巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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皆様ありがとうございます。




三九 転移の代償

 ナナホシ・シズカ。

 日本語で書くと、『七星静香』である。

 手帳に書いた字を見せてもらったが、人間語と比べると、全体的に角張った字面だ。

 私の生前の名前『小森チサ』も書いてもらえた。

 まさか死後にチサの名の字面と書き方を知ることになるとは。

 もちろん、人間語では、ナナホシの名もシンシアもチサも書ける。

 日本語の字では初めてである。なかなか感慨深い。

 

 そうして、ナナホシはお国ではお姫さんでもないし、家は分限者でもないらしい。

 彼女の居たところでは、女でも、読み書き算術をひと通り身につけるのが普通なのだそうなのだ。

 

 ナナホシは、なんと平成という時代から来ていた。

 生前の私の死後、百年以上経った時代らしい。

 

 つまりナナホシは未来人。

 彼女から見れば、私は過去の人。

 百年も生まれた時代が異なる者たちが、こうして相対しているのだ。

 なんだか壮大な状況である。

 

「……」

 

 新たに灯した蠟燭に照らされたナナホシは浮かない顔だ。

 何か考え込んでいるようである。

 

 獣族のまねっこをすれば笑ってくれるかな。

 でも深刻そうな感じだし、そっとしてあげたほうが良いのかもしれない。

 ベッドのちょっと臭い毛皮の上をコロコロ転がりながら待つと、ナナホシはふっと顔を上げた。

 

「ちょっと聞いてほしいんだけど」

「はい!」

 

 しゅっと飛び起きる。

 張り切って起き上がったけど、難しい話だろうか。私にわかるかしら。

 

「あくまで思考を整理するためだから、まとまりのない、つまらない話になると思うわ。

 意味が分からなくても相槌だけ打ってほしいの。それだけでも、だいぶ違うから」

「わかった。聞いてるね」

 

 私の心配を見透かしたようにナナホシは言った。

 難しい話でも諦めずにちゃんと聞こうと私は思った。

 

「単純に考えると、こっちの世界での1年が、地球での15年に匹敵するかもしれない」

「そうなの」

「私がこっちに来てから、もう少なくとも、5ヶ月は経ってる」

「そうね」

 

 過ぎた月日を指折りかぞえる。

 そうか。もうそんなに経っているのだ。

 砂漠の大陸であるベガリットでほとんど三人きりで半月。

 雪に閉ざされたカーリアンで、冒険者たちに囲まれて賑やかに過ごした三ヶ月。

 私がうっかり病になってしまって、ケイオスブレイカーで療養させてもらった一ヶ月。

 バーバ・ヤーガのもとにいた三日間に、その他もろもろ移動にかけた日数をも入れたら、だいたい五ヶ月である。

 

「ナナホシって、いつアスラ王国にきたの?」

 

 ウィシル領の救貧院では七日間を過ごした。

 オルステッドが私を連れ出しに来たとき、ナナホシはすでにオルステッドと共にいたのだ。

 

「あぁ、確か、シンシアに会う七日くらい前よ。何もない更地で一人でさ迷ってたら、オルステッドに保護されたの。私が最初にいた場所は、フィットア領っていう所だったらしいわ」

「じゃあ、転移事件のすぐあとね。苦労したね」

 

 魔力災害で国や民衆が大変なときだ。

 ナナホシも災難だ。災害が起こる前であったら、人里にも頼れただろうに。

 

「そうね。行けども行けども何もなくて」

 

 ナナホシは言葉を不自然に区切った。

 過去を回想するように遠くを見ていた瞳が、現在に戻ってきた。

 

「シンシアは、転移事件の生き残り……なんだよね?」

「うん」

 

 ゾルダートさんたちには話していたし、あの町の冒険者たちには転移事件の生き残りとして同情される事もけっこうあった。

 その頃のナナホシはまだ言葉は完全ではなかった。

 オルステッドもペルギウス様もことさら触れてくることはなかったし、知らないだろうと思っていた。

 しかしナナホシは、憶えていたのだ。自分に馴染みのない言語で交わされた会話の内容を、である。

 すごい。

 

「無くなっちゃったけど、楽しいところだったのよ、ブエナ村! みんな親切でね、友達はやさしいし、小さい子たちもかわいいの。ほんとなら今ごろは牧草を刈る時期でね、こんなにおっきな鎌でやるのよ。研石で研ぎながら――」

「ごめん」

「あっ、ナナホシが話すんだったね。静かにしてるね」

 

 ついうっかり、話を逸らしてしまっていた。

 今はナナホシが話す番。そして私は相槌を打つ係だ。

 と、ナナホシの話を待ったのだが、様子が少し変である。

 

 初めての人を見るような顔をしていた。

 初めて、私がそこにいるのに気づいたような顔であった。

 私たちは何ヶ月もいっしょに過ごしてきたのに。

 

『……わたし、無理よ。そんなこと、責任持てない』

 

 ナナホシは私を見下ろし、途方に暮れた。

 

「ナナホシ? どうしたの、大丈夫よ」

「……あ、ああ、そうね。うん、私は大丈夫よ。ごめんね」

 

 ナナホシは自分の頬をぱちぱち叩き、気合いを入れた。

 水を飲み、息をついてから、言った。

 

「ふぅ……よし! 話を戻すわね。

 これは最近発見したことなんだけど、」

 

 ナナホシは鞄から小刀をとりだした。

 野営のときに、動物や魚を捌くのに使うやつだ。

 その用途で使ったことはないが、護身のためでもある。

 スティレットという種類の刃物で、刃を柄の中に収納できるので、持ち運びもしやすい。

 ナナホシは、掴みとった自分の毛束を、それでブチッと切ってしまった。

 

「わっ」

 

 さっき話を聞かなきゃと思ったばかりなのに、つい口を挟んでしまう。

 

「せっかく綺麗なのに!」

「そう? ありがと」

 

「でも、よく見て」と言われ、床に蟠る黒髪を凝視する。「そっちじゃなくて、こっち」

 

「元通りでしょ」

「あら……?」

 

 ナナホシは姫さんみたいに綺麗な髪をサラッとかきあげた。

 彼女の指のあいだを通る髪の中に、途中で無粋に落ちる束はない。

 

「髪、伸びないけど、切っても短くならないのよ。すぐに元に戻るの。爪もね」

「そうなの……」

「怪我をしたらどうなるのかも知りたいけど、そっちは試してないわ。傷がもとで病気になったら取り返しがつかないから」

「そうね。転んだ人の口に悪魔が飛びこむ、ってルーさんも言ってた」

 

「悪魔、ね」ナナホシはうんざりした顔を見せた。「未発達の文明では、破傷風の合理的解釈ではあるけど」

 

 破傷風ってなに? という言葉をこらえる。

 なんでも訊いていたらまた話が逸れてしまう。

 たぶん、私が罹患した病のことだろう。あのときの体の自由の利かなさ、苦しみは、何か悪いものに取り憑かれたとしか思えなかったのだ。

 

「私は単に新陳代謝が止まってるんじゃない。トリップする直前の時間軸で固定されてるんじゃないかって思ったの。だから、私がトリップした直後に、地球の時間も止まってるんじゃないかって……まあ、これは希望的観測ね。

 だけど、バカにできない説だわ。転移の私と、転生のシンシアでは、諸々の前提条件が違う。対照実験的な考察は成立しないのよ。

 私の状態は、まるで死人みたいだけど、空腹感はあるし、当然長いこと食べなきゃ動けなくなるし、排泄もするし、睡眠も必要。だから生きてはいるんだと思うわ」

 

 死人という言葉を確かめるべく、寝台に座るナナホシにぴとっとくっついて、顔を見あげる。

 蝋燭の火に浮き出る顔は、のっぺりとしていて、死者と生者の区別はつきにくい。

 おそらく私の顔も、ナナホシには同じように見えているのだろう。

 

黄泉竈食(ヨモツヘグイ)だと、黄泉の食べ物を口にすると元の世界には帰れないそうだけど、この場合は当てはまらないよね……」

「黄泉って、死者の国でしょ。ここは、違うよ。いろんな形のひとがいるけど、みんな生きてる人よ」

「うん。わかってる」

 

 ナナホシは私の肩に片腕をまわし、自分の方にひきよせた。

 私は素直に彼女によりかかり、ナナホシの独り言をきいた。

 

「〈私たちの世界の境界は、片側しかない線であって、内側から外につながる道など存在しない、そもそも、そんなものはありえんのだよ〉」

 

「ミハル・アイヴァスの『もうひとつの街』では」と、ナナホシは部屋の隅をじっと睨み、自分に向けて説明した。「図書館員にこう言われた後、主人公の〈私〉は、現実の街に重なって存在するもうひとつの街を、部分的にちらちら見るようになる」

 

 本の話かしら。

 その物語に、ナナホシは自分の現状を重ねているのか。

 

「本来は、違う世界は、交わることはない。でも、特例で、私たちはここにいる」

「ほかに来てる人はいないのかな?」

「ええ。異世界トリップが頻繁に起きる現象だとしたら、転移者や転生者のコミュニティがあるはずよ。オルステッドに訊いたけど、そんなのは無い、って。

 彼、ずいぶん長いこと生きてるみたいだけど、地球から来たのは、私たちが初めてだって。

 もしかしたら、私の友達二人も来てるかもだけど……今は、とりあえず、私とシンシアだけに起こった現象だと仮定しましょう」

 

 そういえば、移動中にそんな事を訊いていた。

 ナナホシって、やっぱり頭の回転が早い。私たちが同郷だと知って、もうそこまで思考を働かせていたのだ。

 

「ここは、『もうひとつの街』の異世界ほど、シュールレアリスムにみちた、わけがわからない世界じゃない。

 常識や衛生意識にズレはあるけど、言葉さえわかれば、変なことを言ってる人はいない。〈タイプライターの一部は、バッタの大群によってコーカサスへ運ばれた〉〈男と男の仁義なき戦いは、クローゼット内のうっとりするようなジャングルで繰り広げられている〉なんて、へんてこな講話もないしね」

「うふ。変なの」

 

 タイプライターというのは知らないが、クローゼットと、男の仁義なき戦いの妙な組み合わせはおかしい。

 ナナホシもくすっと微笑んだ。

 

「粗暴だけど、親切な人も多いわ。そこは幸運だった」

 

「この世界のことは嫌いじゃない。でも、もう帰りたいの」とナナホシは真剣になった。

 

「この世界から見ると、地球の時間の流れは激流のように早いのだとしても、その問題は多分クリアしてる。

 オルステッドとペルギウス様は、この世界でも指折りのすごい人たちよ。彼らに頼れば、世界を渡る装置を見つけて、帰る時代を指定することも可能になるかもしれない。

 ちょっと恥ずかしい妄想だけど――異世界人にしかできない務めがあって、それを果たせば帰れる、っていう伝説が、この世界のどこかに記されているのかもしれない」

 

 かもしれない、の多い話である。

 それだけ未知の領域であるのだろう。

 

「ナナホシは、お国に帰ったときに、浦島子みたいに知らないうちに何百年も経ってることがこわいの?」

「浦島子……ああ、浦島太郎のこと? そうよ。今のはそういう話」

 

「さすが昔話。この辺は通じるのね」とふむふむ頷くナナホシに、私は言った。

 

「ナナホシ。私ね、死んですぐ生まれたんじゃないの」

「詳しく教えて」

「周りのことはよく分かってなかったけど、しばらく、ずっと黒いところにいたの。地獄かもしれないわ」

「真っ暗な場所にいたの?」

「ううん、暗いのはちょっとちがう……。自分の体は見えてたから。だから、私は百年そこにいて、ナナホシが来る七年前に生まれたんじゃないかなって……」

「転生するまで、幽霊になってさ迷っていたから、私とシンシアの異世界トリップに百年の差はない?」

 

 ナナホシの言葉にうなずいた。そうだ、そう言いたかったのだ。

 あまり憶えていないから、私は幽霊だった、とはっきり言えないのがもどかしいところだけれど。

 

「そこで、川や海は見た?」

 ナナホシの質問に首を横に振る。

 

「光は? トンネル……井戸でもいいわ、上の方に光が見えて、そこに吸い込まれるような感覚はあった?」

「あった!」

 

 でも井戸は見えなかったよ、と付け足す。

 光に吸い込まれる感覚はあった。それは確かだ。

 

「シンシアのそれは、臨死体験じゃないかしら。実際に一度亡くなったわけだから、厳密には違うでしょうけど」

「りんしたいけん?」

 

 また難しい話だろうか。

 と、思ったのだが、ナナホシが「きれいな花や蝶を見たり、亡くなった肉親に手招きされたり……」と言ったとき、わかった。

 

「三途の川?」

「ええ。死にかけて蘇った人が、三途の川を見た、なんて言うでしょ。あれには臨死体験っていうれっきとした名前がついてるのよ」

 

 きれいな花や蝶。亡くなった肉親。

 そんなものはどこにもなかった。居なかった。

 あそこは、ただただ寂しい場所であった。

 

 ぞくりと寒気が走った。

 三途の川を見た人は、きっと極楽に行ける人たちだ。

 あれがあの世だとするなら、私のいた場所は、地獄……。

 

 私の恐怖を晴らすように、ナナホシは自信ありげに言った。

 

「医学的には、臨死体験は大脳のなせる業とも言われているわ」

「?」

「つまり、死後の世界は、死の苦しみから逃れるために、大脳が構築した至福のイメージってこと。あなたが見た黒い世界は現実にあったことじゃなくて、チサが亡くなる間際の夢ということになる」

「夢……」

「実際に死を体験した人から話を聞けるのって、かなりレアな状況ね。こんなときじゃなかったら、興奮してたかも。いや、真に受けなかったかもしれないわ。

 一説では、臨死体験をした人は、その至福感に、死を恐れなくなるそうだけど……」

 

 ナナホシはそう捲し立て、しまった、という顔をした。

 

「ごめんなさい。良い気しないよね、自分が死んだ時の話なんて」

「ううん。平気よ」

 

 思い出すと恐ろしく感じるだけだ。

 あそこが地獄であったと暫定しよう。

 実際に堕ちてみると、居心地のよい地獄だった。

 責め苦を与える獄卒の鬼はいないし、何人も呪い殺した私にしては、生ぬるい環境である。

 あら、でも、ナナホシの話によるとその地獄は私が作り上げた夢であって……。

 ううん、どういうこと?

 

 こんがらがってきたので、一旦考えるのはやめる。

 

「肉親はいなかったけど、光に吸い込まれる前に、男の人が見えたの」

「どんな?」

「えっと……怪我してた。あと、太ってた」

「……その人、ジャージ着たおっさんじゃなかった?」

「じゃーじ?」

 

 ナナホシが絵に描いてくれた。

 手首から足首まで覆える服装であった。野良仕事で虫だの泥だのから体を守れそうだ。

 

 そんなにくっきりと憶えているわけではないが、その肥った男はこんな格好だった気がする。

 という事を伝えると、ナナホシの表情に希望があらわれた。

 

「臨死体験の話、いったん忘れて!」

「えっ」

「幽霊だった説のほうが正しいのよ!」

 

 そうなの?

 その結論に至った理屈はわからないが、ナナホシは元気になった。

 

「よし……よし! トリップは同時なんだわ! よし!」

 

 ナナホシは立ち上がり、今にも踊りだしそうである。

 私も嬉しくなってきた。

 

「じゃあナナホシが帰っても、何百年も経ってないのね。よかったね」

「ええ。まあ、まだ分からないこともあるけどね。トリップした日は同じなのに、この世界で目覚めた日にはズレがある事とか。でも、ひとまず、安心したわ」

 

 とりあえず、ナナホシの悩みは解決したようだ。

 

 

 私も知りたいことがある。

 すとんと腰を下ろしたナナホシに、私は訊いた。

 

「露西亜には、勝った?」

「日露戦争は日本の勝利よ。終結したのは、明治38年の9月」

「ほんと!」

「……シンシアの前世が亡くなった後の日本の話、聞きたい?」

「聞きたい!」

 

 それから、ナナホシは教えてくれた。

 明治天皇は即位から四十五年目の夏に崩御し、年号は大正に変わった。

 しかし長くは続かず、わずか十五年で昭和という時代に移った。

 大正には関東大震災があり、昭和には戦争でお国が負けた。

 

 悪い話ばかりでもなかった。

 尋常小学校――後に名前は改められたが――は、ナナホシの時代には誰でも必ず通えるようになっていること。

 交易が発展して、食べ物が楽に手に入るようになったので、凶作の年でも人が飢えずにいられること。

 福祉も発展して、片輪や知恵遅れ、堕胎できず生まれてしまった赤ん坊も、働けなくなった老人でも、生きていてもいいこと。

 

 大正から昭和は、動乱と高度成長の時代である。

 災害や戦争で大勢が犠牲になったが、皆が豊かになった時代だ。

 六十三年と七日の長い昭和が終わり、平成の時代。

 そうして、ナナホシは生まれた。お姫さんでも分限者でもない、普通の家の子として。

 

『ぼっけえ、ええ時代じゃのう』

 

 飢えないこと。凍えないこと。

 これ以上の贅沢があるだろうか。

 その贅沢が当たり前の時代がきたのだ。

 

 三十三回忌の済んだ墓は忘れ去られていく。

 私が死んで百年あまり。婆やんの墓はおろか、お母とお父の墓も朽ちただろう。

 墓は既にない。跡地を憶えている人もいない。

 

 悲しいことだけれど、それを差し引いて余る豊かさを人が得たなら、仕方がないと諦めもつく。

 それとは別に、安心できたこともある。

 

「そんなに良い時代なら、きっと鬼も出ないよね。よかったあ」

「明治時代には、鬼が出たの?」

「悪いものはたくさんいたけど――」

 

 興味深そうにするナナホシに説明する。

 私が前世からある神様の使いであったことを言うと、ナナホシはちょっと顔を引き攣らせたが、真剣に聞いてくれた。

 怖がらせてしまうかもしれないので、呪殺のことは伏せ、せいぜい遠くの人を転ばせる程度だということにした。

 

「ずっとお家にいると暇だから、誰に頼まれたわけじゃなくても、先のことを視たりしてたの」

「へえ……。それじゃあ、私から聞かなくても、どんな時代が来るかわかったんじゃないの?」

「そんなにはっきり見えるわけじゃないの。それにね、ちょっと……怖くて」

「怖い?」

 

 うなずき、私は話した。

 教えられた年号に当てはめると、昭和の初頭あたり。

 細かい場所はわからない。しかし、苫田郡の村であると思う。

 

「チサは、鬼を視たの」

 

 お国が、また清と戦争をはじめた頃。

 恐ろしい鬼が、岡山で生まれるのだ。

 

「どうして鬼だと思うの?」

「角があったの。ぴかぴか光る角が、頭に二本。それで、胸も光るの」

 

 黒い軍衣に脚絆を締め、雑嚢を肩からかけている。

 猟銃に日本刀、匕首二本を携えた鬼だ。

 鬼は暗い夜道を駆ける。

 民家に忍びこむ。

 殺戮する。

 

 鬼は、白皙の青年だ。

 悪逆非道の所業だのに、一切の表情がない。それが怖い。

 

 死装束を縫うのに物差しや鋏は使わない。畳の縁を物差し代わりに布を手で裂くのだ。

 翌日の死装束作りは、よその村の女衆が駆けつけて手伝わねばならないほどの死者が出る。

 

「その鬼と、チサは、血が繋がってる」

 

 直系の子孫ではない。生前の私に子はいない。

 嫁いだか、奉公へいった姉しゃんたちのうち誰かの孫だ。

 トウビョウ持ちの血筋の子が、鬼へ転じる。

 それを知った時、私は自分の家系を視るのはやめた。

 

 今世では、体もこの通り別人だ。

 あの鬼と血の縁は切れた。

 

 藤原、都井、春日、……と、姉しゃんたちが嫁いでいった家の名を上げていく。

 鬼の名字はこのうちのどれかだと思うのだが。

 

「こんな名前の鬼が、昭和には出なかったかな」

 

 ナナホシは考え込んだ。記憶を探っているのだろう。

 

「……いいえ。そんな殺人鬼は現れなかったわ」

 

 その言葉に安心した。

 

「みんな豊かで、良い時代だものね。鬼も生まれないよね。

 よかったあ。やっぱり、チサの見間違いだった……」

 

 知らず強ばっていた肩やつま先の力を抜き、ナナホシにポスッと寄りかかる。

 あんな恐ろしいこと、誰にも言えなかった。

 凶事を未然に防ぐやり方もわからないまま私は死んでしまったから。

 でも、鬼は生まれなかった。何十人もの殺戮は起こらなかった。

 先見は外れていた。

 

「もし本当に起こったとしても、シンシアが気負うことじゃないわよ。だって……大甥くらい離れてるんでしょ? しかも、別の村の出来事なのに」

「そういうわけにもいかないよ。知らんぷりしても、村のみんな、身内だって知ってるもん。他人にはなれないの」

「ふーん。村社会ってやつかしら」

 

 村社会って、なに?

 知らない言葉の意味を訊ねると、ナナホシは教えてくれた。

 

「血や土地で人が繋がっていて、夕飯のおかずも、隠したい失敗も、みんなに知れ渡っちゃうような狭い社会のことよ」

 

 そんなの当たり前ではなかろうか。

 ナナホシからすれば、狭いのだろうか。

 

「ナナホシのところは違うの?」

「ええ。まあ、田舎にはまだ残ってるでしょうけど、だいたいの町では、近隣住民のことはそんなに知らないわ。お互いね」

「そうなの……」

 

 私の当たり前は、未来では当たり前ではないのか。

 みんなが他人な社会は、あまり想像がつかない。

 ずっと旅人でいるような感覚だろうか。

 今世の私の立場では、寂しいと思う。

 前世の私の立場だと、きっと気楽だ。

 

 

 色んな話をして、ちょっと疲れた。

 ナナホシはもう少しひとりで考えたいことがあると言う。

 思考の助けにはなれないと思うので、私は一足先に寝ることにした。

 

「おやすみ、ナナホシ」

「おやすみ」

「お家に帰る方法、がんばって見つけようね。わたし、手伝うから」

 

 チサの帰るところは無くなってしまったけれど、ナナホシにはあるのだ。家族に会いたい気持ちはよくわかる。

 帰る方法があるなら、手伝う。

 帰る方法がないなら、この世界で生きる基盤を用意してあげたい。私の母様と父様がしてくれたように。

 

「頼りにしてるわ」

 

 ナナホシの微笑みを満足して眺め、私は目を閉じたのだった。

 

 

 


 

 

 

 睡る女の子のやわらかい顔に、灯が(かげ)をつくった。

 気楽な顔で、まだ死んでいるようにも見えた。

 七年前に生まれたとはいえ、昔は死人だったのだ。

 シンシアは、生きていた時間より、死んでいた時間のほうが長い。

 生まれ変わり――それも異世界に――を果たした彼女は、前世は明治の百姓の娘で、チサという名であったらしい。

 

 ひとまずシンシアの背景を信じたナナホシは、しかし、自分がからかわれているのでは、と疑惑を捨てきれないでいた。

 

(どう考えても、昭和最大の大量殺人じゃないの!)

 

 頭で光る二本の角は、懐中電灯。

 胸で光るは、自転車用のランプ。

 黒詰襟にゲートル。地下足袋。

 猟銃。日本刀に匕首二振り。

 

 有名な〈津山三十人殺し〉の犯人像である。

 シンシアの言うことを信じるなら、彼女の前世が死んだのは明治三十七年頃。

 かの事件は昭和十三年。

 知るはずがない。

 

 幽霊として観測していたなら、「占いで視た」と言う必要はないはずだ。

 シンシアが嘘をついていないなら、彼女の予言は当たっている。力は本物という事になる。

 

(神様の使いって、ようは憑き物筋……って、ことよね。精神病を発症しやすい家系をそう呼ぶだけではないの?)

 

 ナナホシは、オカルトの類いはそこそこ好きだが、考え方は現実主義的であった。

 故にすんなりと受け入れることができない。

 しかし彼女の優秀な頭脳は、シンシアの発言に()()()()()()()()偽りなし、と訴えていた。

 

「情報量が多いのよ……」

 

 ただの子供なのに、背景は異常の一言につきる。

 生きた時代に百年以上の開きがあるばかりか、神様の使いを名乗る超能力者で、殺人鬼の先祖。

 同じ日本からの転生者であった嬉しさが吹き飛ぶ衝撃であった。

 

「隠し事は私もしてるし、詳しく聞けないけど」

 

 ケイオスブレイカーの滞在中。

 ペルギウスに告げられた言葉は、返しのついた棘のようにナナホシの心に突き刺さった。

 ――お前は、何者かの手によってこの世界に召喚されたのではないか。転移事件は、その反動で起きたのだろう。

 言われたときは、かくべつ後ろめたさはなかった。

 

 今目の前にいる子供が、転移事件の生き残りだ。

 それを思い出した時、ナナホシは異世界に来た興奮が冷めた気がした。

 その瞬間、シンシアは同郷の仲間ではなく、異世界トリップに支払われたものすべての代表としてナナホシの目には映った。

 シンシアが悲壮感に乏しいのが、かえって痛ましいのだった。

 

 もしも魔法の存在する異世界に行ったら、と平和な日常に飽きた中高生のありがちな妄想は、異世界の市井の人々の多大な犠牲によって叶えられた。

 誓ってナナホシはそんなことを望んではいなかった。

 ナナホシには見えない。しかし、確かにそこにある犠牲者の存在など、とても背負えない。

 ナナホシが選んだ行動は、

 

 ――……わたし、無理よ。そんなこと、責任持てない。

 

 逃避であった。

 

 異世界に来たのは、ナナホシが意図した事ではなくても、日本への帰還に協力してもらいたいのなら、正直に打ち明けるのが筋だ。

 裏腹に、知らぬなら知らぬままで良いのではないか、という小狡い思考も浮かんでくる。

 

「……どうしよ」

 

 ナナホシは深いため息をつき、ごろりと固い寝台に体を伸ばした。

 

 

 

 ナナホシはシンシアに二つの真実を告げなかった。

 ひとつは、己の保身のため。もうひとつは、シンシアのため。

 シンシアの口ぶりでは、生前のチサと、シンシアは、単に地続きの人格ではなさそうだ。

 前世の生涯を今世の年齢に加算せず、シンシアを前世の記憶をもつ子供とするなら、告げるべきではないと判断した。

 

 豊かになったところで、人は変わらないのだ。

 悪意や悪の芽は、終わらない。切っても除いても繁茂してくる。

 私だって、平和な時代に生まれたからといって、素晴らしい人間じゃない。周りも。

 誰でも少なからずそんな経験があるように、ちょっとした嫌がらせを受けたこともある。いじめを見ぬふりをした事もある。

 だって、いじめられっ子のことは、私もそんなに好きじゃなかったし……。

 でも、まだ、知るには早い。

 七星静香は、家では小学生の弟に合わせて「サンタさんはいる」ということにして、子供の夢を守ってやるくらいには優しい少女なのだった。




苫田郡は現在の津山市です。
もう何十年も前の事件ですが、被害者の方々のご冥福をお祈りします。
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