巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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三四 シュヴァルツ・バスティエの悲喜

 

 

 

  物見に生れて、

  物見をせいと言ひ附けられて、

  塔に此身(このみ)(ゆだ)ねてゐれば、

  まあ、世の中の面白いこと。

 

 

 


 

 

 

 七星静香は強かな高校生である。

 おまけに賢く、容姿もそこそこ愛らしいとくれば、もはやスクールカースト上位になるために生まれてきたようなものだ。

 しかし彼女は根っからのインドア派であった。

 大勢でワイワイするよりも、二人の男幼馴染や少数の仲の良い女友達といることを好む。

 アニメや漫画も好み、趣味はどちらかというとオタク寄り。

 人当たりが悪いわけではないので、クラスのオタクたちから懐かれている。

 弁当は二軍の大人しい女子生徒たち三、四人と食べる。

 一軍女子とは臀を叩かれるセクハラを受ける程度には打ち解けている。

 気分で休み時間は寝て、誰ともつるまず読書をしていても「七星さんってさぁ……」と軽んじられることがないのは、彼女の通う高校が地元では有名な進学校であったからであろう。

 放課後はまっすぐ帰ったり、たまに友達とカラオケやショッピングモールに寄ってプリクラを撮ったり、テスト前にはファミレスに集まって駄弁りながら勉強をする。

 クラスの半数が持っているスマホはめんどくさいから持っていない。

 両親との仲は普通で、生意気な小学生の弟とは最近喧嘩が増えた。でも嫌いなわけじゃない。

 家庭環境は、毎年海外旅行に行けて、私立理系大学の入学を視野に入れてもいい程度には豊か。

 そんな存在であった。

 

 毎日に不満はない。しかし漫然とした退屈を感じていた、どこにでもいるような高校生の主人公が、ある日突然、異世界に召喚される。

 そんなラノベのような身の上が、まさか現実に、それも我が身に起ころうとは、ナナホシは思っていなかったのだ。

 

 

 広い部屋は重厚で静謐な雰囲気にみちていた。

 緞子張りのゆったりした肘掛け椅子を指して、くつろぐようにシルヴァリルはすすめた。

 大理石の棚板をもつ暖炉。暗緑色のクッションをおいたソファ。床に敷かれた――異世界故に名称は異なるのだろうが――ペルシャ絨毯、壁をかざるゴブラン織のタペストリ。

 ()()()ラノア王国カーリアン市。猥雑さと喧騒と煮炊きの煙が充満した冒険者街と比べると、まるで別世界だ。

 

 空中城塞ケィオスブレイカー。

 名称に偽りなく、宙を漂う孤島に建つ城塞の、その一室である。

 ナナホシの隣の椅子にはオルステッドが、正面にはシルヴァリルが掛けている。

 シルヴァリルは天人族の妙齢の女性であった。

 顔の上半分を琺瑯の仮面で隠し、白を基調とした法衣の背には、一対の濡れ羽色の翼が彫像のように畳まれている。

 彼女はナナホシが逗留しているケイオスブレイカーの主、ペルギウス・ドーラの忠実な下僕(しもべ)であり、ペルギウスに仕えている事に誇りを持っていた。

 

「ロックジョー*1は、悪魔憑きなどではありません。れっきとした病ですから、治療の術はございます。しかしながら、容態は、すこぶる悪いと言わざるを得ません」

「死ぬのか」

 

「ペルギウス様の命令ゆえ、手は尽くしますが」シルヴァリルはオルステッドに対して湧き上がる根源的恐怖、嫌悪を最大限隠しながら話した。

 

「そもそも、人族の子供は死にやすいのです。生まれても十歳になるまえに死ぬ子のほうが、大きく育つ子より、よほど数は多いのです。あまり期待はなさらぬよう」

 

 七星静香は賢い高校生である。

 故に異世界語で交わされる会話を、すでに母国語と遜色ない程度に解していた。

 もっとも、話すほうは滑らかとは言えない。助詞を忘れて喋ることは多いし、TPOに応じた使い分けはまだ未熟である。

 オルステッドに連れられたペルギウスの謁見にて、『てめぇお偉いさんかよこの野郎!』と笑顔で言い放ち、後でシルヴァリルに厳重注意をされた(信じられないくらい怒られた)事もある。

 ナナホシはただ、周囲に教えられた言葉をそのまま使っただけだったのだ。偉い人への挨拶だと思っていたのだ。

 冒険者の粗野な言動を先に覚えた弊害であった。事情を汲んだペルギウスによって大目に見られたものの、ケイオスブレイカーに滞在中は、彼の下僕たちに正しい言葉使いを教育される事となったのだった。

 

 髪や血液、内包する魔力の有無を調べられ、知識欲旺盛なペルギウスに母国の文化や言語を求められるまま提供して、数日、ともすれば数週間を過ごした。宙の孤島では時の流れに疎くなるらしい、とナナホシは知った。

 

 七星静香は愛らしい高校生である。

 彼女を初めて見たペルギウスは珍しそうにちょっと身を乗り出し、「ヒタノスの生き残りがいたのか?」と言った。

 黒髪黒目に黄色っぽい肌のモンゴロイドは、かつて、この世界にも存在した。

 しかし、元より少数派であった彼らは、数百年前のラプラス戦役で絶滅していた。

 髪に黒色が混じる種族はいる、モンゴロイド系統の人種もシーローンあたりの少数民族に残っている。

 混じりっけのない黒髪黒目のモンゴロイドとくれば、これはもう、この世界ではナナホシ一人っきりである。

 三ヶ月を過ごしたカーリアンでは、多少学のある冒険者の男は、彼女を「ヒターナの姫君」と呼んだのだった。

 初めの頃、ナナホシは完全に子供として扱われていた。見慣れぬ顔立ちは年齢の判別を困難にする。言葉が拙いのもあいまって、実年齢より三歳は幼く見られていたのだ。

 特に世話になった青年ゾルダートと自分が二歳も違わないことを知った時は、互いに驚いた。ナナホシもまた、自立しているゾルダートを20歳は越していると思っていたのだ。

 

 オリエンタルな容姿や切なくなるほど黒い(ひとみ)は、北国の男たちの愛情と強い性的興味を生んだが、初めては好きな人とがいいナナホシはスッパリ拒絶した。なあなあな態度でいると押し切られる。激しく怒って拒むことをナナホシは学んだ。

 ゾルダートにはときどき「シュヴァルツ・バスティエ」と呼ばれた。言葉の響きが歌うみたいで心地良いので、口説かれてるのかな、と思った。

 ケイオスブレイカーに来てからふとその事を思い出し、意味を訊ねると、ペルギウスはにやりと笑い、「黒髪の野獣、だ」と教えた。

 黒髪の野獣。からだを求められたのをがむしゃらに拒んだためであろう。ナナホシは憤然としたが、既にゾルダートとは別れた後である。

 

 

 オルステッドがシンシアを抱えて再訪してきたのは、ゆったりとした時の流れる城で、カーリアンで過ごした日々を早くも懐かしく思っていた時であった。

 

『突然こうなった。痙攣と弛緩を交互に繰り返している。妙なものは食わせてない……と思う。できる範囲でいい、治療してくれ』

 

 異世界で右も左もわからなかったナナホシにとって、ちょこまかとナナホシに懐く小さなシンシアは、良く言えば庇護欲を誘い、悪く言えば頼りない。

 幼い女の子を精神的支柱にはできないが、まったく馴染みのない文化や風習に触れることへの不安は溶かしてくれた。

 共に過ごした期間で、ナナホシが知るシンシアは、病気も怪我もしない美しく健康な子供であった。

 

『ロックジョーであろうな。重症化する前に、手足のしびれや開口障害があったはずだが、兆候はなかったのか?』

『知らん。あったかもしれんが、見ていない』

『なんだ、この童に関心を持っているわけではないのか……』

 

 目蓋は開けているが、瞳は虚ろで、意識があるのかわからない。痙攣で舌を噛まぬよう布を噛ませられ、青ざめた躰を糸の切れた人形のように脱力させたシンシアは死体のようだった。

 綺麗なだけの骸……。思わず、血色の失せた象牙色の頬に触れた。まもなく城の病室に運び込まれ、処置が済むまで面会を禁じられたのだった。

 

 

「光刺激やわずかな撞突(とうとつ)で患者の猛激な痙攣が引き起こされます。これより先は光を落とし、音も排除しておりますことをご了承ください」

 

 シルヴァリルの案内で、オルステッドの斜め後ろをナナホシは歩いた。みごとな体格に、造り物ではない自然な銀髪、縦型スリットの瞳孔を持つ金眼、硬質化し鱗のように割れた目元の膚は、彼が人に似ているようで異なる種族であることを雄弁に語っている。

 異種族の大男と人間の少女の歩く速度は異なる。シルヴァリルを追い越さぬようにオルステッドはペースを落としているが、ナナホシが自然に横を歩くことはできない速度であった。

 

「……!」

 

 扉が無音で開けられ、部屋に一歩踏み入ると、ぞぞっと全身の産毛が立った。視認できない薄い膜を突き破るような感覚であった。

 音を排除している、とは言葉通りの意味で、これも魔法の一種なのだろう――微細な足音や布擦れの音さえ消えた、痛いくらいの静寂が薄暗い部屋を満たしていた。

 

 ベッドに仰向けに横たわるシンシアは、可哀想なくらい小さかった。

 喉には管が通され、管の先は魔法陣を彫り込まれた鞴のような機械に繋がっている。

 カニューレを用いる治療法が一般的になるのは数世紀は後のことになるが、気管切開による酸素投与自体は、地球でも十五世紀のルネサンス時代に報告されている。

 魔術によって所々地球より発展している部分はあるものの、町の建築様式から基本文明はルネサンス時代に近いとナナホシは推察していた。

 同様の医術が異世界で生まれていても不思議はない。いや、似た文化が育まれているのなら、ない方が不自然なのだ。

 

 近代と魔法が融合した物々しい処置は、シンシアが助かる根拠にはならない。

 痛々しい様子にナナホシは一瞬手を胸にあてた。シルヴァリルはカニューレの詰まりがないことを確認すると、扉を指し、退室を促した。

 

「微細な傷で、こうも……」

 

 オルステッドはおそらく呆然としていた。

 彼の強靭さはナナホシも見て知っている。熱く灼けた鍋に直に手を触れても火傷ひとつ負わないのだ。彼の体は、小さな傷から入り込んだ毒素が神経を侵す破傷風とは無縁であったのだろう。

 カーリアンの教会で横たえられた冒険者の死に様が脳裏に浮かび、

 

「助かり、ます?」

 

 助かるんでしょ? と、不安になってナナホシは訊いた。

 

「何もしなければ、いいえ(ロー)

 

 シルヴァリルは答えた。

 

「気管切開及びカニューレの挿入には強い苦痛が伴います。現在は鴉片チンキで昏倒させ、苦痛をやわらげている状態です。しかし、中毒性のある麻酔ですから、治療係数の数値は低いのです。

 あのままでは、体に侵入した毒素が消え自発呼吸ができるまで回復する前に、麻酔によって衰弱死します」

「……〈贖罪〉の能力を使えば、その限りではない」

「ええ。ペルギウス様はたいそう寛大なお方ですから、ユルズの使用をお許しになりますとも。しかして、あなたに、自身の躰を捧げる意志はございますか」

「これから考える」

「そうですか。では」

 

 シルヴァリルが退室し、見舞いの前後に通された小室には、ナナホシとオルステッドのみが残された。

 話が飲み込めていないナナホシに、オルステッドは「贖罪のユルズというのがいる。他者の体力を別の者に差し替える能力を持つ、ペルギウスが励起した精霊だ」と簡素に説明した。

 ナナホシは身を乗り出した。そんな魔法があるなら早く教えてくれたらよかったのに。

 

「私! 私、が」

「やめておけ」

 

 発奮するナナホシを遮り、オルステッドは「お前には魔力がない」と一方的に続けた。

 

「心臓がないのに生きているような、未知の体質だ。受換する方ならばともかく、体力を移換して衰弱したとき、解毒手段のない病に罹患するやもしれん」

「……」

 

 ナナホシはちょっとくちびるを尖らせて椅子に座り直した。

 

 じゃあ、あなたが体力を分けてやればいいじゃないの。

 ああ、でも、これから考える、って言っていたのだっけ。

 

 何を迷うことがあるのだろう――内側で不審を育てるナナホシは、オルステッドに恐怖を持つことはない。

 不満もさして口にしないので、オルステッドがことさら手間を考えなくてよい相手である。

 ナナホシは、沼だ。底のない沼。投じた物を静かに抱き込む沼である。数少ない、オルステッドに安らぎをもたらす人物だ。

 

「……ちょうどいい、と思っている。父親の元に帰すというのは嘘だ。頃合いを見て殺すつもりだった。それが少し早まっただけのことだ」

 

 会話とは言えない、一方的な内心の吐露であった。

 独り言を聞かされる相手にも意思と感情がある事にまで気をまわすには、オルステッドは()()()()によって疲労していた。

 

「まだ子供だから、何事もないのだ。俺が何百年もかけて調べ上げた事を一瞬で看破し、願うだけで殺せる無茶苦茶な力……。

 奴の前では、武術も魔術も策略も無力だ。生きているだけで俺の不安要素になる。異能だけを奪い、親元に返すのが一番いいが、手段がわからん。殺すほうが手っ取り早い」

 

 シンシアによる魔物の呪殺を目の当たりにしても、オルステッドが何かしているのだろうな、と思っていたナナホシには、何の事だかサッパリである。

 

「オル……」

「喋るな。お前は黙って聞いていろ」

 

 何か言いかけるナナホシを遮り、オルステッドはなおも吐露し続ける。

 

「こんなものは、嘔吐と同じ肉体の作用だ。いったん吐物が逆流し始めたら、とどめようがない。無垢の子供を見捨てる罪悪感が、俺の意思を超えて、溜まった言葉を噴出させているだけだ」

 

 ナナホシは席を立った。

 

 七星静香は愛らしく、かつ強かな高校生である。

 美少女にありがちな驕慢さを、彼女もまた持っていた。

 物心ついた時から、男性は彼女に優しかった。幼馴染の篠原秋人とは喧嘩する事はあったが、彼女にとって、男性は優しいものであった。

 美少女にありがちな驕慢さは、日本人の国民性といえる謙虚さと相まって、男は女に本気で怒ることはない、という無意識の思考に留まっていたのである。

 

『よいしょ』

 

 ゆえに、部屋に飾られた見事な壺を持ち上げても、

 

『うんしょ』

 

 中々に重いそれを抱えてオルステッドに近づいても、

 

『えい』

 

 降ろした壺の底で、ゴンッとオルステッドの頭を殴っても、

 

「この外道が!」

 

 オルステッド及び壺の持ち主であるペルギウスが、本気で怒ることはないと踏んでいた。

 ぶつかった壺とオルステッドの頭は鈍い音を立て、ナナホシの手にジーンとした痺れが走る。

 しかしオルステッドに一切のダメージは通っていなかった。怪訝そうに、ナナホシを見上げるのみである。

 

 ナナホシは拳を握り、ペムペムペムペムと正面からオルステッドの頭に叩きつけた。

 

雌猫(コーシカ)!」

「何だ……?」

「この、このっ、うううう゛」

「威嚇……?」

 

 冒険者との交流でスラングは巧みになったナナホシだが、本気で腹を立てているときに限ってとっさに言葉が出てこない。

 

「シンシアは、かわいい! すごく、かわいい!」

「む……それはそうだが……」

『なんで、私にだけ優しいのよ。子供なのよ。無意味にツララ舐めてたり、座ってたら膝に乗ってくる、ちっちゃい子供なのに、何が怖いってのよ。シンシアにも優しくしてよ!』

 

 矢継ぎ早にくりだされる日本語の意味を、オルステッドはわからなかった。ナナホシが憤っているらしい事しか分からなかった。

 ナナホシは華奢な腕でオルステッドの肩を掴んで揺さぶった。ほとんど駄々っ子であった。

 七星静香は高校生である。まだ子供なのだ。どうしても譲れない事には頑固になったっていい年なのだ。

 

「甲斐性なし! オルステッドの、クズ!」

「クズ……」

 

 化け物だの恐ろしいだのは言われ慣れたオルステッドだが、これはあまり経験のないタイプの悪口であった。

 

「クズか……」

 

 人間の屑。どこかの助言好きの神を彷彿とさせる悪口だ。

 ポコスカ怒るナナホシをやんわりと押さえ込み、目を閉じて眉間に皺を寄せた。

 強靭な肉体には強靭な精神が宿る。何百何千とループを繰り返していながら、オルステッドの情は完全に擦り切れてはいなかった。

 守る気のない約束を餌に従わせ、用済みになったら捨てる――嫌悪するヒトガミと同じ所業を選択している事を、改めて突きつけられた気分であった。

 

 安寧と人道。

 オルステッドの中で揺れた天秤は、ウゴウゴ暴れるナナホシによって人道の方に傾いたのだった。

 

「わかった。シンシアのことは見捨てん。俺の健康と体力を分けよう」

「ほんと!」

 

 七星静香は強かで、賢く、愛らしい高校生である。

 野宿だって中世的な町だって平気だ。異世界の言語を覚える意欲もある。からだを求められても固く拒む勇気もある。

 だっていずれ帰れると信じているから。

 異世界召喚は、その世界ですべき事を成したら帰れるものと信じているから。

 自分に魔法が使えないのは残念だけれど、地球にない文明を観測するのは楽しいから。

 

 私は勇者にはなれない。戦えないし。

 でも、きっと異世界で、何かしらの役割があるのだ。

 だから呼ばれたのだ。

 

 そう信じていた。

 何十年も帰れないままであるとは考えなかった。

 いや、異世界に来て既に四ヶ月である。無意識に考えないようにしていたのだ。

 

 ナナホシシズカ。周りよりちょっと優れている、日本の子供。

 後のサイレント・セブンスターは、今はただ、自分のわがままが通ったことに満足して、勝気に微笑んだのだった。

*1
破傷風の別名




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