巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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この辺数話は、空中城塞の内装と精霊全ての姿がアニメか漫画で判明したら書き換えたい話です。




三六 錬金術の結婚

 困ったときは、人に頼る。

 助けてもらったら、お礼をする。そして、相手が困ったときは自分が助ける。

 こういうのを、同盟と言うのだっけ。でも、ナナホシとは仲良しだから、ちょっと違う気がする。

 部屋を訪ねると、ナナホシは蠟板と尖筆を使いつつ、ユルズさんから正しい文法を教わっている所だった。

 

 ユルズさんは女性で、嘴つきの面をつけている。シルヴァリルさんは顔上半分をおおう琺琅引きの仮面だが、ユルズさんのは顔全部をすっぽりおおう革製の覆面だ。

 物腰は柔らかいのだが、姿は物々しい巨大鳥のようでもある。

 

「ナナホシ、助けてくださいな」

「高くつくぜ」

「いいわよ、対価に何をくれるの? と、答えるべきです」

「いいわよ」

「やったあ」

 

 ナナホシは助けてくれるらしい。

 ユルズさんに言葉遣いを訂正されたナナホシが、「どうしたの?」と首をかしげた。

 

「あのね、地下に取りに行きたい物があるんだけど、そこまでの道がわからないの」

 

 ナナホシがユルズさんを見上げた。

 あ、と気づいた。ナナホシは賢い。この城の事なら、ここに住んでいる人に訊けばよかったのだ。

 

「地下、というと?」

「湖があるところ」

「でしたら、私にはわかりません」

「そうなの?」

 

「はい」とユルズさんは覆面のむこうで言った。

 

「地下の壁画の間まででしたら、案内もできます。ですが塩湖はこのケイオスブレイカーの最深部です。人の侵入を前提に建設されていません。通路もとうに埋まっているでしょう。安全の保証はできかねます」

「む……」

「ペルギウス様はあなたがたを客人として迎え入れました。私に加えられた術式により、客人を危険に誘導する行為はできません」

「じゅじゅ、ずち……術式?」

 

 ものすごく噛んだ。

 笑ってくれたらまだ恥ずかしくないのだが、ユルズさんは何も聞かなかったというふうに続けた。

 

「私どもはペルギウス様に召喚された精霊。いわば人造生命体です。あなたがた人間が追求しがちなアイデンティティへの疑問、および悩みを持つことは生涯ございません。その代わり、完全な自由も存在しません。課せられた制約を破ることはできないのです」

 

 あいでんてぃてぃって何だろうか。

 人にしか見えないのに、人ではない。造られた精霊。

 私がつかうトウビョウ様の蛇よりは、ずっと高位の存在であろう事はわかる。

 

「案内できなくても、私たちが行くのは、止めねえだろ?」

「〝止めないでしょ〟」

「止めないでしょ?」

「はい。ご自分で行く分には」

 

 ユルズさんに確認し、ナナホシは私に言った。

 

「地下、途中までなら、行ったことあるわ。そこまで行ってみましょう。なにか分かるだろうさ」

「〝分かるでしょう〟もしくは、〝分かるかも〟」

「……分かるかも」

 

 ユルズさんに見送られ、私たちは地下へと向かった。

 足どりはのんびりしたものだ。急いても目的地は逃げない。

 

 鍵のかかった部屋以外は、どこに入ってもかまわないと言われていた。

 蒼穹の天井に壁は鏡張りの大広間、愛らしいクローバー型の天井をもつ箱柱式の礼拝堂を眺め、円卓の間を覗いた。

 

 円い大テーブルが部屋の中央に据えられている。

 椅子は、数えると、十三脚あった。

 もっとも豪奢な玉座のような椅子は、背もたれにも肘掛けにも、精緻な模様が、浮き彫り透かし彫りだ。

 

 半球形の天井に目を上げると、テーブルの真上に大燭台が下がっている。

 蠟燭は灯されていないのに、窓の陽光を受けると、大燭台は小さい光をちりばめた水晶のようであった。

 暖炉の棚板は大理石である。壁際には、黒檀か何かの重厚な棚があった。

 

「よっ」

 

 背伸びをして棚を覗き込む。

 小さい家や木、建物が並んでいた。目を凝らさねば細部が見えないほど凝った出来であった。

 

「ナナホシ、これなに?」

『パノラマかしら』

 

 と、違う言語でナナホシは言い、「本物の景色を、小さい、作った」とゆっくり説明してくれた。

 上空から見える景色を再現した物だそうだ。本物そっくりに着色もされている。

 

「すごいねえ」

 

 調度品から細工物の一つ一つに至るまで、見事なものだ。

 こちらに生まれてから知った言葉で端的に表すなら、センスがいい、というのだろう。

 ぜんぶペルギウス様の趣味だろうか。

 

「食堂かな?」

 

 椅子とテーブルがあるもの。

 近くに台所がないようだけれど。

 

「食堂じゃねえ……なくて、会議室じゃない?」

「かいぎ室ってなあに」

「ディベート……ううん……物事を決定する、話し合う、部屋」

 

 そうなのか。

 話し合うのなんてどこでもいいじゃないかと思ったが、場を設けることもきっと必要なのだろう。

 どうして食堂じゃなくて会議室ってわかったの? と訊けば、ナナホシは壁に飾られた面を指さした。

 白い仮面だが、頬と鼻先に真っ赤な紅をさし、眉は悲しげに歪められているのに、口元は吹き出す寸前のような様相である。

 道化師よ、とナナホシは言った。

 

「道化師の仮面の意味は、無礼講。

 言論の自由が、この部屋では、認められてるの。だから、会議につかう部屋だと思うわ」

「へえ」

「多分ね」

 

 ナナホシは物知りだ。

 言葉が達者になってからというもの、すっかり私が教えられる側である。

 ちょっと寂しい。お姉さんぶって色々教えるのは、楽しかったのだ。

 

 

 中庭に出て、穀物をついばむ鶏とヒヨコを見ながら休憩した。

 本格的な酪農はしていないが、新鮮な卵を手に入れるのに便利なので鶏は飼っているらしい。

 (かこい)から逃げ出した七面鳥に追いかけ回されそうになる事故もあったが、狐面の青年が捕えてくれた。

 シュンッと瞬きの間に現れた彼は、〈光輝のアルマンフィ〉といった。

 白い詰襟で、右側だけ非対称に胸先まで伸ばしたブロンドを、飾りで留めている。

 ゾルダートさんに似てない? と、ナナホシに言ったら、ないないと首を振られた。

 確かに、ゾルダートさんのほうがかっこいい。アルマンフィさんの顔は狐面で見えないけれど。

 彼とも別れ、私とナナホシは地下をめざして進んでいく。

 

「頭、変わった?」

 

 ナナホシは「頭」と言うとき私の髪を触った。

 髪を切ってあるのが気になったみたいだ。

 

「うん。髪ね、シルヴァリルさんに短くしてもらったの」

「髪……」

「うん」

 

 そういえば、と、ナナホシを見上げた。

 背中まで達する、さらさらな黒髪である。

 ナナホシは横毛を人差し指にひっかけ、くるくると弄っている。どこか上の空だ。

 

「ナナホシは、髪伸びないね。オルステッドとおんなじ」

 

 桃割れに結ったりしないのだろうか。似合うと思うのに。

 

 と、思いながら、私は上を見た。

 私たちが今降りているのは、らせん状の階段である。

 視線を上げても、見えるのは、さっき私たちが踏んだ下り階段ではない。

 一本道の螺旋階段と重なるように作られたもうひとつの螺旋階段の裏だ。二重螺旋構造というらしい。

 登る人と降りる人、両者が顔を合わせずすれ違う階段なのだ。

 ナナホシに説明してもらったけれど、どうしてそうなるのかはちんぷんかんぷんである。

 途中で合流できそうなものだが。

 

「ここからどこ行くの?」

「……」

「ナナホシ? 疲れちゃった?」

「……こっち……」

 

 ナナホシはしばらくぼうっとしていたが、薄暗い地下を進み、大きな扉に手を押し当てるときには、笑顔も戻った。

 

 観音開きの扉が、さほど力を入れずにゆっくりと開く。

 隙間からナナホシが中に入っていった。私もつづく。

 

「前にきたのは、ここまで」

 

 角灯がつくる弱い光の輪の中にナナホシがいる。

 今までの通路は、魔照石のぼんやりとした光でほの明るかったのだが、この部屋は暗黒だ。

 角灯を持ったナナホシのそばに行き、ぎゅっと抱きついてみると、頭を撫でられた。

 

 私はもう一度、笛の在処を視た。

 ここにはない。もっと地下深くだ。

 

 光の輪から抜け、手さぐりで、壁に触れた。

 ざらざらした石肌、あるいは釉薬を塗る前の陶器のような感触を手のひらに感じた。

 広い部屋だ。扉から正面、左右の壁を触ってゆく。入ってきた扉の横の壁に到達すると、手触りが変化した。

 凹凸のある、木の感触だ。

 

 ナナホシがきて、角灯で照らしてくれた。

 黒胡桃製の浮彫の装飾が映し出された。腰壁であったらしい。四角い枠が横に並んでいる。

 

「何を探してる?」

「下におりる階段ないかなって……」

 

 答えながら考える。

 押してダメなら引いてみろ、とむかし兄は言った。

 こういう時に当てはまるかわからないが、浮彫の装飾に指をひっかけ、自分側に引いてみる。

 

 何も起こらない。

 諦めるにはまだ早い。

 横の枠に移動し、また引いた。何もない。

 

「色、ちがうわ」

 

 ナナホシが私の肩に手をかけ、ある一点を指さした。

 腰壁の浮彫の中心には、石が象嵌されている。展示室で見た、孔雀石のように見事な緑色の石だ。

 枠一つに石一つで、色はどれも同じだ。

 ところがナナホシが指さしている石の色は、少し青っぽい。

 じっくり見比べないとわからないくらいの差異だ。ナナホシが気がつかなければ、私は見逃していただろう。

 

 どちらからともなく、二人で壁を引いた。

 

 地下の突き当たり、暗黒にみちた部屋。

 扉の左側の壁。角から六つめの枠。

 そこは滑らかに、軋む音さえたてずに開いた。

 

 ナナホシが角灯を持った腕を伸ばして、奥に続く空間を照らした。

 階段が見えた。ぽっかりあいた竪穴のような階段は、下段へいくほど闇の濃さを増した。

 

「隠し扉!」

「みつけた!」

 

 いぇい! と、ナナホシと手を叩きあった。

 達成感に包まれる。まだ塩湖にたどり着いたわけじゃないけど、これが目的地に繋がる道だ。そう確信した。

 

 張り切って降りようとした私を、ナナホシがとめた。

 この先は何があるかわからない。迷ったら戻れなくなるかもしれないから、きちんと準備を整えてから行こう、と。

 惜しい気持ちはあったが、ナナホシの言うことももっともなので、私たちは一旦引き返すことにした。

 ところで、ナナホシはいつ此処に来たのだろう。私が病気で寝ついている時だろうか。

 

「ナナホシはどうしてここに来たことがあるの?」

「オルステッドが、絵、見てた。私はついていっただけ」

「絵?」

 

 ナナホシが角灯を壁に近づけた。何か呟きながら硝子面を撫でると、内部の光量が増し、照らす範囲が増えた。

 複雑な色で模様を描いた彩色陶板が内部の壁をも半球形の天井をも埋めつくしていた。

 数歩離れて見ると、模様ではなく絵である事がわかった。

 

 天から地へ伸びる山々、浮かぶ岩。飛翔するドラゴン。

 竜のような翼が生えた人々が並び、王と思われる出立ちの者に頭を垂れている。

 背が高く、金色の瞳をもつ王に、私は清らかな神の姿を見た……ような気がした。

 

 右に行くにつれて物語は進行しているようだ。

 描きかけの物語の終盤に視線を移すと、赤ちゃんが描かれていた。

 赤子には、ほかの人々と異なり、翼がない。しかし王に寄り添う妃の両腕が、ゆりかごのようにその子に伸べられ、赤子は安楽に睡っている。

 赤子の下では、老若男女が祈るように手を合わせている。

 さらに下には、業火と見紛う太陽と巨大な黒蛇が描かれている。

 

「人身御供みたい」

 

 城や橋の永遠の守りのために遺体を用いる儀式はうんと昔に行われていた。土地の神様の怒りを鎮めるために人身御供を捧げる事もあったという。

 美作にも、生きたまま猿神に捧げられる娘の逸話で有名な中山神社がある。

 東北には持衰がいる。海のすべての災厄を引き受ける役のものだ。

 持衰は大海原をわたる舟に同船し、嵐にあったら、海に投げ入れられる。

 持衰を喰った海の龍神様は怒りを鎮め、嵐は去るという。

 いくら何でも非道なので、とっくの昔に禁止になったそうだ。

 明治に入っても存続していた船乗りのまじないは髷額のほうだ。

 

 猿神に捧げられる娘と、龍神に捧げられる持衰には、共通点がある。

 彼彼女たちは、村の中で大事にされる。

 働かずとも飯を用意され、神様に喰われるその時まで、そしてその後も祠を立てて丁重に扱われる事さえある。

 恨んで呪われないように、という思いもあっただろう。

 

 壁画をもう一度見つめる。

 睡る赤ん坊の、おくるみの金銀刺繍の模様はキラキラと輝いている。

 特別な塗料を使って描かれているのだろう。神様と妃様も同じだ。

 この赤ちゃんは、きっと周りからとても大事にされている存在だ。

 

 つまり、人身御供である。

 これは、供犠の儀式を描いたのではないか。

 

「神様がとっても怒ってて、赤ちゃんは、怒りをしずめる人み御供なの。この女の人はお母さん。下でお祈りしてる人たちは、赤ちゃんに犠牲になってくれてありがとう、って言ってる」

 

 壁画から膨らませた想像を口にすると、ナナホシはちょっと笑い、私の肩を押した。もう出ようということだろう。

 

 

 部屋に戻るなり、ナナホシはふかふかの長椅子に寝転んだ。

 前から思っていたが、彼女は活発的に動き回るより、ごろごろするのが好きなようだ。

 一方で、私はまだ病人という扱いであるが、寝たきりでいるほど重症でもない。

 お城は広くて、身の置きどころに迷う。

 居心地のよい場所を探して、一人てくてくと城内をさまよった。

 

 

 柱に支えられた外廊から、庭に出た。

 背をそらせて、空のてっぺんを見た。

 

「わあ」

 

 凄まじく紅い空が、近い。

 紅く染まった雲の縁は黄金色に耀き、一部は青黒くどろどろとしている。

 散髪してもらったときは、まだ午前だった。

 ペルギウス様の蒐集展示をみて、昼食を食べて、ナナホシと城を散策して、時間はすでに夕刻であったのだ。

 

 生まれる前にいた、黒い空間を思い出した。

 チサとして生まれて死んで、シンシアとして生まれた。その間隙を過した場所だ。

 あんな所にいて、ずっとこんな空も見えずに、どうして私は気を違えずに済んだのだろう。

 こちらで死んでも、私はまたあそこに行くのだろうか。

 そうして、またトウビョウ様を産むために生まれるのだろうか。

 

「やだな」

 

 やだ。やだな。

 死んでも仏様になれないのはやだ。

 

「やだって言っちゃいけないんだった」

 

 前世の故郷では、不幸を不幸とは言わない。

 (まん)が悪い。こう言えば、諦めもつく。

 私は、〝間が悪かった〟のだ。だから仕方がない。

 

 視線を庭園の彫像に移した。

 真っ白な彫像の肌は、夕陽を受けて橙色になり、顔や躰の彫りに深い影を落とし、昼とは違った顔をみせた。

 艶めかしい躰つきの女性が、裸身に兜を身につけ、肩当てはむき出した乳房を強調し、足首を銀の留め金で飾った足は、驢馬の耳を持つ醜悪な小男の首筋と背を踏みつけていた。

 竪琴をもつ青年の膝下に野生の獣がうずくまり、瞳に理智の輝きを持つがゆえ何某かがその姿をとったとわかる白鳥は女を誘惑していた。

 官能的であり、神秘的であり、美と妖と奇にみちていた。

 奔放に、彼らは、すがすがしいほどの自由を謳歌していた。

 

 私は、綺麗なものが持つ妖しさに惹かれてしまう性質らしい。

 今日に至るまで知りようもなかった事だ。

 

「……」

 

 外廊から庭園に降りる段差に座り込んだ。

 空のぜんぶが深い藍色に変わるまで、そうして変わっても、看護婦さんに呼ばれるまで、庭を眺めていた。

 

 

 


 

 

 

 翌日から地下の探索を始めた。

 壁画の間から下に降りてみたのだが、通路は細かく分かれていて、行き止まりも多い。適当に進んでいくといつのまにか上に出てしまう事もしばしばだ。

 むかし兄が蟻の巣にやっていたみたいに、石膏を流し込んで固めて外側を剥がしたら、蟻巣と同じくらい複雑怪奇な構造になっているにちがいない。

 

 一日をすべて地下探索にあててもいられない。

 地下の隘路(あいろ)で痙攣がぶり返すと救助が遅れるから、と時間制限を設けられてしまったのだ。

 あと人族の子供は暗いところに居続けると目が悪くなるからだめらしい。

 

 まず、ナナホシの提案で、地図を作ることにした。

 地図を作れば、同じ場所をぐるぐる巡ってしまうことは防げるというわけだ。

 まあ、それでも地図の見方や書き方を誤って、ここ前に来たことある! と、判明した時には時間切れになってしまう日もある。

 ナナホシはついて来てくれたり、本を読んで読み書きを習得するのに忙しくしていたり、色々だ。

 

 

 オルステッドは一度だけ様子を見にきた。

 助けてくれてありがとう、と言ったら、複雑な顔をしていた。

 いつも通り怖い顔でもあったので、そう見えたのは私の気のせいかもしれない。

 私の立場でいうのも変だけれど、「ありがとうって言われたら、どういたしまして、でいいよ。苦しくならなくていいのよ……」と、そっと控えめに進言した。

 響いてくれたかはわからないが、頬を鋭い爪のついた指でつままれたので怖かった。

 私は物陰にいたのに、次の瞬間オルステッドが真横にいたのだ。

 完全な不意打ちだった。パンの種みたいに毟られるのかと思った。

 筋肉の硬直が残っていないか確かめたかったらしい。

 普通に言ってくれれば、いくらでも触っていいのに……。

 

 一ヶ月も療養すれば、私は全癒する。その頃にオルステッドは迎えに来るそうだ。

 だから、それまでには魔力付与品の笛を見つけたい。

 時間をかけていいとペルギウス様は言ったが、オルステッドがまた空中城塞に連れてきてくれるとも限らないのだ。

 

 

 そんな感じで、空中城塞では、暇になる事がなかった。

 午前は地図作りに忙しい。あとの時間は、美術品や蒐集品を、ただ見つめるだけで何時間でも過ぎた。

 思わず手を触れてしまう衝動は、魔神の絵でなければ生じない。

 そうしていると、たまにペルギウス様が声をかけてくれる。

 ついて行くと、ふだんは施錠されていて入れない区間に入れてもらえるのだった。

 

 各地から集めた民芸品を展示している部屋に入れてもらったとき、突然消灯して、ふっと部屋が暗くなった事がある。

 明るくなったとき、ペルギウス様の声がして振り向くと、しわくちゃな老婆の巨大な顔が浮かんでいて、悲鳴をあげた。

 正体は塗装された木彫りの仮面であった。ペルギウス様が私を脅かしたのだった。

 

 仮面は行事につきものだ。暮らしやすいアスラ王国とはいっても、北の領地であるので、寒さが比較的厳しいブエナ村では、冬追いの祭りは毎年きっちりやっていた。

 北方大地にある都市カーリアンはもっと盛大だった。

 冬と夏に分かれ、めいめいが仮面を被って仮装して、歌合戦で優劣をきそうのだ。

 歌合戦から始まり、しだいに粗野な言葉で互いを罵り、木剣をとって戦い、夏が勝ち、冬と夏は仲直りをする。

 勝つのはかならず夏と決まっている戦いであった。

 

 そんな各地の祭りで使われていた仮面をも、ペルギウス様は蒐集していた。

 色々なのがあったが、ねじくれた山羊の角を持つ醜いベルヒト、三角帽子を蝸牛で覆われた鉤鼻のシュディヒは、とくに恐ろしげだ。

 もう十分見たから出ようとがんばって促す私を、ペルギウス様はのらくらと躱した。

 仮面で脅かされた事といい、彼は、見た目によらずお茶目なところがある。リーリャみたいだ。

 

 

 今日は書庫に入れてもらえた。

 書庫は、離れにあった円筒状の建物で、屋根は半球形である。

 鉄の扉を抜けると、内壁は化粧漆喰だ。下部は、魔照石の洋燈が照らし、上部は硝子窓から自然光を取りこんでいた。

 そうして、全周を書棚に囲まれていた。

 

「お……」

 

 家に数冊しかなかった本が、

 高価な物だから大事に扱うよう再三言われた本が、

 町の本屋でも盗難防止に厳重に鎖をつけられていた本が、

 こんなにたくさん……。

 

「なんだ、字を知らぬのか」

 

 おびただしい書物が発する知の力に圧倒されていると、ペルギウス様に声をかけられた。

「読めます」と答えた。「人間語だけ」とつけ加えた。

 兄は魔神語も学んでいたが、私は人間語以外は話せないし読めない。

 

「これでも読むといい」

 

 ペルギウス様は書棚から一冊を引きぬき、ぽんと私に持たせた。

 山羊の皮をなめした表紙に、四隅を鋲で補強されていた。

 大判で厚みがあるので、だき抱える格好になる。

 不可視の〈知〉の一部が、私の胸にあった。

 

 ペルギウス様は侍従にも何冊か持たせていた。その侍従もやはり仮面で顔を隠しているのだった。

 

「我は退室する。お前がまだ書庫に居るなら、鍵は開けておくが、どうする?」

「ペルギウス様といたいです」

 

 広い、荘厳な城にぽつんと一人でいるのは、寂しい。

 美術品に熱中している間は平気なのだが、ふと現実に戻ったときに、周囲に人が居らずがらんとしていると、ちょっと切ない気持ちになる。

 ここは、人の気配が極端に少ないのだ。

 

 ペルギウス様は、私が彼の視野の隅っこにいることを許した。

 書庫を出て移動し、ペルギウス様が前に立つと、魔方陣を刻まれた扉は、ひとりでに開いた。

 まっすぐな丈の高い背もたれのついた椅子にペルギウス様は腰かけ、書見台に本を設置した。

 インク壺だの羽根筆だのは既に机上にあった。部屋は、他の整頓された区間と異なり、雑然としていた。

 何らかの数式や図式や文字が書き散らされたおびただしい紙片が、絨毯を埋める勢いだ。

 意味がわからなくても、ただでさえ貴重な紙を踏むことはできない。人が書き込んだ形跡があるならなおさら。

 踏まないように用心しながらそっと退かし、私が座れる空間を確保した。

 いそいそと借りた本を膝に置き、開いた。

 

 ……。

 …………。

 

「難しいか?」

「!」

 

 読み始めてしばらく。

 途方に暮れていたのが顔に出ていたのか、そう訊かれた。

 

「むずかしい……」

 

 虚勢を張ってもいいことはないので、素直に認めた。

 

「でも、たぶん、死んだ人を生き返らせる方法?」

 

 言い回しが古くて、字も崩れていて、読むのに苦心したが、まったくわからないわけではない。数少ない解読できた単語をもとに、内容を推測した。

 

「『錬金術の結婚』のなかで、もっとも重要な章だ」

 

 ペルギウス様は頷いた。

 本をもって近寄ると、膝に抱きのせられた。嬉しい。

 

「ローゼンクロイツによれば、死者の再生は七つの階梯を経る」

 

 本に記されているのは、著者が、殺された王と王妃を、錬金術によって蘇らせた過程であった。

 

 一、死者をおさめた柩を溶解し、巨大な球体に入れる。

 二、球体を天井から吊るし、周囲に黄金の球体を吊るし、太陽の熱を相互反射させて加熱する。

 三、加熱した球体を冷却し、常温に戻ったところを割る。このとき内部には巨大な卵が生じている。

 四、卵を黄色い砂を敷きつめた桶に入れて孵化させる。雛は王夫妻とともに殺されたものたちの血を飲んで育ち、凶暴になる。しかし、白い粉末をまぜた液体で養われるうちに、野生が消える。羽毛が抜け落ち、人間のようななめらかな肌になる。

 五、鳥にある秘儀をほどこした後に、首を切り落とし、胸を裂いて血を集め、骸は焼いて灰にする。

 

 ペルギウス様はすらすらと要点をまとめて説明してくれた。

 私が抱えていた『錬金術の結婚』は、机の端っこで表紙を閉ざしたままである。開いてすらいない。

 むかし読んだ本『ペルギウスの伝説』は、彼の若かりし頃を叙した物語である。

 話によると、ペルギウス様は召喚術と結界術の権威で、錬金術は専門外であった。

 本の内容が誤りだったのだろうか。

 それとも、魔神を封印した後に、死者の蘇生を試みたことがあって、そのおかげで詳しくなったのだろうか。

 

「そうして、第六階梯の秘儀は」と、ペルギウス様は語った。

 

 六、特殊な水に、鳥の灰を練り混ぜ、粥状にして熱し、二つの型に注ぎ封じる。冷却してから型を割ると、少年と少女の澄明な像があらわれる。

 七、命のかよってない像に鳥の胸から集めておいた血を注ぎ入れる。二つの像は、たちまち、この世ならぬ美しい男女に成長する。天よりの炎が男女の口から体内に入り、生命が復活し、王と王妃の再生は完了する。

 

「これを失敗すると、奇妙な異形が生まれる」

「異形って、どんなですか」

「人として造られながら、魔族のごとき特徴を有す者。あるいは、生まれてすぐ死ぬような畸形児のことだ」

 

 畸形がみんな自然に死んでくれたら、作った方としても気楽だろう。

 健康な嬰児でも間引くことがあるのに、手足が欠けていたり、知恵遅れとわかる顔つきの赤ん坊を養うのは、難しいことだ。

 私とて、魔力災害で亡くなった友達とその家族に知り合いに、と、黄泉から連れ戻したい人は大勢いるが、働けない姿形にしてしまったら申し訳が立たない。

 

「『錬金術の結婚』がミリシオンで出版されたのは、十年ほど前のことだ。その四年後には、『称賛すべき薔薇十字団(ローゼンクロイツ)の名声』が出版された。これは『錬金術の結婚』の真の著者であり、錬金術にかかわる秘密結社『薔薇十字友愛団』の始祖ローゼンクロイツなる者の生涯を叙した書で……錬金術が何か、お前は知っているか?」

「『物の本性について』?」

 

 と、お兄ちゃんが手紙に書いていた。

 私は読んだ事はないが、錬金術の本らしい。

 

 ペルギウス様によると、『物の本性について』を執筆したパラケルススは、錬金術の大家である。

 人の製造方法は、かの書にも記されている。ミリス神聖国の法王庁では異端の誹りを受け、写本も許されないそうだ。

 

「元来、錬金術とは、金ならざる物を金に変えんとする学問だ。もっとも、おそろしく費用のかかる錬金術より、魔術や魔道具で利を得るほうがはるかに効率がよい。今となっては占命魔術と同じように廃れた学問だ」

 

 占命魔術というと……ええと、母様から聞いた事がある。

 ようは、私がトウビョウ様によって未来を視るのとは別に、魔力と道具を使い未来を占えるようにしたのが、占命魔術。

 昔は栄えたらしいが、現代では廃れた。精度が低いためだ。

 トウビョウ様のような代償がなくても、使い勝手はよほど悪いらしい。

 

「くだらん占命術と比べると、錬金術は無駄ばかりではないがな。我の精霊の骨肉を構成する魔法陣にも、錬金術の式は組み込んである」

 

 ペルギウス様は私を膝から下ろし、蠟燭と、棚からインク瓶を持ってくるように言った。

 踏んでいいか許可を得てから、長持をずりずり動かして踏み台にして、色とりどり、大小さまざまな小壜が並ぶ棚から、指定された壜を取る。

 

「蠟燭どこですか」

 

 蠟燭はペルギウス様が使っている机の抽斗(ひきだし)の下段にあった。

 自分で取らないのかしら、と思ったが、彼が自ら取るにはかがむ必要がある。

 きっと貴人というのは、人前でむやみに躰を縮こませたりしないのだろう。

 なので言われた通りに、抽斗から真新しい蠟燭を一本とって渡した。

 

「壜の中身に触るなよ」

「はい」

 

 もう一度膝に抱き乗せられた。

 ペルギウス様の脚のあいだに両足を入れる格好で、腿に横座りである。机上が見やすくなった。

 

 壜をみたすのは、透き通った液体である。ペルギウス様は筆先を液体に浸して、羊皮紙に書きつけた。

 最初に腕は円を書く動きをし、中に細かく模様を記していく。片手で、気楽な、迷いのない手つきであった。

 薄く色がついてるとはいえ、乾けば無色だ。紙は白紙のままである。

 

 ペルギウス様は白紙の羊皮紙を蠟燭の小さな火に近づけた。

 羊皮紙に浮かび上がってくるものがあった。

 魔法陣だ。美しい緑色の円と線で描かれた魔法陣だ。

 

「みどり」

 

 驚きのあまり、見ればわかる事実を口走る。

 さっきまでは何も書かれていなかった紙だ。

 私の目に見えない速度で、紙が入れ替わったのか。

 それとも、インクに秘密があるのだろうか。

 

「コバルトを溶かした王水で記した文字は、常温では見えぬが、ほどよい熱を加えると美しい緑色を呈する」

 

 ペルギウス様を見上げると、そう教えてくれた。

 やはりインクが特別であったらしい。仕組みはさっぱりである。

 どうして温めると見えないものが見えるようになるのだ。

 

「これも錬金術?」

「隠しインキは錬金術の副産物だ。錬金術師がさまざまな鉱物や溶液や薬品を互いに作用させているうちに、偶然発見したのだ。

 隠しインキとして用いることのできる反応は、他にもあるぞ。加熱すると文字が現れる溶液は、希釈した硫酸と、レモンの果汁もそうだな……。

 青い文字にしたいなら、緑礬で記し、青酸カリ溶液で洗浄するとよい」

 

 レモン果汁しか知ってる言葉がない。

 間抜け面をしてうなずく事しかできない私の後頭部を、ペルギウス様は撫でた。

 

「溶液に魔力結晶も混ぜてあるから、魔力を流せば励起する。やってみろ」

 

 教えられるまま、緑色の魔法陣に右手をのせた。

 ぎゅいっと何かを吸い取られる感覚があり、驚いて手を離す。

 しかし励起には問題なかったのか、魔法陣から光の粒子が昇った。

 

「……!」

 

 粒子は集まり、形を変え、蝶々になった。浅黄斑蝶に似た三羽の蝶は、ヒラヒラと机の上を飛び交った。

 窓から差す陽光に鞭打たれた虹の破片のように蝶が舞うのを、私は手を伸ばして呼んだ。

 人差し指に一羽がとまり、鱗粉がぱっと散り、蝶はいなくなった。翅も脚も残らなかった。

 

「消えちゃった」

 

 幻みたいだった。

 また魔力を流し込んだら同じことができるかと思ったが、魔方陣を描いてあった紙は、白紙に戻っている。

 

「あの規模の召喚魔法陣では、そんなものだ。一度使用すると、効果は切れる」

 

 ペルギウス様は、スナッファーを使わずに、蠟の小さな火を人差し指と親指で揉み消した。

 平然とそんな事をして、熱くないのだろうか。

 普通の蜜蠟に見えるが、実は特殊な品なのだろうか。

 まだ柔らかい溶けたての蠟芯の周りに手を伸ばすと、ペルギウス様の手の甲で燭台ごと遠ざけられた。

 

「さて、我は何の話をしていたのだったか」と、訊かれた。

 

「ひとを蘇生する方法です」

「おお、そうだった。『錬金術の結婚』の編纂者は、ミリスの神学者アンドレーエだ。彼自身は、王夫妻の再生に立ち会ったわけでもなし、ローゼンクロイツと面識があるでもなし。ただ偶然見つけた手記を人目に触れるように編纂しただけだと言う。

 『錬金術の結婚』が出版されてからわずか四年のあいだに、死者の蘇生法に関する研究書が数多く出版されたが、ローゼンクロイツの思想が霊的なものであり、『錬金術の結婚』が寓意と象徴によって書かれていることを理解していない珍妙な説が流れた。死者の蘇生法についても、失敗。異形。これがどういう事かわかるか?」

「……死んだ人を生き返らせる話はうそで、本当はそんなことできない?」

「ああ。誰もがそう思った。この我もな。

 ところが、新たに出版された『称賛すべき薔薇十字団(ローゼンクロイツ)の名声』では、新たな事実が明らかになった。

 ローゼンクロイツは甲龍歴180年代の人物であり、錬金術による効果で人族としては異例的な長き歳月を生き、没した。

 編纂前の『錬金術の結婚』の元となった手記は、死後百二十年の睡りから蘇ったローゼンクロイツが記したものだった。

 彼は自らの躰をつかい、錬金術による肉体の創造、死者の復活が可能であることを証明したのだ」

「うそじゃなかった!」

 

 ということは、蘇生の秘儀は本物だったのだ。

 著者も大胆なことをする。失敗するかもと不安にならなかったのだろうか。

 じゃあ、失敗した人たちは、何が悪かったのだろう?

 

 真剣に考えていると、ペルギウス様はにやりとした。

 仕掛けた悪戯が成功して得意になったような顔であった。

 

「という所までが、アンドレーエの創り話だ」

 

 しばらく、言葉の意味を考えてしまった。

 

「我は、アンドレーエを問い詰め、ローゼンクロイツなる人物も、薔薇十字団に関する何冊かの書物も、皆アンドレーエの悪戯だと白状させた。世間は、神学者の面白半分の創作にすぎないローゼンクロイツなる人物とその偽書、そして秘密結社〈薔薇十字友愛団〉の存在を、まだ真実だと信じ込んでいるがな」

「つくり話……」

「ハ、ハ。死者は死者だ。蘇らぬわ」

 

 ラプラスでもあるまいに……、と吐き捨てる言葉が、遠く聞こえた。

 私はちょっと昔のことを思い出していた。

 あれはまだブエナ村があった頃。

 四歳のワーシカが、振りまわして遊んでいた漉油の枝を投げて楡の木に引っかかり、落ちてこなくなった事があった。

 代わりになる他の枝を探してみたけれど、ワーシカはあれがいいあれじゃなきゃイヤと泣く。

 泣かせ続けるのも可哀想で、私は枝を取りに木によじ登った。

 不穏に撓む太枝にしがみつきながら、ようやっと漉油の白い枝に手が届いたとき、

 

『あっ! ソーニャ姉ぇー!』

 

 ワーシカは去った。遠目に大好きなお姉ちゃんを見つけて。

 きれいさっぱり泣き止んで。満面の笑顔で。

 不安的に揺れる枝に、私を置き去りにして。

 おかげで私は木の上でしょんぼりした。

 

 あの時と似たような心情である。

 梯子を外された感じだ。

 

「だましたの……」

「おや、我がいつ嘘を吐いた? 世間が創作に弄ばれる様、そうして真相を順に語ったに過ぎぬぞ?」

 

 それもそうだ。

 人の話は最後まで聞きなさいってやつだ。

 でも、ペルギウス様の話しぶりはこちらをわくわくさせる物だった。

 突飛な創作を、もしかしたらあるのかも、と信じ込ませる手腕だったのだ。

 

「くっ……」

 

 翻弄されて悔しいけれど怒りが湧いてくるじゃないし。

 内容が内容だけに、落胆の悲しさのほうが大きい。

 もう同じことはしないでほしい。そんな塩梅だ。

 この行き場のない気持ち、言葉に表さないでか。

 

「……おのれ……」

 

 万感の思いを込め、やっと出せたのはそんな一言だった。

 

「ハッハァー!」

 

 ペルギウス様は面白そうに笑った。爆笑だ。

 曲げた人差し指の関節で頬をうりうりやられる。

 

「まったくも……」

 

 人をからかいおってからに。またやったら一人の時に転ばせるからね。

 なぜ一人の時かというと、転ぶところを人に見られると恥ずかしいからだ。恥ずかしいのは可哀想だ。

 

 オルステッドは嘘やからかいはしなかった。

 説明が難しくて理解できないときはいっぱいあったが。

 難しいといえば、紛争地帯できいたあの話もそうだ。

 

「ペルギウス様」

「うん?」

「青銅の首と、ノタリコンって、なんですか」

「誰から訊いた」

「オルステッド」

「そうかそうか。では教えてやろう。まず、カバラについて説明せねばなるまいな――」

 

 

 


 

 

 

 今日一日でわかったことは、ペルギウス様がお喋り好きだという事だ。

 度々こちらの理解度を確かめてくれるので、一方的なお喋りではなかったものの、圧倒的な知識量の差によって、何度も置いてけぼりになった。

 

『わからんか?』

『はい』

『ククッ、やはりな。フクロウの雛のような顔になっているぞ』

 

 と、ちょっと変わったふうに喩えられもした。

 話の途中で理解度を確かめられるということは、理解をあきらめて聞き流せないという事だ。

 二、三歳の子の延々と続く「えっとねえ、それでねえ」を聞くのと、痴呆になりかけの老人に同じ話を繰り返されるのとはわけがまったく違うのだ。

 

 楽しかったけれど、普段はさほど使わない部分を酷使した気分である。

 つまり、かなり疲れた。

 解放されたのは、私のお腹が空いたからだ。

 

 人の話を聞くのも、膝に座らせてもらうのも好き。

 また明日もペルギウス様の所に行こうと思った。

 

 

 

「もう固形物を食べてもよろしいでしょう。何か食べたい料理はございますか?」

 

 夕飯はシルヴァリルさんが用意してくれるらしい。

 今までは流動食だけだった。うっかり咳き込んでも喉につまらないような食事だ。

 これまで食事を作って運んでくれていたのは看護婦さんだが、彼女はもういない。

 看護婦さんは、私の看病をさせるためにペルギウス様が作り出した精霊であったのだ。

 私が自分のことは自分でできるまで回復したので、用を果たした精霊は消したらしい。

 お別れはちゃんとしたかった……。

 

「ナナホシは何をよく作ってもらってたの?」

「アスラ王国の郷土料理。カーシャやザクースカより、美味しい、思うわ」

 

 そうなのか。

 北方大地のお粥も冷菜もじゅうぶん美味しいけれど。

 

 かくべつ美味しいのは母様の料理だ。

 ナナホシが空中城塞でよく食べているご飯のほうも気になるが、母様の料理が恋しくなった。

 

「リンゴとお芋を煮て混ぜて、血のソーセージをのせた料理って作れますか?」

「〈天と地〉ですね。かしこまりました」

 

 そうそう、そんな名前だ。

 母様の祖国なるミリス神聖国。その北部で食べられている農民の食事である。

 貴族の元子女である母様が農民食である〈天と地〉を食べたのは、家出をして最初に訪れた冒険者ギルドの食堂だ。

 その美味しさに感動した母様は、後々仲間になった料理上手の魔族に再現を頼み、作り方を教わったらしい。

 家でもよく作ってくれた。パウンドケーキの生地だけの部分の次に私が好きな料理だ。

 

 ナナホシも気になったみたいで、私と同じものを希望した。

 

「お待たせいたしました」

 

 やがて部屋にワゴンに乗せた料理が運ばれてきた。

 焙って温めた黒パンと、香草のスープ、それから天と地である。

 配膳を手伝おうとしたら、「あなたがたは客人ですので」と断られた。

 目も見えるし脚も動くのに、あれこれしてもらうのは、面映ゆい。

 

「いただきます!」

「いただきます」

 

 ナナホシといっしょの卓につき、食べ始める。

 天と地は、じゃがいもと林檎を、柔らかくなるまで煮込む料理だ。固形物を食べていいと言われたのに、おかずに結局柔らかいものを所望してしまった。

 と思いきや、じゃがいもには固形感が残っていて、ほっくりと食べごたえがある。

 輪切りにして添えられた血のソーセージは、独特の血の風味も少なく食べやすかった。

 正直に言うと、母様とリーリャの作るご飯より美味しい。

 でも私が一番好きなのは、食べ慣れた二人の料理である。

 

「おいしいね」

「ええ。林檎も酸っぱくねぇしな」

「うんうん……。ねぇしな、じゃなくて、ないしね、がいいよ」

「酸っぱくないしね」

 

 パンを齧りつつ順調に食べるナナホシをニコニコ見守る。

 さいきん元気がなさそうだったから、美味しい物を食べて明るさを取り戻してほしいものだ。

 

「ねえ」と、匙をピタリととめ、ナナホシは訊ねた。

 

「あなた、生理って……まだよね?」

「まだよ。ナナホシ、もしかしてきちゃった?」

 

 だとしたら元気がないのも頷ける。あれは嫌なものだ。

 

 前世の数えで八つの時と比べ、今世の私は健康的に肥え、発育も良い。とはいえ月のものはまだ五、六年は先だろう。

 いずれ来るものだから、母様とリーリャ、年上の友達から教わって、対処の仕方は知っている。

 言葉も違うくらいだし、ナナホシの故郷とは勝手が違って、戸惑っているのかもしれない。

 

「私はまだだけど、何したらいいか知ってるよ。古布と替えのペチコートもらってくる?」

「あ、ううん、そうじゃないわ」

 

 ナナホシは訂正し、椅子から降りかけた私は座りなおした。

 

「気になった、だけ。私もきてない」

「そう? よかったね」

 

 前世の私の初潮は、数えで十六か七の時だったろうか。

 トウビョウ様の使いになってからこっち、占いや呪いで食っていけるようになり、飢えから遠ざかったら腰巻きが赤く染まるようになった。

 あれの最中は、腰が重くなり、体は熱っぽく怠くなる。

 足萎えゆえ下の世話は人任せであったが、倦怠感からは逃れられない。

 不浄の身でいる間は霊能力も鈍るので、来ないならそれに越したことはない。

 

『そうね。めんどくさいし、元々、きっちり来るタイプでもなかったし、なくてもいいよね』

「? ナナホシ、ソーセージ好き? もっと食べる?」

「いいわよ。自分で食いな」

「はーい」

 

 食いな、よりは、食べなさい、のほうが柔らかい言い方だが、まあいいか。

 自分の言葉に口出しされてばかりでも滅入るよね。

 

 

 食後に、ナナホシの部屋にいたら、「顔赤くない?」と言われた。

 試しに自分の頬をさわると、ほかほかと温かい。

 ナナホシは自分の額に片手をあて、逆の手で私のおでこを覆った。ナナホシの白魚のような指はひんやりしていた。

 

「やっぱり! 熱!」

「わたし元気よ」

「寝ろ寝ろ」

 

 せっかく寝たきりから脱したのに、ベッドに逆戻りである。

 隣の私に貸し与えられた部屋に連れ込まれ、掛布の下に押し込まれた。

 

 言われてみると、からだ全部があったかいような気がする。

 腹痛や吐き気はないが、見えない重石が四肢に乗っているみたいだ。

 

 

 ナナホシに呼ばれてきたシルヴァリルさんは、嫌な顔ひとつせず、淡々と私を診て、言った。

 

「知恵熱ですね」

 

 赤ちゃんじゃないのに……。

 

「あるいは、疲れが体に出たのでしょう」とシルヴァリルさんは濡らして絞った手拭いを額にのせてくれつつ、「激しく動き回りました?」と訊いてきた。

 

 息が切れるほど走ったり、暴れたりした覚えはない。

 地下探索だって時間を守ってやったのだ。

 となると……。

 

「動いては、ない」

 

 そう答えながらも、私は、ペルギウス様の懇切丁寧な知識の伝授を思い出さずにはいられないのだった。





・『錬金術の結婚』
元ネタは『化学の結婚』

スイスのパラケルスス
ドイツのクリスチャン・ローゼンクロイツ(架空の人物)を創造したヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ
に対応した人物が六面世界にもいて、偶然同名であったという事にします。
架空の人物名や組織名を考えるのを放棄しました。「薔薇十字団」をそのまま使いたかったんです。
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