翌朝は朝食を共にしたルイジェルドであったが、食事が終わればすぐに旅立つ。
彼を見送るため、町を囲む周壁の、その出入り口まで歩いてきた。
ルーデウスは妹たちを見た。
ノルンは別れが寂しいのか、メソメソと泣きながらルイジェルドとしっかり手を繋いでいる。
いよいよ手を離さねばならぬ段階になって、涙を堪えてそばのシンシアに抱きついた。
二人に頭を撫でくり回され、ノルンは泣き顔のまま笑顔になった。
シンシアが九歳の頃や同じ歳のアイシャと比較すると、幼い。ルーデウスはそこにパウロをはじめとした周囲の大人の愛情をみた。
ノルンは普通の子供だ。転生者のルーデウスと神童のアイシャ、異能をもつシンシアとは違うのだ。
魔力災害に人生を弄され、特殊なきょうだいに囲まれても、ノルンがコンプレックスを抱えることがないように、気を配ってきたのだろう。
「お世話になりました。ここまで来れたのは、ルイジェルドさんがあたしに協力してくれたおかげです」
アイシャは、ルイジェルドに卒なく感謝の言葉を述べた。
ルイジェルドは武力においてはこの上なく頼りになるが、個人の財産という概念に馴染まない。金勘定は苦手だ。
そこで交渉役・金勘定役を一手に担ったのがアイシャだ。
箱馬車を借りる金は持たされていたが、
アイシャはジンジャーとルイジェルドを隊商の護衛として斡旋することで、それを実現した。
効率の良いルートを計算し、予定より早くシャリーアにたどり着いた、とルーデウスはルイジェルドから聞いている。
「子供を守るのは当然のことだ」
ルイジェルドはアイシャの頭をぽんと撫で、膝をついた。
「お前はまだ子供だ。気を張りすぎるな、今までできなかった分、兄に甘えるといい」
「……?」
何を言っているのかわからない。そう言わんばかりに、不思議そうな顔をするアイシャに苦笑し、「ルーデウスも喜んで受け入れるだろう」とルイジェルドは言い添えた。
ルイジェルドの言う通りだ。ルーデウスとてアイシャがわがままを言えば叶えるし、パウロが不在の間は父親の代わりをしてやりたい。
赤ん坊の頃の可愛さを憶えている。身内として愛しているが、接し方はこれから探っていかねばならない。
「シンシア。スペルド族の居場所を教えてくれたこと、改めて感謝する。お前は蛇の霊に取り憑かれているのだろう。上手く付き合っていく方法は、俺にはわからん。だが、お前の生涯が安らかであることを願う」
「私も、あなたの無事を祈ります。どうかお達者に」
シンシアは目に泪を浮かべていたが、ルイジェルドの手を握らなかったし、ルイジェルドもシンシアの頭は撫でなかった。
スペルド族の風習では、シンシアのような予知の力を持つ女に男が触れるのは禁忌であった。
ミリシオンでは、兄であるルーデウスが触れようとした時でさえ、割り込まれて阻止されたものだ。
シンシアにそうした制約はないと知っても、彼だけは頑固に守り続けてきた。
「ではな」
シルフィとも短い挨拶を済ませ、ルイジェルドはシャリーアを後にする。
また会おう、とは、言ってくれなかった。これが今生の別れである可能性を知るのは、ルーデウスとシンシアだけだ。
「ひっく……ぅくっ……ルイジェルドさん、ありがとう! またね!」
ノルンが去っていくルイジェルドの背に叫んだ。
元フィットア領の復興キャンプの風景が重なる。デッドエンドの旅の終わりを思い出した。
ルーデウスはその背中が見えなくなるまで、そうして見えなくなっても、シルフィに声をかけられるまで、そこに佇んでいたのだった。
家へと戻った。
仕事があるシルフィは途中で別れ、家にはルーデウスと妹三人だけだ。
ルイジェルドとの別れが寂しくてもやるせなくても、昼時になれば腹は減る。
ルーデウス十六歳、シンシア十三歳、ノルンとアイシャ十歳。
全員成長期である。
飛び抜けて料理上手ではないが、この世界基準ではルーデウスは味にうるさい方だし、作った食事が不味くなることはない。
台所に立ち何を作るか考えるルーデウスに、ささっと袖を捲ったアイシャが声をかける。
「あたしが作りますよ? キッチンの物を貸してくだされば、すぐにご用意できます」
「いや、兄としてそういう訳にはだな……」
「私も作るわ!」
「お姉ちゃんは座ってて! 炊事なんか、碌にやったことないでしょ」
「お、お裁縫なら得意よ……」
ビシッと言われてすごすご下がるシンシアのおかげで場は和んだが、どうにもアイシャと二人だと間が持つ気がしない。
アイシャは自分一人で十分だと言い張る。ルーデウスは記憶の限り憶えているキッチンの配置を伝え、ノルンとシンシアと三人、待つことにした。
「それでね! ルイジェルドさんがね!」
「ノルンはルイジェルドさんが大好きなんだな」
ソファに座り、野宿の時はいかにルイジェルドが頼もしかったかを訴えるノルンに相槌を打つ。
興奮して語るので、頬が赤い。身振りも豊かだ。可愛らしい。
ちょっかいをかけたくなりこちょこちょと脇腹をくすぐると、ノルンはキャッキャと身を捩って笑った。
にこにこと見守っているシンシアもくすぐろうとして、ぴたっと手が止まる。
(いきなり体に触れるのはもうアウトか?
なんかエロい雰囲気になったらどうしよう……)
「できたよー」
悩んでいるうちに、アイシャがひょこっと顔を出した。ルーデウスは二重の意味で腹違いの妹に感謝した。
テーブルに並んでいるのは、塩漬け肉と野菜のシチューのようなものと、ルーデウスの分のみ少し厚めに切り分けられたバスケット。
バスケットにはチーズが添えられている。
「塩漬け肉はあたしたちが持ってきた保存食です。牛の乳は食糧庫にあったものが傷みそうでしたので使いましたが、大丈夫でしたか?」
「あ、そっか……。いいよ、腐る前に使ってくれて助かった。いただきます」
アリエル王女の護衛の仕事があるシルフィは毎日家にいられないし、ルーデウスもうっかりすると食材の管理を怠りがちだ。
昨日きたばかりの家でここまで考えられるアイシャに驚きつつ、手料理を口を運んだ。
「おいしい!」
「美味しいわ。さすがアイシャね」
ノルンとシンシアも満足気だ。
ノルンはがっつくとまではいかないが元気よく食べ、シンシアは優雅にスプーンを口に運んでいる。
ラトレイア家にいたシンシアは作法の教育を受けていたのだろう。ブエナ村で男の子をまねて一生懸命肉に齧りついていたのは、すでに遠い光景だ。
「すごいな、アイシャはもうこんな料理が作れるのか」
姉の感想を誇らしそうに聞いていたアイシャだが、ルーデウスが褒めるときょとんとした。
「ん? どうした?」
「いえ……お父さんと同じことを仰るんだな、と」
「そりゃ、誰だって褒めるさ。こんなに美味い料理を作るんだからな」
アイシャは黙り込んだ。
すぐに何事もなかったようにノルンやシンシアと会話を始めたから真意はわからないが、悪感情は持たれていないようだ。
この調子で距離を縮めていこう。ルーデウスはとりあえず安堵した。
食べ終わり、居間に移動する。
大人四人は並んで座れそうな緑の革張りのソファに、三人を座らせる。
シンシアを真ん中にし、アイシャとノルンが左右に座る。
ルーデウスはテーブルを挟んだ前に立った。
ふむ、とルーデウスは腕を組む。
話し合うことはあるが、その前に、シンシアの華容の見事なこと。
いるだけでその場がキラキラと輝くようだ。
レースブラウスにコルセットベルトを重ね、下は藍色の縞模様のふんわりとしたスカートである。
昨日のように側頭部には左右ともクリスタルの飾りピンを留めてあった。
アイシャはハイポニーテールに白いレースの髪飾りをつけているし、
ノルンも低い位置でまとめた長い金髪に、銀のポニーフックをつけている。
よく見れば、三人ともオシャレだ。女の子っぽいなとルーデウスは思った。
「さて、まずは皆、長旅ご苦労だった。父さんから聞いているとは思うが、俺は長兄として、君たちを守る義務がある。
守るというのは、襲ってくる魔物や悪党を倒すだけじゃない。衣食住を保証して、君たちが立派な大人になれるように教育をする、学ぶ場を与える、というのも含まれます」
ルーデウスと気心の知れたシンシアは微笑み、ノルンとアイシャは真面目な顔つきで聞いている。
少々堅苦しかったか。ルーデウスは「厳しくする気はありません」と相好を崩した。
「シンディはともかく、ノルンとアイシャは俺と一緒に暮らした時間もほとんどない。初めての土地で、戸惑うこともあるだろうが、ここは君たちの家で、俺は家族だ。遠慮なくくつろいで、そして頼ってほしい」
「お兄ちゃん! 聞きたいことがあります!」
「なんだねノルン君」
生徒のように挙手をしたノルンは、「エリスお姉さんはいないの?」と訊ねた。五歳のノルンはかつてルーデウスとエリス、そしてルイジェルドに遊んでもらった。
十歳の今、その楽しい記憶は薄れることなく残っている。故に兄の横に、あの赤髪の戦神のような少女がいないことが、不思議なのだ。
「エリスとは別れました。あまり根掘り葉掘り訊かれると、お兄ちゃんは泣きます」
「えっ。……それで何で、シルフィエットさん? と結婚したの?」
エリスのことはもう好きではないの?
別れた経緯こそ食い付かれなかったが、そう言わんばかりの眸にウッと息苦しさを感じていると、「そういう事もあるわ」とシンシアが助け舟を出す。
「シルフィは私の友達でもあるもの、エリスさんにはすまないけれど、私は二人が結婚していて嬉しいの」
「でも、エリスお姉さん、かわいそう……」
「よしよし。こんどお姉ちゃんが色んな恋の話をしてあげるわね」
シンシアに撫でられると、ノルンは足をバタつかせ、「聞きたい!」と頷いた。
ひとまず興味はそれたようだ。その後、アイシャから「当面のあたしたちの生活費です。お父さんから預かりました」と金銭と手紙の入った鞄を渡された。
一通は以前届いたパウロの手紙と同じ内容。
もう一通はリーリャからだ。
こちらは初見なのでしっかり目を通す。
三人の妹の扱い方について書かれていた。
アイシャは優秀で、剣術は水神流の中級、魔術は基礎六種の初級を習得。
メイドとして礼儀作法は完璧、家政を一手に担える実力もある。
しかし、ルーデウスへの忠誠は上辺だけの節がある。
自分の教育が至らず心苦しいが、仕事は手を抜かないから、どうか家に置いてやってほしい、とあった。
ノルンは普通だ。学力も要領も平均的だが、物語を作ったり、歌を作ったりする方向に才能がある。
姉のシンシアがラトレイア家で一等大事にされ、妹のアイシャが飛び抜けて優秀であるが故、劣等感を持たないようにと少々甘やかしてしまった。
わがままを言い過ぎたら叱るべし。
シンシアはラトレイア家を出奔した身だが、追い返さないこと。
剣術は未習得、魔術は治癒、火、水を中級、他は初級を習得。
ミリシオンでは全寮制の修道女学校に通っていた。ミリス教の教義と聖像画の描き方は学んだが、一般常識にはやや疎い。
数ヶ月に一度、体調を崩して寝込む。看病はアイシャがする。
「って、シンディ、大丈夫なのか? 躰が弱いのか?」
見逃せない一文に、ルーデウスは顔をあげてシンシアの顔を覗き込む。
村にいた頃は、虚弱体質ではなかった。健康体だったのに、ミリシオンで過ごした数年のうちに病に罹ったのか。
シンシアは深刻ではなさそうに、平然と頷いた。
「二、三ヶ月に一度、数日間、躰がだるくなるだけよ。
「いや、心配だ。知り合いの医者や治癒術士に相談してみるよ」
シンシアは困ったようにへにゃりと微笑んだ。
「婦人病よ、ただのヒステリーのようなものなの……。それに、良いこともあるわ」
「病気に良い事なんかあるか。
「ばせ……?」
そうじゃなくて、とシンシアは身を乗りだした。ヒソヒソ話がしたそうだったので、ルーデウスはかがむ。
耳元に口を寄せ、シンシアは囁いた。
「ミリスでは、すぐに卒倒できる女は、殿方にモテるわ」
「……」
数秒、ルーデウスは考えた。
わからなかったので訊ねる。
「なんで?」
「か弱くて儚いのが、守ってさしあげたくなるのですって」
お兄ちゃん、お兄ちゃん! とついてきて、構ってやると喜んだ幼いシンシア。
そんな子が、男のモテを意識するようになっていた。
複雑な気持ちだ。少しだけ、面白くもない。
「深刻なものではないんだな?」
「ええ」
「貧血かもしれないから、しばらく食事に気をつけよう。俺もある程度知識はあるが、あまり酷いと、医者を呼ぶからな」
「ええ」
煙に巻かれたような気がしつつも、ルーデウスはパウロからの手紙の通り、学校の話をした。
せっかくシャリーアに来たのだし、シルフィと自分も通っている、ラノア魔法大学に入学させたい所存だ。
最初の数年は魔術を中心とした幅広い分野を学び、残りの数年で専攻の魔術を上級まで収める。
普通の学校でやるような授業も受けられるし、魔術師以外にも様々な職業の技能を身につけることもできる。
仕組みを説明すると、ノルンとシンシアは入学を快諾した。
ノルンは一般枠になるだろうが、シンシアは無詠唱魔術の使い手でもある。加えて、未来視、失せ物探し、願うだけで殺す力——特別生として入学させるには十分だ。
「私、お話を書く人になりたい!」
「ノルンは文芸コースだな。お兄ちゃんが話を通しておいてやるから、安心しなさい。
あ、一応入学試験があるからな。結果がどうあれ入れるけど、頑張ること」
「うぅ……はい」
ノルンは少し嫌そうに頷いた。
シンシアの返答を待つ。
「絵を自由に描ける所があるなら、そこがいいわ。ミリ女では聖像画の模倣しか許されなかったもの」
「それなら、俺と同じ、特別生として入学しよう。ホームルームに参加するだけで授業は免除されるし、空いた時間に絵画の授業だけ受ければいい」
ノルンが目を丸くする。
「なんで? お兄ちゃんとお姉ちゃんが特別生なら、私もそっちがいい! 好きなことだけやりたい!」
「ノルンは今の学習状況をみると、一般生徒として、きちんと授業を受けたほうがいい。
なんとなくわかってると思うが、シンディは少し特殊なんだ。だから特別生にして、シンディの事を調べる。決して俺がシンディだけを可愛がってるわけじゃないよ」
「お姉ちゃんだけ特別扱いしてる! ずーるーい!」
ノルンはシンシアに懐いているように見えたが、それとこれとは別問題なのだろう。
ペムペムとシンシアの腕を叩いて不満を隠さないノルンに、シンシアは遠慮がちになる。
「私はノルンと同じようにします。絵はいつでも描けるもの」
「俺が、特別生にしたいんだ。俺も受けたい授業はとってるし、シンディが一般生徒になって絵も描くとなると、お互い時間を合わせにくくなる」
ルーデウスがそう言えば、シンシアも困り顔のまま、それ以上逆らうことはない。
ノルンはぽかんとその様子を見つめていたが、その目はみるみる潤っていく。
「お、お姉ちゃん、お兄ちゃんの言うことなら、聞くの……」
幼子の大泣きの前兆のように、ふっ、と息を吸いこんだノルンだったが、身構えたルーデウスに反し、ノルンはぽろぽろと泪を流して静かに泣き始めた。
「やっぱり、お姉ちゃんは、私より、お兄ちゃんが好きなんだ……」
「お兄ちゃんだけじゃないわ、ノルンのことも大好きよ」
「そ、そうだぞ、シンディのことは事情があるだけで、ノルンもアイシャも同じくらい大事だよ」
説得にかかるシンシアとルーデウスであったが、ノルンは「嘘だもん」としゃくりあげながら涙を手の甲で拭う。
「二人とも、私のこと仲間はずれにして、ひどい、ひどいよぅ!」
ルイジェルドとの別れは、寂しくて泣いていたが、仕方のない事とわかっていた。前向きな涙であったし、兄姉が慰められた。
今は、その兄姉が原因で悲しんでいる。積み上がったものが決壊したような悲痛な泣き方だ。しっかり根深そうである。
正直、一番仲の良い妹がシンシアであることは、否定できない。
年も近いし、ノルンとアイシャより共に過ごした時間は長い。
どうする、とルーデウスは焦る。
(俺とシンディがダメなら、パウロかゼニスかリーリャだ。
しかし、三人ともここにはいない。ノルンは傷ついてる、やっぱりノルンも特別生に——)
そう思いかけた時、すっくと立ち上がったアイシャが、ノルンの隣に移動した。
ぶっきらぼうな態度で、ノルンをぎゅっと抱きしめる。
「あたしは、ノルン姉がいちばん可愛いよ」
「ふえ」
予想外の言葉に、ノルンは固まる。
空白になった思考に、アイシャは語りかける。
「お姉ちゃんが黙ったのは、お兄様の言うことが正しいってわかってるからだよ。
お姉ちゃんは神子だし、定期的に体調も崩す。ここにはラトレイア家の力も及ばない、普通に学校に通うのは、もうできないの。ノルン姉と同じがよくても、現実的に難しいって、わかってるんだよ」
「……」
「それに物書きになりたいなら、色んな人と関わって、いろんなことを広ーく浅ーく学んだほうがいいんじゃない?」
ノルンはアイシャに頭を撫でられながら、色んな顔をした。
納得した顔をしたり、言い返しそうにしたり、泣きそうになったり。
そんなノルンを、アイシャは仕方ない子を見るような目で見ている。
ルーデウスとシンシアはハラハラと見守ることしかできない。
「……わかった」
やがてノルンはルーデウスの顔を見上げ、言った。
「お姉ちゃんと同じじゃなくても、いい」
「そうかそうか、よかった、うん、それがいい、一般には、ノルンと同じ年頃の子はたくさんいるからな」
「お昼はいっしょに食べたい……」
「ああ、一緒に食べよう。教室まで迎えに行く。俺の友人も紹介するよ」
ルーデウスはほっと胸を撫で下ろし、アイシャに目線を向けた。
学校の話をしたときに、入学を拒否したアイシャだ。
つい事情を聞くのが後回しになってしまった。
「アイシャはどうして学校に行きたくないんだ?」
「あたしは、お兄様に仕えて、家事をやるようにお母さんに言われてます。もう外で学ぶこともないし、家に置いてください」
ルーデウスは頬をかいた。
家事をやってくれようとするのは助かるが、アイシャからはどうにも距離を感じる。
「……えっと、俺に仕えるっていうのは、本当にアイシャのやりたい事か? もしやりたい事がなくてリーリャさんの言いなりになっているだけなら、学校に行けば見つかるかもしれない」
「お兄様が望むなら、私は従いますが」
アイシャはにこりと笑った。
「でも、もしゼニス様を救出できたら、ゼニス様の世話をする人が必要ですよね? お兄様と奥様にお子が生まれたら、子守りも追加されます。もちろん喜ばしいことですが……母は私にも手伝わせるでしょう。
ゼニス様のお世話に、ご子息ご息女の子守。学校に通いながら、というのは、私でも少々骨が折れます」
完璧な回答だ。この家に両親とゼニスが揃った時のことを考えつつ、まだ未確定、しかし順当にいけばやがて訪れる未来まで見据えている。
まだ十歳の子供が、ここまで考えている。
それは十分褒められる理由であったが、ルーデウスは悲しくなった。
自分の言うことは、まるでアイシャに響いていない。
アイシャは兄を拒否している。一線を引いて、そこから先を越えてくるなという態度だ。
「アイシャ。よしよし、可愛い子ね」
「お姉ちゃん?」
シンシアはアイシャの両肩に手を添えた。伏し目がちで、口元には薄く笑みがあった。天衣無縫の美貌であった。
アイシャはちょっとドギマギしたように頬を小さく染め、見つめ返す。
二人の顔が近づき、次の瞬間——
「えい」
「あぅ!?」
ごつん!
結構な音を立てて、二つのおでこは激突した。
アイシャは「痛い! たんこぶできた!」と騒ぎ、ノルンは「はわわ……」と無事なはずの自分のおでこに手を当て、ぶるぶる震えている。
「お兄ちゃんに意地悪しないのよ」
と、シンシアは自分の顔まわりの髪を整えながら、アイシャの額に手をあてる。指先が淡緑に光る。治癒魔術をかけているのだろう。
ルーデウスは思い出した。シンシアは幼少期から石頭であった。
涙目になっていたアイシャは、ルーデウスを見てため息をつくと、「ごめんね」と渋々言った。
生意気だが、大人びた他所行きの作り笑いよりはマシである。
「お兄ちゃん……って、これからはあたしも呼んでいいかな?
お兄ちゃんと話すのはほとんど初めてだし、どうしたらいいかわからなくて、つい意地悪しちゃった。
あたしは人が好きなお姉ちゃんや、感受性豊かなノルン姉とは違う。外で人と関わるくらいなら、家のことをやる方が好きなんだ」
アイシャの要望は、ノルンにしたように「ダメだ」と一蹴しにくいものであった。
アイシャは天才だが、ルーデウスは実体験としては知らない。
シャリーアに来るまで、一行の交渉・金勘定役だったという話も眉唾である。
「父さんからは、お前たちを全員学校に通わせるように言われている。でも、アイシャの言うことも尤もだ。正直家事を手伝ってもらえるのはありがたい。だから条件を出す」
「条件?」
まだ何かあるのかと、きょとんとする顔は年相応だ。
不思議そうなアイシャに、ルーデウスは言った。
アイシャも入学試験を受けて、満点をとり、学校で学ぶことはないと証明すること。
「そんなことでいいの?」
アイシャは即座に了承した。
ルーデウスとしては厳しめの条件を出したつもりであったので拍子抜けだが、とにかく話はまとまった。
その日の夜、シルフィが帰宅した。
少し遅い時間に食事と入浴を終えたシルフィと、寝台に並んで腰かけ、ルーデウスは昼間の報告をする。
「——それで、アイシャはうちのメイドになる事になりそうだ」
「正直、それは助かるよ。ボクも毎日家にいられるわけじゃないからね。アイシャちゃんが家事を手伝ってくれるなら、嬉しいな」
「今日だって、入浴の世話までやってもらっちゃった」とシルフィは湯上がりの火照った体を、恐縮したように縮こませた。
ルーデウスはそんなシルフィの腰を抱き、こつんと頭を触れ合わせる。
「ノルンはよく懐いてくれてるよ、可愛いけど、ちょっと心配だ」
ノルンは年齢より振る舞いが幼い。学校に行ってイジメられたらイジメっ子を殺そうと考えるルーデウスに苦笑し、シルフィは寝室の化粧台に視線を投げた。
サングラスにも似た魔道具、白いグローブ、そして赤石が象嵌されたロッドが置かれている。
どれも〈無言のフィッツ〉を構成するものだ。
「人は、求められる自分になっていくものだよ。周りが、必要以上にノルンちゃんを子供扱いして、それに応えるうちに……っていうのも、あると思うな」
ルーデウスは学生寮を話題に登らせた瞬間のことを回想する。
シルフィとの結婚前、家を買う前には寮暮らしだった、と思い出を語っただけだ。
「大人って感じ! お兄ちゃん、いいなあ」とノルンは興味津々であったし、あと数年経ち、本人が望めば寮に入れてもいいだろう。
「シンディは体調以外は心配なさそうだ。三人とも、姉妹仲は良くて何よりだよ」
シルフィとルーデウスは腰掛けた体勢から、どちらからともなく手を繋ぎ、寝台にパタンと倒れ込んだ。
蜜蠟の橙色の火は、肌をなめらかに浮き立たせる。
視線が絡み、何度か口をあわせた。視野の端で、ルーデウスの太腿を、シルフィの白い手が撫であげるのが見えた。
裾から手を滑り込ませて、シルフィのごくなだらかな胸のふくらみを愛撫する。
「んぅ……っ」
身じろぎをするシルフィの表情が艶を帯びているのを見て、ルーデウスは起き上がり、シルフィを寝台にあおのかせた。
白い脚のあいだを覆う布はすでに湿り始めている。
ズボンも脱いでいない下半身をグリグリ押し付けながら、ルーデウスは唇を重ねて性急に舌を絡ませた。
「ぁっ、ルディ、るでぃ……」
「好きだよ、シルフィ」
心を通わせる相手と肌を重ね、下半身に快楽を与える行為がかくも甘美であることを
新婚に、夫側の身内が三人加わっての生活は、そこそこに順調である。
◾️力関係
ルーデウスが頂点。
次がシンシア。兄の言う事はなんでも聞く。
アイシャはシンシアに関する決定権(結婚や仕事や友人関係の取捨選択)が欲しい。ルーデウスが家庭内で持つ発言力と権力を一部自分のものにしようと画策中。
ノルンは欄外で、仔犬のように愛玩されてます。ほぼ末っ子。