巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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文字数が多いので分割して投稿します。後編は明後日更新の予定です。

前話では多くの応援の言葉、感想をありがとうございました。
例の件を自分の中でプラスの出来事にしてくださった皆様に深い感謝を。
本当にありがたい。これからも読んでくださると嬉しいです。



二九 知らぬ存ぜぬ(前)

 カーリアンに来て、二月と少し。

 扉と窓の修繕が終わった宿の裏手で、私はベリトやほかの子供たちと積んだ雪の上でそり遊びをしていた。

 オルステッドが迎えに来る日は着実に近づいている。

 まだ二十日以上は先であるけれど、遊びおさめというわけだ。

 

「フェリム!」

 

 そりの順番待ちをしているときに、こちらに歩いてくる見知った顔をみかけ、私は手を振った。

 そのあとで、違和感に首をかしげる。

 

 様子がおかしい。

 まず、引越しでもするのかという荷物を背負っている。

 フェリムは恋人のアリスティアと同居していたはずだ。

 表情もおかしい。

 いつも底抜けに明るく、騒ぎ屋フェリムと呼ばれる彼。

 しかし、今は暗い顔で、とぼとぼと歩いている。

 

「ゾルダートは居る?」

「ご飯食べてるよ」

「そうか……」

 

 二日酔いで痛む頭に苦しみながら遅めの朝食を食べていたはずだ。

 宿を指さすと、フェリムは暗い顔のまま、宿の中に入っていった。

 本当にどうしちゃったんだろう。

 

「シンディー、次シンディのばんー!」

「抜かしちゃうよー!?」

「まってー!」

 

 せっかく順番待ちしてたのに!

 一から並び直しになってしまうのはいやだ、とそりの上に座る私は、フェリムのことはすっかり頭から抜けていたのだった。

 

「はっ!」

 

 思い出したのは、二回ほど滑ったあとだ。

 遊びの輪から抜け、そっと食堂の様子をうかがう。

 ベリトもついてきたので、口元の前で指をたて、静かにね、と促してから、中に入った。

 フェリムはテーブルにのせた腕のなかに顔をつっぷしていた。食器を端によけたゾルダートさんが、伏せた背中に肘をのせてくつろいでいる。

 元気だせよ、と、言う声はおざなりだ。雑な慰め方である。

 

「どうしたの? その荷物は?」

 

 近づいて訊ねると、「追い出された」とフェリムは顔を伏したたま、泣き声で言った。

 

「どうして……?」

「アリスの父親が……首都から娘の様子を見に……最初は、俺のことを気に入ってくれたんだ。昔は流れの冒険者だったみたいで、色々教えてくれた。

 なのに、俺の祖母の名がエリナリーゼ・ドラゴンロードと知ったら、怒って……。すごく怒って……」

「そんで追い出されて、アリスティアにもフラれたんだ?」

 

 ベリトの笑いをふくんだひと言に、フェリムはずっと鼻を啜った。

 お兄さんなのに女の子に泣かされているのは、少しだけかっこ悪い。

 

「エリナリーゼって悪いひと?」

 

「知らね」ゾルダートさんは眉頭をカリカリかいた。

 

「でも厳つい名前だな、ドラゴンロードってよ。

 俺の名前なんざ、兵士の邪魔者って意味だぜ」

 

 ゾルダートさんの名前、私は好きよ。

 

「シンシアはね、誠実って意味よ。ベリトは?」

「悪魔のなまえ。パーブシカが言ってた。癇癪がうるさくて悪魔みたいだから付けたって」

 

 ベリトの名前も、私は好きよ。友達の名前だもの。

 

 それはさておき、エリナリーゼ・ドラゴンロードだ。

 いったい何者だろう。アリスティアの父親とどんな確執があるというのか。

 

「ちょっとくらい慰めてくれたっていいだろぉ……」

 

 フェリムが情けない声を出したので、私はぽむちと肩に手を置いてあげた。

 ルーさん、ナナホシ、アリスティアと好きな子がころころ変わるから、女に向ける気持ちも軽いものだと思っていた。

 しかし、なかなかどうして沈み込んでいるようだ。

 

 ゾルダートさんは、肘を退かし、話を聞く姿勢をとった。

 穏やかな声でフェリムに訊ねた。

 

「冒険者に娘をやれねえっつうなら、わかるぜ。安定した収入もない、いつ死ぬかもわからない身の上だからな。

 けどよ、お前の婆ちゃんが、そのエリナリーゼって女だと何がいけないんだよ」

「わからない。俺も名前を知ってるだけで、何をやったのかも、どんな人なのかも」

 

 ナナホシは、食堂のサモワールを借りて茶をいれ、フェリムにすすめた。

 形のよい唇のあいだに、フェリムは茶を流し込む。

 香りのいい茶は、気持ちを鎮めるのに効き目があったようで、とりあえずは、泣き止んだ。

 

 彼の祖母が何者であろうと、孫であるフェリムには無関係だ。

 そう思えるのは、私がフェリムのことしか知らず、完全に彼の側に立っているからだ。

 フェリムからしてみても理不尽のきわみだろう。

 でも、先祖の不仲や借貸が子孫の代まで持ち越されるのは、生前でもよくあった事だし、アリスティアの父親の怒りも否定できるものではない。

 

「ハァ……もういいや、俺、巡礼に出ようかなぁ」

 

 顔を手で覆い、深いため息の後にフェリムは言った。

 大森林からミリスをつなぐ聖剣街道、首都ミリシオンの大聖堂などの聖地へ、北方大地の人々は、ひとりで、あるいは集団で、巡礼に出る。魂の救済を願って。

 地図では対角線上にある遠い国なのに、ミリス様への信仰は厚く、巡礼に出る者はあとをたたない。

 雪で閉ざされた土地だから、人々は縋る神様を必要としているのだろう。

 

 赤竜山脈の麓のラノア修道院には、数百人を収容できる宿坊があり、シーローン王国や王竜王国、ミリス神聖国には、全国からの巡礼者用に無料の宿泊所がある。

 アスラ国内にも、有名な巡礼地、聖人にゆかりのある地は幾つもある。

 長い旅時は、決して楽ではない。ひょっとしたら、いや、確実に四国遍路巡りより厳しい。

 道中で魔物に襲われるし、巡礼者狙いの盗賊もいる。

 だから、ミリシオンの大聖堂まで行って帰ってこれるのはひと握りだそうだ。巡礼の途中で、最西端にある〈剣の聖地〉へ流れる者もいないではないけれど。

 

 地縁を断ち、旅に出たいと思いつめるほどフェリムの悲しみは深い。

 ゾルダートさんは青灰色の目を驚愕に見開いた。ウソだろ、と、唇が動くのを見た。

 でも、言葉を飲み込み、肩をがしっと抱いた。

 

「わかった、俺も一緒に行ってやる」

「……冗談だよ」

 

 フェリムはちょっと困ったように顔を上げた。

 

「もしアリスティアさんのお父さんに会ったら、わたし、やっつけてあげる」

 

 フェリムの悲しみを軽くするために、私はそんな冗談を言った。

 

「素手じゃかなわないから、棍棒でえいって殴るもん」

 

 棍棒をふりまわす真似をした。ね、とナナホシを振り返ると、彼女は、むん! と力こぶを誇示する仕草をした。

「そりゃいい」ゾルダートさんが口をはさんだ。

 

「俺なら、素手で十分だ。股間も蹴りあげてやる」

 

「やめろよ」フェリムは泣き笑いの顔になった。

 

 フェリムが出ていった部屋は、ゾルダートさんとカノンさんが二人で使っている。

 フェリムは元の部屋には戻らず、私とナナホシとベリトが寝泊まりする部屋で暮らすことにした。

 うち二人が子供でも、四人では手狭になる。ベリトがカノンさんたちの所へ行った。

 

 

 


 

 

 

 水害によって損なわれた建物や民家の修繕は進んでいない。

 ただでさえ雪かき作業があるのだ。そっちまで手がまわらないのだろう。

 

 酒箒邸の窓と扉の修理が早くに済んだのは、オルステッドに預けられた金を、ゾルダートさんを経由して積んだからだ。

 銀貨はあらゆる不可能を可能に変える、とゾルダートさんは言った。

 品切れとされていた窓ガラスも、扉の木材も、銀貨によって手に入った。

 

 しかし、新たな扉と窓は、高騰した木材を購入するための財源があることの露呈にほかならず、〈陽気な酒箒〉にはたびたび泥棒が入り、住人総出で撃退された。

 

 宿の出入りを許されている泥棒は、たった一人だけだ。

 すっ飛び屋ジョシュは警吏のスヴィをからかうことを生きがいとし、住人の喝采を受けながら二階にかけのぼってきて、追うスヴィを尻目に、窓から跳んだ。

 スヴィは絶望的な声をあげて寝台にひっくり返り、カノンさんを抱くのだった。

 

「ゾルダートさん、銭湯また行きたい。ベリトもいっしょに」

「こんどな。今はいろいろ危ねぇんだよ」

「いろいろって?」

 

 きっかけは、数人の子供だった。

 魔族の店におしかけ、菓子や煙草をかっぱらって逃げた。店のものが追いかけて殴った。

 子供たちは「洪水が起こったのは、魔族のせいだ」と言いたてた。集まってきた人々は子供に加勢した。「魔族は怪しい術を使うんだろう」「魔族を殺せ。河の怒りを呼び覚ました魔族を」

 騎兵隊が出動して、どうにか町の暴動をおさめたという事情を私は知った。

 

 民衆の不満は、貴族から逸れ、よそ者の魔族に向けられた。

 ベリトの祖母は、魔族で、銭湯小屋の骨接ぎ婆さんだ。

 呪いや薬草で人々の不調を治す骨接ぎ婆さんは、逆のこと――つまり、人を呪って災いを呼ぶこと――もたやすいと誤解された。

 

 魔族がかたまって住む地区で暴動と略奪が起こったと聞いた翌日、ゾルダートさんと出かけていたカノンさんが、泣き腫らして帰ってきた。

 顔見知りの魔族は、みなカーリアンを捨て逃げたらしい。

 いま残っている魔族は、トイリーさんのように、はぐれ竜討伐のために町に逗留している冒険者たちだけだ。それだって、出国許可が出ないから仕方なく留まっているにすぎない。

 

「何もかも、持ち去られていたわ。窓ガラスから、食糧から、家具から……おばあちゃんは、家を守ろうと戻って……それで……」

 

「パーブシカ、どうなったの?」ベリトはしつこく訊ね、カノンさんは押し黙った。ゾルダートさんが硬くなった華奢な肩を抱いた。

 

 ナナホシが下の料理屋で食事をとっているとき、住人が彼女の黒髪をいきなり掴み、お前も魔族か、と凄んだ。

 早口だったのでナナホシは聞き取れず、怯えた顔をした。

 

「違う」腕をつかみ、不機嫌な声で、ゾルダートさんが答えた。

 

「厄介ごとは起こすなよ」

「ゾルダート、お前も、ひょっとして魔族野郎に買収されているんじゃ」

 

 そう言いかけた男は、ゾルダートさんに殴り倒された。私は蛇を自分の中に引っ込めた。

 宿を移ろうと私は言ったけれど、カノンベリト姉妹が魔族の骨接ぎ婆さんの孫養子だということを知る者は多く、今の情勢では彼女たちを泊める者はない、とゾルダートさんは言った。

 私たちが宿を替えれば、それはベリトたちを見捨てることになる。

 現に、おかみさんは彼女たちを追い出したがっている素振りだ。カノンさんを隠れて抱いている親父さんと長男のイリヤさんが、その度に反対している。

 

 私とナナホシは外出を控え、宿に引きこもった。

 そうしていると、外から、子供たちに遊ぼうと誘われる。ベリトも入れていいか私は訊き、だめ、と言われると窓を閉めた。

 屋根裏に入れることに気づき、ベリトと二人で入り浸った。

 切妻の屋根が作る空間は、急斜面の屋根にそって、壁も傾斜している。フェリムが鼠取りの罠を作ってくれた。仕掛けて捕まえ、猫に食わせた。

 二人でも十分楽しいのだけど、グリシャも入りたそうにしていたら、気が向いたときだけ、交ぜてあげた。

 

 

 ある日、私とナナホシとベリトがいる部屋に、三人の人物が、もつれあってなだれ込んできた。

 ひとりはすっ飛び屋ジョシュ。もうひとりは警吏のスヴィ。そして、泣き叫びながら駆け込んできたカノンさん。

 カノンさんはいそいで扉を閉め、椅子を前に置いた。

 スヴィが寝台をひきずり、扉の前に動かす。まだ躰が育ちきっていないジョシュが全体重をかけて動かすのを手伝った。

 

「あたし、殺される。みんなが、あたしたちを殺しにくる」

 

 カノンさんは訳のわからない顔をしているベリトを抱きしめ、うずくまった。大勢の乱れた足音が階段をのぼってきた。

 

 私は彼ら三人を視て、おおよその事情を知った。

 いつものように、ジョシュはスヴィを撹乱しようとした。

 そのとき、魔族の孫娘という理由で、私刑にかけられようとしていたカノンさんと鉢合わせた。

 撒こうとするジョシュ、追うスヴィ、逃げるカノンさんが、ひとかたまりにもつれて、宿に転がりこんだというわけだった。

 

 寝台で押さえた扉が乱打される。

 廊下が狭いために、大勢で体当たりをして扉を破ることはできない。

 

「出てこい、魔族!」

「ろくでもねえ淫売め!」

 

「お前たち、逮捕するぞ」スヴィが扉越しにどなった。

 

「警吏の旦那、あんた、魔族をかばうのか」

「俺たちを裏切るのか」

 

 聞き知った声があった。暴徒の中には、この宿の住人もいる。

 彼らは、かつてカノンさんとともに食事をし、酔っぱらったことを忘れたのだろうか。

 

「やめろ」ジョシュが悲痛な声をあげた。

 

「お前らみんな、正気じゃない。骨接ぎ婆さんを殺して、おかしくなったんだ」

「ジョシュ、まだそこにいるのか。早く逃げろ。スヴィにとっ捕まるぞ」

 

 呪い殺せるように扉に近づいた私の頭をスヴィははたき、目顔で部屋の隅を指した。

 近づくな。言わんとしている事がわかり、従った。

 カノンさんに抱かれているベリトは、全身が石のようになっていた。隣りに寄り添うと、手が伸びてきて、痛いほど腕を掴まれる。

 

「どうなんだ、旦那。あんた、魔族の味方をするのか」

 

 スヴィが髭面をゆがめ、喉の奥で呻いた。ジョシュに何か囁き、「そこに行け」と言って自らの帽子を預けた。

 背負えるのは一人までだとジョシュは言い、カノンさんは迷う顔をした。

 私は衣服や荷物を入れていた長櫃をあけ、ベリトならここに隠れられると言った。屋根裏に隠してあげたかったが、この部屋からは行けない。

 ジョシュはカノンさんに警吏の帽子を被せた。背負って窓から跳んだ。

 すっ飛び屋の二つ名にふさわしく、家々の屋根を飛び移って、あっという間に見えなくなった。

 

 扉が軋みはじめたとき、棍棒を持った差配の親父さんが駆け上がってきた。暴徒は手斧や槌で応戦し、血なまぐさい乱戦になった。

 一人をトウビョウ様の力で転ばせると、階段からまとめてなだれ落ちた。

 

 怪我を負った暴徒が帰っても、ベリトは石のように動かずにいた。

 仕事を終えたフェリムが帰ると、ようやく白い顔に血がかよいはじめた。

 その日、ゾルダートさんは帰ってこなかった。

 

 

 カノンさんが脱出した翌日、ナナホシを宿に残して、フェリムとルーさんが、ベリトを送り届けた。私もついて行った。

 

 私はひとめでアスラ系とミリス系の混血とわかる顔立ちをしているらしい。

 だから魔族の疑いをかけられる事はなく、外を堂々と歩けるのだが、ナナホシは微妙だ。

 この国で黒髪は珍しい。そのためナナホシが魔族だと早とちりしてしまう人がいるかもしれない。ゆえに彼女は留守番である。

 私にしても、魔族の味方だと思われれば、安全は保証されない。

 ゾルダートさんが居ないことを不安がったフェリムが、冒険者ギルドに赴いて、呼んでこられたのがルーさんというわけだ。

 

「魔族が何かしたから、こうなったって、ルーさんたちも思う?」

「まさか」

 

 景気等がなかなか回復しないのは、赤竜のせいだという。

 はぐれ竜を恐れ、どの都市も支援物資をカーリアンに届けるのを渋っている。

 はぐれ竜が、カーリアンの近くの森林に潜んでいることはわかっている。

 しかし討伐に本腰を入れるには、残雪が大量にあって、足場が悪い。

 赤竜討伐をせかす民衆と、雪解けまで動けない冒険者で、険悪になっている、と、ルーさんは私に教えた。

 

 スヴィは、あの後、グリシャが字の学習用に使う白樺樹皮を一枚拝借し、尖らせた骨を握って地図を描いてナナホシに渡した。

 ナナホシはそれをフェリムに渡し、彼は「ここはスヴィの家だ」と意外そうな顔をしたのだった。

 

 

 着いたのは、ぼろ長屋であった。

 私たちがたずねたとき、台所で子供たちがカノンさんの上に覆いかぶさり、口々に「魔族」と叫びながら、髪をひっぱり、臀を叩いていた。

 カノンさんは逆らわず、こらえている。子供たちを引きはがそうとするフェリムを、「やめて」ととめた。

 同時に、大柄な女が寄ってきて、フェリムを突き飛ばした。華奢なフェリムは羽交い締めにした子供といっしょにころげた。

 そばにいた私と、幼い子供が下敷きになった。幼い子供は私の腕に噛みついた。

 ベリトが、噛み付いてきた子を蹴って追い払った。

 

「スヴィ巡査の妻子よ」カノンさんは床に突っ伏したまま言った。

 

「お願いよ、おちびさん(マーリンキィ)、あなたも逆らわないで。ここも追い払われたら、行くところがないの」

 

 その通りだった。

 宿屋の夫婦は、とうとう魔族の孫娘を泊めることを拒否した。

 私は親父さんの怪我を治癒魔術で癒し、せめて雪解けまでの間だけでも泊めてくれるよう懇願したが、子供がわがままを言うなと一蹴されるだけであった。

 向こうもゾルダートさんがいないので強気だ。おかみさんがカノンさんたちの身のまわりの物をまとめ、宿の外で待っていたルーさんに押し付けた。

 

 ルーさんはおかみさんから渡された荷物をカノンさんに返した。

 カノンさんは金を入れた布袋をそっくりスヴィの女房に渡し、女房は悪びれなくそれを受け取った。

 

 母親のスカートをつかんで、子供たちは「魔族、魔族」と繰り返した。三つから八つ九つくらいのまで、四人いた。

 杖をついた老婆がやってきて、ベリトと床に膝をついたままのカノンさんを、杖の先で順ぐりについた。

 

「ああ、まったく、うちの馬鹿息子ときたら。よけいな荷物をしょいこんで」

「スヴャトスラフはこの家の主だぞ。主のすることに口を挟むな」

 

 頭の上から(しわが)れた声が聞こえた。暖炉の上にいる老爺が老婆に食ってかかった。

 

「淫売娘の肩をもつのかい」

「うるさい。主人を敬え」

 

 北方大地の民家のもっとも暖かい場所を占めた老爺は、スヴィの父親。そして、老婆のほうが母親だとカノンさんはささやいた。

 老夫婦の口喧嘩を聞きつけてか、台所に十二、三くらいの少年と、それより年上の少女が入ってきた。少女は肩をちょっとすくめ、寝室に入っていった。

 腹が減ったと言う少年に女房はパンを切り分けてやり、それを見た他の子供たちが自分もとさわぎ、うるさい、静かにしな、と女房はパン切り包丁をふりまわした。

 

「兄ちゃんはパンを食ったのに!」

「おれは、外で稼いでる。おまえたちみたいな役立たずとはちがう」

「なんだい、わたしへの当てつけかい。わたしら年寄りは六十年の余も働きとおしたんだよ。ここらで休ませてもらってなにが悪い」

「天国か地獄で休みな、ばあちゃん」

「このくそガキ! 母親の躾が悪いんだね!」

 

 私たちは台所のすみに行って、一家の騒擾からできるかぎり離れた。私はベリトに小さな魔石をこっそり持たせた。

 ベリトは魔石を握りこんだこぶしを目元に近づけて、透き通って輝くそれを指の隙間から眺めてから、下着の中にしまいこんだ。

 

「ゾルダートは帰ってきた?」とひそめた声で訊ねたカノンさんに、まだだとフェリムが答えた。

 

「やっぱり、逃げられなかったんだわ……」

 

 カノンさんは浮かない顔をした。

 そうして、ゾルダートさんの居場所を、私たちに伝えた。

 

 

 


 

 

 

 鍵束を鳴らすような音をたてて、ゾルダートさんは面会を許された部屋に入ってきた。

 足首は鎖につながれ、ふれあうたびに、鈍重なひびきをたてた。

 奇妙な服を着ていた。腕の長さの倍はありそうな袖を背後にまわして縛り上げられ、上半身は石膏で固めたように固定されていた。

 

 鬼、と私は思った。

 拘束されたゾルダートさんは、全身から怒気を漲らせていた。

 顔に傷が縦横にはしり、水をかけられたのか、暗い金髪は額に貼りついて薄く凍っている。

 哀れな姿なのに、恐ろしい迫力があった。

 

「冷水を浴びせたな!」

 

 ルーさんが色めきたつ。鼻の頭にしわが寄り、尻尾と耳の毛が逆だった。

 青あざを拵えた目元が、私をみとめ、すこし優しくなった。

 私はたまらず手を伸ばした。顔に触れ、傷を治した。

 

 許された面会の時間はすぐに切れた。

 ろくに言葉を交わす前に、ゾルダートさんはふたたび引き立てられて、廊下のむこうの闇に消えた。

 

「なんで……?」

 

 戸惑ったフェリムの声に答える者はない。誰もが同じ気持ちだった。

 

 

 

 

「それは、狂人の拘束衣です。監獄のなかにも、癲狂院があるんですねえ……」

 

 冒険者ギルドで、受付嬢のブリギッテさんが言った。

 難しい顔だ。もう一人の受付嬢のユリアナさんを呼んでひそひそと話し合い始めた。

 

 こちらの国には気狂いを閉じ込める専用の建物があるらしい。

 生前は、気違いは家で面倒をみるのがふつうだった。

 座敷牢は分限者のうちにあるもので、たいていは家の中か裏手に小さな檻をこさえてそこに閉じ込めておくのだ。

 飯は格子のすきまや専用の小さな戸から与える。排泄は中に掘った窪みでさせる。

 

 ゾルダートさんの気が違ったことが仮に事実だとしても、他人が閉じ込めるなんて納得できない。

 恋人のカノンさんか、一緒に暮らしている私とナナホシが引き取るものだろうに、こっちではそうではないらしい。

 

「ゾルダートさんを閉じ込めた人みんな死んだら、ゾルダートさん、帰ってくる?」

「え? いや……無理だろうな」

 

 ルーさんはちょっと驚いた顔をして、「新しい看守が寄越されるだけだ」と答えた。

 殺しても殺してもキリがない。私は自分の無力を痛感した。

 

 

 冒険者ギルドのほうから逮捕された事情を調べてくれるということで、私たちは宿に帰った。

 

「ゾルダートがいないあいだは、俺がいる」とフェリムは言ってくれた。

 言葉こそ頼もしいが、長い耳がしょんぼりしてるときのシルフィみたいにへにょんとしていて、彼も落ち込んでいることは明白であった。

 ナナホシには言わなかった。なぜ逮捕されたのかも分からないうちは、説明のしようがない。

 

 ベリトもゾルダートさんもカノンさんもいなくなった部屋で、なすすべもなく、数日を過ごした。

 しおれた私を、楽師は膝にのせ、弦を張りなおした琴に触らせてくれた。指先は綺麗な音を生みだすのに、いっこうに心は弾まなかった。

 

 

 数日後、帽子を目深に被り、襟巻で顔をかくしたトイリーさんが訊ねてきた。

 彼はひと目で魔族とわかる髪色をしている。堂々と往来を歩くことはできない。

 

「少し前に、貴族に民衆が蜂起する事件があった。ゾルダートは、その首謀者にまちがえられたんだ」

 

 ゾルダートさんが逮捕された事情を、トイリーさんは教えてくれた。

 出回っていた人相書きに、ゾルダートさんの容姿は当てはまっていた。

 金髪碧眼で長身ということくらいしか共通点はなかったらしいけれど。

 

「ゾルダートはもちろん、抗議した。官憲は聞く耳を持たなかった。冒険者ギルドの職員が呼び出され、人違いを指摘した。

 官憲は書類にある首謀者の名を消し、ゾルダート・ヘッケラーと書き換えた。それで、終わりだ」

「なんだそれ! ひっでえ!」

 

 フェリムが中性的な顔を怒りでゆがめた。私もうんうん頷いた。

 トイリーさんがため息をついた。

 

「ゾルダートの抗議が、一応は聞き入れられただけでも、マシなんだ。

 ほとんどの冒険者に市民権がないのは、フェリムも知っているだろう。

 私たちは漂泊楽師(スコモローフ)と同じ、法的には非在の者だ。ギルドの外では、人間扱いはされない身分だ。

 官憲からすれば、誤認逮捕をみとめ、釈放の手続きを踏むより、絞首刑か開拓地送りにするほうがはるかに面倒がない」

 

 絞首刑。

 私は愕然とした。疑問も持った。

 こんな理不尽に晒される身分だというのに、なぜグリシャのように冒険者に憧れる子供は多いのだろう。

 

「冒険者になる者が後をたたないのは」私の内心を見透かしたように、トイリーさんは続けた。

 

「生まれが賎しい者でも、上位ランクの冒険者になりさえすれば、町の防護をつとめる契約で、その市町の市民権を得ることができる。

 ときには、名声と特権を得て、吟遊詩人に歌われて語り継がれもする」

「昔話のペルギウスみたいに?」

 

 私が口をはさむと、トイリーさんは頷いた。あそこまで偉大な存在になることは難しいだろうが、と言いながら。

 

「〈名誉なき人々〉の中には、刑吏と呼ばれる人々がいる。死刑を執行する者たちだ。

 彼らがなぜ冒険者になるか、わかるかい?」

「……人じゃなくて、魔物を殺すほうがいいから?」

「刑吏が、もっとも嫌悪される職業だからだ。刑吏の息子は、他の職につきたくても職人の組合(ギルド)に拒否される。娘は同じ刑吏仲間としか結婚を許されない。世襲職とならざるをえない仕組みだ」

 

 私に限らず、ブエナ村の子供は、刑吏とつきあってはならない、言葉をかわしてはならないと教えられていた。

 街では、刑吏は教会の墓地に埋葬されない。刑吏の柩をかついだ者は賤民に落とされる。

 

「冒険者ギルドは、〈名誉なき人々〉であろうと受け入れる。冒険者になって初めて、生まれながらにして与えられなかった尊厳を取り戻せた賤民階級の者は多い」

「だから冒険者は減らないのね」

「そういうことだ」

 

 フェリムは、異人の会話を聞いたような顔をした。

 前世では何にも思わなかったが、ブエナ村で母様と父様の子として生まれてからの人生と比べてみると、周りの人にトウビョウ憑きと恐れられるよりは、笑顔で気安く接されるほうがずっと心地よい。

 生まれは、その後の人生を決めるしがらみだ。

 しがらみを捨て、人並みの待遇を欲する人たちの気持ちも、少しはわかる。

 

 刑吏、墓掘り、夜警、掃除人、亜麻織職人、革細工師などが〈名誉なき人々〉とされる。生前の言葉でいうと、かわたや穢多だ。

 国や都市によって定義が異なり、職種によっては市民権を得ていることもあるが、一般的には誰もが嫌がる仕事をする者がそう呼ばれるのだ。

 多くの都市は、彼らが市壁の中に住むことを禁じている。いわば社会から排除された集団だ。

 

 市民より下、〈名誉なき人々〉より上。

 冒険者はそんな立ち位置なのだ。

 

「……っと、これかな」

 

 トイリーさんはゾルダートさんの荷物から、金属の板を探り出した。

 煮色仕上げ後の烏金のような光沢をもつ、小さな板である。

 板には光る文字で、〈ゾルダート・ヘッケラー〉と刻まれている。

 冒険者カードというやつだ。前に見せてもらった事がある。

 

「それどうするの?」

「ギルドで手続きをするんだ」

 

 冒険者カードをピッとかかげ、トイリーさんは言った。

 私たちを救う言葉を、求めていた言葉を、言い放った。

 

「ゾルダートを解放する方法がある。私が来たのは、そのためだ」

 

 監獄から出せる! ゾルダートさんを!

 

 私はピョンと跳ねるように席から立った。

 町の状態は良くならないし、町から逃げた魔族たちは戻らず、ベリトのおばあちゃん(パーブシカ)は生き返らない。ベリトもカノンさんも偏見の目に晒されたまま。

 すべての問題が解決するわけじゃない。どうにもならない事の方が多い。

 そんな中でも、その言葉は、希望そのものであった。

 

 

 

 冒険者ギルドで初めにしたことは、フェリムを護衛として登録することであった。

 ゾルダートさんが逮捕されたことで、〈ナナホシとシンシアを守れ〉というオルステッドの依頼が不達成になりそうなのだ。

 普通はギルドのほうから新しい冒険者を宛てがわれる。

 しかし、依頼の引き継ぎは諍いのもとだ。べつの冒険者が来る前に、気心の知れているフェリムを新たな護衛に指定したほうがいい、とトイリーさんにすすめられたのだった。

 

「シンディちゃんたちは二人とも了解済みね?」

「はい!」

「構わぬ」

 

 私たちに確認した後、一度奥にひっこんだユリアナさんは、小さな革の袋を持って戻ってきた。

 フェリムは不思議そうな顔でそれを受け取った。中を覗き込み、「うぇっ!?」と変な声をあげる。

 

「な、な、なんだ、これ」

 

「依頼の前金ですよ」とユリアナさんが答えた。

 最初に依頼を引き受けた冒険者が、事情があって任務を外れる、あるいは途中で死亡した場合、後任が見つかりやすいようにオルステッドはギルドに多めに金を預けていたそうだ。

 

愛しいちび(ケラ・ベアグ)!」フェリムは満面の笑みで私を抱き、頬ずりした。

 それからナナホシにも抱きつき、唇のはしで頬にキスをした。

 北方大地の人たちがよくやる挨拶で、喜びを伝える仕草である。

 カーリアンに来た当初こそぎこちなかったナナホシだが、最近ではすんなりと受け入れている。

 

「ありがとう、おかげで食いはぐれずに済むぞ」

 

 フェリムは最近Dランクに昇級した冒険者だ。宿代を折半して負担していたカノンさんが居なくなり、金策に困っていたのだろう。

 ゾルダートさんが投獄され、今の今までそんな素振りは見せなかったから忘れていた。

 私が落ち込んでいたから、心配をかけまいとしていたのだろうか。

 

「お礼ならオルステッドに言ってあげてね」

「そのお方が女だったら、抱きしめてキスしただろうさ」

「うふ」

 

 オルステッドを前に悲鳴をあげるフェリムを想像した。

 ちょっと面白い。実行はきっとものすごく難しいだろう。

 

「このチビどもの護衛が、そんなに割の良い依頼なのか……?」

「ってことは、フェリムをボコしちまって、俺が護衛になれば大金が手に入るんじゃねえか?」

 

 ギルドにいた冒険者たちがざわめき、私たちにジリジリと近づいてくる。

 フェリムは金の入った袋を握りしめ、私はフェリムの腹にしっかり腕をまわして抱きついた。

 きな臭い空気を感じたのか、ナナホシもフェリムの後ろに隠れた。

 

「フェリムじゃないとヤ!」

「そ、そうだ! 俺を倒したって、シンディとナナホシが認めなきゃ、受理されねえからな!」

「ハハッ! 冗談だっての!」

「んな仔犬みたいに警戒すんなって」

 

 冒険者たちは顔を見合せ、肩をすくめ、またテーブルに戻って飲みはじめた。

 本当に冗談だったのだろうか。

 ちょっと、いや、けっこう怖かった。

 

 さて、次はトイリーさんの番だ。

 

「頼む、クールミーン」

「ああ。お前にあそこまで頼み込まれちゃあな」

 

 背中に両手剣をたずさえた男は、カードを受け取った。

 トイリーさんが所属するAランクパーティ『ブラダマンテ』のリーダーである。

 

「何するの?」

 

 フェリムがひょいと抱えて手続きを見えるようにしてくれた。

 フェリムも興味を持ったのだろう。私たちは、机をのぞきこんだ。

 

「ゾルダートのやつ、とっくにBランクになれたんじゃないか。あんなに大言壮語しといて、なぜ昇級しなかったんだ?」

「俺とパーティを組むためだ。動きやすい季節になったら、共に迷宮に潜ろうって約束したんだ」

「へえ、面倒見いいとこあるんだな……」

 

 リーダーのクールミーンさんは、ゾルダートさんのカードを窪みのある透明な水晶の箱の上に置いた。

 クールミーンさんは続いて、職員のブリギッテさんに宣言した。

 

「ゾルダート・ヘッケラーをBランクに昇級、そしてパーティ『ブラダマンテ』に加入させる」

「かしこまりました」

 

 カードの文字がいっそう強く光り、沈静したとき、文字が一部変わっていた。

 

名前:ゾルダート・ヘッケラー

性別:男

種族:人族

年齢:17

職業:剣士

ランク:B

パーティ:ブラダマンテ

 

 

「そうか! そういうことか!」

 

 フェリムが急に大きな声を出した。

 頭のすぐ上から降ってきたから、ビクッとしてしまう。

 

「あんたら、竜退治に行くんだ! Aランクパーティだから! 国からの依頼だから!」

「そういうこった」

 

 クールミーンさんは机に手をついてニヤリと笑った。

 

「はぐれ竜討伐は、何より優先しなきゃならねえ。

 まさか、大事な戦力を檻に閉じ込めるわけがねえよなあ?」

 

 おお、と野太い歓声がギルドのそこここから上がる。

 私はフェリムの顔を見上げた。頬が興奮で真っ赤になっている。

 

 話が飲み込めてきた。

 竜退治は、国を挙げての大討伐だ。

 たとえゾルダートさんが死刑囚でも、冒険者ギルドが釈放を要求したら、官憲は突っぱねることができない。

 なにせはぐれ竜だ。ただの魔物や、迷宮探索とはわけが違う。

 突っぱねて、そのせいで討伐に失敗しようものなら、カーリアンごと壊滅しかねない。

 責任の所在を、領主は追及するだろう。

 ギルドは討伐を阻害したとして官憲に責任を被せるだろう。

 そうなることが目に見えているから、官憲はギルドの要求に応じるしかないのだ。

 

「トイリー、クールミーン、おれもパーティに加えてくれないか」

「ルー? お前、自分のパーティは」

「解散した。いや、解散する。メリンダがみごもった。おれはAランクだ。力になれる」

 

 さっきまでギルドの隅で食事をしていたルーさんは、口の端についたパンくずを手の甲で拭いながら、申し出た。

 副リーダーのメリンダさんが妊娠したので、パーティは解散する予定だったらしい。

 

「狩りは人数が多いほど成功しやすい。群れの生存率も上がる。違うか?」

 

 ルーさんは、私とナナホシを見た。

 

「やつの帰りを待つ女が、ここに二人もいるんだ。ゾルダートを生きて帰してやりたい」

 

 そう言って、私の頭をなでた。

 

「作戦会議だ。陣形を考え直そう」とクールミーンさんが音頭を取り、彼らはがやがやと口を動かしながらテーブルや椅子を運び、全員が顔を合わせて話し合いやすいようにしていく。

 

「マジで連れていくのか?」

「ああ。ルーはともかく、ゾルダートは前線には立たせないがな。

 この機会だ、あのクソ生意気なC級……いや、もうBか、とにかくクソ生意気なゾル坊をたっぷりしごいてやろうぜ」

「泣いて吐くまで鍛えてやろう」

「しかし、もう準備期間は十日もないぞ」

「幸いクランの戦術がある。ゾルダートの物覚えが良けりゃあ間に合うだろう」

「あたし他のパーティも呼んでくるわ」

 

 

「……俺らは帰ろうか」

「うん」

 

 フェリムに言われ、ナナホシと手をつないで冒険者ギルドの出口に向かう。

 

「へへ」

 

 まだ助かったわけじゃない。

 ここにいる人たちや、ゾルダートさんが、生きて帰ってくる保証はない。

 失敗して、死ぬかもしれない。

 でも、私はにやける口もとを抑えられなかった。

 

 

 いいな、人っていいなあ。

 村という共同体から離れた土地にも、それぞれ営みがあって、文化がある。

 そこでは文化や言葉が少し異なっていて、人の生き方も考え方もちょっとずつ異なっている。

 でも、どこであろうと、人は笑うし、怒るし、泣くし、悲しむ。どこであろうと、人は優しい。優しくできる。

 

 人間が尊いばかりの存在ではないことは、知っている。

 悪い部分や、愚かな部分もある。私にも、もちろんある。

 カノンさんを襲おうとした暴徒も、やるせないけど、純然な悪党ではなかった。ジョシュにかける優しさは失っていなかった。

 どんな人だって、少しづつ、優しさは持っている。

 今も、善意でゾルダートさんのために動いている人たちがいる。

 

 横にいるフェリムだって、私たちを守ると言ってくれた時点では、見返りがあることを知らなかった。

 トイリーさんが来るまでの数日間、ナナホシに胡乱な目を向ける者がいるなか、夜に安心して眠ることができたのは、フェリムがいたおかげだ。

 

 

「ありがとうございます!」

 

 ギルドを去り際、私は全員にむけて言った。

 ナナホシも続いて頭をさげた。言葉を十分に理解できなくても、ナナホシは阿呆ではない。

 噛み砕いて説明されなくても、何が起こっているのか、自分で推察して、把握していたのかもしれない。

 

 冒険者たちは、会議を続けながらも、こちらに視線をよこした。

 ある人は微笑んでくれた。

 ある人は気にするなというふうに片手をあげた。

 ある人は「気をつけて帰れよ」と言ってくれた。

 

 切れ切れの優しさが集まって、大きなものとなって、私を救う。

 悪い部分、愚かしい部分があることを知っていて、私はやっぱり思うのだ。

 人っていいなあ、と。

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