私がオルステッドのためにすることは主に二つ。
一、指定された人の現在地を視て教える。
二、指定された人を呪殺する。
とくに魔力災害で遠くに転移した人たちの居場所について多く視た。
ノルンとアイシャ、それとエリスさんの居場所まで教えるように言われたときは驚いた。
ノルンとアイシャについては何をされるか分からなくて視えない振りをしていたら、「救貧院に引き返すか」と低い声で言われて震えた。
結局、酷いことをしない、という約束で教えたけれど。
なんでも私が視ているのは、〈重要な者たち〉らしい。
なにがどう重要なのかは教えてもらえなかったが。
呪殺は両親にやったらダメって言われてるから、あまり使いたくなかった。
でも、オルステッドは、私がオルステッドに従えば、父様のところに送り届けてやってもいい、と言ったのだ。
再会したらこの力を使ったことを怒られるかもしれないが、どんなに酷く怒られてもいいから会いたい。
「どうして殺すの?」
「俺にとって不都合な人間だからだ」
かくべつ対象者のことを憎んでいるわけではなさそうなのが、不思議だった。
呪殺の依頼は深入りするな、とは生前からの教えだ。
だからそれ以上は訊かず、言われるままに蛇を遣わせる。
「この人たち、あと四日もすれば高熱で死にます」
「ああ。後日確認に向かう」
三人の所在地と名前の書かれた紙をオルステッドに返す。
名前と住所を知っていれば、面識がなくても呪い殺せるのだ。
「俺がやってもいいが、今回は範囲と影響力を見ておくか……」
とは、オルステッドの独り言である。
自分でやってもいいと思っているなら、そうしてほしいところだ。
使うと母様が悲しむと知った今は、呪殺はあまりやりたくない。
オルステッドに連れ出されてから数日。
移動は徒歩である。馬に怯えられるので、馬車は使えないそうだ。
上着は渡されたものの、その下の格好は施設の寝巻きのまま、靴もつっかけのままである。
できた靴擦れを治癒魔術で治しながら移動していると、途中で寄った町で服と靴を買ってもらえた。
店主はものすごく怯えていた。夜道で化物に出くわしたような怖がりようであった。
ナナホシのローブの下の服も一緒に買った。
彼女がローブの下に元々着ていた服は特徴的だった。
「『水兵さん』みたい」
『すぃへーしゃ?』
率直な感想を述べたら、ナナホシは訝しげに首をかしげつつ、もう一回言って、というふうに指を一本立ててきた。
これは私の生前の言葉だし、聞き取りにくいのだろう。
何度か繰り返すと、ナナホシは不思議そうにしながらも、それ以上はせがんで来なかった。
元々着ていた寝巻きと靴は、町の物乞いにあげた。
ナナホシの水兵服は、畳んで彼女が革鞄の中にしまっていた。
上等そうな服だし、手放し難いのだろう。靴だけは、持ち運びに困ったらしく、私と同じように物乞いにあげていた。
町には長居しなかった。半日以上滞在すると、討伐隊を組まれるとか、なんとか。
山毛欅や樫の大樹が枝をひろげる下を、ひたすら歩く。
一日中陽の当たらない木陰には雪が残っている。冬はまだ訪れたばかりだ。また降るだろう。
それでも、ブエナ村の冬よりは、降雪量は少なそう。
「俺の先を歩け」
「なんでですか」
「そうした方が見失わずに済む」
オルステッドの移動する速度は早い。
ナナホシと私が彼の後ろを歩いていたら、あっと言う間に引き離されてしまうのだ。
先を歩いていれば、私たちの姿は常にオルステッドの視界にあるから、はぐれることはない。
見失ってくれないかな、と、ちょっと思った。
事故を装って離脱できれば、イヴとワーシカのところに戻れる。
「いち、に、さん、しぃ」『えっと、何だっけ』「ご……?」
「六よ。つぎは六」
「ろく」
オルステッドに行く方向を指示されながら、私はナナホシに一から十の数え方を教えていた。
ナナホシは指を立てながらつたなく繰り返して発音を憶えようとしている。
妹たちを思い出す。
アイシャは二百以上も数えられるが、ノルンはまだ十まで数えられない。六の次は十だと思っているのだ。
私は、万の位までならわかるが、それ以上の数字はあやふやだ。
私には想像もつかないが、万の次の次の次……と数えていってもなお、数には終わりがないらしい。
生きていて百以上の数を使うことは生前含めてなかったから、事実か疑わしい。終わりがないものなどありえるのか。
「ナナホシ、あれは、雪。ゆき!」
「ゆき?」
木陰に解け残った雪をみつけ、踏みに行く。
北と南のちがいだろうか、ブエナ村に積もる雪は軽い粉雪なのだが、南のウィシル領の森に残っている雪は水っぽい。
ついてきたナナホシは、指で積雪に触れ、「ゆき」と繰り返した。何を指している言葉か伝わったようだ。
水魔術で右の手のひらの上に氷を作る。
氷塊を自分の頬にくっつけて「つめたい」と教える。
ナナホシは合点が行ったように「つめたい!」と口にした。
その顔は嬉しそうである。知らないことを知るのは、楽しいことだ。
『ねえねえ、それも魔法? どうやってやるの?』
ナナホシが興奮気味に話しかけてきた。
意味はあいかわらず取れない。語尾が上がり調子だから、こちらに何か訊ねているのだろう。
魔術が気になるとか?
私も初めて魔術を見たときは驚いたものだ。
リーリャが言うには、泣いて怖がっていたらしい。そのへんは記憶にない。
ナナホシは怖がってない。むしろわくわくした様子である。
肝が据わったお姉さんだ。
「汝の求めるところに大いなる水の加護あらん、」
「なんじ、もとめるところ、おーいなる」
少しずつ詠唱を口伝えで教えようとすると、オルステッドに止められた。
「ナナホシには魔力がない。詠唱を憶えても無駄だ」
「そうなの」
ナナホシを見る。
目視ではわからないが、魔力がないらしい。
「お母さんは、どんな人にも魔力はあるって言ってました」
「ナナホシはおそらく別世界から来たのだ。この世界由来の人間ではないから、魔力もなく、俺の呪いも効かんのだろう」
「べつ世界? べつの国ってこと?」
「いや……まあ、そんなところだ」
異国から来たナナホシ。
言葉もわからないのに単身で渡ってきたのだろうか。
それとも、オルステッドが私みたいに連れてきたのか。
移動中に話した限りでは、ナナホシについては「保護した」とオルステッドは言っていたから、連れてこられたのとは少し違う印象はある。
「ナナホシにはむり、できない」
首を横に振り、聞き取りやすいようにゆっくり告げる。
ナナホシは私の仕草で意味を察したのか、きょとんとした後、残念そうな顔になった。
彼女の腕を抱きしめて揺らす。励ましの意である。
「ナナホシが魔術必要なときは、私が使うからね」
言葉がわからないのだった。
身振り手振りで伝えようとわたわた動くと曖昧な笑みで頷かれる。多分なにも伝わってない。
魔力のない国。
黒髪に黒目だし、あんがい私と同郷かもしれない。
ナナホシの元々着ていた服は上物だったし、よい匂いがするし、髪も肌もきれいだから、きっと分限者の娘だろう。
仮に同郷でも、生前の私なんかとは住んでる場所もちがうはずだ。
オルステッドが追いついてきて、私の体は浮いた。
小脇に抱えられたのだと気がつくまで数秒かかった。
どうして普通に抱っこしてくれないんだろ。
「どこ行くの」と訊ねると、簡潔に「寝床だ」と返された。
オルステッドは蔓草に足をひっかけてこけたナナホシを反対の腕で支え、そのまま彼女を抱えて、走り出した。
「わ!」
ひゅんひゅん地面が移り変わる。
オルステッドがそれほど早く走っているのだった。
首をよじって上を見ると、梢の間の空が穴のように暗かった。
突然、空の一点が光った。少しの間をおいて、遠雷を聞いた。
先を視るまでもない。季節外れの雷が近づいてきている。
「オルステッド、雷雨になります」
「知っている」
オルステッドがたどり着いたのは、森を東に出外れた廃村にある教会だ。
この地で何があったのだろう、と視ると絵が頭に浮かんだ。
野盗の一団に襲われ、司祭は殺され、めぼしいものは奪われ、建物は放火されていた。人々は恐怖に駆られて逃亡し、村は消えたらしい。
教会の焼け残った部分に、オルステッドは侵入した。
残骸だが、雨風を防げる屋根も壁もある。
雷鳴がとどろいた。ナナホシがビクッと肩を跳ねさせる。
大粒の雨が、焼け焦げた天井の穴から入り込んだ。激しい風を翼とし、雨しぶきは私とナナホシの顔を濡らした。
穴から離れると、ときどき吹きつける程度になった。
「そこで大人しくしていろ」
と、言い、オルステッドは教会の外に出た。
オルステッドについて行こうとしたのか、迷うように腰を浮かしかけたナナホシを留めた。
これから寒くなるだろう。
居場所とさだめた空間からできるだけ離れた壁の板を苦心して剥がし、組んで焚き火をした。
丁子色の外套を脱いでナナホシの膝に掛けてやり、隣りに潜り込む。
ナナホシは自分のローブを肩から落とし、それで私をくるんだ。
でも、それではナナホシの上半身が冷えてしまうので、身をよせて半分ずつ包まることにした。
さっきから手のひらがチクチク痛む。
手のひらを見ると、木くずの棘が刺さっていた。
壁板を剥がしたときに刺さったのだろう。
こういうのは、除いてから治したほうがいいと母様が言っていた。
刺さったまま治癒魔術をかけると、後で棘が体に悪さをして傷口だった部分が化膿したり、腫れたりする事があるらしい。
母様かリーリャがいたら、針を使って手早く抜いてくれる。
二人ともいないので、自力で爪でカリカリ引っ掻いて抜こうとするが、なかなか取れない。
『どうしたの? ……ああ、棘ね、待って、こういうのは確か……』
ナナホシが傍らに置いていた鞄をごそごそと漁り、中から小さな革の入れ物を取り出した。
さらにその中から何か取り出し、私の手のひらに押し当てた。
黄銅の硬貨みたいな丸い物体である。真ん中に丸い小さな穴があり、形は六文銭*1に似ている。
穴の部分が棘が刺さった部分に強く押しつけられる。
ナナホシは浮き出た棘を、爪にひっかけながら抜いてくれた。
『よし、とれた』
「ナナホシ!」
清々しい気分でナナホシを抱きしめた。
のたうち回るほど痛くはなくても、チクチクした痛みがずっと続くと気が滅入るのだ。
それを除いてくれたナナホシに、妹たちや施設に残してきた子たちにするように頬ずりをした。
ナナホシは戸惑いつつも受け入れてくれた。少し嬉しそうだ。
周りが、一瞬、青白く光る。
空が崩れ落ちるのではないかと思う轟音が響いた。
私とナナホシは先ほどとは違う意味で抱き合った。
一度の落雷ではおさまらない。
雷鳴はなお、遠く近くつづいた。
オルステッドは何をしているのだろう。
あんなに背が高いと雷が彼をめがけて落ちてきそうだが、無事だろうか。
光と音で雷が遠ざかったことを知り、ナナホシから体を離した。
さっき使われた黄銅の硬貨を見る。
ひっくり返してみると、穴の下に文字が書かれていて、上部には稲が彫られていた。
この文字は読めない。でも、絵ならわかる。
稲である。健康そうな稲穂である。
「……」
すごく久しぶりに見た。
米粒混じりの稗粥を食べられるようになったのは、トウビョウ使いになってからだ。それまでは稗粥に米を入れるなんて贅沢は、ほとんどしてこなかった。
故に米への恋しさもないつもりだったが、こうして眺めていると少しは懐かしさも湧いてくる。
「抜いてくれてありがと、返すね」
ナナホシに返そうとすると、手をひらひら振って拒まれた。
『あげるわ、気に入ったみたいだし』
「くれるの?」
手の中に握って首をかしげると、こくこく頷かれた。多分くれるのだろう。
嬉しい。いいものもらっちゃった。
ナナホシに寄りかかり、焚き火に照らして異国の硬貨を眺める。
思い出すのは、昔の故郷の枯れかけた田んぼ。それから生前の家族のこと。
婆やんもお母もお父も、既に生きてはいないだろう。
三人が豊かな国の赤子に転生するか、仏様になって安楽にやっていることを願う。
「!」
また周囲が青白く光り、焚き火の前に立つ白い人影が照らされた。私は硬貨をポケットに入れて体を起こした。
オルステッドだ。頭から雨で濡れとおったオルステッドが戻ってきたのだ。
「火は焚いていたのか」
手には赤い実をつけた柊の大枝と、兎の死体を持っていた。兎の皮はすでに剥がされている。
刃物は雷を呼ぶ。オルステッドも経験で知っていて、こことは離れた場所で剥いできたのだろうか。
「鍋あったの?」
「民家の焼け跡にな」
オルステッドは石や瓦礫を組んで簡易な竈を作り、鍋に兎肉を放り込んで焼き始めた。
銀髪から水が滴っていて、ナナホシがハンカチを差し出したが、首を振って断っていた。
首元の毛皮がカラヴァッジョの水桶に落ちてしまった雪白みたいに濡れそぼっていたが、それはだんだんとフワフワと毛が立ってきている。
水を弾く素材だろうか。触ってみたいが、それが許されるほど仲良くはないのだ。
「腹が減ったら食え」
そう言って、オルステッドは私とナナホシからちょっと離れた場所に座り込んだ。
すなわち火から離れた場所である。
竈周りの居場所にゆとりはある。
いっしょにあたらないの?
脱いだコートを片腕に抱えているオルステッドのそばに行った。
睨まれて立ちどまる。
「どして睨むの」
「睨んでない、普通の顔だ」
それはすまない勘違いをした。
彼の隣りに膝を抱えてすわる。
睥睨してない、と知れると、こちらを見る眼に意図を問う色があることに気がつく。
「そんなに良い場所なのかと思いまして……」
鎧戸が嵌っていたであろう窓は破れ、風が吹き抜けている。
傍の祭壇が少しは風よけになるものの、その祭壇だって、打ち壊され焦げている。
雨しぶきが顔や髪にかかって冷たい。
「良い場所じゃないです」
「……」
ビショビショの顔を袖で拭いながら告げる。
竈の方を指さした。
「休むならあっちのほうが良いと思います」
「俺はいい」
こうして話している間にも、オルステッドは私からジリジリと距離をとっている。
私のこと嫌いなのだろうか。だとしたら切ない。
今まで可愛い可愛いと好かれるのが当然みたいな所があったから、なおさらである。
「そんなに離れられたら悲しいです」
「何故だ?」
不可解そうな顔を向けられた。
こう言われたら、ふつう分かると思うのだが、そうではないようだ。
「私の好きな食べ物しってますか」
「知らん」
「パウンドケーキの生地だけの部分よ」
私の友達ならみんな知ってることだ。
友達じゃなくても、そんなに喋ったことのない村の人にも、私の好物くらい知られていた。誰が誰と喧嘩したとか、誰が誰を好いているとか、そういう事すらあっという間に噂話になって広まる環境なのだ。
オルステッドには、だから何だ、みたいな顔をされる。
「オルステッドはこわい人で、ほんとは私が思ってるほど良い人じゃなくても、私はあなたと仲良くしたいもの。
好くにしても嫌うにしても、まずは相手のことを知ってからがいいの。お互いのことをよく知るまえにきらわれるのは、悲しいです」
理由もなくへのけにされる悲しさはわかるでしょ。
自分がされて悲しいことは、人にもしないものでしょ。
「ご飯用意してくれてありがとね、あっちでいっしょに食べよ?」
「……ああ」
「……さっきこわいって言っちゃった。ほんとはこわくないです」
「別に、貴様が何を言おうと怒らん」
オルステッドが腰をあげた。
居場所を変えたオルステッドに続いて、ナナホシのそばに戻った。
あの上着が魔道具であるという話は本当のようで、着ていたときは感じなかった寒さを、脱いだ今は感じている。
寒いからナナホシにくっつく。
足を崩して座っていたナナホシが私を腿の上にのせ、火で温めた手で耳をもんでくれた。
ほっこりとした温もりが心地よい。
「お返し!」
同じくあっためた手でナナホシの頬に触れる。
ナナホシはくすくす笑った。
オルステッドがこちらを見ていた。
ナナホシは同性だし優しそうだから触っても平気だけども、オルステッドはそういう感じじゃない。
「あ、あたためましょうか……」
「……」
どきどきしながらオルステッドにも訊いてみた。
オルステッドは無言である。さすがに何か言ってほしい。
近くに座っているオルステッドは、それでも手を伸ばして届く位置にはいないので、ナナホシの膝から退いてすぐ横に移動した。
手を伸ばしてから迷う。
頬? 耳? どっちを温めればいいのか。
兄に懐かなかったヨッヘン君の家の牧羊犬を思い出した。
私の頬ならベロベロ舐めるのに、兄が頭を撫でようとした瞬間、かつて骨折を治された恩も忘れてガブッと手に噛みつくのである。
噛まれた兄が「痛え! このクソ犬!」と悪態をつくと嬉しそうにハッハッと息を吐くのだ。
本気噛みではなくすぐに離してくれるのだが、噛み付く速度は速く、見ている私はかなりビックリする。
オルステッドは犬じゃない。
犬じゃないが、噛みつきの速さは同じかそれ以上だと思う。
人間だしまさか突然噛んできたりはしないだろうけれど……。
癇癪をおこした二歳頃のアイシャは肩など噛んできたし、ノルンは人の指をチュッチュク吸ってついでに噛んでくることもあったが、あれは小さい子だったからだ。
「つめたっ」
息をふきかけて温めた指先で耳たぶをつまむ。
オルステッドは大人しくしている。耳たぶは氷のように冷たかった。
「こんなに冷えて……」
可哀想に。
火にあたらせようとぐいぐい肩を押す。
「俺の種族の体温はもともと低いのだ。体は冷えてない」
「そうなの? オルステッドはなに族?」
やっとこさまともに口を聞いてくれた。ある種の達成感がある。
嬉しくて笑顔で言葉を交わしていると、ナナホシが慌てて鍋を指さした。
鍋からは煙があがっている。
『焦げてる焦げてる!』
「む」
オルステッドがさほど慌てずに鍋を竈から降ろした。
熱した銅鍋を、素手で触っている。ぜったいに火傷する。
ナナホシが目を丸くした。私は悲鳴をあげた。
「見せて!」
治癒魔術かけなきゃ。
オルステッドの手を両手でつかんで怪我を確かめる。
大きな手は種族柄らしく色白。裏表ひっくり返しても白い。
病弱さはなく、むしろ厚く筋張って力強い印象である。
怪我などしたこともないような、綺麗な手だ。
爪の先端がちょっと尖り気味。
あら?
「火傷ない」
「俺の体は龍聖闘気に守られている。この程度では火傷などせん」
「なにそれ!」
すごい!
「私にもできる?」
「貴様が……?」
じっと見られる。
ついでに持ったままだった手もそろっと引き抜かれた。
「無理だな」
ざんねん。
その日の夕飯は、柊の実とやや焦げた兎肉だった。
夜が明ける頃にオルステッドに起こされた。
ちゅんちゅんと鳥の鳴き声すら聞こえない雨上がりの森を、寝ぼけ眼でのたのた歩いていたら、苛立って舌打ちしたオルステッドに荷物みたいに抱えられた。
やっぱり、この人、ちょくちょく短気だ。
そっちが連れ出したのに、その態度はひどいと思う。
本人には言えないけれど。
完全に目が覚めるころには、周囲は明るくなっていて、でもすぐに暗くなった。
どんな道順で渡ったのかは定かではないが、オルステッドはナナホシを連れて洞窟の中を進んでいったのだ。
『わぁ、魔法陣!』
ナナホシが何やらはしゃいだ声をあげた。
洞窟の奥深くだというのに、そこには柱があり、祭壇があった。
滲みでて溜まった地下水に足首まで浸かっているが、ブーツが撥水性なのか、ナナホシは平気そうにしている。
祭壇の手前は一段高くなった平面があり、そこは青白い光を放っていた。
昨夜の雷は一瞬の閃光だったが、これはぼんやりといつまでも光っている。
ぼんやりした青白い光の源は、平面に彫られた大きな円形の複雑な模様なのだった。
「ナナホシ」
ついてこい、という風にオルステッドは人さし指を動かし、私を抱えたまま模様の上に足を乗せた。
ふっと気が遠くなった。
「……!」
血の気が引いた。
丘で光の洪水に飲まれたときと酷似した感覚だったからだ。
意識が冴えてすぐ空を見上げ、眼に入ったのが、青い空を飛ぶ赤竜ではなく、蔦の這った天井であることを知る。
というか、天井が近い。手を伸ばせばとどきそう。
オルステッドに担がれているせいである。
天井を触ると、ザラザラした砂が手にくっついてきた。
空気は乾いた熱気をふくんで暑い。息をしているだけで喉が乾いてきそうである。
横のナナホシを見下ろした。
彼女は寝起きのような眠たそうな顔で佇んでいたが、すぐにハッと覚醒してきょろきょろ周囲を見回している。
「ふぅ」
ここが赤竜山脈ではない事にとにかく安堵し、ため息をつく。
オルステッドに床に下ろされ、全員が床に彫られた模様の外に出ると、模様はまた青白く活発に光りはじめた。
「これなに?」
「転移魔法陣だ」
「ここどこ?」
「ベガリット大陸の北西部、バジャム遺跡の地下だ」
「あら……」
ベガリット大陸。
ずいぶん離れたところまで来てしまった。
すでに自力で救貧院に引きかえすのは絶望的である。
ふんわりとした孤独感と閉塞感を感じながら、オルステッドに続いて階段を上がる。
急な階段で、大人ならサクサクいけるが、子供だとちょっと大変だ。
小さな子のように上の段に手をつきながら登る。急な傾斜に誂えられた階段だと、こっちのやり方のほうが登りやすいのだ。
魔法陣の光はあっというまに手元に届かなくなった。
地下内のゆいいつの光源が無くなったのである。
暗闇のなかを、文字通り手さぐりで、慎重に動く。
蛇とかいて噛まれたらどうしよう。
「なんも見えない」
『いたっ』
「……」
ナナホシの声が聞こえた。転んだのだろうか。
多分ここにいるのだろうと当たりをつけ、ナナホシの手をぎゅっと握る。握り返してきた。
暗闇の中で金色の眼がこちらを向き、「待ってろ」とオルステッドの声が聞こえた。
「オルステッド?」
返事はない。すでに居ないらしい。
待ってろ、と言われたから、待つけれど。
どれくらい待てばいいのか、どこに行ってくるのか、教えてほしかった。
オルステッドはすぐに戻ってきた。
精悍な顔が、松明の火に照らされている。
遺跡のどこかに保管されていた松明を取りに行っていたようだ。
オルステッドは私とナナホシを見比べ、ナナホシに松明を手渡した。
そうして、外に出た。
「砂が!」
砂がたくさん!
遠目に山脈が見えるが、それ以外は見渡すかぎりの砂丘である。
ついでに視ると、魔物筋も多い上に濃い。
気を抜けば魔物に遭遇する危険な土地ということだ。
畏れに好奇心が勝ち、遺跡から出て、黄土色の砂の上に立つ。
ふんわり足が沈んだ。靴のなかに砂が流れこんでくる。片足をあげて靴を脱ぎ、砂を出した。
しゃがんで集めて砂山をつくってみる。サララッと崩れた。
両手に掬いとってみると、指の間からサラサラ流れ落ちてゆく。
あ、また靴に砂が。
「被っておけ」
「ひゃ」
オルステッドが上着のフードをつまんで被せてきた。
さっきから頭皮に感じていたピリピリとした熱さが消える。
「なんで頭ぴりぴりするんだろって思ってました」
「熱いからだろう」
「そうみたい」
迷いない足取りでオルステッドは進んでゆく。
ナナホシの歩き方はぎこちない。生まれが雪国ではない事がひと目でわかる歩き方だ。
気温はかなり違えど、砂をふむ感触は雪と似ている。
ゆえに私は少しは早く動けるものの、履いてる靴が深沓ではないから、歩きにくさは感じている。
深沓、藁さえあれば編めるのだけれど。
南の方角に冠雪した山がみえる。
山に背を向けて歩いてると、とくべつ魔力の濃い魔物筋が視えた。
オルステッドは、まさにその上を横切るところだった。声をかけた。
「そこの道踏んだら魔物がでます。こっち通ったほうがいいよ」
「それは未来視か?」
「ううん」
地上には魔物筋というのがあり、そこを踏むと魔物が出るのだと答えた。
そういえば、説明していなかった。当たり前に使っていたから、他の人はわからないのだということを忘れていた。
「ふむ」
「あ、こら、だめでしょ!」
オルステッドは堂々と魔物筋を踏んだ。
私とナナホシだけ回避して渡っても、遠回りになって置いていかれてしまう。
魔道具の上着があるから体調は何とかなってるとはいえ、こんな砂しかない場所に置き去りにされたら、食料を確保できず餓死するだろう。
意味はないけれど、早足になってそこを渡る。
オルステッドを追い抜かすと、数歩先の砂が蟻地獄の狩場のように渦巻き、渦の中心から何かが飛び出してきた。
おっきいミミズだ。胴体の太さは大樹の幹くらい。
目も鼻もないそれは、四枚の花弁のように開いた大きな口の中を見せつけながらこちらに迫ってきた。
「い゛っ」
母様父様たすけて!
じゃなかった、トウビョウ様!
『トレマーズ!?』
ナナホシの叫びを聞きながらトウビョウ様に縋る。
巨大ミミズはピタリと動きを止めると、バチュンと頭部が弾けて爆散した。
「ぶっ」
生ぬるい体液がビチャッと顔にかかる。
十中八九ミミズの体液だ。ネバネバしててやだ。
横目に見た光景では、オルステッドはマントをかっこいい感じでバサッとやって粘液を回避していた。
いいな、それ。私もやってみたかった。
できないから服と顔が汚れてしまった。
「出るっていったのに……」
悲しい気持ちでオルステッドを見上げる。
オルステッドは私と巨大ミミズの死骸を見比べている。
「気配を察知している訳ではないのか。そうでなければ、俺の先には行かんはずだ」
「けはいをさっち」
「あー……魔物の息づかいや臭気、魔力を感じとり、だいたい此処にいるだろうとあたりをつけることだ」
なるほど?
「そういうのはできないです。でも、この道踏んだら魔物にあう、ってわかる」
「そうか」
「これねばねばで気持ちわるい」
「……」
「ああぁ」
オルステッドは、蓋を開けた水筒を、私の頭上でひっくり返した。
何をしてるんだろう、水飲むのかな、と思って彼の動向を見上げていたから顔にモロにかかる。
「あの、あの水、水もう大丈夫です、あぷっ、じぶんで洗えます、けほっ」
喋ると喉にはいってちょっとむせる。
オルステッドが水責めをやめてくれたので、水魔術で顔と手、服を濯いで綺麗にする。
カンカン照りのこの気候ならすぐに乾きそうだ。
「水筒のお水も足す?」
私にかけた分が減っているはず。
そう思って申し出たが、断られた。喉渇かないのかな。
紐を通して肩にかけていた自分の水筒にはまだたくさん残っているので、ナナホシの水筒も確認し、少し減っていたので足してやる。
ナナホシは物珍しげに、ブーツのつま先で巨大ミミズの弾けていないほうの胴体をつんつん突いていた。
私も指でつついてみる。筋肉質な蚯蚓をさわっているような弾力がかえってきた。
ひどい臭いである。何を食べたらこんな腐ったような臭いを放つようになるのだろう。
「ただのサンドワームだ。珍しがるような魔物でもあるまい」
そう言って、オルステッドは歩みを促す。
巨大ミミズの名はサンドワームというらしい。
そもそも、どこに向かっているのかすら知らない。
わからないまま、オルステッドと砂原を歩く。
ちょっと歩くだけで、魔物はいっぱい出た。
「やぁ゛ーっ、おっきいにわとり!」
「サンドガルーダだ」
「悪そうな感じのとかげが!」
「ジャイロラプトルだ」
「なに? なにこれ!」
「
…………。
「帰りたい……」
ナナホシにぎゅっと抱きついて紺色のローブに顔を埋める。
もう何時間も歩いただろうか。一面の砂が珍しかったのは初めだけで、今は次々と襲いくる魔物が怖くてしかたがない。
魔物筋あるよ、って教えてるのに、オルステッドがわざわざ踏みに行くのだもの。
そうして現れた魔物は、ギシャアアアア! だの、グギャアアア! だのと害意に満ちた叫び声をあげてオルステッドに襲いかかる。
呪殺が間に合わなくても、オルステッドが自力で撃退してしまうので誰も怪我はしてないが、怖いものは怖いのだ。
「貴様に帰る家などもう無いだろう」
「ひぃ……」
どうして意地悪なことを言うのだろう。
オルステッドの言ったことは事実だが、思い出させないでほしい事なのだ。
泣きそうになりながらナナホシから離れ、また歩き始める。オルステッドに置いていかれないように。
代わり映えのしない景色。巨大に照りつける日輪。
本当は一歩も進んでいなくて、同じところで足踏みしているだけじゃないかって疑いが湧いてくる。
『あ……これ、無理……かも』
どさっ、と質量のあるものが砂に落ちる音。
背後から聞こえたその音に、何気なく振りかえる。
「ナナホシ?」
ナナホシがうつ伏せで沈黙していた。
思い出すのは、愚図って寝落ちしたノルンである。
昼寝をしたいのに母様が添い寝してくれないことに怒り、「お母しゃがいいのぉ!」と泣き喚いたあと、静かになったと思ったらちょうどこんな感じで寝ているのだ。
ちなみに、母様は意地悪で添い寝しないのではない。
ノルンが昼寝場所に指定したのは赤ちゃん用の小さな揺りかごだから、隣りに寝てあげたくても体が入らないのだ。
砂に足をとられそうになりながら駆け寄り、ナナホシを揺すってみると、意味のなさそうな呻き声が返ってきた。
寝ているのではなく、具合を悪くして倒れている。
「ナナホシ!」
治癒魔術と解毒魔術を手当たり次第かけるが、効果はない。
砂が鼻に入らないように、うんしょと力を込めてナナホシの体を仰向けにした。
オルステッドが引き返してきて、焦点のあわないナナホシの目の前で手を振ったり、色白で細い首筋に触れたりした。
「体力が尽きたようだな」
「……疲れただけ?」
「ああ」
病気じゃなくて、とりあえず安心。
「大丈夫よ、ナナホシ、おんぶしてあげるね」
『え……?』
しんどそうに上半身を起こしたナナホシに背中をむけてしゃがむ。
赤竜山脈では、小さいエリックたちを三人も背負うのは無理だと絶望もしたが、ナナホシひとりなら背負えるはずだ。
たぶん、何とかなる。いや、何とかしなきゃ。
意図は伝わったのか、肩に手が置かれる。
他者の体重がずしりとかけられ、足に力を入れて踏ん張る。
背負うことには成功した。ナナホシのつま先が砂についちゃってるけれど、歩くよりは楽であるはずだ。
「あわっ」
五歩すすんだ所で前にのめって転んだ。
うつ伏せに倒れたから、背負っていたナナホシが私の上にのしかかることになる。
起き上がれない。焦る。
「うっ……く……」
もがいていたら、上から、ふっ、と吐息が漏れる音が聞こえた。
ナナホシの声ではない。もっと頭上から降ってきた音だ。
周囲は、ときどき来襲する魔物の他は、動くものの影すらない砂丘である。
この場には、私とナナホシとオルステッドしかいない。
ということは、いまオルステッドに笑われた?
体を押さえつけていた重石が無くなり、体が軽くなる。
見ると、オルステッドがぐったりしたナナホシを背負っていた。
私にしたような肩にかつぐやり方ではなく、ちゃんとしたおんぶである。
私がなんとかしなきゃ置いてかれるかもと心配したが、そんなことは無かったようだ。
砂に砂利が混ざるようになり、枯れかけてはいるが植物も見かけるようになり、岩やひび割れた地面が景色の主を占めるようになった。
ときどき、ベガリットバッファローという牛みたいな魔物の死骸や骨を見かける。
ともあれ、砂原風景は終わりを迎えたのだ。地面に潜んでいる魔物も減った。
「少し早いが、今夜はここで休む」
「はい」
雨裂に沿って歩いていたオルステッドは、岩棚の下にナナホシを寝かせた。
手前には川がある。消えた故郷の清流とは異なり、水は茶色く濁っている。
「へぁ」
くたくただ。立ち止まると、足が勝手にがくがく震えた。
足がかってに動く! と、いっしょになって笑ってくれる友達と家族はここにいない。寂しい。
もう少し歩き続けていたら、私までナナホシのように倒れていただろう。私はあまり好かれてないようだし、今度こそオルステッドに置いていかれて、魔物に喰われてしまう。
岩棚の下にもぐりこみ、ちょっと休憩するつもりでナナホシの横に寝そべる。
そしたらビックリ。なんとスコンと意識が飛んでしまった。
時は、すでに混乱していた。
原因は、太古の昔、龍神によって成された壮大な仕掛けにほかならない。
無界に籠城している現行の唯一神・ヒトガミが生きたまま甲龍歴530年を迎える、あるいはその年に到達する以前にオルステッドが死亡した場合、時は歩みを一旦、止める。そうして甲龍歴330年まで巻きもどる仕掛けだ。
ヒトガミさえ、この仕掛けには気がついていない。
オルステッドだけが、巻き戻る前の歴史や事象を記憶していられる。ただし、魔力回復の速度を代償にしている。
数十回の繰り返しを経て、これがヒトガミを殺すまで終わらぬ事を知った。
巻き戻った回数が百を越したあたりで数えるのをやめた。
ヒトガミを殺す。そのために準備を調え、戦い、敗れ、いつしか最強と称してふさわしい武力を得た。
それでもまだまだ、ヒトガミには届かない。
ヒトガミを殺すまで先に進めない、無限ループ。
オルステッドは強靭な意志でループを歩んできた。
今回に至って、イレギュラーが発生した。
これまでのループでは前例のない現象であった。
松脂の匂いを放つ焚きつけを投じ、火の勢いを調整しながら、オルステッドは、岩棚の陰で睡る二人の少女に視線を投げた。
乾いた地は昼間に溜め込んだ熱を保っていられるだけの水分を持たないから、砂漠の夜は冷える。
魔道具で保護させたために凍死することはないが、それでも暖をもとめてか、二人は、相抱くようにして眠っていた。
男の双眸は鋭く、貌は厳しい。
人間離れした輝く銀髪に、感情を読みづらい爬虫類じみた金眼。上背がある。
呪いさえなければ、第三者からの評価は、その程度に収まったはずである。
しかし実際は、彼と相対した生物は、まず本能に訴えかける恐怖を、つぎに嫌悪の感情を憶える。
悪感情の渦に取り込まれた者が、オルステッドを無条件で信頼することは、まず無い。
それがオルステッドの血脈に刻まれた呪いである。
解呪、あるいは和らげる方法さえ不明であった。
イレギュラーは、その呪いをものともしない二人の少女の出現である。
いや、一人は、少女というにはまだ幼いか。
ナナホシ・シズカ。人族。歳は十代の後半にさしかかった頃。
母国語は現存のどれとも異なる言語で、口にするのはそれのみ。持ち物や服装には見慣れぬ材質や繊維が織り込まれている。魔力を持たず、魔術を珍しがる。
おそらく、魔術はないが、それに代替する技術が発展した世界から来たであろう存在。
シンシア・グレイラット。人族の子供。歳は五を一か二年は過ぎた頃。
母国語は人間語。拙いながらも敬語らしきものを話す。
文字を読みあげ、人と食事を共にしたがり、魔術を使う。
そういった子供の言動や行動からは、子供の傍に、行儀を躾け、文字を見せ音にして聞かせ、食事を共にし、魔術を教える人間がいたことが伺えた。
その人間が何者であるのか導き出すのは容易い。
しかし、導き出した答えに納得するのは容易くない。
「パウロとゼニスの子であれば、俺が知らぬはずがない。
彼女の出生は、ナナホシや災害と関わりがあるのか。
だとすれば、彼女が生まれたから災害が起こったのか、
災害が起き、ナナホシが来るという結果が先にあり、その辻褄合わせのために彼女が生まれたのか」
オルステッドは自分に語りかけるように思考の経路を口にする。黙ってあれこれ考え悩むより、言葉に出した方が整理できる。
子供は強大な異能を持っている。
真実性に欠ける言い分であるが、子供の中にいる悪神によって授けられた力である。
力は、万里眼、邪視、予見、過去視、天候操作と多岐にわたる。
もっとも凶悪であるのは、他者を羽虫を叩き潰すように殺戮する邪視の力だ。
魔物筋という独自の概念を持ち、それに従って魔物を回避する術すら持つ。
しかし、その異能は、
「俺には効かない。そして、
無意識で行使されることはなく、発動は意思に依存しているようだ」
子供が眠っている間にけしかけた
ならば、こうは考えられまいか。
子供の異能に気づいた両親――パウロとゼニスが、その力によって我が身や周囲が害されることを危惧し、子供の物心がつく前に手にかけた。子供は非在の者にされる。
これが正史であったために、オルステッドは子供の存在を知らなかったのだ。
第二夫人のリーリャは迷信を真に受ける性質であったはず。
彼女が子供は悪魔の子にちがいないと断じ、両親であるパウロとゼニスを唆したか。
「……」
とはいえ、根拠に乏しい考察は、九割がた誤っているとみていい。
生物は生理的慾求をみたしている時にもっとも無防備になる。
子供の行動を観察していると、この警戒すら無意味に思えてくるが、それこそが油断を誘う演技の可能性も捨てきれない。
オルステッドは携帯している食糧を少しだけ口にし、川の濁った水を水筒に満たし、飲んだ。
ナナホシが起床したのは、夜が明けきらぬ頃だ。
起きぬけに岩棚の天井に頭をぶつけたのであろう音を聞いた。
ほの明るい空には星がまだうすく輝いている。川のせせらぎと焚き火のはぜる音を聞きつけたのか、彼女は緩慢な動作で岩棚の陰から這い出てきた。
オルステッドは捕らえたグリフォンの鷲の前足と獅子の後ろ足を縛り、袖まくりをして腹を捌いていた所であった。
開いた腹に手を奥までつっこんで心臓につながる動脈を切ると、グリフォンは一声鳴いて震え、動かなくなった。
ナナホシは白い息を吐きながら無防備にオルステッドのそばに来て、息とおなじくらい白い湯気が開腹部からたちのぼるグリフォンを見つめだした。
「シンシア・グレイラットはまだ寝ているのか?」
話しかけ、言葉が通じないことを思い出した。
ナナホシは何を問われたのかわからない様子だったが、
「おはよ、ござます」
と、オルステッドに言った。
教えたのは誰か、と考えるまでもない。あの子供だ。
食事、寝る、体調が悪い、といった生存に必要な言葉は覚えさせていたが、挨拶はオルステッドは仕込んでいない。
火を通したグリフォンの腿肉を渡したときも、ナナホシはつたなく礼を言った。これもあの子供が教えたのであろう。
今まで相当する言葉を知らず、ゆえに伝えられなかったことを心苦しく思っていたのか、「ありがとう」と言うナナホシの眉は力なく下がっていた。
教えた本人は、出発する時刻になっても寝こけていた。
力の抜けた子供の躰は、蛹の中で身をとろかした昆虫のようにぐにゃぐにゃと掴みどころがなく、持ちにくい。
己の肩に子供の柔らかい胴をのせて担いだ。
「どうした?」
オルステッドは自身の周りをうろうろするナナホシに気がついた。
ナナホシは身振り手振りで意思を伝えようとし、眠ったまま肩に担がれている子供に手を伸ばした。
持たせてやると、ナナホシはローブに隠された細腕で、重たそうに子供を抱いた。
片腕に座らせ、片手を背中にそえて支える。
貴方もこうして、というふうに、促す眼と宥める曲線が口許にうかぶ。無視する理由もない。従った。
「こうか?」
子供の寝息が苦しげなものから楽なものに変化した。
座っていられず落ちるのでは、と思ったが、頭を肩に乗せてくるから存外支えやすい。
「ふむ」
次からはこうして運ぼうと思いながら、オルステッドは目的地――ベヒーモスの墓場に向かって歩む。
子供の力を実際に観察するのも兼ねて、魔物の多い土地に同行させたが、彼女らに合わせていると想定していた五十倍くらい旅の進行が遅い。こんなことなら人里に置いてくればよかった、とちょっと思いながら。
まだ異世界楽しい期のナナホシ。