巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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三七 可愛い子犬

 熱が下がるまで二日もかかった。

 病気を撒き散らしたらいけないので、部屋からできるだけ出ないように言いつけられていた。

 ぐったりして呻吟するほど体調が悪いわけでもないので、一日目は退屈をもてあました。

 ナナホシは心配してきてくれるけれど、ずっといてくれる訳じゃない。

 見舞いにきたペルギウス様がお伽噺の本を貸してくれたので、二日目はそれを読んで過ごした。イダツ山のイダツレードという英雄のお話であった。初めて知る物語だ。

 

 三日目に快方した。

 すっかり元気である。ご飯もおかわりした。

 借りた本を返そうと図書館に向かっていると、シルヴァリルさんに会った。

 代わりに元の場所に戻してくれるらしい。ありがたくお願いする事にした。

 

「シルヴァリルさん、礼儀さほうとか、マナーとか、教えてほしいです」

「それはなぜ?」

 

 母様とリーリャから習えずじまいだったというのもあるけれど、第一は、恥だ。

 シルヴァリルさんをはじめ、他の十一人の精霊たちのペルギウス様に相対するときの洗練された言葉遣いや仕草にくらべると、私は芋っぽいのだ。

 これまで気にならなかった事が、急に恥ずかしくなったのだった。

 

「ペルギウス様に、シルヴァリルさんみたいな、きれいな言葉でお話したいから」

 

「左様ですか」と鷹揚にシルヴァリルさんは頷いた。

 教会の身廊壁のような厳かな通路に、シルヴァリルさんは風景のひとつのように自然に馴染んでいる。

 でも私は違うのだ。元貧乏百姓の娘は、お城に不釣り合いである。

 正しい言葉遣いや振る舞いを身につければ、ここに相応しくなれるのではないか。そう思ったのだ。

 

「お断りします」

 

 そんな。

 私、シルヴァリルさんに嫌われているのだろうか。

 やっぱり絵画を勝手に触ってしまったのがいけなかったのだ。

 あの一度だけでも、やった事には変わらない。ペルギウス様が許しても私は許しませんという事か。

 

「ペルギウス様は、あなたを愛玩用の子犬とみなしています。それも、きわめて躾のよい子犬です」

 

 ところが、シルヴァリルさんはごく穏やかに言った。

 

「禁じられたものに手を触れることはせず、美術品や蒐集品を、何時間でもみつめるだけで過ごす、手のかからない子犬です」

 

「例外を除いて」とシルヴァリルさんはつけ加えた。

 例外とは、十中八九、私の胸に抱えられるほど小さな悪魔(ディアヴァル)の絵画のことであろう。

 ごめんなさい……。

 

「子犬に求められる躾など、ところかまわず粗相をしないこと、吠えたくらないこと、この二点くらいでございましょう」

「うん」

 

 頷いたが、なんだか釈然としなかった。

 わたしは人の子である。犬猫ではないので、求められずとも、用は厠で足すし、吠えたりもしない。

 

「……そうですね、例えばシンシア様は、犬猫が人と同じ食卓について、人と同じカトラリーを使って食事をしていたら、どう思われますか?」

 

 言われて、考える。

 想像するのは黒猫の雪白だ。

 成猫になってもミルクを飲むのが下手っぴで、餌皿に鼻先をつっこんで飲む雪白。

 額から顎まで乳で濡れそぼち、私に捕まってやんやん首を振るもリーリャにガシッと押さえつけられて拭かれている雪白。

 

 その雪白が、ある朝起きたら、椅子に座って食事をしているのだ。

 丸焼きの鼠をナイフとフォークを使って上品に食べ、ミルクなんかも、前足で匙をもって、ひとすくいひとすくい、口に運んでいる。

 

「すごくびっくりする」

「ええ」

「あと、無理しないで、って思う」

 

 獣は四足を地べたについて生活しているのだ。

 ご飯も地べたにおいたものを前足で押さえてがつがつ食べる。

 それが獣の自然体である。かれらの体は、人とは造りが異なる。雪白の前足は、食具を握りやすい形をしていない。

 

「ペルギウス様も、同じです。ペルギウス様は愛玩用の子犬に多くを望みません。あなたは、これまでも、これからも、手のかからぬ子犬でいればよいのです。ご理解いただけましたか?」

「はい」

「人として扱われよう等という驕りはお捨てなさい」

「はい」

「よろしい」

 

 シルヴァリルさんは私の頬を撫で、本を受けとって静かに歩き去った。

 

 私はきびすを返し、角灯をもって、地下への道をとたとた歩いていく。

 険しい顔も、厳しい声も使われていないのに、ピシャリと叱られた心地だ。

 ペルギウス様が優しくしてくれるのは、私が子犬だからだったのだ。びょうびょう。*1

 犬界隈に敬語はない。よって、使い慣れぬ言葉を使ってまで話さなくともよい。

 私に求められることといったら、ペルギウス様に懐くことくらいだ。

 

 

 壁画の間についた。隠し扉を引く。

 下りの石段が、闇に続いている。私は、石段の上に座り込んだ。

 石段を下りてゆく私の姿を見た。後ろ姿のはずなのに、顔も見える。

 可愛いねと手で挟まれるほっぺ。綺麗だとつままれる鼻梁の先。ベリトの舌がつついた口元のほくろ。母様と同じ青い目。

 一歩一歩踏みだして、からだを支える、二本の足。

 

「びょう!」

 

 こらえていた感情を噴出するように、一声吠えた。

 わたし、人だもん。犬猫じゃないやい。パウロとゼニスの子だい。

 

 声なき声で、通路をみたす闇に語りかけた。

 片輪であったのは、過去。前世じゃないの。今はちがう。

 

 人間道の二つ下にある地獄が畜生道であるという。

 人間道の下層にいたチサは死に、シンシアはまた人に生まれた。

 人の身でありながら、獣も同然だ、と畜生道に貶められるのは、ひどい侮辱だ。

 

 ――しゃあけど、ペルギウス様を嫌いにゃあ、なれん。あねえなでえれえ綺麗な人、何しちょうがこらえちゃる……。

 

 みごとな体躯、輝くような銀色の髪は星の瞬きのようで、金色の虹彩の模様は抽象画のようだ。

 人族がもたない特徴を持って生まれてくる種族はたくさんいるらしいのに、ことに龍族は綺麗だ。

 私の求める絵画『岩に坐す悪魔』と似ているために、そう思うのだろうか。

 

 自分のことを何一つできない片輪でいるのは、実はそれほど苦しくない。

 何もかもを人任せでいる状態は、みじめで切ないのに、どこかで淡い快感にもつながっている。

 なにも期待されず、ただ可愛がられておれと言われる身の上も、それは同じだ。惨めで切ない。でも、どっぷり浸れる甘さがある。

 

「行かなきゃ」

 

 立ち上がった。

 今日こそ笛のある場所までたどり着くのだ。

 

 地図は、私が寝込んでいるあいだにナナホシが続きを描いてくれた。

 行き止まりにつながる道には、バツ印が書き込まれている。

 角灯で地図と通路を照らしつつ、塞がれていない道を進んだ。

 しだいに道は狭まり、天井は崩れ、ほふくしないと通れないような隘路が何度も出現した。

 

「ぷはっ」

 

 頭上の閉塞感が消えた。息苦しかった道を抜け、手をついて立ち上がる。

 地図と現在地を照らし合わせようとしたが、できなかった。

 ナナホシは未到達だったのであろう。この辺は、まだ記録されていない区間だ。

 肌にはりつく空気がじめじめと湿っていた。水場が近いらしい。

 

 背後には闇。灯火を掲げてさえいれば、前には光。

 闇は道を断ち、光はいざなう。

 森をさ迷う遺児のように不安になる事はない。私は歩いた。

 

 しばらく歩くと、木の扉が目の前に立ちふさがった。

 胸の高さの把手をひねると、鍵はかかっていなくて、中に入れた。

 幻のような弱々しい光は、壁を照らさなかった。

 どうやら、ぽっかりと広い空間に出たらしい。

 

「光の精霊よ、我の呼びかけに答えよ」

 

 角灯の中に収められているのは、火の点った蠟燭ではなく、魔法陣を刻まれた魔照石だ。

 これは魔力付与品のランプである。硝子面に触れ、教えられた合言葉を唱えると、光が強くなる。

 

 広がった明かりの輪のなかに浮き出した壁は、紫水晶のように煌めいていた。

 そして、ペルギウス様の展示室で初めてみた、大理石や瑪瑙や柘榴石のような縞目が、層をなしているのだった。

 

 壁に指でふれ、その指先を舐めた。

 塩の味が舌にひろがった。

 

 円い大テーブルが部屋の中央に据えられている。

 椅子は、数えると、十三脚あった。

 もっとも豪奢な玉座のような椅子は、背もたれにも肘掛けにも、精緻な模様が……。

 

 そっと近寄ってテーブルの脚を眺めた。

 テーブルも椅子も、岩塩で作られていた。据えたのではない、床から生えていた。

 角灯を揺らすたびに、細かく砕いた星粒のような小さい鋭い光が、一面にきらめきたった。

 

 ここは、塩坑だ。岩塩を掘ってできた空間なのだ。

 テーブルからシャンデリア、壁の浮き彫りまで、すべて半透明の水晶のような岩塩でできた広間だ。

 

 角灯でぐるりと照らし、ほぼ円形の大広間であることがわかった。

 完全な円形ではなく、多角形だ。

 

 似た光景を、私は見たことがある。

 どこで? 上階の、円卓の間だ。たぶん、歴史はこちらのほうが古い。

 上の円卓の間は、この空間を真似たものであろう、と私は思った。

 しかし、これほど美しい光景を、人は作り得ない。完全に再現することはできない。

 ペルギウス様もそれをわかっているから、再現はシャンデリアと大テーブルと椅子の浮き彫り透かし彫りのみに留めたのではないか。

 

 光が薄れるあたりに、掘り窪めた壁龕を見つけた。

 祭壇の痕跡であった。

 記憶にある神棚とも聖像画とも重ならなかった。

 

 私は自然に跪き、手を合わせていた。

 母様に教えられた、両手の指を交差して握りこむやり方ではなく、指の間をしっかり閉じ、右手をちょっと下にずらして手のひらをあわせるやり方で。

 

 かつてこの広間を掘った者たちは何を祈ったのだろう。

 神話では、龍の国は滅びた。神様に届かなかった祈りだ。

 報われることのない祈り。それでも、彼らは祈ったのだろう。

 私も祈った。なにも願わずに。

 

 

 岩塩の床が膝にくいこむ痛みが私を引き戻した。

 濡れていた瞼を開け、周囲を見渡した。

 壁龕と壁龕の間にそれぞれ、鉄の鋲を打った重々しい樫の扉がある。

 数は、椅子と同じ十三。ひとつは、私が入ってきた扉だが、内側から見ると、どれがその扉だかわからない。

 

 でも、ここまで来たら、視ればわかる。退路も、進むべき扉も。

 私は迷わずひとつの扉まで歩き、把手に手をかけた。体の重みをあずけると、これも鍵はかかっていなくて、ゆっくりと開いた。

 

 足元を照らす明かりの輪の、様相が変わった。

 黒い水がひろがり、魔照石の光をねっとりと反射した。

 屈みこみ、光を水面に近づけた。水面と岸の差は、一尺程度だ。

 

 靴を脱いで裸足になり、服の裾をたくしあげた。

 岸に座り慎重に足を下ろすと、つま先は冷たい水に浸った。

 水は弾力をもって、沈ませようとした足を押し返してくる。

 

 かつて冒険者だった母様と、物知りな兄の話を思い出した。

 塩辛い水は、川や湖の水より、ものを浮かせる力が強いらしい。

 

 溺れはしない。火ではないから、水がかかって光が消えることもない。

 私は角灯をしっかり持ち、閉じ込められた海の中に飛び込んだ。

 

 

 


 

 

 

 大いなる達成感に包まれていた。

 地下を出たところで精霊に捕まり、風呂に入れられ、乾いた服を着た。

 服と髪が含んだ水気はよく絞っておいたけれど、不足だったみたいだ。

 

 ペルギウス様は庭園で休憩しているそうだ。

 教えてもらった場所に急いだ。ハンカチに包んだ銀色の笛を持って。

 

「ペルギウス様! ペルギウスさま!」

 

 ペルギウス様は庭園の椅子に座り、テーブルに頬杖をついて景色を眺めていた。

 傍にはシルヴァリルさんが控えている。彼女は座らないのだろうか。

 

 彼に対して生じていた苦手意識は、このとき消え去っていた。

 

「シンシアか」

「はい!」

 

 私は満面の笑みで、ペルギウス様に笛をさしだした。

 塔に龍が巻きついた精緻な笛を、ペルギウス様は手にとって日に翳して眺めた。

 ちなみに、見つけた直後に、こっそり吹いてみたのだが、音は鳴らなかった。

 古そうな笛だし、どこか故障しているのかもしれない。外からは見えないヒビが、笛の内部にあるとか。

 

「うむ。これで間違いない」

 

 ペルギウス様は満足気にし、それをシルヴァリルさんに渡した。

 彼女は恭しく受けとった笛を軽く拭きとり、小さな宝箱のような容器にしまった。

 きちんと彼の目当てのものを探し出し、届けられたようだ。

 

「よくやった。例の油彩画は、後で客室に届けさせよう」

 

 嬉しい。とても。すごく。

 心がふわっと軽くなって、ノルンみたいに踊りだしたい気持ちだ。

 もう三つ四つの幼い子ではないので私はやらないが、ノルンのでたらめな踊りはとても可愛らしい。

 しかしどんなに愛らしくても、笑ってはいけない。ノルンは真剣にやっているから、馬鹿にされたと思って怒る。

 一緒に歌ったり、楽器を奏でたり、踊りながら笑うのなら大丈夫。うちの小さな吟遊詩人は、見世物になるのは嫌がるが、仲間が増えると喜ぶのだ。

 ノルンのでたらめ踊りが成長につれてなくならないうちに、また会いたいものだ。

 

「……巫女(シャーマン)か。昔は、どの共同体にも、超越的な力を授かった女がいたものだ。神子とも呪子とも違う者たちだ。シルヴァリル、確か貴様の身内にもいたな?」

「はい。最後の巫女でした」

「民間信仰の衰退につれ、徐々に生まれなくなった。天大陸のみならず、中央大陸でも、魔大陸でも同じ事が……」

 

 ペルギウス様は体をこちらに向け、私に訊ねた。

 

「時にシンシアよ。貴様、予言はできるのか?」

「えっと……」

 

 両親には秘密にするように言われてる。

 オルステッドにはすでに知られているし、ペルギウス様も彼から聞き知っていて、この質問はただの確認かもしれない。

 もじもじしていると、「我に嘘は通じぬぞ」と言われ、隠すのはやめた。

 

「できるよ。お母さんとお父さんにはだめって言われてるけど……絵、くれたものね。ペルギウス様のこと、視てあげる」

「何を告げてくれるというのだ?」

「探し人の居場所とか、いつ死ぬかとか」

 

 ペルギウス様は何かを呟いた。私にはまったく聞き取れない不思議な言葉であった。

 言葉の意味を、ペルギウス様は人間語になおし、私に教えた。

 

 ――運命が運び、連れ戻すところに、われわれは従おう。

 

「叙事詩『アエネーイス』にある一節の、忌むべき言葉だ」

 

「我が魔族を嫌いなのは」と、ペルギウス様は言った。

 

「魔族の大多数が、強い運命論者であるからだ。酷薄な自然と長い抑圧の歴史によって培われた世界観だ」

「それって悪いの?」

「ああ。己の境遇を変えようと足掻くことすらせぬ怠慢さが、魔族が馬鹿たる由縁なのだ。我は馬鹿が嫌いだ。

 さて、お前の予言が的中したとしよう。我は死の間際、己の最期が運命によって齎されたものだと思ってしまうだろう。そんなのは御免だ」

 

 なるほど。そういうことなら視ないでおこう。

 私としても、予見の形とはいえ、親しい人の死に様はあまり知りたくないのだ。

 それはそれとして、馬鹿が嫌いとな。

 わたし、かけ算とわり算できないし、ぜんぜん賢くないし、間抜けだという事がバレたらペルギウス様に嫌われるのかしら。

 

「……きゃん」

 

 いいえ、子犬が乗除計算をできなくて呆れる人はいない。

 けど、私だって少しくらいは役に立てるという事を、わかってほしい。

 

「ほんとうに、何も占わなくていいの?」

「ああ。代わりに、我がお前を占ってやろう」

 

 びっくり。

 

「できるの」

「占いや予言は、やろうと思えば、誰にでもできる。我にもな」

 

 ペルギウス様は私を見つめ、厳かな声で告げた。

 

「シンシア・グレイラットよ。貴様は明日、大きな不幸に見舞われるであろう」

「え!」

 

 そんなはずはない。……ないよね?

 私が死ぬのはまだ先だし、それ以外で不幸というと、お父さんや妹たちだ。それからお兄ちゃんとリーリャ。

 彼らの身に、何が起こってしまうのだろうか。

 間が悪い。この言葉で諦めきれない事態になってしまうのか。

 

「不幸を避けたければ、赤竜の革を一枚、海竜の腹から取り出した拳大の魔石を一つ持ってこい」

「えぅ」

 

 そんな急に言われても。

 オルステッドに頼めば、今日中に用意できるだろうか。

 オルステッドと連絡をとる方法がないのだった。どうしよう。

 ペルギウス様は続けて言った。

 

「お前を連れてきたオルステッドには同族のよしみがある。大負けして、庭園の花を我に摘んでくれば、不幸を退けてやることにしよう」

「……!」

 

 私は刺繍花壇に急ぎ、とくに綺麗に咲いていた鈴蘭を摘んだ。

 ゆっくり吟味している間に、ペルギウス様の気が変わったらいけない。

 花を選ぶのは大急ぎで、手折るのは花に傷がついて価値が下がらないように丁寧にやった。

 

 摘んだ花をおそるおそるペルギウス様に差し出した。

 ペルギウス様は鈴蘭を受け取り、にこやかになった。

 

「確かに受け取ったぞ。これでシンシアは大丈夫だ。……こう言われて、お前は安心したな?」

「した……」

 

 しかし、この感じ。この言い方。

 まさかまた騙されているのだろうか。

 

「実際は来もしない不幸がやってくると脅し、金品を巻き上げる。――そら、これなら誰でもできるだろう」

 

 やっぱり騙されてた。

 いやいや、例を示してくれただけだ。

 何も視えていないのにも関わらず、口からでまかせを言うのを占いや予言と嘯いていいのだろうか。

 もてあそばれた焦燥と安堵の行き場を失い、複雑な気持ちになった私は、ふとある事が心配になった。

 

「もし、不幸がほんとうにきたらどうなるの? ペルギウス様は大丈夫って言ったのに、それが嘘になっちゃう」

「その時はこう言えばよい。「不幸が避けられなかったのは気の毒なことだ。しかし、予言は当たった」とな」

「おお……」

 

 無敵だ。

 どう転がってもペルギウス様に都合が良いようにできている。

 

「つまり、一流の予言者とは、不幸を告げる者だ」

 

 白い花たちが愛らしくうつむく鈴蘭を私に返し、ペルギウス様は言った。

 幸福を告げられた者は努力もせず、行動も起こさず、望外の幸運を期待する。

 そうして何事も起こらなければ、予言は外れた、幸福を告げられたのに不幸になった、と怒鳴り込んでくるだろう。

 別に不幸が訪れたわけでもないのに、幸運が来なかっただけでその者は不幸になってしまう。

 ゆえに予言者は、幸運を告げてはならない。

 よく当たる予言者は、不幸ばかり告げる者のことを言うのだ。

 

 

 ペルギウス様の話を聞きながら、私はこう考えた。

 もしも、私が前世と同じように、トウビョウ様で食っていく事になったとして。

 ありもしない不幸を告げ、金品を差し出した者は見逃し、拒否した者には蛇を遣わせて呪い、予言した通りの不幸をもたらす。

 人々は怯え、私の要求を叶えない者はいなくなる。

 そんなあくどい稼ぎ方もできるのではないか。

 …………。

 

 左手に持った鈴蘭が、急速に枯れ、萎れてゆく。

 楚々とした乙女が一瞬にして醜く老い萎れていくのを、私はほのかな満足感を持って眺めた。

 

 できもしない夢想ではない。実行できるだけの力を私は使える。

 

「ペルギウス様、わたし、良い子でいます」

 

 やらないけれど。

 トウビョウ持ちは人の恨みを買ってはいけないと、生前から家族に注意されてきている。

 それに私は、優しい両親や兄を悲しませたくない。

 アイシャとノルンに慕われる良いお姉ちゃんでいたいし、いまは大勢が亡きブエナ村の住民たちの〈可愛いシンディ〉でもいたいのだ。

 

 ペルギウスの膝の上にあって、私は思う。

 彼の中で、私が子犬であってもいいのか、別に。可愛がってくれさえすれば。

 ほんの半日前には、地下の岩塩の間で、私を掴んだ感覚。太古から不変に存在する祈りの力に、私は一瞬、溶け入った。

 私の思考は俗物に堕ち、神秘の感覚はたちまち失せた。

 

「ペルギウス様、私がんばったから、もっと褒めてください」

「なんだ、油彩画では不足か? 次は何をねだるつもりだ?」

「うふ……あれもすごく嬉しいのよ。でもね、もうひとつしてほしいことがあるの」

 

 

 

 


 

 

 

 

「いいか、俺はペルギウス様の命で貴様に一時的に従うだけだ。使役権は依然ペルギウス様にある事をゆめゆめ忘れるな」

「はい。よろしくお願いします」

「……被災者の所在地を教えろ」

 

 ブエナ村の人口147人。

 私の家族を入れても、生き残ったのは、ほんの少数。

 数少ない生存者は空中城塞の転移魔法陣を経由して復興キャンプへ送り、衰弱していれば治療院へ。

 遺体は残っていれば火葬後死亡届と共に復興キャンプへ。遺体がなければ遺品を。それすらなければ死亡届のみを。

 

 ペルギウス様の――正確にはアルマンフィさんの手を借りれば、たったの三日で完了した。

 中には、アルマンフィさんが救助を拒む人もいた。

 

 

・リーリャとアイシャ、及びシルフィエット

 

「断る」

「どうして!」

「王宮絡みは面倒だ」

 

・ルーデウス

 

「断る」

「なんで!」

「遠目に確認したが、奴は転移事件の起点にて、天に魔術を使おうとしていた少年と同一人物だ。空中城塞には入れん」

 

・ソマル

 

「うんと……」

「ミリシオンの判事の下で働いている」

「ブエナ村があった場所に帰りたいって、言ってた?」

「確認した。少なくとも今はフィットア領跡地に戻る気になれないと言っていた。以上だ」

「確認してくれてありがとうね……」

 

 

 ブエナ村の住民全員の保護と発見が済んだ。

 なんやかんや全力で働いてくれたアルマンフィさんに感謝だ。

 城内は広大だ。難民となった彼らの救助は、私の知らない場で行われた。遺品や無事であった顔ぶれと、私は直接顔を合わせることはなかった。

 

「構わんのか。対面しなくて」

「ひゃっ」

 

 礼拝堂にいたら、急にアルマンフィさんが現れたので驚いた。

 

「人の子は帰属集団が恋しいものだろう。未熟な幼体なら尚更そうなのではないか」

「だって、会ったら、ますます悲しくなっちゃうもの」

 

 親を子を兄弟を配偶者を亡くしていない人はいない。

 彼らに事実を告げるのは、つらい。私の家族がほとんど無事であったことはとても幸運ではあるけれど、いたたまれなくもある。

 二度と日常は戻らないのだと再確認してしまうから、会わない。

 

「そうか」

 

 アルマンフィさんは普通に歩いて礼拝堂を出ていった。

 毎回光速で移動しているわけではないらしい。

 

「ふぅ……」

 

 リーリャとアイシャは軟禁されて不自由ではあるけれど、飢えと凍えとは無縁な場所にいる。

 シルフィは髪が白く短くなっていて、王宮での暮らしぶりはさほど悪くないようだ。

 お兄ちゃんもそうだ。エリスさんと共に誰かに守られていて、魔物が頻出する土地であっても無事に過ごしている。

 しかも一所に留まらず、移動をしているようだ。きっとブエナ村に戻ろうとしているのだと思う。

 

 ちょっと疲れた。

 しばらく、お兄ちゃんたちを視るのは、やめてもいいかな。

 私が気を揉んでもどうにもならない事ばかりであったし、みんな自分たちでどうにかできるのだ。

 

『釘かねと思ふてわれはありつれどきようの祓に雲のはてまで』

 

 気休めに手を合わせて、生前聞き覚えた呪詛(シソ)送りのまじないを唱え、私も礼拝堂を出た。

 『ペルギウスの伝説』に登場した精霊の一人の能力を憶えていてよかった。

 両親がかの本を幼い私が字を学ぶ教材に使ったおかけだ。

 

 そうして、ペルギウス様が、懐けば懐くほど、甘くなる人でよかった。

 私を――可愛がってくれる人でよかった。

 

 このお願いを切り出すまで、相手の反応を忖度する数十日間であった。

 ペルギウス様といるのは楽しかったけれど、躾の悪い子犬だと思われたらいけない。これでも緊張感はあったのだ。

 

「……」

 

 ようやく、最大の荷物を下ろせた心地だ。

 はやくオルステッドに迎えに来てもらって、彼の役に立って、父様のところに連れて行ってもらおう。

 そうすれば、私の中で、あの災害は一区切りつく。

 終わることは、きっと一生ないだろう。

 

 

 そうして、久しく見ていなかった悪魔(ディアーヴァル)の姿は、鮮明さを増して、私の眼に映った。

 絵画は、やはり私の胸に抱え込める大きさであった。

 画布が傷まないように包んでいた布を丁重に巻き直し、小さな絵画を抱きしめた。何にも代えがたい私の宝物。

 

「ナナホシ、もう一回見る? 見てもいいよ」

「何回も見させられた」

 

 何回見ても良いものじゃないの。

 

 部屋まで運んでもらった食事を口にしていたナナホシは、ちょっと呆れた顔をした。

 

「冷めるわよ」

「はーい」

 

 ナナホシはご飯は温かいほうが美味しいという信念を持っている。

 せっかくならいっしょに食べたいので、絵をそっと窓際の机の上に置き、席についた。

 

「あっ、オルステッドも見る? 綺麗よ」

「俺はいい」

 

 オルステッドは絵を置いたあたりを少し嫌そうに見やり、私とナナホシが食べ終わるのを待った。

 私の療養期間が終わったので、オルステッドが迎えにきたのだ。

 ちょうど私たちの食事時であったので、彼には待ってもらうことになる。

 

 だから私もナナホシも、すぐにでも発てるように、旅装をある程度整えている。

 ペルギウス様にはお世話になった。絵画のみならず、私が探してきた笛もついでにくれた。

 彼とゆかりのある地で吹くと、精霊が聞き届け、報せてくれるらしい。空にいるペルギウス様と連絡を取る手段というわけだ。

 音は鳴らないけどな、と思いながら城内で何度も吹いていたら、アルマンフィさんがシュンっと現れ、「止めろ。クリアナイトがうるさいと言っている」と言われてしまった。

 人には聞こえない音であったのだ。申し訳ないことをした。

 

 空中城塞での最後の食事に、私は食べ慣れたアスラの料理を選んだ。

 ナナホシの前にあるのは、ミリスの〈天と地〉だ。

 

「ナナホシ、林檎とお芋の料理気に入ったのね。おいしいよね」

「ええ」

 

 私が笛の捜索に夢中になっているあいだ、ナナホシは物思いに沈むことが増えていた。

 話しかけると笑顔を向けてくれるものの、ふと話が途切れたとき、庭園を一人で眺める彼女をみたとき、ナナホシの顔は張り詰めている。

 激しい感情を押さえ込んでいるというふうなのだ。

 ご飯を美味しく食べられているうちは、大丈夫だと思う。

 

 天と地を指し、ミリスの料理よ、とナナホシに教えてあげた。

 

民兵団(ミリス)? ナチスの……? ああ、国の名前だっけ?」

「そうよ。私のお母さんが生まれた国」

「シンシアは?」

 

 私はアスラ王国、と教えた。

 旅の道程や空中城塞で知識をたくさん得たナナホシは、ああ、と得心がいったように頷いた。

 

 ナナホシは、もう国の名前や、故郷という言葉の意味がわかるのか。

 それなら、私が前々から訊いてみたいと思っていた事も、答えてくれるだろう。

 

「ナナホシはどこの国から来たの?」

 

 うーん、とナナホシは少し眉を下げた。

 

「言っても、シンシアにはわからないわ」

「わからないところ? 魔大陸?」

「ちがう」

「大森林!」

「ちがう」

「あら……じゃあ、天大陸」

「ちがう」

「ミリス神聖国!」

「ちがう」

「……ガルデニアとか……?」

「どこそれ」

 

 紛争地帯の酸鼻な村の成れ果てが記憶によみがえる。

 あの光景が珍しいことではない国とナナホシが無関係とわかり、ほっとした。

 

「……」

 

 ナナホシはパンの最後の一欠片を口に入れ、私はスープを飲み干した。

 視るのはズルだ。勝手に自分のことを知られて、ナナホシも良い気はしないだろう。

 だから自分の推理だけで正解にたどり着きたいのだが、全くもってさっぱりである。難問だ。

 

「わかんない」

「当然だろ……じゃなくて、当然よ。ごちそうさま」

 

 ナナホシはすっと立ち上がり、空の食器をワゴンに片していく。ついでに私の皿まで下げてくれた。

 

「ありがとう」

 

 私はテーブルを拭くことにした。椅子に膝立ちになって、身を乗り出して隅々まで綺麗にする。

 立つ鳥跡を濁さずってやつだ。

 

 うーん、うーん。

 ナナホシの生まれ故郷はどこだろう。

 これは私の知見だが、中央大陸に暮らす人族は、北に行くほど金髪と碧眼の割合が高い。

 転移魔法陣であっちこっちに移動しているから、思い違いかもしれないが、各地の町を見ると、そんな印象を受けた。

 反対に、南下するほど、髪や目の色は濃い褐色になっていく。

 

「わかった、えっと、王竜王国!」

「ちがうわ」

 

 これだ! と、思った答えが外れ、肩透かしをくらう。

 

 降参である。もはや私の知る国名は尽きた。

 いや、あるにはあるのだ。朝鮮、清国、露西亜、遼東半島。

 私にはわからない、と言われたから真っ先に候補から外したけれど。

 日本と戦争した国ばかりだし、もし当たっていても気まずい。

 戦勝国と戦敗国の国民って何を話せばいいのかしら。

 

 そういえば、露西亜との戦争の勝敗はどうなったのだろう。

 トウビョウ様を使って視ると勝ちの未来が見えたが、現実の事として体験する前に死んでしまった。

 いや、そんなことは今はいい。ナナホシの故郷の話に戻ろう。

 

「日本じゃないよね……」

 

 ちょっと前まではそう考えていたが、今は違うと思っていた。

 もしナナホシの故郷が大日本帝国なら、言葉でわかるだろう。しかし彼女の喋る異国語は、私の知らない言語だ。

 

 ゆえにそれは、聞かせるつもりのない、小さな独り言であったのだ。

 しかしナナホシの耳は、その言葉を拾った。

 後にして思えば、この時すでに、彼女の故郷恋しさは大きく膨れあがっていたのだ。

 だから、長耳族のような耳疾しでもない彼女でも、しっかり聞き取れたのだ。

 あるいは、私が「日本」じゃなくて、たまたま発音が似ているだけの異なる単語を言っても、ナナホシは同じ反応をしただろうと思う。

 そのくらい追い詰められていたのだ。

 

 とにかく、彼女は私の独り言をきいた。

 たいそう驚いて、勢いよくこちらを振り返った。

 

「にっ!?」

「ナナホシ!」

 

 そしてナナホシは絨毯につま先をひっかけて転んだ。

 そばのクッションを引っ掴んでナナホシの真下にくる位置にポスッと投げたオルステッドの、

 

「……やはり、お前らは同郷か」

 

 という呟きに、私たちは揃って衝撃を受けたのだった。

*1
昔の「わんわん」

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