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@vg6_8
※オリ主のイラストはハーメルンのみ載せる予定です。
※今後もAIを使ったイラストは必ず一言添えます。
虚空に、鞠が舞った。
高く飛んだ鞠は、天空の太陽をめざす。
太陽と鞠は、一つに合した。
いずれ成熟するシンシアは、初夏の
幼童の記憶は、まったくあてにならない。歳月によって歪められた偽の記憶である。
空を翔ぶのは、鞠ではなかった。
人の、首である。胴体から別れた女の首である。
魔王アトーフェラトーフェの首である。口を固く食いしばり、表情は憤怒にみちてちる。
まだ死んでいない。彼女は、この程度では死なぬのだ。
視野一面、乾いた地は陥没していた。
クレーターから這い出たオルステッドは、脇にペルギウスを抱えていた。
一陣の風が吹き、土埃と火の粉が散る。
不死魔族は登ってくることができない。
片膝をついたサファイア・ブルーの躰が、地に
アレクが伸ばした腕は、落ちた王竜剣に届く前に、がくんと硬直した。
クレーターの底で、魔力さえ枯渇し、封印の魔法陣にがんじがらめの屈辱。
歴史上、何度も衝突した不死魔族と龍族。
今代の闘いもまた、龍族の勝利に終わった。
二つの種族が雌雄を決するまでに、激しい戦闘があったはずだ。
しかし、シンシアがこれからの生涯で、くっきり思い描くのは、太陽に重なる一顆の鞠だけなのだった。
冒頭に至る経緯を解説しよう。
時は当日の朝までさかのぼり、さて、オルステッドである。
彼はナナホシとシンシアを迎えに来て、事の顛末を知った。
そして正直、見捨てようかな、と真剣に考えた。
ガルデニアでちゃっかりバーバ・ヤーガの所にいた事といい、なぜ数日も大人しく留守番をしていられないのだ、と思っていた。
オルステッドはまだ知らない。
普通は、よそ者とひと目でわかる小さな子供が一人でいたら、注目を集めることを。
シンシアには、知らない人についていってはいけない、という意識が薄いことも。
なにせ前世も今世も小さな村社会育ち。
いわゆる「知らない人」が滅多にいない環境であったので、ことさら両親が教え諭す必要もなかったのだ。
オルステッドに付いて旅を始めて以来、人買いに攫われていないのは、単に運が良いのと、人通りのない所を歩くな、というゾルダートからの躾が活きているためである。
俺から逃げたいがためにあちこちに身を隠すのだろう、とすらオルステッドは思っていた。
内心がどうあれ、オルステッドはシンシア姫を救う勇者である。
姫をバリバリ頭から食っちまいそうに見えるが、勇者である。
「勇者なわけがあるか! お前みたいなのが!」
アレクが代表して吠えた。
不死魔族の血を引くおかげで、呪いによってズタズタにされた消化器は回復しつつあった。
「そうだそうだー!」
「姫を置いて帰れ! この悪魔!」
「姫は俺たちで育てたほうが幸せに違いねえ!」
よって、ひとまず、シンシアは姫であるというのが親衛隊の共通認識であった。
「アレクサンダーか……面倒だな」
野次を無視したオルステッドは、アレクの顔をジロリと睨めつけた。
いや、見ただけである。
王竜剣の柄をいっそう強く握ったアレクのこめかみに、冷や汗が流れる。
彼は強者である。
だからこそ、わかってしまうのだ。
龍神と己の間に、高い壁が隔たっていることが、わかってしまうのだ。
オルステッドにしても、アトーフェとの戦闘に際し、アレクがいたのは想定外であった。
従来のループでは、この時期、アレクはネクロス要塞にはたどり着いていないはずだが、この周回では、転移事件という大きなイレギュラーがあったのだ。これも狂いであろう。
不死魔族を復活が叶わないように殺す方法をオルステッドは知っていた。
しかし、アトーフェは殺さないし、封印もしない。
アトーフェ及びムーアを殺せばネクロス要塞の領主は不在になり、魔大陸の歴史が変わる。
小さな歪みはやがて取り返しがつかないほど大きくなり、後々の自分の首を絞める事になるだろう。
アトーフェを殺し、ムーアを見逃せば、領地の運営は続く。
しかしムーアは親衛隊を差し向けて報復に走り、やはり歴史は変わり、魔大陸での活動はやりづらくなるだろう。
だから、アトーフェが敗北を認めるように仕向けるだけである。
父なる龍神より託されし神刀。
強力な力の縛りか、抜くには多大な魔力を消費する。
オルステッドは、アトーフェとの戦闘で神刀を抜く気はなかった。
使わずとも、そして殺さずとも、魔力の消費を抑えた勝利は硬いはずであった。
敵がアトーフェ一人であれば。
「お祖母様! 僕も戦います!」
「これはオレと龍神の一騎討ちだ! 邪魔をすんじゃねえ! ペルギウスにも手を出すな! あれもオレが殺すのだ!」
「いえ、一騎討ちだなんて言ってませんでしたよ?」
「そうだったか?」
アトーフェはオルステッドを見る。
「一騎討ちだ」
「こう言ってるぞ!」
「あの男は嘘をついています! お祖母様は騙されたのです!」
「なにィ……?」
アトーフェの顔にみるみる怒りが滾る。
オルステッドに怯えながらも、アレクの口元には薄く笑みが過ぎる。
最強の王竜剣と最強の自分、不死魔王と親衛隊が揃い、希望をかろうじて見出した故であった。
呪いの影響で信頼という信頼を得られぬオルステッド。
幼少より可愛がってきた実の孫であるアレクサンダー。
「ぶっ殺す!」
アトーフェがどちらの言い分を信じるかは明白であった。
「共に戦え、アレク!」
「はい!」
アレクが巨剣を構える。
王竜剣カジャクトは最強の剣である。
めちゃめちゃ強いのである。
めちゃめちゃ強い剣を持った北神がオルステッドに敵対しているのである。
オルステッドは今日ほどシンシアを連れて旅をした事を悔いた日はなかった。
「……ペルギウス、お前は龍門を召喚するだけでいい。俺が奴らの動きを止める」
「まあ、構わぬが……」
オルステッドは急遽予定を変更。
向こうが二人掛かりならば、と、自分もペルギウスを戦術に組み込んだのだった。
そんな経緯で、幼い姫(仮)をめぐった戦いは決着した。
「勝者ァァア!
意識のある黒鎧がやけくそ気味に叫ぶ。
喝采はない。
賞賛もない。
いや、小さな拍手がひとつ。
戦闘を真剣な顔で眺めていたシンシアである。
何が起こったのかまったくわかっていないが、最後に立っているオルステッドのほうがすごいのだろうな、と思ってぱちぱちと拍手で称えている。
誰も続けないので、ちょっと不安そうに周りを見てやめた。
「アトーフェ様、宴はどうしましょう?」
「やらん。お前たちは引き上げろ。各自怪我を癒せ」
「ハッ」
動ける者は負傷が深い者に肩を貸し、よろよろと要塞に戻っていく。
シルヴァリルがペルギウスの傍に静かに参じ、治癒魔術の詠唱を唱えはじめる。
魔王アトーフェラトーフェの知能は低いが、ハッキリと理解できることはある。
自分がオルステッドになすすべなく敗北したという事だ。
アトーフェの首を胸に抱えたムーアが、オルステッドに近づく。
「オレは約束は守る。約束通り姫は……いや、
首だけのアトーフェはピタリと口を噤んだ。
視線は明後日を向く。
結局、シンシアは姫であったのか、霊媒師であったのか、考えているのだ。
必然的に無言のオルステッドと向き合うムーアの額に、冷や汗が流れる頃、
「霊媒師だ」
オルステッドが助け舟を出した。
しかし彼は「俺が勝てば姫を解放しろ」と挑みかかったのだ。
アトーフェの混乱を招く言動をしていいのか、と、かの魔王をよく知らぬ者は思うだろう。
「ククク……そうか……お前がそう言うってことは、つまり姫だな! 二度は騙されんぞ! オレは賢いのだ!」
「そうだな」
オルステッドの判断は正しい。
呪いと馬鹿の相乗効果で、こうなるためである。
「姫はお前に返そう!」
「ああ」
「来い」と人間語で促すと、シンシアはちょこちょことオルステッドのもとに来て、彼のマントを握った。
数多のループを経たが、害意のない小さいものを可愛らしいと感じる感性まで擦り切れたわけではない。
しかし、それはそれ、これはこれである。
要らぬ魔力を消費したことが腹立たしく、肩を軽く揺らして手を振り払うと、シンシアはしょんぼりした。
「だが、オレはペルギウスには負けてない。
ペルギウスゥ! お前はいつもそうだ! いつも仲間の後ろでコソコソやりやがって鬱陶しいわ! 真正面から戦え!」
「……? シルヴァリル、何か聞こえたか」
「風が
「うがああああ!」
煽るペルギウス。と、シルヴァリル。
アトーフェはキレた。憤懣やるかたなしにキレた。
「アトーフェ様、どうどう」
「うぐぐ……ふぅ、まあ、いいだろう」
落ち着くのが早いのは、躰が離れて血の気が減った故か。
アトーフェはオルステッドに言い渡した。
「
「言われずとも、そうする。貴様らを拘束する魔法陣は、半日も経てば消滅しよう」
オルステッドとペルギウスは二人の少女を連れ、ネクロス要塞から去ろうとした。
「待て!」
高圧的に呼び止める声があった。
アレクサンダーである。
「何だ、まだ用か」
オルステッドは穴の底を覗き込んだ。
アレクサンダーの眼は冷めやらぬ戦意にギラギラとしている。
魔法陣から伸びる半透明の鎖に縛られながら、彼の心は折れていなかった。
かつてラプラスを封じた三英雄が一柱。
反則のような呪殺の力をもつ童女。
彼らがオルステッドの仲間であったためである。
僕はまだ本気を出せていない。出す前に横槍を入れられたのだ。
そう思わせてしまったのだ。
心が折れないだけの余地を与えてしまったのだ。
とはいえ、そこで他責思考の坩堝に陥るほどアレクも落ちぶれてはいない。
本気を出せなかった自分にも非は三、いや、二割くらいあると考えていた。
だから、敗北は認める。
その上で、これだけは伝えねばなるまい。
「悪いことは言わない、その子は殺すんだ」
「……理由は」
「わからないのか? 強力な邪術の前では、僕たちが持つどんな力も意味を持たないんだ。
悪魔が君に信頼を置いているなら、好意を利用して殺すべきだ。大丈夫さ、外法を恐れるのは、恥ずかしいことじゃない。
子供の姿に躊躇を憶えるというなら、僕がやる。少しのあいだでいい、この封印を解いてくれ」
僕が言っていることは正しい、とアレクは思う。
僕のみならず、一流の武芸者が、磨かれてきた研鑽が、理の異なる力によって不当に失われてはならないのだ。
この会話は魔神語である。どんな会話が成されているか、悪魔には分からないはず。
「俺も貴様と同じことを考えていた」
「なら……!」
――なのに、何故だ、なぜ震えがおさまらない?
恐ろしい龍神よ。
お前の殺意の矛先は、僕じゃないだろう!
「……同族嫌悪、か」
オルステッドはかぶりを振ると、もうアレクを一瞥もしなかった。
もはや興味も失せた、聞く価値もないと言わんばかりの態度であった。
「話は終わったか」
「ああ」
ペルギウスたちの元に合流したオルステッドは、シンシアを見下ろした。
殺意にビビってペルギウスの片手にしがみついていたシンシアである。オルステッドが薄桃色の子供の耳をキュッと摘むと、シンシアはしおしおに萎れた。
小さなぷにぷには、大きくて硬い龍族に、無意味に引っ張られたり抓られたりする定めなのだ。
硬い爪が耳に穴を開けそうで怖いけれど、迎えに来させた手前、拒絶するのは悪い。
シンシアは定めを一旦、受けいれたのである。
一方アレクは。
祖母の躰と共にクレーターの底に置き去りにされたアレクは。
暗い瞳で、地についた自分の膝元を見つめていた。
原因はわからない。でも、僕のなにかがオルステッドの逆鱗に触れたのだ。
結果、見放された。
圧倒的強者に見向きもされない。
それは、アレクが初めて抱く種類の屈辱であった。
魔族は戦いを通して絆を育む傾向がある。
不死魔族のクォーターであるアレクもその例に漏れず、彼は自分を倒したオルステッドに尊敬の念すら感じていたのだ。
呪いだって、ほとんど克服しかけていたのだ。
見放された。その思いは、烈しい怒りに転じる。
自分を顧みなかったオルステッドを倒し、踏みつけねばならない。
そうして、僕を見くびったからだ、ざまあみろ、と嗤わねばならない。
力を誇示せねばならない。
それが叶うまで、この怒りが消える事はない。
「龍神オルステッド……」
アレクの闘争心は爆発的に燃え上がった。
噛みしめた歯のあいだから、獣の呻きじみた声が漏れた。
紅い雫をねっとりと
王竜剣は取り上げられなかった。手元にある。
オルステッドに一切の攻撃が通らなかった訳でもないのだ。
ならば、もっともっと強くなれば、僕にも勝機はある。
「僕が、必ず、殺してやる」
オルステッドの持つ嫌悪の呪いとは無関係なところで、アレクは躰に憎悪を刻み込んだ。
この日、この瞬間を持って、龍神と北神の敵対は運命づけられたのであった。
シンシア視点
決着がつくまで一瞬だったようにも、たいそう長い時が流れたようにも感じる。
アトーフェ様の頭が白と青の鞠みたいに高く弾んで、オルステッドとペルギウス様は勝ったらしい。
うかつに近寄ったら、巻き込まれて、私の首がああなっていたかもしれない。
幸いにも、私とナナホシが巻き込まれないようにと黒鎧さんが安全地帯に案内してくれたので、無事である。
ペルギウス様とシルヴァリルさんは転移魔法陣で城に帰るので、城下町を出たところでお別れだ。
マントと鎧がちょっと汚れてしまったものの、ペルギウス様は怪我も消え、平気そうな顔である。
やっぱり、昔の英雄だから、戦うのにも慣れているのだろうか。
助けてくれてありがとうございます、と畏まってお礼を言っておいた。
もう一人、ありがとうを言わねばならない人がいるのは分かっている。
オルステッドだ。
彼はいつでも顔が怖いけれど、今日は一段と険しい。
「シンシア」
「はい……」
名前を呼ばれ、挙動不審になりながら向き合う。
もじもじしているのがまずかったのか、オルステッドの口角がひくっと下側に引き攣るのが見えた。
おそらくは、怒りによって。
「使いもまともに果たせんのか!」
はるか頭上から降ってきた怒鳴り声。
私はぎゅっと首をすくめた。亀になって声を遮断したかった。
オルステッドに言われた町での用事は、ちゃんとできた。
けど、そういう事じゃないのだろう。
「ごめんなさい」
「面倒をかけるのも大概にしろ! 今回の事も、ナナホシの頼みではなかったら、貴様など見捨てていた!」
「えぅ」
頬がぼっと熱くなる。
やっぱり、オルステッドは私のことが嫌いなのだ。
ナナホシに言われたから、仕方なしに助けただけ。
連れ歩くのも、私が何とかガミの味方になるのが嫌だから。
病を治してくれた、魔王を倒して助けてくれた。
与えられた恩恵を数えて、少しは憎からず思ってくれたのだろう、というのは、私の思い上がりであったのだ。
恥ずかしい。
熱い頬を自覚しながら、腿の前で握りしめた自分の手を見つめた。
ぜんぶ、私が悪い。
――ほんとうに?
だって、オルステッドといっしょにいなければ、私は病気にもならなかったし、アトーフェ様に拐われる事もなかったじゃないの。
私が憎いなら、リーリャの故郷にある救貧院から、連れ出さなければよかったじゃないの。
トウビョウ様の力がそんなに恐ろしいなら、使わないように脅せばいいじゃないの。
どうしていじめながら傍に置こうとするの。
言葉が通じない魔王に追いかけられたのも、
呪いではない純粋な腕力で殺されそうになるのも、
たいそう怖かったのだ。
なのに、どうして、責めてくるの。
「すん」
鼻を啜り、涙をゴシゴシと拭う。
うつむいていた顔を上げた。
きっとオルステッドを睨む。
「いいもん! 私だって、ずっと怖いことするなら、オルステッドのこと、きら、き……嫌い! ……に、なるから!」
言うだけ言って、ペルギウス様に泣きついた。
こういう時は、女の人のほうがやさしいと知っているけれど、ナナホシもまた生活の全てをオルステッドに頼る立場である。
板挟みにしてしまうのも可哀想だし、……慰めてはくれても、私の味方にはなれないかもしれない。
「ふえぇん」
「ほう。我に慰めを求めるか」
「シルヴァリル」とペルギウス様が呼ぶと、私は柔らかい腕と翼にすっぽりと包まれた。
シルヴァリルさんに抱っこされたのだ。
胸に母様とリーリャを感じて、私は懐かしいやら会いたいやらでシルヴァリルさんに抱きつく。
人に嫌いと言ってしまったのも、よけいに悲しい。
「うっく……ひっ……」
そうしてめそめそしていると、ペルギウス様の声が聞こえた。
「不可解そうな顔だな、オルステッドよ」
オルステッドのほうを見ないようにしていた私は、ますます強くシルヴァリルさんに掴まった。
離さないで。私をオルステッドに渡さないで。
「呪いは効かないはずだが……?」
「呪い? 貴様個人に怯えられておるのだ」
「む」
オルステッドの返事は意外そうだ。
背を包んでくれているシルヴァリルさんの翼が、ピクっと震えた。
伸びあがってそろりと振り返る。
こちらを見ているオルステッドと目が合いそうになり、慌てて顔を伏せた。
「そうやって離れないつもりか」
「……ペルギウス様やさしいもん……」
抑揚に乏しいオルステッドの声が、穏やかだ。
穏やかに喋ろうと努めている調子であった。
でも、なによ、いまさら。
ペルギウス様は私に怒鳴ったことないもん。
オルステッドとは違うんだい。
ふてくされていると、ため息が聞こえた。
「言っておくが、ペルギウスに媚びても、家族のもとには帰れん」
あわよくばという思惑はあった。
転移魔法陣の在処を知っているペルギウス様に好かれれば、父様のもとに行ける魔法陣も教えてもらえるのでは、と。
不可能だとオルステッドは言う。
「そうなの……?」
私はペルギウス様を伺い見た。
ペルギウス様は、当たり前の事を訊かれたように、少し怪訝そうに答えた。
「多忙な活動家の父のもとより、我が城塞で過ごすほうが愉しかろう」
きれいなものをずっと眺めていて良くて、書庫の本もかってに読んでいい。
空中城塞は良いところだ。
けれど、人がいない。
居るのは、異種族のペルギウス様とシルヴァリルさん。人に姿形が似ているけれど、人ではない精霊たち。
美術品や工芸品がたくさんあっても、その寂しさは埋められないだろう。
「このまま、我とケイオスブレイカーに戻るか」
私はぎこちなく首を横に振った。
「や、……やっぱりオルステッドがいい」
「そうか。惜しいな」
ペルギウス様のことは好きだけれど、ずっといっしょにいたいかと自分に問うと、それは違うと答えが返ってくる。
父様と妹たちに会いたいなら、オルステッドと旅を続けるしかないのだ。
地面に降ろされ、ペルギウス様たちが去った後。
「えっと……私たちも、もう行かない?」
ナナホシが困っている。
観念してオルステッドに近寄った。
移動中、ナナホシとのお喋りも、オルステッドに話しかけるのも、どちらもする気になれなくて、私はほとんど黙っていた。
次の目的地はどこだろう。
訊いていないからわからない。
魔大陸の荒野を景色に、久しぶりの野営である。
ナナホシは気まずい沈黙から逃れるように、携帯食の夕飯を済ませるとさっさと寝てしまった。
私は起きている。オルステッドも。
彼が寝ているところは見たことがないけれど。
木っ端を焚火に放り、自省する。
怒られて拗ねたのは、悪い子だった。
ケイオスブレイカーで療養した一月のあいだに甘やかされ、私はわがままになっていたみたいだ。
「シンシア・グレイラット」
名前を呼ばれ、ビクッとした。
間に二人くらい座れそうな距離をあけて焚火を囲んでいたオルステッドだ。
七色の星がきらめく下で、銀色の髪はきれいだけれど、金色の目と視線を合わせるのは怖かった。
私を見下ろす目が冷え切っていたらどうしよう。
嫌悪をあらわにしていたらどうしよう。
そんな思いからだ。
「俺は怖いか?」
「……こわいです」
迷って、正直に答えた。
会ったばかりの頃は、優しい人だと思っていたから、無条件に信頼していたし、好きだった。
今はちょっと異なる。
何を考えているかわかりにくい、私のことうっすら疎んでいる人に頼り続けているのは、怖いのだ。
いつ切り捨てられるかわからない、不安。
「どんな所だ?」
「言ったら、もうしない?」
「気をつけよう」
オルステッドはこちらに気をつかってくれている。
私がいつまでもムスッとしているから、駄々っ子にお手上げという状態だろうか。
申し訳ないやらくすぐったいやら。
ちょっとだけ、距離を縮めた。
オルステッドの怖いところ。
お顔……は、治しようがない。
それに、悪い所ばかりではないのだ。切れ長な眼のふちからこめかみにかけて生える鱗とか。
蛇みたいな鱗なのにいやらしくなくて、かっこいいと思う。
そうじゃなくて。
オルステッドは口数が少ない。と、表すのは異なる。
ぜんぜん喋らないわけじゃないのだ。
初めて見るものや景色は解説してくれるし、むしろそういう時の口数は多いくらいである。
でも、私はオルステッドのことをほとんど知らない。
好きなことは、得意なことは。
家族はどんな人なの。友達はいるの。
どういうふうに生きてきて、何を思っているの。
そういうことを、もっと話してほしいのに。
「自分の話をあんまりしないところ」
「俺の話か……」
オルステッドの顔が渋った。
言いたくないことも沢山あるのだろう。
「好きなものも、嫌いなものも、たくさん教えてね。わからなかったら、得意なことや苦手なことでもいいから」
「ああ」
好きになりたいから、知りたい。
前にも同じような話をした気がするが、その時は真剣に取り合ってくれていなかったのだ。
今変えようとしているなら、嬉しいと思う。
「他にはないか?」
「やる前に言ってくれたら、別にいいんだけど」と前置き、私は最近思っていたことを伝えた。
「急に触られたり、引っ張ったりされるの、いや……」
「……すまなかった」
「あれ、どうしてやるの?」
「俺にもわからん衝動だ」
「衝動? どんなふうになるの?」
よしよし。
昼間よりは、喋りやすくなってきた。
このまま仲直りできるといいな。
オルステッドは感情を言葉にせんとするように、顎に手をあてて、考えながら答えた。
「お前のようによく動く可愛いものを見ると、わけもなく甚振りたくな……待て、違う、もうやらん」
「ひぃ」
やっぱり、仲直りはむずかしいかも。
ザザっとオルステッドから距離をとる。
甚振りたいって、いじめたい、って意味なのだもの。
チサはべっぴんじゃ、とも、シンディは可愛いな、将来は美人になるよ、とも、褒められてきた。
自分の長所だと思っていたけれど、まさか裏目に出ることがあろうとは。
「お前が怯えているのはわかった。もうやらん」
二度も「もうしない」と言った。
じゃあ……いいかな?
歩み寄りが大事なのだ。私も怖がるばかりではいけない。
「言ってくれたら、さわってもいいのよ?」
これは機嫌とりではない、本音だ。
撫でたり頬ずりしたり、人に優しく触られるのは好きだもの。
オルステッドの横に戻って、膝を抱えてすわった。
焚火を挟んだ正面には、ナナホシが毛布にくるまって寝ている。
「オルステッド、私のこと、手がかかるって思う?」
「いいや……うむ、正直、そうだな」
「ごめんね。でも、迷惑かけたくて、失敗してるわけじゃないのよ」
転移事件で村から放り出されて知った。
私はきっと世間知らずというやつで、できないことばかりなのだ。
初めての町だと、知らないこともできないことも、もっと増える。
助けてくれる人は見つかるけれど、それが善人なのか、悪意を隠して親切なふりをしている人なのか、すぐにはわからない。
「だから、ごめんね……」
自分が情けなくて、涙声になる。
ゾルダートさんたちといた時は楽しかったな。
知らない町を転々としながら、オルステッドの迎えを待つのに、心が疲れた。
たった数日の滞在では、知り合いも拠所も作ることができない。
「いや、俺の思慮不足だ。考えてみれば、どんな力があろうと、転生体であろうと、お前は幼い子供なのだ。避けられんトラブルはあるだろう」
「オルステッドおっきいから、子供のことわかんないからっ、仕方ない、っよ」
思いがけず自分の非を許容されて、一度はこらえられた涙が溢れた。
烈しく叱られている時より、謝った後に優しく諭されている時のほうが、泣けてしまうものである。
シルフィとソーニャちゃんが真剣にその理屈を考えていた事がある。
許されたとわかって安心したから泣いてしまうのだ、と結論を出していた。
実感として、わかった。あの説は正しかったのだ。
「俺とて……せっかくまともに関われる人間とは、破綻したくない。これからは、不満があるなら言え」
ひっ、ひっ、と、しゃくりあげながら頷く。
「ナナホシ、お前もだ」
「……じゃあ、魔物を倒す時は、もっと離れてくれない? 血飛沫とか、変な体液とか、飛んでくるのよ」
起きてたの……。
火影がゆらめき、鼻まで毛布を被ったナナホシが照らされた。
毛布から出た目は開き、ジトッとこちらを見ている。
「オルステッドが、私たちが快適に過ごせるように計らってるのは、わかるわよ。でも、ちょっと一方的なの」
ナナホシはむくりと体を起こした。
私の後ろにやってきて、ぬくい腕と胸に抱き込まれる。
「言葉も通じない、常識も違う町に放り込むくらいだったら、傍で守ってよ。そのほうが安全だし、安心するわ。
野宿続きは骨身に応えるけど……まあ、慣れたし」
まったく同意である。
馴染みのない人里より、オルステッドの傍がいい。
魔物が出るのも、屋根がない所で寝るのも平気だ。
ご飯だって手に入らない時は我慢できる。
「……そうか。そう思ってくれるのか」
オルステッドは微笑んだ。
人の笑顔を見たことがない生まれつきの盲が浮かべるような、不自然な笑みであったけれど。
この顔なら怖くない、と、なぜかそう思えた。
旅はつづく。
転移魔法陣を使うから、昨日までは森にいたのが、今日は迷宮、明日は雪山、明後日は小国の王都、と、気候と環境の変化もめまぐるしい。
相変わらずオルステッドの行動は目的がわからないものが多い。
未来への布石のため、と、ふんわりと教えてもらえたが、詳しくは言う気がないようだ。
でも、いい。
好きでも、信頼していても、全部を晒す必要はないのだ。
「アレクさんと、オルステッドは、あのとき何のお話してたの?」
「お前を殺せと言っていたな」
「あら……」
「半端に生かしておくと要らぬ恨みを買う、という事だ。殺す時はきっちり殺せ」
「はぁい」
などと教えられたり。
「そういえば、しあんろ? って、なに? アトーフェ様が言ってたのよ」
「……昔、六つの世界が統合してまもない頃、龍族は迫害されていた」
「うん」
「追い詰められた龍族が、群れからはぐれた人族を、穴倉に引きずり込んだのが始まりだと言われている」
「なにが始まったの?」
「俺は喰おうとは思わんが」
「食べ物なの?」
「そう考える奴もいる」
「?」
はぐらかされて、教えてもらえなかったり。
「んぺっ」
「どうしたの?」
「歯がまた抜けたの」
乳歯が抜けて、
「治さんのか?」
「治せるやつじゃないもの……」
「付けてやるから見せろ」
「!? んーっ!」
「生えてくる! 後で新しく生えてくるのよ!」
オルステッドに怪我と勘違いされてナナホシに訂正されたり。
「篠原秋人と、黒木誠司?」
「そう、私の友達よ。いっしょにトリップ……こっちの世界に来てるかもしれないの。あなたの占いで、居場所がわかったりしない?」
「やってみるね」
ナナホシの友達の居場所を調べもした。
視てはみたが、もやもやとしていて、変な感じだ。
彼らがナナホシの傍にいる未来と、いない未来が、重なって視えている感じ。
少なくとも、今、この瞬間には、どこの国にも町にも彼らはいない。
視えた光景をありのまま伝えると、ナナホシは安心半分、落胆半分という顔をしたのだった。
ナナホシと私はオルステッドと行動する事が増えた。
町に入るのは、買い出しと、オルステッドに言われた用事をこなす時くらいなものだ。
オルステッドは森の使われていない小屋の場所をたくさん知っていたし、彼に守られていれば安全なので、野宿が続いても不便を感じる事はなかった。
アスラ王都に寄った時に、ナナホシは紙束とペンを買った。
もともと持っていた、つるつるした白い紙の冊子、しゃーぺん、ぼーるぺん、とやらは、もう使い切ってしまったらしい。
アスラ王国の、夏草と赤いひなげしがむら咲く高原。
前髪に光と風を感じるような、心地よい場所だ。
すぐに戻ると言って姿を消したオルステッドを待っている時に、ナナホシに書きつけていた中身を見せてもらった。
「この世界に、何があって、何がないのか、メモして忘れないようにしてるのよ。今はまだ無理だけど、そういうのが、後々商売をやるのに役立つと思うから」
「ナナホシ、働くの?」
「ええ。いずれね。ずっとオルステッドに養われてる訳にもいかないじゃない?」
女だてらに商人になろうとは。
金が欲しいなら、ナナホシは器量も良いし、商人に娶られるほうが近道だと思う。
「建築分野ひとつとっても、この世界のそれはまだまだ発展途上だわ。あるいは、戦争の影響で衰退したのかもしれないけど」
「例えば、アスラの王都では、ゴシック様式の走りらしき建築が随所に見られた」とナナホシはページを指で叩き、言った。「ゴシックの格子壁は薄く、天井は高い。そうなると、壁を横に倒そうとする推力が働くから、建物は脆くなっちゃう」
たいへんだ。
私は地震で倒壊する王都を想像し、ぶるっと震えた。
会いには行けなかったけれど、あそこにはシルフィがいる。
「ど、どうするの?」
「飛び梁をつければいいわ」
ヴォールトって言ってね、と、ナナホシは手を半円形に曲げてみせた。「ケイオスブレイカーにも、こういうアーチが並んだ天井があったでしょ。あれのこと」
「ヴォールトの推力が作用する壁の外側に、飛び梁を架け渡すと、推力が――壁を倒そうとする力が、控え壁に流れるから、建物は耐震性を失わずに済むの」
「ナナホシ、天才!」
まだ誰も思いついていない知識を、ナナホシは持っているのだ。
その頭脳を活かさないのはもったいない。やっぱり彼女自身が商人になるべきだ。
くるっと手のひら返しである。ナナホシに内心を知られたら呆れられそうだ。
でも、心配事があった。
「大工さんって、みんな力持ちなのよ」
「ええ。それがどうしたの?」
「その……ナナホシに建てられるの?」
ナナホシはコケッとずっこけた。
「私はアイディアを売るの。実現するのはその町の権力者と大工よ」
なるほど?
ナナホシがゆくゆくは筋骨隆々になる可能性はないようだ。
紙束をパラパラと捲っていると、簡易な地図らしき絵が現れた。
日本語なのだろう。書かれた文字は読めなかったけれど、じーっと見ているうちに、何を記しているのか、ピンときた。
「これ、転……」
「しーっ!」
ナナホシは横を見て、あわあわしながら、口の前で人差し指を立てた。
同じ方角を見れば、オルステッドが戻ってくる所だった。
彼女が書いていたもの。
転移魔法陣の遺跡を記録した地図であった。
「ひみつ?」
密やかに訊ねると、頷かれる。
オルステッドは、転移魔法陣の場所について、口外するな、と言っていた。
記録するのは禁じられていなかったはずだ。
いや、堂々とやった結果、それもダメ、と言われてしまうかもしれない。
そうしたら、普通以上にこそこそとやらなければいけなくなるのだろう。
だから最初から秘密にしているのだろう。
私は目配せを返した。
ナナホシの秘密は守るのだ。
「おかえりなさーい!」
それとは別件に、私は膝においていたものを掴んでオルステッドに駆け寄った。
「花冠つくったの」
赤いひなげしを編んだ冠である。
手慰みに作ったが、花弁の鮮やかさのおかげか、なかなか綺麗にできた。
「綺麗だな」
「うふ」
オルステッドを立ち止まらせる事に成功した。
見せびらかした後は、自分で被る。
「は、早かったわね、オルステッド」
紙束を鞄にしまったナナホシも小走りに寄ってきた。
「これを回収しに行っていた」
と、私たちはそれぞれ、白いお面を渡された。
琺琅引きか、つるつるとした質感で、目の位置に穴がある。
紐が通っていない。これではずっと手で支えなければならない。
とりあえず顔に被せてみた。
顔に吸いつくように仮面が顔についたのだ。
「はわっ」
びっくりして、小さい頃の口癖が出た。
手を離しても、仮面が落ちることはない。
顔を左右に振っても落ちない。飛び跳ねても落ちない。
でも、目の前が真っ赤になった。
あわわ。
「ふっ……」
オルステッドの小さな笑い声と、頭に指がすいっと触れる感覚があって、視野は元通り。
頭に乗せていた花冠がズレて、目の穴を塞いでいたようだ。
仮面の下端を持って取ろうとしてみると、簡単に外れた。
「これすごいね」
「魔道具って感じね、地味だけど」
お祭りや行事に仮面はつきものである。近々祭りでもやるのだろうか。
「それはできるだけ被っておけ」
「どうして?」
「俺には敵が多いからな」
「んむ……じゃあ、全員呪ってあげるけど……」
「要らん。キリがない」
オルステッドと敵対する人たちが、私たちの顔を憶えるのを防ぐためだそうだ。
顔を憶えられると、オルステッドがいない時に襲われるかもしれないらしい。
そういう事なら、顔を隠すのも納得だ。
私は人に会いそうな時だけ付けて、オルステッドとナナホシしかいない時は外すことにした。
お面は視野が狭まるので、景色が見づらいのだった。
旅はつづく。
まん丸の虫食いがある大きな朽葉を見つけ、てくてく歩きながら、指で穴をもう一つ増やして、手製のお面を作った。
この程度の工作なら、誰に見せるわけでもないけれど。
アイシャとノルンは四歳である。私のことは憶えているだろうか。
忘れられていたら、お姉ちゃんは悲しい。
今夜は山小屋で過ごせるらしい。
小屋は魔物筋の上にあり、到着する前に、案の定、魔物に遭遇した。
襤褸を纏い、左手首に縄を結びつけた人骨である。朽ちかけた縄の先はちぎれ、途切れている。
動く骨の妖怪は、生前の世界にもいた。
狂骨は井中の白骨なり。
狂骨はカタカタと音を鳴らしながらオルステッドに襲いかかったが、拳で撃退された。
ところが、砕けた骨は元通りくっつき、また襲いかかってきた。
魔術を使わないようにしているオルステッドに代わり、私が火球を飛ばして燃やしたが、
「えっ」
灰がゆっくり集まり、骨に再生した。
不死身である。
アトーフェ様に追いかけられた時の思い出がよみがえり、背筋がぞくっとした。
「あれはスケルトンだ。基礎六種魔術は効かん。仕方ないが、ここは俺が神撃魔術を――」
「死んだよ」
「……そうか」
アトーフェ様と異なり、呪い殺したら、狂骨あらためスケルトンとやらは、再生しなかった。
すでに白骨死体のような有様だし、効くかなと心配だったが、問題ないようだ。
古い小屋の扉の前にも、スケルトンがいた。
いや、動かない。動く気配もない。
「ただの人骨だな」
オルステッドもこう言っている。
扉の方に頭をむけ、うつ伏せで倒れた人骨は、土と分かちがたいほど朽ちていた。
しかし綺麗なもので、生前は人であったとわかる形をしている。
山や森で死ぬと、獣に持ち去られるから、躰はあちこちへ行ってしまうのに。
右腕の骨には黒ずんだ縄を結びつけられていた。
さっきのスケルトンといっしょだ。縄を結ばれた手は反対だけれど。
まじまじと骨を眺めたナナホシがオルステッドに言う。
「どうする? この小屋は、やめておく?」
「何故だ?」
オルステッドはすたすたと歩いて行き、扉を塞ぐ人骨を足で退かした。
細かな骨はパラパラと砕け、髑髏がゴロンと転がった。
ナナホシがギャッと悲鳴をあげた。
ひ、人を、足蹴に。なんてことを。
「中は問題なく使えるが……む? どうした、シンシア」
「人は死んだら、仏様になるの。仏様は、蹴ったらだめよ」
「ホットケ……?」
まったくもう。
崩れた骨を集めようと触れた時に、生前の記憶を視た。
転移事件の被害者であった。
これで何回目だろう。
人がめったに立ち入らぬ場所を移動していると、けっこうな頻度で、転移事件の被害者の遺品や、骨を見つける。
被害にあったのはブエナ村だけではないのだ。
発見するたびに、水を供え、手をあわせた。
縁もゆかりも無かった人たちだけれど、誰にも手向けられないよりは、浮かばれるはずだ。
悪天候にならなければ、一日はここに滞在するのだ。
時間もあるし、この人は、特別に埋めてあげられる。
さっきのスケルトンも、連れてきて埋めてあげよう。
死ぬまでいっしょに居たみたいだから。
いっぺんに人骨は抱えきれまいから、何度か往復して小屋の傍に運んだ。
長年使われていない小屋内の掃除は、ナナホシ任せである。水はたくさん用意したから、許してね。
木片で土を削り、せっせと穴を掘っていると、暇そうに眺めていたオルステッドが来た。
ざくざく掘り進められ、あっという間に墓穴が完成した。
「人は死んだらナントカ様になる、というのは、お前の信仰か?」
「私のじゃないけど……」
前世でそう教えられてきたのだ。だから、……みんなの信仰?
チサはトウビョウ様の使いとして、人を助けも、呪いもしたから、仏様にはなれず、気楽な地獄へ行ったけれど。
今世も同じだろう。いい気はしないが、間が悪かったのだ。仕方ない。
母様が話してくれた昔話では、死んだら魂だけになって、天国に行くらしい。
「オルステッドは何になると思う?」
「思うも何も、死ねば消滅する。稀にああして魔物化する奴もいるのだ」
「どうしたら魔物にならずに済むの?」
「死体を燃やして灰にしておくことだ。その骨も、埋める前に燃やすといい」
「はい」
何時間かかけて、土饅頭がふたつ完成した。
やれ南無阿弥陀仏。
しっかり手を濯ぎ、オルステッドが捕まえてきた栗鼠の皮を剥いだ。
自分でやるようになる前は、母様やリーリャ、祭りの時の村の女衆の手捌きを見ていたし、手伝った事もあるので、私も楽々できると思っていた。
実際刃を持ってみると、手順はわかるのに、再現がむずかしい。
手の大きさも、力の強さも異なるからだ。
もう慣れたけれど、やっぱり彼女たちほど上手にやれていない。
「オルステッド、研いでください」
「ああ」
切れ味が鈍くなってきた小刀を渡すと、彼は鞄から砥石を出した。
掃除を終え、小屋で休んでいたナナホシがふらっと出てきて、あ、とオルステッドの手元に目をとめた。
ナナホシは、しゃがんだオルステッドの首に、背後から腕を回した。中腰は疲れるのか、遠慮なく背中にグイグイ体重をかけている感じだ。
オルステッドの体幹はビクともしない。
「はい、使って」
「ああ」
オルステッドは差し出された手の甲をとり、親指の爪に刃を滑らせた。
爪に引っかからず、滑る部分は、切れ味が落ちているという事なのだ。
砥石の表面を濡らして、研ぎあげてくれるのを待った。
「こんなものでいいだろう」
「ありがとう」
よそ見をしていると、声をかけられた。
ポンと小刀を投げ渡される。
刃はむき出しである。
「えっ、あっ」
刺さる? 手、切れちゃう?
わたわたとしながら、つい手を出した。
「しまっ……!?」
寸での所で、オルステッドが自分が投げたそれを掴んだ。
そんなに焦った顔は初めて見た。
普通は肌に刃物があたると切れるのだ。オルステッドの肌は強いから、その普通を忘れて投げてしまったのだろう。
「無事か?」
「げんき」
「……すまなかった」
いいよ。
夜。
小屋のベッドに座り、影絵で子犬を作った。
明かりを灯した手燭に手をかざして、いろいろ作る。
室内にいる時は、これができるから好き。
ナナホシは獣脂蠟燭が溶ける独特の臭いが苦手なようで、町で買い溜めておく蠟燭は、燃やしても臭いのない蜜蠟である。
ちょっとぜいたくだ。
「懐かしいわね」と言って、ナナホシも手を翳した。
両手を複雑に絡み合わせ、兎を作る。上手だ。
壁際の床に座り、目を瞑っていたオルステッドが、いつの間にかこちらを見ていた。
不思議そうだ。何やってんだこいつら、という感じの目である。
「狐よ」
手燭を持ってオルステッドの前に行き、片手の中指と薬指、親指をくっつけてみせる。
ピンとたてた人差し指と小指が耳。くっつけた三本指が口吻だ。
真似してね、というと、オルステッドは無言で同じ手の形にした。
「ほら、二人だと、狐の親子」
壁に映った影を見た。
狐のつきでた口を模した指先で、オルステッドの狐にすり寄ってみると、子狐が父狐に甘えているみたいだ。
狐は化けるし、人を喰った狐は喋るというし、罠にかけたのを棒で叩き殺す時は、最期まで殺す人を見つめてくる怖い獣だ。
しかしながら、親子で連れ立っている光景は、どんな獣でも微笑ましいものである。
「雪だわ」
翌朝にナナホシが言った。
なるほど、後から小屋を出ると、
枝々にも、地面にも、土饅頭にも、薄く雪が積もっていた。
じき冬になるのだ。
転移事件から、もうじき一年が経つのだな、と、思いながら、息を深く吸って、ふぅーっと口から吐き出した。
煙のようにほわほわ広がる白い息がはっきり見えて、私はひとりで得意になったのだった。