巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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社長がコミュ障をいかんなく発揮する回。



二一 脅威の龍神

 異変は、夜だった。

 私は、庭にある物干し場で、魔術で桶に湯を溜めていた。

 エリックのおねしょの後始末にも慣れたものだ。

 本来、後始末は、その子に割り振られた十歳~十四歳の兄姉分がしてやるものだが、エリックが「シンディねぇねがいい」と私を指名することが多いため、だいたい私が処理している。

 外は暗いから、エリックの兄分のネイサン君が手燭の火を手で風から守って照らしてくれる。

 

「ねー、ちゃんと寝る前におしっこさせてる?」

「させてる、でもするんだよ。今日は僕の寝床でしやがった」

「あっそ……ふわ」

 

 ついてきたイヴが口をまるく開けてあくびをした。

 

「わざとじゃないんだよ、なんかね、でちゃったの」

「エリー、お姉ちゃんは、エリーの代わりにパンツとズボンを洗ってあげてるのよ。エリーは私になんて言えばいいのかな?」

「…………あり()と?」

「そうよ、ちゃんと言えたね。ネイサン君には、ごめんなさい、って言えるともっと良いね」

 

「めんなしゃい」と、エリックはネイサン君の脚に抱きついて言った。ネイサン君は笑みを浮かべてエリックの頭を撫でた。

 

 ありがとう、と、ごめんなさい、は大事だ。

 私も妹たちも母様にそう躾られた。エリックも、この二つをちゃんと言える子に育ってほしい。

 

 濡れた服を湯に浸し、シーツと一緒に揉み洗い。

 ネイサン君が空の桶の底面に手燭を置き、湯で濡らして絞った布でエリックの足から股を拭う。

 下半身を裸に剥かれたエリックは震え、暖を求めてネイサン君にしがみつこうとする。

 

「さむい〜」

「わかったわかった、くっつくのは新しいパンツ穿いてからにしてくれ」

 

 片足ずつ上げさせ、パンツとズボンを同時に穿かせていたネイサン君が、ふと顔をしかめた。顔は救貧院の門がある方に向けている。

 

「うるさくないか?」

「?」

 

 ざぶざぶ服を洗って絞り、湯を捨ててまた新しい湯で洗うのを繰り返していた私に、ネイサン君が言った。

 

「中に戻るべきだ。行こう」

「もうちょっとで洗い終わるよ」

「あとでいい。イヴ、起きろ」

 

 エリックを抱っこし、立ったまま半分寝ているイヴを起こしたネイサン君に従って行こうとして、渡り廊下をよたよたと走ってくる老婆に気がついた。

 手燭で照らされる貌は、ナヤ婆のものだ。

 ナヤ婆は、ネイサン君に怒鳴る。

 

「隠せ! その子を隠せ!」

「どの子だ」

「シンシアじゃ!」

 

 わたし?

 きょとんとする間もないまま、「寝かしつけておいて」とイヴとエリックをナヤ婆の方に押しやったネイサン君に連れられ、建物の中に入る。

 連れていかれたのは礼拝堂だ。

 さほど大きくない礼拝堂は、毎日お祈りする場所である。

 そこに並んだベンチの下に、ネイサン君は私を押し込んだ。

 ネイサン君は敬虔なミリス教徒で、礼拝堂で隠れんぼでもしようものなら、烈火のごとく怒る。先生よりも怒る。

 

「隠れていいの?」

「今はいい。僕が見てるからな」

 

「一応、僕もついててやる」と言いながらネイサン君もベンチの下に入ってきて、私は彼に背中側から抱え込まれる形になった。

 手燭の火が吹き消された。

 礼拝堂は講壇の両側にのみ、ガラスの嵌った窓がある。

 今夜は風が強い。風に乗った雲は流され、月は隠れ、あらわれ、そのたびに視野は暗黒になり、月明かりに照らされた講壇が見えた。

 

 ここで、村の友達といっしょに隠れんぼしたら楽しいだろうな、と思った。

 そんな子供っぽい遊びやだ、ってセスちゃんは言いそうだ。

 彼女たちも、そろそろ恋バナのほうが愉しい年頃だもの。

 私は置き去り。なんとも寂しい話である。

 

 じっと大人しくしていると、ネイサン君が喋り出した。

 

「昔も、倉庫に幽霊(レイス)が出た、と夜中に大騒ぎになったことがあった」

「出たの?」

 

 生前は、幽霊や魔物(妖怪)はどこにでもいた。

 連れていかれないための言い伝えや決まりもたくさんあった。

 魔物はともかく、幽霊はこっちではまだ見た事がないが、いるのだろうか。

 そう思ったが、ネイサン君は「いや」と小馬鹿にして笑う。

 

「窓を誰かが閉め忘れ、吹き込んだ風にあおられたシーツがはためいていただけだった」

「そうなの」

「だからこれも、どうせたいした事はないんだ。ナヤ婆さんに言われたから、従うけどさ」

 

 ネイサン君は冷めた感じで言った。

 そのわりには、そわそわと落ち着きがない。怖いのだろうか。

 ギィーッと礼拝堂の扉が開いた音がする。

 聞こえる足音は一人分。

 誰か来たんだ。

 長椅子の下から這い出ようとして、口を塞がれる。

 

「ぜったいに、声をだすな」

「んむ」

 

 背後から聞こえる呼吸音が荒い。鼓動もだ。

 足音はこちらに近づいてくる。そうして、私とネイサン君が隠れているベンチの正面で立ち止まった。

 靴を履いた足が四つ。二人だ。

 少女のものらしい華奢な革靴と、つま先と踵を鉄で覆われた男の靴。

 足音は、一人分しか聞こえなかった。

 

 鉄靴の裏がベンチの座枠にかかり、ず、ずず、とベンチが後ろに退いてゆく。

 私は、床に寝そべる姿勢で、ネイサン君の手に口を塞がれたまま、暗がりの影を見上げた。

 隠れ場所を失った私たちを、一対の金色の眼が見下ろしていた。

 ひぃっ、と引き攣った悲鳴が背後から聞こえる。

 

「見つけたぞ、シンシア・グレイラット」

 

 暗がりで、金眼のほかに顔はよく見えない。

 しかし声でわかった。オルステッドだ。

 

「んむむ」

 

 ありがとう、って、もう一度言いたい。

 

 ネイサン君、離して。

 口から手がどく。彼はぎこちなく体を起こし、オルステッドに背を向けて私を抱きすくめた。ガタガタ震えていた。

 彼は私が面倒を見なきゃいけない存在ではないけれど、よしよしと背中を撫でる。

 怖くないよ、オルステッドがそういう体質なだけよ。

 

 周囲が明るくなった。

 ローブを着た少女が、持ったカンテラをこちらに向けたのだった。

 年頃は十代の後半だろう。彼女は、困惑したふうに私たちとオルステッドを見比べている。

 

「う、わあぁあ!」

 

 ネイサン君が火の消えた手燭をつかんで、オルステッドに投げつけた。当たらなかったが、ローブを着た少女が短く悲鳴をあげた。

 

「俺と来い」

 

 オルステッドが言う。

 私は周囲を見回し、自分たちの他に誰もいないことを確認し、自分を指さしてみた。オルステッドは頷いた。

 

 どこまで彼について行けばいいのだろう。

 そう思いながら、立ち上がった私の腕を、ネイサン君が掴む。

 

「死にたいのか!? こいつは悪魔だ、従うなんて」

「助けてくれたのよ、良い人よ」

「騙されてる!」

 

 そんな事はない。

 しかし、こうも鬼気迫ったふうに言われると、オルステッドの抱える体質が根深いものだと実感する。

 

「赤竜山脈にいたときにね……」

 

 説得しようと話し始めたとき、ヒュッと風を切る音が聞こえた。頬をかすめた風圧に驚き、音の方を振り向く。

 ネイサン君の上体がゆっくりかしぎ、私の方に倒れこんだ。

 

「ネイサン君?」

 

 トントン背中を叩いても起きない。

 

「ネイサン君! ……あっ」

 

 首がしまった。寝巻きのゆったりした襟ぐりを掴んで後ろに引かれ、立たされたのだった。

 

「たいへん、ネイサン君が」

「気絶させただけだ」

 

 焦ってオルステッドに訴えると、そう返された。

 つまり、彼が気絶させたのか。なぜ。

 そういえば、ミモザさんは何度言っても、オルステッドが助けてくれた話を信じてくれたなかった。

 彼の視点では、説得より相手を倒して強行突破のほうが早いという事か。

 

「ほんと? あとでちゃんと起きる?」

「ああ」

 

 オルステッドは私を見ずに答える。

 腕を掴んだままスタスタ歩いて行くから、私は何度か転びそうになった。掴まれた腕はビクともしない。

 

「荷物はあるか」

「え」

「もうここには戻らん。本を大事に持っていただろ」

 

 戻らんて。どういうこと。

 ここにきて、ようやく私は、オルステッドが私を連れ出しにきたらしい事に気がついた。

 いったい何故。

 世の中には、子供を攫って売り飛ばす悪い人がいる、と両親は言っていた。

 そしてそれは、過去の経験から身に染みて知っている。

 

 この人は、私とイヴとワーシカたちを助けてくれた良い人。

 悪い人じゃない。でも、ついて来いって言ってる。

 よくわからないまま、本を取りに寝室に戻る。

 

 寝床は無人だ。みんなはどこに行ったのだろう。

 自分のベッドから本を取り、ローブの少女を伴って私を待っているオルステッドのもとに戻った。

 逃げる気がないと察したのか、オルステッドは腕を掴んではこなかった。

 

 イヴたちの居場所を視た。食堂にいる。

 出口に行くまでの道で通りかかる場所だ。

 

「お、おわかれ、言ってきてもいいですか」

「……いいだろう」

 

 緊張しながら申し出たら、少しの間のあとに許可は出た。

 ホッとしながら、ほんのり灯りの点った食堂に入る。ガタッと物音がした。

 

「シンシア!」

「ミモザさ……」

 

 彼女もいたのか。

 いや、ミモザさんだけではなかった。

 腰の曲がったナヤ婆ちゃん、包帯女のメイヨーさん、片輪男のドレンさん、乳飲み子を抱えた未亡人のヌーディさん、孤児のサネルちゃんやオリバンたち、ミモザさん以外の先生たち。馬車に跳ねられて首から下を動かせなくなったフィンさんは寝台のまま運ばれたのだろう。

 救貧院で暮らしている人が、たぶん全員揃っていた。

 子供は端のほうに固まって、異常事態にすすり泣いたり、くすくす笑ったりしている。

 大人は、ある者は包丁を、ある者は椅子を持ち、扉のほうを見ている。

 だれも彼も、怯えた顔をしていた。

 

 

 背中を押されるまま、食堂の隅のほうに追いやられる。

 机と椅子は一箇所にひとまとめに退けられている。メイヨーさんが私を抱きしめ、ナヤ婆の皺だらけの手が背中を摩った。

 

「ネイサンは!?」

「いない! でも閉めろ!」

「見捨てるのか!?」

「落ち着け、やつの狙いは……」

 

 食堂の扉が閉まり、(かんぬき)がかけられる。

 次の瞬間、扉は破壊された。泣き声と悲鳴が食堂に充ちた。

 

 扉を壊したことを除けば、オルステッドはごく自然に部屋に入ってきた。

 救貧院の院長である老翁が、全員を守るように前に出た。

 

「わ、私どもはミリス様の徒。社会に見捨てられた弱者を守る者。悪魔には屈しません! 去りなさい!」

「目当てのものを手に入れたら、そうしよう」

 

 抑揚のない声でそう言って、オルステッドはこちらを――私の方を見た。

 行かなきゃ。

 抜け出そうとすると、私を抱くメイヨーさんの力が強くなった。ガッガッガッと松葉杖の先が床を打つ音が聞こえ、ドレンさんがメイヨーさんとオルステッドの間に立ち塞がった。

 

「貴様ら、一週間もそれと過ごして、何もわからんのか?」

 

 不思議そうなオルステッドの声。

 

「それは脅威だ。貴様らには扱いきれん。居るだけで周囲を損なう可能性のあるものを、なぜ庇う」

「何言ってんだ、脅威は、お前だろ!」

「すんなり差し出すと思ったが……思い違いか。まあいい」

 

 ドレンさんが物も言わずくずおれた。

 倒れたドレンさんの体を跨ぎ、オルステッドは「来い」と一言告げた。

 居るだけで周囲を損なう。そう言われたのは初めてだった。

 

「メイヨーさん、守ろうとしてくれて、ありがと」

「行ってはだめ」

「だいじょうぶよ」

 

 メイヨーさんの包帯で覆われた頬に頬ずりをして、腕から抜け出した。

 オルステッドのもとに向かう私にいくつもの手が伸びて、留めるように服や体をつかみ、しかし弱々しい力であったので構わず進めば、手は離れていった。

 

 どんっとワーシカがぶつかるように抱きついてきた。

 泣きじゃくりながら、私を見上げ、訴えてくる。

 

「いか、行かないで、シンディ姉」

 

 片腕で抱きしめかえした。

 離れようとすると、いやいやと首を横に振って拒まれる。

 

「ワーシカ、いいものあげる!」

 

 首にかけていた革紐を外し、ワーシカの首にかけてやった。

 シルフィとロールズさんが作ってくれた長耳族のお守り。私の宝物だ。

 五歳のお祝いに父様にもらった耳飾りは、ブエナ村に置いてきてしまった。

 

「イヴ、おいで。イヴにはこれあげる」

 

 イヴは私のそばに立つオルステッドと私をちらちら見比べ、ぎゅっと目を瞑ってこっちに駆けてきた。

 その体を抱きしめてから、兄にもらった本を渡した。

 イヴはエマちゃんの妹である。魔術の才能もあるはずだ。

 才能がなくても、大事にしてくれるなら、何でもいいけれど。

 魔術が使えれば施設の援助で学校に通えるという話だ。イヴたちには、学校に行って、できることを増やして、幸せになってほしい。

 私はもう教えられないみたいだから、代わりに本を置いていく。

 

「お別れ、終わりました」

「……」

 

 扉の残骸の上を歩き、オルステッドは食堂を出た。

 その背中を追う者は私の他にいない。みんな怖くて動けないのだ。

 

「バイバイ」

 

 振りかえり、立ち尽くすワーシカとイヴたちに、お世話になった施設の人たちに手を振る。

 学校、私も行きたかったな。

 

 

 


 

 

 

 

「転移だ」

「お……?」

 

 夜中に町を発った私たちは、外で野宿した。

 朝起きて見えた風景は、ひとっこひとりいない平野である。

 目の前の草は産毛のような霜をまんべんなくまとっている。

 濃く匂うはずの土と草の匂いを寒気に閉じ込めたつめたい朝の空気は、ここが屋外で、今が早朝であることを教えてくれた。

 

 起きた私の体の上には、白いマントが毛布の代わりか、掛けられていた。

 背中側が特別ぬくいと思えば、ローブを着た少女と背中をくっつけて寝ていたのだった。

 少女はあどけない顔でまだ寝ている。

 地面に散らばるのは長い艶のある髪。黒髪だ。

 生前、盲になる前は、当たり前に見ていたもの。

 しかし、こちらに来てからは見た事がなかった色の髪。

 

 私はあまり寝起きの良いほうではない。

 起きてしばらく、黒髪をボーッと見下ろしていると、「転移だ」と急に言われたのだ。

 オルステッドに。

 

「てんい」

「ああ」

 

 体にかかっていたマントをすべて少女のほうに被せ、ちょっと離れてから水魔術で顔を洗う。

 ひゃっこい。目が覚めた。

 

 顔を拭く布がないことを思い出した。

 仕方なしに寝巻きをたくしあげて顔の水気を拭き取る。

 

 あぐらで座っているオルステッドの前に戻った。

 ずっと見られていたみたいだ。ちょっとはずかしい。

 

「転移ってなにですか」

「本来は魔法陣の上で成り立つものだが――」

 

 説明を聞く。

 むずかしい話がいっぱい出てきた。

 わからないというのが顔に出ていたのか、オルステッドは途中で言葉を切り、枝を手に持って地面にふたつ円を描いた。

 円の中にそれぞれ小石を放り、小石をつまみ上げて場所を入れ替えた。

 

「つまり、この地点とこの地点のものが、入れ替わる。これを一瞬にして起こすのが転移だ」

「……ちょっとわかりました」

 

 言われて思い出したが、父様は昔、冒険者だったときに、迷宮で転移の罠にひっかかったことがあると言っていた。

 転移の罠を踏んだが最後、迷宮内のどこに出るのかは誰にもわからない。パーティが全滅しかねない危険な罠だという。

 迷宮内どころか、出た場所は全国各地だし、そもそも消滅してどこにも出ずに亡くなっている人もいたが。

 

「ブエナ村の人たちみんな、転移したの?」

「ブエナ村だけではない。ロアを中心に、フィットア領のほぼ全土が消滅している。加えて、各地に人や魔物が突如現れたという情報。前例は無いが、魔力災害による転移とみていいだろう」

「畑とか、お家は、どうなったの?」

「消滅した。貴様が見たという更地は、見間違いではなかったということだ」

 

 思っていた以上の規模の大きさであることは、わかる。

 想像が追いつかない。生前で例えるなら、どうなるのだろう。

 岡山は、美作(みまさか)、備前、備中の三つの国から成る。

 生前の私が暮らしていたのは、美作の苫田郡にある集落である。

 美作国が丸々災害で壊滅した?

 いや、もっと大きい。

 岡山を含めた中国地方の全土を巻き込んだ災害。

 こう例えるほうが近いだろうか。

 それが、私の身に起こった。

 そのせいでたくさん死んだ。

 畑も家もなくなった。

 

「う゛~~……」

 

 地面に正座していた私は、膝の手前に手を重ね、体を折りたたんで額を手に押しつけた。

 ぎゅっと縮こまって小さくなる。

 その感情を表すことばを知らない。

 鳩尾を絞り上げ、心臓を掴みねじり、それは私を空洞にする。

 得体の知れないものが空洞に引き寄せられて寄ってこないように、小さくなって耐える。

 

 ノルンも、

 アイシャも、

 お兄ちゃんも、

 リーリャも父様も、生きてる。

 だから、まだ大丈夫。私は大丈夫。

 

 心の中で自分に語り聞かせ、体を起こした。目もとは乾いている。

 

「もういいか?」

 

 無表情で私を見下ろしているオルステッドに頷いた。

 

「赤竜山脈では切羽詰まった状況にいた。故にひとまず生かしたが。

 シンシア・グレイラット、俺は貴様の処遇を決めかねている」

「しょぐう」

「生かすか殺すかということだ」

「ころ……」

 

 どうせ死ぬのだが、今はまだ死にたくない。

 せめて兄と妹たちが結婚するまで待ってほしい。

 

「貴様の力で俺を殺すことはできるか?」

「え……しないです、そんなこと」

「意思の話ではなく、可能か不可能かを訊いている」

 

 変な人だ。

 

「えと、死なない方法で試すね。ちょっとチクッとするけど、いい?」

「構わん」

 

 呪殺する蛇ではない。

 昔、ソマル君にしたように軽い怪我をさせるだけだ。

 左手からするする小蛇が降りて、影に溶け消え、オルステッドの足元の影に現れた。

 するとびっくり。

 蛇はジュッと燃え尽きた。私の眼にそう見えただけで、実際に火が熾ったわけではないが、ともかく消えた。

 

「人間じゃ、ない? 神さま?」

 

 ピクリと彼の眉がうごいた。

 まるで睨まれてるみたいだ。

 

「そうだな……人間以外の血も混ざっている。

 ()()というほど大層な存在でもないが、七大列強の『龍神』は俺だ。肩書きは龍神ということになる」

「龍神さま」

 

 むかし父様が言っていた七大列強。その一柱である龍神。

 龍神といえば、蛇神と同格かそれ以上の位の神様である。

 トウビョウ様の力が効かないのも納得だ。

 

「で、どうなんだ?」

「私はあなたを殺せないです。赤竜も、殺せるのは近くにいるやつだけで、遠くのは無理でした」

 

 蛇を土に潜り込ませた。

 手元に生えていた一年蓬のロゼットが一瞬で萎び、茶色く枯れた。

 うん、私の調子が悪いわけではなかった。

 広範囲で同じこともできるが、先百年は作物が育たず、人の住めない不毛の地になってしまうから実行はしない。

 

「ふむ、基準があるのか……。それはヒトガミから得た力か?」

「ちがいます、名前は言っちゃいけないけど、べつの神さまです」

 

 ヒトガミって何だろう。生前も今も聞いたことがない。

 オルステッドは「べつの神さま」と聞くと、疑りぶかく、重ねて訊ねた。

 

「なぜ名前を言わん」

「名前を知ってる人が増えると、神さまの力も増えるからです。私の中にいるのは、悪い神さまだから。力が増えると、よくない事が起こるの」

 

 トウビョウ様にとって、と前置かねばならないが、順当にいけば、私の死後、トウビョウ様はどこかの地で繁栄する。

 そうして、そこで暮らす人々、とりわけ少女に取り憑くだろう。

 少女を介して、託宣や呪いで己の存在を知らしめ、こちらの言葉でなにか違う名前をつけられて信仰され、トウビョウ様は定着する。

 放っておいてもそうなるのに、わざわざ私から名前を広めて、定着を早めたくない。

 

 納得した顔はしていないが、オルステッドは一応は事情を汲んでくれたようだ。

 

「白い空間で、印象に残りにくいクズ野郎と会話をしたことは?」

 

 よほどの恨みがあるのか、「クズ野郎」と口にするとき、オルステッドの眼がぎらりと光った気がした。

 黒い空間なら生まれる前に長いこと居たが、白い空間は身に覚えがない。

 

「ないです」

 

 ヒトガミとか、白い空間のクズ野郎とか、よくわからない質問ばかりだ。

 

「ヒトガミってなあに」

「俺の敵だ」

 

 オルステッドはそれだけ言って口を閉ざした。

 こう、敵対した経緯とか、話してくれないらしい。

 

「一人、今までは居なかった子供がいたが――貴様が連れていたのは、ワーシカ、イヴ、エリック、クラレンスで間違いないな?」

「はい」

 

 ヒューの名前だけない。

 そもそも、教えてないのに、どうしてワーシカたちの名前まで知ってるのだろう。

 疑問に思いながらうなずくと、

 

「いいか、シンシア・グレイラット。

 助けられた事を恩に思うなら、俺の元でその力を使え。

 ただし、俺の動向をヒトガミに内通すれば、救貧院にいるあの子供たちの命はないと思え」

「……」

「わからんか? 俺と敵対すれば子供を殺す。お前も殺す。そういうことだ」

 

 ソマル君たちも、男の子同士で遊んでいて熱中すると「てめー殺す!」「ぜってえコロす!」と言い出すが、それは怖くない。

 本気じゃないことが分かりきっているからだ。

 この人のはちがう。

 殺す、と言ったら、本当に殺すのだろう。

 態度もあっさりしていて、ごくさらりと言われたが、奥底には確かな気迫があった。

 

 立ちあがる。

 柔らかいものに踵をひっかけ、どたっと尻もちをついた。

 うめき声が下から聞こえる。黒髪の少女である。

 転んで下敷きにしてしまったようだ。

 すぐさま上から退いて、彼女を揺り起こした。

 

『なに……?』

「起きて!」

 

 逃げなきゃ。とにかく離れなくちゃ。

 少女は起きがけの気だるい顔で私を見上げた。

 

「い、いい良い人だけど、こわい人! 怖い人なの! あなたまで殺されちゃう! 逃げなきゃ、」

「させん」

「ぃやッ!!」

 

 脇の下の胴をつかんで持たれる。

 大きな手の甲にこぶしを叩きつけて抵抗したが、まるで意味をなさなかった。

 足は暴れると少女にぶつかっちゃう位置だから振り回せない。

 火魔術はすごく痛いだろうし、そも人に使っちゃいけないものだ。

 

「離さないと、大人のひと呼ぶから!」

「……誰が来るというのだ」

「はっ」

 

 ひとっこひとりいない平野。

 大声で喚いたところで、誰の耳にも届かないだろう。

 何があっても父さんが助けに行ってやるからな、と言ってくれた父様だって、ノルンだけ連れて、遠くにいった。

 

「ぐすっ……」

 

 涙がぽろりと流れた。

 災害にあってから何日も経つというのに、枯れる気配がない。

 生前と同じ貧しい暮らしぶりであれば、その日を食いつなぐのに精一杯で、泣く余裕などなかっただろうに。

 

 地面に下ろされる。少女が、どうしたの? というふうに首をかしげ、私の胸と背中をぽむぽむ手で挟むように叩いた。

 今は優しくしないでほしい。いっそう泣けてしまう。

 

「……そう怯えることはあるまい。貴様がヒトガミに与せず、俺に従うなら生かす、と伝えたまでだ」

「わか、わかり、ました。ひとがみって人のいうこと聞きません」

 

 目線を上げられない。

 オルステッドの靴のあたりを見ながら何度もうなずく。

 そうだ、そもそも、今すぐ殺すとは言われてなかった。

 私が、ワーシカたちを殺されるかもしれないと知って、視野狭窄に陥ってしまったのだ。

 

 

「上に着ておけ」

 

 そう言われ、丁子色の布を渡される。

 裾の長いポンチョみたいな服である。フード付きだ。

 袖はなく、羽織って腕を両横に出せば、私の影は大きな扇型になるだろう。

 布じゃなくて、何かの皮っぽい質感。

 

「エアフォースイーグルの外皮を用い、魔力の付与された糸で縫製されたコートだ。着用者の生存に適さない寒暖を遮断することができる」

「えあふぉーすいーぐる」

 

 手で触って、服の過去を視る。

 規格外に巨大な鷲が嘴で人をむさぼり喰っている絵が視えた。視なきゃよかった。

 

「魔物だ」

 

 ……魔物って着れるんだ!

 こちらの国の人々の逞しさには、よく驚かされる。

 私はいま、魔物を加工した服を羽織っているのだ。生前なら考えられないことである。

 少しの畏れと感慨に、袖のないコートの裾を握ってバッサバッサとはためかせた。

 

 あの黒髪の女の子が着ているローブも、なにか普通の服にはない機能があるのだろうか。

 彼女が着ているのは紺色のローブ。

 肘よりやや下の位置から、切り返しで青色になっている。

 浮きの形をした紐を通してとめるボタンが胸元に三つ。

 兄のお下がりのコートにもあんなボタンがついていた。

 トグルボタンというのだっけ。母様に教わった。

 

 目が合ったので、さっきは慰めてくれてありがとう、の意を込めて笑いかけると、にこっと微笑み返してくれた。

 

 それから、オルステッドは携帯食のビスケットと、皮の水筒を私と少女に渡した。

 食べろということか。

 横の女の子を見ると、白いマントを敷物にして座り、ときどき水で口を湿らせながら、ビスケットをちびちび齧って食べている。

 

「いただきます……」

 

 倣って食べつつ。

 自分は何も口にする様子のないオルステッドを見た。

 私は彼に衣食の世話をしてもらったことになる。

 彼に対する印象が定まらない。良い人だと思ったら、怖い人で、やっぱり良い人(多分)。

 ありがとう、って言いたいのだけれど、すっかり話しかけにくくなってしまった。

 

 こっちの人と話すことにしよう。

 黒髪の女の子の横に距離をつめ、訊ねた。

 

「わたし、シンシア。お姉さんのお名前も教えて?」 

 

 そんなに小さい声ではなかったはずだが、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

『ごめん、貴方たちの言葉わからないの』

「……なあに?」

 

 彼女が喋ったのは、初めて聞く言語。

 ちょっとだけ私が生前使っていた言葉に近い発音もあったが、でも、何を言ってるのかはわからなかった。

 

「そいつはナナホシ・シズカ。俺たちの言葉は通じん」

「そうなの」

 

 ナナホシというらしい。

 名前の雰囲気と響きを、なぜだか懐かしく感じた。

 彼女の後ろにすす……と隠れながらオルステッドを見上げる。

 私が逃げるのを諦めたことを察したのか、オルステッドは正面に暇そうに座っている。

 彼の三白眼は蛇のように鋭い。油断しているふうに見えても、きっと走って逃げたらあっという間に追いつかれることだろう。

 

 私はナナホシの腕をつついてこちらに注目させ、自分を指さして「シ、ン、シ、ア」と、ゆっくり言った。

 ナナホシは不思議そうな顔をした。

 

「しんしあ?」

「うん、わたし、シンシア!」

 

 あなたはナナホシシズカ、とナナホシを指さして言った。

 それで、私が告げているのが名前だとわかったのだろう、ナナホシはちょっと笑顔になった。

 

「シンシア」『よろしくね』

 

 異なる言語がくっついてきたけど、たぶん悪いことは言われてない。

 言葉が通じないと、色々不便であるはずだ。

 オルステッドに「俺の元で力を使え」って言われたが、具体的にどうすればいいのかは知らない。

 でも、たぶん、しばらく一緒に行動することになるのだろう。

 できるかぎり私が言葉を教えてあげようと思いながら、ナナホシに笑みをかえす。

 

「私はオルステッドさん様についていけばいいの?」

「そうだ」

「この子も?」

「ああ」

 

 やっぱり一緒にいるらしい。

 ということは、オルステッドをいつまでも怖がってはいけないのだ。

 …………私にできるかな。

 兄だったら、きっと上手いこと言いくるめて会話の主導権を握ってしまうのだろう。上手いことペラペラっと。

 私は兄ではないので、ナナホシの後ろに隠れ、肩から顔を出してオルステッドに告げる。

 

「怒らないで聞いてほしいです」

「わかった、怒らん」

「……私は、あなたのことをちっとも怖いと思ってないです。

 なので今からオルステッドって呼びます。呼び捨てです」

「…………好きにするがいい」

 

 頭が痛い、みたいな顔で言われた。

 激昂されなかったことに安心し、私はオルステッドの横に移動して、立てた片膝の上に置かれていた手に触れた。私の手の何倍もある。

 

「さっき叩いてごめんね」

「……?」

「痛かったでしょ、ごめんね……」

 

 眼を合わせないようにしながら謝る。

 まだちょっと怖いから、眼は見れない。

 

 オルステッドは、何拍かの間のあと、「あれで叩いてたのか?」と心底驚いた声で言った。

 彼とはまだ少ししか喋ってないけれど、今まででいちばん感情を表出された瞬間だったかもしれない。

 私は本気で叩いていたのに、攻撃を受けたオルステッドには、虫がとまったくらいにしか思われていなかったらしい。

 

『誘拐かと思ったけど、そんなに怖がってないし、違うのかしら』

 

 こちらを見ていたナナホシがふいに独り言を零した。

 私は首をかしげる。

 やっぱりどこか、既聴感のある言語だ。

 

 

 


 

 

『混合魔術指南書』

 アスラ魔法学院で使用されている教科書。

 最適化された魔力操作、無詠唱を前提とした内容は、紙質から推測される年代の魔術理論とは一線を画している。

 教科書に制定された当時の所有者は学院の教諭であるイヴ・ネイビードッグ*1であった。長らく作者不詳の書であったが、原本の奥付に記された〈我が妹シンディに捧ぐ〉という文面から、魔導王ルーデウス・グレイラットが同母妹のシンシアのために著した書であることが後年に明らかになった。

*1
養子

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