巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

32 / 56
7月は時間がなくって全然書けなくてェ…
予告より更新が遅れてすみません。




三〇 知らぬ存ぜぬ(中)

フェリムファムール視点

 

 大森林の民の血がまじるゆえに俺の眼は炎のように赫い。先端の尖った長い耳殼は、俺に流れる長耳族(エルフ)の血の濃さをあらわしている。

 俺が生まれ育ったのは、ミリス大陸北部の大森林ではなく、中央大陸の北の果ての高地(ハイランド)だ。魔法三大国と北方大地を分断するカラル山脈は、ハイランドの牧童であった俺の前に、寥廓と(そび)えていた。

 

 俺の母は半エルフの奴隷だ。自由のひとかけらもない真の女奴隷(ローバ)。男の場合は真の男奴隷(ホロープ)と呼ばれる。ローバから産まれた女、あるいはホロープと結婚した女が、ローバになる。

 母は生まれながらの真の女奴隷(ローバ)だ。遡れば、母の母は本来は人であった。祖母がローバになった経緯を、俺は知らない。母も多くは知らない。母からこぼれ落ちる言葉の断片を俺は繋いだ。

 エリナリーゼ・ドラゴンロードという長耳族の女奴隷は、生まれた母がある程度育つと行方をくらませた。雇い主のもとに残された母は少女のうちにホロープと結婚させられ、数十年余りを夫婦として過ごした。

 母の夫であったホロープは、三十年も前に召された。神に? 牛馬の死は、神の思し召しではない。

 夫が死に、ローバの身分は据え置きであった母は何人もの奴隷商人の手を経て、カラル山脈東方の地主ヴァシリイに売られ、そうして俺を産んだ。

 

 俺もまた、生まれながらのホロープだ。

 父が誰なのか、俺は知らない。母を娶ったホロープ……では、ないだろう。半エルフの妊娠期間は、人と変わらないと聞く。三十年前に召されたホロープと、今年で十六になる俺では、年齢が合わない。

 赫い眼と先端の尖った耳は大森林の民の証である。しかし、俺のこの赤茶けた癖毛は、高地の民によくみられる特徴だ。孕ませたのはヴァシリイではないかと俺は疑っている。

 奴は快楽とともに財産をひとつ増やしたのだ。正式にローバを妻にしたら、その者の身分はホロープになる。弄んだだけで名乗らなければ、無傷だ。

 

 ホロープ、ローバは、自由民から明瞭に区別された、主の意のままに売買される奴隷であるが、課せられる仕事は肉体労働ばかりではない。知識を身につけ、所有地の管理事務を担う者もいる。

 母は、ヴァシリイに知識階級(インテリゲンツィア)としての教育を受けた。一方で、産まれた俺は、学の要らない牧童だ。母と同じ教育を施せば、自分の子とみとめているようなものだ。

 

 かつて、およそ二百人からなる戦士集団の隊列に、幼童から少年に移行しつつある年頃の俺は加わった。北方大地諸国の戦闘に戦闘集団(ガログラス)として雇われるのは、牧羊と狩猟で暮らす山あいの貧しい男たちが生計をたてる手段の一つだ。

 寒さの厳しい北部である時点で、諸国も貧しさにかけてはハイランドとおっつかっつなのだが、領地や鉱山を取り合って王国間の争いが絶えず、版図がしょっちゅう変わるから、ガログラスを必要とする雇い主には事欠かない。

 戦闘では剣が主に用いられ、次点で弓、弩、戦斧なども用いられる。魔術隊も、少数ながら存在する。

 少数であるのは、魔術に長けた戦士を育成するより、剣を扱う戦士を新たに雇うほうが、手間が少ないからだ。元から魔術を扱える者でなければ、魔術隊には配属されない。そして魔術の教育を受ける水準にいる者は、めったなことでは戦闘奴隷にはならない。

 神の恵みか、創造主による設計の過ちか、俺には魔術の才があった。ヴァシリイの息子が骨から作られた筆具(ピサロ)で蠟面に字を刻むようになる前に、俺の弱い小さな指は、火球を無から生みだした。母の唱える詠唱を真似たら、できた。十歳になる頃には、火だけではなく、水も風も出して操れた。

 

 年をとったり負傷して戦えなくなったり、あるいは死んだりで、ガログラスの隊長は、毎年、欠員を補充しにくる。

 年上の牧童仲間、レーノが勧誘される場に、俺はいた。去年戦死したクルネードの大盾を隊長はレーノに渡し、ガログラスに加わらないかと勧誘した。

 レーノは俺を指さし、俺が魔術の使い手であることを告げた。背丈ほどもある杖が、俺に渡された。握りこぶしほどの魔石を嵌めてあった。木魅を削って磨き上げた柄には、血の痕がしみこんでいた。ガログラスに加わったが生還できなかった魔術師の遺品であった。

 

 ガログラスには、給料が支払われる。三ヶ月ごとに去勢牛一頭が慣例だ。

 ヴァシリイは、俺を手放すことを承知した。まる一年間働いたら、牛四頭。凄い財産だが、俺の手に入るわけではない。ヴァシリイの儲けだ。父が……雇い主が俺を売り払ったのだ。

 仕度金として、隊長が銭を少々くれたので、母に渡した。母は鍛冶屋に短剣を打たせ、病死した牛の皮を剥がして鞣し、短剣をさげる腰帯を作ってくれた。

 

 長耳族の特徴として、長い寿命と優れた聴覚のほかに、男であろうと体つきが華奢で、男女の見分けが困難な――とくに子供のうちは――ことがあげられる。

 細身で中性的であった俺の体は、戦士の情欲を刺激するには十分だった。犯された。逃げ足に敏感な古強者どもが揃って女郎屋に出かけるタイミングを待ち、逃走した。

 

 長耳族の耳は、森にひそむものの気配を用心深く聞き分ける。森に入れば、追手を欺いて逃げるのはたやすかった。 腹が減ったら野兎を捕らえて食い、木の実を齧った。

 大都市であれば、冬でも食い物にありつけると思った。巡礼(ストラニキ)遍歴聖者(スターレッツ)に付いて無料の宿場を利用しながら大都市をめざした。ことに、鞭身派(フルイスト)には世話になった。

 カーリアンにたどり着いたとき、俺は十二であった。魔法三大国であることを知ったのは、少し後だ。

 短剣を売った。腰帯を売った。持ち物のなかできわめて高価な杖は、最後の切り札として、とっておいた。物乞いになっても絶対に売らなかった。

 

 俺は十四になり、物乞いにはむかなくなった。その頃には、俺にも情婦ができていた。十二歳の女の子で、左の腕がなく左足は義足だった。左眼は抉られていた。物心つく前に、彼女の〈父ちゃん〉に処置をされたのだった。道行く人に見せびらかす赤ん坊から幼児の姿形が哀れであればあるほど、衆目は集まる。同情して、金を投げる者も増える。しかし〈父ちゃん〉や〈母ちゃん〉は、不幸な状態にした赤ん坊の将来まで責任をもつことはしない。四肢が欠けていても、情婦の体を使ったもてなしは巧みだった。酒は俺より強かった。

 情婦は俺に、ヒモになってもいいと言った。しかし、年上の男として、俺は自分が養ってやる立場になりたかった。

 魔杖に視線を走らせた俺に、冒険者になることを情婦は禁じた。

 冒険者ギルドは来るものを拒まないが、そこに所属する北の冒険者は、身内意識が強く、よそ者に厳しい。負傷して動けなくなれば、他の組合のように面倒を見てくれるでもない。

 早々に来る死を受け入れて冒険者になる前に、銭湯の三助としてやとわれることができた。

 つてのあるものは、親か親戚の口利きで十から十二くらいで三助に雇われるのだが、俺はあいにくその事を知らなかったから、出だしは物乞いであったのだ。俺は自分で自分を売り込まねばならなかった。

 物乞いで年もいった俺を、風呂頭は雇うことを渋った。担保に杖を差し出した。俺がもしも失踪したら、それは売り払ってかまわない。そう説得した。

 

 情婦を養うために仕事についたのに、忙しくて、ろくに逢う暇がなくなった。数ヶ月後、使いに出たときに、時間をやりくりして逢いに行ったら、情婦は消えていた。金持ち相手に鞍替えして、妾宅にひきとられたのだと、同じ貧民窟の女が教えた。

 悲しさに沈んだ身に、三助の業務の忙しさはありがたかった。束子つくりに使い走りに、与えられた仕事を誠実にこなせば時間は勝手に過ぎた。過ぎる時は、俺に情婦を忘れさせた。

 

 職を得ると、これまで考えなかったことも考えられるようになる。

 俺という奴隷の逃亡によって生じた損害は、ヴァシリイに請求されたのだろうか。俺がガログラスから逃げ出したことで、信頼を失墜したヴァシリイは、そのまま没落し……楽しい妄想だが、現実にあってはならない。主が窮乏した場合、真っ先に売り飛ばされるのは奴隷だ。奴隷商人がどこの誰に転売しようと不服を言う自由は奴隷にはない。

 ヴァシリイに災いあれかし。いや、栄えていろ。俺の母ちゃんまで売り飛ばす必要のないほどには。

 顔も知らぬ祖母よ。なぜ、奴隷に甘んじた。なぜ、母に自由を与えなかった。俺の怨嗟は非在のものにまで向けられる。

 

 

 十五になると、冒険者に勧誘された。

 誘ったのは、ゾルダート・ヘッケラー。冒険者だが、仲間のいないはぐれ者だ。

 冒険者どもの諍いにいる彼を、俺は一度見ている。痩せた野犬が、ひとりで意地をはっているような、淋しさと凶暴さが綯いまぜになった感じをうけた。けわしい目つきが、ふてくされたような印象を与える奴だと思った。

 次に銭湯で見たとき、俺はその男の名がゾルダート・ヘッケラーであることを知らなかったし、あのときの、とすぐに気がついたわけではなかった。銭湯の客である女獣族を、滑らかな褐色肌に刻まれた無数の古傷まで、きれいだと思った。そばに居た小さな女の子の蒸しあがりそうな体を冷ましてやるのにかこつけて近づき、向こうのほうが俺を憶えていて声をかけられた。

 

 しかし、多少なりとも人を疑うことを覚えていた俺は、杖を風呂頭に取られているから不可能だと嘯いた。三助の代わりなどいくらでもいるから、本当はいつでも辞めて杖を返してもらうこともできたのだが。

 彼が俺のためにどこまでやるのか、確かめてみたい気持ちがあった。

 すぐに諦めるだろうという予想に反し、ゾルダートは俺の知らないところで風呂頭に交渉を持ちかけ、杖を手に入れた。手に入れたその足で、俺に渡しに来た。

 ――これで、お前は俺の仲間だな。フェリム。

 ゾルダートの顔つきには、期待があらわれていた。ヴァシリイからもガログラスの隊長からも、ついぞ向けられたことのなかった感情だった。

 

 精神の高揚。俺は杖を掲げ、夜空に向かって獄炎火弾(エグゾダスフレイム)を打ち上げた。これまで成功してこなかった上級火魔術であった。

 炎は高速で糸が巻かれるように頭上で膨張した。熱気が、手を、髪を、顔を撫でた。

 トイリーという子供の見た目をした冒険者が、新たな門出の祝いだと鹿を一頭振る舞ってくれた。これまでの人生で最も嬉しい出来事であった。

 

 翌日から、ゾルダートやトイリー、ルーといった面々から助言を受けつつ、依頼をこなすために尽力した。ゾルダートと正式にパーティを組むためだと思えば、ランク上げのための雑事にもせいが出た。

 

 ゾルダートには、人と喋るとき、ちょっと顎をあげる癖がある。その癖が相手を食ったような態度ととられ、関係がこじれやすいのだ。かっとなりやすく手が早いのは、この街では、いや、冒険者には普通のことだ。

 普段は魔物を相手に戦うためか、荒事に慣れた冒険者であっても、後先考えず攻撃し、相手の負傷の深さに初めて愕然とする者が多いというのに、ゾルダートにはそれがない。相手が大怪我をしても怯まず、気の済むまでやる。自分が舐められることは過敏なほど嫌った。

 喧嘩相手への苛烈な仕返しを見ていると空恐ろしくもあるのだが、俺には穏やかだ。喧嘩も一度きり。倒れれば、それ以上の追撃はなかった。

 ゾルダートの情婦とその妹と祖母、冬が明けるまで護ることになっている二人の女の子にも、優しい。フェンリルのような凶暴性は、爪と牙を持たない女子供には、なりを潜める。

 俺はあなたにとって女子供と同じかと訊いたら、違うと言われた。多分お前が俺の仲間だから、何を言われても腹が立たないのだろう、と本人もよくわかっていなかった。

 

 

 いま、ゾルダートは彼の巣たる女の子たちと引き裂かれている。

 獄からの解放は、滞りなく済んだ。晴れてゾルダートは釈放されたが、すぐに彼女たちに会えるわけではなかった。

 はぐれ竜を倒しに森に潜るその日まで、討伐メンバーと連帯して戦えるように仕込まれるのだ。面会の暇はない。

 

 本来なら春を待ち、討伐する予定の竜であった。

 ネヴィル河の氾濫による都市の損害、民衆の不満、色んな不運が重なって、その予定が前倒しになった。

 人も足りない、雪解け前で足場も悪い。そんな中、俊敏な巨体を倒しに行くのだ。ほとんど死にに行くようなものだと、俺にすらわかる。

 

 宿の物置と化した屋根裏に、使い古して破れ捨ててある手籠を見つけた。

 

「おかみ、この手籠、もらってもいいか?」

「何に使うんだい」

「ちびの遊び道具さ」

 

 階段の下り口から答えた俺を、差配のおかみは無愛想に見逃した。俺は部屋に引っ込んで編み上げられた細帯状の樹皮をばらした。必要とするのは、厚みのある楕円形の底板だ。

 底板を、退屈していたちび(ベアグ)は嬉々として受け取った。シンディをベアグ、ベリトをマーリンキィ、と俺は呼ぶ。意味はどちらも〈ちび〉で、深い考えはないのだが、なんとなく呼び分けている。

 

 寂しい懐が温かくなったのは、ナナホシとシンディを冒険者ギルドに託した、オル何とかいう男のおかげだ。

 可愛いちび(ケラ・ベアグ)は、尖らせた金属の筆具を握り、引っかき傷を何度もつけて、底板に文字を刻んだ。

 ベリト。そう書いてあった。この場にいないちびの名だ。ちびを膝に乗せ、マーリンキィ、と俺は書き加えた。

 ベリト・マーリンキィ。横並びにすると、貧民窟の親無しが、立派に姓を持ったようだ。

 

「な、な、ほ、し、し、ず、か……」

 

 次に筆具を持ったナナホシは、カリカリ、カリカリ、辛抱強く傷をつけて、ナナホシシズカ、と下手くそな字を刻んだ。

 ゾルダート・ヘッケラーと書ける? 訊ねたちびに頷いてみせ、ナナホシは時間をかけて刻んだ。

 ゾルダートが死ぬかもしれないことが嘘みたいに穏やかな時が流れた。

 神よ、と俺は板に記す。すぐに小刀で削り取る。手籠をばらした底板に刻むべき言葉ではない。残すべきではない。俺は生まれながらのホロープだ。家畜だ。家畜の祈りは、聞き届けられない。

 フェリムファムール・ドラゴンロード、と、この中では一等長い俺の名を刻んだ。

 

「私の名前もかいてほしいの」

「書いたよ、ちびってさ」

「ううん、シンシア・グレイラットのほうよ」

 

 柔らかく削りやすい蠟面と異なり、木面に文字を刻むには指の力が要る。弱い指が疲れたのか、ちびは筆具を手放した。

 胸に頭をもたせかけてくる。俺はなんだか和やかな気持ちになって、名を刻んでやった。

 シンシア・グレイラット。貴族みたいな名だ。グレイラットの綴りがわからず、ちびに教えられた。

 

「グレイラットって、アスラ貴族のグレイラットか?」

「うーん、お父さんとお母さんが、むかし、貴族だったの。でも、捨てたんだって」

「じゃあ、ベアグは貴族じゃないんだな」

「うん」

 

 貴族は、多くの奴隷が求める自由を所有する。自由を規制する法をつくるのは貴族だ。その下の身分の者は、法の規制の枠内で生きていくしかない。

 ちびの両親は、ちびやその兄妹に自由を与えたいと思わなかったのか。

 それとも、無知な子供を雨風から守る、強い翼が己にあると確信したのか。

 

 友達の姉妹に会いに行こう、と、俺は誘った。ゾルダートが不在の間、俺はシンディとナナホシの面倒を見る。姉妹がスヴィの自宅で酷い扱いを受けないように気を配る。

 

 スヴィの自宅では、カノンが女房に怒鳴られ、まつわりつく子供の相手をしながら老人の粗相を片付け、ベリトは泣きわめく赤ん坊を背負わされていた。

 カノンは疲労でひび割れた微笑をみせた。ベリトはさっさと赤ん坊を他の子に押しつけ、シンディと連れだって庭に出た。

 物心ついたスヴィの悪ガキどもは、子供ながら整った容貌のシンディに怖気づき、彼女の気にさわることはしない。表面では無関心を決めこむ。したがって、シンディといる間は、ベリトが虐められることはない。

 差配夫婦の次男坊みたいに、めげずにちょっかいをかける悪ガキもいるにはいるが、ここにはそんな気骨のあるのはいないようだ。

 

 夕方になり、勤務を終え帰宅したスヴィは、家族中から吊し上げをくらった。居候をおける身分かい。しかも、よりによって淫売の魔族だよ。このご時世に。近所に知られたら、この一家はみんな狂人だと思われるよ。

 毎日これよ。カノンが俺にささやいた。

 スヴィは暖炉の上から降りてこない父親にカーシャを渡していたが、俺が冒険者であることを口にした。

 

「そのエルフは、魔術師だ。金を稼げるぞ」

「あんたの一家を食わせるためにここに来たんじゃない。居候するつもりもない。カノンの様子を見にきただけだ」

 

 俺の仕事は、ナナホシとシンディを守ることだ。カノンベリト姉妹が無事なら、すぐにでも帰るつもりだった。

 俺がスヴィに食ってかかるあいだ、カノンは俺の手を握りしめていた。その手は冷たくて、小さく震えていた。

 

「実は、いい仕事を見つけた。住居付きの仕事だ」

 

 俺の抗議に、わかった、わかった、というふうに手をあげて降参したスヴィは、くたびれた所作で食卓に地図を広げた。

 俺は二人のちびを呼ぶことにした。子供でも、十になれば、気の廻り方は大人と変わらなくなる。ちびたちはまだ七歳だが、親無しは、親のいる子より早く成熟せねばならない。聞ける話は、聞かせておくべきだ。

 

 台所の窓から裏庭を覗いたとき、俺はちょっと驚いた。

 マーリンキィとベアグ。二人のちびは、顔を近づけ、互いのくちびるをつけていた。ただの遊びにしては、真摯な口づけであった。

 ちびたちは、俺に気がつくと、唇を離した。俺が何か言うより先に、室内に入ってきた。

 

「何してたんだ?」

「蛇をあげたの」

「蛇?」

「そう。ベリトが使える蛇」

 

 俺はシンディを、ナナホシはベリトを抱き、カノンの両隣に立った。背伸びをしてまつわる自分の子供たちを払いのけ、スヴィは擦り切れた地図を指で示した。

 

「これが、広大な北方大地を、我らが魔法三大国と小国地帯にわけるカラル山脈だ。ネリス公国の首都から、ほんのひと息の距離だ。

 そして、山脈を越えたすぐ麓の町がパルセノ。豊かな町だ。金に白銅に岩塩に、宝石もとれほうだいだ。ここカーリアンより、よっぽど栄えている」

「そこで、あたしが働くの? 何をすればいいの?」

「女の仕事は、パルセノで働く炭鉱夫の世話だ。洗濯だの炊事だの、身のまわりの世話をするんだ。

 たいそう、楽な仕事だ。住処も旅費も陛下から支給される。お前たちの祖母が魔族と知る者もいない」

 

 それ以上スヴィが強引にすすめたら、俺はカノンに代わって、頑なに断っただろう。

 スヴィは、俺たちをごまかしとおすにはお人好しすぎた。

 もっと話を盛ることもできたかもしれないのに、目をそらせ、口をつぐんだ。

 

 スヴィはカノンに考える時間を与えた。

 俺たち五人は、スヴィの自宅を出て、教会に行った。

 カノンとベリトはフードを深く被り、顔を隠している。

 司祭館の婆さんは、ベリトのフードを剥ぎ、抱き寄せて頬ずりした。

 それから、他に人がいなかったので、俺たちを中に入れた。

 

 講壇を眺められるように整然と並んだベンチのひとつに、俺たちは腰かけた。

 咎める神父がいないのをいいことに、ちびたちはベンチの下に潜って外で手折ったつららを舐めている。

 

「あたしたちは、カーリアンには居られないわ。怖くて。お巡りさんは親切にしてくれたけど、でも、長くはいられない」

 

「もし、ゾルダートがいたらねえ」カノンはナナホシの手のひらに自分の指をからませ、弄んだ。

 

「俺が守ってやる、三人で暮らそう、って言ってくれたかしら。でも、できないわよね。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際なんだから。人のことをかまってる暇なんて、ないわね」

 

 ねえ、と甘えた声をカノンは出し、ナナホシの肩に頭をのせた。

 俺は懐の財布を思った。祖母を喪った姉妹を養い続けるだけの余裕はない。ゾルダートの有り金を合わせたって、同じことだろう。この町で、迫害される魔族の子を食わせ、守りきるのは困難をきわめる。

 

「前の客に聞いたけど、いいところなんですって。パルセノは。土地は肥えていて、野菜や果物はたくさんとれるし、春は野原に花が咲き乱れているって」

「行きたいのか?」

「カーリアンに、あたしたち、居場所がないのよ。フェリム、あんたは酒箒邸で暮らせるわ。恋人に追い出されたってね。長耳族は襲撃の対象じゃないから。でも、あたしはだめなのよ。いっときおさまっても、いつまた襲われるかわからない。他の町に移るのもだめだわ。娼婦って、それぞれ縄張りがあるのよ。ぽっと出の女が、勝手に路傍に立っていたら、どんな目に遭わされるか、わかったもんじゃないわ。おばあちゃんがいたから、あたし、この町で、稼いでいけたのよ」

 

 言葉は、枯れる心配のない川の水のようにとめどなく流れた。

 

「スヴィがパルセノを褒めたたえたり、旅費や住居を支給される制度を強調したのは、あんたたち姉妹を厄介払いするためだ」

「そうかしら」

「俺の郷里は、パルセノに近い山だけど……」

 

 郷里が暮らしやすいところなら、俺は戦士集団(ガログラス)に売られなかった、と指摘するのは残酷だ。口を噤んだ。

 上手い話があるはずがないことに、カノンは気がつかないのか。それとも、目をそらしているだけなのか。

 

「行くわ、かの鉱山町に。ベリトも連れて。護送の馬車が出るのは、来週だったわね」

 

 ゾルダートは、そのときすでに、森の中だ。

 学のない少女娼婦に読み書きなどできない。別れの手紙の代筆を申し出た。俺も満足に書けるわけではないが、さようなら、愛してる、これくらいなら書ける。

「未練がましいのは嫌よ」カノンはきっぱり断った。

 

 司祭館を出てから、鐘が鳴りだした。たそがれの晩課だ。

 深夜に男と女が入り乱れ、神に悖る行為に耽ることを至上とするフルイストのもとで身についた教えによると、人は教義や理屈ではなく、生き方によって救われるのだ。

 この世には聖神の恵みを有する義しい人々がいて、こうした人々の内にこそ神は生きている、らしい。

 しかし世間からすれば、フルイストは忌まわしい淫祠邪教のたぐいと考えられているから、ここは異端派――世間的には正統なやり方――に従うべきだろう。俺はカノンに祈るよう勧めた。

 

「祈ろう」

「え?」

「祈ろう。ゾルダートのために。あなた自身のためにも」

「え? 聞こえないわ、鐘がうるっさくて」

「祈れ!」

「ニエット!」

 

 カノンはへらへら笑い、嬾惰な猫のように頭を首筋にこすりつけてきた。雌猫(コーシカ)の名は、俺よりカノンにこそふさわしい。

 抱き寄せた、ゾルダートに代わって。髪に口づけた、ゾルダートに代わって。

 手をスカートの中に導かれた。俺はカノンを柔らかく突き放した。困難な自制を自分に強いた。

 

 

 夕日が沈む。

 姉妹をスヴィの自宅に送り返し、シンディとナナホシを宿に連れ帰った。一人で外出し、街の中心部から外れた貧民窟を通り抜け、市門の前で、失態を悟った。市門は既に閉ざされていた。

 竜退治の前にあって、冒険者は春から秋の〈名誉なき人々〉のように、市壁の外で過ごしている。

 ネリス公国で開発された武器を扱うための訓練をしているらしいが、何をしているのか、まるでわからない。凄まじい音が、ときどき壁の外から聞こえる。

 

 石積みの市壁は、身の丈の何倍もある。壁の上端は闇の中に消えている。

 側塔と壁がつくる直角の部分に手をかけた。凹凸がある。登れる。

 杖は宿に置いてきたから身軽だ。靴を脱ぎ、裸足になった。裸足のほうが石の感触をつかめる。

 手に息をふきかけこすり合わせて温めてから、目一杯腕をのばし、足の指を窪みにかけ、伸びあがった。

 チッチッと舌打ちをし、音の跳ね返り方の微妙な差異を聞き分けて、闇の中で窪みの位置を探った。片手ずつ、窪みに手をかける。体を持ち上げる。

 石は冷えきっている。氷に触れるような冷たさだ。指先は痺れをおぼえた。

 小さいころから頑として動かない牛馬に縄をかけて無理やり歩かせてきたから、足腰と肺は十分鍛えられている。

 それでも、登り切らないうちに息が弾んだ。下は見ない。いったん怖いと思ったら、体が動かなくなる。ひたすら、手と足の指先、聴覚に、神経を集中する。針が刺さったように手足が痛んだ。

 

 登り切った。指の感覚はもはや無い。

 壁の上端に仰向けに寝ころがり、荒い呼吸を鎮めた。

 吐く息は白く闇に広がった。天を守護するかのような無数の星を見た。

 どうして俺はこんなに必死になっているのだろう。

 明日、日が昇ってから来ても良かったんじゃないか。

 いや、竜退治に比べたら、これくらい優しいものだ。

 

 体に力がよみがえった。ここまできたら、引き返すのも、外側に降りるのも、同じことだ。

 体力は戻っても、指の痺れはまだ残っていた。何とかなるだろうと楽観的に構えて降りようとして、落下した。

 体が叩きつけられ、一瞬、ぼうっとした。

 意識が戻ったとき、星明かりは、聳える市壁と、ひしめきあう小屋を浮きださせていた。

 雪の重みに耐えられずひしゃげたようはボロ小屋は、〈名誉なき人々〉の住まいだ。彼らは、冬のあいだだけ市壁の中に住むことを許される。

 よって今の時期は無人小屋なのだが、冒険者たちがそれを利用することはない。〈名誉なき者〉の物に触れると、触れた者まで穢れるためだ。

 

 離れたところにぽつぽつと建つテントが、冒険者の寝泊まりする場所だ。一歩近寄ると、幾つもの殺気が俺を刺した。

 ここが森で、相対するのが魔物であれば、こちらは気配を消し、向こうが立ち去るのを待つのが鉄則だが、相手は理性ある(弱いが)人間だ。敵意がないとわかれば、牙を収めるはずだ。

 

 

  長持をあけ七本の矢を取りだそう

  七人の主人公の中からいちばん上の

  いちばん優れた主人公について物語ろう

 

 

 郷里に伝わる叙事詩を大声で歌いながら、近づいた。

 狩りや長旅に出発する前に、万事が首尾よくいくことを願って歌われるもので、語り手と聞き手が交互に歌うことで語りを完成させるのだ。

 俺がわめいたのは、主人公を迎える聞き手の歌であった。

 正しい形式にのっとるなら、俺の前に、語り手がウリゲールに呼びかける歌を歌わねばなるまいが、俺の他に郷里の歌を知る者はいない。送る俺は、聞き手側だ。

 

 ゾルダートとルー、トイリー、何人かの冒険者には気づいてもらえるだろうか。

 適当なテントに接近したとき、出入口を塞ぐ布が捲れあがった。

 手燭を突きつけられた。いきなり明かりをかざされたので、眩しさにちょっと目がくらんでいると、相手は俺をテントに引き込んだ。

 

「フェリム?」

 

 顔だちがさだかになる前に、声でゾルダートだとわかった。

 ほかに三人ほど若い男の冒険者がいた。凍えないように、中に火鉢を置いて暖をとっている。

 俺とゾルダートは外に出た。新しい武器のそばで火を使うなと忠告をくれたテントの冒険者たちと、ゾルダートの仲は、悪くはないように思えた。

 討伐に行くのは、ほとんどがAかSランクの冒険者で、数少ないゾルダートと同じBランクは、トイリーのようにA級パーティに長いこと所属している者だけだ。死線をいくつもくぐり抜けた、歴戦の古強者だ。

 

「古強者は、要領が良く逃げ足が早い者のことを言うんだぜ」

 

 そう言いながらも、自分が従うに値すると、ゾルダートは彼らを認めたのか。彼らの協力で監獄から釈放されたことを負い目に感じているのか。

 何にせよ、さほど酷く扱かれているわけではないようだ。

 そう思っていたのだが、ゾルダートは寒空の下で服を脱ぎ、背中を見せた。

 火球で照らした。横の筋が四本に、それを斜めに貫く縦の筋が一本。それを一組として三組の傷痕が背中にあった。血は止まっていて、傷には軟膏が塗りつけてあった。

 

「手際を間違えたり、クールミーンどもの指示に逆らうと、これだ」

「逆らわなきゃいいのに」

「癖なんだよ。痛みを与えれば、いいかげん学ぶだろうってよ。おかげでこのザマだ」

 

 魔獣の調教とまるきり同じだ。そうまでしないと矯正できないのかと、呆れ半分、面白さ半分で、俺はにやけた。

 背中をしまい、外套の前をかきあわせたゾルダートに、カノンの決心を伝えた。

 

「伝言なら頼まれるよ」と言ったが、ゾルダートは沈黙した。悲しみを押さえつけているのだろうと俺は思った。

 ゾルダートは、ナナホシとシンディの話になると、ちょっと表情をゆるませた。

 護衛対象としての感情を越えて、ゾルダートは彼女たちを大切にしている。

 そうなるのも頷けた。シンディは言わずもがなだ。自分に懐いてくる小さな女の子が、可愛くないわけがない。

 そうして彼女たちは、ことにナナホシは、綺麗なのだ。単純な見て呉れの話ではない。生きていく上で、人に溜まっていく脂や垢が、彼女はそっくり抜けているように感じる。俺と変わらない歳だろうに、生まれたてみたいなのだ。

 人の見た目なのに人語が話せないことには驚いたが、日毎話せるようになってきている。身近でナナホシの発達を見ていたゾルダートの喜び、庇護欲は、ひとしおだろう。

 

「二人のことは俺に任せてさ、土産話、たくさん聞かせてくれよ」

「ああ」

 

「俺が死んだら、俺を一番よく知る者はいなくなる」現実の事として捉えきれていない声色で、ゾルダートは言った。

 

「ほとんどの奴には、親兄弟がいる。育った土地の縁故がある。俺には、どっちもねえ」

「輜重隊は、決まった場所に定住しないんだったな」

「ああ。軍旅に付いて行くからな。しじゅう、傭兵の後ろを歩いてる。ガキのころは、自分がいるのはどのあたりか、先を行く軍が何派なのか、よく分かっていなかった。

 戦争が一つ終わるたびに、輜重の顔ぶれも少しずつ変わった。もう、昔の知り合いは、ほとんど死んでるか、生きていても、俺のことは忘れただろうよ」

「俺がゾルダートを憶える。忘れない」

 

 ゾルダートは俺を見つめた。そうして、自分の生い立ちを話した。

 一方的に知るのは対等ではないと思い、俺もまた、過去を話した。つまびらかに。ヴァシリイと祖母への憎しみもすべて、打ち明けた。

 騒々しく人と物に溢れた輜重隊で育ったゾルダートと、静かな山岳でろくに人と言葉をかわさず家畜を追いかけ回していた俺では、根本から異なるように思われたが、互いを構成する記憶を知り、結束は高まった。

 

 白む空は、黒い塊としかとれなかった兵器の、気妙な輪郭を浮きださせた。

 ゾルダートと別れ、市門に向かう俺に、トイリーが追いつき、金包みから少しばかりの硬貨を持たせた。

 硬貨は門番を買収するためであった。門番は硬貨の端を齧って混ぜ物のないことを確かめてから、扉を細く開けた。

 トイリーに手を振り、内側に入った。

 門扉はたちまち閉ざされた。壁をよじ登るときに脱いだ靴が地上に残っていた。かじかんだ足に履いた。

 

 ヴァシリイと祖母を除く人々を、俺はころっと好きになる。愛する。

 愛は飛沫の跳ね返りと同じだ。無差別に振りまいたものが、誰からも愛されるのだ。

 愛し合うという現象は、他者に惜しみなく愛を向けられる者に、跳ね返った飛沫がかかる形で成立する。

 パーティに所属しないゾルダートが竜討伐のメンバーに加えられたのは、彼を待つちびが振りまいてきた好意が返された結果だ。

 こうなるのを見越して、愛想良くしていたのではないだろう。

 ちびは無差別に人を愛するのが習慣になっていて、小さな女の子からの無邪気な好意が、荒くれどもにどんなに癒しを齎すか、ちびは知らなかったのだ。

 

 俺はちびとは異なる。すぐに人を好きになり愛するのは、相手に俺を好いてほしいという邪心ありきだ。

 見返りを求めてしまうから、愛が返されないと、まるで裏切られたかのように錯覚する。改めたいと思っても、自分ではどうにもならない。

 俺が少しの(よこしま)さもなく相対し得るのはゾルダートだけだ。

 友情と、もう一つ、特異な感情を俺は持つ。

 ゾルダート。お前は栄えろ。俺が支える。

 俺はゾルダートの目で世界を見る。

 ゾルダートの見る世界を見る。

 

 必ず、生きて帰ってこい。

 

 

 


 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

《笛吹きと太鼓叩きの会話》

 

笛吹き さて、一つ新しい曲をお聞かせいたすとしよう

    それもとびきりに心浮き立つと評判の曲を

    これで、皆が血湧き、肉踊ればしめたもの

    何しろトルコ人がついにやってきたのだ

    俺たちは全軍が死に物狂いで

    やつらと戦わなければならないのだ

 

太鼓叩き お前たちは選り抜きのランツクネヒト部隊だ

     今日の査閲がすめば、金がもらえるぞ

     それぞれ2クローネンが手に入るのだ

     向かう戦場はネーデルラントだ

     さあ、俺がこれから一層激しく太鼓を叩いたら

     お前たちは甲冑を纏い、武器を手にしろ

 

 

(1550-55年頃の木版画より、作者不詳)

 

 

 


 

 

 

 雪を纏った梢が天蓋をつくる針葉樹森を、冒険者たちが進んでいた。

 その数、二十人余り。編成のほとんどが剣士と戦士であり、治癒魔術を扱える魔術師はたった二人である。

 彼らは赤竜退治に向かっている。

 竜退治には火力が足りない。装備も万全ではない。

 ネリス公国で新たに開発された武器を領主から支給されているが、実戦で使うのは此度の戦闘が初めてである。土壇場でどんな問題が起こるかわかったものではない。

 

 雪の上は締まって歩きやすいとはいえ、不規則に吹き荒れる細かな氷塊は、容赦なく冒険者たちの体力を奪っていく。

 

「ゾルダート、平気か? 頭痛は?」

「ねえよ。……ぶっ!?」

「返事は、ありません、だ。馬鹿が」

 

 すぐ先を歩いていたクールミーンが目にも止まらぬ速さで足元の粉雪をゾルダートに投げつけた。

 外套を着込み、毛皮の帽子を深く被っていたゾルダートだが、鼻から目元を守るものはない。まともに顔面にくらった。

 ゾルダートはクールミーンを睨みつけるに留めた。仕返しても敵わない上に、無駄に体力を消耗するだけだ。

 

 雪に閉ざされた森には、ときどき、窪み地(ピッドステッド)が現れ、そこには薪が山と積まれ、薪山をかこう小枝のついたて(ウイッティスクリーン)がある。炭焼きたちが逃げ出した跡地だ。

 薪山を土で覆いかくし、点火すると炭ができる。土のひび割れから空気が入りこむとせっかくの木材が燃えてしまうから、煙と薪山からかたときも目を離せない。炭焼きは、根気と忍耐を要求される仕事だ。

 白や茶色、やがては青い煙がそこここから昇るはずなのに、薪山の傍は無人であった。ここ、イルークォの森を赤竜が縄張りと定めてから、炭焼きも杣人も撤退を余儀なくされた。

 

 貧民窟の暴動でも、羽目板から何から持ち去られていた……、と、ゾルダートは魔族や賤民が暮らしていた地区の光景を思い出した。

 町では、薪も炭も不足している。備蓄分は貴族や富裕層が独占していて、民衆まで回ってこない。

 

 カノンがスヴィのすすめで鉱山街行きの護送馬車に乗ったことを、ゾルダートはフェリムの口伝えで知らされた。

 あんなに可愛い娼婦はなかなかいない。擦れた少年であったゾルダートはカノンを通して、ひとりの女と付き合い続けるのも楽しいと、知った。妊ったら、夫婦になってもいいとさえ、思っていた。

 でも、別れた。ゾルダートたちのような根無し草の男女には、いくらでもみられることであった。ふとした出会いから夫婦になったり同衾したり、長く続いたり、早く別れたり。

 

 シンシアはベリトとの別れをたいそう惜しんだらしい。隠れて何かを渡していたらしいが、魔石だろうか。子供に価値がわかるとも思えないが。

 

「もうすぐ日が落ちる。ここらで野営しよう」

 

 トイリーが進言し、クールミーンが従った。

 

 てきぱきと焚火とテントが準備されてゆく。ゾルダートも仕込まれた自分の役割を淡々とこなした。

 

「おい、やめろって」

 

 冬毛と脂肪でまるまるとしたハスキー犬が一頭、ゾルダートのコートの裾を咥えてじゃれつく。

 首元の厚い皮をゾルダートはつかみ、わやくちゃに構ってやった。ルーが吠えた。若いハスキーは跳ねるようにルーの元に戻った。

 

 犬橇が運ぶのは体力を温存すべき治癒魔術師と、領主から冒険者ギルドに貸し出された青銅製の大砲だ。どちらも大切な積荷であった。

 堅牢な青銅の大砲は、強度も値も鉄製の三、四倍はする。重量も鉄製の倍だが、北方大地の犬は逞しい。十五匹で三門を運ぶことができる。

 砲身の一つはアスラ製とみえ、不必要な彫刻の装飾がほどこされていた。砲としての性能が落ちるのを承知で砲身ばかりか砲弾にまで彫刻の飾りをせずにいられないのが、アスラ人である。

 

 薪山を風避けとしてテントを設置した。携帯食は持ち歩いているが、現地で食糧を調達できればなお良い。狩猟に出ていた冒険者三人組が、スノーバックをかついで戻ってきた。

 

 ビタミンCの不足によって血管が損傷しやすくなる壊血病の知識が広く周知された時代に、彼らは生きていない。経験則で、陸の船乗り病は、生肉や生魚を食べることで防げると知るのみだ。

 開いた腹に手をつっこんでいた冒険者が、スノーバックの胃袋をえぐり出したのを見て、ゾルダートは顔を顰めた。

 発酵した胃の中身を、匙で掬って食べると美味いらしいのだが、独特の臭いと味がして、ゾルダートは好きになれない。

 

「生食もいいが、ペリメニ(水餃子)にする分も、残しておいてくれ」

「おお、作るのか。手伝うぞ」

 

 剣神流の剣士ミロンが手についた血をズボンで拭い、ミンチにした肉を包む皮にする小麦粉を取りに行った。

 戦斧を背負ったガリバーがかがんだので、体を退かして場所を空けた。〈強い奴には従え〉を徹底的に叩き込まれたゾルダートだが、榛の幹に貼りついている黒い塊を剥がしてこいと渡された小刀はつき返した。からかわれていると思ったのだった。

 

「あれはウプラク*1。噛み煙草に混ぜるキノコだ」トイリーに言われ、仕方なしに飛び上がって手頃な枝に掴まり、洞の窪みに足をかけて木に登った。

 赤竜の縄張りに向かっている彼らに、食事や嗜好品を楽しむ余裕があることが、不満であった。

 ――自分が死ぬとは思ってねえのか、こいつら。余裕がないのは、俺だけか。

 

 木の上から、テント群からやや離れた場所に、ルーを見つけた。犬に囲まれた彼女は、一匹一匹、体を撫で、労わってやっている。

 狩猟に出ていたハウ・ブリッツが、スノーバックを担いでルーに近づいた。一頭を丸々彼女にやった。犬は涎を垂らして獲物を凝視している。

 どうするのだろうと見ていると、ルーが短剣で皮を剥ぎ、血の滴る肉を何口か食べた後、犬たちによしと許可を出した。十五匹の犬はいっせいに獲物に群がった。

 犬たちの餌に、橇に凍らせた魚を積んでいる。ぶつ切りのスープにして与えるのだが、魚のスープと死にたての鹿では、食いつきが異なった。

 

「ゾルダート? どうした?」

「犬が……いや、何でもねえ」

 

 北方の霊芝とも呼ばれるウプラクを燃やして出た白い灰を、煙草の葉に混ぜて頬と歯のあいだに挟むのがラノア式だ。

 噛み煙草の陶酔感を生み出す原料であるウプラクを幹から切り剥がし、下にいるトイリーに投げ渡すと、トイリーはにっこりした。

 

 

 いくつかの集団に分かれて焚き火を囲む。

 ゾルダートは、トイリー、ルー、クールミーン、ミロン、ハウと同じグループである。

 ルーは見張りに出ていた。無防備になりやすい食事時と睡眠時には、各グループから一人ずつ交代で見張りを出しているのだった。

 

「ゾル坊、お前はなんでトイリーの言うことなら従うんだ? むかし逆らって毒でも盛られたか?」

「人聞きの悪い」

 

 椀にペリメニをよそいながら、悪気なく疑問を口にしたミロンに、トイリーが柔らかく言った。

 

「お前たちがいつまでも坊や扱いするからだろう」

「何言ってんだ、十七っていったらまだ坊や……ではねえな、確かに」

「お前も私も、ゾルダートが成人前の頃から知っている。気持ちはわかるがな」

 

 ゾルダートは会話には参加せず、黙々と椀の中身を匙で掬った。

 ゾルダートの横に、ルーが座った。

 

「ミロン、交代だ。見張り番」

「ああ」

 

 トイリーがルーに食事をよそう。ミロンは椀の中身をかっこみ、早々に己の定位置に向かった。

 ルーの雰囲気に、憂鬱としたものを、ゾルダートは感じとった。

 

「ぅお」

 

 肘を下から押し上げられ、下をのぞき込むと、日が落ちる前にじゃれついてきた若いハスキーがいて、ゾルダートの横にわりこんで伏せをしていた。

 視線は椀に注がれている。涎も垂れていた。

「ラウダ!」追い払おうとしたルーをとめ、少し分けてやった。

 

「お前、ラウダってのか」

「オンッ!」

 

 ラウダの耳の後ろを搔いてやると、ここちよさそうに目を閉じ、前肢をあずけてきた。

 太い首に腕をまわし、硬い毛皮で覆われた額に頬ずりした。頬を舐める舌が温くて、なんだか幸せな気持ちになった。

 

「ダメだダメだ、これは人間様の食糧だ。ゾルダート、お前の分をやるのは勝手だが、減った分は補完しねえぞ」

「ちょっとくらい、いいじゃねえか、ハウ。犬だって美味いもんは食いたいんだ。俺らと同じさ」

 

 目についた他の犬を舌打ちで呼び、クールミーンも手ずから食事を分けた。

 トイリーの両隣にも来た。無理やり奪いとりこそしないものの、トイリーの分を狙った二匹に、左右から頬に頭を押しつけられ、食うのを邪魔されている。

 トイリーが特別声を荒げず、散歩を拒否する柴犬みたいな顔になっているので、ゾルダートは声を出して笑った。

 犬の管理を任されているルーは追い払うなりする立場なのだが、堪えきれず彼女も吹き出した。

 

 ルーによって犬が追い払われ、「さっきも新鮮なやつを食っただろうに」ハウが言った。

 木の上から見た光景を、ゾルダートは思い出した。

 ハウは馴れ馴れしくルーの肩に手を回した。

 

「犬どもはスノーバックを美味そうに食ってたな、ルー」

「ああ」

「君が言った、俺の望みに応える用意はあるという話は、期待していいのだろうな」

「何を望む」

「当然、君を我がベッドに迎えることだ」

「大型の獲物一頭につき、一度だ。二度目を要求したら、殺す」

 

「要求しなかったら、女として屈辱じゃないのか」と言いながら、ハウはルーを抱きあげようとした。

「報酬を二度せびるほうが恥だ」とルーが払いのけるのを気に留めず、「二人きりになれるテントはあるか」と上機嫌に辺りを見回した。

 ハウはルーを連れてテントに消えた。去り際、ハウはゾルダートたちの方を振り返り、言った。

 

「女は、うまい餌を持っている」

 

 トイリーに止められなければ、背後から襲いかかっていた。

 ゾルダートを押さえたトイリーも、「いいのか」と伺う目をクールミーンに向けた。

 パーティでの色恋沙汰を――もっとも、ルーのほうには一欠片の愛着も無いようだが――今回に限っては見逃すつもりなのか、クールミーンは素知らぬ顔だ。

 

「さあ、魔物避けに、夜話をしよう。語り始めは誰からだ?」

 

 北方大地では、民話の語りは娯楽を越えた真摯な行為であった。歌や語りは霊が舌の先にのって吹き込むのであり、この霊を維持することで、魔物は祓われ、歌い手の生命は保たれると考えられているのである。

 聞き手もただぼんやり聞いていることは許されない。たえず合いの手を入れ、悪霊を追い払わなければならないのだった。

 ゾルダートはしぶしぶ席に座り直した。

 

 

 夜話のおかげか、翌朝はよく晴れていた。ゾルダートたちはイナンクルガフ*2を朝食に啜り、出発した。

 

 数日を移動に費やした。

 進むごとに魔物や獣は姿を消した。

 賢いものは逃れ、そうでないものは尽く赤竜に食いつくされているためだ。

 冒険者たちの緊張は否応なしに高まり、しかし表に出すことはせず、限られた資源で食を楽しみ、夜は見張り番を欠かさないようにしつつ、民話の語りに興じるのだった。

 

 

 先頭を歩く者が手を上げて合図した。傍の櫟に塗料で印がつけられていた。本格的な冬が来る前に偵察隊が残した印であった。

 ここから先は赤竜の縄張りである。

 三手に分かれた。大砲三門を一箇所に集中させないためである。

 

 別班であるルーは、行動を分つ寸前、ゾルダートを抱擁した。

 

神の御恵のあらんことを(ビャナハト・デイ・オート)!」

 

 頬がふれあい、ゾルダートは己が固く歯を食いしばっていることを自覚した。

「お前も手を出したのか」背中をどやしつけたハウを肩をいからせて無視した。

 

 

 白い丘陵に、紅い点が見えた。

 視認できる距離にいる。向こうも、侵入者を見ている。

 動かないのは、平地でろくに食糧を狩れず衰弱しているためか。

 討伐隊唯一のSランクパーティの頭領、リョーリャは魔術師に指示を出した。土魔術によって地盤を緩め、赤竜の動きを鈍らせるのだ。

 

 ゾルダートは、ラウダを見た。

 獣は人のように理性はきかないはずだ。なかば天災であるはぐれ竜を前に、けたたましく吠え立てるべきだろうに、彼らは忠実に人間の指示を待っている。よく見れば、尻尾が丸まり、後ろ足の間に仕舞われていた。

 

 犬橇から、一門の大砲が下ろされた。

 一つの砲を操作するのに、少なくとも六人を必要とする。

 狙いをさだめ発射命令を下す一番砲手。梃子棒で砲身を回転させる者。弾薬をこめる者。一発発射した後、再装填の前に砲身内を掃除する者等々。

 ゾルダートは大砲につく。斬込み隊に入るのは、強者や、はぐれ竜退治の経験がある者だ。

 

「装弾!」二つの色つき煙幕を確認し、クールミーンの指令が飛ぶ。

 砲門の蓋を開け、砲口から薬包を入れ、さらに砲弾を押し入れ、込め棒で、がしがし、突っ込む。

 点火口の真下まで押し込まれた薬包を、孔の上から針金で突き破る。

 火薬を点火口から注ぎ入れる。

 的は大きい。三個の砲口から直線をのばせば、赤竜の胴体に結ばれる。

 

「発射!」

 

 先端が点火口に触れた導火線に火をつける。

 ゾルダートは頭の中で爆破が起こったような衝撃を受けた。耳鳴りのほかは何も聞こえない。

 急に聾者になったような感覚は、何度訓練しても、慣れなかった。

 思考は空白だが、肉体はすぐに次の作業にかかった。

 固定してあるロープを引きちぎらんばかりに、砲身は反動で後退する。熱く焼けた砲身の内部を海綿体で掃除する。後退した砲の位置を戻す。砲身が破裂するおそれがあるから、連続で撃つことはできない。

 離れた位置にある二門の大砲が轟音をあげる。

 

「弓! 攻撃の手を休めるな!」

 

 ゾルダートは大砲から離れ、長弓についた。長さ二メールに及ぶ長弓である。引き絞るには豪腕がいる。大砲に加え長弓をも兼ねるのは長身で屈強な男揃いだ。

 (いしゅみ)は殺傷力において勝るが、一矢射るのに一分は要する。長弓は一分に六本は速射できる。殺傷力より数を冒険者たちは優先した。

 赤竜はもうもうと雪埃をあげ、巨体からは想像もつかぬ敏捷さで這ってくる。

 砲弾につづき、正面、左右から、おびただしい矢が飛来した。

 鉱石のように硬質な鱗は鏃を弾いた。砲弾は傷を与えたのかすらわからない。

 猛然と巨躯が近づいてくる。

 

「撃て!」

「殺せ!」

 

 胴震いが止まらない。歯のなる音が耳の底に響いた。

 ガリバーが酒壺を傾けがぶ飲みし、ゾルダートにまわした。

 乾ききった口に酒を流し込んだが、上唇が歯茎にはりついたままだ。

 

「詠唱始め!」リョーリャが叫んだ。

 赤竜の発達した胸郭が大きく膨らんだ。

 再装填の手を休めないまでもゾルダートはぞっとした。何かが来る、と直感した。

 次の瞬間、凄まじい蒸気がゾルダートに吹きつけ、視界が白く(めしい)た。

 大砲と長弓についた冒険者たちの背後では魔術師二人が杖を構えている。

 蒸気が晴れ、赤竜の口腔から、炎の残滓が漏れているのを見た。

 あらゆる生物を焼失させるファイアブレスと、水魔術が拮抗し、互いに打ち消しあったのだ、とわかった。魔術のタイミングがズレていたら一班全滅もありえた。

 

 魔術師が仕掛けた沼に嵌り、激しく泥土を蹴立て、赤竜は暴れた。

 いかに地上最強の魔物であろうと、おびただしい負傷を与えれば絶命する。

 飛び道具では威力に欠ける。数名の上級剣士が大砲を捨て、飛び出した。

 

 飛び立つのが困難な平地で羽ばたく翼は、砕けたミズンマストだの帆だのが船上でめちゃめちゃに翻り狂っているようだ。掠りでもすれば人など簡単にぶっ飛ぶ。

 

「がっ!?」

 

 ゾルダートの真横を吹き飛ばされたハウが過った。

 ハウは白樫の木にぶち当たり、撓んだ幹だの梢だのから吹雪のような氷華が落ちた。

 治癒魔術師が即座にハウに近寄り、患部を探った。「肩だ!」骨折で済んでいるのは、纏った闘気のおかげだ。

 

 剣士が一人欠けた。ゾルダートにはチャンスであった。

 ゾルダートは胸を拳で思い切り叩いた。空気の塊が吐き出された。肺の空気を吐き切ると、体は勝手に深く息を吸う。ガリバーに言った。

 

「ハウはしばらく動けねえ。俺が行く」

「慣れないやつは足でまといだ」

「そう言っていたら、いつまでも慣れない」

 

 ガリバーはちょっと答えにつまったが、言い返した。「お前はクールミーンの手下だ。クールミーンの指示に従え」

 クールミーンは剣士三人と戦士一人と共に、赤竜を撹乱し、隙をみて斬りつけている。戦士が振り回すフレイルの棘付き鉄球は、赤竜の太い首を覆う鋼鉄のような鱗を少しづつ砕いている。ほかの魔物であれば一撃で頭を打ち砕いていたところだ。

 

「クールミーン! 俺に命令しろ! 斬り込み隊の一番手に参加しろってなぁ!」

「許可する! 金が目当てか!」

 

「そうだ!」ゾルダートは駆け出していた。

 一番手の斬り込み隊は、獲物の分配のとき、取り分が多い。

 切り込み隊が引きつけ、射程内に誘導する。大砲隊や長弓隊が至近距離から攻撃する。

 ゾルダートはがむしゃらに赤竜の爪や尾を躱した。斬撃も叩き込んでいるのだが、正直なところ、躱すだけで手一杯だ。必死に食らいついた。

 

「ッ!?」

 

 ざわりと訳の分からぬ悪寒が走り、とっさに泥沼に伏せた。直後、頭上すれすれを尾が通過した。

 顔に跳ねた泥を拭ったゾルダートの視野に、四肢を交互に出して這って逃げる赤竜の後姿が映った。

 

「追うな」はね起きようとした肩を上から押さえられ、ゾルダートの顔面はまた泥の中に伏した。「今のでミロンもやられた」

 傍にクールミーンがいた。周囲を見回すと、顔から胸部にかけて潰れたミロンの遺体を仲間が回収している。

 

 戦闘中は痛みを忘れていたのだが、ゾルダートのくるぶしも裂傷を負っていた。金卸のような鱗が掠ったのだ。自力で歩いて治癒魔術師の元へ行き、ゾルダートはちょっと驚いた。

 トイリーの右頬がごっそり削げ、歯がむき出しになっていた。

 右側の顔の皮膚が剥がれ、目蓋まで失っている。

 

「逃げ際に、しっかり大砲を破壊していってくれた」顔の肉を失い、喋りにくそうなトイリーは平然と拠点を指した。

 壊滅したが、この班に死人はいない。死んだのはミロンのみだ。

 

「トイリーが押し倒してくれなかったら、俺も死んでいた」まだ少年と言っていい年頃の治癒魔術師ノイが言った。「治癒はトイリーを優先する」

「治癒魔術師は貴重だ。替えがきかない」相変わらずトイリーは喋りにくそうだ。

 

「お前だって替えのきかない存在だ」治癒を受けるトイリーに、クールミーンが言った。「トイリーの作る煙草はうまい」

 

「奴も弱っているようだ。あの岩場に留まっている」斥候が戻り、リョーリャに報告した。

 負傷を癒し、第二陣を整え、進軍した。日が落ちれば夜目の利かない人間は不利になる。決着は今日中につけなければいけない。

 

「進め、進め、疲労は忘れろ」

 

 柔らかな雪に腰まで沈みこむと、即座に仲間に引き上げられる。ゾルダートも何度も引き上げた。

 

 赤竜は不自然に沈黙していた。翼には穴が空いている。目視で判明する限り、初めて認められた砲弾による負傷であった。

 動かないのは、衰弱しているためだ、と、冒険者たちは解釈した。

 

「装弾!」

 

 二門に減った大砲の照準が定まる。

 頭に布を巻いてなお、爆破は頭の中で起こった。赤竜の躰は大きく飛び跳ねた。

 砲弾が命中したのだ、と、思った瞬間、強烈な衝撃をゾルダートは全身に感じた。同時に、体が宙に跳ね上がった。

 

 

 激痛にゾルダートは失神から醒めた。目蓋をあけると、曇天が細雪を振りこぼしていた。

 とりあえず認識したのは、自分が地べたに仰向けになっているということだけだ。

 襟首を強くひっぱられた。首筋に雪が入り込んだ。ずるずると頭の方向に引きずられている。

 両手でさぐり、首をそらせて、外套の襟を掴んで引っ張っているのがルーだと知った。

 

 赤竜は、抱き沈めている死の気配を咆哮と共に解き放った。

 火薬に引火し、あちらこちらで燃え上がっている炎は、折り重なるいくつかの屍体を浮かび上がらせた。

 

「やられた! あいつ、俺たちの真似を……!」

 

 ばらばらに冒険者が逃げ惑う中、誰かの叫びが耳に届いた。

 何度か、地響きがあった。雪ぼこりの向こうに、赤竜がいた。抱えた岩を尾で跳ね飛ばしてきている。強靭な尾が打ち出す岩の礫はさながら砲弾のようだ。

 痛みをこらえ、起きてルーと同じ方向に走った。

 

 左脚を岩に挟まれ、倒れているクールミーンを見つけた。

「構うな。おれと来い」ルーが切羽詰まって言った。引き返し、担いでルーについて行った。

 生きているのか死んでいるのかわからなかったが、木々の陰に横たえ、頬を叩くと、目覚めた。

 傍には、誰の命令か、無事だった者たちによって運ばれた大砲がある。大破していないのはこれ一門のみだ。

 

「俺の判断ミスだ」リョーリャの頬には汗と頭から流れた血が薄く凍りついている。

「悔いてもいいが、引き摺るなよ。あんなの誰にも予測できない」クールミーンの脚は再起不可能なほど潰れている。トイリーに守られて逃げてきたノイが一目見て首を横に振った。

 

「トイリー、ノイ、切り落としてくれ。秦皮(とねりこ)を添えて義足の代わりにする。俺がかならず討つ」

 

「馬鹿言うな」猛り狂う寸前であるクールミーンに、トイリーがまず止血処置を施した。「お前はもう戦えない」

 

 ルーは武器の鉄爪で土を掘り返し、砲身の中に土を詰め込んでいる。ゾルダートは彼女の気が狂ったのかと疑った。

 たとえ青銅の砲であっても、砲口を塞がれていたら破裂する……と、教えられた。破裂?

 ゾルダートは腰の剣をシャベル代わりに、固く凍てついた地面を砕いた。「使え」クールミーンが背負っていた長剣をゾルダートに渡した。刃広で掘り返しやすかった。

 リョーリャが革の外套を裂き捩り、丈夫な綱に加工した。

 

 ルーが鋭く口笛を吹き、犬を呼んだ。数匹が疾走してきた。ラウダのみゾルダートに突進してきた。背中に鏃のような鋭さを持った木っ端が突き刺さっていた。引き抜いてやると、深い眼差しで見つめてきた。

 

「こっちだ! 火薬を持ってこい! 手を貸せ!」

 

 クールミーンが方々に散った冒険者に命じた。負傷を悟らせぬ力強い声であった。火薬が運び込まれた。

 

 四頭の犬を砲架に繋いだ。犬が牽引する砲架を、まだ動ける者が後ろから押し、岩が急坂を作る丘に登った。

 ルーは先んじて丘に登った。火のついた松明を手に待機している。

 砲内に火薬をたっぷり注ぎ入れた。火薬をまぶした火縄を砲身にそって長く伸ばし、数箇所縛って固定し、先端を点火口の中に入れた。

 第二陣の冒険者が、死者のほかはすべて赤竜の周囲から退いたとみて、ゾルダートは、犬と砲架を繋ぐ綱を断ち切ろうとした。ルーに止められた。

 

「滑り落とすだけだ。牽引は要らねえ」

「標的から逸れたら、おれたちにはもう後がない」

「やめろ」

「聞き分けろ」

嫌だ(ナイン)

 

行け(シュール)!」

 

 叫ぶと共に、ルーは火縄の末端に点火した。

 同時に、四頭の犬は猛然と走り出す。ひきずられて砲架が走る。

 下りの斜面では、勢いのついた砲架は、牽引する犬を踏み潰さんばかりに走る。負けじと犬は駆けた。ラウダの、躍動する筋肉を、ゾルダートは見た。

 赤竜の尾のつけ根に、四頭の犬と大砲は一塊になって突っ込んだ。

 ラウダ! ゾルダートの悲鳴は、言葉にならなかった。点火口の火薬に口火が達した。

 轟音と共に、砲身は砕け散った。のたうつ赤竜の鱗と肉片と、砲身の残骸は、渦を巻いて宙に飛散した。

 噴き上がった火花と血しぶきと肉片が、空から地に降りかかる。

 

 厄介な尾は断たれた。喊声をあげ、冒険者たちは連帯のとれた動きで赤竜に襲いかかる。

 赤竜は、力を振り絞り、暴れた。赤竜の巨体は、やみくもに暴れるだけでも凄まじい破壊力だ。

 赤竜は柔らかい雪の上に己の巨躯を置いていた。冒険者は雪に足をとられ、決定的な一撃を放てず、じりじりと赤竜を弱らせるしかないのだが、人間側の体力も次第に消耗していく。

 

 ラウダは死んだ。言葉を喋らぬ友の死を悼む暇はなかった。

 ゾルダートも託された長剣を手に、斬りつけるタイミングを伺って赤竜の周囲を疾走した。

 速度を緩めれば、赤竜はそいつに狙いを定めて殺しにかかる。

 

「あぁ!? 邪魔ァ!」

「あっち行け! 死ぬぞ!」

「おいルー! 何とかしろ!」

「だめだ! 指示を聞かない!」

 

 冒険者たちの傍を、特攻を外れた犬たちが疾駆した。

 かれらは先導するようにぐるぐると赤竜の周囲を駆け、ときおり冒険者の体に体当たりして邪魔もする。

 犬たちの意図はわからなかったが、犬が駆けた雪の上を走ると、その雪はしっかりとしていて良い足場になった。反対に、体当たりをされても強行した場所は、雪が柔らかくて足が沈んだ。

 

「こいつらに従え! 走りやすい!」

 

 ゾルダートは叫んだ。突っ込んでくる竜牙を跳躍して避けた。剣を横薙ぎに振るって牙を砕いた。

 

 遡れば、犬は古代から人間の友であった。

 ルーに獲物を与えられ、ゾルダートとクールミーンの二人に食事を分けられた。かれらは自分たちを冒険者の――赤竜討伐を目的とした――群れの一員だと認識していた。

 集団で行なう狩りは、かれらの遺伝子に刻まれた本能である。

 捨て身の特攻で同胞が殺されても、犬は人を憎まない。本能は赤竜への恐れに勝る。

 

「ちっ……」

 

 命を絶つほどの斬撃を喰らわせるには、助走に費やせる距離が短すぎた。持久力勝負に持ち込まれれば、人間は負ける。頭の芯は疲労で鈍く痛んだ。

 

「ゾルダート!」

 

 ルーが四つ足で駆けてくる。

 

「おれを踏め!」

 

 ゾルダートは雪を蹴立てて走った。ルーの伏せた背に躊躇いなく足を乗せた。獣族の彼女の脚力は、人族にはるか勝る。

 ルーは爪で地面を深く掴み、地を脚で強く蹴り、ゾルダートを上空に飛ばした。

 ルーを飛び台として、これ以上ないほど、赤竜に接近できる。それも上空から。

 

 ゾルダートは、手の骨が砕けるほど強く柄を握った。宙で体勢を整えた。

 赤竜は身じろぎした。わずかな動作で、体から垂れる無数の血の氷柱が砕け散った。

 巨大な黄色い目に捕らえられた。

 洞窟のように(くら)い喉の奥で、チリチリと赫く輝く火花が見えた。

 

 躱せない。

 死が、そこまで迫ってくる。

*1
カバノアナタケ

*2
小麦粉にトナカイの脂身を加えて煎り、紅茶液と熱湯を混ぜ、練ってどろどろの粥状にしたもの。シベリアの携帯食。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。