたゼニスの背中に飛びついた。

 

「あっ、ゼニスんとこ行ったー!」

「甘えんぼ! 赤ん坊!」

「こら! 〝ゼニスさん〟と言いなさい!」

 

 あんにゃろう。人の妻を呼び捨てにしやがって。

 と、大人気なくオレが腹を立てるのと同時に、溌剌としたゼニスの声が悪ガキどもに釘を刺す。

 

 ルディはまったく堪えていない様子でゼニスに甘えまつわりついている。

 ゼニスはしゃがんだ自分にルディを寄りかからせ、擦りむいた膝に手をかざした。

 ヒーリングの光がぼんやりと見えた。ルディはくにゃりと力を抜き、ゼニスに全身をあずけきっている。

 あいつももう7歳だ。重いわよ、とでも囁かれたのだろう。ルディはくすくす笑い、ますますゼニスにしがみついた。

 頬にキスをされるとふざけて嫌がるような素振りをみせる。

 

 オレは部屋に入ってきたリーリャにアイシャとノルンの子守りを任せ、庭に出ることにした。

 シンディが抱っこをねだってきたから、片腕に座らせるように抱いた。

 

 ヤーナムの腹に紐を結びつけてやっていたルディがこちらに気づき、駆け寄ってきた。

 笑顔で両手を伸べてくる。

 

「父様!」

 

 しゃがんで、ルディがしがみついてくるのを待って立ち上がる。

 ルディの友達が腕だの背中だのに登ってくるのを振り落とすと、ケラケラ笑いながらまた掴まってくる。

 すっかり玩具だ。オレはこいつらの父親ではないんだが……ま、いいか。

 

「ノルンとアイシャは?」

「まだ寝てるよ。今はリーリャが見てる」

 

 ゼニスと会話をしていると、ルディが伸びあがってオレの肩に膝をかけた。

 勝手に肩車をされた。変な鼻歌と共に髪をぐしゃぐしゃと撫でまわされる。

 威厳のある父親像がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。

 オレは自分の父親にこんなふうに接した事などあっただろうか。

 抱っこくらいなら幼い頃にされた記憶があるが、親しみはさほど憶えなかったように思う。

 

「っと。こら、ルディ」

 

 ルディの靴がシンディの顔に当たりそうになっていた。

 女の子の顔を蹴るのはいかんな。足首をつかみ、窘める。

 

「何ですか?」

「何ですか、じゃない。シンディを蹴りそうだったぞ」

「避ければいいじゃん」

 

「なあ?」とルディに念を押され、シンディはニコニコしながら「うん。平気よ」と頷いた。

 

 そうだ。これが違和感のひとつなのだ。

 シンディの扱いがぞんざいになった。

 仲は良いままだが心配になり、村人のジャンに相談したところ、兄妹ならそれが普通だ、と言われた。

 逆に、たった3歳差であれほど下の子に優しくしていた方が珍しいそうだ。

 そういうものなのか。年の離れた弟ならオレにもいるが、相性が悪く、関係も希薄だったせいで、普通の距離感というものがわからない。

 

「ルディ。父さんはシンディが産まれたとき、お前に何と言った? 妹に優しくできないなら、もう肩車はしてやれないぞ」

 

 オレはルディを叱るのが苦手だ。

 自慢じゃないが、オレは以前、5歳のルディに完膚無きまでに言い負かされている。

 口で勝てず、つい暴力に訴えてしまったのは、今でも反省点だ。

 ルディは頭が良いし、口がまわる。自分が悪いと認めているときは素直に謝れるのは良い事だが、自分に非があると認めてないときに上から何か言われるのは嫌いみたいだ。

 オレも、というか、誰だって嫌いなはずだ。

 ルディは良い方だ。自分が悪いと分かっていても謝れない人間なんていくらでもいるからな。

 

「えー……」

 

 口調からして不満そうだし、今回も何か言い返されるだろう。

 さあ来るぞ、と、オレは覚悟を決めた。

 

「やだ……ごめんなさい」

「お、おお?」

 

 肩透かしを食らった気分だ。

 オレの頭を抱えているルディがしょんぼりしているのが、声音からわかる。

 

「謝る相手がちがう」

 

 今、オレ、父親っぽいこと言えてるんじゃないか?

 肩車をしながらっていうのは、格好がつかないが。

 

「うん。シンディ、ごめん」

「いいよ」

 

 いやに素直だ。

 謝ったあとも、ルディはどことなく気まずそうにしている。

 

「父様、怒ってますか?」

 

 ああ、そうか。

 オレの顔色をうかがってる訳か。

 

 二つめの違和感。

 ルディがオレの機嫌を気にするようになった。

 

 今はこうでも、叱ってばかりの父親というイメージを持たれると、将来愛想を尽かされるだろう。

 オレは怒っていないことを伝えるため、シンディを下ろして、ルディを肩車したまま外を走り回ってやった。

 ルディはまるで普通の子供みたいな歓声をあげて喜んだ。

 我が子が喜んでいると幸せだ。家族が団欒しているのを見ると、オレは幸せ者だ、生きててよかった、と思う。

 

 しかし、何か、何かが釈然としないのだ。

 

 

「なあ……ルディの事なんだが、最近、変じゃないか?」

 

 子供たちが寝静まった夜、居間にいた大人もそろそろ寝室に引き上げるかという雰囲気のなかで、オレはそう切り出した。

 

「そうかしら。前より甘えたにはなったけれど、変ではないと思うわ」

 

 ゼニスはオレの疑問を否定した。

 オレは意見を求めてリーリャを見た。

 ゼニスの手前、妻と紹介するのは微妙な関係だが、リーリャが子供たちの保護者であることは間違いないのだ。

 

「以前の坊っちゃまは、大人びた聡明な印象の方でしたが、現在の坊っちゃまは子供らしく愛らしいと感じます」

「そう、それだ!」

 

 オレは膝を打った。

 それだ。子供っぽい奴が、急に大人になるのはわかる。

 しかし、その逆は起こりうるのか?

 

 その疑問を口にすると、リーリャとゼニスはこう答えた。

 

「ノルンお嬢様が産まれたのをきっかけに、ご自分も旦那様と奥様に甘えたくなったのでしょう。私にも、ときどき抱擁をねだりに来ます。

 坊っちゃまは元々非常に良い子でした。要望はできる限り叶えてさしあげたいです」

 

「昔、ミリスの学校で心理学の授業をとっていて、そこで聞いたのだけど、弟妹が産まれた子供は精神的に退行することがあるらしいわ。

 あなたも覚えてるでしょ? シンディは赤ちゃんのときは追視も首が座るのも遅くて、私も心配してシンディばかり見ていて……きっと、それが寂しかったのね。

 今まで甘えられなかったぶん、ルディにたくさん構ってあげなきゃ!」

 

 寂しかった。そうだろうか。

 ロキシーちゃんが家にいる間は彼女にベッタリだったが、そのせいだったのか?

 

「母様」

 

 戸をあけて、ルディが現れた。

 ルディの服の裾を、シンディが掴んでいた。

 2人とも、うつらうつらとしている。眠そうだ。

 ゼニスがすぐに近よって、子供たちに話しかけた。

 

「どうしたの、喉乾いた?」

「あたまが、あったかくて……」

「お兄ちゃんがいっしょに来てって言った、から……」

「ふふ、お兄ちゃんに付き合ってあげたの。優しい子ね。

 ルディはどうしたのかしら、お熱? 具合は悪くない?」

「わるくないですけど……」

 

 ゼニスがルディを抱きあげた。

 ルディはよく発熱するようになった。夜の間だけであることが多く、一晩寝れば治るからさほど深刻視はしていない。

 

「私たちは先に寝てるわ。おやすみなさい、あなた」

「ああ、おやすみ」

 

 ゼニスはルディの背中をさすりながら階段を上っていった。

 あの様子だと、ルディも夫婦の寝室で寝ることになるだろう。

 ゼニスにあまり構ってもらえないと察したのか、シンディはリーリャの所に行って手を伸ばした。

 オレの所に来ても良いんだがな。

 やはり母親と乳母には勝てない。

 

 居間にいるうちに目が冴えてしまったシンディを、昔オレが乳母から聞いたお伽話をして寝かしつけてやった。

 遅れて自分の寝室に行き、ベッドに潜り込む。

 ゼニスの手を胸に乗せて、我が子はすやすや眠っていた。

 

「はぁ……」

 

 ベッドの上に仰のき、ため息を吐いた。

 ルディがいるとゼニスと愛し合えないのだ。

 これが娘ならちっとも残念に思わないのに。

 

 三つめの違和感。

 ルディが子供っぽくなった。

 

 

 

 ある日、オレはカラヴァッジョに乗って帰宅していた。

 事件が起きてから、村長と話し合い、一日一回だった村の見廻りを、二回に増やすことにした。

 あれ以来、怪しい奴は来ないし、楽な仕事だ。

 行き遭う人と挨拶を交わしつつ、簡単に村を見てまわる。

 行商人がいれば、どこから来たのか・どのくらい村に滞在する予定なのかを雑談を混じえて聞き出し、喧嘩を目撃したら止める。

 今日は何事もなかった上に、山桃で作った果実酒の味をみてほしいと言われ、一杯ひっかけることができたから上機嫌だ。

 

  お日さま お日さま

  あっちばっか照らす

  こっちもちょっと照らしてくれ

  こっちの子が泣くぞ

 

 あどけない歌声が聞こえると思ったら、小川で遊んでいる子供たちを見つけた。

 棒や手で小魚を追いつめていたり、日差しで温まった岩に腹ばいになっていたり、楽しそうだ。そのなかにはルディもいた。

 

 さっきは女の子たちが大縄跳びをしているのを見たな。

 シンディはそちらにいた。兄妹といえど、外で遊ぶときは別行動が多いみたいだ。

 

「父さま! 待ってください!」

 

 ルディが手を振り、急いで服を着てこちらに来た。

 カラヴァッジョから降りると、ルディが飛びついてきた。

 

「僕も一緒に帰ります!」

「そうか。まだ遊んでてもいいんだぞ?」

「でも、シンディが外にいますし」

「ん? 何か関係あるのか、それ」

「僕とシンディで、日替わりでアイシャとノルンを見てるんです。昨日はシンディが家にいたから、今日は僕です」

 

 ははあ。

 どうやら、親の知らない所で、子守りの当番を決めていたらしい。

 ノルンとアイシャは可愛いが、面倒を見るのは楽じゃない。

 交代しながらでなきゃ兄貴と姉貴なんてやってられねえ、ということか。

 

「交代にしないと、シンディが妹ばかり構って、友達と遊ばなくなるんです」

 

 逆だった。シンディがノルンとアイシャを構いすぎるのが原因だったらしい。

 そういうことなら、とルディを鞍に乗せ、後ろに跨った。

 家に向かいながら、ルディに話しかけた。

 

「ロキシーちゃんから手紙来てただろ。返事は出さなくていいのか?」

「返信は結構です、って書いてありましたよ? 手紙が届く頃にはもう王宮にいないかもしれないから、って」

「でも、いるかもしれないだろ。ロキシーちゃん、ああ言ってても、お前から手紙が来たら喜ぶぞ」

「うーん……」

 

 ルディの返事は煮え切らない。

 

「シルフィが怒ります。女の子と仲良くしてると」

「なんだ、もうシルフィちゃんの尻に敷かれてるのか?」

「そんなことありませんー」

 

 恋だ愛だというには早いと思っていたが、嫉妬くらいはするか。

 シンディが「お兄ちゃんとシルフィが結婚の約束してた」と言っていた事を思い出した。

 ルディはオレの子だ。今は微笑ましいが、あと数年で色を覚えるはずだ。そうなれば、成人の15歳を迎える前にシルフィちゃんを妊娠させちまう可能性がある。

 今から注意しとくべきだろう。

 

「なあ、ルディ、お前ももう7歳だし……」

 

 まだ7歳か。

 ゼニスの妊娠が発覚して、縁故を辿ってフィリップに頭を下げて定住地と仕事をもらって、乳母の募集にリーリャが志願してくれて、初子のルディが生まれて、シンディが、ノルンが、アイシャが生まれて。

 四人も増えたんだな。賑やかになるはずだ。

 

 シンディも今年で5歳だ。

 ルディの5歳の誕生日は、オレもゼニスも張り切って真剣と本をプレゼントした。

 シンディには何が良いだろうか。

 女の子だし、剣は喜ばないだろう。そもそも使う機会がない。

 となると、魔術師の杖か? つっても、オレは剣士だからなあ、杖の善し悪しはよく分からねえ。

 

 そういえば。

 元々うちにあった魔術教本も、ゼニスがあげた植物辞典も、ルディが開いているところを、オレは最近見ただろうか。

 ルディの良いところは、己の才に増長せず努力を怠らない点だ。毎日体作りに取り組み、貪欲に魔術の腕を伸ばし、水聖級魔術師の自信を喪失させた。

 そのルディが、昔のオレのように、真面目に剣術の稽古を受けなくなってきたのは、いつからだ?

 

「父様?」

 

 ルディが振り返って不思議そうな顔をする。

 

「とつぜん黙ってどうしたんですか? 7歳だから、何ですか?」

「ルディ。お前……今まで頑張ってきたことは、もういいのか?」

 

 ルディは困ったように笑った。

 生まれてから今まで見てきた息子だ。それなのに、まるで別人を相手にしているような違和感がつきまとう。

 

「痛いのは嫌だし、勉強は楽しくない。

 魔術だって、これだけ使えたら十分だ。

 俺はもう、頑張るのをやめたんですよ、父様」

 

 確かにそうだろう。

 オレがルディで、同じくらいの年頃だったら、自分の魔術の才に満足して、さらに頑張ろうなんて思わなかったはずだ。

 そうして誰かに負けそうになって、慌てて鍛え始めるのだ。

 

 こんなにできるなら十分。

 そう考えるのが普通だ。

 けどな、ルディ、お前はそんなやつじゃなかっただろ。

 

「……」

 

 一つめの違和感、シンディの扱いがぞんざいになった。

 二つめの違和感、両親の顔色をうかがうようになった。

 三つめの違和感、ただの子供みたいに振る舞いだした。

 

 一と二は結局三つめに収束する。

 ようは、ルディは別人になろうとしているのだ。

 うまく言えないが、ルーデウスの根幹が喪失されようとしているのを、オレは見落としているんじゃないか?

 

 

 カラヴァッジョを馬小屋に戻した。

 鼻面を頬におしつけられて、うひゃあと声をあげるルディ。

 非凡な、天才だった我が子だ。

 

 理由はわからないが、ルディは平凡になろうとしている。

 オレはしゃがんでルディと目線を合わせた。

 

「誰かに、何か言われたのか。

 お前の年齢でそんなことができるのはおかしい、とか、調子に乗るな、とか……」

「言われたことないよ。みんな優しいです」

 

 ルディはちょっと面倒くさそうにその場を離れようとした。

 このくらいの年齢だったら、親の心配が鬱陶しく感じることもあるだろう。

 腕を掴んで止めると、驚いた顔をされた。

 

「誘拐されかけて以来、お前は変わった。一体どうしたんだ、あのとき何があった? 父さんに話してみろ」

「……人が死んだじゃないですか」

「ああ、でもお前たちは無事だった。ルディのおかげだ」

 

 ルディが広めた魔術のおかげで助かった。

 オレもゼニスもルディを褒めたし、周りからも感謝された。

 

 ひょっとして、死人が出たのを自分のせいだと責めているのか?

 だが、()()()野盗を殺しただけだろう? 何が問題なんだ。

 

「父様は、人を殺したことがありますか? 殺したとき、どう思いました?」

 

 昔は冒険者だったし、盗賊団の一つや二つ、壊滅させたことはある。

 殺したし、死んだ瞬間まで見届けたわけじゃないが、あのまま放置したら死ぬだろうなっつう大怪我もさせた。

 

 どう思ったか、か。

 オレは楽しんですらいた。策をめぐらせ、戦うのを。

 強者だった奴が、ただの〈物〉に変わる。まったく無力な物体に。

 力が快く漲る感覚があった。素晴らしい達成感を識った。

 迷宮を攻略したときと似通った達成感だ。

 

 オレはありのままを語った。

 魔物を倒した話、迷宮に潜った話を、ルディは興味深そうに聞く。

 だから、これも同じように聞いてくれると思った。

 

 オレの予想に反し、ルディの眸はどんどん暗くなっていった。

 

「もう、いいです。よくわかりました」

「なに言ってんだ、これから良いとこ……」

「どうして」

 

 食い気味に遮られ、言葉をとめる。茶化せる雰囲気ではなかった。

 

「どうして当たり前に殺せるんですか。窮地におちいったときに、殺すという選択肢を当然のようにとれるんですか」

「そりゃあ、誰も傷つけず殺さず、清廉潔白でいられるならそれに越したことはない。だが、やらなきゃこっちが殺される場合もある。そういうときは仕方ねえ」

「父様にとって、魔物を倒すことと、人を殺すのは、同義ですか」

 

 ルディが5歳になってすぐの頃、そろそろ息子に尊敬されたいと思い、駐在騎士の仕事である魔物の討伐を間近で見せたことがある。

 魔物はターミネートボアとアサルトドッグ。D級とE級で、オレの敵ではなかった。

 ルディは初めて見る魔物に圧倒され、それを倒したオレに尊敬の眼差しを向けてきた。

 しかし、今はどうだ。ルディはまるで、理解しがたいものを見るような眼をしている。

 

 魔物を倒すことと人を殺すことは同じか、と訊かれている。

 ハッキリ言おう。同じだ。違うのは耐久力とサイズくらいか。

 

「それが悪人ならな」

 

 オレの答え方ひとつでルディの今後が歪む可能性があると、いつもは考えないのにそう思ったのは、今のルディは危うく見えたからだろう。

 子供たちには善い人間に育ってほしい。逡巡の後、結局思うままに告げると、ルディの眼差しから険がスッと抜けた。

 

「父様は、たぶん正しい。シンディも、シルフィも、あいつらも身を守るために殺して、殺そうとした。それが〈普通〉なんだ」

 

 話は終わったとばかりに、ルディは黙り込んだ。

 それから、笑顔を浮かべた。翳のない無邪気な笑みだ。

 

「父様、僕ノルンのところに行きたいです」

 

 その顔に、声に、つられそうになる。

 近ごろ甘えたになったルディを、しょうがねえななんて言いながら靴の上に立たせて歩きでもして、妹をあやすルディをゼニスと大袈裟なほど褒めてやりたくなる。

 そっちのほうが、オレは父親らしくあれるのだろう。

 だが、それはルディの何かを見殺しする行為に加担している。

 

 いま対話を諦めてはダメだ、と、そう感じる。

 

「ルディ、父さんは、お前ほど賢くない。だから教えてくれないか。

 どうしたら、父さんはお前と同じものを見れる? お前の考えていることを知るには、どうしたらいい?」

「そんな事しなくていいよ」

 

 ルディは怯えていた。逃げようとしていた。

 後ずさろうとして、オレの視線を受けて、観念したように、居直った。

 そして、滔々と喋りだした。

 

「俺は、人を殺した。誰も責めなかった。

 俺にはわからない。何が普通で、何が普通じゃないのか。

 だったら、俺は俺を作り変えるしかないじゃないですか。

 無邪気で無知なふうになるのが一番無難だけど、疲れた。

 疲れるけど、そうしないと生きていけないから。ただのルーデウスにならなきゃいけない。

 周りに順応して、ただのルーデウスになるためには、俺が持ってきたものは邪魔なんだよ。

 クズみたいな転生者も、本気でやるっていう決意も、なかったことにするしかないんだよ。

 どうして。ああ、わかっています。みんなと一緒にいたら、辛くなる。父様は俺のようになりきれない。あそこで生まれ育たなければ、俺のようにはなれない」

 

 情けないことに、ルディの言っていることは、半分もわからなかった。

 テンセイシャという単語は初めて聞いたし、ルディの言う〈生まれ育った〉という言葉にも首をかしげざるをえない。

 ルディが生まれ育ったのはここ、フィットア領のブエナ村だ。

 オレが生まれ育ったのはミルボッツ領のノトス家。そこに大きな差はないように思う。

 貴族育ちの坊ちゃんが、と謗られているのでもないだろう。

 

 たった一つわかるのは、ルディが苦しんでいるという事だ。

 オレが関与できない、根深いところで、苦悩している。

 

「ルディ。ごめんな、お前、ずっとつらかったのか。

 自分で自分を殺さなきゃやってられないほど、苦しいんだな」

 

 オレにできるのは受容と共感だ。理解は、むずかしい。

 ルディを抱きしめた。筋肉も脂肪もまだ薄い、小さな体だ。

 首に濡れた感触があった。産声すらあげなかった我が子が泣いていた。

 

「助けて、父さん」

 

 すすり泣きに紛れたルディの声を聞いた。

 

「任せろ」

 

 思考より先に、言葉は出てきた。

 息子に助けを求められて、奮起しない奴はいない。

 ルディを抱きあげて、オレはどんと構えて言った。

 大丈夫だ、父さんがなんとかしてやる、と。

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