巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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四四 ラタキアの神童(後)

 桶の湯に浸した布を、コレットが絞った。

 裸にしたネルさんのからだを拭う。女同士ということで、ナナホシが手伝った。

 

 いちばん小さいと、何か仕事を任されることも少ない気楽な立場である。身の置き所に迷うとも言う。

 私は間仕切りを越えて、炉の火明かりがとどく場所で、紙を囲んでぼそぼそと喋るアルスルとジェイドの所へ行った。

 

 紙には城の見取り図がおおまかに記されていた。

 ジェイドは、燃えさしで天守の西側の壁に印をつけた。

 西壁は、城壁とひとつになっているようだ。

 

「城を囲む掘り割りは、ここだけ、浅くなっている。皆が芥を投げ捨てるからだ。便所の縦穴も、堀に通じているしな」

「穴をよじ登って、忍び込むのか」

「ああ。穴のあるところは、その分、せり出している。その向こう側――地面すれすれのところに、地下の獄の、明かり取り窓がある。鉄桟が嵌っているから、もぐりこむ事はできないが、囚人がいるかどうかは見分けつく」

「父ちゃんは、そこに……」

 

「いや」と、ジェイドは城から離れたあたりにも印をつけた。

 あれは、昼間に見下ろした、深い濠ではなかろうか。

 

「昔は、王宮があった場所だが、今ではただの貯水池だ」とジェイドは脇から覗き込んだ私に言い、 ちょっと横を指し、「パックスが無理やり従わせている兵士の、その家族を捕らえている私設牢がここだ。こっちに監禁されている可能性もある」と、アルスルに説明した。

 

 ぽむっと私の頭にアルスルの手が置かれる。

 

「どっちから行く?」

「城だ。誰がいつどこを守るか、パターン化されているから忍び込みやすい。

 反対に、私設牢は、パックスが奴隷市のツテで雇った私兵が適当に守っていて、却ってやりにくい。何日か張り込んで、警備が手薄になるのを待つ」

「よし。わかった」

 

 アルスルが頷いた。

 ナナホシも来ていた。ネルさんの清拭は終わったらしい。

 

「忍び込むとか、張り込むとか……正気なの? 捕まったら、あなたたち、ネルさんみたいな目に遭わされるんじゃないの?」

「正気だ。けっこう強いよ、おれ」

 

 アルスルが壁に立てかけられた剣をとり、土間に駆け下りて、振りまわした。

 たぶん水神流の型だろう。素人評価だが、かなり様になっている。

 

「父ちゃんが親衛隊だと、訓練所にも顔が利くんだ。昔から、特別に、兵士に混ざって鍛えてる。上級の認可も受けた。ロキシーから対魔術の戦い方も習ったから、今すぐにだって、兵士として働けるよ」

 

 コレットがぷくっと頬を膨らませて拳を振りあげた。

 怒っています、という顔と仕草だ。わかりやすい。

 

「悪い悪い。わかったよ、家の中では、振り回さないよ」

 

 アルスルが抜き払った刀身を鞘にしまう。「ジェイドさんも?」と、私は訊ねた。

 

「俺は兵士の訓練所には入れない」ジェイドは首を振った。「剣術はアルスルから教わった」

 

 アルスルが胸をはる。

 

「その通り! 剣術はおれのほうが強い!」

「勉強は俺のほうがよくできる」

「うぐ……。そうだよ、卒業できたのは、ジェイドが見てくれたおかげだ」

 

 互いに張り合いつつ、互いの不足分を補う関係のようだ。

 今年卒業したそうだが、学校も同じだったらしい。いいね、学校。

 

 ジェイドはしばらく考えて、ナナホシに言った。

 

「俺たちが城に忍び込む前に、ナナホシとシンシアは、コレットとネルおばさんと一緒に隠れていてくれ」

「……あなたがヘマをしたら、私たちが捕まるって?」

「万が一に備えるだけだ。この家は無人にしておく。元々火薬製作場を作る予定だった森に、掘っ建て小屋を建てて、俺と父さんとコレットと――三人で住んでいた。今は空き家だ。住んでいたのはごく短い間だし、場所を誰にも知られてない」

「はぁ……わかったわよ。小屋の場所を教えて」

 

 捕まる、との言葉に不安になったのか、コレットがまた青ざめた。

 空気を抱え、指をはじいた。楽器でも鳴らしているような仕草である。

 

「ああ……大事な話は終わったよ、コレット。琴を弾いてもいい」

 

 コレットはそれを聞くなり、いそいそと長持から竪琴を取り出した。

 演奏を聞けるのだろうか。

 見つめていると、コレットは私の方に体を寄せた。竪琴も膝に置かれる。

 密着すると、コレットはちょっとにおった。いやだとは思わないが、見た目は清潔なのに不思議だ。

 弾いていいよ、と、目顔で言われ、適当な弦に指をかける。

 ぴょいぃん、と、妙な音がして、コレットと顔を見合せて吹き出した。

 

「コレットちゃんが弾いてみて。聞きたいな」

 

 お願いすると、彼女はにこっとして、琴を持った。

 指は光の弦をたぐりよせるようで、音色は水晶の鈴のようであった。

 

 

  花の香碎く風をあらみ、

  細き眉毛を顰めつつ、

  燈火(ともし)にかざす少女子(をとめご)

  袖の心を知るや君

 

 

 歌う声はなめらかに高く、すずしく張りがあった。

 自在な松風とも、川の流れとも感じた。

 歌うのはコレットで、彼女が声を発したことに驚くより前に、聞き惚れた。

 

 喋るのも、物音を立てるのも憚られ、聞き入る。

 そのうちにとろとろと眠たくなってきて、その日は終わった。

 

 

 翌日の早朝。

 ジェイドが何やら出かける支度をしていた。

 お仕事だろうか。

 良い機会だと思い、私は訊ねた。

 

「硝石集め人って、どんな仕事なの?」

「コレットへの友好的態度を崩さないと約束するか?」

「する」

「よし。見せてやる」

 

 ジェイドは私をともない、町に出た。

 目的地に至るまでに、多くの坂、入り組んだ細い路地を歩いた。

 昨日、王宮に至るまでに通った道に、煉瓦の家ばかりが並んでいたのは、富裕層の住宅だったからだろう。

 

 ジェイドが先導する区間には、木造の平屋がひしめいていた。高くてもせいぜい二階建てだ。

 そんな中で、珍しく石造りの大きな建物を見た。

 ドーム型の天井に、規則正しく並んだ丸い小さい穴から、湯気がもくもくと出ている。

 

公衆浴場(ハマーム)という。体を温め、清潔に保つための場所だ」

「銭湯ならラノアにもあったのよ」

「へえ?」

 

 丸ごと天幕に覆われた市場も通った。

 香辛料の強いにおいが漂い、穀物だの豆類だの果物だの野菜だのが山積みになっている。

 金細工や銅細工を店先で作りながら売りさばく店もある。

 鮮やかな色彩の透き通るほど薄い布が翻り、そこらで売り手と買い手が喧嘩腰で値段交渉をしている。

 朝のこの時間は人でごった返していて、人に何度もぶつかる。

 市場では何度かジェイドとはぐれかけ、その度に、ジェイドは腕をぐいと掴んで私を引き戻した。

 

 賑わっているが、人垣にさえぎられ、何が行なわれているかわからない一郭があった。

 

「あれは?」

「奴隷の競りをやってる」

 

 少しの掛け違いがあれば、リーリャとアイシャがあそこで売られていたかもしれない。

 他の転移者のことを考えれば、私の家族は豪運揃いだった……という事か。

 でも、真に豪運だったら、そもそも転移被害区域には住んでいなかったはず。

 起こった以上は、間が悪かった、と受け入れる事しかできないけれど。

 

 

 火薬製造場に着いた。

 

 強烈な悪臭が熱風にのって襲いかかる。

 外套で鼻と口を覆うとだいぶましになった。

 開いている目には依然として襲いかかり、何度も瞬きをするうちに涙が滲んできた。

 

「おおお……」

 

 大勢の人が焼ける悪臭は紛争地帯で嗅いだが、これは別種の強い臭いだ。

 

 ジェイドは平気な顔で竈に近寄った。

 石の竈の中で、紅く燃え(かがや)く泥炭が、激しい熱気の発生地である。

 悪臭は、その上に乗せられた鉄の大鍋から流れる。

 

「中身は、水と灰、そして土だ」

 

 土って煮るとこんなにくさいの、と訴えたが、布に遮られ、もごもごという音しか伝わっていないだろう。

 ジェイドは、何人かいる精製人の一人に近寄り、言葉を交わした。昨日焼いた鶏肉の包みを渡した。

 あの腕が丸太のような男が父親なのだろう。金髪が同じだ。

 

 そこに、男が二人かがりで荷車を運び込んだ。

 ジェイドは勝手知ったるというふうに、木箱の縁を取りのける。

 中身はぎっしりと詰まった土だ。

 ジェイドは土を少しとり、舌にのせた。土を運び込んだ男に頷いた。

 

「いい土だ。どこから採った?」

「へぇ。教会の小便溜めでございやす」

 

 ジェイドは大笑いし、「教会の礼拝はおそろしく長い。小便もたっぷり溜まるだろうさ」と、男の肩を叩いた。

 

 硝石集め人(ソルト・ピーターマン)

 町中の尿がしみこんだ土を、鳩小屋、豚舎、民家の厠からも――集める人のことだ。

 

 硝石の結晶は、この土を煮込んだ溶液から採れるのだそうだ。

 精製した硝石に、ローラーを使って、炭や硫黄をすり混ぜる。

 混ぜた粉末をさらにすり潰し、よく乾かして、黒色火薬の完成。

 

「土の善し悪しは、舌で判断する。味は塩辛い。舌に触れると冷たくて泡がたつのが、硝石をよく含んだ土だ」

 

 と言って、私にも見えるように、土をちょっとつまんで舌にのせた。

 凝視すると、シュワシュワと小さく泡立っている。面白い。

 

 おしっこが火薬の素になるだなんて知らなかった。

 魔法三大国の都市であるカーリアンでは、厠は用を足した後に水を流す様式だったが、それ以外の町では、だいたい掘り抜きか土かけだ。

 当然ブエナ村も土かけ便所だった。

 でも、その土を掘り返す人たちが来たことはない。身の回りにもいなかった。

 火薬はシーローンでしか作られていないのだろうか。

 

「作った火薬はどうするの?」

「アスラ王国や王竜王国に売るんだ」

「その二国は火薬をどうするの?」

「紛争地帯へ売る」

 

 私は周辺の地理をおおざっぱに思い返した。

 遠い。アスラ王国と、王竜王国と、紛争地帯の距離が、遠い。

 

「シーローン王国が、ちょくせつ紛争地帯に売ったほうが早くない……?」

「そうもできない」

 

 国交ってふくざつだ。

 

 火薬製造場から帰る途中で、子供たちに指をさして笑われた。

 私が何か変なのだろうか。格好がこの国の人とは異なるからか。

 そわそわと落ち着かなくて、何となく猫背になる。

 

「ひゃっ」

「縮こまるなよ。弱そうに見える」

 

 パシンと背中を叩かれた。ジェイドは堂々と歩いている。

 

「〈小便集め〉が来たぞ!」

「くっせー!」

「便所に瓦を被せろ! 根こそぎ土を持っていかれるぞ!」

 

 彼らの標的は、私ではなくて、ジェイドだったようだ。

 私がこう言われたらしばらく落ち込んでしまうだろう。

 ジェイドは、しつっこくついてくる子供たちをふりむき、とても怒った顔をした。

 怒気に満ちた顔で、はやし立てる子供たちを睥睨した。

 子供たちは次第に怯えて逃げた。

 

「ふん」

 

 スンとジェイドは無表情に戻った。

 顔面七変化だ。

 

「ああやって、適度に怖がらせておく」と、路地裏で、放置された木樽に腰かけて作業をはじめたジェイドが言った。

 

「調子に乗らせると、コレットへの嫌がらせも酷くなる。過度に懲らしめると、弱いコレットが報復の標的にされかねない」

 

 いつの間に持ち出したのか、布にくるんだ黒色火薬を膝にひろげている。

 破いた上着の布切れに小分けにして包み、解いた糸で口を縛り、小さな小包を幾つも作っていた。

 なんだか昔を思い出す。

 庭木の葉をちぎり、どんぐりや花を包んで麻の紐で留めたのを、「森に住まう巨体妖怪……のお土産だ」と、不思議なことを言いながらくれた兄が思い出された。

 私は初めから終わりまで兄が作る所を横で見ていたのに、なぜかそう主張して譲らないのだった。

 

 ジェイドが包むのは黒色の粉末である。

 彼も妹に包みをあげるのだろうか。

 

「妹は、幼い時は利発で、言葉をおぼえ喋るのも、同じ年頃の子よりはるかに早かった」

「アイシャもよ」

「だが、道を歩けば、ああいう風に馬鹿にされ、これみよがしに鼻をつままれる。俺は何を言われたって響かないが、コレットは女の子だ。不潔だと蔑まれるのがどれほどの侮辱か……。

 コレットは深く傷つき、喋ろうとすると酷く吃るようになった。吃るのを恥じて、いつしか喋らなくなった」

「昨日の歌はきれいだったよ」

「そうだろう。あれが、コレットの本来の声なんだ。竪琴を奏で歌えば、声は自由に解き放たれる。

 今ではもう、すみやかに流れるコレットの言葉を聞けるのは、琴の調べにのせた時だけだ」

 

 ジェイドは寂しそうにした。

 完成したそれらを懐に入れ、立ち上がった。

 ひとつ私にもよこされる。

 

「この量なら、爆発の威力はすこぶる弱いが、煙は大量に出る。人の注目を他へ逸らしたい時は、火をつけて遠くに投げて、火事だと叫べばいい」

「ありがとう……」

「火薬は湿気ると腐るから、濡らさないように気をつけろ」

「うん」

 

 何かもらってしまった。

 森に住まう巨体妖怪なの? と訊いたら、きょとんとされた。違ったみたいだ。

 

 火薬製造人を父親に持つジェイド。

 彼もまた精製の知識を持っている。

 

「ジェイドさんはお父さんの跡を継ぐの?」

「俺は兵士になるよ」

「シーローンだと、どうやって兵士になるの」

強制徴募(デウシルメ)があるんだ」

 

 シーローン王国は、三年から六年に一度、国の健康な子供を集め、兵士にする習わしがあるらしい。

 直前の徴募が五年前である。次の強制徴募は来年だろうとの事だった。

 

「俺は長男で、弟もいないから、辞退が許される。だが、しない。火薬を作るより、兵士になり、出世したい。コレットのためにも」

 

 強制徴募で集められた農民や下層民の子供たちは、歩兵軍団(イェニチェリ)に入れられる。

 そこでは、身分に関係なく、能力次第で出世できるそうだ。

 硝石集め人で火薬作りの娘、コレット。

 歩兵軍団の長の妹、コレット。

 後者の肩書きの方が、市民には魅力的に映るのだ。

 

「コレットみたいな子が、いじめられるのは、おかしいじゃないか」

 

 ジェイドは憮然と言った。

 眼には固い決意が宿っていた。

 

「半生でつらい目にあった分、あの子は誰よりも幸せになる権利がある。俺は、妹を、国で一番幸福な女性にする」

「そんなこと……」

「できる」

 

 神様は俺に味方している、と、ジェイドは口元を歪めた。

 硝石集め人に向けた快活さの欠片もないほの暗い笑みは、次の瞬間には失せていた。

 

「このことは誰にも言わないでくれ。俺の頭がおかしくなったと思われるからな」

 

 ジェイドは冗談めかして言い、少し先を歩いた。

 ……うん、きっと冗談にちがいない。

 私はトウビョウ様に憑かれているけれど、信仰と恐れこそあれ、全能感はおぼえないもの。

 

 

 家に戻る頃には、昼前になっていた。

 ネルさんは、上半身を起こして喋れる程度には回復したらしい。

 アルスルと少し会話をすると、また眠ったそうだ。

 

 昼食の支度を手伝っていると、兵士が一人で訪ねてきた。

 家の中の空気がピリッとする。

 アルスルは剣をとり、母親を後ろに庇い、いつでも抜き放てるようにした。

 彼ら一家は町から追放という事になっているが、父親を置いていけるわけがないし、ネルさんはまだ歩き回れるほどには癒えていない。

 父親も行方知れずのまま、衰弱した母親と町を出るのは、どだい無理な話なのだ。

 

「失礼つかまつる! 龍神の使者はいずこか!」

 

 聞き馴染みのない言葉に、シシャ? と、きょろきょろ周りを見てしまった。

 ジェイドがナナホシを連れ、家の前で応対することになった。

 

「……私たちは、昨日そちらに追い返されたはずだけど?」

 

 ナナホシが不機嫌そうに腰に手を当てる。

 そうだった。龍神の使者って、私たちのことだった。

 

「先日の無礼をお許しいただきたい。あなたがたにお引き取りいただいた直後、パックス殿下より、ただちに使者様を迎え入れるようにと命令が下ったのです」

「で、どうして昨日の今日で、私たちがここにいるとわかったの?」

「旅装の二人組みの少女は目立ちます故。情報は直ちに集まりました」

「……」

「数々の非礼をお詫び申し上げる」

 

 元より兵士から遠かったナナホシの心が、さらに遠ざかっていくのを感じる。

 捜索されていたとは。

 ぜんぜん分からなかった。

 私たちの周辺を調べたなら、家の奥に、アルスルがいる事も知っているのだろうか。

 知っていて、何も言わないでいてくれるのだろうか。

 

 顔に傷のある兵士は、感情をできるだけ排したような様子で立っている。

 

「リーリャとアイシャに会わせてくれるの……くれるんですか?」

「もちろんです」

 

 やった!

 私はいそいで家の中に戻り、身支度を整えた。

 腕輪と指輪を通した革紐も、ちゃんと首にかけておく。

 ひそひそ声で、アルスルに「城に入れてもらえることになったの」と告げる。

 

「アルスルのお父さんのことも、こっそり探してくるね。お父さんの名前は?」

「ハーマン・フックだ。……気をつけろよ。パックスはろくでもない奴だ」

「大丈夫よ」

 

 トウビョウ様を使える限り、抵抗の手段がまったくないわけでもない。

 パックスを殺すのはダメ、と言われたが、それ以外、たとえば軽く怪我をさせたり、失神させたりするくらいならいいのだ。

 出かける前に、一応穏やかな顔で寝ているネルさんを視た。

 頭が痛くなった。

 

 鞄から貨幣だの魔石だのを入れた袋を出し、アルスルに押しつけた。

 

「これ、使っていいから。お医者に見せてあげてね」

「あ、おい」

 

 家を出て、兵士の前に立つ。

 

「招かれているのは、そちらの、幼い……」

「シンシアです」

「シンシア殿のみです」

 

 殿なんて付けられると、こちらが偉くなったみたいに錯覚してしまう。

 実際は、そんなことはないんだけれど。

 

 私は、ナナホシがいっしょじゃないとちょっと不安だな、と思った程度だったのだが、ナナホシは不審感をあらわにした。

 家を守るように立って話を聞いていたジェイドもだ。

 

「それっておかしいわよ。あなた本当に王宮から寄越された兵士?」

「自分は王城警備隊所属のシャイナです。パックス殿下はシンシア殿のみと仰られました」

「シンシアは小人族じゃないわ。子供よ。子供と、人質解放の交渉をしようとしてるってこと?」

「……その通りです」

 

 ナナホシがピリピリしている。

 私、もう8歳なのに、一人にできないほど信頼されてないのだろうか。

 あるいは、王宮でとんでもない失礼をやらかすと思われているのだろうか。

 ジェイドを見上げた。

 

「子供はバカじゃない。それは、俺たちもわかっている。まあ、君はちょっとマヌケそうだが……」

「えへ……」

「子供はバカじゃないが、例えば、十になる前の商人の子供に、多額の金が動く商談をもちかける大人はいないだろう。簡単な伝言なら頼むにしても」

 

 たしかに。

 頭の出来はあまりよろしくない自覚があるので、馬鹿じゃない、というのには手放しで頷けないが。

 ジェイドの例え話はわかりやすかった。

 子供に大事な交渉をする大人はいない。

 成人前は、責任をとれない齢とみなされるからだ。

 子供を対等に見ているふりをして、交渉を持ちかけてくる者がいたとしたら、それは、相手を丸め込もうとしている者だ。

 リーリャとアイシャの身柄について話し合う気があるのなら、十五は越えたナナホシを招くべきなのだ。

 

「人質というのが、まず、誤解なのです。リーリャ殿とアイシャちゃんは、ロキシー殿の関係者ですから、丁重なもてなしを受けています」

 

 ガタッと家の奥から物音がした。アルスルだろう。

 扉のそばに立つジェイドが後ろ手で、来るな、というふうな仕草をした。

 

「だったら、もう、転移事件の話は知っているだろう。知ってなお、その人たちは王宮に留まっているのか」

 

 ジェイドが言った。

 

「アイシャちゃんが、まだ小さいので」と、兵士は答えた。

 

「昨日、城の周辺を逍遥とされていたパックス殿下は、門番と揉めている使者様方をご覧になっていました。興味を持たれ、調べると、リーリャ殿がシンシア殿の乳母とのこと。

 転移事件から一年が経ち、積もる話もあるだろうと、……ぱ、パックス殿下の、寛大な計らいです」

 

 怪しい。

 アルスルから聞いた人物像とぜんぜん違う。

 兵士の人も、なんだか歯切れが悪いし。

 でも。

 

「行きます」

 

 私は言った。

 まずはリーリャとアイシャに会いたい。

 視て、城に二人がいることは、嘘ではないのがわかった。

 

「ご協力感謝する」

 

 兵士はほっとした顔になった。

 控えていた牛車に乗り込む前に、ナナホシに耳打ちされた。

 

「あらかじめ、城の近くにオルステッドを呼んでおくわ。何かあったら、すぐに助けを呼んで」

 

 それは頼もしい。

 だけど、私は大丈夫だ。

 

「それより、ネルさんのことお願いね。あのままじゃ危ないよ」

「……わかった。どうにかしてみるわ」

 

 牛車の足踏み台は降ろされていたものの、ちょっと高いので、ひょいと持ち上げられて、兵士といっしょに乗り込んだ。

 成り行きをジェイドの影から見ていたコレットが、ハッとして、あわあわと家の中に入る。

 出てきたコレットは、切った黒パンを私に持たせた。革の水筒もいっしょだ。

 

「……ぁ、ぅあぁっ、ごは、ごはんっ……」

「ありがとう、コレットちゃん。美味しそうね」

 

 小さな吃り声だった。

 舌が縺れてくぐもり、喉に土を詰められたような。

 琴を奏で歌う時だけ、コレットの声は自由に解き放たれる――ジェイドの言うことは、本当だったのだ。

 

 気遣いが嬉しくて笑顔になると、コレットも笑みを返した。

 

 牛車がゆったりと進み始める。

 ジェイドコレット兄妹の家は首都の端のほうだし、王城に着くまでに数時間はかかるだろう。

 

「あの、兵士さん」

「はい」

「リーリャさんのこと、大事にしてるの、うそでしょ。地下に閉じ込めてるよね」

「……!」

 

 ナナホシたちの前では言わないようにしていた事。

 言えばきっと、ナナホシもジェイドも不審感を募らせ、私を行かせてくれなかっただろう。

 

「アイシャは、ずっと泣いてる。お母さんを出して、って」

「はは……何を言ってるんだい、リーリャもアイシャちゃんも、殿下と一緒に君を待ってるんだよ。今ごろ、三人でお茶でもしているんじゃないかな」

 

 私はそれ以上言及するのはやめた。

 途中で牛車から降ろされてしまったらかなわない。

 兵士の嘘にのっておけば、とりあえずは、中に入れるのだ。

 待っていてね、アイシャ。もうすぐお姉ちゃんが行くからね。

 

 その前に、もらった包みをあける。

 お腹が減ったのだ。

 

「兵士さんも食べる?」

「……硝石集め人の元締め一家と、関わりがあることは、王宮では言ってはいけないよ」

「え?」

 

 兵士はパンと水筒をとりあげ、窓から捨てた。

 予想もしていなかった暴挙に呆気にとられる。

 

「あぁっ!」

 

 我に返り、窓から顔を出す。

 落ちたパンと水筒は、浮浪児と思わしき身なりの子供が、さっと拾い上げた。

 いや、あの子もお腹を空かせていたのだろうけれど。

 あんなに強引な施しがあろうか。

 せめて一声かけてほしかった。

 

「すまない。城に入る前に、何か買ってあげるから」

「どうして取ったの……」

「硝石集め人の子と仲良くしてはいけない。娘が触れたパンを食うなんて、以ての外だ」

 

 むっ。

 理屈が読めてきた。

 尿がしみこんだ土を触り、時には舐める硝石集め人は、この町の嫌われ者だ。

 刑吏のように市壁の外に追いやられるほど、迫害が酷いわけではないようだけれど。

 不浄を扱う仕事だから、道を歩けばはやし立てられ、鼻をつままれ、善意であげたパンも無下に扱われるのだ。

 やるせない気持ちである。

 

 馬車よりものんびりした速度で牛車はすすむ。

 兵士さんは、硝石集め人ではない私には親切で、王宮に着くまでに、色々と教えてくれた。

 

 北神英雄譚発祥の地である王竜王国の同盟国ということで、やはりシーローンでも北神英雄譚はよく語り継がれる昔話であるらしい。

 お話に登場する、死神騎士シャイナ。

 一見不吉な肩書きだが、どんな死地からも必ず帰還したという逸話から付けられたそうだ。

 兵士さんの名前は、その逸話からとって、シャイナだ。

 

 シャイナさん。

 元となった人は女だが、最近では男も女もどっちでも通じる名前らしい。

 その風潮ができる前は、男はシャンドルと名づけられることが多かったそうだ。

 

 それから、この国独自の国王の選抜方法も、教えてくれた。

 

「良いことをすると、親衛隊が増えて、悪いことをすると減るの?」

「ああ。そうして、国王が崩御なされた時点で、一番親衛隊を多く抱えた王子が、次の国王になるんだ」

「パックス殿下の親衛隊は何人なの?」

「……最近、二人になった」

 

 意外なことに、シャイナさんはパックスの親衛隊ではなかった。

 パックスの手足のように動いているようなのに。

 ただの一兵卒だそうだ。

 ただの、とシャイナさんは卑下したが、私は否定した。

 

「兵士さんは、お国のために戦うのが仕事でしょ。すごい仕事よ。誰にでもできることじゃないもの。立派なことよ」

「シンシアちゃん……」

 

 お国のために戦う時など来ないほうがいいが、死への行進はとめられないものだ。

 その時に矢面に立って戦うのは、やっぱり立派なことだ。

 日清戦争と日露戦争の前も、黒い軍衣を着て宇品港に向かう村の男たちを、村人総出の万歳三唱で見送った。

 日露の時は、チサはもう足萎えの盲だったから、お父におぶわれて村人の万歳を聞いたのだっけ。

 

「シャイナさんは親衛隊じゃないのに、親衛隊みたいなことしてるのね」

「事情が……ね、あるんだよ」

 

 シャイナさんは途中で牛車をとめ、串焼きを何本か買ってくれた。

 美味しい。

 ナナホシもちゃんとご飯を食べているだろうか。

 かて飯のおむすびを一個くれた事といい、彼女は食が細いから心配だ。

 

 そして、王城の手前で、牛車はとまった。

 門に通じる階段は自分でのぼる。

 牛車で強行したら、ガッタガタに揺れて大変だろうものね。

 

「疲れたらおぶるよ」

「平気です」

 

 この程度。

 転移前は毎日外を走りまわり、転移後も毎日外を歩いている私の負担にはならない。

 ちなみに急ぎの用のときは、オルステッドが片腕に抱いて夜通し移動してくれる。起きたら景色が様変わりしていること多々だ。

 あそこまでの無限体力はないが、このくらいの階段なら、駆け上がったって息は切れないだろう。

 

 というわけで、シャイナさんと競走した。

 負けた。

 二段飛ばしの威力には適わなかったのだ。

 

 

 昨日見たばかりの、背丈の何倍もある石組みの城壁。門の左右に植えられた巨大な鈴懸の木。

 正門の門番に挨拶をして、しかし正面玄関は通らず、横道にそれた。

 兵士用の勝手口から入るらしい。

 ちなみに正門の門番さんは昨日の人と同じだ。

 ちょっと気まずかった。

 

 門番さんは兜の下に哀れみを浮かべていた。

 

「ハァ……あんな子供になあ。殿下も悪趣味な……」

 

 雲行きのあやしい独り言である。

 しかし引き返すわけにはいかない。

 私は気を引き締めた。

 

 兵士の屯所のような空間を通りすぎ、城の石畳の廊下を歩く。

 お城に入ったのは、人生で三度目だ。

 ペルギウス様の空中城塞と、アトーフェ様のネクロス要塞と、シーローン王国の王城。

 分類は同じ城でも、雰囲気はそれぞれ異なる。色合いも。

 

 シーローンの王城の外観は、小高い山をそのまま建物にしたようであり、尖塔がいくつか聳えている。色は土色を基調とし、青や金で模様を描いた彩色陶板が壁を飾る。

 ケイオスブレイカーにいたっては、山どころか、そのまま島だ。比喩表現ではなく。

 ネクロス要塞は、黒くて尖っていた。大きくて、おどろおどろしかった。

 

 どれも造りで劣るということはないが、洗練され抜いているのは、やはりペルギウス様の城だろう。

 膨大な時の流れに、ぽつんと芥子粒のような自分がいる。あそこにいると、そんな気分になるのだった。

 

「……」

 

 城に入ってから、シャイナさんの口数が減った。

 うるさくしてはいけない決まりがあるのだろうか。

 承知。

 私はひそひそ声で話しかけた。

 

「侘びのある噴水ね」

 

 回廊のアーチから見た庭園には噴水があり、傍らには、大石が二つ据えられていた。

 噴水のわりに、装飾は乏しく、質素な感じだ。

 

「あの大石は、切り落とした罪人の首の晒し場。噴水は処刑人が血刀を洗うためのものだ」

「まあ」

 

 血なまぐさい。

 しかもシャイナさんは普通の声色で答えたから、べつに小声で喋る決まりはなかったようだ。

 

 

 客間に通された。

 大きな窓から明るい日差しがさしこみ、窓枠には、芙蓉の透かし彫り。

 吊り下がるのは、陶器のランタンである。

 天蓋つきのベッドまである。

 

「ここで待っていれば、パックス殿下がいらっしゃる」

「リーリャさんと、アイシャもくる?」

「……ああ」

「案内してくれて、ありがとうございました」

「……すまない」

 

 シャイナさんは謝り、去った。

 去った……よね。

 

 よし。

 私は迷わず部屋を出て、ジェイドが描いた地図を思い出しながら、リーリャのもとへ向かった。

 目指すは西端。王城の獄だ。

 

 アルスルから聞いた好色な人物像。

 門番の一人言。

 客間のベッド。

 いくら私でも、何が行われようとしているのか、察しがつく。

 躰はともかく、記憶は生娘ではないのだ。

 生前から、男女の逢引も交合も、常に身近にあった。

 農村の楽しみといったら、食うこととそれくらいなものだし。

 

 ところで、閨から逃げ出した私の扱いは、反逆者だろうか。

 それとも子供だから、迷子だろうか。

 最初に邂逅した人の態度で判断しよう。

 反応によっては、呪いで少しのあいだ失神させる。

 

 廊下の先を、さっそく人が横切った。

 こちらにはまだ気づいていないようだ。

 歩いているのは、小さな女の子であった。

 お手伝いだろうか。黒のお仕着せに白い前かけを着て、空の食器がのったお盆を運んでいる。

 きっと誰かが、あの子の小さな体に合うように、丁寧に袖を折り、裾上げをしてやったのだろう。

 お仕着せはだぶだぶだが、動きにくそうにはしていない。

 赤みがかかった茶髪は後ろでひとつに束ねられ、フラフラと馬の尻尾みたいに揺れている。

 利発そうな顔は、いまにも泣いてしまうのを堪えるように、強ばっている。

 まるでアイシャみたいに可愛い子だ。

 というか、アイシャである。

 

「アイシャ!」

 

 小声で叫ぶ。

 アイシャは気のない感じでふりかえった。

 怜悧さが表れた()が見開かれた。

 ガシャンとお盆が落ちる。

 口が、おねえちゃん、という形に動いた。

 

 私はきょろきょろ周囲を見て、誰も来ないことを確認した。

 固まっているアイシャのもとに駆ける。

 抱きしめて頬ずり。

 抱擁すると、三歳の時よりひと回りも大きくなっているのがわかる。

 

「ずっと会いたかったよ」

 

 アイシャ。かわいいアイシャ。

 この丸いほっぺ。

 みじかい前髪。

 ちっちゃな鼻。

 わらうと見える八重歯。

 全てがかわゆくてならない。

 

 落ちた木の椀にさわり、視る。

 うむ、やっぱり、リーリャが使っていた食器だ。

 アイシャは甲斐甲斐しく獄の母親の食事を運び、食器を下げていたのだ。

 まだこんなに小さいのに偉い。あるいは、それが唯一許された母娘の時間なのだろう。

 でも、そんな抑留生活はもう終わりだ。

 

「いっしょに逃げようね。リーリャはどこ?」

 

 アイシャの肩を正面からつかみ、目線をあわせて訊ねる。

 

「お……おね……」

 

 アイシャの口がまるく開き、目のふちに涙が盛りあがった。

 まずは、大泣きするアイシャをなだめるのが先になりそうだ。




この無職世界には火薬が存在します。
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