桶の湯に浸した布を、コレットが絞った。
裸にしたネルさんのからだを拭う。女同士ということで、ナナホシが手伝った。
いちばん小さいと、何か仕事を任されることも少ない気楽な立場である。身の置き所に迷うとも言う。
私は間仕切りを越えて、炉の火明かりがとどく場所で、紙を囲んでぼそぼそと喋るアルスルとジェイドの所へ行った。
紙には城の見取り図がおおまかに記されていた。
ジェイドは、燃えさしで天守の西側の壁に印をつけた。
西壁は、城壁とひとつになっているようだ。
「城を囲む掘り割りは、ここだけ、浅くなっている。皆が芥を投げ捨てるからだ。便所の縦穴も、堀に通じているしな」
「穴をよじ登って、忍び込むのか」
「ああ。穴のあるところは、その分、せり出している。その向こう側――地面すれすれのところに、地下の獄の、明かり取り窓がある。鉄桟が嵌っているから、もぐりこむ事はできないが、囚人がいるかどうかは見分けつく」
「父ちゃんは、そこに……」
「いや」と、ジェイドは城から離れたあたりにも印をつけた。
あれは、昼間に見下ろした、深い濠ではなかろうか。
「昔は、王宮があった場所だが、今ではただの貯水池だ」とジェイドは脇から覗き込んだ私に言い、 ちょっと横を指し、「パックスが無理やり従わせている兵士の、その家族を捕らえている私設牢がここだ。こっちに監禁されている可能性もある」と、アルスルに説明した。
ぽむっと私の頭にアルスルの手が置かれる。
「どっちから行く?」
「城だ。誰がいつどこを守るか、パターン化されているから忍び込みやすい。
反対に、私設牢は、パックスが奴隷市のツテで雇った私兵が適当に守っていて、却ってやりにくい。何日か張り込んで、警備が手薄になるのを待つ」
「よし。わかった」
アルスルが頷いた。
ナナホシも来ていた。ネルさんの清拭は終わったらしい。
「忍び込むとか、張り込むとか……正気なの? 捕まったら、あなたたち、ネルさんみたいな目に遭わされるんじゃないの?」
「正気だ。けっこう強いよ、おれ」
アルスルが壁に立てかけられた剣をとり、土間に駆け下りて、振りまわした。
たぶん水神流の型だろう。素人評価だが、かなり様になっている。
「父ちゃんが親衛隊だと、訓練所にも顔が利くんだ。昔から、特別に、兵士に混ざって鍛えてる。上級の認可も受けた。ロキシーから対魔術の戦い方も習ったから、今すぐにだって、兵士として働けるよ」
コレットがぷくっと頬を膨らませて拳を振りあげた。
怒っています、という顔と仕草だ。わかりやすい。
「悪い悪い。わかったよ、家の中では、振り回さないよ」
アルスルが抜き払った刀身を鞘にしまう。「ジェイドさんも?」と、私は訊ねた。
「俺は兵士の訓練所には入れない」ジェイドは首を振った。「剣術はアルスルから教わった」
アルスルが胸をはる。
「その通り! 剣術はおれのほうが強い!」
「勉強は俺のほうがよくできる」
「うぐ……。そうだよ、卒業できたのは、ジェイドが見てくれたおかげだ」
互いに張り合いつつ、互いの不足分を補う関係のようだ。
今年卒業したそうだが、学校も同じだったらしい。いいね、学校。
ジェイドはしばらく考えて、ナナホシに言った。
「俺たちが城に忍び込む前に、ナナホシとシンシアは、コレットとネルおばさんと一緒に隠れていてくれ」
「……あなたがヘマをしたら、私たちが捕まるって?」
「万が一に備えるだけだ。この家は無人にしておく。元々火薬製作場を作る予定だった森に、掘っ建て小屋を建てて、俺と父さんとコレットと――三人で住んでいた。今は空き家だ。住んでいたのはごく短い間だし、場所を誰にも知られてない」
「はぁ……わかったわよ。小屋の場所を教えて」
捕まる、との言葉に不安になったのか、コレットがまた青ざめた。
空気を抱え、指をはじいた。楽器でも鳴らしているような仕草である。
「ああ……大事な話は終わったよ、コレット。琴を弾いてもいい」
コレットはそれを聞くなり、いそいそと長持から竪琴を取り出した。
演奏を聞けるのだろうか。
見つめていると、コレットは私の方に体を寄せた。竪琴も膝に置かれる。
密着すると、コレットはちょっとにおった。いやだとは思わないが、見た目は清潔なのに不思議だ。
弾いていいよ、と、目顔で言われ、適当な弦に指をかける。
ぴょいぃん、と、妙な音がして、コレットと顔を見合せて吹き出した。
「コレットちゃんが弾いてみて。聞きたいな」
お願いすると、彼女はにこっとして、琴を持った。
指は光の弦をたぐりよせるようで、音色は水晶の鈴のようであった。
花の香碎く風をあらみ、
細き眉毛を顰めつつ、
袖の心を知るや君
歌う声はなめらかに高く、すずしく張りがあった。
自在な松風とも、川の流れとも感じた。
歌うのはコレットで、彼女が声を発したことに驚くより前に、聞き惚れた。
喋るのも、物音を立てるのも憚られ、聞き入る。
そのうちにとろとろと眠たくなってきて、その日は終わった。
翌日の早朝。
ジェイドが何やら出かける支度をしていた。
お仕事だろうか。
良い機会だと思い、私は訊ねた。
「硝石集め人って、どんな仕事なの?」
「コレットへの友好的態度を崩さないと約束するか?」
「する」
「よし。見せてやる」
ジェイドは私をともない、町に出た。
目的地に至るまでに、多くの坂、入り組んだ細い路地を歩いた。
昨日、王宮に至るまでに通った道に、煉瓦の家ばかりが並んでいたのは、富裕層の住宅だったからだろう。
ジェイドが先導する区間には、木造の平屋がひしめいていた。高くてもせいぜい二階建てだ。
そんな中で、珍しく石造りの大きな建物を見た。
ドーム型の天井に、規則正しく並んだ丸い小さい穴から、湯気がもくもくと出ている。
「
「銭湯ならラノアにもあったのよ」
「へえ?」
丸ごと天幕に覆われた市場も通った。
香辛料の強いにおいが漂い、穀物だの豆類だの果物だの野菜だのが山積みになっている。
金細工や銅細工を店先で作りながら売りさばく店もある。
鮮やかな色彩の透き通るほど薄い布が翻り、そこらで売り手と買い手が喧嘩腰で値段交渉をしている。
朝のこの時間は人でごった返していて、人に何度もぶつかる。
市場では何度かジェイドとはぐれかけ、その度に、ジェイドは腕をぐいと掴んで私を引き戻した。
賑わっているが、人垣にさえぎられ、何が行なわれているかわからない一郭があった。
「あれは?」
「奴隷の競りをやってる」
少しの掛け違いがあれば、リーリャとアイシャがあそこで売られていたかもしれない。
他の転移者のことを考えれば、私の家族は豪運揃いだった……という事か。
でも、真に豪運だったら、そもそも転移被害区域には住んでいなかったはず。
起こった以上は、間が悪かった、と受け入れる事しかできないけれど。
火薬製造場に着いた。
強烈な悪臭が熱風にのって襲いかかる。
外套で鼻と口を覆うとだいぶましになった。
開いている目には依然として襲いかかり、何度も瞬きをするうちに涙が滲んできた。
「おおお……」
大勢の人が焼ける悪臭は紛争地帯で嗅いだが、これは別種の強い臭いだ。
ジェイドは平気な顔で竈に近寄った。
石の竈の中で、紅く燃え
悪臭は、その上に乗せられた鉄の大鍋から流れる。
「中身は、水と灰、そして土だ」
土って煮るとこんなにくさいの、と訴えたが、布に遮られ、もごもごという音しか伝わっていないだろう。
ジェイドは、何人かいる精製人の一人に近寄り、言葉を交わした。昨日焼いた鶏肉の包みを渡した。
あの腕が丸太のような男が父親なのだろう。金髪が同じだ。
そこに、男が二人かがりで荷車を運び込んだ。
ジェイドは勝手知ったるというふうに、木箱の縁を取りのける。
中身はぎっしりと詰まった土だ。
ジェイドは土を少しとり、舌にのせた。土を運び込んだ男に頷いた。
「いい土だ。どこから採った?」
「へぇ。教会の小便溜めでございやす」
ジェイドは大笑いし、「教会の礼拝はおそろしく長い。小便もたっぷり溜まるだろうさ」と、男の肩を叩いた。
町中の尿がしみこんだ土を、鳩小屋、豚舎、民家の厠からも――集める人のことだ。
硝石の結晶は、この土を煮込んだ溶液から採れるのだそうだ。
精製した硝石に、ローラーを使って、炭や硫黄をすり混ぜる。
混ぜた粉末をさらにすり潰し、よく乾かして、黒色火薬の完成。
「土の善し悪しは、舌で判断する。味は塩辛い。舌に触れると冷たくて泡がたつのが、硝石をよく含んだ土だ」
と言って、私にも見えるように、土をちょっとつまんで舌にのせた。
凝視すると、シュワシュワと小さく泡立っている。面白い。
おしっこが火薬の素になるだなんて知らなかった。
魔法三大国の都市であるカーリアンでは、厠は用を足した後に水を流す様式だったが、それ以外の町では、だいたい掘り抜きか土かけだ。
当然ブエナ村も土かけ便所だった。
でも、その土を掘り返す人たちが来たことはない。身の回りにもいなかった。
火薬はシーローンでしか作られていないのだろうか。
「作った火薬はどうするの?」
「アスラ王国や王竜王国に売るんだ」
「その二国は火薬をどうするの?」
「紛争地帯へ売る」
私は周辺の地理をおおざっぱに思い返した。
遠い。アスラ王国と、王竜王国と、紛争地帯の距離が、遠い。
「シーローン王国が、ちょくせつ紛争地帯に売ったほうが早くない……?」
「そうもできない」
国交ってふくざつだ。
火薬製造場から帰る途中で、子供たちに指をさして笑われた。
私が何か変なのだろうか。格好がこの国の人とは異なるからか。
そわそわと落ち着かなくて、何となく猫背になる。
「ひゃっ」
「縮こまるなよ。弱そうに見える」
パシンと背中を叩かれた。ジェイドは堂々と歩いている。
「〈小便集め〉が来たぞ!」
「くっせー!」
「便所に瓦を被せろ! 根こそぎ土を持っていかれるぞ!」
彼らの標的は、私ではなくて、ジェイドだったようだ。
私がこう言われたらしばらく落ち込んでしまうだろう。
ジェイドは、しつっこくついてくる子供たちをふりむき、とても怒った顔をした。
怒気に満ちた顔で、はやし立てる子供たちを睥睨した。
子供たちは次第に怯えて逃げた。
「ふん」
スンとジェイドは無表情に戻った。
顔面七変化だ。
「ああやって、適度に怖がらせておく」と、路地裏で、放置された木樽に腰かけて作業をはじめたジェイドが言った。
「調子に乗らせると、コレットへの嫌がらせも酷くなる。過度に懲らしめると、弱いコレットが報復の標的にされかねない」
いつの間に持ち出したのか、布にくるんだ黒色火薬を膝にひろげている。
破いた上着の布切れに小分けにして包み、解いた糸で口を縛り、小さな小包を幾つも作っていた。
なんだか昔を思い出す。
庭木の葉をちぎり、どんぐりや花を包んで麻の紐で留めたのを、「森に住まう巨体妖怪……のお土産だ」と、不思議なことを言いながらくれた兄が思い出された。
私は初めから終わりまで兄が作る所を横で見ていたのに、なぜかそう主張して譲らないのだった。
ジェイドが包むのは黒色の粉末である。
彼も妹に包みをあげるのだろうか。
「妹は、幼い時は利発で、言葉をおぼえ喋るのも、同じ年頃の子よりはるかに早かった」
「アイシャもよ」
「だが、道を歩けば、ああいう風に馬鹿にされ、これみよがしに鼻をつままれる。俺は何を言われたって響かないが、コレットは女の子だ。不潔だと蔑まれるのがどれほどの侮辱か……。
コレットは深く傷つき、喋ろうとすると酷く吃るようになった。吃るのを恥じて、いつしか喋らなくなった」
「昨日の歌はきれいだったよ」
「そうだろう。あれが、コレットの本来の声なんだ。竪琴を奏で歌えば、声は自由に解き放たれる。
今ではもう、すみやかに流れるコレットの言葉を聞けるのは、琴の調べにのせた時だけだ」
ジェイドは寂しそうにした。
完成したそれらを懐に入れ、立ち上がった。
ひとつ私にもよこされる。
「この量なら、爆発の威力はすこぶる弱いが、煙は大量に出る。人の注目を他へ逸らしたい時は、火をつけて遠くに投げて、火事だと叫べばいい」
「ありがとう……」
「火薬は湿気ると腐るから、濡らさないように気をつけろ」
「うん」
何かもらってしまった。
森に住まう巨体妖怪なの? と訊いたら、きょとんとされた。違ったみたいだ。
火薬製造人を父親に持つジェイド。
彼もまた精製の知識を持っている。
「ジェイドさんはお父さんの跡を継ぐの?」
「俺は兵士になるよ」
「シーローンだと、どうやって兵士になるの」
「
シーローン王国は、三年から六年に一度、国の健康な子供を集め、兵士にする習わしがあるらしい。
直前の徴募が五年前である。次の強制徴募は来年だろうとの事だった。
「俺は長男で、弟もいないから、辞退が許される。だが、しない。火薬を作るより、兵士になり、出世したい。コレットのためにも」
強制徴募で集められた農民や下層民の子供たちは、
そこでは、身分に関係なく、能力次第で出世できるそうだ。
硝石集め人で火薬作りの娘、コレット。
歩兵軍団の長の妹、コレット。
後者の肩書きの方が、市民には魅力的に映るのだ。
「コレットみたいな子が、いじめられるのは、おかしいじゃないか」
ジェイドは憮然と言った。
眼には固い決意が宿っていた。
「半生でつらい目にあった分、あの子は誰よりも幸せになる権利がある。俺は、妹を、国で一番幸福な女性にする」
「そんなこと……」
「できる」
神様は俺に味方している、と、ジェイドは口元を歪めた。
硝石集め人に向けた快活さの欠片もないほの暗い笑みは、次の瞬間には失せていた。
「このことは誰にも言わないでくれ。俺の頭がおかしくなったと思われるからな」
ジェイドは冗談めかして言い、少し先を歩いた。
……うん、きっと冗談にちがいない。
私はトウビョウ様に憑かれているけれど、信仰と恐れこそあれ、全能感はおぼえないもの。
家に戻る頃には、昼前になっていた。
ネルさんは、上半身を起こして喋れる程度には回復したらしい。
アルスルと少し会話をすると、また眠ったそうだ。
昼食の支度を手伝っていると、兵士が一人で訪ねてきた。
家の中の空気がピリッとする。
アルスルは剣をとり、母親を後ろに庇い、いつでも抜き放てるようにした。
彼ら一家は町から追放という事になっているが、父親を置いていけるわけがないし、ネルさんはまだ歩き回れるほどには癒えていない。
父親も行方知れずのまま、衰弱した母親と町を出るのは、どだい無理な話なのだ。
「失礼つかまつる! 龍神の使者はいずこか!」
聞き馴染みのない言葉に、シシャ? と、きょろきょろ周りを見てしまった。
ジェイドがナナホシを連れ、家の前で応対することになった。
「……私たちは、昨日そちらに追い返されたはずだけど?」
ナナホシが不機嫌そうに腰に手を当てる。
そうだった。龍神の使者って、私たちのことだった。
「先日の無礼をお許しいただきたい。あなたがたにお引き取りいただいた直後、パックス殿下より、ただちに使者様を迎え入れるようにと命令が下ったのです」
「で、どうして昨日の今日で、私たちがここにいるとわかったの?」
「旅装の二人組みの少女は目立ちます故。情報は直ちに集まりました」
「……」
「数々の非礼をお詫び申し上げる」
元より兵士から遠かったナナホシの心が、さらに遠ざかっていくのを感じる。
捜索されていたとは。
ぜんぜん分からなかった。
私たちの周辺を調べたなら、家の奥に、アルスルがいる事も知っているのだろうか。
知っていて、何も言わないでいてくれるのだろうか。
顔に傷のある兵士は、感情をできるだけ排したような様子で立っている。
「リーリャとアイシャに会わせてくれるの……くれるんですか?」
「もちろんです」
やった!
私はいそいで家の中に戻り、身支度を整えた。
腕輪と指輪を通した革紐も、ちゃんと首にかけておく。
ひそひそ声で、アルスルに「城に入れてもらえることになったの」と告げる。
「アルスルのお父さんのことも、こっそり探してくるね。お父さんの名前は?」
「ハーマン・フックだ。……気をつけろよ。パックスはろくでもない奴だ」
「大丈夫よ」
トウビョウ様を使える限り、抵抗の手段がまったくないわけでもない。
パックスを殺すのはダメ、と言われたが、それ以外、たとえば軽く怪我をさせたり、失神させたりするくらいならいいのだ。
出かける前に、一応穏やかな顔で寝ているネルさんを視た。
頭が痛くなった。
鞄から貨幣だの魔石だのを入れた袋を出し、アルスルに押しつけた。
「これ、使っていいから。お医者に見せてあげてね」
「あ、おい」
家を出て、兵士の前に立つ。
「招かれているのは、そちらの、幼い……」
「シンシアです」
「シンシア殿のみです」
殿なんて付けられると、こちらが偉くなったみたいに錯覚してしまう。
実際は、そんなことはないんだけれど。
私は、ナナホシがいっしょじゃないとちょっと不安だな、と思った程度だったのだが、ナナホシは不審感をあらわにした。
家を守るように立って話を聞いていたジェイドもだ。
「それっておかしいわよ。あなた本当に王宮から寄越された兵士?」
「自分は王城警備隊所属のシャイナです。パックス殿下はシンシア殿のみと仰られました」
「シンシアは小人族じゃないわ。子供よ。子供と、人質解放の交渉をしようとしてるってこと?」
「……その通りです」
ナナホシがピリピリしている。
私、もう8歳なのに、一人にできないほど信頼されてないのだろうか。
あるいは、王宮でとんでもない失礼をやらかすと思われているのだろうか。
ジェイドを見上げた。
「子供はバカじゃない。それは、俺たちもわかっている。まあ、君はちょっとマヌケそうだが……」
「えへ……」
「子供はバカじゃないが、例えば、十になる前の商人の子供に、多額の金が動く商談をもちかける大人はいないだろう。簡単な伝言なら頼むにしても」
たしかに。
頭の出来はあまりよろしくない自覚があるので、馬鹿じゃない、というのには手放しで頷けないが。
ジェイドの例え話はわかりやすかった。
子供に大事な交渉をする大人はいない。
成人前は、責任をとれない齢とみなされるからだ。
子供を対等に見ているふりをして、交渉を持ちかけてくる者がいたとしたら、それは、相手を丸め込もうとしている者だ。
リーリャとアイシャの身柄について話し合う気があるのなら、十五は越えたナナホシを招くべきなのだ。
「人質というのが、まず、誤解なのです。リーリャ殿とアイシャちゃんは、ロキシー殿の関係者ですから、丁重なもてなしを受けています」
ガタッと家の奥から物音がした。アルスルだろう。
扉のそばに立つジェイドが後ろ手で、来るな、というふうな仕草をした。
「だったら、もう、転移事件の話は知っているだろう。知ってなお、その人たちは王宮に留まっているのか」
ジェイドが言った。
「アイシャちゃんが、まだ小さいので」と、兵士は答えた。
「昨日、城の周辺を逍遥とされていたパックス殿下は、門番と揉めている使者様方をご覧になっていました。興味を持たれ、調べると、リーリャ殿がシンシア殿の乳母とのこと。
転移事件から一年が経ち、積もる話もあるだろうと、……ぱ、パックス殿下の、寛大な計らいです」
怪しい。
アルスルから聞いた人物像とぜんぜん違う。
兵士の人も、なんだか歯切れが悪いし。
でも。
「行きます」
私は言った。
まずはリーリャとアイシャに会いたい。
視て、城に二人がいることは、嘘ではないのがわかった。
「ご協力感謝する」
兵士はほっとした顔になった。
控えていた牛車に乗り込む前に、ナナホシに耳打ちされた。
「あらかじめ、城の近くにオルステッドを呼んでおくわ。何かあったら、すぐに助けを呼んで」
それは頼もしい。
だけど、私は大丈夫だ。
「それより、ネルさんのことお願いね。あのままじゃ危ないよ」
「……わかった。どうにかしてみるわ」
牛車の足踏み台は降ろされていたものの、ちょっと高いので、ひょいと持ち上げられて、兵士といっしょに乗り込んだ。
成り行きをジェイドの影から見ていたコレットが、ハッとして、あわあわと家の中に入る。
出てきたコレットは、切った黒パンを私に持たせた。革の水筒もいっしょだ。
「……ぁ、ぅあぁっ、ごは、ごはんっ……」
「ありがとう、コレットちゃん。美味しそうね」
小さな吃り声だった。
舌が縺れてくぐもり、喉に土を詰められたような。
琴を奏で歌う時だけ、コレットの声は自由に解き放たれる――ジェイドの言うことは、本当だったのだ。
気遣いが嬉しくて笑顔になると、コレットも笑みを返した。
牛車がゆったりと進み始める。
ジェイドコレット兄妹の家は首都の端のほうだし、王城に着くまでに数時間はかかるだろう。
「あの、兵士さん」
「はい」
「リーリャさんのこと、大事にしてるの、うそでしょ。地下に閉じ込めてるよね」
「……!」
ナナホシたちの前では言わないようにしていた事。
言えばきっと、ナナホシもジェイドも不審感を募らせ、私を行かせてくれなかっただろう。
「アイシャは、ずっと泣いてる。お母さんを出して、って」
「はは……何を言ってるんだい、リーリャもアイシャちゃんも、殿下と一緒に君を待ってるんだよ。今ごろ、三人でお茶でもしているんじゃないかな」
私はそれ以上言及するのはやめた。
途中で牛車から降ろされてしまったらかなわない。
兵士の嘘にのっておけば、とりあえずは、中に入れるのだ。
待っていてね、アイシャ。もうすぐお姉ちゃんが行くからね。
その前に、もらった包みをあける。
お腹が減ったのだ。
「兵士さんも食べる?」
「……硝石集め人の元締め一家と、関わりがあることは、王宮では言ってはいけないよ」
「え?」
兵士はパンと水筒をとりあげ、窓から捨てた。
予想もしていなかった暴挙に呆気にとられる。
「あぁっ!」
我に返り、窓から顔を出す。
落ちたパンと水筒は、浮浪児と思わしき身なりの子供が、さっと拾い上げた。
いや、あの子もお腹を空かせていたのだろうけれど。
あんなに強引な施しがあろうか。
せめて一声かけてほしかった。
「すまない。城に入る前に、何か買ってあげるから」
「どうして取ったの……」
「硝石集め人の子と仲良くしてはいけない。娘が触れたパンを食うなんて、以ての外だ」
むっ。
理屈が読めてきた。
尿がしみこんだ土を触り、時には舐める硝石集め人は、この町の嫌われ者だ。
刑吏のように市壁の外に追いやられるほど、迫害が酷いわけではないようだけれど。
不浄を扱う仕事だから、道を歩けばはやし立てられ、鼻をつままれ、善意であげたパンも無下に扱われるのだ。
やるせない気持ちである。
馬車よりものんびりした速度で牛車はすすむ。
兵士さんは、硝石集め人ではない私には親切で、王宮に着くまでに、色々と教えてくれた。
北神英雄譚発祥の地である王竜王国の同盟国ということで、やはりシーローンでも北神英雄譚はよく語り継がれる昔話であるらしい。
お話に登場する、死神騎士シャイナ。
一見不吉な肩書きだが、どんな死地からも必ず帰還したという逸話から付けられたそうだ。
兵士さんの名前は、その逸話からとって、シャイナだ。
シャイナさん。
元となった人は女だが、最近では男も女もどっちでも通じる名前らしい。
その風潮ができる前は、男はシャンドルと名づけられることが多かったそうだ。
それから、この国独自の国王の選抜方法も、教えてくれた。
「良いことをすると、親衛隊が増えて、悪いことをすると減るの?」
「ああ。そうして、国王が崩御なされた時点で、一番親衛隊を多く抱えた王子が、次の国王になるんだ」
「パックス殿下の親衛隊は何人なの?」
「……最近、二人になった」
意外なことに、シャイナさんはパックスの親衛隊ではなかった。
パックスの手足のように動いているようなのに。
ただの一兵卒だそうだ。
ただの、とシャイナさんは卑下したが、私は否定した。
「兵士さんは、お国のために戦うのが仕事でしょ。すごい仕事よ。誰にでもできることじゃないもの。立派なことよ」
「シンシアちゃん……」
お国のために戦う時など来ないほうがいいが、死への行進はとめられないものだ。
その時に矢面に立って戦うのは、やっぱり立派なことだ。
日清戦争と日露戦争の前も、黒い軍衣を着て宇品港に向かう村の男たちを、村人総出の万歳三唱で見送った。
日露の時は、チサはもう足萎えの盲だったから、お父におぶわれて村人の万歳を聞いたのだっけ。
「シャイナさんは親衛隊じゃないのに、親衛隊みたいなことしてるのね」
「事情が……ね、あるんだよ」
シャイナさんは途中で牛車をとめ、串焼きを何本か買ってくれた。
美味しい。
ナナホシもちゃんとご飯を食べているだろうか。
かて飯のおむすびを一個くれた事といい、彼女は食が細いから心配だ。
そして、王城の手前で、牛車はとまった。
門に通じる階段は自分でのぼる。
牛車で強行したら、ガッタガタに揺れて大変だろうものね。
「疲れたらおぶるよ」
「平気です」
この程度。
転移前は毎日外を走りまわり、転移後も毎日外を歩いている私の負担にはならない。
ちなみに急ぎの用のときは、オルステッドが片腕に抱いて夜通し移動してくれる。起きたら景色が様変わりしていること多々だ。
あそこまでの無限体力はないが、このくらいの階段なら、駆け上がったって息は切れないだろう。
というわけで、シャイナさんと競走した。
負けた。
二段飛ばしの威力には適わなかったのだ。
昨日見たばかりの、背丈の何倍もある石組みの城壁。門の左右に植えられた巨大な鈴懸の木。
正門の門番に挨拶をして、しかし正面玄関は通らず、横道にそれた。
兵士用の勝手口から入るらしい。
ちなみに正門の門番さんは昨日の人と同じだ。
ちょっと気まずかった。
門番さんは兜の下に哀れみを浮かべていた。
「ハァ……あんな子供になあ。殿下も悪趣味な……」
雲行きのあやしい独り言である。
しかし引き返すわけにはいかない。
私は気を引き締めた。
兵士の屯所のような空間を通りすぎ、城の石畳の廊下を歩く。
お城に入ったのは、人生で三度目だ。
ペルギウス様の空中城塞と、アトーフェ様のネクロス要塞と、シーローン王国の王城。
分類は同じ城でも、雰囲気はそれぞれ異なる。色合いも。
シーローンの王城の外観は、小高い山をそのまま建物にしたようであり、尖塔がいくつか聳えている。色は土色を基調とし、青や金で模様を描いた彩色陶板が壁を飾る。
ケイオスブレイカーにいたっては、山どころか、そのまま島だ。比喩表現ではなく。
ネクロス要塞は、黒くて尖っていた。大きくて、おどろおどろしかった。
どれも造りで劣るということはないが、洗練され抜いているのは、やはりペルギウス様の城だろう。
膨大な時の流れに、ぽつんと芥子粒のような自分がいる。あそこにいると、そんな気分になるのだった。
「……」
城に入ってから、シャイナさんの口数が減った。
うるさくしてはいけない決まりがあるのだろうか。
承知。
私はひそひそ声で話しかけた。
「侘びのある噴水ね」
回廊のアーチから見た庭園には噴水があり、傍らには、大石が二つ据えられていた。
噴水のわりに、装飾は乏しく、質素な感じだ。
「あの大石は、切り落とした罪人の首の晒し場。噴水は処刑人が血刀を洗うためのものだ」
「まあ」
血なまぐさい。
しかもシャイナさんは普通の声色で答えたから、べつに小声で喋る決まりはなかったようだ。
客間に通された。
大きな窓から明るい日差しがさしこみ、窓枠には、芙蓉の透かし彫り。
吊り下がるのは、陶器のランタンである。
天蓋つきのベッドまである。
「ここで待っていれば、パックス殿下がいらっしゃる」
「リーリャさんと、アイシャもくる?」
「……ああ」
「案内してくれて、ありがとうございました」
「……すまない」
シャイナさんは謝り、去った。
去った……よね。
よし。
私は迷わず部屋を出て、ジェイドが描いた地図を思い出しながら、リーリャのもとへ向かった。
目指すは西端。王城の獄だ。
アルスルから聞いた好色な人物像。
門番の一人言。
客間のベッド。
いくら私でも、何が行われようとしているのか、察しがつく。
躰はともかく、記憶は生娘ではないのだ。
生前から、男女の逢引も交合も、常に身近にあった。
農村の楽しみといったら、食うこととそれくらいなものだし。
ところで、閨から逃げ出した私の扱いは、反逆者だろうか。
それとも子供だから、迷子だろうか。
最初に邂逅した人の態度で判断しよう。
反応によっては、呪いで少しのあいだ失神させる。
廊下の先を、さっそく人が横切った。
こちらにはまだ気づいていないようだ。
歩いているのは、小さな女の子であった。
お手伝いだろうか。黒のお仕着せに白い前かけを着て、空の食器がのったお盆を運んでいる。
きっと誰かが、あの子の小さな体に合うように、丁寧に袖を折り、裾上げをしてやったのだろう。
お仕着せはだぶだぶだが、動きにくそうにはしていない。
赤みがかかった茶髪は後ろでひとつに束ねられ、フラフラと馬の尻尾みたいに揺れている。
利発そうな顔は、いまにも泣いてしまうのを堪えるように、強ばっている。
まるでアイシャみたいに可愛い子だ。
というか、アイシャである。
「アイシャ!」
小声で叫ぶ。
アイシャは気のない感じでふりかえった。
怜悧さが表れた
ガシャンとお盆が落ちる。
口が、おねえちゃん、という形に動いた。
私はきょろきょろ周囲を見て、誰も来ないことを確認した。
固まっているアイシャのもとに駆ける。
抱きしめて頬ずり。
抱擁すると、三歳の時よりひと回りも大きくなっているのがわかる。
「ずっと会いたかったよ」
アイシャ。かわいいアイシャ。
この丸いほっぺ。
みじかい前髪。
ちっちゃな鼻。
わらうと見える八重歯。
全てがかわゆくてならない。
落ちた木の椀にさわり、視る。
うむ、やっぱり、リーリャが使っていた食器だ。
アイシャは甲斐甲斐しく獄の母親の食事を運び、食器を下げていたのだ。
まだこんなに小さいのに偉い。あるいは、それが唯一許された母娘の時間なのだろう。
でも、そんな抑留生活はもう終わりだ。
「いっしょに逃げようね。リーリャはどこ?」
アイシャの肩を正面からつかみ、目線をあわせて訊ねる。
「お……おね……」
アイシャの口がまるく開き、目のふちに涙が盛りあがった。
まずは、大泣きするアイシャをなだめるのが先になりそうだ。
この無職世界には火薬が存在します。