巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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五一 兄妹喧嘩

 この日、アスラ王国において転移事件の影響で職を失った民衆どもが貴族に扇動され、新設ボレアス邸を襲撃している最中なのだが、報せは魔大陸に届くはずもなく、ウェンポートの船群は、のどかに、出港した。

 出港する船と入れ違いに、ロキシーらを乗せた船が着岸したことも知らず、ルーデウスは木賃宿にて唸っていた。

 

「集中集中……ハッ!」

 

 固く瞑っていた眼をカッと見開き、右眼を押さえて叫ぶルーデウスは、己が超能力を持つと信じ開花させようと勤しむ男の子の様相である。

 この年頃にはありがちな空想であるが、彼は実際に、特殊な力を授かっていた。

 

「……」

 

 そっと手を外し、無意識に左眼を眇めながら、右の視野に意識を集中する。

 視野に映る右手はわずかにブレながら、硬貨を上に弾き飛ばした。

 不純物も多く混ざった屑鉄銭は、魔大陸で使われる通貨だ。

 こいつのやりくりに苦心しながら旅を続けてきたルーデウスである。

 エリスが真似ようものなら「玩具にするんじゃありません!」と一喝する所だが、ルーデウスのこれは遊びではなく、歴とした練習であった。

 

 くすんだ硬貨は眩ささえ放ち、二重三重にも表裏の模様を重ねながら自由落下する。

 未来は薄く。現在は濃く。

 コインの輪郭の濃淡の違いに注目しながら、眼に込めるべき魔力の調節を覚える。

 

「裏」

 

 コインがテーブルにぶつかる直前、ルーデウスは素早く言った。

 予見通り、屑鉄銭は裏を見せて天板の上に着地した。

 小休憩を挟みつつ、朝から繰り返していた試行だが、今のところ百発百中の正答率を誇っている。

 並外れて勘が鋭いわけではない。今、ルーデウスの右の眼窩には、魔界大帝キシリカによって下賜された魔眼が嵌り、常に数秒先の未来が見える状態にあるのだ。

 

 魔眼を下賜されたのは昨日。

 旅籠に籠り、魔眼を使いこなすための特訓中なのだった。

 

「っと、気を抜くとダメだな……」

 

 現在と数秒先の未来。二重に見えるのが理想だが、油断すると物も人も膨張し、何重にも細かく重なって見えてしまう。

 現在の文目もわからなくなるのだ。これでは盲と変わらない。

 

「うっぷ」

 

 不自然な視野は三半規管に悪影響を及ぼし、ルーデウスは右眼を手で覆い隠して、バタンと寝台に倒れ込んだ。

 考えるのは、ヒトガミのことだ。

 予見眼は、ヒトガミの助言通りに行動して手に入った力である。

 彼と話しているのは、居心地が悪い。

 おちょくるような口調も、前世の醜い姿を一方的に知られていることも、嫌う理由なら十分だが、思い返せば、ヒトガミは常にルーデウスの困難を打破する助言を授けている。

 前回は、難しく考えすぎて、馬頭の悪党に目をつけられた。

 だから今回は素直に実行し、魔眼を手に入れた。金策の助けにはならなそうだが、戦闘の幅は広がる。

 

 彼はルーデウスを助けようとしているのか?

 それは違うだろうと心は警笛を鳴らす。本当に助けたいなら、未来を先に教え、そこに至るための行動を事細かに指示するはずだ。

 なにか目的のために、利用されている気がするのは、相手から善意が感じられないからだ。

 半端な助言をし、人が右往左往するさまを見て楽しむような性格の悪さにあてられて、こちらまで思考が悪どく疑り深くなっていくような気すらする。

 

 妹――シンディだったら、ヒトガミを好いて、仲良くなろうと歩み寄るだろう。助けてくれる良い人だ、と。

 片腕を両眼に乗せ、瞼裏にルーデウスは歳の近い妹を思い描いた。

 同じ家で、共に育ってきた。

 両親に甘える方法も、友達との遊び方も、シンシアを見て思い出して、ときには学んできた。

 シンディを構えば自然と兄らしい振る舞いができたし、精神的には大人である自負を忘れ、本当に幼年時代に戻った心地さえしたのだ。

 

「帰りてえなあ……」 

 

 自分の家に。

 むさくていいから、パウロに抱きしめられたい。ゼニスにまた褒められて、頬ずりをされたい。リーリャの作った料理を食べて、妹たちと遊んで……。

 家族も、きっと突然行方をくらませた息子を心配しているだろう。

 

 ふぅっと息を吐いたルーデウスの耳に、ノックの音が届く。

 ルイジェルドではない。エリスにしては控えめだ。

 

「はい」

 

 訪ねてくる人物に心当たりはないと思いながら、何気なく扉に手をかける。

 小柄な人影が、待ちきれないというふうに開かれた扉の隙間から入り込んだ。

 大胆な強盗かエッチなサービスの押し売りか。ルーデウスの警戒は跳ね上がる。

 セキュリティ性皆無の木賃宿である。強盗も売春婦の連れ込みも、易々と通してしまうのだ。

 前者であればふん縛り、後者であれば丁重にお帰り願う。

 

「ちょっと、何――……え?」

 

 ルーデウスの不機嫌な声は、途切れた。

 

 キラキラした瞳がルーデウスを見上げる。

 ブルネットの髪をポニーテールにまとめた少女である。

 母親譲りの淡いブルーの瞳。父親に似て、少したれた目元。

 あどけないのに、妙に人を惹きつける、すばらしく整った目鼻立ち。

 感激したように開いた口の下には、小さな艶黒子があった。

 少女は弾んだ声をあげた。

 

「会えたぁ!」

 

 予見眼は、不明瞭ながら次の光景を映した。

 

[シンシアは満面の笑みを浮かべ、飛び込んでくる]

 

 なぜ。どうやってここに。一人で?

 次々に浮かぶ疑問の答えを訊く前に、ルーデウスはとっさに両腕を広げて、妹を抱き留めたのだった。

 

 


 

 

ルーデウス視点

 

 混乱した。

 ブエナ村に残してきた妹が、なぜかウェンポートにいて、俺が引きこもっている宿を訪ねてきたのだ。

 

 一年半越しに再会した妹は、背が伸びて、顔つきも少し大人びていた。

 でも、まだ八歳か。

 幼いな。

 

「とりあえず、座って話そう」

「うん!」

「お兄ちゃんの膝じゃなくてね」

 

 引きこもっているとはいえ、それは魔眼の制御のためで、しばらくすればルイジェルドとエリスが同室に帰ってくる。

 身だしなみと清潔感には気をつかっていたのが功を奏した。

 美少女の妹が膝に座りたくなるくらいカッチョいい兄貴ではいられたわけだ。

 みすぼらしい格好をした兄に妹は懐かないだろうからな。

 

 シンディを一旦膝から退かせ、横に座らせる。

 安宿に机と椅子なんて気の利いたものはない。

 土魔術で椅子を二組。即席だが、シンディはニコニコして座った。

 家の窓から、滑り台を作ってやったこともあったな。

 祭りの夜、夜中にこっそり家を抜け出すためだった。

 懐かしい。

 あれと同じことを、シンディはできるようになっただろうか。

 魔術のコツをまとめた本を作って渡したし、多少は上達しただろう。

 

「どうしてここに?」

 

 俺は期待していた。

 魔大陸に転移した俺を、家族総出で探しにきてくれたのでは、と。

 シンディは行方不明の人間や失物の居場所をピタリと言い当てることができる。

 その力が、村の中のみならず、世界中に及ぶとしたら、俺の居場所だってわかるだろう。

 

 そんな俺の甘い想像は、シンディの発言で曇った。

 

「オルステッドとナナホシいっしょに旅してるの。昨日この町についてね、探してみたら、お兄ちゃんがいたのよ」

 

 オルステッド。ナナホシ。どちらも知らない名前だ。

 前者は男性名っぽいが、後者はこの世界では変わった名前で、響きから性別は不透視だ。

 パウロも、ゼニスもいないのか。

 だが、シンディだけが村の外に出ているのはおかしい。

 

 我が子を村に立ち寄った旅人に預けて、育てさせる。

 子の将来のため。あるいは、口減らしのため。理由は様々だが、この世界ではままあることだ。

 シンディには特殊な事情がある。

 両親が、特にゼニスが娘をホイホイ任せるわけがない。

 

「旅って、それ、父さんたちが送り出したのか? なんで?」

「え?」

 

 感じた疑問をそのまま口にすると、シンディはきょとんとした。

 逆に問い返されそうな雰囲気に、俺は困惑を深める。

 

 右目に映る像がブレる。

 まだ制御しきれず、目眩にも似た感覚に片目を眇めると、シンディはそっと俺の手の甲に触れた。

 

「だって、災害でみんな……」

「災害?」

 

 なんの話だ。

 みんな、の続きは、なんだ。みんなというのは、家族のことか。まさか、村の住人も含まれているのか。

 触れられた手が勝手に力み、ビクリと震えた。

 

 嫌な予感がした。

 シンディはちょっと息を飲み、そして眉を下げた。

 口元は少し微笑んでいて、受容と慈悲が混ざったような表情だ。

 そんな顔をする子だったろうか。

 子供の一年半は、肉体にも精神にも、多大な変化を齎すには十分な時間であると、俺は知っていた。

 シンディをそうさせる事態が、起こったのか。

 

「お兄ちゃん、お家はもうないの。人は転移でいろんなとこに散り散りになるけど、物はぜんぶ、消えちゃったのよ」

 

 告げられた事態の重さを、初めは理解できなかった。

 頭が働かないままいくつか質問をした。拙いながらもシンディが二、三答え、転移事件の概要を知る。

 フィットア領がほぼ消滅した、建国以来の未曾有の大災害。

 行方不明者、死者多数。ブエナ村も当然消滅した。

 

 いたいけな口調で説明されたからこそ、事の悲惨さが際立った。

 

「俺とエリス……だけ、じゃ、なかったのか?」

 

 少し考えれば、想像できたかもしれない。

 しかし転移した俺は、自分のことで精一杯で、そこまで考えが至らなかった。

 あの日。

 転移した日。

 光に飲み込まれた日。

 ブエナ村に一時帰還した俺は、幼なじみたちに歓迎されていた。

 俺は迎えに来たエリスとギレーヌについて行き、シンディは村に残した。

 

 シンディは魔大陸にいる。

 みんな散り散りになった、という言葉。

 あの光は、ブエナ村にまで及んでいたのだ。

 

 とつぜん放り出された魔大陸で生き延びるのは、困難を極める。

 俺とエリスにはルイジェルドがついていた。

 運が良かった。彼は強力な守護者であり、仲間であった。

 

 でも、じゃあ、他のみんなは?

 全員が魔大陸に転移したのか? 全員に、守護者が都合よく用意されていたのか?

 旅の途中で、知らぬうちに取り零していたものが、俺にはいくつもあるんじゃないか?

 

「生きてる人も、ちゃんといるよ」

 

 死んだ人もいる。

 そう告げられたも同然だった。

 シンディのそばに他の家族の影はない。

 

「父さんは? ノルンとアイシャ……母さんも、リーリャは? シルフィ、ヨッヘン、レミは? 他のやつらはどうなったんだ!?」

「お父さんは、ノルンとミリスにいるよ。アイシャはおじいちゃんのところ。リーリャはね……助けようとしたけど、だめだった」

「死んだのか!?」

「生きてる!」

 

 早とちりを、シンディは急いで訂正した。

 少し安心した。家族は全員生きているらしい。

 全員が魔大陸に転移したわけではなさそうだ。

 シンディは続けて言った。

 

「母様のことは、父様に会えたら、みんなで迎えに行こうね」

 

 ゼニスは迎えを必要とする場所にいるのか。

 パウロとノルンがいるというミリス神聖国は、どっちみち、フィットア領に帰還する道筋で通過する地だ。

 合流前にデッドエンドがゼニスを拾い、パウロと再会する。ゼニスの転移場所によっては可能だ。

 提案すると、シンディは珍しくキッパリと否定した。

 

「だめ。とっても遠くにいるのよ」

「遠くって、どこに」

「ベガリット大陸の、ラパンってとこ」

 

 なるほど、どこだ。

 いや、憶えている。『世界を歩く』に載っていた迷宮都市だ。

 都市と名がつくからには、少なくとも人が暮らせる環境には転移したのだろう。

 俺とエリスが転移したのは魔大陸の荒野だから、それよりは幾分かマシだ。

 

 パウロとノルンはミリス大陸。

 リーリャとアイシャは中央大陸。

 俺とシンディは魔大陸。

 ゼニスはベガリット大陸。

 整理してみると、見事に分かれている。年少者の下の妹たちが一人にならなかったのは幸いと言うべきか。

 

 ベガリット大陸は、あそこは人間語とも魔神語とも言語が異なるはずだ。闘神語だったか?

 気づけば見知らぬ地で、おまけに言葉が通じない。

 俺と似た状況にいるのではと心配したが、俺が今日まで生き延びたのだ。

 なら、ゼニスも大丈夫だろう。元は名の知れた冒険者だったという話だしな。

 野営や旅のノウハウはあるはずだ。

 

「でも、母様はね」

 

 シンディは何かを言いたそうだ。

 呼び方が昔に戻っている。文通の紙面上では「お母さん」と呼んでいたのだが。

 何を言いたいのか。

 ゼニスはどうしたんだ。

 とっくに命を落としていて、だから骨だけは拾いに行こう。

 そう言われるのを想像して、心臓がバクバクした。

 

「生きて会えるよ」

「ああ……そうか、うん、よかった」

 

 不安になる間を置きやがって。

 ドキドキしたじゃないか。

 

 ふと、思い出す。

 シンディが二歳か三歳のとき。

 土砂崩れに巻き込まれて亡くなった子供がいた。

 誰よりも早くその死を知っていたのは、シンディだった。

 今も、誰が生きてるのか、死んでしまったのか、全部知っているのか。

 

 訊ねると、やはり肯定された。

 ぜんぶ知りたい? とも言われた。

 魔大陸に転移した者がいるなら、救いに行きたかった。

 遺品があるなら取りに戻りたかった。

 同じ魔大陸に転移して、まだ生きている者──救える範囲にいる者の有無だけ教えてくれるように頼んだが、もういないと言う。

 それ以上をシンディの口から言わせるのは憚られた。

 

 我が妹は多くを知る。

 言葉を通して他者に伝えられるのが彼女が見ている世界のほんの一端であるなら、それは、人間の社会で、ただ一人だけ神の視点を持っていることになる。

 シンディの力が判明した当時、頭をよぎった思考だ。

 ロキシーを神のごとく崇める俺だが、この場合の神は、少し異なる。

 民俗学としての神だ。

 古来日本には、神の憑依によってお告げをする託宣者が各地にいたそうだ。

 託宣の内容は、一年の豊凶や、氏子の禍福。

  

 シンディは天候すら言い当てた。人の禍福は言わずもがな。 

 農業の専門知識はない俺だが、天候が豊凶に直結することくらいは知っている。

 

 シンシア・グレイラットは神子だ。

 家族会議では、そういうことにした。

 実態は、託宣者に近いのではないか。この世界に託宣者としての巫女がいるのか不明だったから、俺が言い出せなかったことだ。

 

「シンディ、聞かせてくれ。お前がどこに転移して、どうやって生き延びてきたのか」

 

 特殊な力によって、普通ならば知りえないことを知っている。

 そんな妹が、今までどうしてきたのか。

 俺は彼女の話を聞くことにした。

 

 

 

「そしてね、ラタキアには変な建物があって、屋根なんかお椀を伏せたみたいな形なの。公衆浴場だって、ジェイドさんが教えてくれたのよ」

 

 ……。

 俺は生ぬるい目をしていたと思う。

 エリスや村の子供を見ていればわかる事だが、物事を順序だてて話せる子供は少ない。

 いたとしても、それはシルフィやエマのように賢い子だけだ。

 素直だが飛びぬけて賢くはないシンディの話も時系列がバラバラで、要領を得ない点も多かった。

 

 知り合いも友達も死んだ。

 だというのに、楽しそうに語る妹を見て、少々モヤッとする。

 悲しくないのか?

 

「なあ、シンディ。一ついいか?」

「いいよ?」

 

 ひっかかっていることもある。

 赤竜山脈でシンディを保護し、以来行動を共にしている、オルステッドという男のことだ。

 

「オルステッドは、たった一年で、あちこち赴けるほど強いし旅慣れてるのに、どうしてシンディを父さんか母さん……俺でもいい、家族に会わせようとしないんだ?」

 

 目が覚めたら、赤竜山脈。

 上空には赤竜。傍には共に転移してきた幼い村の子供たち。

 そんな絶望的な状況に神のごときタイミングで現れ、シンディを救った男。

 彼はあらゆる大陸の近道のルートを知り尽し、襲いかかってきた魔物や勝負を仕掛けてきた武人をあっという間に沈めてしまう。

 シンディの話を全て鵜呑みにするなら、とんでもないチート野郎だ。

 

「火薬をつくる竈でね、真っ赤に灼けた炭もきれいだったけど、魔石もきれいなの。あ、ベヒーモスのお墓から魔石ひろったこともあるのよ! お兄ちゃんにあげる。売るとね、お金になるよ」

「お、おう」

 

 シンディはそら豆サイズの魔石を取り出し、俺に嬉々として渡した。

 まさか本物じゃないよな。

 予見眼を埋められた片目を瞑り、左眼でじっくり観察する。

 旅行先で買ったキーホールダーのごとく気安く渡された魔石は、俺の疑心に反し、確かな重量と、研磨される前の宝石のような鈍い輝きを持っていた。

 

「ベヒーモスの墓なんか、どこにあるんだ?」

「うーんと……ベガリット大陸の、どこかよ」

 

 また疑念が募る。

 旅の速度がおかしい。

 この世界に転移魔法は存在しないのだと思っていたが、実はあるのか?

 だいたい、ベガリット大陸で、ゼニスには会わなかったのか?

 赤竜山脈に転移して、一年のうちにベガリット大陸にも行き、シーローン王国の首都にも寄り、ウェンポートにも来る技量があるなら、ラパンに寄るのも容易いはずだ。

 

 シンディは村から出たことがない。小さくて非力な女の子だ。

 いくら男が強くても、連れて歩くには足手まといになるだろう。

 実際に、シンディ以外の子供たちはウィシル領の町の救貧院に置いてきたという話だ。

 なぜシンディだけは連れて旅を続けているのか。

 

 情が移り、子供たちの中では年長者であり、比較的手のかからないシンディだけ、優先的に家族のもとに帰してやることにした。

 そんなところかと思ったが、それにしては変だ。

 

 世界中を旅する男と、人の居場所がわかるシンディ。

 組み合わせれば、とっくにパウロかゼニスには会えているはずだ。

 しかし話を聞く限り、オルステッドからは、シンディを家族に再会させようという意思を感じられない。

 今日再会できたのも、オルステッドに連れられてきた町にたまたま俺がいたからだそうだ。

 

 俺の疑問を受けて、シンディはすこし考えるような沈黙の後、言った。

 

「オルステッドの言うことを聞いたら、父様のところに帰すって約束だもの。まだ会えないの」

 

 まさか、と思った。

 知られているのか。シンディの力を。

 うちの妹はただの子供ではない。その場にないもの、起こっていない事象を視る力を持っている。

 いや、知られているのがそれだけであればまだいい。

 最悪なのが、あの呪いじみた力まで利用されているパターンだ。

 

「何をさせられたんだ?」

 

 つい問い詰めるような口調になった。

 後ろめたいことがあるのか、怖がらせたのか、シンディは俯いた。

 いかんな。シンディだって辛かったのだ。

 俺もここに来るまで、楽しいこともあったが、初めはつらいことも多かった。

 考えすぎて、空回りして、失敗して。

 

 シンディだってそうだろう。

 村にいた頃も、ボレアス家に行ったあとも、よく俺に懐いていた妹。

 まだ幼くて、人の助けを必要とする時期に親から引き離されて、俺よりも苦労した場面も多かっただろう。

 

「えっとね」

 

 泣き出せば、抱きしめて、優しく慰められた。

 予想に反し、上げられた顔には、楽しそうな表情が浮かぶ。

 語る声は明るく朗らかだった。

 

「人や物を探したり、先を視たり、魔物の通る道を教えたりー……町でのおつかいとか、あと、魔物や人を殺すのもやった!」

 

 冷水をぶっかけられた心地だった。

 可憐で幼い少女には不似合いな、殺人の自白。

 おつかいと同列に語られたように、彼女がそれをおつかいと同様に易々と実行できる力のあることを、俺たち家族は知っている。

 そして、オルステッドとかいう余所者にも、既に知られている。

 最悪だ。

 

 ああ、でも、シンディ。

 お前、なんでそんなに、明るいんだ?

 

「何人?」

「?」

「何人、殺した?」

 

 俺は縋った。

 いま見せているのも空元気で、裏では無理やり従わされている。

 嫌々ながら数人だけ殺した。

 そうであってほしかった。

 

「……わかんない。……たくさん?」

「は?」

 

 シンディは、悪戯がバレたような雰囲気で、気まずそうに指を重ね合わせている。

 それだけだ。

 軽い。

 もっと重くあるべきじゃないのか。

 人を殺した後悔や、罪悪感がない。

 

「いや、それは、ダメだろ……」

 

 村での幸せな記憶に、亀裂が走る。

 パソコンひとつないド田舎とはいえ、裕福な騎士の家で、優しい両親に見守られて育ってきた。

 そんな子が、殺人をなんとも思わない。

 前世の記憶のある俺は、見た目通りの精神年齢じゃない。

 七歳からは離れて暮らしていたとはいえ、俺もシンディの保護者のような心境だった。

 関わり方を間違えたのか。そんな落胆もあった。

 

 殺人は悪だ。そう強く思っている俺だけが、この世界では異常だ。

 それはわかっている。この魔大陸で、俺が直接手を下さなかったとはいえ、殺したこともある。

 でも、だからこそ、シンディには、綺麗なままであってほしかった。

 俺たちは、お互いを守るために、人を殺したことがある。

 灰色の靴に赤黒くこびり付いた血痕も、尖った石を何度も振り下ろした腕のだるい疲労も、憶えている。

 あの記憶が強烈に焼きついているのは、俺だけだったのだろうか。

 シンシアはすでに殺人を厭わなくなっていたのか。

 

「脅されて、嫌々やってたんだろ? そうだよな?」

 

 シンディは大事な家族だ。

 そう思い続けたくて、念押しで訊ねる。

 

「え……と、ちがうのよ。オルステッドはやさしいよ」

 

 ああ、くそっ。

 なんでそんな気まずそうな顔をするんだよ。

 どうして俺が怒ってるのかわからねえんだよ。

 

「じゃあ、なんでだよ。やらなくてもよかったんだろ」

 

 優しい男が、子供に人を殺させるものか。

 シンシアが役に立つ子供であるうちは優しいだけの悪党。そんな可能性もある。

 そうだとしたら、オルステッドのせいにすればいい。

 

 シンディは無言だ。

 言い訳の余地もない。そんな様子で、口を閉ざしている。

 ややあって、俺の気持ちは冷めていた。

 不貞腐れていた。

 

 催眠もどきをしてまで、シンディの力を制限しようとしたゼニス。

 父としての威厳を捨て、シンディとの関わり方を相談してきたパウロ。

 怖いことをしないよ、とかつて俺に言った言葉。

 

 それら全部を裏切ってまで。

 見ず知らずの男の命令のほうが、家族より大事。

 そういうことだ。

 

「はあ……」

 

 ため息を吐いた。

 結局、幼くても女ってわけだ。強い男に惹かれて、気に入られようと言いなりになって。

 ヒトガミの白い空間に置かれた時のように、腐っていく思考を止められなかった。

 前世、DQNどもに虐められていた俺を、男と一緒になって笑っていた同級生の女を思い出す。

 あくまで憎んでいたのは、全裸磔を実行した奴らだけだ。

 俺を踏みつけにして己の強さを誇示するDQNども。

 だというのに、俺は今、派手な髪型とメイクで甲高く笑い、そんな奴らに擦り寄っていた女たちをも憎み始めている。

 なにせシンシアがそれだったのだ。

 胸に黒い気持ちが広がる。

 

「俺たちがシンディの力を隠してきたのは、守るためだ。シンディが誰にも利用されず、幸せになれるように、頑張ってきたつもりだ」

「……」

 

 予見眼の制御も忘れ、不明瞭になった視野では、シンシアがどんな顔をしているのかも分からない。

 俺は言い返してこない相手に、憎いヤツらを投影して、こてんぱんに言い負かせることしか考えていなかった。

 何もしていないのだと思っていた。

 特別な力を持ちながら、過酷な環境に転移した知人や友人が死に行くのを、強い男に守られて傍観していた。

 そう決めつけた。

 歪んだ心を正当化した。

 

「だって、そうしないと、わたし、生きていけない……」

 

 イラッとした。

 

「なんだよ、その言い方」

 

 今までずっと利用されてきたような言い草だ。

 前世で家族とこじれてしまった後悔もあったし、可愛かったから、シンシアに優しくしてきた。

 家族として愛してきたつもりだ。

 それを否定された。

 

「俺が、ゼニスが、パウロが、リーリャが、一度でもオルステッドみたいにシンディに人を殺させたか? 殺してくれって頼んだか?」

「……ない」

 

 分が悪いとわかっているのか、シンディは小さな声でそれだけ答えた。

 そうだろう。お前は愛されてたんだ。

 パウロとゼニスの愛情まで否定して、バカな子だ。

 

 立ち上がって、シンディを見下ろす。

 

「俺は、突然魔大陸に飛ばされて、わけがわからないまま必死にここまで来たんだ」

 

 故郷は無事だって信じてたんだよ。

 エリスをボレアス家に送り届けて、ブエナ村に帰りたかったんだ。

 

「なのにお前はなんだ? 一人だけ全部知ってたくせに、 オルステッドとかいう男に気に入られるために、母さんとの約束も蔑ろにして? 家族より男が大事か?」

 

 俺は当たった。

 当たり散らした。

 俺だって旅を楽しんでいた。エロいことに気を取られる余裕もあった。

 でもそれは、転移したのが俺とエリスだけだと思っていたからだ。

 フィットア領全土の転移災害だと知っていれば、もっと真剣にやっていた。

 涙が込み上げてきた。

 だいたい、なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ。

 もうウェンポートまで来ちまったじゃねえか。

 何人、魔大陸に転移したんだよ。

 俺は何人の命を見落としてきたんだよ。

 全部知ってるんだろ。

 言えよ。

 

「じゃあ、どうしたらよかったの……」

 

 ぽつんと座ったシンディは、流れた涙を手のひらで拭った。

 怖いことをしない。かつてそう言ってくれたのはシンディだ。

 守られることはなかった約束に、メソメソした態度に、カッとなって声を荒らげた。

 

「どうしたら!? お前なら、もっと上手くできた! 助けてくれる人が! 言いなりになって! 人殺しにならなくても! いくらでもいたはずなんだよ!」

 

 この世界では、捨て子や孤児は多いが、拾う者も多い。

 旅の途中でも、血の繋がらない幼児を連れた魔族は珍しくなかった。

 子供を欲しがっていて、ほどよく親切で金持ち。

 そんな夫婦が、器量よく性格も良いシンディを気に入る。

 要求する労働も、普通の子供にできるお手伝いレベルだ。

 孤児からしたら夢物語のようだが、シンディの容姿にはそれを簡単に実現する力があった。

 

 怒鳴った。

 感情をぶつけた。

 睨みのひとつでも返されたら、もっと責めていただろう。

 拳のひとつでも飛んできたら、容赦なく殴り返しただろう。

 

「できないぃ……」

 

 シンシアはどちらもしなかった。

 しゃくりあげて泣きだした。

 

「父様のとこに連れていく、って、いっ、言ってくれたの、オルステッドだけで……母様いないし、父様に、会いたかったんだもん……」

 

 なんでだよ。

 なんで俺が悪いみたいに泣くんだよ。

 泣きたいのは俺のほうだ。

 俺だっていっぱいいっぱいだ。

 故郷が消滅したって聞かされて、家族もバラバラで……。

 

「やめろ、ルーデウス」

 

 ルイジェルドの声に、顔を上げた。

 いつ帰ってきていたのか。

 いつから話を聞いていたのか。

 気をつかって部屋の前で待っていたのか。

 途中でただ事ではないと割り込んできたのか。

 ルイジェルドは険しい顔で、俺に歩み寄ってくる。

 

「子供は喧嘩をするものだ。しかし、兄ならば、妹を守ってやれ。それとも、人族の間では、妹を虐げるのが兄の務めなのか?」

 

 虐げる。

 いじめる。

 俺が?

 いや、それは。

 シンディが間違っていたから。

 

 ルイジェルドの介入でいくぶんか冷静になった頭で、シンディを見る。

 

 泣いている。

 俺が泣かせたんだ。

 無茶苦茶な理屈をつけて、糾弾した。

 

「いじめてるわけじゃ……」

 

 乾いた口で、否定の言葉を絞り出す。

 いや、わかっている。

 これはイジメだ。

 俺が、よりにもよって。

 

「そうか?」

 

 ルイジェルドの視線は厳しい。

 彼は俺とシンディの間に立った。俺からシンディを守るためだ。

 

「お前の言葉は、彼女を守るためのものか? それとも、自分の怒りをぶつけて気持ちよくなるためのものか?」

 

 胸の奥を抉られるような感覚。

 めまいがした。

 座り込みたくなる。

 でも、違う。

 俺は加害者だ。

 そんな資格はない。

 

 呆然と立ち尽くす俺の前で、ルイジェルドはすすり泣くシンディの小さな頭を撫でた。

 本来なら、俺がそうしなきゃいけなかった。

 いや、俺が傷つけておいて、それはないか。

 

「家はどこだ? そこまで送り届けよう」

 

 ルイジェルドの言葉に、シンディはうつむいたまま首を横に振り、立ち上がって部屋から出ていった。

 

「……」

 

 木賃宿の埃っぽい一室には、俺と、ルイジェルドが残された。

 

「お前は休んでいろ」

 

 ルイジェルドは目配せをくれ、部屋から出た。

 シンディが安全な場所に移動するまで、陰ながら見守ってくれるんだろう。

 そういう男だ。

 

 安全な場所。

 もう俺の隣ではない。

 自ら、その立場を捨てたからだ。

 感情のままに、メチャクチャに壊したからだ。

 

 シンディもルイジェルドもいなくなると、ひょこっとエリスが顔を出した。

 

「ルーデウスがあんな怒り方するなんて……」

 

 エリスは珍しく、俺の様子を伺うように近寄ってきた。

「あの子、たしか、誕生日パーティーに来てた子でしょ?」と、彼女の指先が気遣わしげに肩に触れる。

 

「酷い顔だわ」

 

 エリスも聞いていたんだろう。

 最悪なところを見せてしまった。

 ていうか、二人にはどこまで聞かれたんだろうか。

 シンディの力のことまで聞かれていたなら、口止めを……いや、どうでもいいか。もう。

 

「……妹をいじめた、最低な兄貴の顔ですから」

「そうじゃなくて」

 

 エリスはがっくり座り込んだ俺の前に膝をついた。

 視野の端で赤い髪がふわりと揺れ、体は温もりに包まれた。

 

「ルーデウスはすごいわ」

「……」

「でも、あの子、スキットルズは下手だったじゃない。そんな子が、ルーデウスよりすごくなれるわけないわ」

 

 床に立てたピンを、円盤を投げて倒すボウリングに似た遊びだ。

 俺の誕生日パーティーには、妹たちを連れてゼニスが来てくれた。

 そうだ、それで、一緒に遊んで、シンディは下手だったけど、本当に楽しそうで、ずっと俺についてきたんだ。

 今日だって、俺に会えてあんなに嬉しそうにしていたのに。

 

 媚びを売ったからなんだ。

 どんな生き方でも、再会できたんだから良いじゃないか。

 それなのに、あんな風に突き放したんだ。一年以上も親元を離されて働いて、やっと再会できた家族が俺だったのに。

 

「エリス、どうしよう、俺……どうしよう……!」

 

 ボロボロ泣き出した俺を、エリスは見捨てずに抱きしめた。

 自分が矮小でみじめな物になったみたいだ。

 

「泣かないで……謝りに行こ? ルーデウスなら大丈夫だから」

 

 グズグズ鼻を啜りながら頷き、エリスに支えられながら立ち上がった。

 予見眼を手に入れてからというもの、距離感が上手く掴めなくて、外に出るのを控えていた。

 エリスもそれを理解しているのか、俺の手を掴んだまま離さない。

 手を繋いで一緒にいてくれるのだろう。

 そのまま、ゆっくり外に出ようとした。

 

 思い出すのは、一番上の兄の顔だ。

 家に引きこもっていた前世で、兄貴は、兄弟のなかで一番俺に優しかった。

 どん詰まりで動けない俺をなんとか助けようと手と言葉を尽くしてくれた。

 その兄貴が、最後に俺に向けた目。

 同じ目を、シンディにされたら。

 

 ぐぅっと胃が迫りあがってきた。

 喉の奥から苦い味が広がった。

 

「ぉえ……」

「ルーデウス!」

 

 吐いた。

 壁によりかかって浅く息をする。

 何重にもぶれる視界で、汚れた床を見下ろした。

 

 前世みたいに、縁を切られたら。

 想像すると、動けなくなった。

 

 

 


 

 

 

 泣きながら宿に戻った私を、ナナホシは驚いて迎えた。

 寝台に座らせ、横に座って、肩や頭を撫でてくれた。

 

 兄の部屋でも、誰か大人の人に頭を撫でられた感覚があった。

 知らない人に泣いているところを見られたのが惨めで切なくて、顔も見ずに飛び出してきてしまった。

 

 兄がいると知ったきっかけは、オルステッドだ。

 彼は昨日の夜、ナナホシと私の様子を見にきた。

 体調は大丈夫か、寝食に不自由はないか……等々。

 私はキリシカちゃんに会ったことを話した。人を呪い、未来を視る人たちが、私のほかにもいることも。

 その人たちに会いたい。バーバ・ヤーガにもまた会いたい。そう言ったのだけれど。

 

『俺がループの起点に立っ……俺が生まれた時点で、そういった者達は既に根絶やしにされていた。バードラは生き残りだが、じきに行方を晦ませるだろう。今後百年、お前のようなやつは現れん』

『それって絶対?』

『ああ』

『ぜったいにぜったい?』

『ああ』

 

 しょげる私に、オルステッドは続けて声をかけた。仲間が欲しいのか、と。

 顔のしれぬよその憑き物筋を、仲間と感じたことは、前世でも今世でもない。

 チサの時は婆やんが理解者だったし、シンシアとして産まれてからも、家族がずっと私の味方でいてくれたから、家の外にそれを求める理由はなかったのだ。

 

『私とおなじ人がいたら会いたかったけど、仲間じゃなくていいの。私さみしくないもの。お母さんもお父さんも、お兄ちゃんもリーリャもいるし……』

『実兄か?』

『じっ……?』

『血の繋がった兄がいるのか』

『そうよ』

 

 そういえば、キリシカちゃんが落ちてくる直前、私は兄の居場所を視ようとしていたのだった。

 オルステッドが兄の存在に食いついたおかげで、思い出した。

 なんで忘れていたのだろう、と改めて眼を瞑る。視えた図に、私は飛び上がるほど驚いた。

 いたのだ。ルーデウスお兄ちゃんが。同じ町に。

 

 

 そうして翌日に一人で訪ねていって、あんなことになった。

 初めは、兄がいると知って嬉しかった。

 今も、嬉しい。

 お兄ちゃんのことが好き。大好き。

 だから、嫌われたのがつらい。

 

「落ち着いた?」

「うん……」

 

 優しく声をかけてくるナナホシに、グズグズと鼻を啜りながら返事をする。

 顔をもちゃもちゃと拭われた。 

 

 原因を考える。

 転移事件、転移災害と名づけられた大災害からこっち、魔大陸にずっといた兄は、事態を知らなかった。

 私も、オルステッドから教えられなければ、認められなかった。

 転移事件を知った兄は、私のこれまでの軌跡を知りたがった。

 赤竜山脈に転移したと聞いてぽかんとし、他の小さな子も連れて生き延びたと聞き驚いていた。

 故郷がなくなって、家族と離れ離れになった転移事件を、私はずっと乗り越えることはできないだろう。

 でも、オルステッドとナナホシとの旅は、楽しい。

 転移事件の犠牲者を悼むことと、村にいては出会えなかった人たちを大切に思うことは、両立する。

 

 いつから兄を怒らせてしまったのだろう。

 旅の思い出を、兄は初めは神妙に聞いていた。

 でも、段々と表情が暗くなっていって、私は兄を悲しませてはいけないと思って、旅の楽しいことだけを話した。

 私の知る兄は、私がわがままを言えば困り、私が仕合わせだと嬉しそうにしてくれたから。

 

 転移事件から一年以上経つのに、オルステッドはなぜ私を親元に帰さないのか。

 そう訊かれた。

 初めは誘拐同然に連れ出されたし、脅されてついて行ったから、その辺の事情は言わなかったのだ。

 

 オルステッドのために働けば、父様のところに連れて行ってもらえる。

 と、答えれば、何をしてきたのかと重ねて訊かれた。

 

 険しい顔だった。

 伺い見ると、兄は真剣な顔で、表情はもう暗くはなかった。

 険しいほうが、暗く落ち込んでいるよりはましである。

 私は兄がまた暗くならないように、わざと明るい声で答えた。

 あの瞬間だ。兄がひどく傷つけられた顔をしたのは。

 

 熱病から生還して、トウビョウ使いになったチサのもとには色んな祈りが届いた。

 雨を降らせてほしい、帰らぬ夫を探してほしい、嫁を孕ませてほしい、憎い奴を殺してほしい。

 祈りをトウビョウ様に届け、叶えるうちに、チサは綿の布団で眠れるようになった。家はその日の食い物に困らなくなった。 

 

 チサがトウビョウ様の霊力を使って人を呪い殺すのは、田植えのために天候を視るのと同じくらい、やって当然のことだった。

 

 そんな当たり前は、母様によって当たり前じゃなくなった。

 失せ物や人を探すのは、人のためになる力。

 殺したり傷つけるのは、やってはいけない。

 

 初めのうちは母様との約束が心に濃かったから、オルステッドに命じられた時は抵抗感を憶えもした。

 逆らえなくて、しかたないよね、と約束を破るうちに、どんどん嫌じゃなくなっていった。

 オルステッドは母様とは異なる。人を殺すことを悪いことだとは考えない。

 私だってもともとはそちら側だったのだ。すぐに染まった。

 

 それが、兄は許せないのだ。

 私はどうしたらよかったのだろう。

 出会ってまもないオルステッドは、言う通りに働かない私を、それでも連れて行ってくれただろうか。

 どこかの機会で、母様との約束があるから、人を殺したくない、と言うべきだったのだ。

 それをしなかったのは、忘れていたから。

 怒られて当然だ。

 

 それに、兄の言う通り、私には助けてくれる人が大勢いたのだ。

 転移事件の生き残りだと知ると、同情して、ずっとうちにいていいよ、と言ってくれる人はたくさんいた。

 ウィシル領の救貧院の人たちも、リーリャの両親も親切だった。

 バーバ・ヤーガと彼に守られている孤児たちもそうだ。

 ペルギウス様も私がそばにいることを許した。

 オルステッドが迎えに来なくても、私が生きていける場所は、たくさんあった。

 

 それでもオルステッドを選び続けたのは、彼しかいなかったからだ。

 他の人たちは、私に居場所をくれても、父様に会わせてくれるわけじゃなかった。

 オルステッドだけが約束してくれた。

 父親と再会させてやる、って、彼だけが言ってくれた。

 

「それでシンシアは、お兄さんに何をしてほしかったの?」

「……褒めてほしかった……」

 

 頑張ってきた。でもきっと、頑張り方を間違えていた。

 ナナホシは私を引き寄せ、ユラユラ揺らしながら、何度か質問した。

 その度に、私の内心のモヤモヤはどんどん引き出されていった。

 

「あなた、自分の兄を、親か何かだと思ってるでしょ」

「……お兄ちゃんは、お兄ちゃんよ?」

 

 何を言うのか。

 しかしナナホシは「ようは、甘えすぎってこと」と付け足した。

 

「親なら、子供が頑張れば、成果は関係なしにまず褒めるでしょうね。でも、ただの兄が、転移事件のことも急に知らされて、大混乱の渦中に他の存在にまで気を回せなんて、無茶な話じゃない?」

 

 兄なら、なんでもできると思っていた。

 でもそれは、違うのだろうか。

 

「シンシアも、アイシャと一緒にいて、苦労はあったはずよ」

 

 アイシャのことは大切で大好き。

 ブエナ村にいた頃、私が二人の妹に優しくできたのは、母様たちが助けてくれたからだ。

 家の大人は誰もいない。アイシャは可愛いが、言うことを聞いてくれない時はあったし、リーリャがしてきたように守るのは大変だった。

 オーガスタさんとフルートさんに無事に会えた時は、ほっと安堵したものだ。

 

 兄も同じ心境だったのか。

 賢いアイシャが相手でもそうなのだから、私なんて余計に、兄は疲弊したのでは。

 

「上のきょうだいは、親とは違うわ。ただ同じ両親の下に生まれただけなのに、全力で甘えられたらしんどいわよ」

 

 締めくくったナナホシの言葉に、私はしょげた。

 アイシャのことで私が苦労したのは仕方がなかった。

 あの子はまだ小ちゃいのだし、ちっちゃい子の面倒は見なきゃいけない。

 でも、私はもう大きい。

 小ちゃい子みたいに甘えるのはおしまいだったのだ。

 

 私は、兄を父様の代わりにしようとしていたのだろう。

 呪殺を恐れ嫌う兄に、べったり寄りかかろうとした。

 

 顔も体もしおしおに萎れた心地で、ナナホシの袖を握る。

 

「お兄ちゃん、許してくれるかしら……」

「今まで仲良かったんでしょ? 大丈夫じゃない?」

 

 ナナホシはぐいぐいと私に体重をかけて慰め、袖を引き抜いた。

 ちょっと声色が投げやりだったが、くたびれた草花が水を得て徐々に瑞々しさを取り戻すように、私もじわじわと奮起した。

 

 うむ。

 そうと分かれば、謝りに行こう。

 外はまだ明るいが、もだもだしていたら、あっというまに夕暮れである。

 オルステッドが迎えに来るのは今夜だったはずだ。

 活動できる時間は限られている。

 

「お兄ちゃんに謝ってくる!」

 

 そうしてまた、外に出た。

 

 

 

「あなた、わたくしを助けてくださる?」

 

 ところが、途中で行き逢った長耳族の女に、私はうっかりついて行ってしまったのである。

 お兄ちゃんに会いたい。

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