巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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調整平均が8.98になってました。
いずれ変動するだろうとは思いますが最高記録が嬉しかったのでここに記録します。


四〇 ネクロス砦にて御愁傷

 昨日のことを整理してみる。

 ここは外つ国ではなくて、異世界であった。

 さらに、ナナホシと私の前の故郷は同じである。

 私はもはやお国へ行く理由はない。でも、ナナホシは帰りたがっていて、私はそれを手伝いたいと思っている。

 それがわかったところで、すぐに何かできるというわけではないのが、もどかしい。

 

 とりあえず今やるべきは、オルステッドに言いつけられた用事を果たすことだ。

 

「行ってきます!」

「気をつけてね」

 

 ナナホシは宿で荷物番だ。

 いっしょに行こうかと申し出てくれたけれど、顔馴染みのいない旅先では、放置した荷物はまず盗まれる。

 宿の中でも安全とはいえないのだ。ゾルダートさんたちが言っていたことだ。

 

 だからひとりでお使いである。

 お使いの内容は、錆びた小さな鍵を、ある古物商に売ること。

 ただ同然の値段で買われるそうだが、大事なのは鍵が彼の手に渡ることなので問題ないらしい。

 

 

 路傍や露天商で交わされるのは、聞き馴染みのない言語。

 迷っても、人に道を訊ねることはできないから、宿への帰り道がわからなくなったら帰れなくなるのではないか。

 そんな不安を、首をぶんぶん振って振り払う。

 地図も描いてもらったし、きっと大丈夫だ。

 

 遠目に見える黒い城が、良い目印になった。

 おどろおどろしい感じのお城なので、ぼうっと空を見上げても目を惹くし、よく目立つ。

 ペルギウス様の書庫で読んだ、伝説の黒い(シュヴァルツ)カメロット城が現実にあったら、ああいう感じかもしれない。

 

 道行く人々の容姿は人族と異なっていて、屠殺され吊り下げられる動物が鶏や豚ではなく魔獣や大きな蜥蜴で、バルコンから男を誘う娼婦の化粧も異なる。

 しかし、見慣れた光景もあった。

 肉屋の周りをうろつく野良犬と、革を鞣すのに使う犬の糞を拾い集める収集屋。

 飲料の販売機の端につけられた台の上で呼び込む少年。

 ただし注がれる液体は濃い紫色で、ものすごい泡が立っている。何から作った飲み物だろう。

 

『上がっておいでよ、坊や。怖いのかい。弱虫。いいことを教えてあげるよ』

 

 男を見下ろし、誘う娼婦は、暗黄色の灰で掌と顔を染めていた。

 ああいう化粧が、魔族の好みなのだろうか。

 人族の娼婦は肌を陶器のように真っ白に粧っていたのに。

 眉と瞼のふちは黒々と描き、唇や頬は紅く彩られているのは、魔族も人族もいっしょだ。付け黒子は魔族にはない。

 

 女は、長衣の前をひろげ、ゆたかな乳房から陰部までをちらりとのぞかせて、すぐまた、おおいかくした。

 

 私の前を横切った魔族の少年が、ふらりと誘いに応じた。階段を登って娼婦の元へ行った。

 娼婦は一部始終を見ていた私にきつい視線をくれた。

 

『なに、見てんだよ。バカガキ。見世物じゃないんだ。あたしは、お前だよ。お前はあたしだよ。お前もいずれこうなるんだ。悔しかったら、自分のオヤジかアニキの一人でも連れてきてごらんよ』

 

 すごい剣幕で怒られた……。

 何を言ったのかわからないけれど、とても怒っているのは間違いない。

 暗黄色の顔の娼婦は、こちらに降りてまで詰ってくることはなく、窓をピシャリと閉めた。

 中からは、くぐもった喘ぎ声が響いてきた。

 

 私はとぼとぼと歩みを進める。

 広場では、歌う楽士たちの周りに人だかりができていた。

 

 

  人を殺した わけじゃない

  物を盗んだ おぼえもない

  ただ毎日が すばらしい

  祭りの続きで ほしかっただけさ

 

 

 異国のしらない歌が、手風琴の埃っぽい旋律と一つになって流れ、流れつづけ、私はいと小さきちっぽけなものになる。

 わけもない焦燥は、薄い刃のように皮膚を舐めた。

 歌が聞こえなくなれば、消失する感覚であった。

 

 容姿や化粧がちがうだけ。気候と食べ物がちがうだけ。言葉がちがうだけ。

 ちょっとずつ異なる。けど、人の営みはいっしょだ。

 だから、心細くなんか、ない。

 

 

 古物商の主人は、オルステッドに預けられた鍵を買い取ってくれたのだと思う。

 思う、と、確信がいまいち持てないのは、主人も魔神語しか話せなかったからだ。

 鍵は、石の銭二枚と交換された。

 オルステッドに渡された魔大陸のお金にはなかった硬貨だけれど、これも買い物に使えるのだろうか。

 

 肩にぱらぱらと小石が当たった。そっちを向くと、魔族の男の子たちが走り逃げて行くところだ。

 石銭よりも小さな豆粒のような石は、たいして痛くはない。

 足元に散った石を拾い、濁った水溜まりの中に投げた。

 

 視野を、礫が、ほとんど水平によぎった。

 水溜まりを飛び越えて落ちた。ふり向くと、民家の影から顔を出した一人と目があった。

 (はだえ)が熟した茱萸の実のように赤い魔族の子だ。

 たぶん、目があったのだと思う。

 白目と黒目が収まるべき眼窩に、蜻蛉のようなおびただしい小さな眼が並ぶ彼の視線は、どこを向いているか、わかりにくい。

 

 蜻蛉の男の子は、地を蹴って、砂をこっちの方に飛ばした。

 小さい石を、私は投げ返した。軽くて小さいので、まるでとどかず、石は三歩ほど手前に落ちた。

 蜻蛉の子は、また石を投げた。少し大きかった。

 足元に落ちたのを、拾って、投げ返した。

 

「あっ!」

 

 蜻蛉の子がもう一度投げたのが、目の前に迫った。

 とっさに顔をそむけると、こめかみに当たった。

 顔を手で覆った。指のあいだから覗いたら、蜻蛉の子はこっちを見ていた。

 生温い液体が、頬を流れた。血のついた手のひらを、蜻蛉の子に向けた。

 相手はぎくりとし、ちょっとためらってから、一目散に逃げた。

 

 治癒魔術で治せるとはいえ、痛い。

 泣くのをこらえ、気持ちが落ち着くまで、寄り道をすることにした。

 買い物はしない。魔大陸のお金は、人族の国では手に入らないだろうし、記念としてとっておく。

 

 

 町外れの塔にのぼり、城下町をながめた。

 塔のまわりは、土台石の間から草が丈高くのび、この町の人々が馬のように乗りまわす大蜥蜴の糞が落ちていたりした。

 

『あのガキ、人族じゃねえか?』

『ああ。しかも見ろよ。この人形とそっくりだ』

 

 チャリチャリと手の中で銭をもてあそんでいると、「おぉい」と声をかけられた。

 黒光りする甲冑だの肩当だのをつけた二人組みの男だ。門番と同じ格好である。

 彼らは手を振りまわし、口々に何か言っている。

 ちょっと怖いので、さらに塔をのぼった。

 

『魔神語がわからないんじゃないか?』

「ゴホンッ……おーい、大事な給水塔に登るなー!」

 

 急にわかる言葉になった。

 この塔にはのぼってはいけなかったらしい。

 落ちないように慎重に下りていると、黒鎧さんが塔の下に来て、両腕を広げた。

 えいやと飛び降りると、しっかり抱きとめられた。

 

「どこから来た、嬢ちゃん」

 

 もう一人の黒鎧も兜を外しながらこちらに来た。

 兜の下から、剣呑な中年男の顔があらわれた。ガスロー地方に来てから、ナナホシを覗いては久しぶりに見る人族の顔だ。

 

「空から」

 

 ケイオスブレイカーは空のお城だ。

 

「じゃあ、その怪我ァ、黒飛竜に突っつかれた痕かい」

 

 自分の肩口を見ると、小さな血痕があった。

 首をこすると、乾いて赤茶色になった血の滓がポロポロと落ちる。

 

「これは石ぶつけられた」

「ひでえ事しやがるな。どれ、おっちゃんが懲らしめてきてやろう。やったのは、どんなガキだった」

「いいの。わざとじゃなかったの」

 

 黒鎧二人は子犬をじゃらすように私を構った。

 まるきり異国の地で人族と会えたことが嬉しくって、私も彼らの周りをうろちょろしていると、いつの間にか酒場についていた。

 ちょっと分けてもらえたガスロー地方固有の酒は、独特な味で飲みにくかったので、水魔術でコップを満たしてごくごく飲む。

 

 空の酒樽に板をのせてテーブルに、逆さに伏せた木箱を椅子にした酒場で気持ちよく酔った彼らは、中央大陸とミリス大陸から来た人族であった。

 ジルドさんとオットーさんというらしい。

 それぞれ王竜王国とミリス神聖国の片田舎から、武者修行の旅に出た彼らは、ウェンポートで意気投合して、共にここまで来たそうだ。

 

 魔大陸、およびミリス大陸の港町には、ある伝承がある。

 

  力を望むものよ、旅をせよ。

  力を望むものよ、魔大陸を目指すのだ。

  魔大陸を踏破せよ。ネクロス要塞に到達せよ。

  ……

 

 と、いうものである。武芸者の間では有名な伝承らしい。

 ただし、力を求めて旅立った者は、だれも帰ってこない。

 真偽を確かめるべく、そして力を得るべく、二人は言い伝えにしたがい、ネクロス要塞へ目的地を定めた。

 そうして幾年もかけてたどり着いたネクロス要塞で、魔王の親衛隊をやっている、いや、やらされているらしい。

 

「嬢ちゃんくらいの人族の子を見てると、村に残してきた倅を思い出すんだ」

 

 オットーさんはズッと鼻をすすり、ゴツゴツした手で私の頭を撫でた。

 目が充血してるのは、酔ったせいだけではないのだろう。

 泣くくらい会いたいのに、帰らないのだろうか。

 と、思ったが、どうにも、彼らは魔王様と特殊な契約を結んでおり、帰ることができないらしい。

 毎日ひたすら修行、修行、修行。

 強さを求めて幾星霜。いくら自分で始めた旅でも、自由がないのは不憫である。

 オルステッドに頼めば、また転移魔法陣を使わせてもらえないかな。

 でも、契約だと、定められた期間を勤めあげないと、休暇がないそうだから……。

 むむむ。

 

「ハハ! ガキが、何いっちょ前に悩んでるんだ?」

 

 湿っぽさを吹き飛ばすようにジルドさんが笑い、机に土色の像を置いた。

 確か、こういうのを、フィギュアというのだっけ。

 三寸くらいの女の子のフィギュアだ。

 女の子はしゃがんでうつむき、子山羊を抱きしめている。

 めくれて露出する太ももを恥じて隠す年頃ではないのだろう。その子のワンピースの裾はめくれ、パンツがチラッと見えていた。

 

「こんな僻地にも行商人はたまに来てよォ、よその珍しい品を広げて売るんだ。これは並んでた品のひとつだ。あんまり可愛いんで買っちまったんだよ。普段は人形なんて趣味じゃねえが……」

「出来も良いしな。嬢ちゃん、ちっと前に、造形師にモデルを頼まれたことがあるんじゃねえか?」

「もでる?」

「ああ。そっくりだぞ、嬢ちゃんと、この人形」

「そうかな」

 

 フィギュアを眺める。

 自分の姿って、そんなにじっくり見る機会がないのよね。

 ペルギウス様の城にある姿鏡に映った自分を思い出しながら、改めて見ると、確かに似ているかもしれなかった。

 フィギュアの女の子のほうが、私より幼いだろうか。

 

 ちなみに、椅子から立って近寄ると、パンツは服の陰にかくれて見えなくなった。

 フィギュアを水平な場所に置き、下から見るとちらりと見える構造であったのだ。

 なぜかしら。作った人のこってりとした趣味を感じる。

 

 細かい造りを観察した後は、製作者を視る。

 すぐに頭の両側が熱くなり、絵が浮かんだ。

 これを作ったのは、人族の男の子だ。ずいぶん熱中して作った人形を、魔大陸で旅費のために売り払い――

 

 ……これ、お兄ちゃんだ!

 製作者:ルーデウス・グレイラットだ!

 そしてモデルもたぶん私だ!

 

 この人形は、かつて兄が作って、触れていたものだ。

 兄の中には、私がいた。私と兄は、繋がっていたのだ。

 

「……」

 

 目のふちがじわりと熱くなった。

 

「おにいちゃん……」

「お? どうした?」

 

 ゴシゴシと溢れかけた涙をぬぐう。

 

「これ、触ってもいい?」

 

 わざとらしいくらい明るく訊ねると、快諾された。

 うっかり手や足を折らないように、そっと持ち上げる。

 小さな私は見た目より重く、表面は素焼き陶器のようにザラザラとしていた。

 土魔術で作ったものであろうから硬いのに、髪や肌が柔らかそうに見えるのはなぜだろう。

 手にとって色んな角度から眺める私の腋の下に手が入り、抱き上げられた。

 オットーさんは私を片腿に座らせたまま、ジルドさんと魔神語でのお喋りを再開した。

 お尻の下がかたいのは、腿当ての感触だ。

 ペルギウス様に対しても思ったけれど、こんな鎧を身につけて、よく普通に動けるものだ。

 私だったら潰れてしまう。

 

 バサッと風音が聞こえた。

 すぐ近くだ。

 まるで、大きな鳥が、そばに降り立ったような。

 

『アトーフェ様!』

 

 ガチャンと鎧が触れあう音をたて、二人が立った。

 私は、片腕に抱かれたまま、そちらの方を見た。

 

 女が腕を組み、むっすりと立っていた。

 青色の鍛えられた躰を、黒い鎧でつつんでいる。

 眼は、禍々しく赤い。長く白いそそけ髪は、後頭部でひとつに縛られていた。

 背には蝙蝠のような翼。額には一本の角が生えた、むくつけき女だ。

 顔立ちは美しい。

 

 美しいのだが、威圧感がすごい。

 もし彼女が益荒男の集団の中にいても、一茎の野菊のような儚さはきっと感じないだろう。

 むしろ、人々を恐怖で支配する、巨きな存在だと思うだろう。

 それこそ、御伽噺に登場する魔王みたいに。

 魔王……。

 

 さっき私が聞いた、「アトーフェサマ」って、あれじゃなかろうか。

 ペルギウス様が絶対に関わるなと言っていた、あの女魔王。

 その名も、

 

「アトーフェラトーフェ……ひっ」

 

 ずいっと顔が近づいた。

 喰い殺されそうな気迫だ。

 私は心の中でオルステッドに助けを求めた。

 彼も怖い時は怖いけれど、私を喰い殺そうとはしないし、危ない時は守ってくれることの方が多い。

 風采は恐ろしくても、心は優しいのだろう。きっと。

 

 目の前の彼女は、そういう感じではない。

 ずっと見られていると、お腹の底が冷たくなり、からだが震えた。

 私は蛙だ。蛇に睨まれたカエルだ。手は、自然と祈る形にあわさった。

 

『アトーフェ様? あの……どうされたんで?』

 

 私を抱いているオットーさんは気のせいか不思議そうだ。

 彼らが知り合いだとして、オットーさんが不自然に思う程度には、この青い肌の魔王は妙な反応をしているということだ。

 となると、やっぱり私に対して何かあるのだろう。

 

 何なの。なんの用なの。私が何をしたというの。

 恐怖心を唾といっしょに飲みこみ、ぎゅっと拳を固める。

 

「……か、かかってこい……!」

 

 ところが、女魔王は、何もしてこなかった。

 ただ、私を見つめていた。流れた数分間は、私にとって永遠に匹敵した。

 

「あ」

 

 爪まで青い指が、私の手にあった人形を奪った。

 あれは私を象ったものであって、私のものではない。

 あとでちゃんとジルドさんに返すつもりだった。

 

「返し……」

『姫か!』

 

 震える声をさえぎり、女魔王は短く叫んだ。

 殺すぞ! って、言ったのかしら……。

 

『姫は、儚く愛らしい少女だと相場が決まっている。

 そして、人族の王族は、絵画だの像だので自分の姿を残したがる。短い年数で姿が変わる人族らしい慣習だ。

 自分の像を作らせたってことは、こいつは姫だ。

 でかしたぞ、お前ら! 姫を攫ってきたのだな!』

『いえ、違います、アトーフェ様』

『あぁ? じゃあ何だ、この像は』

『た、他人の空似かと』

『そんな訳あるか。こんなに似てるぞ』

 

 私はさりげなく地面に下ろされた。

 ジルドさんは女魔王と何か揉めているようだ。

 生じた隙のうちに、私はこっそり逃げ出そうとして――

 

『どこへ行く』

 

 ダンッと地面が揺れた。

 女魔王が足踏みをしたのだった。

 かかってこいと固めた決意はどこへやら。私は足がすくんで動けなくなった。

 

 ペルギウス様が怖くなかったのは、彼が友好的だったからだ。

 怖くないように振舞って、私を可愛がってくれていたからだ。

 甲龍王。魔王。

 王の名を冠する者の一挙一動は、本来なら、こんなにも恐ろしい。人に畏敬される存在なのだから当然だ。

 

『こいつは何なんだ! ハッキリ答えろ!』

『姫ではありません!』

『ではこの像はなんだ!』

『このガキ、いえ、彼女を象ったものかと! しかし姫ではありません!』

『わけのわからんことを言うな!』

 

 女魔王の肩がブレた次の瞬間、横にいたジルドさんが消えた。殴り飛ばされたのだ。

 殴られたジルドさんは、上半身が酒場の壁にめり込んでいる。

 呻き声が聞こえるから、生きているみたいだ。

 

 女魔王の反応を伺いながらちょっとずつ動き、ジルドさんの側へ寄って治癒魔術をかける。

 治癒のお代はいらない。たぶん私のせいでこうなってしまったからだ。

 そうしているうちに、野次馬が集まってきて、私は完全に逃げられなくなってしまった。

 

 ペルギウス様にいっぱい悪口を聞かされたけれど、私個人は彼女に恨みはない。

 でも、殺すべきだろうか。

 こんなに恐い人、うまくやれるかな。

 

『お待ちください、アトーフェ様!』

『ふんっ』

『ぐほぉっ!?』

 

 オットーさんをも目にも留まらぬ速さで殴り飛ばし、女魔王は私を見据えた。

 大股で歩んできて、ガシッと胴体を掴まれる。

 恐怖で声も出なかった。

 

 左右に裂かれる!

 

 と、思ったのだが、女魔王はそのまま私を肩に担いだ。

 翼が付け根から大きく羽ばたくのが見えて、ぐんっと首や背中に重力がかかった。

 地面が遠ざかる。

 野次馬たちのぽかんと口を開けた顔が見えて、それもたちまち小さくなった。

 浮いている。この女、私を抱えたまま飛んでいる。

 

『ククク……アーハッハッハ!』

 

 至近距離で笑い声が爆発した。

 恐ろしい魔王は、空中を旋回しながら、宣言した。

 この町の人々、いや、大陸中の人々にも聞こえそうな勢いで。

 

『勇者よ! 姫はこのオレ、不死魔王アトーフェラトーフェ・ライバックが預かった! 返してほしければ、我がネクロス要塞へと来るがいい!』

 

 名乗りっぽい箇所は聞きとれた。

 ここで他人の名前を言うとは思えないから、やはり自己紹介だろう。

 アトーフェラトーフェは、豪傑な笑い声を響かせながら飛び去った。

 私を担いだまま、遥か蒼穹へと。

 

 ……あ、お城の上で止まった。

 

 

『ほら、ここだ』

 

 そうして私は城の一室に放り込まれた。

 そこは、冷たい牢屋でも、拷問部屋でもない。

 

「お……?」

 

 淡い桃色の部屋であった。

 ベッドの天蓋、カーテン、テーブルの掛布にはレースがふんだんにあしらわれている。家具の木材は白く一点のシミもない。

 たいそう愛らしく、そして上等な部屋であった。

 ペルギウス様の城の客室も豪勢であったけれど、あの部屋に、少女の夢を詰めこんだらきっとこんな感じになるだろう。

 

 幻かと思い、慎重にソファに近寄り、置かれたクッションに手のひらを押しつける。

 手はモフっと沈んだ。ふかふかのクッションである。

 見掛け倒しの愛らしさでも、私の幻でもなかった。

 

 いったいどういうことだ。

 なぜ私はこんな部屋に置かれたのだ。

 

『ククク、姫よ、お前はここで一生を過ごすのだ! 泣き叫んでも勇者は来ないぞ! オレが倒すからな!』

 

 アトーフェ……様? は、高笑いをしながら、部屋から出ていった。

 何と言われたのかしら。

 良い部屋で過ごさせて、肥らせて、美味しく食べられるのかしら。

 魔大陸の奥処には、人が豚や魚を食べるのと同じように、人族や獣族を食べてしまう野蛮な種族がいるらしい。

 

 アトーフェ様は、出ていくとき、部屋に鍵をかけなかった。

 逃げられる。

 逃げるしかない。

 

「……」

 

 扉の把手に手をかけ、私はチラッと部屋を振りかえった。

 桃色の部屋の、あちこちに繊細なレースがあしらわれた、少女が見る幸せな夢のような空間。

 釉薬をかけられた暖炉のオジーアーチさえ愛らしい。

 

 逃げなきゃ。

 でも、この部屋は、可愛い。とてもかわいい。

 

「……ちょ、ちょっとだけ……」

 

 私は水でみたされた琺琅引きの洗面器で手を洗い、丸テーブルを挟んで向かいあう椅子のひとつに近づいた。

 猫脚の白い椅子には、座面と背もたれに、薔薇の刺繍があしらわれた桃色のモアレの布が張られている。

 西洋のお姫さんみたいな椅子に、私はちょんと座った。

 つま先は床の絨毯にとどかなかった。たぶん、もう少し年上の少女が座るのにちょうどいい設計なのだろう。

 やや体にあわない大きな椅子だが、心は状況に反して躍った。

 つい口元がにまにましてしまう。

 

「……はっ!」

 

 いやいや。

 こんな事をしている場合じゃない。

 

 早くナナホシが待ってる宿に戻らなくては。

 でも、こんなに愛らしい部屋なのだから、もうちょっとだけ見てから帰りたい。

 でも、でも。

 

「心が二つある……!」

 

 私は人差し指の先を白いテーブルの天板にくっつけた。

 右が、いますぐ逃げる。

 左が、もうちょっと居る。

 

「かーきーのたーねっ」*1

 

 歌に合わせて指は右と左の陣営を往復し、歌が終わるとピタリと止まった。

 ふむ。

 天の神様によると、いますぐ逃げるべきだそうだ。

 名残惜しくも部屋を出ることにした。

 

 臀を前にずりずり動かして椅子から降りようとしたそのとき、ドアノッカーが扉を叩く音が聞こえた。

 

『失礼』

 

 渋い声がした後、老爺が入ってきた。

 髪と髭は灰色で、彼もまた黒い鎧を纏っている。

 物腰と眼光は鋭く、矍鑠とした老戦士といった感じだ。

 

 彼は私を見下ろし、やはり魔神語を喋った。

 

『あなたはどこの姫君ですか?』

 

 たぶん、何かを訊ねられた。

 わからなくて困っていると、老戦士は、「もしや」と呟いた。

 

「こちらの方が分かりやすいですかな?」

「! はい」

 

 人間語を話せる人にまた会えた。

 その老戦士は、ムーアと名乗った。

 そして、ムーアさんは人間語に直してもう一度訊ねた。

 あなたは姫君ですか、と。

 

「ぜんぜんちがいます……」

「やはり」

 

 ムーアさんはフーッとため息をついた。

 

「大人しくしていたのは賢い選択です」と彼は手に持った鎖を持ち上げた。

 鎖の端には、それぞれ、丸い輪っかと、鉄球がついている。

 似た道具を、私は見たことがある。カーリアンの牢獄でだ。

 

「逃げるようなら、拘束するように言いつけられていたので」

「するの?」

「しません」

 

 よかった。

 あんなに重たそうな足枷をつけられたら、動けなくなってしまう。

 

「見たところ、人族の子供ですね。アトーフェ様は、何故かはわかりませんが、あなたを姫君だと思い込んでいるようです」

「あの人、やっぱりアトーフェ様だったの」

「おや、生まれはこちらではないでしょうに、ご存知で?」

 

 ムーアさんが、人間語で穏やかに口を聞いてくれたので、私は答えた。

 

「ペルギウス様に教えてもらいました」

「ほう」

 

 ……?

 ムーアさんの眼が、いっそう強くなった気がした。

 

「えっと、わたし、帰るね」

 

 ただの人違いであることがわかった。

 アトーフェ様は私を姫と間違えて連れてきてしまったのだ。

 この部屋は、姫さんのためのものだ。私がいていい場所ではない。

 

「ええ。どうせアトーフェ様の勘違いであろうと思っていましたが……しかし、あなたも不運でしたな」

「かわいいお部屋、嬉しかったので、そんなに不運では……」

 

 棒立ちのムーアさんの横を通り抜けた。

 ムーアさんは首をめぐらせて私の挙動を見ている。

 愛らしい部屋に似合わないものものしい鉄扉の把手に手をかけ、ちゃんと挨拶をしていなかったことを思い出して、ぺこりとムーアさんに頭を下げた。

 会釈が返ってきた。

 

 さあ帰ろう。

 

「あら?」

 

 扉が動かない。

 胸の高さの把手にぐいっと力を込めると、向こう側に開いた。

 ただし、私が開けたのではなかった。

 部屋の外にいた人が、自分側に引いたのだった。

 

「姫君を捕まえるのは久しぶりでしたから。

 立ち去ったふりをして、あなたの反応を傍で伺っておられたのです。絶望に泣き叫ぶ姫の姿を見たかったのでしょう」

 

 人が泣き叫ぶ姿を見たいとは、なんと悪辣な。

 私は泣いてやるもんかと思った。

 扉に引きずられてたたらを踏んだが、たとえこれで転んでも、泣いてやるもんか。

 体勢を立て直し、足元に落ちる影に気がついた。

 人が、前に立ちはだかっている。

 

「しかし、あなたは無辜の民」

 

 背後からはムーアさんの声。

 視線をゆっくり上に移す。

 

「私は逃がすつもりだったのです」

 

 恐ろしい女魔王は、能面のような無表情であった。

 アトーフェラトーフェは、大柄ではない。

 私の母様と同じくらいの背丈だ。

 小さすぎもせず、大きすぎもしない。

 それなのに、オルステッドより巨大に見えるのは、彼女が持つ迫力のせいか。

 

 アトーフェラトーフェは、仁王立ちで私を見下ろしている。

 その顔が、にたぁ、と歪んだ。

 笑顔だとわかるまで、時間がかかった。

 口角は吊りあがり、牙は剥き出しで、そのくせ眼は爛々としている。

 獰猛な笑みであった。

 

「〈ペルギウス〉の名が、あなたの口から出るまでは」

 

 舌なめずりをせんばかりのアトーフェラトーフェから、後ずさって離れる。

 さっきまでは無かったはずの壁に背中と頭がぶつかった。

 ムーアさんが立っていた。

 

『言ったな? 間違いなく』

『はい。確かに』

『そうだろうとも。オレは耳も記憶力もいいのだ』

『そうでしょうとも。アトーフェ様の耳は優れていらっしゃる』

『こいつは言った、ペルギウスの名を』

『迂闊にも口を滑らせた』

『どうしてやろうか、ムーア』

『如何しますか、アトーフェ様』

『決まっている』

『決まっているでしょうね』

『我が夫カールは殺し合いを禁じた。しかし、』

『姫を攫うことは禁じなかった』

『ペルギウスの姫だ!』

『あまり似てないが』

『母親が人族だったのだ!』

『閉じ込めましょう』

『一生!』

『飼い殺しに』

 

 頭上で交わされる魔神語の応酬。

 意味はとれない。私は日本語と人間語しか喋れないのだ。

 その日本語も、訛りがきついらしくナナホシには通じなくて、自信を喪失気味である。

 

「……もう帰っていい?」

 

 挟み撃ちにされて、にっちもさっちもいかないので、ムーアさんにおそるおそる訊ねる。

 どうか、「はい(スィ)」と答えてほしかった。

 ムーアさんは答えた。

 無情に。

 無表情で。

 

「不運でしたな」

 

 私は二人を呪い殺した。

 

 正面のアトーフェラトーフェは、目を見開き、不思議そうに私を見つめた。

 右手が左頬を押さえ、頭の後ろを通った左手の指が右の頬にくいこむ。

 ゴキッと音がして、顔が真後ろをむいた。

 からだは沈みこむように倒れた。

 

 私の後ろにいるムーアさんにしても、同じような死に様であった。

 私の足元に、二人は、小山のように盛り上がる。

 アトーフェラトーフェは大柄ではないはずなのに、死んでも尚、むやみに大きい。

 回り込んでうかがった顔は、威厳さえ持っていた。

 

 私は手を合わせてから逃げだした。

 

 何がいけなかったのだろう。

 ペルギウス様の名前を出すと、どうして帰ってはいけなくなるのだ。

 出口を探してやみくもに砦を歩き回る。

 太陽は沈んできて、城の中はだんだんと紫色に暗くなってきて、私は焦る。

 焦る。

 夜になる前に、ここを出なきゃ。

 暗いと帰り道がわからなくなる。

 

 燭台に火が灯った廊下に出て、ちょっと安心した。

 緩やかなカーブの効いた長い廊下だ。燭台は等間隔に壁に取りつけられている。

 明るいのは良い。周りが見えるとホッとする。

 

 進む先の床に、影が映った。

 誰かがこちらに歩いてくるようだ。

 

『オレは運がいいなぁ。攫ってきた姫が、偶然にもペルギウスの娘だとは』

 

 喋り声。

 さっき殺したはずだ。

 

『バァ! アッハハハハ!』

「あぁぁ!」

 

 脅かしてきた彼女を即座に呪殺した。

 顔を確認する余裕はない。私は来た道を脱兎のように引き返した。

 蘇って追いかけてくる姿を想像してしまって、後ろをちらちらと振り返りながら走った。

 ドンッと人にぶつかった。

 

「おっと」

「ごめんなさ……!?」

 

 ムーアさんがいた。

 ごめんなさいも悲鳴も飲み込んで呪った。死ね。死ね!

 彼は黒い塊のような血を吐き、倒れた。ガシャンと鎧が石の床を打つ音が響いた。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 死体を避け、走る。

 

『姫よ! 存分に逃げるがいい! そしてそれが無駄な足掻きと知るがいい!』

「なんで生きてるの!」

 

 アトーフェラトーフェはどこまでも追いかけてきた。

 後ろから追い詰めたり、正面から現れたり、天井から落ちてきたり。

 私は遭遇する度に呪い殺したが、魔王は何度でもよみがえった。

 

 もしあれに捕まったら、どうなるのだろう。

 姫であれば閉じ込められるだけみたいだが、私はちがう。

 姫じゃない私は、殺されるのかもしれない。

 

 隠れようと私は思った。

 カーリアンでは、じっとしていたら凍えてしまうから、あまりやらなかった遊び。

 村があった頃はよく遊んだ隠れ鬼。

 見つかったらおしまいな隠れんぼと異なるのは、見つかったら逃げなければならないこと。

 このままやみくもに走っても、体力が尽きる。

 隠れたら、追手に見つかるまで、休んでいられる。

 うまくいけば、隠れたままやり過ごすこともできる。

 

「う、く……!」

 

 鍵のかかっていない重い鉄扉を力いっぱい押して、なんとか開いた隙間に体を滑り込ませた。

 

 皮を剥いた林檎のような月が白く宙にあった。

 屋外に出た、と、ぬか喜びをした。天井がないだけだ。

 彫刻装飾を施された列柱の真ん中に、長い上り階段が続いている。

 

 列柱の外側の壁は、私の胸ほどの高さである。

 上体を壁に倒し、両手で体をずり上げ、片足を壁まで上げてよじ登った。

 覗き込んだ下界は、闇に没していた。

 小さく、螢のような光が点々とある。

 民家の灯りだろうか。ここから遠いのか近いのかすらわからない。

 飛び降りるのはだめだ。上に行くしかない。

 

 階段をのぼる前に、ちょっと考えて立ち止まり、入り口に向けて右手を翳した。

 

氷柱(アイスピラー)!」

 

 扉を塞ぐのは、太い氷の柱だ。

 ピシピシと小さな音をたてながら氷が育ち、何本もの柱が扉の前で交差して、堅牢な蓋になった。

 風が氷柱を舐め、冷気がこちらに吹きつけた。

 風にとりのこされた氷柱群は、まだ扉を覆っていた。

 なんてことだ。

 

「こんなにおっきいの、成功したの、はじめて……」

 

 無詠唱で治癒魔術を使えるようになったきっかけといい、私は危機が迫ると成長する子なのかもしれない。

 その成長が、身を助けるには十分ではないのが、悲しいところだ。

 

 風に乗った雲の流れは速い。

 月は、かくれ、あらわれる。そのたびに、視野は暗黒になり、色を洗い落とされた白黒の景色がまた見える。

 青白い月光は、列柱の上に据えられた悪魔の彫像のおどろおどろしい文色を浮かび上がらせた。

 大勢の悪魔に睨まれながら、隠れる場所を探した。

 

 階段を登りきると、開けた場所であった。

 広間であるらしい。火の点っていない燭台で囲まれていると、月明かりで見きわめた。

 

 奥の一段と高く誂られた空間に、椅子があった。

 黒鉄の玉座だ。

 捻くれた角だの蝙蝠の翼だの髑髏だのを模した装飾がある。

 

 この後ろに隠れるのでは、見つけてくださいと言っているようなものだ。

 でも……と、周囲を見回した。他に隠れるところがない。

 

『おい! 勝手に謁見の間に入るな! こっちにも相応の準備をさせろ!』

 

 響いた声に、ぎくっとした。

 風は、女の怒鳴り声とともに、昏い穴のような入口から吹いてきた。氷格子を突破されたのだ。

 とっさに玉座の後ろに身を隠した。

 膝を抱きしめ、体を縮こめる。

 

『ククク……そこに隠れているのはわかっているぞ。オレは賢いからな』

 

 まだ殺せない。

 まだ距離が開いているうちに殺したら、私がここにいる事を知ったアトーフェラトーフェが、何らかの対策を講じてくるかもしれない。

 扉から玉座までは、一本道だ。

 アトーフェラトーフェが玉座にたどり着く前に呪殺したら、私は逃げる途中で、どうしても彼女の死体とかち合う。

 

 その瞬間が、ちょうど蘇った時だったら?

 月が雲に隠れて、暗闇の中で、相手の居場所がわからなかったら?

 

 アトーフェラトーフェが死んだ時、私との距離が近いほど、逃げる時間は延びる。

 だから、確実に居場所がわかるほど近くに来るまで、こうして待つ。

 

 地獄の亡者は、釜で茹でられてグズグズになっても、針山でズタズタになっても、獄卒が「生きよ」と唱えれば復活する。

 殺しても生き返る点においては、不死魔族は地獄の亡者と同じだ。

 不死魔族という種族名は、大袈裟な名前ではなかった。

 強くて死ににくいから、そう呼ばれているのではなかった。

 死なないから強いのだ。不死身の異名はものの喩えではなかった。

 

 私は人族だから、怪我をすれば血が出る。死んだら死ぬ。

 死は一度経験したけれど、ここで今、死ぬのを受け入れられるわけじゃない。

 自分が死ぬ時を知っている。

 トウビョウ様が視せた未来像によると、あと二十年近くは生きられるはずなのだ。

 

『ククク、懐かしいな、小さいアールやアレクともよくこうして遊んでやった……』

 

 私への恨み言なのか、まったく関係のない独り言なのか。

 魔王は愉しそうに笑い、何事かを呟いている。せめて内容がわかれば、恐怖も軽減するのに。

 

 オルステッドが救貧院に迎えに来たとき、私を庇っていたネイサン君はこんな心地だったのだろう。

 今の私はひとりだ。抱きしめて庇ってくれる人はいない。

 救貧院に残してきたイヴやワーシカたちは、元気にやっているだろうか。

 

『たまに探すのを忘れてしまう事もあったがな。アハハ……』

 

 コツコツと靴が階段を叩く跫が近づいてくる。

 私はうるさい心臓の音が外に漏れないように、両手を握りこんだ拳を胸に押しつけた。

 

『アールは腹が減ったら出てきたが、アレクは泣いて怒ったものだ……。

 ……忘れたのはオレが悪かったが、キレるほどではなくないか……?』

 

 それきり、静かになった。

 ときどき風が唸るほかは、何の音もしない。

 

「……?」

 

 諦めて帰ったのだろうか。

 それにしたって、遠ざかる跫が聞こえるはずだ。

 

 月が出たときに、玉座の装飾の隙間から広間を伺った。

 白黒の景色の中に人影はないが、まだ油断はできない。

 トウビョウ様の力を借りて視てみよう。

 

 体の力を抜いて玉座の脚に背中をあずけた。

 月明かりの下で、私の影は奇妙に大きかった。

 

 まるで上に何か重なっているような形だ。

 

「!」

 

 カツ、カツ、と小さく頭上で鳴った。

 爪で鉄を叩いているような音であった。

 

 いやだ。

 見たら、そこにいることを知ってしまう。

 知ったことを知られてしまう。

 

 私の願いに反し、体はかってに動いた。

 早く敵の位置を知り、そして対処しろと本能が言っていた。

 呼吸が浅くなる。目を瞑ってしまいたいのに、それすらできないのだった。

 

 首をそらせ、ゆっくり上を見る。

 赤い眼があった。

 角が突き出た額が見えた。

 白い髪が垂れ下がっていた。

 玉座の背もたれの上から覗いた青色の顔は、こちらを向いていた。

 

 アトーフェラトーフェ。

 私が呪い殺し、その度に蘇った不死の魔王は、にたりと笑った。

 

 

『みィつけた』

 

 

 私は怖くて泣いた。

*1
岡山の「どちらにしようかな」の後半の歌。

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