巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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三 ロキシーと散歩

 夜の座学までは時間がある。

 教え子であるルーデウスに行う授業の準備を終えたロキシーは、気晴らしがてら、散歩に出かけることにした。

 アスラ王国は、ミリス神聖国ほどではないものの魔族への風当たりは強い。

 閉鎖的になりやすい農村であればその傾向はさらに強くなる。

 一年半前、ルーデウスの家庭教師として雇われてブエナ村に来たロキシーであったが、グレイラット家の者を除き、村人に歓迎されていない雰囲気はヒシヒシと感じていた。

 

 しかし、水聖級魔術師であるロキシーが旱魃の村に雨を降らせて以来、村人の態度は軟化していた。

 魔族であるロキシーを排斥して怒りを買い、助けてもらえなくなったら困るという打算も含まれるのだろう。

 ロキシーはそれでよかった。

 頼まれて魔術を使うときは少ないながらも代金をもらっているし、懐が潤えば新しい魔術本を買い、ルーデウスに教えられる範囲も増える。

 

 そのためには、ときどき村を歩いて友好を深める必要がある。

 

「ゼニスさん、少し散歩に出ますね」

「ロキシーちゃん、ちょうどよかった」

 

 窓辺の安楽椅子に腰かけて繕い物をしていたゼニスが顔を上げた。

 お遣いを頼まれるのだろうか。快く引き受ける心づもりでいたロキシーは、ゼニスがにこやかな顔を足元で遊ぶ娘に向けたことで、頼まれ事の内情を聞く前に察したのだった。

 

 

(子守りはあまり得意じゃないのですが……。ルディみたいな天才児なら、ともかく。)

 

 ロキシーの少し先を、まだおぼつかない足取りで歩くシンシアの歩みは遅遅としていた。

 とはいえ、数歩歩いては立ち止まり、また歩き出してはロキシーにあれは何、と訊ねる姿を見ると、子供の成長は早いものだと実感する。

 なにせグレイラット家に来たときは生後数ヶ月の赤ん坊だった子が、もう自分の足で立って喋っているのだ。

 

「あれ、なぁに?」

「チンという魔獣ですよ。蝮を好んで食べてくれるのでありがたがられていますが、臓器に毒を持つので肉を食べるのは危険です」

「どく……」

 

 シンシアは上空を飛ぶ鷹に似た魔獣を見上げ、首をそらしすぎて尻もちをついた。

 立たせて仕立ての良いワンピースについた砂を払ってやり、ロキシーは広大な田園風景をあてなく歩く。

 長閑である。

 

「この道をまっすぐ行くとウィーデン、さらに行くとロアという街につきます。反対に、あっちの方に行くと森がありますが、さっき見た魔獣よりも大きくて怖い魔物がいるので、子供だけで行ってはいけません」

「まもの?」

「魔物というのは――」

 

 きょろきょろとロキシーを振り返るので注意散漫になり、転びそうになるシンシアを抱き上げ、ロキシーは淡々と幼児のなぜなに攻撃に対応した。

 とたんに風景に見向きもせず、ロキシーの話を熱心に聞くシンシアは傍目にも愛らしい。

 

 

「おや、パウロさんのところの長女かい。こないだ見たときは赤ん坊だったのに、大きくなったねえ」

 

「かわいー! いくつになったの?」

 

「おーい、ソマル、可愛い女の子がきたぞー!」「うるせーよ兄ちゃん!」

 

「これよかったら貰って。うちの庭でよく実ったから……」

 

 

 シンシアに対する村人の態度はおおむね好意的であった。

 ブエナ村の中ではハイカーストに位置するグレイラット夫妻の長女ともあれば、邪険に扱われる由縁はないのだ。

 それにしても、自分の時とは天と地の差である。

 木陰に腰かけ、先ほどもらった桑の実をシンシアと分け合って食べながら、ロキシーは遠い目をした。

 

「んま!」

「ええ、美味しいですね」

「にぃに、あげる?」

「そうですね、ルディのお土産も残しますか。わたしが預かりますよ」

 

 シンシアは自分の分の半分以上を兄に残すようである。

 そのまま持たせていたら無惨に握り潰されそうだと考え、ロキシーはハンカチに包んで持ち歩くべく、シンシアから桑の実を受けとった。

 

「あ、手が汚れちゃってますね」

「うふ」

 

 果汁でベタベタになった手のひらを見られ、シンシアはなぜか照れていた。

 

「川……は、ちょっと遠いですし、ここで洗いましょう」

「かわー?」

「水が流れている所のことですよ」

「お水、お水ね、ないないよ?」

「今出すんです。さ、手のひらを上に向けてください」

 

 そこで、ロキシーはハッ! とした。

 昨夜、初級魔術を披露してみたら、泣いて拒絶されたのだ。

 また泣かれるのではないか、と戦々恐々とするロキシーの予想に反し、シンシアはものを貰うときのように手のひらを差し出したまま、きょとんとロキシーの挙動を待っている。

 

(でも、ベタベタな手で服を触られるのも嫌です……。せっかくゼニスさんから頂いた服ですし)

 

 ロキシーが今着ている服は、ゼニスのお下がりである。ゼニスが冒険者時代に着ていたという服をしばらく見下ろし、ロキシーは覚悟を決めた。

 

「……泣かないでくださいね?」

「? あい」

 

 杖をかざして詠唱を唱え、水弾を生成する。

 シンシアはじっとロキシーと自分の間に浮かぶ水弾を見つめている。

 ちらりとシンシアの表情を伺ったロキシーは、幼子の顔が恐怖で歪みだす気配がないことに安堵し、詠唱を続けた。

 

「はい、綺麗になりました」

 

 手を洗い流されたシンシアは、キラキラした目でロキシーに言った。

 

「もっかい!」

「え?」

「もっかい! もっかい!」

 

 ロキシーは戸惑いつつ再度水弾を生成した。

 ルーデウスのように無詠唱で――とはいかないため、詠唱の間をあけて杖の先に生まれたそれに、シンシアは手を叩いて喜んだ。

 単純な話である。

 暗がりで、蝋燭の灯を頼りに見る魔術はなにやら妖しげで恐ろしく見えたが、昼間に太陽の下で見る水魔術は美しかったのだ。澄んだ水は宙に浮かぶ宝玉とも、透明な玻璃が日差しを揺らめく光芒に変えて地面に映す様とも、シンシアの目には映った。

 

「きれーい!」

 

 精神年齢が多大に肉体に引っぱられているシンシアは、昨夜ロキシーを心中で「妖怪」だの「化生」だのと謗ったことは忘却の彼方であった。都合の良い脳みそである。

 

「ふふ、そうでしょう! 魔術は奥が深いものなんです!」

 

 一歳半の幼子の全身全霊の賛辞に気をよくしたロキシーは、水、火、風、土の四種の初級魔術を次々と披露した。

 

 小一時間後。

 休みなく魔術をねだられ、少し疲弊したロキシーは息を整えつつ、興奮で頬を林檎のように紅潮させたシンシアに話しかけた。

 

「ふぅ……。満足しましたか?」

「た!」

「わたしはちょっと疲れてしまいました。帰りましょう」

「おかえり?」

「自分が帰る時は、ただいま帰りました、と言うのがいいですよ」

「あい」

 

 ロキシーは木陰から立ち上がり、シンシアと手を繋いで来た道を引き返しはじめた。

 村の共用井戸の傍を通りがかったときである。

 ロキシーの前に三人の男児が立ち塞がった。母親や上の兄弟に甘やかされているのだろう。真ん中の肥満気味な男の子は、勝気な笑みを浮かべ、「いーけないんだ!」とロキシーを糾弾した。

 

「魔族がちっちゃい子ユーカイしてるぅ!」

「悪の魔族は母ちゃんに言いつけてやる!」

「自分もちっちゃい癖によ!」

 

「ちっちゃくありません」

 

 なぜか己の身長までからかわれ、ロキシーはムッとした。

 しかし、まともに取り合うのも馬鹿らしくなり、「また貴方たちですか」とため息混じりに腰に手を当てた。

 シンシアは兄と同じくらいの年頃の男の子の大声に驚き、ロキシーの後ろに隠れていた。

 

「ソマル君はさっき聞いたじゃないですか。この子はパウロさんのところの子です。グレイラット家の長男の家庭教師であるわたしが、その妹であるシンディと出かけたって、何もおかしなことはないでしょう」

「そんなの、魔族の嘘かもしれねーだろ!」

「疑うならグレイラット家まで来て確かめてみては?」

 

 やれやれと呆れたロキシーは、シンシアの手を引き、男の子たちの脇を素通りした。

 ぐうの音もでなくなったソマルは、休畑に降り、泥を手の中で丸めはじめた。

 

「魔族はこらしめてやる!」

「で、でも、ソマル君、ちっちゃい子にあたっちゃうよ」

「あたったら可哀想だろ」

「魔族にしか当てないから大丈夫だ!」

 

「あ、ちょっと――」

 

 幼い男の子が泥玉を正確にコントロールできるとは思えないのだが。

 ロキシーの制止むなしく、ロキシーをめがけたはずの泥玉はシンシアに向かう。

 水盾(ウォーターシールド)の詠唱は間に合わない。ロキシーはぱっとソマルたちに背中を向け、シンシアを抱きかかえた。

 べちゃ、と粘着質なものが背中に着弾した感触があり、ロキシーはどんよりと落ち込んだ気持ちになる。

 

「魔族が背中を向けたぞ!」

「なあ、やっぱ魔族が一人のときにやろうよ」

「なんだよ、つまんねーの。いいよ、退治は俺一人でやるから」

 

 ノリの悪い友達にがっかりしたように、ソマルは次の泥玉を作り始めた。

 

「……」

「シンディ?」

 

 しゃがんだロキシーの肩から顔を出し、シンシアは泥で汚れたロキシーの背中を覗き込んだ。

 

「せっかく魔族が隙だらけなんだぞー」

 

 次に、泥玉を振りかぶったソマルを見つめた。

 ソマルは寒気を感じた。一人で枝で薮を手当り次第つついていたら、子供の腕ほどもありそうな蛇が薮からぬるりと這い出てきて、自分の方に向かってきたときの恐怖に、その感覚は似ていた。

 

 つっと鼻の下を液体が流れる。

 

「ソマル君、鼻血!」

「え?」

 

 泥で汚れた手の甲で人中を擦ると、真っ赤な血がついた。

 俯いた足元の地面に、ぼたぼたと血が落ちた。

 

「う、うわ」

 

 腕で拭うが、止まらない。あっという間に血を顔や腕に塗り広げる結果になり、血に塗れたソマルを見た男の子たちは悲鳴をあげた。

 

「やばいって、もう帰ろう!」

「はやく止めなきゃ!」

 

 わあわあと騒ぎながら去っていく男の子たちを眺め、何だかよくわからないけど助かった、とロキシーは思ったのだった。

 

 

 

「ただいま帰りました」

 

 剣の鍛錬の休憩中か、それとももう終えたのか、庭に体を仰向けにのばしていたルーデウスと、その傍に仁王立ちになり、何事かを息子に話しかけているパウロに、ロキシーは声をかけた。

 ルーデウスはとたんに笑顔になり、起き上がってロキシーに駆け寄った。

 

「先生! おかえりなさい! シンディも、おかえり」

「にぃに! おみやげ!」

「えっ、なんだい」

「桑の実です。散歩中に貰いました」

 

 ハンカチに包んだベリーをルーデウスに渡し、杖を屋敷を囲む塀に立てかけたロキシーはぐっと伸びをした。

 近頃は大人しくなったと思ったのに、思いがけず村の悪ガキに絡まれて疲れたのである。

 

「にぃににくれるの?」

「くえるの」

「はは、そういうときは、あげる、って言うんだよ」

「あげるの!」

「ありがとう、シンディ」

 

 仲の良い幼い兄妹はロキシーの微笑を誘った。

 

「シンディ、パパは? パパへの土産は?」

「ないのよ」

「……ルディ、黙ってそれを父さんに渡しなさい」

「汚いですよ父様。自分が娘に好かれてないからって」

「んなっ、そ、そんなことねぇよ! なあシンディ?」

 

 シンシアは照れ笑いを浮かべて答えず、ロキシーに飛びついた。聞き取りが間に合わず、パウロに何を訊ねられたかよくわかっていないのである。

 しかし、パウロはそれを己の問いかけへの無視と受け取った。

 満面の笑みで「とおさま好き!」と答えてくれるものだと信じていたパウロは、動揺を隠しきれない。

 

「嘘だろ!?」

 

 パウロはシンシアを追いかけ、そうして、ロキシーの服の泥汚れに目をとめた。

 

「またエトのところの悪ガキか……。リーリャ! ロキシーちゃんの湯浴みの準備を頼む!」

「あ、そんな、今回はこれ一発だけでしたし、シンディには当たらなかったので……」

「シンディにもやったのか!? ロキシーちゃんは自分で対処できるにしても」

「は、はい。わざとではなかったようですが」

「……」

 

 パウロは眉根を顰めて黙り込んだ。

 娯楽の少ない農村で、退屈をもてあました子供がロキシーを標的にして何くれとちょっかいを出しているのは知っている。

 見た目が異なる者を排斥したいと思う感情は多かれ少なかれ誰もが持っている衝動だ。

 甘やかされた子供は理性によるブレーキが緩いため、そんな遊びに手を出すのだ。

 もしも自分の子供たちが排斥される側であれば盾になって守り、万が一排斥する側に回ったら、父親として烈火のごとく叱るつもりではいるが、幸いに初子のルーデウスは聞き分けが飛びぬけて良く、次子のシンシアは差別だ排斥だのといった感情をもつほど成熟していない。

 

「では、わたしはこれで失礼します」

「ああ、悪いな、娘の面倒まで見させちまって」

「いえ……シンディは良い子でしたし」

 

 ロキシーは少女のなりだが成人しているし、本人も気にしていないようなので、表立って介入する事はなかったが、標的にされたのが幼い我が娘ともあれば話は別である。

 

 パウロは地面に放っていた木剣を拾い上げた。

 

「いいか、ルディ」

「はい、父様」

「男は、自分の妹や娘が侮辱されたら、侮辱した相手に決闘を申し込むものだ」

「け、決闘ですか……」

「ちょっと行ってくる」

「その悪ガキとやらに決闘を申し込むんですか!?」

「いや決闘はしない。注意してくるだけだ。この木剣は片付けておいてくれ」

 

 今にも殴り込みに行きそうなパウロに追いすがっていたルーデウスは、カクッと頭を落とした。

 

「ルディ、お前も行くか?」

「え。いや……僕は、シンディと遊んであげたいです」

「そうか。仲良く遊ぶんだぞ」

「はい、もちろん」

 

 パウロはルーデウスとシンシアの頭をわしわし撫で、石を組んだ塀の外に出ていった。

 事も無げに、庭の外に出た。

 ルーデウスはその背中を見送り、胸をなでおろした。知らずに強ばっていた体の力が抜けていく。

 ルーデウスは、外に出るのが怖い。

 庭までなら平気だ。しかし、門を踏み越えた瞬間、こちらの世界で過ごした四年余りの年月はすべて夢と変わり、自分は、まだ、雨の街を裸足で蹌踉と歩いている。ビル群は腐蝕した巨大な植物さながらに蒼ざめ、銀灰色の空の下で、廃墟と化す。

 そんな妄想が頭を離れないのだ。

 

 ルーデウスは、てぽてぽ歩いてパウロを追おうとするシンシアを引き止め、「にぃにと遊ぼう」と妹を家の中に誘導した。

 

 

「注意してくる」と出かけたパウロが戻ってきたのは、それから一時間後のことだ。

 部屋の中でシンシアと手遊びをしてやっていたルーデウスは、家に侵入する気配や足音がひとつではない事に気がつき、部屋を出て階段から階下の様子を伺った。

 

「ゼニス、今いいか?」

「はぁい、あなた。……どうしたの? アビルダさんとソマル君までいるじゃない」

「子供の鼻血が止まらないんだとよ」

 

 階段の中腹で見下ろすルーデウスの目には、白い顔で居間の椅子に腰かける男の子が見えた。

 ソマルというらしい大柄な男の子は、これもまた母親らしき女性に付き添われ、鼻の下にあてがった古布を替えられている。母親は古布を膝に乗せた盥の中に捨てる。盥に溜まった古布はどれもぐっしょりと血で濡れていた。

 

(悪ガキの家に乗り込んだはいいものの、当の悪ガキが怪我してたもんだから、叱るに叱れなくなっちまったのか。)

 

 それどころか、家まで連れて来てやるのだから、人の良い男である。

 事情を推測しつつ、ルーデウスは妹の手をしっかり握って階段に腰かけ、もう少し成り行きを見守ることにした。

 

「血が出たのはいつから?」

「もう一時間は前。どんどん出て止まらないのよ」

 

 おろおろと答えたのは母親のほうだ。

 

「一時間も……。それは大変ね。

 ソマル君、鼻血が出る前に頭や鼻をぶつけたりした?」

「ぶ、ぶつけてない。きゅうに」

「そう! 教えてくれてありがとうね」

 

 ゼニスは男の子の頭を安心させるようにぽんぽん撫でた。

 

「今日は暖かいし、血流が良くなって、昔切った鼻の血管がまた切れちゃったのかもしれないわね。大丈夫よ、治癒魔術(ヒーリング)で治るわ」

 

 ゼニスは慣れた様子で詠唱を唱え、翳した手のひらとソマルの頭のあいだに、新緑の芽吹きを連想させる薄緑色の光が点る。

 いつ見ても神秘的な光景である。

 しかし、光が収束した後に、異変が判明した。

 

「あら……?」

 

 血が止まらないのだ。ソマルの鼻腔から流れつづける血は古布をどんどん赤く染めていく。

 治癒魔術が不発に終わったのではない。治癒魔術を浴びたソマルの頭皮の細胞は活性化し、短い毛髪は数ミリばかり伸びていた。

 

「ど、どうしたらいいのよ……! ゼニスさんの魔術が効かないなら、どうしたら」

「アビルダさん、落ち着いて。もう一回掛けてみるわ」

 

 母親のアビルダは卒倒せんばかりである。

 母親という大幅の信頼を置いている大人が取り乱すので、ソマルも泣きそうになっていた。

 ゼニスは両者を明るく励ましつつ、再度治癒魔術を施した。

 が、

 

「……リーリャ、ヨギの葉がまだ残ってるはずよ。すり潰して持ってきてくれる? 布も一緒にお願い」

「承知しました」

 

 一向に止まる気配のない出血に、ゼニスの表情が曇る。

 外に出たことがない、つまり両親と妹、乳母と教師以外の人間と交流したことのないルーデウスであったが、それが緊急事態であることは感じとっていた。

 

「母様、僕に手伝えることはありませんか?」

「そうね、術者が違えば効くかもしれないわ。ルディ、この子に治癒魔術をかけてくれる?」

「はい!」

 

 このまま血が止まらなければ、向かう先は失血死である。

 ロキシーを標的に泥団子を投げた事に対する怒りはあれど、死んでほしいとまでは思っていない。

 とたとたと階段を降りたルーデウスは、怠そうにしているソマルの顔に手をかざし、詠唱を唱えた。

 

 しかし、状況は変化しない。

 

「すみません、僕でもダメみたいです……」

 

 ソマルの母親の顔に絶望がよぎった。

 

「治療院まで連れて行こう。そこでもダメなら乗合馬車でロアまで」

「待って、あなた。あまり動かすと却って止血の妨げになるわ」

「なに、こいつはうちの息子より一回りもデカいんだ。少しくらい血を流したって大丈夫だ」

「ちょっとパウロさん! 適当言うんじゃないよ! あんたのせいで、うちのソマルが無事で済まなかったらどうしてくれるの!」

「お、おう……すまん……」

 

 頭上で交わされる会話を聞き流すことしかできないルーデウスの袖を、小さな手が引いた。

 

「にぃに?」

 

 不安そうな妹に、ルーデウスは笑いかけた。

 

「大丈夫、みんな喧嘩してる訳じゃないよ。ただ、ここに居ても出来ることはないからさ、にぃにと二階に戻ろう」

「とまったら、いいの?」

 

 シンシアは、椅子に座り、俯いて鼻を布で押えているソマルを指さした。

 

「そうだよ。中々鼻血が止まらなくて、困ってるんだ」

「んー……」

 

 ルーデウスに呼ばれ、一段一段手をついて全身で階段を上るシンシアは、途中、ちらりと階下を振りかえった。

 そして、階下をまっすぐ指さした。

 

「止まるよ」

「?」

 

 一歳半のシンシアは、まだ喋るのも辿々しい。

 しかしこの時だけ、やけに発音が明瞭に聞こえ、ルーデウスは首をかしげた。

 

「にぃに、逃げてぇ」

「おっ、追いかけっこか。じゃあ、にぃにの部屋まで競走だ!」

「きゃーぁっ!」

 

 はしゃいで駆けるシンシアに付き合い、廊下をぱたぱた走るルーデウスは、それと同じ頃、

 

「……あ、母ちゃん、止まったよ」

 

 幼い妹の言葉通り、ソマルの出血が嘘のように止まったことは知らないのだった。

 

 


 

 

 ロキシーが外に連れていってくれた。

 そこで知ったのだが、外つ国には今まで見たこともないような獣や、植物や、技術があった。

 とくに魔術というやつ。妖術かと思ったけど、嫌な感じはしないし、多分この国では当たり前に使われているものなのだろう。

 故郷にもあったら良かったのに。

 いや、じつは私が知らなかっただけで、行ったこともない東亰府などでは当たり前に存在した術だったりしたのだろうか。

 村の外に出たことは、ほとんど無かったからなあ。

 盆に、年の離れた姉が住み込みの奉公先から帰ってきて、山陽鉄道を見に連れて行ってくれたのは憶えている。村から出たのは、そのときだけだ。

 

 生前の私が育った村……名前は忘れた。

 通り名は〝日照り村〟だった。名の通りいつでも日照っていて、凶作の年が多く、そのおかげでトウビョウ様の力を借りて雨乞いのできる私は村で大切にしてもらった。

 日照り村の近くには森があった。今の私がいるブエナ村も同様に、居住区の傍に森がある。

 

「森には魔物が発生するのです」

 

 と、ロキシーは言った。

 

 森の方を見て、驚いた。

 魔物筋(ナメラスジ)に暗く澱む気配が、日照り村の森のそれとは段違いに濃い。

 ナメラスジは魔物の通り道である。故郷では――岡山では、この道の上に家を建ててはいけないと教えられていた。思いがけない災難や不幸に見舞われるからだ。

 トウビョウ様はナメラスジを見つけることができる。

 

 ブエナ村の森は……いや、注視してみると、視野の果てまで、ナメラスジは続いていた。その上、本来は一本道である道が蜘蛛の手のように枝道を伸ばし、それは広範囲に広がっている。

 あれでは、魔物が立ち入れない場所はほとんどない。

 それはほんとうにおそろしいことである筈なのにロキシーは平然としていた。

 魔物に対処できる自信があるというふうだ。

 外つ国では魔物への感じ方・関わり方が違うのだろうか。

 

 それから、途中であった男の子たちが、マゾクマゾクと言っていたので、ロキシーに意味を訊ねてみたら、そういう人種があるるしい。

 

 魔族の他にも、獣族、小人族、長耳族、炭鉱族、鬼族、龍族など、色んな種族がいることを教えてもらった。

 日本人以外の人種は露助と支那人しか知らなかった私には、初めて知ることばかりだ。

 ロキシーの種族名である〝魔族〟は人間が勝手につけた名前で、魔物とは一切関係がないそうだ。

 今まで妖怪だとか思ってごめんね。

 

 ロキシーを魔族と呼んでいた男の子のひとりは、ロキシーに泥団子を投げつけてきた。

 だから追い払うつもりで、少しばかりトウビョウ様の呪いを飛ばしたのだが、帰りの散歩道でロキシーから聞く話が楽しくて、解呪するのをうっかり忘れていた。

 可哀想なことをした。

 

「止まるよ」

 

 お帰りください。

 

 男の子の眉間から小さな蛇がぬるりと落ちた。

 一番力の強い、首に白と金の輪のある蛇ではない。あれは使いようによっては、呪われた者の一族郎党が祟られた上に、土地に穢れが残るのだ。おいそれとは呼び出せない。

 蛇は私を除いた誰の目にも留まらず、母様と父様たちの足元をするする這い、階段傍の柱に吸い込まれるように消えた。

 

 あらら。

 毎日拝んでたのは、玄関の柱なのに。違う柱に帰っていった。柱ならなんでもいいのか。

 

 不思議に思ったものの、にぃにと遊ぶのが楽しくてそんな疑問は忘れ、次に思い出したのはその日の夜中だ。

 この体、考え事に向いてないみたい。

 

 思い出した以上は気になって、隣りの大人用の寝台によじ登り、そこですやすや睡っているリーリャを揺する。

 

「りにゃ、りにゃ、あのね、蛇がね……」

「蛇は、いません、お嬢様……むにゃ……」

 

 リーリャに抱き込まれ、人の体温でぬくもった毛布の中で、四肢がじんわりと温まる。

 私はまた睡りに落ちたのだった。

 

 

 翌朝。

 リーリャに手伝ってもらいながら着替えていると、リーリャがこう訊ねた。

 

「怖い夢をみたのですか? 蛇がどうとか」

「?」

「憶えていらっしゃらないのですね」

 

 夢? 蛇?

 何の話だろう。

 

 と、首をかしげた私は、着替えを終えた後に一階に降りて、階段の柱を目にしたところで昨日の疑問を思い……出さず、結局お昼寝の後にやっと思い出したのだった。

 そもそも、リーリャにも誰にもトウビョウ様のことは報せてないのだから、訊いたところで答えが得られるわけがないのだ。

 もうちょっと賢くなりたい。




ナメラ-スジ【魔物筋/縄筋】
魔物の通り道を意味する中国・四国地方の俗信。
もとは神の使者が通る道筋だったものが、信心が廃れることで魔物筋に成り果てる。

日本の魔物は怪異や不幸といった実体のない物の意味合いが強く、西洋ファンタジーの魔物とは根本的に違うのかもしれません。
当作品では、六面世界の魔物はこのナメラスジの上しか通れないためナメラスジの外に退避すれば魔物は人を襲えない。
→しかしナメラスジが細く一本道である日本の土地と違い、六面世界の土地にはナメラスジがびっしり張り巡らされているため、やみくもに動いてナメラスジを回避するのは(ほぼ)無理、という設定です。オリ主はこれが見えるので仮に一人で森に入っても魔物に遭遇することはないです。ただし野生動物や山賊は回避不可能。
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