巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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四六 未来の約束

 ちょっとだけ昔の話をしよう。

 あれは去年の夏ごろであった。

 魔大陸のガスロー地方、ネクロス要塞の城下町にて、親切にしてくれた黒鎧さんたちがいたことを、私は憶えている。

 彼らのうち、ジルドさんという人がある人形を持っていた。

 兄が作り、旅費のために売却した、フィギュアなる置物である。

 私そっくりの精巧な人形だ。

 

 手にとって見せてもらっているとき、アトーフェ様がきて、人形を取り上げ、私もろとも攫った。

 要塞で行なわれた鬼ごっこは、いま思い出しても夢に出てきそうなくらい恐ろしいので割愛する。

 アトーフェ様に見つかり、怯えて気を失い、目を覚ましたときには翌日。場所は桃色の愛らしい部屋であった。

 身支度をととのえて部屋を出る前に、猫足の机の上に見つけたのだ。

 私そっくりの人形がそこには置かれていた。

 たぶんアトーフェ様が始末に迷って置いたのだと思う。

 

 私はこう思った。

 ジルドさんに会えたら返そう。

 

 そして私は、人形をゾルダートさんにもらった大事な手巾でくるんで鞄にしまい……、

 

 そのまま忘れてアトーフェ城を出てしまった。

 

 思い出したのは、ガスロー地方どころか、魔大陸からも転移魔法陣を使って脱した後であった。

 オルステッドはあの地方にはしばらく用事はないと言う。

 しばらくってどのくらい? と、訊いたら「……三十年くらいだ」と答えられた。

 しばらくどころの騒ぎではない。もはや半永久的に行く機会はないと宣告されたに等しい。

 

 人形は私の手元にある。

 悪気はなくとも、窃盗である。私はどうやって人形を返すべきか悩んだ。

 魔大陸では荷物や手紙が届けたい人の元まできちんと届く保証はない。

 ことに、ガスロー地方までの旅路は過酷だそうだ。

 冒険者に依頼しても、途中で魔物に襲われて死んでしまう可能性が高い。当然人形は届かない。

 

 心をふたつにわけるとしよう。

 私その一こと、シンシア。

 私その二こと、チサ。

 彼女らは人形を議題に揉めていた。

 チサはちょっと冷めた目で「もろときゃあええ」と言った。怖い目に遭わせられたのだから、これくらい持ち出したとてバチはあたらん、という言い分だ。

 対してシンシアはしょぼくれて言った。「でも、お母さんは盗みはいけないことよ、って言うよ……」と。

 清く正しくを信条としている母様。

 彼女がどう思うかを考えると、やはり返した方が良いと思うのだ。

 

 しかし返す手段はなく、割り切って己のものとするもならず、預かり物という意識のまま、私は私の人形を持ち続けていた。

 お兄ちゃんの作ったものだから、持っていられるのは嬉しいけれど。

 

「お姉ちゃん、ほんとに明日も会える?」

「うん、会えるからね」

「お姉ちゃん、なんであたしの部屋にとまらないの?」

「アイシャのお部屋は王様のものだからね、お姉ちゃんはかってに泊まれないの」

「お母さんはさ、けっとー裁判で、勝てるよね?」

「勝てるよ」

 

 アイシャは私の腕にぴっとりくっついていた。

 こうされていると、とんでもない駄々っ子だったアイシャの二歳児時代を思い出して、心がほっこりとする。

 

「そろそろ離れなさい」

「でもさあ……」

 

 リーリャが咎めるも、アイシャは私の二の腕にぐりぐりとおでこをこすりつけている。かわいい。

 かわいいけれど困った。そろそろジェイドたちと司祭館に行かなくてはならないのに。

 アイシャは悲しい時何を要求してきて、何をしてあげたら落ち着いていたか、思い出した。

 でも、妹はもう四歳だし、そんなことしないもん! と怒られるかもしれない。

 ダメもとで訊いてみることにした。

 

「アイシャ、おっぱいちょうだいする?」

「……する」

 

 するのか。

 するよね。四歳だもんね。

 私とて、大好きなエマちゃんと離れるのが嫌で嫌で、聞き分けなく泣いたのが三歳のとき。

 アイシャは、その時の私と、一歳しか違わないのだ。

 

 むかし「お姉ちゃん」がうまく言えなくて「ねねちゃん」と私を呼んでいた頃みたいに、アイシャは服の中に潜って吸うことはなかった。

 服の上から、胸に頬ずりをしただけだ。

 よしよしと頭を撫でる。

 

「そうね、アイシャ、お姉ちゃんがアイシャのお部屋に泊まれない代わりに、いいもの貸してあげるよ」

「……ん」

 

 そこで私は思いついた。

 私がいっしょにいられないなら、私そっくりの人形がアイシャのそばにいればいいのだ。

 鞄をごそごそと漁り、お兄ちゃん作の私の像をアイシャに持たせる。

 アイシャはじっとそれを眺めた後、大事そうに胸に抱いて、バイバイと私に手を振った。

 

 私も手を振り返しながら、ジェイドとアルスルと城を出て司祭館に向かったのだった。

 

 

 

 そんな記憶も、もう昨日の夕刻のことである。

 決闘裁判の日は、よく晴れていた。

 決闘場にあてがわれた広場は、柵で囲われ、中央に穴が掘られつつあった。

 衆目が集まる。

 私と繋いだアイシャの手は(ふる)えていた。

 

 男の腰までの深さまで掘るのは、普段から土を掘り返す硝石集め人たちには困難ではないようだ。

 広さは体の向きを自由に変えられる程度と定められている。

 ジェイドと穴を掘っている男たちは顔見知りである。

 穴は深く、広さは狭く。そんな不正をしたいところだが、公衆の面前で穴の大きさを確かめられる決まりだ。

 

 リーリャは水神流の心得がある。男にはない。

 男にははちきれそうな筋肉がある。リーリャは、女にしては骨格がしっかりしているほうだが、男と比べたら華奢に見える。

 

 公平さを欠いてはならない。

 男には棍棒が与えられたそうだが、リーリャの武器は丸い石をつめた細長い布袋だ。

 剣ではないのは、水神流の剣術を存分に活かせないようにして、公平さを保つためだそうだ。

 

 王子の代闘士は、元々は棍棒使いの戦士だったというぜ。

 民衆の噂話を聞き、やりやがった、とアルスルは顔を歪めた。

 パックスが司教に賄賂を持たせたんだ。自分の代闘士だけ、使い慣れた武器で。

 

「正しいほうが、勝つんだ。正しいのは俺たちだ。勝てる」

 

 ジェイドが言った。自信に溢れていて、彼について行きたいと思わせる声色であった。

 決闘場に来る前に、リーリャが礼拝堂で、祭壇の上の福音書に手を添え、自らの潔白を宣言するところを、私たちは見ている。

 リーリャはミリス教徒ではない。私も。敬虔な信徒であったのは、グレイラット家では母様だけだ。

 それなのに、リーリャはすらすらと宣誓の言葉を陳べた。

 

 ――神およびすべての聖人聖女ならびにここに在る聖なる言葉よ。

 私の手は汚れていない。一片の邪心もない。一方的に間諜だと断じ、監禁するのは不当である。

 次いでパックスが、リーリャの言葉を否定し、正義は自分にあると誓ったのだった。

 

 

 中央に穴が掘られた決闘場の土は、砂利一つないように、平らに均された。

 円形に囲む柵の二ヶ所に開けられた出入口は、まだ横棒をかけて塞がれている。

 一段高く組まれた足場に設けられたのは、司教と司祭、助祭のための座である。

 

 リーリャとパックスの代闘士がそれぞれ入場した。

 向き合うと、山羊と兎くらいの差があるように思える。

 かつて女が勝利した裁判では、男は穴に立たされた上で、左腕を背中に縛られていたそうだ。

 パックスの代闘士の両腕は自由である。

 加えて、武器は手に馴染んだ棍棒。

 水神流の心得があるにも関わらず、剣を武器として与えられなかったリーリャとの差が露骨であると、私でもわかる。

 

 集まる人々は、闘いではなく、リーリャが――女が一方的に嬲られるのを眺めにきている、と感じた。

 私は、教会の前でかわしたリーリャとの約束を守る。

 リーリャが負けることはありえない。

 

「はっ……はっ……」

 

 アイシャは真っ青な顔をして、もう立っていられなかった。

 柵の際にしゃがんだ妹の横に私も屈み、背中を撫でる。

 

「アルスル、アイシャをこっちへ」

「ああ」

 

 アルスルがアイシャを抱えて少し後ろにさがった。

 小さいアイシャは見物の目に入りにくい。しゃがんでいたら尚のこと、悪気なく人に蹴られてしまう。私も立ち上がり、少し脇に避けた。

 そちら側にはジェイドが立って、私とアイシャはアルスルとジェイドに挟まれた。

 二人が、私たちを見下ろす表情は、やさしかった。彼らが作るアーチに守られているように感じた。

 ――アイシャも、同じことを思った?

 

 からだが小さいから、浅く荒い息を繰り返すと、背中も大きく動く。

 激しく上下する妹の背中が、すこし大人しくなった。

 

「静粛に!」

 

 司教が声をあげた。

 

「これは神聖な儀式である! 見物は声を上げてはならぬ!」

 

 柵の周りには、帯刀した数人の男が警備にあたっている。

 決闘に邪魔が入れば、あれで追い払うのだろう。

 警備のほか、長い棒を持った介添えが二人いる。決闘者の一方が倒れたときや中止を求めたとき、棒を差し入れて制止する、とジェイドに教えてもらったばかりだ。

 

 話し声が絶えるのを待ち、角笛が鳴った。

 パックスの代闘士が穴に飛び降りた。

 腰のあたりから下が穴の中である。

 

 リーリャは不利だ、と私は気づく。

 穴の深さは頭の高さが同じになるようにするべきだった。

 あのままでは、腕を振り上げ石袋をまわしても、代闘士の頭上を掠めるだけだ。やや下に方向を定めてまわすのは難しい。

 

「ぐおおおっ!」

 

 男が咆哮し、棍棒はリーリャの脚を狙った。

 リーリャは難なく避けた。石袋が横殴りに闘士の頭を襲う。

 闘士は身をすくめ、石袋は空振りする。そればかりか、円を描いて襲う石袋を、掲げた棍棒で受けた。

 勢いで、石袋は棍棒に絡まる。男は棍棒を引き寄せる。リーリャは踏みとどまるが、じりじりと穴の縁に引きずられる。

 

「ふくろを離して!」

 

 アイシャが叫び、私はシッと人差し指を口元にあてた。

 警備の者たちをちらりと見る。ここから追い払われたら、裁判を見届けられなくなってしまう。

 彼らはこちらに向かって踏み出しかけたが、アイシャが子供とみて大目にみたようだ。

 

「石袋を手放せば、決闘を放棄したことになる。放棄すると、君のお母さんは負けたことになるんだ」

 

 と、ジェイドがちょっとかがんで、小さな声で耳打ちした。

 アイシャの瞳がうるんだ。私の服をつよく握ってくる手を、私は上からそっと撫でた。

 

 リーリャは地を蹴った。跳び上がった足が男の顎を突き上げた。仰向けに倒れた後頭部が穴の縁にあたる。

 反動でリーリャものけぞり、背中から地に倒れる。

 石袋は棍棒に巻きついたままリーリャの手に残った。

 リーリャの片足は不自由だ。彼女が起き直るのは、男より遅かった。

 穴の底に倒れ、素早く起き上がった男が上半身でリーリャにのしかかり、両手で首を絞めにかかった。

 

 私は、手のひらをあわせた。ミリス様か、神様か。傍から見ればそれらに祈っているように見えるだろう。

 はやく、はやく。私を使って、リーリャ。

 二人のあいだで決めた合図をして。

 

「ぐっ!」

 

 リーリャはもがきながら、石袋の巻きついた棍棒で男の頭を殴りつけた。

 太い腕が頸から離れる。男は腰の力が抜けて穴の底に尻もちをついた。

 巻きついた石袋を手早く外し、棍棒を遠くに投げて、リーリャは立ち上がった。

 

 喝采が、野次が、耳を打った。

 民衆の熱狂を、警備も抑え込むことはできないようだった。

 

「いけ! やれ! ぶん殴れ!」

 

 肩を組んだアルスルとジェイドに挟まれ、私とアイシャはもぎゅっとつぶれかけた。

 強いちからで肩を叩かれ、見上げると、ジェイドの口が「やったな」という形に動いた。

 私は笑顔で頷き返し――しかし、決闘の介添え人が、リーリャの前に棒を突き出し、行動を抑えていることに気づく。

 もう一人の介添えが、棍棒を拾って走り戻ってきた。穴の中にうずくまる男に渡す。

 私の心は、一瞬、空白になった。

 

「狡いぞ!」

 

 アルスルが叫ぶ。そうだそうだ、と次いで野次が飛んだが、警備の者が剣をちらつかせて黙らせた。

 

「勝敗はついただろう。武器を失った。その時点で敗北だ。また武器を持たせるなんて、聞いたことがない」

 

 ジェイドが司教たちに向けて抗議した。彼は昨日、助祭と交渉し、これまで行われた裁判の記録を閲覧する許可を得たのだ。

 司祭館に保管されている資料の量は膨大で、決闘裁判の記述に絞って読み込むのは、普通では一夜では間に合わない。

 しかしジェイドは、初めから何がどこにあるのか知っていたみたいに、該当の資料を引き出したのだった。

 

「うわはははは! 正しいほうが勝つのだ! 神は、貴様らの勝利は間違いだと仰せだ!」

 

 パックスの高笑いが響く。

 彼の代わりの闘士は、棍棒を握り、穴の底を踏みしめて立ち上がった。

 無慈悲に、不公平に、裁判は再開した。

 

 なんで。お母さんは勝ったのに。柵に手をかけようとするアイシャを、アルスルがおさえた。

 

 棍棒は、また、リーリャの足をねらった。

 棒の先端をリーリャは踏みつけた。男の頸に石袋を巻きつける。

 搾り上げる前に、振り回された棍棒がリーリャの脇腹を強打した。

 介添えがリーリャの足の下から引き抜き、男に手渡したのだ。

 

 石袋をふりほどくと同時に男はリーリャの両脚のあいだに頭を突っ込み、両足首をにぎり立ち上がった。短い悲鳴を上げ、リーリャは逆さ吊りになり、穴の底に崩れ落ちていく。

 

 アイシャの喉からけぽっと液体の詰まった音が聞こえた。うずくまり嘔吐したアイシャの口元にハンカチを押し当てて拭ってやる。

 そうして介抱しながらも、私は穴から目を離せないでいた。

 立っていてもしゃがんでいても、中の様子はわからない。

 

 見物も内部を見たいのだろう。柵がきしむ。

 アルスルが後ろで踏ん張ってくれるので、私たちが押されることはなかった。

 私はどんどん不安になっていった。

 リーリャは、とっくに合図を送っているのかもしれない。

 それを、喧騒にかき消されて、聞き逃しているだけではないの?

 

『申し訳ございません、お嬢様。

 私は、あなたを利用します。自分の娘を……アイシャを、優先します』

 

 教会の前で、リーリャが言った言葉。

 ピューイとよく通る口笛を吹いてみせ、彼女は言ったのだ。

 

『自力では勝てないと私が判断した時は、合図を送ります。この口笛が聞こえたら、決闘相手を殺してください』

 

 了承すると、リーリャは顔を手でおおって、ちょっとだけ泣いた。

 奥様と旦那様に合わせる顔がない、と。

 気にしなくていいよ、と私はリーリャを抱きしめた。私の力はこのためにあるのだから。

 

 風音に聞き紛うほどか細く、口笛が鳴った。

 

 汚れた布をアイシャに持たせ、私は手をあわせる。

 リーリャの決闘相手だけを、上下から柔らかく包むように。

 団子を丸めるようにくるりと動かした。

 死ね。

 

 ゴキッ、と、穴の底から、鈍く鳴った。

 

 

 


 

 

 

 決闘を終えた広場は、閑散とすることもなく、見物で溢れていた。

 私たちは助祭に促され、柵の中に入った。

 頂点に座を据えるのは、司教である。そばには教会関係者が控えている。

 聖職者は、多大な権力を持つそうだ。王族のパックスといえど、決闘裁判においては、表向きは立場は司教の下となる。

 

 ぐったりとし、今にも座り込みそうなリーリャを、それとなく両脇からアルスルとジェイドが支えている。

 今にもリーリャに抱きつきたいだろうに、アイシャは周囲の状況を見てじっと大人しくしていた。繋いだ私の手の甲にちいさな爪を立てているのは、無意識だろう。

 

 パックスの横には、仰向けにされた男の死体がある。

 死体の頸をぐるりと一周するのは、紫色の鬱血痕である。

 真後ろを向いていた顔を正面に戻したせいか、体と頸が奇妙にズレている。

 白目を剥き、口は絶叫の形に大きく開き、苦悶の表情で青ざめていた。

 

 柵の外で、裁判の行く末を眺めている群衆が影のようだ。

 水鳥が羽ばたき、翼の影が顔によぎった。

 

 視線を空から地上にもどす。

 パックスが激しく抗議していた。

 

「異議を申し立てる。

 これは人間同士の決闘ではない。余は人族の女と闘ったつもりだ。

 しかし、余の相手は人間ではなかった。

 化物だ。イルルヤンカシュ*1だ。余の代闘士はイルルヤンカシュに殺された」

 

 パックスは、体力を使い果たしてふらふらなリーリャを指さした。

 

「この決闘は、成立しない!

 誓約違反だ! その糞女は、他の武器を持ち込んだのだ!」

 

 自分も違反をしたくせに、いやな人。

 私は心の中でぺろっと舌を出した。リーリャの体をいくら調べたところで、隠し武器が見つかるはずがないのだ。

 パックスの代闘士を殺した蛇は、もう私の中に戻った。

 素質のある人には蛇が見えたかもしれないけれど、それを証明する手立てはない。不正は見つからない。

 

 司教の指示を受け、助祭が冷静に告げた。

 

「リーリャ・グレイラットは、自分の身体と我々が与えた武器のほかは何も持っていない、と誓いました。

 リーリャの両手は、彼女の身体であります。手を用いて決闘相手に対抗し、結果的に殺めてしまうことは、誓約に反してはいません」

 

「女が、素手で、男の首を捻り折ったというのか……」

「まさしく、化物だ」

 

 見物がざわめく。

 

「化物なんかじゃないもん」

 

 アイシャが頬をプーっと膨らませてごちた。

 リーリャの勝利を今度こそ確信して安心したのか、吐いた時より顔色はずっと良い。

 後から気づいたけれど、アイシャの口元を拭いたハンカチは、ゾルダートさんにもらったやつだった。

 繊細なレースでふちどられた白いハンカチである。

 ……洗濯すれば、綺麗になるよね。

 

 刑吏が斧の長柄の先を地に打ちつけ、判決を急かした。

 司教はそんな刑吏の威嚇をなだめるように片手をあげ、重々しく言った。

 

「パックス・シーローン殿下よ、汝の敗北は汝が神を欺いたことを証する。

 偽誓の罪を犯した者には厳罰が下されるのが通例だが、罪は汝の代闘士が死を持って償った。ついては……」

「許さぬ!」

 

 パックスは司教の言葉を遮り、叩きつけるように喚いた。

 

「裁判のやり直しを要求する! 穴を埋めろ! ジンジャー! 武器を持て! 女同士ならばハンデはいらん! 正々堂々と闘え!」

 

 怪我は治癒魔術で治した。

 でも、もう、リーリャは闘える状態ではない。

 

「は……?」

「何を……」

 

 アルスルとジェイドの呆然とした声が重なった。

 

「どうして?」

 

 気づけば一歩踏み出していた。パックスが一瞬だけぎくりとして、思い直したように、そりかえって腕を組んだ。

 自分を強く見せたいような振る舞いだ。

 

「パックス殿下は、負けたんです。認めたくないからもう一度なんて、ずるっこよ。恥ずかしいことなの」

 

 ずるっこなら私もした。

 言葉が自分に跳ね返ってくるが、後ろめたさを悟られないようにパックスを見据えた。

 ペルギウス様だって、私をからかったあと悪びれずに堂々としていた。私が間違っていたのかしら、と不安になるほど。

 だから、こういうときは、自分を棚にあげて堂々としていた方がいいのだ。

 彼の要求を呑んでいたら、いずれリーリャが疲労で死んでしまう。

 

「黙れ、余はなにも間違えぬ! いいから再戦だ!」

「この……っ!」

 

 拳を握りしめ、パックスにつかみかかりそうなアルスルをジェイドが羽交い締めにした。

 アルスルが敵意をあらわにした瞬間、パックスの兵士が武器をとったからだ。

 どんなに卑怯でも、彼らにとっては仕えるべき王子なのだろう。

 

 司教と助祭たちは何やら話し合っている。

 パックスは王族である。通常であれば棄却できる申し出も、王族相手では無視できないのだろう。

 やっぱり、根源を断つ――パックスを、呪い殺すしかないのだろうか。

 私が諦めかけた時だった。

 

 ――……、…………ぉ

 

「……なんだ?」

 

 ジェイドが首をかしげた。

 

 ――…………ぉお……!

 

「何だってなんだよ! 離せ! ジェイド!」

「アルスル、お前もよく聞け!」

「地面がゆれてるよ、お姉ちゃん……」

 

 確かに、地響きがしている。

 ベヒーモスを遠くから眺めたときほど大きくはないけれど、じっと立っていればわかる程度に地面が揺れていた。

 地震だろうか。

 

 ――……ぉ……ぉお……!

 

「な、何だ、あれは!?」

 

 パックスが柵の外を指さした。

 もうもうと土煙をたて、巨大な塊がすさまじい速さでこちらに向かってきていた。

 

 魔物だろうか。

 でも、この広場は魔物筋の上にない。襲われるはずがないのだ。

 いや、走ってくるのは、人だ。腕だの腰だの脚だのにたくさんの腕がからまっている。

 大勢の人が、たった一人に縄のように引きずられているのだ。巨大な塊に見えたのはそのためだ。

 

 私は、その異様な光景に呆気にとられた。

 見物が逃げ出す。助祭たちが司教をかばい立つ。

 パックスの兵士や警備たちが身構える。

 

 ピイィィ! と鋭い笛の音が響き、

 

「応援求む! 応援求む! ザノバ殿下がご乱心だ!」

 

 と、塊の方から声が聞こえたのと、

 

「ぬぅおおおおおぉ!」

 

 痩せぎすの男が飛び出してきたのは、同時であった。

 両腕を広げ、上空の太陽を遮って飛翔する男に、私は翼の幻影を見た。

 ダァン! と目の前に着地された風圧で、アイシャと私の前髪がそよぐ。

 

 男は何事もなかったようにすっくと立ち上がった。

 やや下側にズレた眼鏡の硝子の奥は、私を隙なく捉えている。

 

「ふむ」

 

 彼は神経質に眼鏡の蔓を中指で押しあげた。

 出っ張った頬骨、への字に曲がった口元。そして長身の痩躯。

 意地悪そうな目つき以外はどこもかしこも丸いパックスとは、真反対の印象を受ける。

 

「ザノバ・シーローンである」

 

 自己紹介をされた。

 

「シンシアです……」

 

 アイシャと抱き合ったまま後ずさる。

 

「あの……大丈夫……? 服とか、髪が、ぼろぼろ……」

「おお、これは失礼。少々外出を邪魔されてな」

 

 ザノバと名乗った人は、額から後頭部まで水平に切り揃えられた髪を直し、高貴な刺繍が施された服をパパッと払った。

 彼の背後を見れば、城で見たのと同じ格好の兵士たちがよろよろと起き上がるところであった。

 彼らのからだは擦り傷、泥汚れだらけだ。あっちのほうが全然大丈夫じゃなさそうである。

 

 さっき見えた光景が白昼夢に思えて仕方がないのだが、周囲の状況が現実であると訴えている。

 だって、普通は、二人、多くても三人にしがみつかれた時点で、人は潰れてしまうのだ。

 何倍もの人数にしがみつかれながら、軽やかに走ることは不可能である。

 それこそ、人並外れた怪力でもない限りは。

 

「〈首取り王子〉だ……」

 

 アルスルが困惑気味につぶやいた。

 物騒な二つ名だ。私だってそんな名前で呼ばれたことはない。

 ザノバ殿下は、人形をそっと私の前に突き出した。

 あれは、昨日、アイシャに貸したものだ。

 

「この人形は貴様のものか?」

「ち、ちがう……です」

 

 とつぜん飛来した、とんでもない怪力の男。

 恐怖をおぼえるなというほうが無理がある。敬語が変になっても致し方なしというやつだ。

 もっとも、目の前の殿下がそれを許してくれるかは別である。

 

 ザノバ殿下は眉をひそめた。

 たったそれだけの仕草で、心臓を握られたように緊張した。

 機嫌を損ねたら殺されるのではないか。そんな思いを、アトーフェ様を思い出して紛らわせる。

 この人はアトーフェ様より怖くないし、言語もおなじだから、会話もできる。

 だから平気だ。

 

「ふーむ、しかしアイシャは、貴様にこの人形を譲られたと言ったのだが」

 

 そうだ、アイシャだ。

 どうしてアイシャに貸した人形を、知らない男が持っているのだ。

 妹を見下ろすと、彼女はさしぐんだ。

 

「ごめんなさい、お姉ちゃん、ザノバ殿下にほしいって言われて、あたし、断れなくってえ……」

「そうだったの。よしよし」

 

 アイシャの立場を考えてみる。

 自分より大きくて声も低い人に、物を要求されたら、大人しく差し出すほかないのではないか。

 断るには勇気がいるし、怖いに違いない。

 というか、私も、それは借り物なので返してください、と言うのが怖い。

 借り物だと知られたら、じゃあ元々お前のものじゃないし余がもらってもいいよな、となりかねない。

 ここは、私のものという事で通そう。

 

「……ちょっと見間違いました。やっぱり私の人形です」

「ほう! そうだろう! こんなにも似ていて無関係という事はない!」

 

 ザノバ殿下の機嫌が目に見えて向上した。

 彼は丁寧な所作で、もう一体の人形を懐から取り出した。

 杖を構えた少女の人形である。白亜一色であったが、誰を象ったものであるかはわかった。

 ロキシーだ。むかし家にいた人だ。

 

 そしてザノバ殿下は語った。

 彼が人形へかけている情熱を。

 全く新しい技術と材質を用いて作られたロキシーの人形を発見した時の感動、喜びを。

 ところが、世界各地の人形を集めているザノバ殿下でも、製作者に心当たりがない。

 無名の人形師を探し出し、話をしたい、あわよくば弟子になりたいと願うのは自然なことだった。

 

「そんな折り、アイシャが持ってるこの人形を発見したという訳だ。

 余には一目でわかったぞ、ロキシーの人形とこの童女の人形は同じ作者によって作られたものだと。

 少なくとも、余の追い求める人形師は二点以上の作品を手がけている事がわかったのだ。余にとってたいそう喜ばしいことだ。現役であれば、会って技術を学ぶことも可能であるからな。

 しかし、回収したはいいが、入手経路はどこか、人形師は誰か、幼子相手に訊いても要領を得なくてな。

 唯一聞き取れたのは、姉君からもらったという事だけ。

 はて、アイシャの姉とやらはどこにいるかと城の者に問いただせば、町の広場で決闘裁判を開いているというではないか。

 そうして余がここに参じた次第である。

 裁判などどうでもいい。たった今は余の質問に答えるのを最優先せよ。

 この人形はどこで、誰に作らせた?

 もう一度訊くぞ、製作者は誰だ? まさか貴様か?」

「作ったのは私のお兄ちゃんです」

「なんと!」

 

 ザノバ殿下は忙しなく眼鏡をカチャカチャとかけ直した。

 

「そ、そなたの兄上は今どこに!?」

「たぶん、魔大陸……」

「連絡手段はあるか!?」

 

 私は首を横に振った。

 兄はちょくちょく拠点を変えている。視れば居場所はわかるが、手紙が届く頃には、すでに別の町にいるというのがオチだろう。

 

「おおぉ! 遠い! 神が遠いぞ!」

「ヒッ」

 

 ビタンと平伏し拳で地を殴りつけるザノバ殿下に、私とアイシャはまた一歩後ずさった。

 意味がわからなくて怖い。

 様子のおかしい大男は怖い。

 

 決闘裁判の最中に、兵士の制止をふりきって飛来した王子。

 しかも彼は一方的に人形愛を語り、しまいには滂沱の涙を流している。

 わけのわからない状況である。

 

「ザノバ殿下」

 

 ただ一人、その状況に活路を見出した人がいた。

 ジェイドは私の横に並んだ。こめかみには冷や汗が浮かんでいる。

 パックスに相対した時は慇懃ながらも平然としていたが、今の相手は何人も引きずって走るような怪力だ。

 ジェイドも恐怖を感じているのだろう。

 

「私ならば、その人形師を王宮に呼び寄せることができます」

 

 地に伏したザノバ殿下の肩がピクリと震えた。

 

「……詳しく申せ」

 

 くぐもった渋い声が聞こえる。

 人と話すときは顔をあげてほしいものだ。

 

 ジェイドはザノバ殿下の耳元に口をよせ、内緒話をした。

 

「下賎の者め! ザノバ殿下から離れ……」

「よせ、首を引っこ抜かれるぞ……!」

 

 ザノバ殿下に引きずられてやってきた兵士の何人かが、ハッとしたように武器を構え、それを他の兵士がとめる。

 火がつきかけて、すぐに鎮火されたようなざわめきであった。

 

 兵士の反応はおかまいなしに、ザノバ殿下は生気の感じられない仕草で体を起こした。

 ゆらりと幽鬼のような無表情でジェイドを見下ろす。

 怖い。

 

「貴様、その言葉に偽りはないな?」

「神に誓って」

「うむ。ならばよかろう」 

 

 ジェイドは殿下に何を約束したのか。

 私にはわからないまま、ザノバ殿下はつかつかとパックスに近寄って――

 

「あ、兄上といえど余の邪魔は……ギャアアァ!」

「ふんっ!」

 

 片手で頭をわし掴み、持ち上げた。

 パックスの悲鳴が響く。手足を宙でふりまわす。魔術でも魔法でもなく、物理で浮いているらしい。

 いや、吊り下がっているというべきである。

 

「ふぅ……。……〈怪力の神子〉であるザノバ殿下は、かつて生後間もない弟の首を引っこ抜いた。三歳の時だ」

 

 横からほっと胸をなで下ろしたようなため息が聞こえ、ジェイドは話し始めた。

 

「十五歳の時には、和平のために豪族から献上された嫁の首を捻り切った。この事件がきっかけで内乱が起こったのは、シーローンでは有名な話だ。〈首取り王子〉と呼ばれるようになったのも、この頃だ」

 

 なんともはや、猟奇的な事件である。

 生前であれば、芝居化されて、新聞の読み物として連載されていただろう。

 

「お姉ちゃん、あたしの首は取らないよね……?」

「取らないよぅ……」

 

 真剣な顔で訊いてくるアイシャに私は弱って答えた。

 ザノバ殿下と弟の年齢差は、私とアイシャたちと同じである。

 だからといって、かわいい妹にそんな恐ろしいことはしない。

 たとえオルステッドからの依頼だったとしても、絶対にしない。

 

「パックスよ、貴様は決闘で負けたのだ。完膚なきまでに敗北したのだ。大人しく偽誓の罪を認めよ」

「兄上には関係な、イダダダダ! 頭が! 頭がァ!」

「大ありである! そなたがそうして駄々を捏ねている限り、余は我が師匠に会えぬままなのだぞ!」

「なんの話だあぁぁぐぎゃあああ!」

 

 ザノバ殿下はパックスの頭を掴んで離さない。

 パックスの上まぶたはめくれ、首の皮膚は突っ張っている。顔色もどんどん紫色になってきている。

 あのままでは死体が二つに増えてしまう。

 憎いと思った相手だけれど、苦しんで死んでほしいわけではない。

 

 きょろきょろと周囲を見て、兵士の誰も、パックスを助けない事に気づく。

 ザノバ殿下とパックスを見つつ、お前が行けよ、いや俺はいいよ、という感じだ。

 アルスルが殴りかかろうとした時はすぐに反応したのに。

 今は静観しているのは、下手人が王族では対応もまた変わるということだろう。

 

「わ、わかった、兄上の言う通りにする! だから離せェ!」

「よろしい」

「ぐぎゃっ……ゲホゴホ……」

 

 ドサッと地に落とされたパックスは頭と喉をおさえてゴホゴホと噎せこんでいる。もはや喚く余力はないようだ。

 

 ザノバ殿下はくるりとこちらを振り向いた。

 

「さて、余は力を貸した。そなたも契約を破るでないぞ」

「もちろんでございます」

 

 ジェイドが跪く。

 アイシャが真似をしたので、私もちょっと焦って彼らに倣う。

 

「その言葉、偽りであれば、余は貴様の家族もろとも首を引き抜くであろう」

 

 ザノバ殿下はそれだけ言うと、こちらを一顧だにすることなく、来る時になぎ倒した柵を踏み越え、颯爽と去っていった。

 もうこの件について興味を失ったようだ。

 

「あ、人形……」

 

 持っていかれちゃった……。

 ごめんなさい、黒鎧さん、母様。持ち主に返せなさそうです。

 私の心のなかで、神々しい純白の衣を纏った母様が縷々と涙を流した。

 

 それは置いておいて。

 パックスは「兄上の言う通りにする」と言ったのだ。

 それはつまり、偽誓の罪を認めるということである。

 リーリャが教会で誓った身の潔白は神が証明したということになる。

 

 司教が、よく通る声で、リーリャの勝利を宣言した。

 審判がくつがえされることはない。パックスの抗議はザノバ殿下の腕力が抑えている。

 リーリャは、私たちは、決闘裁判に勝ったのだ。

 

「……これで、アイシャは……」

「リーリャさん!」

 

 気力のみで立っていたリーリャの呂律があやしくなり、ついにふらりと倒れた。

 そばかすのある女騎士が、彼女を横抱きにした。他の兵士よりちょっと良い服を着ていて、動きもきびきびとしている。

 強い人特有の、からだに常に軸がある感じだ。

 たしか、ジンジャーと呼ばれていた。

 

「司祭館まで運びましょう。アイシャちゃんも一緒に」

「はいっ!」

 

 アイシャが明るい声で返事をした。

 ジンジャーさんは立ち上がる直前、口元にあるかなきかの微笑を浮かべ、私に片目を瞑ってみせた。

 それがなんだか労わってもらえたように思えて、私は嬉しくなった。

 

「……」

 

 パックスを見る。

 彼の元にも兵士が集まっていた。パックスは肩を貸そうとしたシャイナさんの頬を平手で打った。

 シャイナさんは無表情で淡々と八つ当たりを受けていた。

 

 一度は抱かれてもいいと思った相手だけれど、冷めてみれば、彼の内に渦巻く僻みや驕りは私の手にあまる。

 いつか周りを恨むのをやめて、やさしくしたいと思える人が彼にもできるといいけれど、それは私ではない。

 

「シンシア、俺たちも行こう。後で君のすべきことを教える」

「やぁっと終わった~……」

 

 ジェイドとアルスルが先を行く。

 私はパックスに向ける視線を断ち切った。

 

 

 


 

 

 

 司祭館のベッドにリーリャを寝かせると、私たちには食堂で豆のスープが出された。

 アイシャはよく食べた。昨日からろくに食べられなかったそうだ。緊張の糸が切れて、食欲も戻ったのだろう。

 

 ジェイドとザノバ殿下の契約とは、〈殿下が執着している人形師ルーデウス・グレイラットを王宮に呼ぶ代わりに、パックスに敗北を認めさせる〉というものだった。

 担保はジェイドとその家族の命。

 三人分の首がかかっている。

 

「期限は6年。それまでに、シンシアは、自分の兄をラタキアの王宮に寄越すんだ」

「いのち……」

「ぷはっ。じゃあ、お兄様はザノバ殿下せんぞくの人形師になって、ずっとラタキアにすむの?」

 

 木のお椀を傾けてスープを飲み干したアイシャが訊ねる。

 話の飲み込みがはやい。私はジェイドたちの命がかかっている事の衝撃からまだ抜けられていない。

 

「それは彼次第だな。俺が約束したのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ところまで。あとはザノバ殿下が交渉して決めることだ」

「ふぅん……」

 

「殿下が人形馬鹿で助かった」とジェイドは疲れたように見事な金髪を掻き上げた。

 王族が平民、それもみんなから嫌われる職業に従事する者の話を聞き、しかも約束を結ぶことは普通ではまずないそうだ。

 過去に起こした大事件のせいでザノバ殿下の王子としての地位が最底辺だったこと。

 たまたまザノバ殿下が兄の人形に惚れ込んでいたこと。

 この条件が重なって、奇跡的にザノバ殿下の協力を得られたのだ。

 

 アイシャは眠たそうにからだを揺らした。

 

「アイシャ、リーリャさんのところでねんねしようか」

「……ちゃんとお話きかなきゃ……」

「お姉ちゃんが聞くから大丈夫よ」

「ううん……」

 

「おれが連れていく」とアルスルが席を立ち、アイシャを抱っこした。

 少し離れたところで食事をしていた老いた助祭にじろりと睨まれてミリス様に形ばかりの祈りを捧げたアルスルを見送り、ジェイドに向き直る。

 

「ジェイドさんは、私のお兄ちゃんのこと知らない……よね?」

「これっぽっちも」

 

 兄とジェイドに面識はない。

 反故にすれば自分と家族の命を奪われるというのに、ジェイドは〈首取り王子〉に約束を持ちかけた。

 もちろん私はお兄ちゃんにラタキアに向かうように頼むし、兄も私たち家族に尽力してくれた人のために動くだろう。

 でも、ジェイドはそんな兄の人柄を知らないのだ。

 

 私が言っても、兄がラタキアを訪ねてこなかったら……とは、考えなかったのだろうか。

 そう訊ねてみると、ジェイドは言った。

 

「妹の頼みを断わる兄なんていない」

 

 大真面目な顔であった。

 私は神妙に頷きかえした。

 

「……ジェイドさんはコレットちゃんのこと大好きだものね」

「冗談だよ」

 

 ジェイドは笑ってから、指を組み、目を瞑って祈りを捧げた。

 

「ミリス様に?」

まさか(ハユル)

 

 

 

 さて、リーリャとアイシャは解放され、アルスルの父親も無事にアルスルと再会した――というふうには、物事は具合よく運ばぬものだ。

 身柄を解放されたのはアイシャとハーマンさんのみ。

 リーリャを手放すことを、パックスは拒否した。

 

 今までは間諜の疑いで投獄していた。

 これからは、王宮侵入罪のために城での軟禁を続ける。

 身柄は旦那か父親か息子か、とにかく男家族が来れば引き渡すのだそうだ。

 

 ザノバ殿下はこの主張を咎めるどころか、賛成の意をみせた。

 彼としても、ルーデウス・グレイラットが王宮を訪ねる保証がもう一つは欲しかったのだろう。

 見ず知らずの家族の命では足りない。乳母であり異母妹の母親であるリーリャを人質にとったほうが、兄には効果的だと思われたのだ。

 

 リーリャは「アイシャが自由になるならいいのです」と諦めていて、嘆きも怒りもしなかった。

 私が感じたのは無力感と悲しさで、怒りはない。

 何に怒りを向けたらいいのかわからない。

 一筋縄にはいかないパックスに?

 私たちの完全な味方にはなってくれないザノバ殿下に?

 それとも、パックスが横暴でいることを許した彼をとりまく環境に?

 と、怒ろうと思えばなんだか途方もなくなってくるからだ。

 

 リーリャは、私にアイシャを頼んだ。

 二人に面識はないが、私がオルステッドに守られながら旅をしていることはリーリャにも知らせている。

 転移魔法陣のことも、こっそり教えた。

 なればこそ、まだ幼いアイシャに長旅の疲労をかけず、安全な場所へ送ることができるとリーリャは知った。

 

「それでは、お嬢様。お気をつけて」

「うん」

「アイシャも、周りをよく見て、言うことをよく聞いて、お利口にしなさい」

「はぁーい!」

 

 これから私は、アイシャをリーリャの実家に預けに行く。

 父様の居場所は伝えたけれど、リーリャはアイシャの存在が父様の活動の足枷になると判断した。

 ミリス神聖国はミリス教の総本山だ。

 そして、母様の実家はその国の貴族である。

 妾の子のアイシャが組織の顔であり母様の夫である父様にくっついていたら、印象は悪くなる。

 当の母様はアイシャのこともかわいがっていたのに……。

 大人の事情というやつだ。

 

 順当に行けば、数年以内に兄がリーリャの身柄をもらいうけ、リーリャは自由の身になる。

 そうしてリーリャが迎えに行くまで、アイシャは実の祖父母のもとで暮らすのだ。

 リーリャは一人娘だということだし、オーガスタさんとフルートさんにとっては唯一の孫である。きっと受け入れてくれるだろう。

 

 リーリャの横には見張り役のジンジャーさんが立っている。

 馬車の乗り合い所まで見送りをさせてくれただけ温情だ。

 

「リーリャさん、今度は、お兄ちゃんも連れてくるから。そしたらいっしょに帰ろうね」

「ええ。お待ちしております」

 

 せっかく会えたのに、リーリャを置いていかねばならない。

 やるせなさと寂しさに泣きそうになるが、リーリャに甘えるのは、アイシャの特権だ。

 リーリャはアイシャに帽子を被せ直し、今朝に結ってあげた髪を甲斐甲斐しく帽子の下に仕舞ってやっていた。

 アイシャがふざけていやいやと首を振る。また出た髪を押し込み、リーリャは私のほうにアイシャをそっと押しやった。

 

 アルスルが腕を伸ばした。つかんで引き上げてもらう。

 荷台を木の枠で囲った荷車に乗り込んだ。

 オルステッドが待ち合わせ場所に指定した村まで、途中までアルスルの一家といっしょに移動するのだ。

 解放されたアルスルの父親、ハーマンさんの目は欠けていた。

 パックスの気まぐれで行われる拷問により、片目を潰され、片足も失い、杖なしでは歩けなくされていたのだ。

 

 アルスルは私とアイシャが荷台に乗るのを助けると、横に置いていた骨壺を胸に抱き直した。

 中にはネルさんが睡っている。

 医者にもかかり、一時は立ち上がって歩けるほど回復したネルさんだったが、急に吐気を訴え、ころりと亡くなったのだという。

 決闘裁判があった日の昼間のことである。

 アルスルも、ハーマンさんも、ネルさんの死に目にはあえなかった。

 

強制徴募(デウシルメ)だ」

 

 また会おう。

 ジェイドは強い目で、アルスルに言った。

 

 

 馬車が動き出した。

 リーリャは最後まで深々と頭を下げ、コレットはぶんぶんと手を振っていた。

 

 市門を抜ける。

 他の馬車が作った轍の上を、左右に大きく揺れながら進む。

 教会の鐘の音がかすかに鳴った。その最後の一雫を、荷台の後方枠に手をかけたアイシャは、聞き逃すまいとするように身をのりだした。

 転げ落ちやしないかと心配で、私はアイシャの服を握る。市壁はすでに遠い。

 

「お母さん」

 

 アイシャの口から堪えていたであろう言葉がこぼれた。

 お母さん! と、二言目には叫び声に変わっていた。

 

「お母さん! お母さん!」

 

 しだいに涙声になっていく。

 母親から引き離される小さな子の、悲痛な叫びであった。

 

「おかぁ……」

 

 アイシャは顔を歪めて呻き、私の腿に顔を埋めて泣きじゃくった。

 私は揺れに耐えながら、上から覆い被さるようにアイシャを抱きしめる。

 

「……」

 

 ナナホシは立てた膝に額を押しつけ、静かに耳を塞いだ。

 仮面をつけているから、表情はわからない。

 

 アルスルはいきなり荷物から小刀を取り出すと、刃を思いっきり握った。

 血が流れる手を、木枠の外に突き出した。

 忘れないためだとアルスルは言った。

 

「傷を見る度に、母ちゃんが殺されたことを思い出す。父ちゃんを働けない体にしたことを恨む。

 そうして、いつか必ず、おれはパックスを殺す」

 

 パックスの親衛隊であったハーマンさんは、息子の言葉に何を思うのだろう。

 ハーマンさんは潰れた片目も無事だった目も閉じて、黙って馬車に揺られている。

 

 パックス・シーローンは殺すな、と、オルステッドに言われたのを私は思った。

 アルスルの決意を知れば、オルステッドは阻止するだろう。故にアルスルのことは伝えない。

 私も阻止はしない。でも、オルステッドに禁じられたことだから、協力もできない。

 

 遠目に見える城塞都市を抱く緑色の森と王竜山脈が、空の裾に連なっていた。

 ジェイドとアルスル。

 彼らがいなくては、私はリーリャとアイシャのどちらも助けられなかった。

 アルスルの父親が片輪にされたのも、母親が亡くなったのも、元を辿れば私たち家族のためだ。

 彼らは恨み言のひとつもなく、そればかりか、私とナナホシに男手が無いことを心配して途中まで行動を共にしてくれる。

 ジェイドに至っては、命を賭けてまで助けてくれた。

 だから、いつか報いたいと思った。

 大人になって、彼らと再会できたら、いつか。

 

「……できるといいねえ……」

 

 私はアイシャの背を撫でながら、吐息のような声で答えたのだった。

 

 

 


 

 

 

 やあ。

 裁判の様子、見ていたよ。

 なかなか頑張ったじゃないか。

 

 最初からザノバに人形を差し出していれば、もっとスムーズに事が運んだんだけどね。

 僕はそうしろと言ったんだけどな。

 どうして僕の助言からそむいたんだい?

 たかだか人形で全てが上手くいくとは思えなかったのかな。

 それとも、小さな女の子の物を取り上げるのは良心が痛んだのかな。

 信心が足りないね。

 ま、いいか。結局は助言の通りになったようだし。

 

 そう。僕が本当に善なる神ならば、お告げから背いても、裁判に勝てると思ったのかい。

 なるほどね。

 助言から外れた方法でも君が勝てば、君を勝たせようと尽力する僕の正しさが、至高の神によって証明されたことになるわけだ。

 

 ふふふ。

 いや、なに、一理あると思ってね。

 僕はこれまで助言を通して君の正義を証明してきた。

 なら、僕の正義の証明は、誰がするんだろうね?

 さらに上位の大いなる存在?

 無能な至高の神よ、僕を救ってください。

 人の真似をして祈るならこんな感じかな。

 

 うん?

 ああ、アルスルの母親のことは残念だったね。

 言っただろう。僕は全能じゃないんだ。助けられない命くらいあるさ。

 それに、ネルが死んでいたほうが、君にとっても都合がいいんじゃないかな?

 アルスルは今回の件で徹底的にパックスを憎む。

 これで彼が兵士になる未来は確定したよ。復讐の機会を狙ってね。

 親友のアルスルと共に働けて嬉しい。ネルが死んでよかった。

 そんな気持ちが君にあっても、僕は責めないよ。

 だって神様だからね。

 人の味方の神だから、ヒトガミと人は呼ぶのさ。

 

 誰が初めに呼んだのかって?

 ……思い出すとムカつくなあ。もう二度と同じことは訊くなよ。

 

 はあ……。

 そうだ、褒めるのを忘れるところだった。

 ジェイド、きみ、お手柄だったよ。

 とぼけないでよ、シンシアのことさ。

 君も彼女は普通ではないと気づいていたんだろう?

 だから危険な賭けまでして、恩を売ったんだろう?

 え? 違う?

 ふーん。

 

 この恩は、後々効いてくるよ。

 彼女は将来、きっと君の助けになる。

 まだ確定ではないけどね。

 そういう未来も視えるってだけだ。

 彼女、ちょっと視づらいんだよ。運命力が弱いくせに生きてるし、邪魔者が傍にベッタリみたいでさ、鬱陶しいったらないね……。

 いや、こっちの話だよ。

 

 それでは、僕はそろそろ消えるとするよ。

 助言もしておこう。言うまでもないことだろうけどね。

 

 あー、コホン。

 ジェイドよ。次の徴兵に志願しなさい……なさい……なさい……。

*1
ヒッタイト神話の蛇





https://x.com/mizotadamr/status/1738141075796042020?s=46&t=Y1I0G97v5hRY2k9DUlc3sQ
こちらのアンソロ同人誌に私のSSを載せていただきました。※巫女転生は無関係なので名義は変えています
現物を手にとるのがすごく楽しみです。SSのほか、イラストや漫画も多数収録されているみたいなのでご興味のある方もぜひ。

年末年始がやや忙しいのでこれが今年最後の更新になりそうです。
よいお年を!
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