龍神が呪子をぐしたり。
いわく、龍神命じ、呪子
村を襲ひし魔物の大群を殺戮しき。
悪しき噂絶えぬ神父の狂死を予言せり。
呪はれし村に忘れ去なれし祭壇のかたを教へ、修繕し崇め奉るべく告げき。村は再興しき。
雨乞ひすと干天に慈雨降り注げき。
我々はこれを
龍神はいと畏き天魔のごとき男なり。よりて、呪子は天魔の使いなり。呪子は幼子のさませり。稚なきさまに謀られ村にな入れそ。
お父さんへ
お元気ですか? もうミリシオンにはつきましたか?
私はシーローン王国にいます。
さっきもも色でハナが地面につきそうなくらい長い動物を見ました。
象というらしいです。とっても大きいですが、やさしそうな顔をしていました。ぞろぞろならんで歩いていてすごかったです。
なんでラタキアに行くかというと、リーリャさんとアイシャを助けるためです。
オルステッドにまたうでわをかしてもらって、「龍神のししゃ」と名のればお城に入れるみたいです。
オルステッドはさいしょこわかったけど、もう大じょうぶです。いまはオルステッドのためにがんばっています。旅は楽しいです。ペルギウスさまに絵ももらったのです。
遠くへ出す手紙が、ちゃんととどかないことはよくあるそうですが、この手紙はお父さんのところにとどくといいな。
でもナナホシにいわれてきづいたけど、お父さんがミリシオンにいることはわかっても、せいかくな住所がわからないから、この手紙はラトレイアの家にとどけることにします。かしこ。
シンシアより
お母さんのお母さんとお父さんへ
シンシア・グレイラットです。はじめまして。
パウロという人がお家にきたら、この手紙をわたしてあげてください。
【甲龍歴419年】
冬が過ぎ、私は8歳になった。
季節はすでに春である。
手紙が書けた。
舟の上で書いたから、ちょっと文字が震えに震えたが、まあ読めないほどではないはずだ。
私たちはシーローン王国の首都をめざし、高瀬舟で川を下っている。
高瀬舟なんて言葉はこの世界にないから、名称は異なるのだろうが、高瀬舟に見えるから高瀬舟である。
行き先は、リーリャとアイシャがいる場所だ。
ペルギウス様の精霊には、二人の保護を断られてしまった。
曰く、彼女らは王城に囚われている、と。ペルギウス様は必要以上に下界に介入はしない、と。
だったら、自ら赴くしかない。
いやあ頑張った。シーローンの王都の近くを通ると知った私は、オルステッドに駄々をこねくり回したのだ。
具体的には、オルステッドのマントに掴まってむっと押し黙った。
自分の望みが通るまでそうして石になる心づもりであった。
家でも、妹たちが生まれてからは、あんなふうにわがままをしたことはない。
いや、お兄ちゃんに対しては、けっこうあんな感じで駄々っ子になっていた。
だって「仕方ないな」って許してくれるんだもの。
念願叶い、オルステッドも「まあいいだろう」と言って、ラタキアまで送ってくれる事になった。
彼と町に入ると兵士に討伐隊を組まれてしまうから、あとは私の頑張りどころだ。
オルステッドからは、銀色の指輪を預かった。
「何かあったら指輪に魔力を込めろ。すぐに俺が向かう」と言って渡されたものだ。
対になる魔道具はオルステッドが持っている。
丸くて、貝みたいに開け閉めができて……ナナホシは、コンパスみたいだと言っていた。
硝子張りの中身には、針があって、指輪に魔力を込めると、針は指輪の位置を、つまり指輪を装着した私たちの居場所を指し示すそうだ。
模様のある腕輪は龍神の使者の証。
指輪は身を守るための護身具。
両方とも、私の手には緩いから、紐を通して首に提げている。
そして、盗まれないように服と下着のあいだに挟んでいる。
気をつけていないと、どっちが護身具だか使者の証だかごっちゃになってしまいそうだ。
景色の話をしよう。
両岸に広がるのは、田畑である。
谷の傾斜にそって、棚田まである。
非常に既視感のある光景である。
もっとも、私のよく知っているほうは、侘しく枯れていたが。
まだ春だが、田んぼにはすでに水が引かれ、大きな水鏡がおちこちにできている。
肌に感じる風も暖かいし、ここでは田植えも収穫も早いのだろうか。
「中央大陸南部は河川が多く、気候も温暖だ。故に水田農耕が盛んなのだ。二期作も行われている」
艫に座ったオルステッドが教えてくれた。
乗船者は、オルステッドと、ナナホシと、私の三人だけ。
舟漕ぎは雇えない。雇っても、オルステッドに脅えて櫂を握るどころではないからだ。
「一年に二回も収穫できるのね、いいね」
生前の寒冷な環境ではまずできない。
私はもう百姓の子ではないが、羨ましい。
無人の田んぼ。
私は生前の景色に思いを馳せた。
水鏡に映るのは、菅笠に赤い蹴出し。横一列にならぶ早乙女。
早乙女の後ろに並ぶのは、同じく菅笠を被った男たちである。腹の上に田鼓をくくりつけ、撥の先には馬の毛の房。笛や手打ち鉦をもった者もいる。
サンバイが、簓を鳴らす。簓の拍子にあわせ、男たちは田鼓だの笛だの鉦だのを打ち鳴らす。
女はいっせいに田植えをはじめる。
ひよヽとォ 啼くわァ
小池ェにィ 住ゥむゥのォがァ
ヤハァレェー……
小池ェに 住ゥむのォが
そんな掛け合いの田植え唄まで聞こえてくるようだ。
実際は、懐かしくはあっても、美しい思い出ではない。
凶作の年のほうが多い村であった故、肉づきは皆悪く、木の根のように痩せていた。
菅笠はところどころ穴があいて破れていたし、蹴出しの赤色はとっくに褪せていた。
田んぼの水がしんから震えるほど冷たい年は、冷夏を予感したものだ。
まあ、いいじゃないの。
記憶くらい美化しても。
「む、魔力が切れそうだな。シンシア」
「はーい」
立ち上がり、揺れる舟の上をあぶなっかしく移動して、舳先に描かれた魔法陣の上に右手をかざす。
次は艫。同じように魔力を込めた。
二つの魔法陣に魔力を注ぐと、舟は速度を増した。
「
ナナホシが呟いた。
もーたー、って、何だろう。
本来なら、魔法陣は、それ用の特別なインクで描かなければ、魔力を込めても励起しない。
特別なインクというのは、ペルギウス様が見せてくれたようなやつだ。
炙ったら浮かび上がるようなのは、ちょっとした変わり種だろうけれど。
インクを作るのもまた手間がかかるそうなのだが、自然の中には、ごく稀に、天然の魔法陣用
それが蠟石状の魔力結晶である。
何せ石なので、鞄に入れてもインク漏れの心配がない。
インクとは相性の悪い材質にも、手軽に魔法陣を描ける。
オルステッドはそれを使って、舟の舳先と艫に魔法陣を描いた。
周囲の水を操る魔術を継続させるための何たら、と解説されたが、むずかしかった。
魔力蠟石が、ただの蠟石と異なるのは、描いた線にキラキラとしたものが混じることだ。
陽を反射して、雲母みたいで綺麗である。
アイシャとノルンにあげたら、大喜びで遊びそうだ。
あとで言ったら、ちょっとだけ分けてくれないかしら。
「ふん、ふふん……」
今日のナナホシは機嫌が良い。
舟に乗る前に、昼飯の買い出しに行っていたナナホシ。
そんなにお弁当が楽しみなのだろうか。
「じゃん!」
私とナナホシの腹がクルクル鳴る頃になると、ナナホシは意気揚々とそれを取りだした。
竹の皮のようなものに包まれている。
つられてわくわくしながら開いてみると、
「わぁ!」
米だ!
かて飯*1だ!
かて飯のおむすびだ!
「ふふふ、懐かしいでしょ」
「わぁ、わー! 握り飯、初めて見た!」
「そうでしょ……え? 初めて?」
「前は、稗粥にちょっとしか入れられなかったもの」
かて飯のお結びが二つ。おかずは目刺しが三匹である。
両岸の水田を見た時点で薄々思っていたが、米がこちらの世界にもあるとは。
万感胸に迫り、ひと口頬張る。
粥状ではないから、当然水分が少ない。
噛み続けると、山菜の苦味が消え、ほのかな甘みが台頭してきた。
口の中が極楽である。
美味しい。
私とナナホシは、元日本人と現日本人だから米は嬉しいけれど、オルステッドはどうなのかしら。
と、思い、そちらを見る。
広げた竹の皮には何も乗っていない。
オルステッドはもう食べ終わっていた。
私がひと口をもちもち噛みしめている間に、この男は二個とも平らげてしまったのだ。
早食いである。
もったいない。
つい食べる手を休めてオルステッドを眺めると、彼は私の膝元に視線をくれた。
膝には、ほどいた竹の皮の上に、握り飯がまだ一つ残っている。
「食わんのか?」
躰に衝撃走る。
なんですって。
食べたい……の、かしら。
私の握り飯を。
私のお結びを。
一食の半分を。
躰が大きなオルステッドには、二個じゃ足りなかったのだ。
空腹をみたすためには、もう一個必要だったのだ。
たかが一個。されど一個。
我慢してね、というのは簡単である。
オルステッドはその程度では怒らない。
くれないならいい、とスッと引き下がるだろう。
けれど、彼はお腹を空かせていて、私の空腹は握り飯一個とめざしで消え去るのだ。
「……?」
オルステッドは眉を寄せて首をかしげた。
その顔が、なぜくれないの、と、訴えているように見えて、
私は、わたしは……。
うむ。
仕方ないね。
飢えは、つらいものね。
自分の糧を差しだした。
「誰もとらないからね、ゆっくり食べるのよ」
「寄越せという意味ではない」
私がチビチビ食べているので、具合が悪くて食欲がないのかなと心配したらしい。
全部自分で食べていいのよ、とナナホシに背中にそっと手を置かれた。
そればかりか、ナナホシは自分のお結びを一個分けてくれた。
み仏だ。私たちにはお姿を見ることがかなわぬみ仏が、かりに人の姿をとりたもうたのがナナホシなのだ。
今日の発見。
握り飯は三つ食べるとかなりお腹いっぱいになる。
贅沢な経験をした。
そうしてたどり着いた、シーローン王国の首都、ラタキア。
そこは雑駁な異国情調にあふれた東国であった。
肇国されたのは約二百年前。
小国が領地を奪いあって激しい戦争があちこちで繰り広げられていた頃、国王を失った遺臣たちがより集まり、興された国なのだ。
そうした境遇が、独特な雑駁とした雰囲気を醸している。
南の強国、王竜王国と同盟を結んでいるため、紛争地帯から攻め込まれることもない。
と、ナナホシが解説してくれた。
ペルギウス様のお城で歴史学も学んでいたらしい。
「お願いします!」
郵便局の受付で、手紙を差し出す。
上着と同じ色の帽子を被った男は、ちょっと戸惑った顔をした。
「ええっと、お嬢ちゃん、金は」
「はい」
彼が全て言いきる前に、横にいたナナホシがジャラッと硬貨を横長の卓に置いたのだった。
「手紙だすのって、お金かかるのね……」
兄に手紙を出していた頃は、書き終えたら、母様か父様にわたしていたから、知らなかった。
「くしゅっ!」
ときどき野良牛に道を阻まれながら、雑駁な町並みを歩いていると、ナナホシがくしゃみをした。
最近多い。
「大丈夫? 風邪かな」
「ただの花粉しょ……へくちっ!」
かふんしょ?
昔聞いたことがあるような。思い出せないけれど。
ナナホシは辛そうにしながら、外していた白い仮面をつけた。
付けていると楽になるらしい。
風邪じゃないなら、ひと安心。
この世界では解毒魔術で治せるが、本来風邪を甘く見てはいけない。
どんなに元気な人でも、こじらせたら、あっというまに仏様だ。
頑丈な市壁に囲まれた首都の中心には巨大な濠があって、町は濠を囲むかたちで、段々状に形成されていた。
外側に行くほど高くなる構造である。
いちばん目立つ、ひときわ立派な建物が、王城だ。
シーローン王国では、人々の装いも一風変わっている。
裾がゆったりとしたズボンに、膝から踝までとどく長い上着。
頭にはパグリーと呼ばれるターバンを巻きつけている。
襟ぐりが深く、上半身がぴったりとした丈の長いワンピースを着ている女の人もいるけれど、基本的には男女問わずにこの服装なようだ。
私とナナホシは、すれ違ったおばあさんに、若い女がそんなに太ももをむき出しにしてはしたない、と注意されてしまった。
仮面で顔を隠しているのにも関わらず、ナナホシが不躾に「いくらで寝てくれる?」と訊かれることも数回。
胸より脚を隠すべし、という感覚は、他の国より強いらしい。
その辺は明治の時代に近いかもしれない。
三幅前垂れがほしい。
そんなこんなありつつ、長い階段を登って城門の目の前にきてみると、大きな城の全貌はすっかり見えなくなった。
いざ訪問。
ところが。
「あのなぁ、お嬢ちゃん、おじさんたちは仕事中なんだ。使者ごっこは友達同士でやりなさい」
「ごっこじゃないです」
腕輪を見せて、オルステッドに書いてもらった人質の解放をお願いする手紙もみせた。
門番の兵士はそれを矯めつ眇めつし、「造りは立派だな」と呟いた。
そうでしょうとも。玩具ではないのだ。
「腕輪は家から持ち出してきたのか? 手紙は暇人に書かせたか……手の込んだ悪戯だが、ダメなもんはダメ。嬢ちゃんたちは通せないぞ」
「悪戯じゃなくて、私たちは本物の龍神オルステッドから――」
「君も、そんな不気味な面なんて被ってないで、姉ちゃんなら妹の躾はしっかりしてくれよ」
「あなたじゃ話にならないわ。もっと上の人を出して」
ナナホシは使者である証拠を出しつつ食い下がったが、門番は苦笑して、強がっている小さな子供を見る目だ。
彼女は粘ってくれたが、結局、一歩も進展せず。
門前払いをくらってしまった。
さっそく手詰まりである。
撤退し、何がダメだったのか考える。
「外貌ね」
ナナホシは腕を組み、淡々と答えた。
「私たちに不足しているのは、貫禄よ」
「かんろく……?」
「頼もしさ、って言ったらわかる? そうね、私と、オルステッドが並んだら、どっちが立場のある人に見えるか、明白でしょ?」
「強そうじゃないと、お城に入れてもらえない」
「そういうこと」
ペルギウス様は入れてくれたのに……。
あ、でも、空中城塞で療養させてくれたのは、オルステッドの頼みだったからだ。
偉い人と交渉するときは、こちらも偉くなくては取り合ってもらえないという事か。
オルステッドはそんなこと教えてくれなかった。
何でも知っている彼も、こうなる事はわからなかったのだろうか。
「オルステッドは、人に怖がられることはあっても、舐められたことはほとんどないんじゃないかしら。だから予測できなかったのよ。
……とにかく、私たち二人だけでは、いくら言葉を尽くしても、オルステッドの名代である証拠を揃えても、女子供のごっこ遊びにしか見てもらえないわ」
そんなあ。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
「冒険者ギルドに行きましょう」
ナナホシはそう提案した。
「身なり……は、こっちがどうにかできるとして、ボロが出ない程度には、礼儀作法を心得てる男性がいいわね」
なるほど。
女子供だけではだめなら、貫禄のある人に同行を頼めばいいのだ。
見た目が弱そうという一点だけで、私たちの抗議は聞き入れる価値がないものとされた。
私は一端の大人のような口を利けないから、ハラハラと見ているだけだったけれど。
原理がわかってみると、なんだか悔しい。
「ナナホシ、私のために、ありがとうね」
「いいのよ。はやく妹と……義理のお母さん? メイドさん? に、会えるといいわね」
我が家の家族構成は説明しているが、ナナホシは妾の存在に馴染まない。
未来の大日本は、私が思っているよりも一夫一妻が強固になっているのだった。
紛争地帯の国、ガルデニアと比べると、シーローンは良い国だ。人々に活気がある。
城を囲む防壁の外側には、煉瓦造りの小屋が並び、行商人や薪の山を背負って運び入れる者などが行き交っている。
掘り抜きの井戸の周りでは女たちがおしゃべりに興じ、従卒の家族らしき女たちは行商人に色リボンを広げさせ、私と同じくらいの子供たちは騎士ごっこに興じていた。
それぞれ肩車に乗って、相手を引きずり落とそうとしている。
私は人形遊びの方が好きだから、騎士ごっこの楽しさはわからないけれど、楽しそうにしている人たちを見ると、嬉しくなる。
人に冒険者ギルドの場所を訊ね、向かっていたら、いやに騒がしい一角があった。
あそこでも騎士ごっこをやっているのだろうか。
そう思って目を向けた先に、気が滅入る光景があった。
子供たちが騒ぎながら小石を投げつけていた。
的は、処刑柱に括りつけられた女だ。
もう息はないのだろうか。がっくりと頭を垂れ、石があたっても、身じろぎをしない。
十四、五に見える少年が、女を縛った綱を切ろうとしていた。石は、彼にも浴びせられる。
当たるたびに、おさえた悲鳴をもらしている。
前言撤回だ。
人が楽しそうにしていても、そのせいで一方的に傷ついている人がいるなら、気分が悪い。
しかし、衛兵たちも眺めているが、どちらの側も咎めようとしないのは、どういうわけだろう。
罪人なら、綱を切るのはご法度のはず。
「っとに、クソみたいな治安……」
ナナホシが仮面をおさえた。彼女は通りかかった衛兵を呼び止め、あれはどういう事かと訊いた。
「三日晒しの後、追放の刑だ。今日の昼で三日目が終わったから、息子が縄を解こうとしているんだ」
「あなたが解いてあげればいいじゃないの」
衛兵は肩をすくめただけで去った。
処刑は終わった。
「やめて! 石を投げるの、やめて!」
私は子供たちに言った。何人かがちらりとこちらを見て、戸惑い、視線を逸らした。
戸惑った顔をしたくせに、仲間内で目配せをすると、しだいに口元にニヤニヤと笑みが浮かんで、おしまい。
ひとりとして止める者はいなかった。
昔々、シルフィも石を投げられていた時期があった。髪が緑色である故のいじめであった。
やり返せていたらよかったのだが、その時のシルフィは、そこまで強い子ではなかった。
いじめを見つける度に介入し、いじめられっ子を守っていた兄は当時五歳である。
今の私より三つも年下だ。
無辜のいじめられっ子と、罪人の処刑では、事情が異なってくる事はわかっている。
でも、過度な罰といじめは、何が違うというのだろう。
――いいか、シンディ。いじめは絶対にやっちゃいけない。もしいじめられている子を見つけたら、必ず助けてあげるんだ。
うん、わかったよ、お兄ちゃん。
石を投げる子供たちに、左手を向けた。
袖から蛇が落ちる。すさまじい速さで子供たちの足のあいだを潜り抜けた。
トウビョウ様の蛇に片足をすくわれて、彼らは一斉に転んだ。
きょとんとしてる子、転んだ拍子に手に持った石が頭に当たって泣きだしたのもいて、石投げは止んだ。
短剣を持って処刑柱に近寄るナナホシに、頭が血まみれになった少年が強い目で立ちはだかった。
ハユル! と、叫んだ。聞き馴染みのない言葉であった。
髪も目も濃褐色で、人族に見えるが、違ったのだろうか。
「やめろ! 殺すな! 刑は終わったんだ!」
人間語であった。先ほどのは、ただの土地訛りだろう。
「わかってるわ」ナナホシが応じた。「綱を切るから、倒れないように支えていて」
切れ味のいい短剣を使ったから、足首、胴を縛りつけた縄は、簡単に断ち切られた。
三日間、一度も解かれる事はなかったのだろう。女のズボンと足元は湿っていて、饐えた臭いがした。
顔は紫色に腫れ、元の人相が分からないほどだ。
手足は死体のように冷えていたが、胸はかすかに動いていた。
柱の後ろに回した手首を括りつけていた縄も、ナナホシは切り離した。
くずれかかってくる女を、少年がささえた。
ぐったりした母親を背負った彼は、「ついてくるな」と、厳しい声で後ろを歩く私に言った。
黙って腕の痣を治してやると、何も言われなくなった。
「こっちよ。馬小屋なら、使ってもいいって」
介抱できる場所を探し、小屋の持ち主に許可をもらっていたらしい。ナナホシが手近な馬小屋に案内した。
中には馬が三頭いて、糞尿の臭いがむっとした。
王城近くの馬小屋だが、王族の馬ではなく、雑役に使う馬なのだろう。
ずんぐりと太い脚こそ同じだが、毛艶はうちのカラヴァッジョのほうがうんと良い。父様が丹精込めて世話をしていたからだ。
積んだ寝藁に横たえられた女の患部に、右手を翳した。
淡い緑色の光が、馬小屋の隅に満ちた。初級の治癒魔術で、痣や腫れはかなり引いた。
「お前、小さいのに治癒士か。もしかして、小人族?」
「ううん。お母さんとお兄ちゃんが魔術師だから、教えてもらったの」
外に出て、戻ってきたナナホシは、手桶に水をくんでいた。
手桶を少年が受けとった。
「母ちゃん、水だよ。飲みなよ」
唇をしめらせ喉に流れ入った水は、彼の母親に生気を取り戻させた。
「隣の鍛冶屋に金を払っておいたから」と、ナナホシは言った。「あとでスープを届けてくれるわ」
彼はあぐらをかいた姿勢で、白い仮面をつけたナナホシに、深々と頭を下げた。
裂けたこめかみから血が一筋も二筋も流れたので、私は焦って彼の怪我も治した。頭は大事な部分だ。
「アルスル・フック」
と、少年は名乗った。
私とナナホシも、それぞれ名乗り、簡単な自己紹介を済ませた。
アルスルの母親の名はネルといった。
鍛冶屋の女房からスープが届けられると、アルスルが片腕に母親を寄りかからせ、片手で木の椀を支え、飲ませた。
頬に少し血の色が戻った。
「シーローン人ですか」
ネルさんは、初めて喋った。
喉も痛めつけられたのか、嗄れた声であった。
「私たちはアスラ人です。転移事件で故郷を失い、オルステッドという男と旅をしています」
ナナホシが答えた。
異世界からきた、と毎度事情を説明するのも事なので、彼女は人に訊ねられてもこう答えるようにしている。
ネルさんの瞼が震え、茶色の眼が細くこちらを見た。
「ありがとうございました。ご自分たちも大変な時に……。夫は、どうなりましたか」
私たちは顔を見合せた。
ネルさんのそばに居たのは、アルスルだけだ。夫らしき人は、見なかった。
「母ちゃん。父ちゃんは、まだ囚われてるよ。パックスの野郎に」
腹の上で祈りを捧げるように組まれた指が細かく震え、痙攣が激しくなるネルさんの躰を、アルスルが抱きしめた。
ラタキアに入るにあたって、オルステッドから「絶対に殺すな」と厳命されている人物がいる。
シーローン王国第七王子、パックス・シーローン。
奴隷商人、ボルト・マケドニアス。
この二人だ。
彼らはオルステッドにとって必要な人物であるらしい。
その割には、個人的な好意みたいなのは感じられなかったが。
「何があったの?」
思わぬ繋がりに驚きつつ、訊ねた。
「俺の父ちゃんは、パックス殿下の親衛隊なんだ」
「パックス」アルスルは、憎々しげに吐き捨てた。
「あのバカ王子は、アスラ人の母娘を監禁している。その母娘はむかし城にいた、ロキシーっていう王級魔術師の関係者だったらしい。だから彼女を取り戻すための人質にされたんだ」
ロキシー。
懐かしい名前である。
彼女もかつてシーローンにいたのか。
そういえば、母様たちが話していた事がある。
宮廷魔術師になったんですって。さすがロキシーちゃん。と、褒めていた。
「人質の娘のほうが、まだ四歳なんだけど、たいそう賢くて愛らしいそうだ」
リーリャとアイシャのことだ。間違いない。
だってアイシャは賢くて可愛いのだから。
リーリャとアイシャが、ロキシーを取り戻すための人質になっている。
なぜか城から出られなくなっている事は知っていた。
視る限りでは、そうして、偵察してくれたアルマンフィさんの話では、軟禁状態で行動の自由を奪われた以外にひどい扱いは受けていないようだったから、安心していた。
もっと過酷な環境にいる、私が助けるべきブエナ村の住民はいたし、霊力はそっちに多く割いていたのだ。
どうして囚われているのだろう、と思っていたが、そんな事情だったのか。
「父ちゃんは母娘を可哀想に思って、娘だけでも逃がしてやろうとした。脱出の手引きをする冒険者も雇ってな。だけど、冒険者が裏切った。脱走計画を王子に告発したんだ。謝礼金を目当てにして……。
パックス殿下はカンカンさ。意のままに操れると思っていた親衛隊に、謀反を起こされたんだからな。
父ちゃんは投獄され、おれたち一家は追放処分。母ちゃんは見せしめに、三日晒しの刑だ」
「……」
胸が痛む。
フック一家は、私の身内を助けるために動いていた。
それなのに、こんな仕打ち。
まだ顔も見たことがないのに、パックス・シーローンに対して、心の中に澱のような感情が積もっていく。
馬小屋の中をうるさく飛び交い、ときどき手で振り払わければならない蝿と同じくらい、いやな人だ。
「ごめんね……」
「どうして謝るんだ?」
「その四歳の子、私の妹なの。大人の人質は、私の義理のお母さん」
「えっ!」
アルスルが目を見開き、何かを言いかけたとき、小屋に人が入ってきた。
「アルスル、探したぞ」
少年は、飄々とした顔をアルスルに向けた。
シーローンに来てから、金髪を見かけたのは初めてだ。
金糸のような髪を顎の高さに切り揃え、端正な顔立ちで、年頃はアルスルと同じくらいだろう。
「俺が行くまで待てと言ったのに」
「待て? 三日も待った! 母ちゃんがあんな目にあってるのに!」
気安い仲なのだろう。
金髪の少年を前に、アルスルはおさえていた感情が噴出したようだった。
少年はアルスルの肩を叩いてなだめた。
「ガキども、刑が終わったこともわかりゃしないから、石を投げ続けるんだ。誰も、止めなかった」
「俺が追っぱらい、お前が綱を切る手筈だった。石の当たりどころが悪くて、アルスルまで倒れたら、誰がネルおばさんの介抱をするんだ」
「おれの傷はもう塞がった」
アルスルはビッと親指で自分の頭を指した。
流れた血が固まり、黒く変色し始めている。
「そんなに早く治るわけが……いや、本当に治ってるな」
「シンシアは治癒魔術を使える。母ちゃんの具合も、だいぶ良くなった」
「そうか。あなたが助けてくれたのか」
金髪の少年がナナホシを見て、「違う。仮面を付けてるやつは、ナナホシ」とアルスルに訂正され、え? じゃあ……、と半信半疑といった視線を私に向けた。
ネルさんが囁きに等しい嗄れ声を出し、耳を口元によせたアルスルが頷いた。
「ナナホシ、シンシア。宿がまだだったら、家に泊まっていけよ。ろくなもてなしはできねえけど」
「どうする? ナナホシ」
「じゃあ、二、三日だけ、お世話になろうかしら」
旅籠に泊まる金に困っているわけではないけれど。
「頭を打ったなら、容態が急に悪くなるかもしれない。しばらく見ていた方がいいわ」と、ナナホシは小声で私に言った。
「ここからなら、うちが近い。コレットもいるし、俺の家に泊まっていくといい。アルスル、お前もだ」
「そう? いいのか?」
「俺は構わない」
「あなたたちは?
知らない言葉だったけれど、お世話になります、ととりあえず頭を下げた。
「お兄さん、お名前は?」
名前も知らない人の家に泊まるのも何なので、名を訊いた。
「こいつ、おれの親友」と、アルスルは彼と肩を組んだ。
「ジェイドだ。よろしく」
金髪の少年は、にこりともせずに名乗ったのだった。
アルスルに背負われたネルさんの様子をチラチラと伺いつつ、ジェイドさんの家に案内された。
木組みに土の壁、茅葺きの小屋である。ブエナ村の家ほど十分な広さはなくて、私とナナホシがいるとやや手狭になった。
ネルさんはすぐにベッドの代わりの藁の山に寝かせられた。
気遣いか、ジェイドが衝立をもってきて、私たちの目からネルさんを隠した。
「家に母さんはいない。父さんは仕事で今夜は帰らない。何か必要なものがあったら、妹のコレットに言ってくれ」
十二歳くらいの女の子は、恥ずかしそうにはにかんだ。
小ぶりな鼻と口。上向きの目尻。
金髪のふわふわとした癖毛を伸ばし、ちょっと大人っぽいバレッタで留めている。
愛らしい子猫が人間に変身したみたいに、綺麗な女の子だ。
同じ中央大陸なのに、ラノアやアスラ王国と比べると、シーローンの人の髪色は濃い茶色が多くて、肌も浅黒い人が多い傾向があった。
そんな中で、ジェイドとコレットは珍しく金髪に白皙の肌である。
浮世離れしていて、美しい兄妹だと思った。
コレットは、白魚のような指で、土間に放たれていた雌鶏を指した。
私は首をかしげた。鶏がどうしたのだろう。
「客が来たから、鶏を絞めて振る舞う、と言っている」
ジェイドが代弁した。
「妹は、極端な無口だが、啞じゃない」
あなたがたの言葉も理解している、と、ジェイドは私たちに念を押した。
春日影が深い軒に遮られながらのびて、土間の中に明るく溜まっている。
ナナホシがネルさんを看て、私は、コレットと交互に、血抜きをした鶏の羽毛をむしった。
土間では、まだ生きている二羽の雌鶏が、散らばった穀粒をつついている。光の中を泳いでいるみたいだった。
春は、昼と夜の長さが同じだ。
西の空が紅くなり、たちまち落日。すとんと暗くなった。
「アルスルから聞いた」と、ちょっと優しい声をだして、ジェイドが横に座った。
「母親と妹が人質にされてるんだって?」
「うん」
私は口止めされた転移魔法陣やトウビョウ様のことは伏せつつ、身の上を話した。
アルスルも、リーリャたちの名前と特徴を照合して、人違いではないことを確信した。
女子供だけでは門前払いにされたから、冒険者を雇うことにした。これはナナホシが話したのだが、アルスルは首を振った。
「冒険者は、だめだ。この辺には、迷宮が多くて、集まる冒険者も、一攫千金狙いのゲスばかりだ。依頼金を釣り上げるだけ釣りあげといて、その腕輪も指輪も取り上げられて、あんたたちはパックス殿下の前に突き出されるぜ」
「規則違反だろうが、ギルドは王宮の内部には関与できないってことね」
仮面を外し、ナナホシは深いため息をついた。
抱えた膝にひたいを押しつけた。
ひどくお疲れのようだ。
「おれ、ずっと、あんたを手伝う。パックスだって殺してやる。おれの命はどう使ったっていい。代わりに、父さんを助けてやってください」
「やめてよ。なんでそんな事を私に言うの、だいたい、助けるのは、シンシアの家族なのよ。私のじゃなくて」
「あっ、そっか……」
ナナホシの声がトゲトゲしい。
やっぱり、疲れているのだろうか。私のために頑張らせすぎたか。
「……とにかく、命なんて賭けなくていいから」
「そうだ」と、ジェイドが便乗した。「お前の命と引き替えに暗殺する価値もない。城に忍び込んで、フックさんも、この女の子の家族も、助ければいい」
「俺は、城の構造も、獄の位置も知っている。外からもぐり込める場所も」
「本当か!?」
「前に話したが……聞いてなかったな、お前」
アルスルは決まり悪そうに首をかいた。
「どうしてそんなこと知ってるの?」
「父さんは、今の仕事場を建てる前に、火薬の製作場を作る場所を色々探していた。硝石を作るための特殊な土を採集できる場所も、見てまわった。硝石集め人に入れない場所はない。俺はいつも付いていったから、詳しいんだ」
「城に忍び込むってことだよな?」アルスルはけわしい顔をした。「もし見つかったら、お前まで」
「ああ。父さんは、村の決まりをおかして、火薬作りの親方についた。借金までして、ラタキアの市民権を買い……。死刑を免れても、追放か。でも、農民には戻れないし、行くところはない」
「
青ざめたコレットが、ジェイドの腕にしがみついた。ぶるぶる震えていた。
「作戦会議だ」ジェイドは笑顔をみせた。「俺が何かしようとして、失敗した事はないだろう?」
私は、三人の絆も、過去も、知りようがない。
それでも、何やら危ない橋を渡ろうとしているらしいぞ、と、悟らずにはいられないのだった。