巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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遅ればせながら報告。
巷で流行りの〇リ神レクイエムトレスで『剣姫転生』のエミリーを描きました。
光栄にもあらすじと番外編にも掲載していただいたので気になる方は剣姫転生まで!

以下、三人称視点では人間語も魔神語もすべて「」表記にします。




四一 荒神様に捧ぐ

 シンシアが世にも恐ろしい不死魔王との隠れんぼに敗北してビビって泣いた夜。

 ネクロス要塞の城下町には、とある剣士が訪れていた。

 五尺はゆうに超える巨剣を軽々と背負った剣士である。

 

 淡く発光する、不可思議な形の巨剣であった。

 通常、剣の刀身には()と呼ばれる溝が彫られている。

 かの剣には、それがない。しかし他の凡百の剣と比べて、見栄えが劣っているという事もない。

 鍔の装飾は、豪華絢爛。柄頭は古代王の王冠のようだ。

 鑑賞目的一辺倒のごてごてした飾り剣かと思いきや、グリップ部はいたってシンプルで、実用目的に造られたことがわかる。

 そして大本命。

 白銀の刀身は、鏡のように周囲の景色を映し取る。

 刃こぼれなく、髪ほどに細い傷の一つもなく、たいそう美しい。

 刀身の中心には、黄金の鱗をもつ革が張られている。

 樋の代わりに、肉厚な巨剣の軽量化に一役買うのが、切先から刃先に入った大胆な切れ込みだ。

 鍔に近い剣元には、菱形の空洞が二つ、縦並びに誂えられている。

 黄金の鱗ばかりか、鍛え上げられた白銀の刃もまた、黄金の生絹のような輝きを放っているのだった。

 

 剣の名は王竜剣カジャクト。

 ひとたび手に取れば、否、視界に入れれば、誰もが魅入られてしまう魔性の剣だ。

 

 さて、剣が一級品であれば、それを背負う者もまた実力者。

 スペルド族のような索敵力もない者が、夜に魔大陸の荒野で一人歩きをするのは、自殺行為である。

 ところが剣士は、月明かりと勘を頼りに、鼻唄混じりに砦に到達してみせた。

 歳の頃は、少年から青年に移行しつつある程か。

 外貌は人族に酷似しているが、その赤い眼を見れば、彼に少なからず人外の血が流れている事がわかるだろう。

 

 魔大陸の砂塵や烈しい太陽光線から身を守るため、ボロボロの布を幾重にも纏い、ローブのようにした格好は、ここらではありふれた旅装だ。

 彼もまた旅慣れているのか、ローブの下から覗くあどけない顔に疲労の色は薄い。

 

 過酷な魔大陸である。

 魔物の強さも、自然の恵みの乏しさも、ここと比べたら、中央大陸はどこであろうと天国だ。

 そんな土地で、たった一人でネクロス要塞に到達している時点で、旅人、あるいは冒険者としての実力は折り紙つきである。

 

 後ろは魔の山、前と左右は城壁に守られたネクロス要塞。

 ごく普通の町に囲まれた中心部に、要である黒い城が存在する。

 門番に怪しい者だと思われないように、城壁の前で、剣士はフードをとった。

 頬にぽつりと落ちるものがあった。

 

「っと、雨か。珍しいな」

 

 何かに()()()()ように砦の上に集まる雨雲に、剣士の心は疼いた。

 僕がきたちょうどその時に、大いなる力によって天候が変化した。

 その偶然に、なにか運命的な導きを感じずにはいられないのである。

 

「頼もう!」

 

 意気揚々と正門を叩いた剣士に、そろそろ門を閉める支度をしていた門番はめんどくさそうな顔をした。

 が、彼の背負う不可思議な剣、そして彼の顔をみて驚愕し、打って変わって低姿勢になって通したのだった。

 

 

 町に入ったはいいが、もう夜も遅い。

 訪ねたい人もすでに就寝しているとみて、剣士は宿を借りて一泊する事にした。

 旅の疲れを癒そうと寝台で伸びをした時、彼の耳は隣室の音を拾った。

 

 隣室の住人がトタトタと部屋を出る音である。

 足音からして、年若い少女だろう。

 

 別におかしいことはない。

 部屋に厠や水甕は備えつけられていないし、厠にでも行ったか、水をもらいに行ったのだろうと思った。

 しかし、しばらくして、妙なことに気がつく。

 厠にしては変だ。水をもらいに行ったにしても変だ。

 

 足音が隣室に戻る。

 部屋の中を神経質に歩き回る音。

 扉の開く音。

 厠とは逆方向の、外へ向かう足音。

 数分後、隣人は部屋に戻り、また出ていく。

 短い周期でそれを繰り返しているのである。

 

(何かトラブルだろうか。)

 

 好奇心が頭をもたげる。

 剣士は目立ちたがり屋である。

 目立ちたがりという事は、承認欲求が強いということ。

 東に魔物が出現すれば倒し、西に喧嘩あれば割入ってどちらもぶちのめし、各地で出会った武芸者には格好よく勝利をキメる。

 

 ようは、認められたい欲求が強いのだ。だから何にでも首をつっこむのである。

 彼は睡りにつくのを急遽中断。

 隣の宿泊客が次に部屋を出るタイミングで、自分も廊下に出てみることにした。

 

「お嬢さん、どちらへ?」

 

 振り返った少女は、案の定不安そうな顔をしている。

 手入れのされた黒髪のロングヘアーに、つぶらな黒い瞳。

 上等な紺色のローブを纏い、ロングブーツは撥水性と疲労軽減機能を兼ね備えた魔道具だ。

 ちょっと裕福な家の子が、冒険者になってやると一念発起して、旅装を整えて一人で飛び出してきたという出で立ちである。

 しかし、そういった事情の少年少女が生き残れるほど、ネクロス要塞までの道のりは甘くない。

 

 それに、黒髪は自分も含め、数えるほどには見てきたが、瞳まで黒いのは珍しい。黄色っぽい肌もだ。

 

「ここらでは、雨季外れの雨は霊媒師(ムグウェツァ)が降らせる、と言いますし、そんな夜にむやみに外に出るのは危な……あれっ?」

 

 冗談ぽく忠言する剣士の話を最後まで聞かず、スタスタと去ってしまう少女。

 剣士は後を追いかけた。

 

「どこへ行くんですか?」

「……」

「この町には何をしに?」

「……」

「待ち合わせですか?」

「……」

「僕もいっしょに待ちますね」

 

 ガン無視されても一切めげず、宿の前に立つ少女に並び立つ剣士。

 しつっこさに耐えかねた少女は彼をきっと睨む。

 少女は剣士にもわからない言葉を口走り――日本語で「もう! ナンパなんか受けてる場合じゃないの!」と悪態をついたのだ――次いで人間語で言った。

 

「付いてくんじゃねえよてめぇこの野郎!」

「あぁ、人間語話者だったんですね。こんな所にいるから、てっきり魔神語もいけるとばかり」

 

 見るからに非力な少女に凄まれたところで、SS級冒険者である剣士の視点では、仔猫が毛を逆立てたも同然だ。

 剣士が流暢な人間語を返すと、え、と少女はふいを突かれた顔をしたのだった。

 

 

「す、すみません……怪しい人かと勘違いしちゃって」

「いえ、魔神語でまくし立てた僕も悪いですから」

 

 少女は、ナナホシ・シズカと名乗った。

 彼女は旅人であった。同行者は、この場にいない二人。

 普段は連れの一人である女の子といっしょに、リーダーである男に守られつつ各地を回っているそうである。

 

 現在、男は町の外。

 女の子はナナホシと同じ宿に泊まっているそうだが、

 

「連れの子供が帰ってこない、と。なるほど、それは心配ですね」

 

 当たり障りのない言葉を返しつつ、剣士は落胆した。

 なんだ、期待はずれだ、と。

 頻繁に外に出ていた理由は、子供が帰ってこないから。

 人に訊ねるにも言葉が通じず、土地勘もなく、ああしてウロウロと宿と外を行き来して待つしかなかったという訳だ。

 子供が一晩居ないだけなら、親しくなった誰かの家に泊めてもらっているのだろうし、そうでなければ十中八九人攫いだ。

 

 剣士が求めているのは、巨悪だ。

 打ち倒せば広く名が知れ渡るような敵だ。

 例えば、人里近くで暴れ回るはぐれ竜。ベガリット大陸のヌシ、ベヒーモス。

 あるいは、悪名高きスペルド族の巣窟を殲滅するとか。

 

 人攫い程度、どこにでもいる。ありふれた悪だ。

 そんなのは町の警吏にでも任せておけばいいのだ。剣士の食指は動かなかった。

 

 しかし、気がかりが一つ。

 

「その子は獣族か人族ですか?」

「人族です」

「年齢は?」

「ええと、まだ、十歳にもならないかと」

「ふむ。ちょうど食べ頃だな……」

「は?」

 

 小児の肉を上とし、婦人の肉これに次ぎ、男子のそれは下等とする。

 略奪魔王と名高いバグラーハグラーが原本を所持する『雞肋編(けいろくへん)』では、

 痩身の老年の人族を、饒把火(松明よりマシ)

 若い女人族のことを、不羊羹(まずいスープ)

 人族の幼体のことを、和骨爛(骨ごとよく煮える)

 と、記し、人肉の総称は〈両脚羊〉とあるという。二本足の羊という意味である。

 また別の隠語では、食って人を想わしめるという意味で人肉を想肉(シアンロー)と表す事もある。

 

 そう、攫われた人族の使い道は、奴隷ばかりではない。

 アトーフェ及び弟のバーディガーディの統治する領地では、味が良くないという理由で人食は一律で禁止されているが、魔大陸全土がそうではないのだ。

 

 剣士に人食の趣味はないが、小児、それも女児とくればそこそこに美味いだろうという事はわかる。

 このネクロス要塞で、或いはこの町を経由して、人食やそれ関連の売買が行われた事を知れば、アトーフェはキレるだろう。

 人道的な視点からではなく、自分の決めた事柄に逆らわれたのを舐められたと捉えてキレるだろう。

 

「どうしよう、誘拐だったら」

 

 頼るあてがなく不安なのか、ナナホシは青ざめている。

 剣士が動くにはスケールが小さなトラブルだが、ナナホシは可愛かった。

 可愛らしい少女であった。

 飛び抜けた美貌はないが、オリエンタルな感じの美少女であった。

 

「わかりました。僕に任せてください」

 

 剣士はにっこり笑い、宿を飛び出したその足で情報収集を開始。

 門番を叩き起して訊ねた結果、今日の午後に町を出た者はなし。

 子供が他の町に連れ去られた線は薄い。

 

 代わりに妙な噂が耳に入った。

 魔王が姫を捕まえたというのである。

 ネクロス要塞周辺には、魔王親衛隊の家族のほかに、鍛治や鎧作り、大工、研師など職人の住まいが城下町をつくっている。その先に枯れ草の栽培にしか見えぬ畑が広がる。

 町の住民の少なくない人数が、魔王――アトーフェが年端のいかない女の子をさらう現場を目撃していた。

 住民をやはり叩き起して仔細を訊ねると、アホ魔王のいつもの瘋癲(フーテン)さ、誰もがつれない反応であった。

 必要以上につれない反応であったのは、夜中に家に突撃されたからかもしれない。

 剣士にそんな事情は関係ない。

 彼は眠たそうな住民から攫われた姫とやらの特徴を聞き出し、持ち帰った情報をナナホシに開示した。

 

 結果、当時の野次馬が答えた特徴は、ナナホシの連れである子供と一致した。

 魔王アトーフェラトーフェは、一般人の女の子を、姫と勘違いして攫ったのだ。

 

「ひ、姫? なんで?」

 

 ナナホシは混乱したが、剣士の平常心は崩れなかった。

 なにせ、この魔王というのが、剣士のよく知る人物だったからである。

 魔王アトーフェラトーフェの知能は低い。

 それでも、魔王とはかくあるべし、という信念を誰よりも強く持って行動しているのは、剣士が幼い頃から知っていた。

 

 本来なら、勇者でも現れない限り、拐かされた女の子は解放されないだろう。

 本来なら、ただの少女であるナナホシに打つ手はない。

 しかし、ナナホシにとって幸運だったのは、剣士と話の通じない魔王が昵懇の間柄であったことだ。

 

「お祖母様も相変わらず元気そうだな」と呟いた剣士は、ナナホシににこやかな顔を向けた。

 

「今夜はもう遅いですし、明日、魔王城を訪ねるついでに僕が魔王様に説明してみます。僕から言えば誤解も解けるでしょう」

「いいんですか?」

「はい。それくらいお易い御用です」

 

 ナナホシの表情に、安堵と、剣士への感謝が浮かぶ。

 次いで、魔王と知己であるかのような口ぶりの彼は、いったい何者だろうかという疑念も。

 剣士はこの瞬間を待っていたのだ。

 いや、そんなに強く望んでいた訳じゃないが。

 来たらいいなー、こう答えられたらかっこいいのになー、という薄ぼんやりとした望みであったが。

 

「あの、あなたのお名前は?」

 

 剣士は満を持して答えた。

 

「カールマン三世……とでも言えばわかりますか?」

「いえ全然……」

 

 三世は期待はずれの返答にずっこけそうになった。

 しかし、僕を知らないだって? なんて無礼な女だ! と、憤るほど血の気は多くないし、実は若くもない。

 目の前の彼女が武芸者ならともかく、荒事とは無縁そうなか弱い少女だ。

 知らないなら仕方ない、と流す分別くらいは持っている。

 

「ごめんなさい。私、常識とか、疎くて。有名な人なんですか?」

 

 何より少女の殊勝な態度が気に入った。

 カールマン三世は、苦笑しながら答えた。

 

「僕はアレクサンダー。どうぞ気軽にアレクと呼んでください」

 

 アレクサンダー・カールマン・ライバック。

 人呼んで、北神カールマン三世。

 七大列強が一柱〈北神〉その人である。

 

 彼が初対面のナナホシを助けた理由は、ナナホシが美少女だったから。

 今回死ぬほどルッキズムに基づいて行動したアレクが、高潔な本物の英雄になる日は、まだ遠い。

 

 

 


 

 

シンシア視点

 

 お兄ちゃん事件です。

 私、もうお家に帰れないかもしれません。

 

 お姫様って、平民の女の子への最大級の褒め言葉だけれど、私ちっとも嬉しくありません。

 姫は姫でも、囚われの姫だからです。

 

 

 何十回に渡る呪殺の末わかったのは、アトーフェ様は殺せない、ということだ。

 正確には、殺せる。でも、不死魔王の名の通り、彼女はすぐに蘇るのだ。

 殺して逃げ出しても、蘇ったアトーフェ様に捕まってしまう。

 

 どうしよう。

 オルステッド……は、助けに来てくれないだろう。

 だって、彼は私がここにいることを知らないのだ。

 昨夜は雨を降らせて、精いっぱい助けを求めてみたけれど、きっと伝わってはいないだろうし。

 オルステッドは私が消えたと思って、ナナホシを連れてこの町を去ってしまうのかもしれない。

 そうなると、自力で脱出するか、一生この城に閉じ込められるかだ。

 

 昨夜はいつの間にか寝ていて、起きると桃色の部屋のベッドの上だった。

 顔を洗い、そーっと廊下の様子を伺ってから逃げ出した私は、さっそく捕まっていた。

 私を捕まえたのはアトーフェ様ではない。

 五頭の大きな犬だ。

 

 長い鼻先に、長い脚。薄い胴体。白と黒と茶色が混ざった毛並み。

 既視感があると思ったら、あれだ。ラノア王国で見たのだ。

 冒険者のルーさんは、迷宮探索や魔物討伐ができない間、狩猟犬を躾ける仕事をして稼いでいた。

 調教師としてけっこう評判が良いらしく、後期になると、貴族の狩猟犬の躾も任されるようになっていた。

 私に群がる犬は、「貴族の狩猟犬だ。珍しいぞ」と、ルーさんに見せてもらったラノアン・ウルフハウンドに似ていた。

 別名ボルゾイである。

 五頭のボルゾイに私は囲まれていた。

 

「ぅぐっ」

「ウォフ、ぐぅるる、オフッ」

 

 鋭利な鼻先が胸や背につきささる。

 前足を肩に乗せて体重をかけられる。ピーピーという鼻の音と、ハフッハフッという吐息が頭上から聞こえる。

 やめてと押しのけようとした手はベロベロ舐められる。ついでに顔も舐められる。

 このままでは全身がビショビショになってしまう。

 

『おっと』

 

 向かいから歩いてきた人が足を止める。

 魔族だろう。全身から白い体毛が生えていた。

 顔にも満遍なく生えているので、顔立ちがわかりにくい。

 

『アルカントスの奴め、また使い魔を出しっぱなし、に……?』

 

 白いモジャモジャ魔族は、不思議そうにしているように見えた。

 

『生き餌……? いや、違うな……』

「な、なんて言ってるかわからないけど、助けてください」

『そんな馬鹿な、アルカントスの使い魔は弱者とみれば襲いかかり、四肢を食いちぎるはず。こんな子供になぜ懐いているのだ』

「あわわ」

『そうか……弱く見えるのは相手の油断を誘うため……! ククク、危うく騙されるところだったぞ』

 

 わやくちゃに犬に絡まれながら助けを求めるが、全然聞いていないようだ。

 そもそも、人間語だから、通じていないのかも。

 

『我が名はベネベネ。北神流聖級剣士にしてアトーフェ四天王が一人! 〈水のベネベネ〉!

 ククク……名のある小人族の戦士とお見受けする。いざ決闘を、と洒落込みたいところだが、あいにくと私は鎧の準備がない。

 すぐに取りに戻るゆえ、しばし待たれよ』

 

「ああぁ」

 

 モジャモジャ魔族は行ってしまった。

 他の人には私が犬と遊んでいるように見えるのだろうか。

 内情は、遊んでるんじゃなくて、犬に遊ばれているだけだ。

 悪意を持って噛みついてはこないから、トウビョウ様で怖がらせて追っ払うのも悪い。

 ふらつき、尻もちをついた私の上に一匹がのしかかる。

 

「あ、この子かな」

 

 私はスポッと犬団子の中から引き抜かれた。

 

『お座り』

 

 魔神語が聞こえるやいなや、犬たちはお座りの姿勢になった。

 さっきまでの落ち着きのなさが嘘のようだ。

 

「こんにちは」

「……こんにちは……」

 

 助けてくれたのは、知らない人。

 大剣を背負った黒髪の少年であった。

 赤い大きな目がくっきりとしていて、活力にあふれた印象を受ける。

 

「きみがシンシアちゃん?」

「うん……」

 

 彼は私が服についた犬の毛を叩き落とすのを待ち、話しかけてきた。

 人間語だ。しかも私の名前を知っている。

 

 きょとんとする私に、彼は言った。

 

「僕はアレクサンダー。アレクと呼んでくれ」

「アレクさん」

 

 いや、この人、前に視た事がある。

 オルステッドからの依頼で現在地を調べた人物の一人だ。

 かつて見たときは、ガスロー地方にはいなかったのに。何故ここにいるのだろう。

 オルステッドの知り合いだろうか。

 

「ナナホシさんが君のことを探していたよ。やっぱりここに居たんだね」

 

 ナナホシだった。どういう繋がりだろう。

 

 アレクサンダーさん、もとい、アレクさんは、私を外に連れ出した。

 外とはいっても、城の敷地内から出してもらったわけじゃない。アトーフェ様の許可なく逃がしてはやれないそうだ。

 大地が均され、広々とした中に巻藁だの障害物だのが点在するそこは、練兵場であるとの事だった。

 

 昨夜の驟雨は通り過ぎ、晴れ渡っていた。

 強い陽がカッと照りつけ、地熱がたちこめて、空気はゆらめいていた。

 息苦しいほどの快晴だ。

 

 練兵場のあちこちでは、黒鎧たちが技の研鑽をしていた。

 

 

「よいしょっと」

 

 アレクさんは私を肩の上に座らせた。

 そうして、要塞の後ろに連なる岩山を指し、「海みたいだね」と言った。

 

「海を見たことがあるの?」

「たくさん見たさ」

「山が、どうして海なの?」

「あの険しい山並みは、嵐にうねり猛った海が、そのまま凝固したみたいに見えるだろう」

 

 私はちょっとおもしろくなり、アレクさんに訊ねた。

 

「じゃあ、山が海なら、ここはなに?」

「ネクロス要塞は、孤島。海に浮かぶ孤島だ」

 

 大人も空想をするのだ。

 私はアレクさんのことを好きになった。

 

「よし、お兄さんが遊んであげよう」

 

 両手をつかまれ、ふりまわされる。

 体が宙に浮いてぐるぐるまわる。

 

「きゃーっ、うふ、ふふっ」

 

 私は、自分が囚われたことを一時忘れた。そうして腹の底から楽しくなって笑い声をあげたのだった。

 

 

「王竜王国では、子供をどうやって兵士にするか、知っているかい?」

「しらない」

 

 訓練場の隅。

 体を使って遊んでもらった後、私はあぐらをかいたアレクさんの正面に座って話を聞いていた。

 体を動かしてすっきりしたからだろう。私は妙案を思いついた。

 アレクさんはナナホシの知り合いだから、アレクさんを経由して、ナナホシに連絡してもらえばいいのだ。

 そうすれば、オルステッドに助けを求めることもできる。

 

 アレクさんにナナホシへの伝言を頼みたかったけれど、今は彼が喋る番である。

 

「弓術を習ったことはあるかな?」

「村の狩人さんが使ってるのは、見たことあるの。私はやったことないよ」

「そうか。じゃ、これの使い方くらいは知ってるか」

 

 アレクさんは黒鎧さんに持ってこさせた弓矢を私に見せた。

 それから、短弓を引き絞り、遠い的に()てた。

 

「わぁ!」

 

 刺さったのは中心。ちょうどど真ん中だ。

 ぱちぱちと拍手をする。

 

「はい。やってみるかい?」

「触っていいの?」

「いいよ」

 

 アレクさんは短弓を私に持たせた。

 えっと、えっと。

 

 たしか、弓はこうやって持って。

 グラグラ揺れて定まらない矢を弦にかけて。

 

「あら……?」

 

 私の力では、撓むどころか、弦もまったく動かなかった。

 おかしいな。アレクさんは、もっと軽々とやってのけたのに。

 

「動かせないだろう」

「うん」

「ネクロス要塞で用いる短弓は、魔物の骨と木を組み合わせたもので、恐ろしく硬い。王竜王国だと、魔物の骨の代わりに動物の骨を使うが、強度は同じくらいだ。

 素人ではまったく動かない弓を、長年鍛錬を経た者は、軽々と引き絞り、的に中てることができる。まぁ、僕は剣士だから、弓はたしなむ程度にしか扱えないけどね」

 

 たしなむ程度で、あんなに熟練しているものだろうか。

 

「この僕であっても、幼い頃は硬い弓を引くことはできなかった。僕がそうだったんだから、その辺の雑魚が習得するのはもっと大変だ」

「ざこ……」

 

 穏やかな語り口で急に悪口が飛び出してきたので、ちょっとめんくらう。

 

「でも、幸いに王竜王国にはカリキュラムがある。それに従って育成された中央大陸南東諸国の兵士は、どんなに才能がなくても、あれくらいはできるようになるのさ」

 

「まず、石を入れた袋を、滑車の力を借りながら片手で引き上げることから始める」と、アレクさんは片手で紐を引くような仕草をした。

 大袈裟ともいえる身振りはひょうきんで、うふふと小さく笑ってしまう。

 

「石は日毎に少しずつ増やして鍛えるんだ。それから、右手の上に重い鉄の塊を載せる。これも徐々に重量を増やす」

 

 忍者の修行みたい。

 麻の苗木を毎日飛び越えると、麻の成長とともに跳躍力が増すという俗信だ。

 忍者修行の効果の程はわからないが、重いものを日毎持ち上げるのは効果的な修行であるらしい。

 継続は力なり。

 

「そうやって鍛えたら、私も弓を使えるようになる?」

「なるだろうね。今からやるかい?」

「やんない」

 

 冗談とは思えない調子だったので、私は即座にことわった。

 ここで曖昧な態度をとったら、半ば無理にでもやらされる事になる。そんな予感があった。

 

「アレクさんも、その修行、やったの?」

「もちろん。幼い頃から修行の日々だったよ。体を鍛え、剣を振るのは、僕にとって呼吸と同じくらい当たり前のことだった。

 そんな中でも、忘れられない思い出はある。産まれてほどない仔牛を肩に担ぐ修行だ」

「仔牛を?」

 

 仔牛を担ぐのも、子供の身には十分大儀だろう。

 でも、石を詰めた袋だの鉄の塊だのと比べると、ちょっと弱い気がする。

 

「仔牛は日々成長し重くなるだろう。人の成長のほうが追いつかないんだ」

 

 なるほど。

 仔牛はやがて大人の牛になる。

 仔牛を持ち上げられても、大きく育った牛を担げる人は、そうそういない。

 それを持てるようになったら、村でも評判の怪力間違いなしだ。

 

「僕の子供の頃はね、子分はたくさんいたけど、友達と呼べる人がいなかった。甥のランドルフは僕と同じくらい強くて、歳も近かったけれど、彼はなんだか変な子だったからね。

 ファラリスは優しい子だったよ。大きくなっても、僕の手ずからご飯を食べてくれた。悪戯をして母さんに叱られそうなときは、大きな腹の下に僕を隠してくれた。僕はひとりっ子だったから、本当の弟みたいに思っていた」

 

 アレクさんは訓練のために与えられた仔牛にファラリスと名づけ、たいそう可愛がったらしい。

 

「ところが」と、アレクさんの顔に暗い影が落ちた。

 

「ある日帰ると、牛舎のどこにも、ファラリスの姿はなかった。

 代わりに、家から漂ってくるのは、肉の焼ける匂い」

 

 迫真の語り口に呑まれ、ごくりと唾を飲み込む。

 お腹が減ったわけではない。

 

「震える足で玄関を通ると、家には、父さんがいた。ある巨大迷宮の守護者を倒して、帰ってきたんだ。

 いつもなら、土産話をせがむところだ。けど、その時はそんな事に拘らってはいられなかった。

 なぜなら、父さんが大きな討伐を終えて帰還すると、母さんは腕によりをかけてご馳走を作るんだ。

 嫌な予感は、もはや確信に変わっていた。

 僕はまっすぐ台所に向かった」

 

「ああ!」アレクさんは険しい顔して、拳を宙に叩きつけた。

 私の肩がビクッと跳ねる。

 

「ああ! 優しい僕の友達! 彼は変わり果てた姿だった!

 変わり果てた姿で食卓に並んでいた!

 どうしてこんなことを!

 僕は母さんに襲いかかった!」

「がんばれ、アレクさん!」

「しかし……母さんは元暗殺者。

 幼い僕が勝てる相手ではなかった。

 母さんは僕の渾身の一撃を、振り向きざまに包丁で受けた。

 エプロンに仕込まれたナイフを投げる!

 ザクザクッ! 飛来したナイフが体スレスレに壁に突き刺さる! 助かった! そう思ったのは間違いだった。ナイフは服を貫き、僕の体を壁に縫いとめていた!

 身動きはとれない。

 カラン……! 迫る死の気配に恐れをなした僕の手から、剣が落ちる。

 母さんの、勝利だった」

「そんな……」

 

 きゅっと切ない気持ちになる。

 可愛がっていた牛が前触れなく屠殺されるなんて、悲しい。せめて食用の牛なのだと与えた時に教えるべきだ。

 そもそも、牛は農耕を手伝う家畜である。食べ物じゃない。*1

 こっちでは平気で食べられる家畜なのだろうか。

 

「あの時、僕は学んだのさ。この世は弱肉強食。弱きものの命は強者に消費されるためにあるんだ、とね。強さの伴わない優しさなんてカスだ」

「うん……うん?」

 

 そういう話だったかしら。

 悲しいすれ違いはあったけれど、発端は、主人の帰還を祝う嫁心、そして我が子に腹いっぱい食わせたい親心ではなかろうか。

 そんな世知辛い認識をさせるためにやったとは思えない。

 

 それから、アレクさんは自分のことを色々と話してくれた。

 北神流を教え広めるため、各国を遍歴しているアレクさん。

 彼がネクロス要塞に来たのは、ベガリット大陸のヌシと呼ばれるベヒーモスに挑むためだそうだ。

 

「もしかしたら、敗れて死ぬかもしれないからね。

 そうなっても悔いがないように、最期に各地の知人や身内の顔を見て回っているんだよ。

 ここに来たのは、アトーフェ様に、つまり、僕のお祖母様に挨拶をするついでに、手合わせを頼んで鍛え直すためさ」

「……おばあさま?」

「ああ。僕は北神三世……とは言っても、小さな女の子に武芸のことはわからないか。

 僕は前代の北神の息子で、アトーフェラトーフェの孫なんだ」

「アトーフェ様、おばあちゃんだったの!?」

 

 びっくり。

 禍々しい雰囲気ながらも若々しい外貌からは、とても想像できない。

 ……アレクさんのおばあちゃんを、何度も呪殺したことは、言わないでおこう。

 生き返るとはいえ、聞いて良い気はしないだろう。

 

 

 昼食は、アレクさんや他の黒鎧さんたちといっしょに食べた。

 アトーフェ様の親衛隊のほかに、城の掃除や兵士の食事作りを担う魔族のメイドさんたちもいるのだ。

 好きな場所で食べていいそうだけれど、だいたいが練兵場で地べたに座って済ませる。快適な日陰は奪い合いらしい。

 アレクさんといっしょにいたから、労せずいい場所に座れた。

 

『や、若様。女連れとは、羨ましいですな』

『はは、素直ないい子です。それにしても、ここは、顔ぶれが少し変わりましたね。僕なんか顔も忘れられたかな』

『まさか。私がご相伴しましょう。新入りも紹介させていただきたい』

 

 アレクさんは黒鎧さんの何人かと顔見知りなようだ。

 車座に集まってきた人の中には、オットーさんとジルドさんもいた。昨日はアトーフェ様に体がふっ飛ぶほど殴られていたのに、二人ともピンピンしていた。

 アトーフェ様の兵士の多くの母国語は魔神語だ。

 人間語まで話せる人は少ない。

 

「とうもころし?」

「トウモロコシな」

 

 魔大陸の人たちが普段は何を食べているのか訊ねると、人語話者たちは詳しく教えてくれた。

 肥沃とは言い難い大地だが、そんなでも育つ作物はあるそうだ。

 主作物はトウモロコシ。初めて聞く穀物だ。

 今の時期だと、カボチャや、ササゲ豆なんかも収穫できる。

 

 家畜は、山羊や豚や鶏。それから、大きな蜥蜴や蛇。虫も食べる。

 小鳥や野ねずみを捕らえるのは、もっぱら子供の仕事らしい。

 

「鼠も食べるの?」

「ああ、こうやって、丸焼きにして、ガブッ!」

「やん!」

 

 頭から齧る素振りをされ、からだをよじって逃げ出すと、笑い声が起こる。

 虫は生前も食べていたから良しとして、鼠食の習慣まであるとは。異国の文化は奥が深い。

 ブエナ村で初めて羊を見て、しかもその肉を食べるのだと知った時も衝撃だったものだ。

 仔羊のかわいさと肉の美味しさを知って、すぐに慣れたけれど。

 

 誰かが口笛を吹いて、ここではよく知られた歌の節であったのか、他の者が歌いはじめた。

 妙な形の太鼓だの弦楽器だの、初めて見るような楽器を持ち寄った者が奏でて加わった。

 

 私は練兵場を見回す。

 昼時だからか、訓練中の殺伐とした空気は消え、穏やかな雰囲気だ。

 人も少し減った。アトーフェ様は近くにいない。

 厠に行くふりをして、ここから逃げ出せそうだ。

 私はそっと腰を浮かせ、

 

「あっ」

 

 アレクさんが私を抱え、膝にのせた。

 

「今逃げるのは賢くないな」

 

 逃亡しようとした事を見透かされた。

 語りかけてくる声は穏やかなのに、私の体はぎくっと緊張した。

 

「君が大人しいうちは、皆きみに優しくできる。でも、一度逃亡の意志を見せたら、監禁は厳重にせざるを得ない。お祖母様の命令だからね。シンシアちゃんも、怖い目には遭いたくないだろう」

 

 冷や汗をかく。

 喩えるなら、くつろいでいる熊の傍にいるような心地であった。

 熊に人を襲うつもりはなくても、その気になれば大怪我を負いかねない事を、人は知っている。

 そんな感じだ。

 アレクさんは、きちんとアトーフェ様の孫なのだ。

 

「でも、帰りたいの」

「お祖母様には僕から頼んでみるよ。それまでいい子にできるね?」

 

 振り返り、勇気を出して言うと、アレクさんはそう提案した。

 願ったり叶ったりの申し出であるはずなのに、あまり安心できなかった。

 アレクさんは穏やかだけれど、完全な私の味方ではないからだろうか。

 大人しく脚の上に座り直すと、彼は私の手をもてあそんだ。

 

「手が冷たいや。小さくて、フニフニで、鼠の腹みたい。可愛いな」

「お膝いやぁ……」

「えっ? なんで?」

 

 喰われそうだからだ。

 震えながらあぐらの上から退くと、アレクさんは心底不思議そうにした。

 

 曲が変わり、何人かが太い声で歌いあげた。今度はアレクさんも加わった。

 

 

  魂こめし業物(わざもの)担い

  幾年(いくとせ)ここに鍛えたる

  腕の力競いてみん

  いざや友よ、連れ立ちて

 

 

 練兵場の片隅に響く人間語の歌に、緊張がちょっとだけ安らぐ。

 鼻歌であわせると、アレクさんが「それでいい」と言わんばかりに私の頭をワシワシ撫でた。

 

 私は鼻歌をやめた。アトーフェ様が来たからだ。

 何度呪殺しても追いかけてきた昨夜の悪夢がよみがえる。

 

 彼女は黒鎧さんが急いで用意した敷物の上にどかっと座った。

 私の真横である。

 ひぃ。

 

「歌に」とアレクさんは小声で囁いた。「つられていらっしゃったのさ。魔王はみんな楽しい事が好きだからね」

 

 じゃあ、私が楽しくなさそうにしたら、アトーフェ様は去ってしまうのか。それは困る。

 シンシアを帰してください、って、アレクさんにお願いしてもらわなければいけないのだ。

 

 ラ、ラーララ、ラーララ、と弾む歌声を、私はむりにまねた。

 ちらりとアトーフェ様をうかがう。

 彼女は頬杖をつき、目を瞑って歌を聞いているようだった。

 翼は畳まれ、口元は穏やかに微笑んでいるように見える。

 そうしていると、彼女は異形だけど、きれいである。

 

「シンシアちゃんも歌って。踊るのでもいいよ」

「知ってる歌しか歌えないけど、いい?」

「何でもいいんだよ。さあ」

 

 トンと背を押され、車座の中心に躍り出る。

 カチカチに緊張していると、黒鎧さんたちが、口笛や声を飛ばして囃し立ててくれた。

 アトーフェ様は怖いけれど、その配下の彼らは陽気だ。

 配下が暗い顔をしていないなら、彼女も実は極悪非道な魔王ではない……のかもしれない。

 

 私はぴょこんとお辞儀をして、必要な物がない事を思い出した。

 近くの黒鎧さんの所に寄って、食べ終わった後の焼き串を一本拝借する。

 榊の代わりだ。

 車座の、いちばんよく見られる位置に戻り、神妙にその場に正座する。

 

 

 (あけ)の雲わけうらうらと、とお腹から声を出して、私は歌った。

 持った串は青々と葉をつけた榊枝、私は健常だった頃のチサである。

 そう思い込むことにして、静々と巫舞(かんなぎまい)を舞う。

 

 

  豊栄(とよさか)昇る朝日子を

  神の御光(みかげ)と拝めば

  その日その日の尊しや

 

 

 福力荒神の大祭は何百年も前から連綿と続いてきたお祭りだけれど、この歌が歌われるようになったのは、チサの死後より何十年も後であった。

 知っているのは、トウビョウ様が視せたからだ。

 振り付けだけは、正確なのを憶えていないから、歌は福力荒神大祭、舞は民間の巫女舞だ。

 明治初めの巫女禁断令によって民間の舞や神憑りは禁止されたが、禁断令の後に生まれたチサがトウビョウ様の使いとして託宣もやっていたように、禁止されたからといって、できる人が急に居なくなるわけじゃない。

 

 アトーフェ様はこちらを見ていた。

 やめさせられないという事は、それなりに関心を買えているのだろう。

 荒神様を呼んでもてなしているような気分である。

 

 

 そんなに長い歌ではないが、無事に終いまで歌いきった。

 

「終わりです。お粗末さまでした」

 

 お辞儀をして、その場に立ち続けるのも恥ずかしく、早足でアレクさんの所に行って座る。

 

「ふぅ」

『とろくさい妙な芸だが、なかなか良い。オレは気に入ったぞ』

「ッ!?」

 

 しまった!

 ついアトーフェ様とアレクさんの真ん中に戻ってきちゃった!

 しかしアトーフェ様は昨夜と異なり、邪気はなくにこやかだ。

 夜のおどろおどろしい城の中じゃなくて、昼間に外で見たからだろうか。

 昨日ほど怖くは見えなかった。

 

 ポンと頭に手を置かれ振り向くと、アレクさんが「任せろ」という感じで小さく頷いてくれた。

 

『ふふん、オレはこう見えて寛大だからな。お前がペルギウスの娘だろうと何だろうと、良い物は良いと認めてや――』

『お祖母様!』

 

 話の腰を折ったのであろうアレクさんは、ちょっと鼻白んだ魔王の視線にもまったく怯まず、何やら告げた。

 

『実は、この子は、姫ではありません! ペルギウスの娘でもありません!』

『何ィ!? どういうことだ!?』

 

『思慮深いお祖母様ならばわかるはずです』と、アレクさんは言い、私の頬をむにっと摘んだ。

 私の頬をつまむ必要がある話の流れだったのだろうか。

 

『いつだって、新たな歌や踊りを広めるのは旅芸人でしょう?』

『ああ、そうだったな』

『姫ともあろう者が、お祖母様が脅す間でもなく、自ら旅芸人の真似事をすると思いますか?』

『……』

 

 それから、アレクさんは話した。

 アトーフェ様に対して、懇々とおそらく説明していた。

 恐ろしい魔王様であろうと、孫の言うことなら耳を傾けるみたいだ。

 アトーフェ様は、徐々に思案げな顔つきになり、しまいには俯いた。

 

『シンシアちゃんを逃がしてやってくださいますか?』

 

 俯く彼女の口元に含み笑いが浮かんでいるのに、アレクさんは気がついていない様子である。

 

『ククク……そうか、わかったぞ。思えばこいつを捕まえた時から、妙な事ばかり起こったのは、そういう訳だったのか』

『え?』

『おい、名前はなんだ?』

 

 アトーフェ様は顔をこちらに向けた。

 困っていると、「自分の名前を答えて」とアレクさんが助け舟を出してくれた。

 

「シンシア・グレイラットです」

『ククク、そうか、シンシアか。確かに貴様は姫ではなかった。オレとムーアを呪った霊媒師(ムグウェツァ)だ』

「?」

『決めた。こいつは我が親衛隊として飼い慣らす』

「??」

 

 ザワッと周囲にどよめきが走った。

 逃がしてやろうと言われたにしては、周りの反応が変だ。

 

『まだちっこいが、なぁに、アールだってすぐに大きくなった。お前もじきに一端のレベルになろう。50年あればアレクくらいの大きさにはなるか?』

『アトーフェ様、彼女は人族の子供ですから、10年も経てば体は一人前になります』

『そうか、早いな。人族の変化は実に早い。すぐに鍛えてやらなければ』

「ひっ」

 

 ガシッと腕をつかまれた。

 

『立て! 契約の儀を行う!』

 

 アトーフェ様の目は爛々としている。

 なにがなんだかよくわからないが、これに従ったら、事態がややこしくなりそうだ。

 戸惑っていると、アレクさんが口を挟んだ。

 

『いや……待ってください、お祖母様! どうして彼女が霊媒師なんですか!?』

『昨夜は雨が降った! こいつに(ンサト)の霊がついているからだ!』

 

 腕をつかむ力が緩んだ隙に、私はオットーさんの後ろに逃げかくれた。

 魔神語はわからなくても、アトーフェ様とアレクさんの台詞に共通する単語は聞き取れた。

 

「むぐうぇ……つあ? って……?」

 

「魔大陸の古い言葉だ」と、オットーさんはアトーフェ様たちの様子をうかがいながら答えた。

 

「動物霊を憑依させ、地面に「倒れ込み(ウ・グウェツァ)」、起き上がるなり、人が変わったように喋り、歌い、叫ぶ者のこと……と、前に聞いた憶えがある」

 

「気狂いと違うのか」と訊いたジルドさんには、『気狂いだ』と別の人が答えた。

 そばに大きな犬を引き連れた、ええと、たしか、『火のアルカントス様』だ。そう呼べと言われた。

 

『憑霊による発作(ウブウェブウェタ)は、供物を捧げる事でしか癒せん。ま、それも一時しのぎで、憑霊はムグウェツァが死ぬまで取り去ることができない、と俺の故郷では言われているがな』

 

 犬に頬をベロベロ舐められながらオットーさんを見上げると、彼はちょっと笑い、私に言った。

 

「嬢ちゃん、昨日はさんざん癇癪を起こしたんだろう。だから気狂い(ムグウェツァ)なんて呼ばれたんだ」

「いや、その程度で、アトーフェ様が親衛隊に入れるだなんて言い出すか?」

「それは確かに……そうだな」

 

 オットーさんが火のアルカントス様の話も含めて、内容を要約してくれた。

 ムグウェツァは、動物霊に取り憑かれて発狂した者。

 しかし、中には憑霊を制御できるようになる者もいて、彼らは霊の力を借りて託宣や予言を行うという。

 だから動物霊に取り憑かれた者を霊媒師と呼ぶのだ。

 

「蛇の霊に憑依されるのは、バビノス地方の女に限られる。

 蛇の霊媒師(ムグウェツァ)は、もっとも強い呪いの力を持ち、子供を産む能力を失うが、雨乞いができるようになる」

 

 トウビョウ使いみたいな話だ。

 巫女だの祈祷師だのは、どこの村や集落にもいるものである。

 国どころか、世界が違っても、人がいて生活しているなら、似た話はあるのだろう。

 

『俺は邪術師(ンフィティ)だ。薬と呪文で使い魔を作る。霊媒師と同じく、忌まれる存在だ。アトーフェ様は不吉な物や存在を好まれる故、ここはたいそう居心地が良い……』

 

 火のアルカントス様がポツポツと呟いた。

 

『俺の作った使い魔は、嗅覚で強者と弱者を見分け、強者には懐き、弱者は八つ裂きにするはずなのだ』

 

『おかしい』

 

『俺は、使い魔に、「子供を襲うな」などという命令は出していない』

 

『こいつは本物の――』

 

 

『全員、その霊媒師から離れよ!』

 

 アトーフェ様のそばに控えていたムーアさんが、皆に聞こえるように声を張り上げた。

 五頭の犬のほかは、みんな私から距離をとってきた。

 オットーさんもジルドさんも、互いに顔を見合せつつ、とりあえずという感じで微妙に離れてしまった。

 変わらない態度で傍にいてくれるのは犬だけだ。

 

「……?」

 

 地面にぺたんと座っていた私は、ちょっと腰を浮かせて、横にいた犬の太い首を抱きしめた。

 フワフワの胸毛に頬を埋めて、不安になって周囲を見回す。

 

 アレクさんは、いつのまにかアトーフェ様との口論をやめていた。

 

「あの……」

「力は尽くしてみたけど、ダメだった。こうなったお祖母様は止まらないよ」

 

 アレクさんはやれやれと肩を竦めた。

 

「シンシアちゃん、これも運命だと思って、諦めておくれ」

 

 諦めるというのはつまり。

 ネクロス砦から脱出するのを諦める、という意味である。

 姫様じゃない私に、勇者なんていっこないから、私は一生ここから出られないわけで……。

 

「ここでの暮らしも楽しいよ?」

「帰りたいの」

 

 私はここから出て、オルステッドとナナホシの所に行って、いつかオルステッドに父様と妹たちのところに帰してもらうのだ。

 遊里に売られたのでもあるまいし、帰りたいという望みは、わがままなんかじゃない。

 そのはずだ。

 

「まったく」

 

 それなのに、アレクさんは駄々っ子を見る目で、仕方なさそうにこちらに歩み寄ってきた。

 尻尾を振ってアレクさんに群がろうとする犬たちを退けつつ、まっすぐに。

 

「王竜王国では、青い目は邪視(イヴィル・アイ)だなんて嫌われていたけど、ミリスに行ってみれば、青い目は美人の条件に過ぎなかった。迷信に意味なんてないんだ。信じるだけ馬鹿らしい。

 霊媒師の呪いだって、ただの迷信、子供に聞かせるような作り話じゃないか。それなのに、みんなこんな女の子を怖がって……」

「帰るの」

「魔神語がわからないと不安だろう。僕がついていてあげるから、さっさと契約を結んでしまおう」

「結ばない」

「大丈夫、ちょっと光るだけさ。痛くも怖くもない」

「いや」

 

 言葉が通じるのに、話が噛み合わない。

 この人も、怖い人だ。優しい顔と声をしているけれど。

 

 手が伸びてきたので、眼に力を込める。

 小さな蛇がアレクさんの影に溶け消えた。

 

「ワガママを言わな――んっ、んん゛っ」

 

 アレクさんは、喉が詰まったような咳払いをした。

 顔をしかめ、「失礼」と口元をおおって顔をそむけようとして、

 

「げぶっ!」

 

 押さえた指の隙間から、赤黒い血が溢れた。

 血は襟と胸元を汚して、下から彼を見上げていた私の髪や額にも、ボタボタとかかった。

 

『お前らは下がっていろ。アレクもだ』

 

 アトーフェ様だけが、余裕綽々という顔で、何か言っていた。

 

「うぐぁっ」

 

 次の瞬間、アトーフェ様は間近にいて、私の首根っこをむんずと掴んでいた。

 足が地面から浮く。襟が喉にくいこむ。

 私は襟と喉のあいだに指を差し込み、かろうじて息を吸った。

 

『こんなに強力な霊媒師は、人魔大戦の時以来だ! いまにオレに逆らえないようにして、我が傀儡にしてやろう!』

 

 アトーフェ様は獰猛に笑い、私の首根っこをつかんだ腕を高く上げた。

 視線が同じ高さになる。

 

「あう゛っ、ぇ」

 

 宙ぶらりんになった私は、かすむ視野でアトーフェ様を捉えた。

 殺す。殺さないと、私が死ぬ。

 したい事も、しなければならない事も、私にはまだある。

 

『何度でも殺すがいい! オレは何度でも復活し、必ずやお前を手に入れるがな!』

 

 殺す範囲なんてどうでもいい。

 町の人が全員死に絶えてもいい。

 穢れて呪われた地になってもいい。

 二度と蘇らないくらい、強く、広く、呪う。

 使える中でもっとも強い、首に二色の輪がある蛇を出す。

 

 私は、震える左手を、目の前の女に伸べた。

 

 

『アトーフェ様! 敵襲です! カリーナとペリドットがやられました!』

『勇者か!? すぐにアルカントスとベネベネも向かわせろ!』

『いえ! 勇者じゃありません! あんなにおぞましい――』

 

 グルンと視界が変わり、背中をぬくいものに打ちつけた。

 私のからだはあお向けで犬の背に脱力して乗っていた。投げられて、たまたま下にいた犬の上に着地したのだ。

 

「いたい……」

 

 まだ視野に黒いモヤがかかっている。

 昼下がりなのに、夜みたいだ。頭がくらくらする。

 ぎゅっと眼を瞑り、また開くと、ちゃんと空は青色に戻っていた。

 

「けほっ……ありがとね」

 

 背中から滑り降りて、受け止めてくれた犬の首を撫でる。

 鼻面に頬擦りをしてやると、耳がゆっくりと持ち上がってかわいい。

 

 眼を瞑っていたのは、ほんの数秒である。

 しかし、喋りながら走ってきたはずの黒鎧さんは、地にうつ伏せに倒れていた。

 鎧は割れ、背から血を流している。

 

 その背を踏みつけるのは、狐面の男。

 白い詰襟に、白い靴。金髪。

 一ヶ月も前に、ゾルダートさんに似てない? って、ナナホシに言って、まったく共感されなかったのだっけ。

 そんなペルギウス様の使い魔は、短剣の血振りをして、言った。

 

「光輝のアルマンフィ、参上」

 

 次に現れたのは、二人の人物。

 顔だちは似ていないものの、特徴はおなじだ。

 きれいな銀髪に、金色の目。顔には龍の鱗がある。

 上背がうんとあって、私の身長が、彼らの腹の高さだ。

 

「お前もよく顔を出したものだな、因縁の相手の陣地だろう」

「ハッ! どうせ貴様一人では事が運ばぬだろうから、我が来てやったのだ。

 それに……いっときでも可愛がった子犬が無粋な魔王に囚われたとなれば、我とて苛立たしくもなる。貸しはなしだ」

 

 オルステッドとペルギウス。

 彼らは、悠々と現れた。殺気立つアトーフェ様や、黒鎧さんたちをものともせず、堂々としていた。

 まるで、いつ襲いかかられても問題ない、どうとでもなるというふうに。

 

「俺と彼女の事情だの関係だのは、貴様の頭では理解できんだろう。だから、シンシアが姫で、俺が勇者だ。それでいい。……気は乗らんが」

 

 それから、オルステッドは一歩前に出て、声を張った。

 吠えるような大声であった。

 

『我が名はオルステッド! 今代の龍神だ! 不死魔王アトーフェラトーフェに一騎打ちの決闘を申し込む! 俺が勝てば姫を解放せよ!』

『受けてたぁぁぁつ! 負ければ貴様も親衛隊入りだ!』

『いいだろう!』

 

 緊迫した雰囲気だ。

 見ているだけで、肌がビリビリとしてくる。

 

 オルステッドとペルギウス様の後ろ。

 ひょこっと出てきたナナホシが、私を見つけ、ぐっと胸の近くで拳をつくり、親指をたてた。

 さむずあっぷ、という、かつて兄が教えてくれた仕草だ。

 前向きな気持ちの時にやる仕草である。

 

 きっと、もう大丈夫よ、と伝えてくれているのだろう。

 私は安心して、にへへと笑い返した。

 

「呪わなくてよかったぁ……」

 

 さっきは切羽詰まっていて、まともに考えられなかったけれど。

 あのままアトーフェ様を呪い殺していたら、余波で大勢を巻き込んでいた。

 オルステッドには効かないし、同種族のペルギウス様にも効きが悪いと思うから、彼らは大丈夫だろう。

 ナナホシは……。

 

 自分の仕出かそうとした事の重大さを理解して、サーッと頭から指先まで冷たくなるが、でも、そうはならなかった。

 安心した私の体から、ふっと力が抜けたのだった。

*1
1872年に明治天皇が牛肉を食べたのを皮切りに牛鍋ブームが到来したが、田舎での忌避感はまだ強かった。





霊媒師や邪術師の記述はチェワ社会の風俗を参考にしています。
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