ノルンがルーデウスに懐いていたり、アイシャ→ルーデウスの好感度の変化など、原作からかけ離れた設定が所々あります。
1話 もしもシンシアが妹達と一緒にシャリーアに来たら
しあわせ、と少女は思った。
先にある結末を忘れていた。彼女と二人の妹をとりまくバディルスの花はかつてフィットア領の名産で、花弁から特殊な段階を踏んで得る蒸留水は、すばらしい薬になった。色は紫、と一口にいっても、さまざまな諧調がある。赤に近い紫、青みがかった紫、鮮やかな紫、淡い紫、白に近い淡い青色、斑入り。
アスラ王領にも、花は群生していた。紫色の絨毯を眺め、きれいだね、と感嘆をもらす妹たちにほほえむ。しあわせ、と少女は思い、けれど怖い、と心の中でつけ加えた。
ナナホシがペットボトルを召喚した。
ラベルなく、中身なく、原産国であれば塵と一瞥もされなかっただろう。
しかしこの世界には確実に存在しない物体である。
物珍しさに異世界人たちはペットボトルを囲み、元地球人と現地球人は実験の初期段階の成功を確信した。
即ち、異世界と地球を繋げることができたのだ。
成功を祝う宴も終わり、ルーデウスはシルフィと共に帰宅していた。
彼らは新婚である。帰る家が同じという事実だけでしみじみニヤニヤできてしまうほど仲睦まじかった。
「んふ、ねえルディ、かえったらぁ、今日もいっしょに寝てくれる?」
「今日といわずずっと一緒だよ、お姫様」
「えへへぃ」
ふにゃふにゃとシルフィに甘えられながら、深夜の街路を歩く。
家を囲む塀が見えたとき、気づいた。話し声が聞こえる。一人ではない、複数人分だ。
シルフィは即座に解毒魔術で酔いを覚まし、護衛術師の経験から培った身のこなしで近づいていく。
ルーデウスも同様、魔眼——予言眼——で数秒先の未来を見つつ、門前の様子を伺った。
「ごめんくださーい!」
金髪の女の子が扉を叩いている。
無人の屋敷から人が出てくることは当然なく、困ったように振り返る。
「家、ここなんだよね? 誰もいないみたいだよ?」
「いろんな人に聞いたし、合ってるはずなんだけど……どうしよう、この時間だと、どこの宿も閉まってるし」
「じゃ、お姉ちゃんが開けてもらうわ。宿の主人を起こしてしまいさえすれば、きっと泊めてくださるもの」
「……はっ! 色仕掛けはナシだからね! お姉ちゃんはそういうの安売りしちゃダメなんだから!」
「高く売る分にはいいのね……」
「ねむーい、今日は野宿しようよお」
「もー、ノルン姉はルイジェルドさんにおんぶされてて!」
姦しい少女たちの話し声であった。
声の高さは記憶と少し変わっていたが、名前には聞き覚えがあった。
彼女らの後ろに守護者のように控えていた男は、ルーデウスの気配にとっくに気がついていたのだろう。
「心配するな」と三人の中で一番ハキハキとしていた女の子の背に手をやり、ルーデウスの方を見るように促した。
男の姿を認め、ルーデウスの胸に懐かしい気持ちが広がる。
妹たちもルーデウスを見つけ、三者三様の反応をみせる。
まずシンディ。
彼女はルーデウスの影にいたシルフィを見ると、キャアっと悲鳴をあげた。
同時にシルフィが横をすり抜け、シンディに突進する。
二人はキャーキャー言いながら抱き合った。
「シルフィ! お嫁さんになったのね!」
「そうだよ! 夢が叶ったんだ!」
次にノルン。
眠たそうに眼をこすっていたノルンは、ルーデウスを見ると、パッと表情を明るませた。
眠気も吹き飛んだか、満面の笑みでルーデウスに向かってくる。
抱き留められるように両腕を広げると、ノルンはなぜかバインと背中でぶつかってきた。海老ジャンプのようだ。
「お兄ちゃん! 会いたかったです!」
「おお、小さい頃のまま可愛いなあ、ノルンは」
「えへへ。よかった、やっぱりここがお兄ちゃんの家だったんだね、アイシャは間違ってなかったんだよ! ね、アイシャ」
そして、アイシャ。
ルーデウスの10歳の誕生日パーティー以来、一度も顔を合わせる機会のなかった異母妹である。
俺を憶えているだろうか、とルーデウスは不安に思う。
シンシアとノルンとは、ミリシオンで家族の時を持つことができた。
そのときアイシャは彼女の祖父母の下で過ごしていた。
ごく幼い時に魔力災害にあい、自分の意思とはかかわりのない都合によって住処を次々と変えてきた彼女にとって、兄はほとんど非在の者であったに違いない。
アイシャはそれぞれ再会を喜ぶ姉と妹から一歩離れた場所から、ルーデウスをじっと見つめていた。
が、すぐに愛想は良くなった。アイシャはにぱっと笑い、ルーデウスに近寄った。
「六年ぶりですね、お兄様」
と、膝を折った。服装こそケープ付きのコートだが、お仕着せがきっと似合うだろうと思わせる、よく躾けられたメイドの仕草であった。
ルーデウスはリーリャを思い出す、娘のアイシャをルーデウスのメイドにすると譲らなかったリーリャだ。
あの発言は実現されようとしているのか。
思い悩むのはやめ、ルーデウスはルイジェルドに目を向けた。
ルーデウスにとって、ルイジェルドは強さの象徴である。
身内や故郷の無事だのは考えず、ただ故郷を目指して旅をしていればよかった少年期の心持ちに戻っていくようだった。
「ルーデウス、久しぶりだな」
護衛として、少女たちに連れ添っていたルイジェルドは、三年前と同じ姿をしていた。
緑色の髪を隠すために頭を剃り上げているところも、スペルド族の伝統衣装も、何も変わっていない。
三年越しとなる再会を喜びつつも、横にいる妻がエリスではないことを指摘されると、きまり悪くなる。
シルフィはシンシアを抱き付かせたままだったが、あ、と気づいたように離れ、ルイジェルドにぺこりと会釈した。
「ルディ、とりあえず中に入ってもらおうよ。シンディたちも疲れてるだろうし」
「そうだな。どうぞ、ルイジェルドさん、皆、入ってください」
シルフィとシンシア、そして年少の妹二人が風呂で温まっている間、ルーデウスとルイジェルドは話をした。
ルイジェルドはミリス大陸の西端の港町でばったりパウロらと合流し、以降はジンジャーと共に子供を守りながらシャリーアまで移動してきた。
ジンジャー・ヨークといえば、シーローン王国の王宮に抑留されていたリーリャの護送を申し出た女騎士である。そばかす顔の素朴な雰囲気だが、王族に仕える身なのだ。優秀な人物であろうと任せたのを憶えている。
リーリャをミリシオンまで送り届けた後はシーローンに帰還したものと思っていたが、そのまま年単位でグレイラット家と交流を持っていたらしい。
「彼女にも礼を言わねばなりませんね」
「そうか? 生真面目なヤツだが、お前の妹達とも打ち解けて、楽しそうにしていたぞ」
「リーリャさんだけならまだしも、女の子三人を守るとあっては、気も張るでしょう。本当に、ルイジェルドさんも付いていて助かりました。ありがとうございます」
礼などいらんのだがな、と苦笑するルイジェルドの表情は昔と同じようでいて、くたびれたような翳りが見えた。
ああ、とルーデウスは静かに悲しくなる。彼は、本来こうして寄り道などしている暇はなかったのだ。
こうしている間にも孤独は近づいているのに、ルイジェルドはルーデウスの身内を優先した。
無意識に膝の上で拳を握った。きっと良い答えは返ってこないのだろうと思いながら、ルーデウスは話題を切り出した。
「あの、スペルド族の伝染病については」
「まだ見つからん、何もな」
数百年の孤独の末、待っているのが種族の全滅とは、救われない話だ。
ミリシオンで、ルーデウスは改めてエリスとルイジェルドに自分の家族を紹介した。
スペルド族にもかつては蛇憑きになり、雨を降らせ、未来を予知する霊媒師はいた。故に、ルイジェルドはシンシアが彼ら一族の霊媒師であるとして敬意を払い、訊ねたのだ。スペルド族の生き残りはいるか?
シンシアは迷わず地図の一点を指さし、言った。透明な狼がいる森の中で集落を作り、暮らしている。
けれど、病でみんな死ぬ。集落に近寄れば、あなたも同じように。
シンシアは不吉な未来を言い当てることはできても、病名まで知ることはできない。できる助言といえば、ルイジェルドに魔大陸へ帰れということだけだ。
家族の居場所は判明している。ルーデウスがパウロと共にベガリット大陸に渡らず、ラノア王国に来たのは、ゼニスの心神喪失の治療法を見つけるため、そして特定の種族にのみ蔓延する伝染病を調べるためであった。
結果は芳しくない。ルイジェルドの力には、なれない。
「そんな顔をするな、ルーデウス。希望はある、紛争地帯の国にて、全智の魔道機械があると小耳に挟んだ。あらゆる願いを叶えるそうだ」
「そんな物が?」
「ああ、俺はそれを探しに行く」
「……今すぐは無理でも、俺も一緒に」
「いい、お前はここで家族を持った。そのうち子も生まれるだろう、父として、夫として、この地に留まれ。
……たとえ相手がエリスではなくとも、な」
もしも俺の隣りにいるのがエリスだったら、俺を引っ張ってルイジェルドについていくだろう。大学だの家の管理だのは知ったことではない。それくらい自由で、自分のやりたいことに真っ直ぐな性質であった。
「エリスとは、もう何年も会ってません」
今でも彼女を思い出すと胸が苦しい。名前を口にしても泪が流れなくなったのは、シルフィのおかげだ。
ルーデウスはこれまでの数年間を話した。ルイジェルドと別れたその後のことだ。
……。
話し込んでいるうちに、時間は経つ。
シルフィとシンシアの話し声が廊下から聞こえてきた。風呂から上がったらしい。
三人の世話をしてくれたシルフィを労い、応接間に引き入れた。
たっぷりの湯に浸かり、ノルンは湯船で、アイシャは出てすぐに寝落ちたそうだ。
まだ意識のある妹はシンシアだけなのだが、湯冷めもまだといった調子でふわふわとしている。
ルーデウスはつくづくシンシアを眺めた。
美幼女が美少女に成長していた。今は前髪も下ろしているが、風呂に入る前は、額を出してハーフアップにし、両サイドの側頭部にはクリスタルの飾りピンを留めてあった。
焦茶色の髪も、口元の黒子も、たおやかという形容詞が似合う目元も、子供の頃の面影を残している。
「ずいぶん大人っぽくなったな」
「ええ、お兄ちゃんもよ。格好よくなったわ」
発育が良いのもあってか、色気は増した。
三つの歳の差があるはずだが、身長はシルフィと並び、実年齢より少し年嵩に見える。手足はすらりと伸びやかで、寝間着の襟元から少し視線を下にずらすと、すでに谷間が完成されつつあった。
「……」
「……みる?」
シンシアは照れ照れとしながら、チラッと寝間着の胸元を下に引っ張った。
ルーデウスはそこで実妹の谷間を凝視していることを自覚した。はっと焦ってシルフィの様子を伺う。
シルフィも口元に手を当て、ショックを受けた顔で凝視している。夫のよそ見には気がついていないようだ。
「ばっ、馬鹿野郎、しまえ!」
「うふ」
何が嬉しいのか、シンシアはいたずらが成功した子供のようにクスクス笑った。
ルーデウスは数ヶ月前に届いていた手紙を回想する。
送り主は父のパウロだ。
中身には、こう記されていた。
自分はベガリット大陸に向かうということ。
ルーデウスには引き続きラノアの地で心神喪失を治療する手立てを探してほしいということ。
加えて、ノルン、アイシャ、シンシアの三人をそちらに送るから、面倒をみてやってほしいということ。
シンシアは対外的には〈神子〉とされる力を持っている。その性質上、彼女の身分はラトレイア家の預かるところであった。
記憶の神子は枢機卿派が所有している。対抗して教皇派はシンシアを手に入れるべくあらゆる手を打ってきた。守るには、ラトレイア家に彼女を置くしかなかったのだ。
今は家族揃って暮らすことは難しい。しかし、すべてが落ち着いたら、必ず迎えに行く。
その約束だったのだが。
「しばらくお世話になるわね、お兄ちゃん」
シンシアは迎えを待たず、かつてのゼニスのようにラトレイア家を飛び出した。
そしてベガリット大陸へ向かっていたパウロに追いついたのだ。
グレイラット家の男どもにとって幸いであったのは、彼女が一人旅の途中で若かりし頃のパウロのような男に捕まり、そのまま嫁に行ってしまわなかったことだ。
ルイジェルドとシルフィはぎこちない自己紹介を交わした。彼はルーデウスがエリスと結ばれなかった事が受け入れ難いし、シルフィとて歓迎されていないことはうっすらと感じとっている。
夜も更けている。彼らも休むことにした。
「ルイジェルドさんは自分の家だと思って、好きな所で寝てください。
シンディはどうする? ノルンたちと同じベッドじゃ狭いだろ」
「そうね、シルフィとお兄ちゃんと一緒がいいわ」
「ボクはいいよ」
「俺はダメだよ」
夫婦の寝室だ。幾度となくシルフィと愛し合ったベッドに妹を招くのは、こう、抵抗感があったルーデウスである。
「嘘よ、ノルンたちと寝るわ」と、客間は他にもあるのだが、シンシアは多少手狭でも妹と休むのに異論はないようだ。
「今夜も部屋の前でおやすみになられるの?」
「ああ。霊媒師は、男と同じ部屋にいてはならん。スペルド族の掟だ」
階段を上がる二人の会話を聞き届け、ルーデウスとシルフィも戸締まりを確認し、家の灯りを消して寝支度を整える。
好きな所で、とはいうが、ルイジェルドは少女の部屋の前で休むらしい。
坐睡剣の構えはデッドエンド時代からだが、部屋の中にはいた。
中でも外でもルイジェルドならば間違いなど起こりえないだろうが、気を遣って悪いということはない。
ルーデウスたちも休むことにして、夫婦の寝室に移動する。
そうするのが自然であるように、どちらからともなくベッドの中で身を寄せ合う。
「素朴な感想なんだけどさ、シンディってアリエル様にちょっと似てるんだな」
「うん、似てるよね」
「すごい美形なところが」
「うん、すごい美形なところが」
シルフィは真顔だ。
美形はある程度似るというし、アリエル王女とシンシアの容姿に既視感を持つのは、別にいい。
知り合って間もない頃、自分に迫ってきた美しい人間の性慾と、ブエナ村でのかけがえのない思い出が、シルフィの中で部分的に交差してしまう。それが内なる葛藤を生む原因となっていた。
「……今日は、やめとこっか」
「……ああ、そうだな」
二人は体を重ねずに、しかし何となく手を繋いで眠ったのだった。