巫女転生 -異世界行っても呪われてる-   作:水葬楽

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感想ありがとうございます。
作者は中世~近世の風俗文化に詳しいと言えるレベルには到底およびませんが、そういった事を知るのは元々好きです。作中の文化や生活様式は過去に読んだ本を参考にしたり話に都合よく改変したりしています。ですが所詮は独学なので穴だらけかと思われます。
六面世界の方の文化はナーロッパ的ファンタジー世界ということで史実との違いは大目にみつつ、方言のここがおかしい、明治時代にそんな文化は無い、というご指摘がもしありましたら感想欄で参考文献と共に作者に教えてくださると助かります。

19件のお気に入り登録、3件の投票ありがとうございます!(2022/12/18現在)




六 子供の世界

 夏が過ぎた。

 夕方まで川遊びをしていると、体が冷えて震えてしまうものの、昼間はまだ暑い。

 兄も私も、去年の夏服がきつくなっていて、新調してもらった。

 

「お兄ちゃん、おままごとするの。あのね、お庭でするの。わんわんの役やって」

「にぃに呼びに戻さないか?」

「いやーよ。はずかしいもん」

 

 それから、私のお喋りもなかなか上手になったと思う。

 伝えたい事の八割は伝えられるようになったし。

 エマちゃんは家の仕事があるために来れず、ハンナちゃんとメリーちゃんが家の庭に来て、一緒におままごとをすることになった。

 兄も参加していたが、シルフィエットちゃんが来て、二人は外に魔術の練習をしに行った。

 

 兄は当初、エマちゃんたちにもせがまれて魔術を教えていたが、兄ほど自在に使えるようになったのは、シルフィエットちゃんだけだった。

 他の子は、能力に極端な偏りがあったり、上手く射出できなかったりと、中々上手くいかないらしい。

 私はそもそも詠唱が言えないので、論外というやつだ。

 だって詠唱文って、みんな小難しいんだもの。

 

 エマちゃんたちは、生活に必要な火と水が出せるようになると満足して、兄命名の〝魔術の青空教室〟にあまり参加しなくなったが、シルフィエットちゃんは貪欲に学び続けている。

 

「家からおやつ持ってきたんだ。ルディとルフィも、食べてから行きなよー」

「おっ、ありがとう。いただきます」

「ありがとう、メリー」

 

 メリーちゃんが布に包んで持ってきた、ウーブリというらしい焼き菓子を一つずつ取り、杖と魔術教本を持った兄とシルフィエットちゃんは外に出て行った。

 

「ゼニスさーん、お庭の葉っぱちぎってもいいー!? おままごとに使いたいのー!」

 

 セスちゃんが邸に向かって、大声で訊ねた。

 庭の植物の中には大事に栽培している薬草もあるし、迂闊に触ると手が腫れあがる植物もある。黙って触ってはいけないのだ。

 

 母様がひょこっと二階の窓から顔を出し、指で丸を作った。

 許可の仕草だ。

 

「ただし、柵で囲んでる植物は、取らないこと! それから、木登りもしちゃダメよ!」

「わかってるー!」

「よろしい! 仲良く遊んでねー!」

「それもわかってるー!」

 

 私たちは地面に生えている雑草と何枚かの花弁をぶちぶち千切り、広い庭の隅に自生している紫式部に似た植物の実を取って、おままごと用の椀に入れた。

 美味しそうな青紫色の粒だけど、これは食べられない。

 

「わたしもお母さん役やりたい」

「ん? うーん、私の次ねー」

「わかった!」

「今は赤ちゃん役やってね。赤ちゃんは、喋らないよ」

「ばぶばぶ」

「よしよし、良い子だねー」

 

 メリーちゃんは庭に敷いた布の上で、私を抱っこして、ガラガラと音が鳴る玩具を揺らして、お母さんごっこを始めた。

 セスちゃんはお隣のおばさん役である。

 お隣のおばさんは、メリーちゃん(お母さん)の育児方針に色々と口を出してくるのだ。

 

「リーリャさん、一緒におままごとやろうよ」

「私……ですか」

 

 庭に置かれた机や椅子の拭き掃除をしていたリーリャに、セスちゃんが声をかけた。

 リーリャはちょっと目を丸くしたものの、「ばぶ」と「おぎゃあ」以外の言葉を封じられた私の姿を認め、雑巾をその場に置き、お仕着せの前掛けで手を拭きながらこちらに来てくれた。

 

「何をすればいいでしょうか」

「んと、おばあちゃん役やってほしいな」

「かしこまりました」

 

 リーリャは足を布の外に投げ出す格好で、メリーちゃんの横に座った。

 

「母親の役はどなたが?」

「私だよー」

「そうですか。では、」

 

 リーリャはふうっと一息つくと、人差し指で、胸の高さくらいの物体を、地面と平行に撫でる仕草をした。

 仕草だけだ。実際にそこにあるのは空気だけ。

 だというのに、リーリャは塵ひとつ付いていない人差し指の腹を、嘆かわしい眼で見つめた。

 

「埃がこんなに……。洗濯物もまだ取り込んでないようですし……メリーさん、よほどお疲れのようですねえ。毎日ご苦労さま。一体、今日は何をして過ごしていたのかしら」

 

 これは……。

 嫌味で意地悪な姑だ!

 疲れてると思ったなら手伝ってあげればいいのに、気遣いの言葉をかけるフリで、遠回しに嫌味を言ってくる姑だ!

 メリーちゃんとセスちゃんは、「うちのおばあちゃんとそっくり」と笑い転げていた。

 

「まだ仕事がありますので」と言って、リーリャは早々に引き上げた。

 

 

「おーい」

「えっ、ソマルじゃん」

 

 おままごとを続けようとすると、大きな枝を持ったソマル君が門から声をかけてきた。メリーちゃんに手招かれて、こっちにやって来たのは、ソマル君ひとりだけで、よく一緒にいる二人の男の子の姿はない。

 

「ルーデウスは?」

「ここには居ないけど」

「せっかく来たのによ」

 

 セスちゃんの言葉に、ソマル君は口をとがらせた。

 

 最初、ソマル君は兄のことが気に食わないようで、外にいるととかくつっかかかってきた。

 兄は初めて友達になったシルフィエットちゃん他、私やエマちゃん達と一緒にいることが多く、シルフィエットちゃんからは怯えられ、他の女の子たちから白い目で見られても「女はあっち行けよな!」と、どこ吹く風。

 イマル君という、ソマル君の兄が一緒に来たこともあったが、私の兄は魔術で泥玉を投げつけたり、風を吹かせたりして、適当にあしらっていた。

 

 一度怖い思いをすれば懲りるだろうと、私は以前のように呪いを飛ばそうとした。

 酷い結果になるわけじゃない。悪夢を見たり、軽い怪我をする程度の呪いだ。

 以前、ソマル君に飛ばした蛇を回収するのを忘れ、鼻血が止まらなくて家に来たときのことを思うと可哀想ではあった。

 

 しかし、穏やかに追い払っているように見えても、そのしつっこさには耐えかねていたらしい兄がソマル君に向かって先に叫んだのだ。

 

「素直に言ったらどうだ! 女の子と一緒に遊ぶ俺が、羨ましい、って!」

 

 ソマル君は次の瞬間、手に持った泥玉を投げるのも忘れ、猛然と兄に突進した。

 大柄な男の子に不意を打つように体当たりされ、兄はソマル君もろとも休畑に転がり落ちた。二人はそのまま取っ組み合いを始めた。木剣はなく、至近距離で人に向けて魔術を使うのは躊躇われたのか、兄が劣勢に見えた。

 

「いいぞ! 殴り返せ!!」

 

 ぽかんとそれを眺めていた子供たちの中で、初めにエマちゃんが、野次を飛ばした。

 ソマル君の兄のイマル君も、負けじと声をはりあげた。

 

「ソマル! そんなチビに負けたら承知しねぇぞ! わかってんだろうな!」

「いけ! ソマル君、負けるなー!」

「乱暴者! 信じらんない!」

「は!? 女はだまっとけよ!」

「そっちこそ黙りなさいよ! 怪我したらどうするの!」

「だから何だよバーカ!」

「バカ! そっちがバカ!」

「すぐ泣いてうぜえんだよ!」

「あんたみたいに臭いよりマシだもん!」

 

 もはや誰が何を叫んでいるのかわからない状況。

 その場にいた子供たち全員が、女の子と男の子に分かれて取っ組み合い、叩き合い、引っ掻き合いの喧嘩を初めたのだ。

 

 思い出すのは、前世の子供の頃にはやった戦争ごっこである。あのころは戦勝続きだったのに、子供たちは戦争ごっこばかりしていたように思う。幼い女子である私は彼らの仲間に入れてもらえることは無かったが、かといって標的になることもなかった。支那兵や朝鮮の敵に見立てて竹の棒で殴られたり、追いやられたりしていたのは、遍路にきた乞食や村の知恵遅れだ。

 一方的なあの遊びより、互いにとっ組み合う子供同士の喧嘩のほうがよほど健全に感じる。

 

 そして今回も、私は入れてもらえなかった。たまたま私の前に来た男の子に「何歳?」と訊かれ、緊張しながら指を二本立てたら、男の子に抱えられて休畑の隅に置かれ、男の子は喧騒の中に戻ってしまったからだ。

 

 意外にもシルフィエットちゃんは勇敢だった。一番躰の大きなイマル君に飛びかかり、「緑髪がこわいか! 怖がり! 意気地無し!」と叫びながら、ぶたれて鼻血が出ても全く怯まず殴りかかっていた。

 控え目な子とばかり思っていたが、もし男の子だったら、巡査とか消防組に向いているのかもしれない。

 

「ソマル! どうしたの!?」

 

 泥の中から出てきた小さな蛙を手の上に乗せ、喧嘩を見守っていると、女の人が飛び出してきた。

 ソマル君とイマル君の母親のアビルダさんである。

 ソマル君に背後から首に腕を回して締めあげられ、真っ赤な顔でもがいていた兄が、ソマル君の弁慶の泣き所に思いっきり踵を入れたところであった。

 アビルダさんは血相を変えて休畑に足を踏み入れた。

 そこに、泥玉がぶつけられた。イマル君が投げたのだ。

 

「ばばあ! 口出してくんな!」

「なんて口利くの! だいたいあんたはお兄ちゃんなんだから、」

「うるせー!」

 

 泥玉の追撃に、アビルダさんは言葉を失っていた。

 それを面白がり、何人かの男の子が泥を掬って投げつけ始めた。

 兄に魔術で追い払われる度に、自分を連れて我が家に乗り込んできたアビルダさんを内心疎ましく思っていたのか、ソマル君がいちばん積極的に泥玉を投げた。

 子供同士の喧嘩と静観していたが、大人が一方的に標的にされ始めたとあっては放っておけないらしく、アビルダさんを連れ戻しにきた農夫もいたが、彼も泥玉を投げつけられていた。

 今度は女の子たちも一緒だった。もはや取っ組み合いの喧嘩は終了し、寄ってきた親や大人に手当り次第に泥玉を投げつけて排除する遊びになっていた。

 これには私も仲間に入れてもらえた。楽しかった。

 アビルダさんはおいおいと泣き、ソマル君のおじいちゃんに、慰められるどころか「子供の喧嘩に口を出すからそうなる」と窘められていた。

 

 顔に当たれば十点、躰に当たれば五点。

 間違えて味方(子供)に当てれば点無し。

 

 誰かに当てる度に男の子の「十点!」「五点!」の声が飛び交い、女の子のきゃあきゃあはしゃいだ笑い声が響いた。

 騒ぎを聞きつけて……ではなく、単に森の見張り番を終えて家に戻るところだった父様は「なんだぁ!?」とビックリしていた。そして、畑の真ん中をまじまじと眺めていた。

 

 兄、ルーデウスは大口をあけて笑っていた。

 たえまなく泥玉が宙を飛び交う下を、泥んこで、湿った土の上に臀をおろし、足を投げ出して解放されたように笑っていた。

 開いた口のなかに青空のかけらが入り込んでいた。

 

 まもなく兄は、少し面長の男の子に背後から抱き起こされ、泥玉を作って投げ始めた。

 

 

 集団で大人に反抗した事が彼らに連帯感を与えたのか、それ以来男女混合で遊ぶことも少しだけ増え、兄はソマル君たち男の子とも仲良くなった。

 シルフィエットちゃんと居ないときは、三英雄ごっこと称して漉油に似た木の枝を振り回して遊んでいるのを見かける。

 その木の枝は、樹皮をよく擦り、切れ目を入れるとスルッと緑の樹皮が向けて白い中身が現れるので、白い部分を刀身に見立て、刀の木と呼ばれている。男の子の格好の玩具というわけだ。

 

 彼らと遊ぶときの兄は、かなり手加減していると思う。

 父様に剣の稽古をつけられているときの兄は、すごい。

 バーンと爆発させたり、水がぶわーっと出たり、風を轟と吹かせて自分をフッ飛ばして木剣を回避したりする。

 それでも最後は父様が兄を打ち据えてしまうのだから、父様はもっとすごい。

 

 遊ぶときは兄はそうした術は使っていないようだ。

 

「おい、チビ。明日は川に来るようにルーデウスに言っとけよ」

「ばぶ!」

「は? 頭おかしいのか?」

 

 失礼な。今は赤ちゃん語しか喋れないだけだ。

 私は拳でソマル君の大きな腹を叩いた。

 ぼいんと跳ね返される。

 もう一回やろうとしたら、「叩くなよ」と嫌そうな顔をされた。

 

「もう赤ちゃんやめていいよ」

「ばぶ」

 

 間違えた。わかったよ、って言おうとしたのに。

 メリーちゃんからお許しが出て、喋れるようになった。

 ソマル君の持っている枝は、葉や小枝がワサワサとたくさん付いていた。振り回しにくいのではないだろうか。

 

「これ、やる」

「桑の実!」

 

 セスちゃんが驚いた声を上げた。

 よく見ると葉に隠れて、赤黒い果実が実っていた。

 懐かしい。去年、ロキシーと一緒に食べたなあ。

 

「わー、ありがとー。お返しあげるね」

 

 メリーちゃんにお礼のウーブリをもらい、ソマル君は「じゃーな!」と言って去ろうとした。

 

「だめ」

 

 去ろうとしたのを、私が服を掴んで止めた。

 

「なんで?」

「ソマルと遊びたいんじゃない?」

「は? やんねーよ、オママゴトとか!」

 

 違うやい。真面目に演じてくれない相手とおままごとしても、楽しくないやい。

 

 私は次に玄関でリーリャを待ち構えた。

 リーリャはすぐに現れた。人数分の飲み物をお盆に乗せて持っていた。

 

「りーりゃ」

「お嬢様、危ないですよ」

 

 リーリャの脚に抱きつくと、リーリャは盆を持ったまま困った顔をした。

 空を指さし、訴える。

 

「雨がふるのよ。ザーッって」

「雨?」

 

 リーリャは胡乱な顔で青空を見上げた。

 

「晴れてんじゃん」

「雨なんて降ってないよ?」

 

 ソマル君とセスちゃんが不思議そうな顔をする。

 今は降っていない。でも、これから驟雨になるのだ。

 さっき、そういえば今日の分はまだ視てないな、と思い、トウビョウ様の力を借りてみたら、大雨の中をリーリャと母様が慌てて洗濯物を取り込む姿が視えた。

 

「……いえ、本当に降るかもしれません。遠くに、かなとこ雲が見えます」

「かなとこ雲?」

 

 メリーちゃんたちは、リーリャの周りをうろちょろしながら背伸びをして空を見あげた。

 視野の高さがリーリャと異なるため、見えないようだ。私も見えない。何? かなとこ雲って。

 

「金属を加工する作業台――金床に形の似た雲を、かなとこ雲といいます」

「エマちゃんのお家にあるやつだ」

「俺も見た事あるぜ、鍛冶屋が使ってた」

「かなとこ雲が見えるとどうなるのー?」

「まもなく大雨になります」

 

 リーリャはそう言うと、飲み物を乗せたお盆を持って家の中に入り、洗濯籠を持ってまた出てきて、干していた服をてきぱきと取り込み始めた。

 母様も出てきた。

 

「雨が降るんですって? シンディ、遊びの続きはお部屋でなさいね。

 メリーちゃん、セスちゃんも、帰るまでに降られるかもしれないし、止むまでウチで休んでいくといいわ」

「いいの?」

「やったー」

「もちろん!

 ああ、ソマル君もね。よかったら上がってちょうだい」

 

 母様は可愛らしく片目を瞑った。

 ソマル君がドキマギした様子でぎこちなく頷いたので、私はメリーちゃんとセスちゃんと目配せし、三人で含み笑いをした。

 

 

 

「そうそう、みんな上手よ」

 

 リーリャが用意してくれた茶を飲みながら、枝から外した桑の実を食べた後、暇を持て余している私たちに、母様が声をかけてきた。

 えんどう豆のさや剥きを手伝ってほしいと言うので、私たちは一も二もなく頷いた。

 メリーちゃん、セスちゃんは苦もなく次々と剥いているけれど、ソマル君は苦戦している。

 私はさやから転がり出た豆を一粒食べようとして、母様の膝の上に封印された。

 生のまま食べるとお腹を壊すらしい。

 それならそうと先に言ってほしい。知っていたら食べようとはしなかった。

 

「もう食べないもん。お手伝いするもん」

「そんなこと言ってもダーメ。シンディはお母さんのお膝の上~」

 

 ちぇ。

 

 拗ねて机の上に頬をぺったりくっつけていると、玄関の扉が開く音がした。

 兄が帰ってきたのだった。シルフィエットちゃんも一緒だ。

 

 そうとう降られたらしい二人は、玄関先でリーリャから布を受けとり、水気を簡単に拭き取ってから二階に上がった。

 リーリャがお湯の準備をしていたから、そこで躰を清め、温まるのだろう。

 

 その後すぐに、父様が戻ってきた。

 父様は母様に代わり、大きな布と杭をつかって庭で栽培している薬草の上に簡易的な屋根を作っていたのだ。

 外套を着込んでいたから、父様はさほど濡れていない。

 肩とズボンの裾が湿っている程度だ。

 

「ありがとう、あなた。愛してるわ」

「竜巻の中にも飛び込んでみせるさ。お前の望みならな」

 

 母様が私を抱いたまま席をたち、父様にちゅっと口をつけた。

 手を止めたメリーちゃんがにまにま笑いながら母様と父様を見上げ、静かに机につっぷしたソマル君の肩を、セスちゃんがバシッと叩いた。

 

「とうさま、おつかれさま……」

「シンディも労ってくれるのか。……ん? どうした? なんかむくれてないか?」

「ふふ、後で話すわ。まずは着替えてきたら?」

「そうだな。じゃ、また後で」

 

 父様が母様の口を吸い、着替えるために二階の自室に向かったのと、二階からシルフィエットちゃんの尾を引く悲鳴が聞こえてきたのは、ほぼ同時なのであった。

 

 

 

 シルフィエットちゃんは泣いていた。

 濡れた頭のまま、濡れた服を着て、ぱちぱちと薪が赫く爆ぜる暖炉の傍で、乾いた大きな布でくるまれて、うっうっと押し殺すように泣いていた。

 シルフィエットちゃんの名誉に関わるから、と、現場に突入した父様は仔細について語らなかった。

 

 いつか視た、緑髪の女の子の下着を無理やり下ろしたすっぽんぽんの兄の絵が、脳裏に蘇る。

 それが今日起こったのではないか、と私は睨んでいる。

 だから父様も母様以外に口を閉ざしたのだ。

 

 阻止できなくて、ごめんね、シルフィエットちゃん。今日まで忘れてました。

 

「よしよし、大丈夫よ」

「お腹痛いの?」

「転んだの? 泣かないで。今から面白い事するから……ソマルが」

「おれが!?」

 

 みんなでシルフィエットちゃんを囲んでいると、母様が苦笑しつつシルフィエットちゃんと向き合わせに椅子を置き、そこに腰かけた。

 

「シルフィちゃんはね、どこも怪我はしてないし、病気もないけど、とてもショックなことがあったのよ」

 

 ソマル君は「あっそ……」と素っ気ない返事をしたが、しばらくして、シルフィエットちゃんの注意を自分の方に向けた。

 そして、両手の親指を鼻孔につっこみ、白目をむいて、親指以外の指をひらひら動かした。

 渾身の変顔――面白いこと、である。

 

 シルフィエットちゃんは、

 

「……おもしろくない……」

 

 と、半ば呆然と呟き、頭まで布を被ってしまった。

 

「あーあ」

「ルフィちゃんがもっと悲しくなっちゃったじゃん」

「俺のせいにすんな!」

 

 私は布の中に頭を潜り込ませ、シルフィエットちゃんの顔を伺った。

 実は笑うのを堪えているのでは、と思ったが、シルフィエットちゃんの顔は、「無」だった。

 普通にまったく面白くなかったみたいだ。むしろ妙なものを見せられて苛立ってすらいそうだ。

 

 シルフィエットちゃんは笑わなかったが、一応泪は落ち着いてきた。

 母様とぽそぽそ会話をするまで回復したとき、乾いた服に着替えた兄が神妙な面持ちで部屋に入ってきた。後ろには父様がいる。

 

 兄はズボンの横に手を下ろし、ビシッとお辞儀をした。

 

「ごめんシルフィ。髪も短かかったし、今までずっと男だと思ってたんだ!」

 

 シルフィエットちゃんは、ぽかんと口をあけた。

 その顔がじわじわと愁色に染まり、泣き出しそうな顔に変わる。

 ふぇ、と息を吸い込む音がやけに静かになった部屋で聞こえた。

 シルフィエットちゃんは正面の母様に飛びつき、激しく泣いた。

 

「ええ……?」

「ひどい……」

「マジかよ、お前」

「返す言葉もない」

「お祭りのときとか、ルフィは炊き出しの方にいたのに?」

「炊き出しの女性陣に混ざってるのを不思議には思ってはいたんだ……」

 

 方々から責められた兄はしょんぼりと項垂れた。

 私も驚いていた。前に一度、兄がシルフィエットちゃんに「頑張れよ、男だろ?」と声をかけた事があったけれど、シルフィエットちゃんは首をかしげつつ訂正しなかった。

 そのとき周りにいた子も、私も、男の子みたいに髪の短いシルフィエットちゃんをからかったのだと思っていた。

 まさか本心だったとは。

 

「お、男じゃ、ないもっ。ずっと、女だ、もん。うわああん!」

「そうよねえ、こんなに可愛い女の子なのにね」

 

 シルフィエットちゃんは母様に慰められていた。

 シルフィエットちゃんは、たぶん、兄のことが好きだ。

 意中の人から、今までずっと女にも思われていなかったと知れば、幼心に傷つくのもやむなしだろう。

 

 兄はその後、謝り、褒め、宥め、シルフィエット――兄が「シルフィ」と呼び始めたので、私も乗っかって、これからはシルフィと呼ぼう――から許してもらっていた。

 でも、シルフィは、兄に対して物理的な距離をとるようになった。

 


 

「お兄ちゃん。どんまい!」

 

 最近憶えた言葉である。気にせず次行こう! みたいな意味だそうだ。

 シルフィは最近、兄以外の友達と遊ぶ。

 人目を忍んでトウビョウ様を拝んだ後、兄の部屋に行った。

 そして虚ろな目で土人形を量産している兄に向かって、どんまい! と声をかけてみると、頬をぐにぐにと揉まれた。

 

「お前は悩みもなさそうでいいなぁ~!」

「ないよ、しわわせよ」

 

 ちゃんと発音できなかったけれど、まあいいや。

 五体満足で、愛してくれる母様と父様がいて、リーリャがいて、兄弟は生きていて、友達もたくさんいる。明日食うものを心配しなくていい暮らしぶり。

 これで仕合わせでなければ、何だというのか。

 思えば、前世の貧しい暮らしでも、身内には恵まれていたのだろう。

 そうでなければ、貧乏百姓の家の片輪など、濡れた紙を鼻と口に押し当てられてお終いだ。

 

「お兄ちゃん、シルフィといると、へん?」

「へ、変かな……」

「うん! 変でこわいってね、シルフィちゃんいってた」

 

 兄は抱えた膝のあいだに額を埋めるように顔を伏せてしまった。

 顔が上げられ、六歳児らしからぬ性慾の篭った視線が私を掠める。

 

「ちょっとバンザイしてみて」

「ばんざーい」

 

 兄は私の服の下から手を入れ、素肌の胸をまさぐった。

 ため息を吐かれた。視線に宿る性慾がしゅるしゅると萎んでいく。

 

身内()には、こんなことしても、何とも思わないのに」

 

 何とか思われては困る。

 この躰がどれだけトウビョウ様の影響下にいるのかは、まだわからないが、以前と同じなら男とまぐわえば死ぬのだ。

 

「シルフィは居るだけでへん?」

「ああ」

「なんで?」

「そりゃあ……シルフィが女の子で、可愛いからだよ」

「ふーん」

 

 私は兄の部屋を出て、たたーっと階段を降りて、階段下でエマちゃんと待っていたシルフィに笑顔を向けた。

 さっき兄の部屋に行ったのは、兄をここに呼んでほしいとシルフィに頼まれたためだったのだ。

 まあ、その用件は忘れて戻ってきちゃったんだけれど。

 後で呼び直しに行けばいい。

 

「お兄ちゃんがおかしくなるのは、シルフィが女の子で、かわいいから!」

「えっ」

 

 息急きシルフィに伝えると、二階から、何かに蹴躓く音だの、忙しない足音だのが聞こえてきて、兄が階段まで走ってきた。

 

「シルフィ! 来てたの!?」

「う、うん……」

 

 はぁはぁと尋常ではない様子の兄を、シルフィはエマちゃんの後ろに隠れることで視野から遮った。

 一人になったわけではないのに、兄はぽつんと置き去りにされた顔をした。

 いつも澄ましている(エマちゃん談)兄が、取り乱したり、落ち込むのが面白いらしい。シルフィに盾にされて兄と顔を見合わせる形になったエマちゃんがニヤッと笑う。

 

「私たち、また来るね。バイバーイ」

「お兄ちゃんと遊ばないの?」

「だって、ねえ? ルフィちゃん、恥ずかしがってるもの」

「……」

 

 シルフィは自分より背の高いエマちゃんの背中に顔を押し当てていた。小さな小さな声で、「……行こ」と言うシルフィに従い、私たちは外に出た。

 

 お兄ちゃん、またしょんぼりしてるかな。

 

 でも、エマちゃんは七歳になってから家の手伝いが増えて、遊べる時間が少なくなってしまったのだ。

 今はエマちゃんを優先させてね。

 

 それから数日。兄とシルフィは仲直りしたようだった。

 シルフィに対して様子のおかしい兄はいなくなっていた。

 普通に、私に接するように、エマちゃんたちに接するように、ソマル君たちに接するように、平然と振る舞う兄がそこにはいた。

 どうしたの? シルフィが可愛くなくなったの? と、訊いてみると、

 

「シルフィは可愛い。だが、鈍感系主人公に、俺はなる」

 

 と、よく分からないものになる宣言をされた。

 まあ、兄が何になろうと、生きてるならそれでいい。

 シルフィも兄と屈託なく遊べて嬉しそうだし、鈍感系主人公というのは、きっと良いものなのだろう。

 

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