巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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ノルンとアイシャの年齢について
アニメ版に準拠し、ゼニスとリーリャの妊娠が発覚したのはルーデウス6歳の冬(413年の11/22以降)であるとします。
年表では413年生まれになってますが、上記の設定で考えるとノルンとアイシャが生まれたのは恐らく414年の秋頃になります。
妊娠が発覚したのが413年の1~2月であれば413年内に出産は可能ですが、その場合だとルーデウスとの年齢差が5年に縮んでしまいます。
よってこの二次創作ではノルンとアイシャは414年に生まれたという事にします。



十六 吉兆の錦雲

【甲龍歴417年】

 

 初夏である。

 グレイラット家の庭には、油絵具を重ねたように色とりどりの花が咲き誇る円形の花壇があった。

 二つ三つの幼子らが、花壇のへりに、作った泥団子を黙々と並べていた。その表情は真剣そのものである。子供の名をノルンとアイシャといった。

 少し離れた物干し場では、それぞれの産みの母親が竿にかけた毛皮の毛布を丹念に梳いている。

 冬の間は就寝時に必須な毛皮であるが、気温が上がれば不要になる。物置の長持にしまう前に、天日干しをして、ブラッシングで汚れを落としているのだった。

 

「ふう、暑いわね。夏がいっぺんに来たみたいだわ。昨日は涼しかったのに」

「気温が安定しませんね、作物への影響が心配です」

「そうね、子供たちのおかげで水不足の心配はないけど、冷夏はどうにも……あら、パウロ、さっき帰ってきたのに、もう出るの?」

「ああ、また森に魔物が出たらしい。サクッと倒してくるよ」

 

 ゼニスとリーリャのそばを馬具を抱えたパウロが横切り、通り過ぎざまにゼニスの腰をスルリと撫でた。

 子供の前でそういうことは、と咎めようとして、ゼニスは思い直す。活性化した魔物の討伐だの、添い寝をせがむ娘だので、ここ一週間ほど共寝をしていない。

 物足りなさを感じているのは自分とて同じなのだ。

 ゼニスはパウロに秋波をおくり、「いつもお疲れ様、早く帰ってきてね」と言い添えた。

 

「おう!」

 

 パウロは妻からの誘いに少年のように嬉しそうに応え、鞍をとりつけたカラヴァッジョに飛び乗った。

 

「おとーさん、いってらっしゃーい」

「いってらっしゃー」

 

 手をつないでパウロを見送る娘たちに手を振りかえし、庭を囲む石垣をたくみに馬を操ってドウと飛び越えた。

 

「もー……あの人ったら、すぐ調子に乗るんだから」

 

 心做しか弾んで去ってゆく背中が妙に愛おしく、ゼニスは嘆息まじりの笑みを浮かべた。

 子供が生まれる前なら、無邪気に彼の帰りを心待ちにしていればよかった。だが、もう今は違うのだ。

 

「あなたー! 夕方までに終わったら、ロールズさんの家に寄って、シンディを迎えに行ってあげてー!」

 

 わかってる、というふうに馬上のパウロが片手をあげた。

 ルーデウスを産んだばかりのゼニスであれば、こんなふうに慌てて声をかけて、一瞬でも生じた恋人時代の雰囲気を壊すことはせず、余韻に浸ることを選んだだろう。

 子供はあとで自分で迎えに行けばいいか、と思ったことだろう。

 遠方だが九歳の子がひとり、六歳の子がひとり、もうすぐ三歳になる幼子をふたりも抱えていて、しかも頻繁に村の子供が遊びに来る今では、ゼニスかリーリャの一人でも欠けたときの家の慌ただしさは身に染みて知っている。

 最愛の相手でも――いや、最愛の夫にだからこそ、子供のことや家のことで頼れることは頼らなければ、家は回らなくなるのだ。

 

「アイシャ。ノルンお嬢様と手を洗いなさい」

「はーい」

 

 リーリャの声にめんどくさそうな返事を返しながら、アイシャはノルンと一緒に、桶に溜めていた水に手を浸して擦りあわせ、手についた泥を落としはじめた。

 

「ノルンねえはなんさいですかー?」

「えっとねえ、ろく!」

「ちがうよ、お姉ちゃんのとしでしょ、それ」

 

 指を自信満々に五本つきだしたノルンに、アイシャはうふうふ嬉しそうに訂正した。アイシャはきょとんと首をかしげるノルンの手をとり、小指と薬指、中指を折りたたんだ。

 

「ノルンねえはねぇ、まだふたっつだからー……こう!」

「こう?」

「そーだよ。でも、あと何十回もねると、こう」

「さんさい!!」

 

 左手で右手の小指と薬指をおさえつけ、ノルンは溌剌と答えた。

 いいこいいこ、と陽をふくんで艶やかに光る髪をまだちょっと濡れた手でアイシャが撫でる。この場にはいない上の姉の真似をしているのだ。

 

「おねーちゃんどこなの?」

「シルフィねえのお家にいるよ。シルフィねえが十歳になったからね、お祝いにケーキとどけにいったんだよ」

「のんも行きたかった」

「あたしとあそぶのイヤ?」

「ううん。あーしゃカワイイからすち」

「じゃあお姉ちゃんかえってくるまで、あたしとあそぼ」

「うん!」

 

 同日に生まれたアイシャに比べると、ノルンはまだ舌をうまく使えない。

 ゆえに自分のことは「のん」、妹のアイシャは「あーしゃ」といった具合であったが、そのうち自然と喋るようになるだろうとゼニスはのんびり構えていた。

 言葉は遅いが、その代わり、ノルンは姉のシンシアより寝返りも歩くのも早かったのだ。育ち方は人それぞれであると承知していた。

 

「あーしゃ、にじゅうななは?」

「えっ? 27? えーっとね」

「おとーさんにじゅうななさい」

 

 アイシャは考え、地べたに座ると靴と靴下を脱いで、足の指の上に両手を揃えて広げた。七本足りない。

 

「ノルンねえ、片手はパーで、もうかたっぽははさみにしてよ」

「あいっ」

「はい! これで、27!」

「きゃはーっ」

 

 嬉しそうに笑うノルンを見て、アイシャは裸足のままゼニスの前にかけよった。

 

「ねえゼニスお母さん、ノルンねえがさ、いろいろ、いろいろあたしに聞いてくるからさ、あたし大変なんだよー」

「ええ、ちゃんと見てたわよ、アイシャは良い子ね」

「えへぅ」

 

 抱きしめられ、頬ずりをされながらアイシャはちらちらリーリャの方を見る。

 リーリャに同じことを言えば、褒めるどころか、自分のした事をひけらかすんじゃありません、と叱りを受けるだろう。使用人は影ながら主人やその家族を助ける存在であるべきだからだ。

 いかに娘には小言の多いリーリャでも、ゼニスのすることには口を出さない。それを知っているアイシャは勝ち誇った顔でリーリャを見上げ、リーリャは頭の回る娘にやや渋い顔をして眉間を押さえた。

 

「おかーさん、チーでる」

「はいはい、言えて偉いわね、もうちょっと我慢してね」

 

 ゼニスはいそいそとノルンを厠に連れて行き、農村では一般的な土かけ便所に座らせた。

 ごきげんなノルンが歌いながら用を済ませるのを待ち、拭いて綺麗にしてやってから、アイシャと遊ばせるために庭に連れて行く。

 

「おかーさん、おかーさん、みて」

「んー?」

 

 ノルンが指さしたほうに視線を移す。

 家の白い漆喰壁に、桶の水の水面が反射して映っていた。

 光るうろこのように揺らめく影を見て、ノルンは楽しそうに体を揺らした。

 

「綺麗ね。あれは、水影っていうのよ、ノルン」

「みじかげねえ、川だよ」

「川? 昨日、お姉ちゃんと遊んだときにも見たの?」

「うん」

「そう。よく気がつくわね」

 

 ノルンの綺麗な金髪を撫でながら、ゼニスは思う。

 生家で暮らした日々に、学校の友人に、冒険者の仲間、恋人の時間。過ぎ去り、戻らないものはたくさんある。

 恋の初々しい駆け引きも、二人きりの甘い時間も、子供が産まれた今では体験することはないだろう。

 少女だったときは、パウロと、それから私がいれば他にいらない、とまで思っていた。でも、子供たちがいない人生はいまや考えられない。

 我が子たちを見ていると、愛情が春の陽のようにふくらんでくる。

 その現象が、ゼニスは不思議だった。

 

 自分とは関わりのない、何かほかの力が働いているように思えてならないのだ。不思議な力だ。

 人はそれを母性と言うのだろう。

 我が子は驚異であり、歓喜であり、そして寂寥である。

 それら全てを抱きしめて、ゼニスは思うのだ。

 私は幸せだ、と。

 

 

 


 

 

 

「十歳の誕生日おめでとうー!」

「え!? シルフィ、めっちゃかわいい!」

「うわぁ、真っ白、天使みたい!」

「ありがとう、えへへ……」

 

 シルフィが十歳になった。

 友達とシルフィの家まで祝いに行くと、白い絹のワンピースを着たシルフィと、シルフィのお母さんが迎えてくれた。

 裾が襞になっている可愛らしいワンピースである。

 髪は手先の器用なハンナちゃんとソーニャちゃんが一足先に来て、三つ編みをお団子に編み込んだらしい。

 流行りの髪型といえば桃割れくらいしか知らなかった私だが、衣服や顔立ちが異なるからか、シルフィには桃割れよりこちらのほうが似合っていると思った。

 まるで異国のお姫さんみたいだ。

 

 あのときは五歳だった子が、もう十歳。

 なんだかとても感慨深い。

 

「初めて会ったときはこんなに小さかったのにね……」

 

 しみじみしながら手で昔のシルフィの身長を示す。

 ……あら? 今の私とちょっとしか違わなくない?

 

「シンディは初対面は二歳だったじゃん」

「憶えてないでしょー」

 

 セスちゃんとメリーちゃんに笑われた。

 

「憶えてるよ!」

 

 忘れもしないあの日。

 物見櫓からの景色を見て待っているとシルフィがきて、エマちゃんと手をつないでどんぐり拾いにいって、隠れんぼして、えーっと、家の前でリーリャが待っててくれて……?

 とにかく、気がついたらシルフィは一緒に遊ぶ仲間に加わっていたのだ。

 

「うちの母からです。パウンドケーキです。おいしいよ」

「まあ。悪いわ」

 

 シルフィのお母さんは申し訳なさそうにしていたけれど、籠を娘が熱心に見ていることに気がつくと、「みんなで食べましょう」と、にこっと笑って手提げ籠を受けとった。

 

「ロールズさんはいないの?」

「うん、魔物がまた出て、その討伐に」

「ふーん。あ、私これがいいな。チェリーいっぱい入ってそう」

 

 そう言うセスちゃんに、ソーニャちゃんが苦笑しつつ「ここはシルフィに一番に選ばせてあげよう?」とやんわり言った。

 昔は気弱だった彼女だが、最近は人を窘めることに物怖じしない。

 下にワーシカという弟がいて、さらに妹のミーシャも産まれたからだろう。

 

「シルフィ、中の干果食べていいよ」

「生地の部分ほんと好きだよねー、せっかく美味しいのに」

 

 と、メリーちゃんに言われた。

 別に嫌いじゃないけれど、砂糖漬けの果物は甘すぎて口の中がビックリするのだ。

 米の甘みさえ貴重だった生前と比べると、なんと贅沢な悩みだろう。

 

「お姫様! ドレスが食べこぼしで汚れては大変ですわ! ここはわたくしどもにお任せください!」

「姫様には食べかす一つ付けさせませんわ!」

「ふふん、良きにはからえ……って、そう言ってボクの分とる気でしょ」

 

 芝居を始めたセスちゃんとハンナちゃんにシルフィが突っ込んだ。ハンナちゃんはペロッと舌を出し「バレちゃった」とクスクス笑う。

 

「もー! ちゃんと自分で食べるよー!」

 

 切り分けられたケーキを食べ終え、私たちは外にくり出した。

 おめかしをしたシルフィを色んな人に見せびらかすためだ。

 

 

「レーンさん、こんにちは。ヒューも」

 

 最初に行きあったのは、養子のヒューを連れた若い女性だ。

 レーンさんである。母様ほど美人ではないが、愛嬌のある顔立ちで私は好き。

 

「こんにちは。みんな、家の仕事はいいの?」

「いいの。シルフィが十歳になったんだから」

「ぜーんぶ終わらせてきたよ」

「こんちゃ!」

「はーい、ヒュー、挨拶できてえらいね」

 

 頬に煤をつけたヒューがにこにこしながら近づいてきたので、頭を撫でて褒めてあげた。

 そしてさりげなくヒューをシルフィから遠ざける。シルフィの新しい服に煤を付けられたら可哀想だもの。

 

「もう十歳? 大きくなったもんだねえ。それじゃ、プレゼントは焼きたてのゼンメルでいいかな」

「あ、ありがとうございます」

 

 香ばしい匂いだ。村共用の大型竈に寄った帰りだろうか。

 レーンさんは、籠に入ったパンをいくつか包んでくれ、シルフィはちょっと戸惑いながら受けとった。

 

「じゃあね、レーンさん、ヒュー」

「ばいばーい」

 

 二人と別れようとすると、ヒューは私の手を握ったままその場にすばやくしゃがみこんだ。

 

「ヒューはバイバイしないからね。シンディがいい!」

「こら、ワガママ言わないの!」

「いいよいいよ、ヒュー、私と一緒に行こうか」

 

 レーンさんにあとで家まで送り届けることを約束すると、己の要望が通ったことを察したのか、ヒューは笑顔になってすっくと立ち上がった。現金な子である。

 水魔術で頬の煤を洗い流してやり、ヒューと手をつなぐ。

 次に向かうのは、イッシュさんとエーヴさんの家である。

 彼らは子供の五歳と十歳のお祝いに、羊の乳や、乳で作ったチーズを分けてくれるからだ。

 

「おめでとう、シルフィ。その服似合ってるわよ」

「ありがとうございます」

 

 服を褒められて嬉しそうなシルフィが白い服の裾をつまんでひらりとお辞儀をした。

 品のある所作だった。リーリャに礼儀作法の手習いを受けているからだろう。

 

「ささやかだけど、お祝いね。籠も一緒にあげるわ」

 

 エーヴさんは、手提げの籠に、壜に詰めたバターやチーズを入れて、シルフィに持たせた。セスちゃんがそこに先程もらったパンを入れる。

 私はエーヴさんの背中から家の奥に視線を移し、たまらず訊ねた。

 

「エーヴさん、アリィは? 寝てるの?」

 

 アリィは愛称で、本名はアリアだ。

 去年の夏に生まれた、イッシュさんとエーヴさんの娘で、ヨッヘンくんの姪である。まだ一歳にもなっていない赤ちゃんだ。

 

「いつもアリィを可愛がってくれてありがとね、シンディ。いまは外でヨッヘンが見ててくれてるわ」

 

 子供も十歳になればもう立派な働き手である。

 この村では、十歳を機に、子供に家業を本格的に手伝わせたり、奉公に出したりするみたいだ。

 そんな訳で、ヨッヘンくんは、牧草地に羊の群れを移動させる兄達の手伝いをよくしている。

 群れからはぐれそうになった羊を長い杖の先をひっかけて転ばせる仕事だ。今日はアリィを背負ったまま行ったらしい。

 アリィがお腹を空かせたら羊の乳をあげればいいから、母親のエーヴさんから遠く離れても問題ない。

 戻ってくるのは夕暮れだろう。今日は会えなさそうだ。

 

「シルフィ、次はエトさんの所に挨拶しに行こ!」

「えっ!」

「いいねー、ソマルのやつもビックリするよ。シルフィかわいいもん」

「でも、最近はブスって言われるよ?」

「ソマルに? ちゃんと何かいい返してる?」

「デブに言われたくないって返したけど……」

 

「ぶす!」と、笑ってシルフィの発言を繰り返すヒューに、「それは使っちゃいけない言葉よ」と教える。

 面と向かって女の容姿を評するとき、使っていいのは褒め言葉だけだ、と父様も言っていた。それすらできない奴はロクデナシだ、とも。

 

「シンディ、ぶす!」

「あっ! 言ったわね! また言ったらキライになるわよ」

「ひひっ」

 

 小川沿いを歩いて移動する途中でレミくんに会った。

 午後の農作業を免除される代わりに、ソマルくんの祖父の家までお使いを頼まれたそうだ。

 歩き疲れてグズりかけていたヒューを背負ってくれないか頼んでみたら、快く引き受けてくれた。

 

「優しいじゃん」とハンナちゃんが言うと、「そういうんじゃないけど」とレミくんは返した。

 

「僕、こいつの、多分……母ちゃん? を、殺しちゃったから。なんかムシするのも悪い気がする」

「罪滅ぼしってやつ?」

「そこまで重くない」

 

「あの時は大変だったねー」と、メリーちゃんが過去を思い出しながら言う。彼女も二年前に誘拐されかけた一人だ。

 

「でもボク、不謹慎だけど、ちょっとワクワクしたなあ。非日常って感じで」

「ね! ごっこじゃなくて、ほんとに悪い人やっつけたもんね」

「私なんて焦ってた記憶しかないよ。ルディもシンディも、ノルンちゃんを私に預けたまま帰ってこなくてさ」

「わたし、怖くてずっと泣いてた……。でも、ヨッヘンが馬車から出してくれてね――」

 

 シルフィ、セスちゃん、ハンナちゃん、ソーニャちゃんの順で口々に喋りだした。

 すぐ思い出せるということは、それだけ当時の事が印象に残っているのだろう。

 

「シンディは?」

 

 問われ、改めて思い出す。

 もし、嫌いになったら……。あのとき兄が言いかけていた言葉の続きを、私はもう、察することができる。

 もし、嫌いになったら、俺もああいう風に死ぬのか。

 と、そう問いたかったのだろう。兄にとって私は脅威となり得るのだ。

 思いもよらぬ発想だった。私が彼を害することはありえない。

 

「……また同じことにならないようにしなきゃ、って、決心した!」

「そうだねー、もう人攫いにはあいたくないよねー」

 

 メリーちゃんに背中をポムポム叩かれる。

 なんだか違う伝わり方をした感じだけど、まあいいか。

 

「暑いなあ」

 

 シルフィが手で目の上にひさしを作り、上を見ながらぼやいた。真上に昇った太陽に照りつけられ、道は白っぽく乾いている。

 誰からともなく、足をとめた。

 遠くの山々に、不思議なものを見つけた。

 

「ねえ、あれって雲?」

「うん、……たぶん」

 

 それはたしかに雲だった。

 しかしその彩りが変わっていたのだ。

 

 (すもも)色に、青緑色、薄紫色、瓶覗(かめのぞき)色、山吹色、それらが高じて、ところどころに朱金色がキラキラしている。

 神々しい光景だった。まるで天女の羽衣が空にはためいているようなのだ。

 そんなふうにあざやかに彩られた雲が、遠くの山々にたなびいている。

 

 (にしき)雲だ。生前も含め、ここまで大規模なものは初めてだった。

 

「……」

 

 美しい、珍しい、を通り越して、それは不安な光景だった。

 産まれ、初めて外に出たときから、自然は私たちの隣にあり、そして格好の遊び場であった。だから自然になずんでいる、と無意識に思い上がっていたのだ。

 自然界への畏怖の念を、このとき私たちは感じていた。

 

 私たちは静まり返り、錦雲が薄くなってやがて空に熔け消えるまで、半ばぼう然と遠くの山稜を眺めていた。

 

 不思議な体験だった。

 

 

 

 

 

 『シンシアの日記』

  シルフィが十才になったから、みんなでお祝いした。

  おめかしをしたシルフィはいつもよりかわいかった。

  エトさんの家にいくとちゅうで、錦雲をみた。きれいだけどなんだか恐ろしかった。

 

 

「ねーねっ、ねーねっ!」

「ちょっと待って、待ってよう!」

 

 左右から妹二人に邪魔され、日記を書くのもそこそこに、やや古びた装幀をパタンと閉じた。

 あっ、インクが乾いてなかったかもしれない。

 慌てて開く。裏汚れは無し。きちんと乾いていたようだ。

 

 アイシャへ。「ちょっと待って」はお姉ちゃんの台詞だと思います。かしこ。

 

「ジャマしないでよーっ!」

「きゃああ! わああ!」

「まものー! まものが出たー!」

 

 私は寝そべって書いていた日記帳を枕元に放り、ノルンとアイシャにおおいかぶさった。

 体を拭かれ、寝巻きに着替えた妹たちは、私の下でじたばた暴れた。

 両親の広いベッドの上だからのびのびと転がれる。

 

 布団の上でじゃれあっていると、階段をのぼる音が聞こえてきた。母様とリーリャだ。私は寝たふりをするように妹たちに指示した。

 

「まだ遊んでる子はだーれだ?」

「ぐーぐー」

「ちゃんと寝てまーす、むにゃむにゃ」

「のんも寝てるよー」

 

 目蓋を閉じた暗闇の中で、二人が寝台に近づいてくるのが足音でわかった。口元がかってににやけてしまう。

 腋の下をくすぐられて目を開けると、同じようににやにやしている母様と目が合った。

 

「起きてたわね! 先に寝ててねって言ったでしょ! このこの」

「だってぇ! んふふ、くすぐった、へへ」

 

 母様は笑顔でベッドに潜り込んできた。

 腕がノルンの上に乗り、パチッとノルンも目を開けた。

 母様とは逆の方向からリーリャがベッドに乗った。

 リーリャ、アイシャ、私、ノルン、母様、の順で寝そべっている状態だ。

 

「お父さん、今日も帰ってこれなかったね」

「寂しい?」

「ちょっとだけ」

「お母さんも寂しいわ、ちょっとだけね。でも、あなたたちを守るためだもの。仕方ないわ」

 

 母様は、薄手の掛布団を私とノルンの胸元まで引き上げ、上からぽんぽん撫でた。「消しますね」とリーリャが言い、蠟燭の火が消され、完全な暗闇になる。

 

「……誰かあたしのおしりさわった?」

「静かになさい、アイシャ。誰でも良いでしょ」

「え? これアイシャのおしり? お姉ちゃん触っちゃった、ごめんね」

「そこポンポンだよ」

「ここは? これだれ?」

「このおててはノルンかしら? そこはお母さんの首よ」

「お母さん、ぎゅーっしてあげる」

「あ、く、首は、ぎゅーっとしちゃダメ」

 

 すぐに寝入れるはずもない。

 ところが母様が「誰がいちばん長く口を閉じていられるかゲーム」という勝負事を提案したので、私たちはお喋りを辞めざるを得なかった。

 

「おかあさん……」

「ノルン? どうしたの」

 

 それからすぐ、涙に濡れたノルンの声が聞こえた。

 次に布擦れの音。泣いているノルンを母様が抱きしめたのだろう。

 

「まもの、お家にこないよね?」

「大丈夫よ、お父さんがやっつけてくれてるからね」

「こわいよう」

 

 さっき、アイシャがふざけて「魔物が出た」と言っていた。

 ノルンはその光景を想像して怖くなってしまったらしい。

 

「ノルンねえ、エンエンしてるの? だいじょぶ?」

「……明かりをつけ直しましょうか?」

 

 リーリャが上体を起こした気配がして、アイシャも心配そうに声をかけた。

 私も考えていた。ノルンが不安なく眠れる方法はないものか。

 

「ノルン、おまじないしてあげようか」

「……?」

 

 思い出したのは、生前の記憶。

 五体満足だった子供の頃、よその村から呼ばれたシソ送りの祈祷師がやっていた唱えごとだ。

 二夜三日かけて行なう儀式だから、唱えごとも膨大で、姉と見物しに行っただけの私が憶えているのはその断片だ。

 

 私はノルンの肩を母様みたいに撫で、それを唱えた。

 

『思ふことけふより(しづ)まる呪詛神(しそじん)(たた)りなしとて(まつ)(しづ)まる』

 

 くすっ、と背中側でアイシャが笑う。

 唱えごとは日本語である。彼女には私の言ったことは、わけのわからない、めちゃめちゃな言語に聞こえているのだろう。

 

「今のは、魔物を自分のおうちに帰らせるおまじない」

 

 シソ送りは、呪詛が生まれた本地に帰れと唱えるという事だから、魔物をはらい退けるという事と意味はおなじだろう。

 

「まもの、おうちに帰ったの?」

「うん、お姉ちゃんが帰らせたよ」

 

 ノルンはちょっと安心したようだ。母様にくっついたノルンが寝息をたて始める。

 私もホッとして、眠くなってきた。口から出まかせだが、効果はあった。

 

 

 ブエナ村だけではなく、フィットア領のほぼ全土の森で、魔物の異常発生が起きていると聞いた。

 父様が苦戦するような魔物はまだ現れたことがないらしい。

 怪我をして帰ってきたこともないし、「楽勝だ」と本人も言っていたから、父様のことはあまり心配していない。

 

 ただ、このまま森の魔物が人里に降りてくるのが続くようなら、駐在騎士の父様は、ブエナ村を片時も離れることができない。

 父様の代わりになる人も今のところいない。

 

「ルディの誕生日に会いに行ってやれないかも」と暗い顔で両親が話し合っているのを、先日の夜に見かけた。

 今年の小雪*1、兄は十歳になる。

 兄が下宿しているボレアス家で祝ってくれるそうで、私たち家族も招待されている。

 ボレアス家のお嬢様の厚意で、兄への贈り物も用意しているらしい。

 まだ半年近く先のことなのに、ずいぶん用意周到だ。

 

 

 私も、なにか、お兄ちゃんにあげたいな。……。

 ねむい……。

 

 

「おやすみ、シンディ」

 

 

 母様の声を聞きながら、私は眠りに落ちた。

 

 

 


 

 

 

『シンディへ。

 手紙は読んだ。シルフィが十歳になったんだな。おめでとうって伝えておいてくれ。

 

 俺は、最近は土魔術でフィギュアを作るのにこっている。フィギュアっていうのは、人型をかたどった精巧な人形のことだ。

 自分で言うのもなんだが、市場に出すと高値で売れるし、けっこう完成度は高いと思う。

 やっぱり、人体の構造をある程度知っていると、良い物が作れる。

 

 喜んでくれるかわからないけど、いま俺は、シルフィを作ってる。

 15センチくらいの小さなフィギュアだ。完成したらそっちに送りたい。

 

 さて、お前も、もう今年で七歳だ。秘密もできるし、約束事もきちんと守れる年頃だろう。

 だからこの先に書くことは、父様と母様 父さんと母さんには内緒にしてほしい。

 何なら、読み終わったら燃やしてくれ。

 

 今まで、心配をかけまいと暗いことは書かないようにしてきた。ロアでの生活が楽しくて仕方ないように書いていた。

 でも、実をいうと、ボレアス家のメイドとはそんなに仲良くなかったんだ。少しだけど、いじめられてもいた。

 ボレアス家のメイドは獣族ばかりで、嗅覚が優れている者が多い。

 実験の過程で体にうつる匂いが、鼻のきく彼女たちには不快だったみたいだ。ギレーヌは慣れているようで、何も言わなかったけど。

 

 俺と彼女たちの関係は、徐々に改善しつつある。

 きっかけは、ボレアス家お抱えの御者の疾患を治したことだ。

 といっても、もちろん治したのは俺じゃない。治療にあたったのはバートン先生だ。

 馬車の御者は膝窩動脈瘤(しっかどうみゃくりゅう)という病気になりやすい。原因は、おそらく膝まで覆う形状の乗馬靴だ。硬い乗馬靴が膝窩動脈に当たって動脈を損傷して動脈瘤を生じさせる。これが膨れ上がると患者は激しい痛みを訴え、歩行は困難になり、やがて破裂して死に至る。

 治癒魔術では完治は望めない外傷のひとつだ。

 根本的な治療法は、足を切断するか、動脈瘤の傍の血管を縛り、動脈瘤を切除するしかないと思われていた。

 

 バートン先生はそのどれとも違う手段をとった。

 膝窩動脈瘤となって弱く脆くなっている血管よりも、もっと中枢側に位置する健常な血管を縛った。

 正常な血管を縛ると、一時的には血流は悪くなる。しかし血管の周りに側副血行路ができて、血流は元通りになる。そうして膝窩動脈瘤が小さくなることを、バートン先生は確信していたわけだ。

 手術は執事のアルフォンス立ち会いのもと行われた。

 俺をふくめて弟子は見学か手術の補助だ。

 

 二回も言うが、患者は領主のお抱え御者だ。

 手術の予後が悪く、死なれでもしたら、バートン先生の立場どころか病院の経営が立ち行かなくなることも、十分ありえる。

 御者が回復し、歩けるようになるまで、俺たちの心境は穏やかではなかった。

 ウィリアムはそれまでほとんど見向きもしなかったミリス様に祈り、ベンは牢獄にぶち込まれる自分を想像して震え上がった。

 住み込みの弟子であるエドガーは、バートン先生の屋敷に脱出用の隠し経路を作ることを考案し、フロリアンに時間が足りないと却下された。ナイジェルは片時もメスと自決用のモルヒネを手放さないようになった。

 俺は自分の荷物をこっそりまとめた。ダメだったときに、一目散にブエナ村に逃げ帰るためだ。

 

 弱音を吐かせてほしい。あの期間は、本当に生きた心地がしなかった。

 自室の前を横切る足音が響くたびに身構え、サウロス様の怒鳴る声が聞こえるたびに、それがバートン先生に関連した事であるか確かめようと息を殺して耳をそばだてた。

 

 幸いなことに、患者はみるみる回復した。痛みを感じなくなり、歩けるようになったんだ。

 サウロス様はバートン先生に感謝し、病院に投じる資金を増やすことを約束した。そのうち王立協会に推薦したいとも仰っていた。

 

 そうして、メイドたちの俺を見る目も変わった……んだと思う。

 機械的に部屋の掃除をし、服を用意してくれていたのが、世間話を投げかけても返してくれるようになった。

 はじめて二言以上の会話が成立したときは感動したよ。

 

 それから、父さんと母さんへの手紙にも書いたけど、小動物の剥製なら手際よく作れるようになった。バートン先生の標本制作の手伝いも、少しずつ、任されるようになった。

 俺も少しは認められたみたいだ。あと数年もすれば、正式に医学校に入学できる年齢になる。楽しみだ。

 入学前に、一年ほどそっちで過ごせたらな、と思う。

 ルーデウスより。

 

 追伸。

 誕生日プレゼントは何でも嬉しいよ。』

 

 

「むずかしい」

 

 手紙を読み終え、私はつぶやいた。

 たぶん分かりやすいように解説してくれてるんだけど、病気の下りはさっぱりだ。

 それに、前に送った手紙で、誕生日にほしい物の希望を訊いてみたけど、「何でも嬉しい」と言われてしまった。

 こういうのが一番悩むのだ。

 

 膝に乗せた雪白を撫でながら、右手に持った手紙を魔術で燃やす。

 地面に落ちた手紙は、踊るようにうねりながら黒く燃えていく。

 

 やや離れた場所で、イヴとワーシカと一緒になって飛び石の上を飛び移り遊んでいたアイシャが、「おねえちゃーん」と手をふりふり振ってきた。振り返した。

 ノルンはハンナちゃんと布切れで作ったボールで遊んでもらっている。

 

 

 火……。

 暖炉、焚火、囲炉裏……。竈、石窯……。

 

「料理!」

「みゃーん」

 

 火といえば、料理。

 料理は火加減!

 

 こうしちゃいられない、と私は庭のベンチから立ち上がり、家の中に急いだ。雪白もトトっと軽やかに後ろをついてくる。

 

「リーリャさん、お母さん、パウンドケーキの作り方、教えてください!」

 

 頼った先は、厨房で夕飯の支度をしていたリーリャと母様だ。

 突然の申し出に、二人はきょとんと顔を見合せたのだった。

 

 

 


 

 

 

「じゃあね、ワーシカ。帰ったらミーシャに優しくしてあげてね。妹にいじわるしないで、ソーニャお姉ちゃんみたいに優しくするのよ、わかった?

 イヴは、ちゃんとエリックと二人でお家に帰ってね。森には行かないこと」

「わかってるし! またね!」

「シンディねえ、バイバーイ」

 

 夏もそろそろ終わろうかという頃。

 一緒に遊ぶ面々もすっかり変わった。昔はいちばんお豆だった私が、いまや最年長だ。

 あと三年も経てば、ワーシカとイヴが村の幼い子たちの中心になっていくのだろう。

 

 帰り道、「おうた歌って」とお願いしてきたノルンのために、「お月さん幾つ」を歌うことにした。

 

  お月さん幾つ 十三 九つ

  まだ年ァ若いね あの子を生んで

  この子を生んで 誰に抱かしょ

 

 前世知っていた歌をこっちの言葉に直して、音程も無理やりあわせた。母様やリーリャ、父様から教わった数え歌に子守唄、村の人に教えられた刈り入れの歌もたくさん知っているけれど、昔の歌も、ときどき歌って思い出してみたくなるのだ。

 ノルンとアイシャは私の真似をして「お月さんいくつ」と口ずさむ。とてもかわいい。

 

 家に着くと、父様が私を抱きあげた。

 

「二人の面倒みてたのか、偉いな」

「お姉ちゃんだもの」

 

 でも抱っこはされたい。

 すかさず父様にしがみつくと、「やぁああ! ばめー!」「お姉ちゃん! お姉ちゃんをかえしてください!」と下から妹たちの騒ぐ声が聞こえた。

 

 最近我が家ではやっている遊びだ。

 誰かが父様に抱っこされると、他の二人でとりかこみ、父様を人さらいに見立てて抗議する、という父様が不憫な遊びである。

 

 父様は苦笑し、私を抱っこしたまま移動し、書斎に入った。

 ノルンとアイシャは追いかけてこない。「お皿運んでくれる人ー?」という母様の問いに、揃って「あーい!」と返したからだ。

 

「さて、シンディ。父さんはお前に訊きたいことがある」

「?」

 

 叱られる……の、とは、ちょっと違うのかな。

 私は父様の膝に座っている。

 叱られるときは、私だけが椅子に座って、父様が床に膝をついて、目を見て、何がいけなかったのか静かに教えてくれる。

 だから、違うと思う。

 

「村の奴から、魔物避けのまじないについて聞いた。そいつは、自分の子供から聞いたそうだ。そうやって辿っていくと、発端は、シンディ、お前だとわかった」

「私?」

「ああ。お前も知っていると思うが、父さんたちは急に増えた魔物の退治に追われている。だが、ロールズがなぜか魔物が絶対に出現しないポイントがある事に気づいた。

 憶えているか? そこは、ちょうど、お前たちが秘密基地を作ってた場所だったんだ」

 

 懐かしい。

 苦労して木の上に建てた家は、一年も経たないうちに、狩りのために森に入ったロールズさんに存在がバレたのだ。

 私たちは当然ながらとても怒られ、家も撤去された。

 あのときは、ソマルくんが悔し泣いてたなあ……。

 

「お呪い、まだ効いてるんだね」

 

 嬉しくてそう言うと、父様は「そうだな」と笑顔になった。

 

「他に、知ってる魔物避けのまじないはあるか?」

 

「あるよ」と、私は頷き、父様に私の知っている呪いをいくつか教えた。父様はときどき相槌を打ちながら聞いていた。

 

「なあ、そのまじないのやり方は、誰から聞いたんだ?

 誰にも言わないから、父さんにだけ内緒で教えてくれないか?」

 

 私は困ってしまった。

 方法自体は、生前から、つまりチサだったときから知っている。

 けど、そのチサは、誰にそれを教わったのか。憶えていない。

 誰に教えられるでもなく、なんとなく、呪う方法を知っていた。そうとしか言いようがないのだ。

 

「誰にも教わってないけど、生まれたときから、知ってたの」

「そうか……」

 

 父様はしばし、天井を仰いで考え込んでいるようだった。

 眉をしかめ、中指で右眉を掻いた。悪いことはしていないはずだけど、私はだんだん自信がなくなって、まるで叱られている時のように、次に言い渡される言葉を待った。

 

「蟲を壜に閉じ込めるのも、犬の首を埋めるのも、それは下手をしたら悪霊が生まれかねない、やっちゃいけない事なんだよ。

 ひょっとすると、父さんも母さんも知らない上手い使い方があって、お前はそれを知っているのかもしれない。きっと、周りを危険にさらさない確証もあってのことだろう。

 でもお前はまだ子供だ。オレからしたら、考え方や行動が至らない時もある。だから、お前が間違ってないと思っていても、オレが危険だと判断したことは、やめさせなきゃならん」

「……」

「シンディが友達のためを思ってしたことなのは、わかる。だが、もう同じことはするな」

「はい……」

 

 そっか。やっちゃいけないことだったんだ。

 反射的に涙が溢れそうになり、とっさに父様の胸に顔を押しつけた。

 私はもうお姉ちゃんなのだ。諭されて泣いている、と思われたくなかった。

 

「ハハ、泣くなよ。父さん怒ってないぞ?」

「……泣いてないもん」

「はいはい」

 

 父様の手が背中をさする。バレていたようだ。

 私は気持ちが落ち着くまで父様の胸に顔をうずめた。

 

「お父さんは、お兄ちゃんに会いに行くの、むずかしい?」

「ん。そうだなー……会いたい気持ちは、山々だがな」

「そうなの……」

 

 魔物避けの呪いはダメだとさっき言われたばかりだ。

 人里に降りてこようとする魔物を食い止めるには、父様や村の男衆が戦うしかない。

 

「まあ、その分、お前たちが祝ってやってくれ」

 

 そう言って、父様は私の頭を撫でた。

 肩を押されて、食堂に移動する。

 

「あー! お姉ちゃんお姉ちゃんどうしたの!? 泣いたんでしょ!」

「おとうさん! ()めんなさいは!?」

「オレが悪者!?」

 

 父様に群がり、猛烈に抗議する妹たちを見て、くすっと笑う。

 父様が呪いに難色を示した理由もわかる。この子たちに悪いものを寄りつかせてはいけない。

 

 

 

 そして、季節は移り変わり、そのときは来た。

 

「お母さん、お母さん、変じゃない?」

「ええ。似合ってるわよ。ああっ、ノルン、髪ほどかないで、せっかく可愛くしたのに」

「のんはこれやだの」

「奥様、私が」

 

 リーリャがサッとしゃがみ、ノルンの髪を結い直す。

 ノルンはぶすっとしていたが、結んでいるあいだアイシャに抱きしめられていたから、笑顔になった。

 

「アイシャ。良いですか、今日お会いする人が、あなたが将来仕える方です。決して無礼のないように、淑やかに振る舞うのです。わかりましたね」

「もー、お母さんそればっかり。ねえ、ゼニスお母さん!」

「そうねえ、リーリャ、まだ三歳の子にそこまで求めなくてもいいわよ。アイシャのことは私に任せて! その間、家のことは頼んだわね」

 

「リーリャさんとも一緒に行きたかった」と、思わず私がこぼすと、母様は苦笑した。

 

「パウロが魔物の討伐で、いつ帰れるか分からないもの。家には誰かいなきゃいけないしね」

「わかってるけどー……リーリャさんも家族なのに」

 

 無言でリーリャにぎゅっと抱きしめられた。頬ずりを返した。

 

「それじゃあ、行ってきます」

「留守番はお任せください」

 

 母様、ノルン、アイシャといっしょに家の前に停められた馬車に乗り込む。

 これから、ボレアス家に向かう。

 三年ぶりに兄に会うのだ。

 

「お姉ちゃん、お兄ちゃんってどんな人?」

「どんな人っ?」

 

 アイシャはちょっと疑わしそうに、ノルンはキラキラした目で、訊ねてくる。

 私は、その問いに、微笑んで答えた。

 

「すっごく、優しいひと」

*1
11月





次回、転移事件!
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