巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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三八 転生者と転移者

『日本人なら言ってよ! かなりノスタルジックになってたのよ私!』

 

 ナナホシは正面からガシッと私の肩をつかんだ。

 何を言われたかわからずきょとんとする私をよそに、ナナホシはオルステッドを振り返った。

 

「同郷って……オルステッドは知ってたの?」

「いま確信した。以前から、それぞれ喋る言語の文法や語彙に共通点がある事には気づいていた。イントネーションはかなり異なったが」

 

 ナナホシを先に空中城塞に預けている時、いくつか岡山の言葉とその意味もいっしょに教えたのだ。

 オルステッドに要求されての事で、私で好奇心を満たせるのなら! と、故郷にあった祭りだの行事だの怪談だのと色々教えた。

 オルステッドの覚えは異様に早く、ちょっと怖かった。

 

『まだ小さいのに、シンシアも大変だったよね。言葉も上手だし、いつこっちに来たの? あれ、でも家族がいるって言ってたわね。ってことは、ご両親もいっしょに異世界に来たってこと?』

「……?」

「ん?」

 

 ナナホシは笑顔で首をかしげた。

 

「なんて言ったの?」

 

 私がそう訊くと、彼女の表情はちょっとだけ曇った。

 よく見ていなければわからない程度に。

 

「あなたはいつこの世界に来たの、って、訊いたんだけど」

「世界って、なに?」

「私たちがいる所のことよ」

「ここ? 空のお城よ?」

「そうじゃなくて……」

 

 ナナホシは急に突き放されたように不安そうに説明してくれた。

 視野の外をどこまでも続く地上と空と海、あらゆるものを内包した総称が、世界。

 私は新しい概念を知った。前世は意識もしなかったことだ。

 昔は、目に見える範囲の外に思いを馳せることなど無かった。

 転移魔法陣の存在を知り、村から遠く離れた場所や他の大陸を実際に見たあとである今なら、意味も理解できる気がする。

 

「話は後にしろ。もう出発したい」

 

 オルステッドのそんな言葉で、ナナホシは話を打ち切らざるを得なかった。

 オルステッドは空中城塞に長く居たくないようだ。

 ペルギウス様は優しいからちょっとくらいのんびりしても許してくれると思う。

 あまり仲良くなりたくないのかしら。

 

 

 ケイオスブレイカーは、重要な部屋ほど地下にある。

 転移魔法陣の間も、地下にある。

 

 ペルギウス様が励起することによって城の魔法陣は使用できる状態になるらしい。

 よって転移魔法陣による移動は、ペルギウス様の立ち会いのもとで行われる。

 

 床の魔法陣の模様が青白く光る薄暗い部屋で、オルステッドとナナホシが魔法陣の上に立った。

 

「お世話になりました」

 

 と、ナナホシがぺこりと頭を下げたのにならう。

 別れる前に可愛がってくれないかしらと近寄ってみたら、ペルギウス様は頭を撫でてくれた。

 

 それにしても、ナナホシが同郷……。

 話は後でと定めたものの、やっぱりお互いを気にしてしまう。

 

 部屋に据えられた、花崗岩をくり抜いたような機械を操作しつつ、ペルギウス様が言った。

 

「異世界の娘に、異能の童女。大したものだな。オルステッド、貴様の後宮は」

「俺と彼女達は、そういう関係ではない」

 

 後宮ってどういう意味だろう。

 そういう関係ってどういう関係だろう。

 

 ペルギウス様のからかうような視線、オルステッドの生真面目な否定を加味し、妾のことかな、と思う。

 雅な言い方をされるとむずかしい。

 でも、それなら、こういうときは冗談で返すものだ。

 ペルギウス様とて本気でそう思っているのではないのだから。

 今のは、仲良くなるためにポンと投げかけられたボールなのだ。

 それを打ち返さなかったら、面白くない奴だと思われてしまう。

 

「ふん、冗談に決まっておろうが」

 

 案の定、ペルギウス様は面白くなさそうにした。

 ペルギウス様の横にいた私は、ちょっと背伸びをしてトントンと彼の腕を叩き、こちらに注目してもらった。

 

「ペルギウス様、見ててね」

「うん?」

「ニャン☆」

 

 頭の上に猫の耳のつもりの手を立て、パチッと片目をつむった。

 ボレアス直伝の獣族のまねっこである。

 

 妾といえば、男女の目合(まぐわ)いありきの関係である。

 それっぽい色を帯びた仕草はわからないので、代わりに可愛らしい仕草を披露した。

 転移事件の前日、兄の誕生会を開いたボレアス家にお呼ばれした時に仕込まれたのだ。

 初めは、ほろ酔いになったフィリップさんが、娘のエリスさんに要求した。

 彼女は「恥ずかしいから嫌よ!」とこばみ、「この子にさせればいいんだわ!」と私を前につき出した。

 私はやった。たいへん好評であった。

 そのあとで祝宴で楽しくなったエリスさんもニャンニャン☆とやったので、ほどなくフィリップさんの寵愛は従姪から実娘に移ったが、細かく指定された仕草はまだ憶えている。

 

「グレイラット……」

 

 私の名字をつぶやいたペルギウス様の眉がひそめられる。

 失敗かしら。

 

「……ボレアスの系譜だったのか!」

「親戚にゃん」

 

 どうしてわかったニャン。

 渾身の可愛らしい仕草に、ペルギウス様は爆笑まではいかなくても、フフッと笑ってくれた。

 

「さあ、お前も魔法陣の上に立て。行き先はガスロー地方だ。あんな辺境に何の用があるか知らんが……あそこはアトーフェラトーフェの縄張りだ。万が一にもないと思うが、関わり合いになるな」

 

 うん、と私は神妙に頷いておいた。可愛い仕草はやめた。

 

 アトーフェラトーフェ。

 ペルギウス様は過去の冒険譚も話して聞かせてくれた。その中で、何度か出てきた名前だ。

 死なない種族の女魔王で、手の施しようのない馬鹿で、ペルギウス様とはとても仲が悪いらしい。

 彼の今は亡き親友が娶り、子供も生まれたが、それで打ち解けるかといえば全くそうでもなく。

 カールマンは女の趣味が悪い、とペルギウス様は不満げだった。

 何百年も前の出来事らしいのに、つい最近あったことのように新鮮な愚痴であった。

 

「絵、ずっと大事にするね。村の人たちのことも、助けてくれてありがとうございます」

 

 布で包まれた小さな絵を抱きしめる。

 最後に私の頬を撫で、ペルギウス様は機械に向き直った。

 

 私もオルステッドの横に行く。

 

「何だ」

 

 銀髪がひと房垂れた横顔を見上げていると、ギロッと睨まれた。

 いや、普通に見下ろされただけだ。顔が怖いからといって、何でも悪く受けとったらいけないのだ。

 

「えっとね、この絵……」

「……」

「……オルステッドがかわりに持ってくれる?」

 

 私が持つと絵画はあらゆる危険に晒されてしまうだろう。

 鞄ごと落として額が欠けてしまったり、川を渡るときに水没させてしまったり。

 私はもう七歳だから、トウビョウ様の力を使わずとも、先の想像をできるのだ。

 

「ああ」

「ありがと!」

 

 オルステッドの了承がとれた。

 私は喜んでオルステッドのマントをバサッとまくり、マントとコートの間に潜りこんだ。

 マントに隠れて見えないが、実は、ロースラング・ベルトの背中側に鞄が付いているのだ。

 

 丈夫な竜皮製の鞄の、金属の留め具を外して包みを入れる。

 これでよし、と鞄をぽふぽふ叩くと、ぐっと首根っこをつかまれてマントの下から引きずり出された。

 

 ひえ。

 怒られる?

 

「ま、まだ鞄閉じてないのよ」

「俺がやる。貴様は大人しくしていろ」

「……いやだったの?」

 

 野営の時など、ベルトから外して木陰に置いた鞄を指し、あれそれを取ってこい、と言われることがあった。

 鞄には私が手をつけても構わないと思っていた。

 

「……嫌……ではないが、驚く」

 

 ごめんね。

 

「く……」

 

 ペルギウス様がオルステッドを見て笑うのを堪えていた。

 片手で口元をかくし、無表情を作ろうとしている。しかし笑いは鳩尾の奥におさまりきらず、喉をひくひくと痙攣させているという具合だ。

 野放図に笑いを爆発させないのは、オルステッドを恐れているせい、と、こっそり私は想像した。

 

 ペルギウス様の格好は、肩と胸当、腕当に篭手に腰当に……と、重装備だ。いつでも戦争に行けそうな格好なのである。

 立ち姿からして、生前、黒い軍衣を着て清にやられた村の若い男たちより、はるかに強そうだ。

 城によそ者が私とナナホシしかいなかった時は、もっと軽装であったから、対オルステッドに備えた格好に思えて仕方ないのである。

 無骨一辺倒ではない、装飾の施された鎧はペルギウス様によく似合っていた。

 

「それでは、送るぞ」

 

 持ち直したペルギウス様の声が聞こえ、視野がふっと白に埋め尽くされた。

 

 

「はっ!」

 

 気がついた時には、黒である。ふわふわと青白い粒子が足元を漂っていたが、じきに消え、真っ暗闇に戻る。

 遺跡の閉塞とした暗さは、もう慣れっこである。

 ゆえに恐ろしくはないはずなのだが、やっぱりちょっと苦手だ。私はナナホシの手を握った。握り返された。

 

 壁から、刃物で縦に裂いたような一直線の光が漏れ入った。

 オルステッドが出口を塞いでいた厚い岩戸を動かしたのだった。

 光の幅は徐々に広くなり、強い陽光の中できらきらと舞う砂埃は、ベガリット大陸の砂漠を初めて目の当たりにした時と同じ感覚を私にもたらした。

 はるか遠く離れた秘境に来てしまった予感である。

 

 オルステッドは、先に外に出た。

 ナナホシと私も出た。

 

「まぶしい」

 

 ベガリット大陸を彷彿とさせる眩い強い陽光である。私は上着のフードをかぶった。

 見渡すかぎりの岩棚だ。大峡谷である。砂漠ではない。

 せり立つのは、赤色に白いぐにゃぐにゃとした横線が混じる生肉のような岩だ。

 峡谷の、谷底にある遺跡から、私たちは出てきたのであった。

 目の前には、とても細い、いまにも枯れてしまいそうな川がある。

 両側は険しい崖であり、苔のような緑が、ところどころに、申し訳なさそうにへばりついている。

 

『グランド・キャニオンみたいね……。私は写真でしか見たことなかったけど』

「そうね……?」

 

 ナナホシが感嘆のため息をつき、何か言った。

 意味はわからなかったが、同意を求められてそうな感じだったので合わせた。

 人間語を覚えるにつれ、その不思議な言語は喋らなくなっていったのに、ナナホシったら、どうしたのだろう。

 

「首につけろ」

 

 オルステッドに黒い魔石の埋まった金属の輪っかを渡された。ナナホシもだ。

 

「瘴気の谷を行き来する種族が使う魔道具だ。毒素を吸い込むことで起こる身体障害を無効化する効果がある」

「私たち、ここに来て大丈夫?」

 

 ナナホシが不安そうに周囲を見回す。

 そんな道具を渡されるということは、ただ息をしているだけで弱る区間が近くにあるという事だろう。

 

「一応だ。お前たちは体が弱いからな」

 

 オルステッドが強いだけだと思うのだが、つい最近まで病人だった身としては反駁の言葉もない。

 

「毒ない?」

「ああ。この一帯は問題ない」

 

 どうやら、本当にただの用心であるらしい。

 首輪の直径は、頭より小さい。どうやってつけるのかしら。

 クルクルひっくり返して眺めていると、ナナホシがカチッと輪を開いて首に嵌め、うなじで留めた。

 輪に継ぎ目があり、そこを外して付けられるようになっているみたいだ。

 

「オルステッド、開けてください」

 

 引いてみて、押してみて、固かったのでオルステッドに渡した。

 オルステッドは「そんな事もできないのか」とも読み取れる顔をしたが、継ぎ目を外してくれた。

 オルステッドがちょっとかがみ、手が首にまわる。

 つけるのは多分自分でできるけれど、オルステッドがやってくれた方が早いと思うので、任せた。

 

 そういえば、私はいま、髪を結んでいないのだ。

 継ぎ目を閉じるときに巻き込んでしまわないだろうか。

 

「待ってね、髪の毛あげるから──」

 

 言い終わる前にカチリと首輪が嵌り、

 

「いたっ、いたい!」

「む?」

 

 首輪が外される。

 

「髪はさまった……」

「それだけか?」

「髪の毛ってね、ひっぱったら痛いの」

「……」

「やめて!!」

 

 フードを剥かれ、髪をグシャッと掴まれた。

 村の男の子にもされたことのない凶行である。

 撫でてもらえるのかな、と一瞬期待したのに。なんで?

 

「いじめっ子みたいな事はよしなさい!」

 

 ナナホシが止めてくれた。

 口調がややシルヴァリルさんみたいになっているのは、彼女から言葉を学び直した影響だろう。

 急に痛いうえに怖い目にあわされて怯える私を解放し、オルステッドは自分の手と私を見比べ、言った。

 

「弱いな」

 

 人に痛いことしたらごめんなさいしてね……。

 

 訊くと、オルステッドは人の髪を胸ぐらの次に掴みやすい部位だと認識していた。

 発想がやくざものくらい物騒である。人に可愛がられたこととか、ないのだろうか。

 そんな感じゆえ、髪をちょっと引かれたくらいでは痛みはないと思っていたらしい。

 特に私はトウビョウ様の力を使えるから、呪殺の印象に引き摺られて、からだも普通の人族より頑丈だと思っていたみたいだ。

 旅の道程で判明した力の弱さや、病に罹患したことで、そうでもないなと考えを改め始めていたそうだが。

 

 

「魔物を避けて通る道筋は見えるか?」

「うん。こっち。とっても細いから気をつけてね」

 

 ともあれ、人里を目ざして進んでいく。

 ナナホシと私はオルステッドに運ばれた。懐かしのおんぶと抱っこである。

 

 

---

 

「あら、こんな所に人の石像あるよ」

「危機迫った感じの迫力ある像ね。何でこんなところにあるのかしら」

「石化ブレスを浴びた冒険者だろう。バジリスクの仕業だ」

「本物の人ってこと……?」

 

「オルステッド、そっち通ったら魔物いるよ」

「遠回りで面倒だ。突っ切る」

「シャアアァァ!」

「超早いデカい白蛇!」

「だから言ったのに!」

 

「きゃあ! 烏かと思ったら翼竜!」

「ブラックドレイクだ」

「なんか水おちてきた」

「ドレイクの爪の毒腺から分泌された毒液だ。舐めたら死ぬぞ」

「……ぉわ……」

「はやく拭き取れ」

 

「ねえ、ちょっと寄っていきましょうよ。綺麗な湖よ」

「ナナホシ、でも、あそこ怖いよ」

「レイクウォーターバグだ。粘液で池に擬態し、水を飲みに来た獲物を喰らう」

「……」

「……行こっか」

 

---

 

 

 魔物の凶悪さも規模も中央大陸と桁違いだ。

 ベガリットよりも過酷な環境ではなかろうか。

 

 遭遇するのは、魔物だけではない。狩りをする集団や、単独で旅をしているらしい人もいた。

 道中行きあった人……人? たちとは、かなりの確率で戦闘になった。

 中央大陸にいた頃は、オルステッドに遭遇した人はみんな這う這うの体で逃げていったが、ここ、ガスロー地方では、果敢に襲いかかってくる人が多い。

 まるで武士みたいだ。本物の武士は見たことないけれど。

 

 髪や肌の色が妙なのはまだ大人しいほうである。

 中には、トカゲや虫が巨大化して二本足で歩いているとしか形容できない、人かどうか怪しい者もいた。

 私にはわからないけれど、言葉を喋っているから、たぶん人だ。

 オルステッドによると、彼らが喋っているのは魔神語である事が判明した。兄が学んでいた言語である。

 

 私が何かするまでもなく、武士たちはオルステッドに倒された。

 そうして、オルステッドの健脚で、半日ほどで町に到着したのだ。

 

 

 聳えるのは、黒鉄の市壁である。

 壁……と、言っていいのだろうか。

 町を守るのは、外向きにつき出た六角柱のトゲの集合体なのである。研磨前の群晶のような形状だ。

 水晶のような透明度はなく、黒い鉱物はぎらぎらと照る日輪の熱を吸収して、驚異的な熱さであった。

 

 立派なものだと、煉瓦や石。粗末なものだと土塁。紛争地帯の村だと木の柵を見てきた。

 これは今まで見た中で、一番頑丈そうな防壁である。

 オルステッドが私たちを抱えて登るのは厳しい。

 三人で門の前まで移動した。

 

「ヒッ! ──、────!」

「────!?」

 

 黒鎧の二人組が、手に持った槍を交差させ、オルステッドを阻んだ。

 一人は暗緑色の肌に、赤い虹彩の目が両頬と額にもついた魔族。

 もう一人は、土色の肌に毛髪無く、眉毛も無く、つるりとした四角い頭に二本の角が生えた魔族。

 

 どちらも容姿が人族とは大きく異なる。

 世の中には魔族という種族が存在することは知っているから、今さら妖怪だ化生だと警戒することはない。

 でも、髪が青色で見た目が若いだけだったロキシーやロイヒリンさんと、額に三つめの目があるだけだったベリトの祖母と比べると、異形度は高い。

 ついジロジロ眺めそうになってしまう。

 ひとを不躾に眺めたらいけません、と母様に言われているので、堪える。

 

「行け」

 

 門番であろう彼らを余裕の面持ちで押さえ込み、オルステッドは入国を促した。

 今回もオルステッドは町の中までついてこない。町での用事は、私に託された。

 迎えは明後日である。

 

「いってきます!」

 

 ナナホシと共に門を潜って町の中へ。

 遠目に見えた、黒色の城を見上げる間もなく、客引きに囲まれた。

 魔神語がわからないので意思疎通はできないものの、その勢いと押しはすさまじいものであった。

 

 

 


 

 

 

 身振り手振りで訴え、食事付きの宿を借りることに成功した。

 割高な気がするが、オルステッドから不自由はないほど十分に渡されているので、ゾルダートさんに教えられた値切り交渉はしなかった。

 そもそも、値切ろうにも魔神語を喋れない。宿を確保できただけでも上等だ。

 

 石のベッドに、あまり清潔ではないが毛皮の掛布もある。

 部屋の隅の水甕の水は少々古く、虫が浮いていたので、新しく入れ替えた。

 こういう時に水魔術は便利だ。

 

「シンシア、お願い」

「はーい」

 

 火魔術もべんり。

 ナナホシが背嚢から取りだした蠟燭を、備え付けの燭台に刺した。

 火を灯せば、日が落ちはじめ、薄暗くなった部屋が橙色に明るむ。

 

 明かりを得てから、泥棒対策に鎧戸をしっかり閉めた。

 

『さてと』

 

 ナナホシが硬いベッドに腰かけ、私を横に呼んだ。

 

『移動中にいろいろ考えたの。これまで考えなかったことをね。

 語彙が少ないと思考まで幼児みたいになるから、最近はようやく思考が自分の年齢に追いついてきた感じ』

「えっと……」

「まず、シンシアは、ここが異世界だってこと、わかってなかったのよね?」

 

 ナナホシがわかる言語を喋ってくれた。

 わからない言葉も、あった。

 

「い世界?」

「別の宇宙……って言うと、わからないよね。

 私と、多分、シンシアのお父さんかお母さん、それかおじいちゃんかおばあちゃんが生まれた所──地球っていうんだけど、地球上のどこにもない土地や海を、異世界って言うの。ここは、私にとっては、剣と魔法の異世界なのよ」

 

「こっちの人たちには、地球のほうが異世界だけどね」と、ナナホシは腿の上で重ねた手を組み直した。

 

「私はね、地球の『日本』っていう国から来たの。

 シンシアは、私と違って魔術も使えるし、この世界に両親もいる。

 オルステッドは、私とあなたが同郷だって言ってたけど、正確には、私と、シンシアに地球の言葉を教えた人が同郷なんじゃないかって、そう思ったのよ」

「地球の言葉……」

 

 それって、私の前世の言葉だと思って間違いないのかな。

 だとしたら、今世の両親からも、会ったことがない祖父母からも、教わっていない。

 私が生まれた時から知っていた言語だ。

 

『わたしの(めぇ)の名は、チサ。小森チサじゃ。

 先祖に、大日本からきよったんはおられん。ききょうたこともねぇわ。

 わたしゃ祟りでおえんようになったけえ。成仏もできん。ぼうっとしとったら、おっ母にえぇげにうんでもろうたんじゃ』

「うん……言われてみれば、日本語……かも? 訛りがかなりきついわね。どこの方言かしら」

 

 やっぱり、ナナホシに意味は伝わらなかった。

 私の前世の名前と、先祖に日本人はいないこと、それから前世で死に、今世の母様の子として生まれたこと。

 それらを人間語で言い直すと、ナナホシは「え?」とあてが外れた顔をした。

 元日本人同士なのに、共通語が自分の母国語ではないことに、ナナホシはもどかしそうだ。

 私はもはや人間語のほうに親しみがあるから、人間語でも、日本語でも、どちらもいい。

 

「シンシアは転生ってこと?」

「転生……そうよ。うーんと、こっちの……異世界? に、転生したの」

「ってことは、本当は何歳なの? 生まれはどちら?」

「7歳で、フィットア領のブエナ村」

 

「そうじゃなくて」ナナホシは私の頭をぽふぽふ撫でながら言った。「前世の年齢も入れると、ってことよ」

 

 そういうことなら。

 ええと。

 

「チサが20くらいで死んだから……20たす7で、27!」

 

 にじゅうななさい。

 母様と同じくらいの年だ。

 母様の子なのに、母様と同じ年……?

 

 ちょっと考えられない。

 自分と母様の年が同じだと思ったことがない。

 チサが数えで二十年近く生きても、シンシアは七歳である。

 いや、前世と今世で年齢の数え方が異なるから、数えで二十は、こっちの十九で……。

 

「わたし26歳っぽい? 大人?」

「ううん、全くそんな感じはないけど……。まあ、転生だし、からだに精神が引き摺られてるのかもね」

「前の生まれはね、美作よ。岡山の」

「へえ、美作市」

「美作国よ」

「ん?」

「美作の苫田郡の、名前は忘れちゃったけど、ちっちゃな村」

「古風な区分するわね……?」

 

 そのとき、部屋に、食事が運ばれてきた。

 文化の違いか、ノックはない。乳房が三つある赤い肌の女が、いきなりバーンだ。

 彼女はベッドに座る私とナナホシの膝に椀を置き、毛皮を指さして強い剣幕で何か言い、部屋を出ていった。

 毛皮を汚さないでね、という意味のことを言われたのだと思う。

 

「チサさんって呼ぼうか?」

「やん。他人行じは寂しいよ」

「それを言うなら、他人()()ね」

 

 くすくす笑っていたナナホシの表情が、椀の中身を見て凍った。

 私も木をくりぬいた椀の中身を見た。

 赤い汁に、ごろっと肥った芋虫が浸り、笹の実のような粒が浮いている。

 虫食は久しぶりだ。見たことがない芋虫だが、魔大陸固有の種類だろうか。

 

「いただきます」

「正気!?」

「なにが?」

「だって、虫よ? もしかして、前世からゲテモノ好き?」

 

 虫ってゲテモノだろうか。

 蝗も蜂の子も前世ではごちそうだ。

 

 そう思いつつ、匙で一口。

 汁の雑味が強いけれど、変な味はしない。

 二口めで、舌に衝撃が走った。

 

「……ッ」

「ど、どうしたの?」

「か、から……」

 

 からい。

 舌が! くちびるが!

 

 水筒を持ってきて、ぐいーっと飲み干す。

 舌のびりびりした痛みが落ち着き、息をついた。

 

「ふぅ」

 

 ちょっとくらい辛いから何だというの。

 食べ物があるだけありがたい。私は全部食べ尽してやる。

 ナナホシは汁だけをちょっと飲み、やはり同じように水を無言で煽った。

 ナナホシの水筒に新しい水を満たしてやり、私は良い事を教えてあげた。

 

「芋虫もいっしょに食べると、からいのマシになるよ!」

 

 携帯食は持っているが、野営で獲物が手に入らない時のための非常食である。

 目の前には、見慣れないとはいえ、できたての料理がある。

 非常食の出番ではない。

 ナナホシは長い葛藤の後、きれいに完食したのだった。

 

 

 

「うう……虫が、虫が……」

「大丈夫?」

「秋刀魚が食べたい……」

 

 宿をウロウロし、見つけた厨房っぽいところに食器を返却してくると、ナナホシが部屋でぐったりしていた。

 私は体験したことはないけれど、食べ物があわないと、お腹を壊す人もいるらしい。

 ナナホシの腹に成功率の低い解毒魔術をかけてあげた。

 

「よしよし、いい子ね」

 

 涅槃の姿勢で横になったナナホシの胸まで毛皮をかけると、

 

「話の続きをしましょ」

 

 綺麗な黒髪がふわっと揺れ、ナナホシは起き上がった。

 そうだった。食事で中断したが、お互いの()のことは、まだ全然話せていない。

 

『シンシアって、私の言葉、わかってないよね?』

 

 私の名前だけ聞き取れた。

 ナナホシは異国語のような日本語を、人間語に直してくれた。

 

「わかんない。どこの言葉?」

「ごく普通の、標準語よ。前世は20よね? こういったら失礼だけど、かなり田舎のほうで育ったにしても、テレビとか、学校の教科書で、標準語は聞くでしょ?」

 

 ナナホシの口ぶりからは、彼女の常識では、学校に通うことが当たり前である事が伺い知れた。

 やっぱり、私が彼女に初めて会った時に思ったことは間違っていなかった。ナナホシは分限者の娘だ。

 それはそうと、またも知らない言葉が出てきた。

 

「テレビってなに?」

「えっ、テレビ、無いの?」

「うん。学校も行ったことないよ」

「あ、そうなんだ……。その、病弱で、ずっと入院してたの?」

「入院!?」

 

 とんでもない。そんな怖いことするものか。

 あそこでは、生き血を抜かれ、肝を取られるらしい。

 その証拠に、虎狼狸(コロリ)に罹って避病院*1に連れていかれた人は誰一人として帰ってこなかった。

 避病院に身内を取られないように、役人が来ても巡査が来ても、みんな必死で病人を隠したものだ。

 ひとたび摘発され、虎狼狸患者を連れていかれた後は、真っ白な消毒液を家の周りに撒かれるから、近所には誤魔化しようがないのだったが。

 私が憶えているのは明治二十八年の大流行だ。

 チサが生まれた翌年にも流行ったそうだが、そちらは憶えていない。

 

 ナナホシは分限者の娘だ。富豪の子なのだ。

 きっと彼女の知る入院は、もっと良い安全な環境なのだろう。

 互いに見てきたものが異なるだけなのだ。

 それなのに大袈裟に驚かれたら、お前は非常識だと言われているようなものだ。ナナホシはいやな気持ちになる。

 

「十四のときに歩けなくなったけど、医者にかかるお金はなかったもの。ずっとお家よ」

「へえ……」

「あ、お母たちは真面目に働いてたよ。私の面倒もよく見てくれたの。人の恨みも買わない、いい人たちよ。でも、うちは小作人だったから」

 

 こうして誰かに前世の話をするのは初めてだ。

 思い返すことは度々あったものの、実際に口にすると、心持ちまで当時に帰っていくようだ。

 私、シンシアの人生は、チサが柱の(かし)いだ茅葺き屋根の下で、囲炉裏のそばに敷いた布団の中で見ている夢ではないか。

 そう思ってしまう。

 

「昔からそんなに貧乏だったわけじゃなくてね、私の……チサの生まれる前は、小さいけど土地持ちだったらしいの。家に、古いけど、畳もあったもの。

 ほら、むかし、地租改正ってあったでしょ?」

「ええ、明治初期の政策よね。日本史でやったわ」

「私が生まれたのは、もともと豊作の年のほうが珍しい村だったから、地租が払えなかったんだって。それで、持ってた田んぼも手放さなきゃいけなくなって、小作人になったのよ」

 

 ナナホシの家は、きっとうまくやったのね。いいなあ。

 という言葉を飲み込む。

 私はトウビョウ持ちの家の子だから、人を羨んだり、妬むことがあっても、態度や口に出してはいけない。

 その後、相手に良くないことが起こると、うちがシソを飛ばしたせいだと思われるからだ。

 

 いいえ、それは、チサの境遇だ。

 私は前世からのトウビョウ使いではあるけれど、グレイラット家はトウビョウ持ちではない。

 人を羨むくらいなら、してもいいのだった。

 

「何にせよ、嬉しいわ。シンシアが、私と同じ日本人で」

「私も!」

 

 私たちはぎゅっと手を握りあった。

 実は今となっては、私はアスラ人の自覚のほうが大きいのだが、人の歓喜に水は差すまい。

 そして私は、ナナホシの言った〈異世界〉の意味をもう一度よく考えてみた。

 大日本帝国があるのが、地球という世界である。

 そして、アスラ王国は地球にはない。アスラどころか、ラノアも、ベガリット大陸も、魔大陸も。

 ここが、異世界という場所だからだ。

 

「転移魔法陣でも、海を渡っても、大日本には行けないってこと……?」

「大日本? ええ、まあ、そういう事になるわね。でも、オルステッドが自分の用事のついでに、帰る方法を探してくれるそうよ。すぐ見つかるといいけど」

 

 そうなのか。知らなかった。

 オルステッドは、ナナホシには特に優しい。

 私も優しくしてもらいたい。

 

「もし帰る方法が見つかったら、私もついて行っていい?」

「もちろん! 一緒に帰りましょう」

「お母と婆やんたちに、目明きで、歩けるようになったこと教えたいの。目は青くなっちゃったけど、話せばチサだってわかってくれるもん」

「ええ。きっと喜んでくださるわ」

 

 墓前での報告になるだろうけれど。

 それだけじゃない。知りたいこともある。

 

「露西亜に勝ったか負けたかも、気になるよね!」

「ロシア? 何かあったかしら? オリンピックはもう終わったわよ」

 

 おりんぴっく。また知らない言葉だ。

 ナナホシはとぼけているのではない。本当にピンときていないようだ。

 そんなはずはない、と思う。

 戦勝続きのお国は、戦況を大々的に報せていた。

 臥薪嘗胆の流行り言葉だって、小学校に通えない私ですら知っていたのだ。

 ナナホシも知らぬはずがないのだが、よっぽどの箱入り娘だったのだろうか。

 

「露西亜と戦争してたでしょ、三十七年から。

 ナナホシには、出征なさった兄さんや親族はいないの?」

「出征……」

 

 紛争地帯の村の悲惨な光景を見たあとだから、勝ってたにせよ素直に喜べない。

 それでも勝敗は大事なことだから、知っておきたいのだ。

 負けていたら、昔視てやった、依頼人の出征した息子の戦死は無駄になってしまう。

 

「待って」

 

 ナナホシは口元を片手で覆った。

 どうしたのだろう。

 

『……三十七年、日露戦争……?』

 

 墨色の瞳は、訝しげに、何かを思い出すように斜め上を向く。

 視線が私に定まったとき、知性ある瞳には確信と疑惑が宿っていた。

 ナナホシは、慎重に、ためらいがちに訊ねた。

 

「あなたの前世って、年号はなにの、何年生まれ?」

「明治の十八年よ」

『……なんてこと』

 

 ナナホシは顔ぜんぶを両手で覆ってしまった。

 同時に、燃え尽きた蠟燭の火が消え、部屋から明かりが落ちたのだった。

*1
伝染病を防ぐ隔離施設。急拵えの施設であるため医者も看護婦も不足しており、患者の多くはろくな手当を受けられず亡くなった。





長いアンジャッシュでしたね。
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