ラノア魔法大学の試験の結果が返ってきた。
ルーデウスはアイシャとノルンを呼び寄せ、筆記試験の用紙を返した。
アイシャは満点である。彼女は「当然だよね」とピラッと用紙を叩き、ルーデウスに約束通り自分はメイドになると宣言した。
ノルンは結果を見るのも怖いようで、目を細めておそるおそる点数を確認し、その結果にほっと息を吐いた。
飛び抜けて良いわけではない。むしろ分野によっては平均より劣るのだが、思ったよりかは悪くない結果に、安堵しているのだろう。
「二人とも、頑張ったのね。えらいわ」
「まーね」
「お姉ちゃんはどうだった?」
シンシアは筆記試験を受けていない。
彼女はジーナス教頭とゲオルグ校長の前で、無詠唱の中級治癒魔術を使った。
そして、学校側が用意した複数人の生徒に、校内と限定してそれぞれ自由な場所に小物を隠させた。シンシアは隠し場所を難なく言い当てた。
加えて、ジーナスの身につけている護身の魔道具に触れ、彼がいつからそれを身につけているのか、誰から贈られたものなのか、付随するエピソードまで口にした。
ゲオルグ校長の頭部の飾りについて言及しなかったのは、彼女の情けであろう。
シンシアの入学は文句なしで可決された。。無論特別生である。
「シンディも合格だ。ノルンとシンディは、明日制服の採寸に行こう。色々買い揃えなきゃな」
現在シンシアの置かれている状況はかなりグレーである。
本来ミリス神聖国では、神子はミリス教団に召し上げられる。元の名は捨て、国のための献身を強制される身の上だ。
シンシアにとって幸いだったのは、国で影響力のあるラトレイア伯爵家が、母親の生家であったことだ。
シンシアはラトレイア家の養子になった。家系図上は、実母ゼニスの義理の妹という扱いだ。
ラトレイア家が神子を所有することで、教団行きは免れた。
すでに姓が変わったシンシアを、穏便な形でパウロがまた自分の娘として引きとる展開はない。強引に取り戻せば、どう足掻いても誘拐だ。
犯罪者として神殿騎士に追われようと、パウロとルーデウスは、いつかシンシアを連れてミリス神聖国を出るつもりであった。
予想外であったのは、シンシアは想定より数年早く、しかも自力でそのラトレイア家を脱したことだ。
シャリーアの魔法大学はミリス神聖国から遠く離れているとはいえ、ミリス神聖国で行方不明になった神子が在籍していれば、火種の元だ。
名前も、グレイラットは名乗らず、ラトレイアも当然使えない。
神子である事も、大っぴらにはできない。
特別生として迎え入れてほしいとのルーデウスの要望。
「無詠唱は不確定要素の多い分野です。その使い手というだけで、特別生にするには十分では?」
「しかし、彼女より優秀なフィッツ君がその扱いを断っている以上……」
「魅了眼の制御ができないから特別措置をとるということに……」
管理職どもは頭を悩ませていたが、後を託し、ルーデウスは試験を終えた妹たちを連れて帰った——というのが、数日前の経緯であった。
ルーデウス視点
妹たちの処遇が決まった。上から、特別生、一般学生、我が家のメイドだ。
シンディとノルンの制服も届いた。ノルンは真新しい制服に袖を通し、鞄に蝋板と尖筆、初心者用の杖を入れて肩に下げてみている。
制服が珍しいようだ。反対に、シンディが通っていた学校は制服のあるお嬢様学校であったらしく、ノルンは「お姉ちゃんみたい!」と飛び跳ねている。
シンディはそんなノルンを可愛いと褒め、二人でキャッキャとしている。
シンディの手元には、針と糸。
布を固定するフープも持っている。
ノルンのハンカチに刺繍を入れてやってるらしい。
ゼニスも刺繍は巧みだった。貴族女性の嗜みなのだろうか。
「お兄ちゃん、ちょっと」
アイシャに呼ばれ、自室に移動した。
やっぱりあたしも学校に行きたい! と言われても一向に構わない。俺は喜んで準備するだろう。
学校は学びの場だ。学びの範囲は勉強だけじゃない。友達の作り方、集団での振る舞い方、体の動かし方——と多岐に渡る。
学園は青春の場なのだ。
生前に泥水のような青春を強いられた身としては、手放しで素晴らしい場とはいえないが、俺はこの世界ではけっこう力のある方だ。
辛い思いをしないように守ってやればいい。
「あ、今さら学校に行きたいわけじゃないよ? お兄ちゃんに誓いを立てておこうと思って」
「誓い?」
「そう、侍女の誓い。形式は大事だからね」
アイシャは俺の内心を見透かしたように釘を差してきた。
鋭い。しかし、どうにもアイシャの心は読めない。
リーリャからそう教育を受けたとはいえ、アイシャ自身に、俺に尽くしたい、仕えたい、といった動機は弱い気がするのだ。
実際、リーリャの手紙には、俺への忠誠は上辺だけと書かれていた。
面従腹背。そんな言葉が頭をよぎる。
俺が一国一城の主になったとき、明智アイシャの奸計に嵌り、燃え盛る本能寺で腹を切ることになるのだろうか。
殿、謀反です!
なにっ!? 謀ったな、アイシャ!
いやいや、十歳の子供に対して考えすぎだな。
くだらん妄想を打ち切ると、アイシャは凛とした声で言った。
「アイシャ・グレイラットは、ご主人様に仕える侍女となり、献身を捧げることを誓います」
アイシャは体の前で手を組み、深々と頭を下げた。
敬語もご主人様呼びもやめてほしいのだが、公私混同になるとアイシャは譲らない。これからも要所で畏まるようだ。
「不躾ですが、ご主人様にお願いがございます」
「なんだ?」
「シンシア様のことです。先日ご存知になられた通り、シンシア様は体調を崩す事がございます。私はその看病を母に任されています」
大事な話だ。
病とは聞いたが、今のところ、シンディは健康そのものだ。
数ヶ月に一度の体調不良は、なんとなく、月経の事なんじゃないかとは思っている。前世のお袋はアンネの日とか言っていた、アレの事だ。
食習慣の違いか、異世界故に体質が異なるのか、はたまた偶然俺の周囲の女がそうだったのか、この世界の人間の生理はごく軽い。
ロアで外科医の弟子をしていたときは、非合法な方法で死体を手に入れ、中には女性を開かせていただくことはあったが、生理に触れるのはタブーの風潮があった。
俺も詳しくは知らない。
だから推測になるが、きっちり月に一回くるものでもないようだし、出血量も少ないんじゃないかと思う。
シルフィが生理の時も添い寝はしているが、朝にシーツが血で濡れていたこともない。
子供の身に家族の看病は重荷だろう。
前世ではヤングケアラーという言葉があった。俺の引きこもりも板につき始めた頃に生まれて、じわじわ社会問題になっていた。
アイシャはシンディの世話を負担に感じているのだろうか。
無論、それなら俺がやる。俺ができなくても、リーリャに頼るとか、人を雇うとか、いくらでも手段はある。
「ですがそれは、母が戻るまでの短期間です」
アイシャは顔を上げた。意志の強い瞳であった。
「もしも将来、シンシア様専属の看護婦として雇った者が、ラトレイアと敵対する教皇派の手先だったら? 嫁ぎ先で虐げられたら? ……私は心配が尽きません。
そこで、ご主人様には、私をシンシア様のウェイティングメイドに任命してほしいのです」
「ウェイティングメイドっていうのは……」
「令嬢のお世話をするメイドのことです。ラトレイア家にいた頃は、シンシア様にも付いていました」
メイドにも種類があるんだな。
専属のメイドに髪をとかされたり、着替えを手伝われたりしながら、「姫様みたいね……」と振る舞い方に迷いながらもちょっと嬉しそうなシンディが目に浮かぶ。
あれ、アイシャはうちにいて家事をやってくれるんじゃなかったか。
シンディの世話がメインになるなら、家事の分担もまた変わってくる。
「もちろん家事はちゃんとやります。疎かにしたり、手を抜いたりなんてことはしません。
シンシア様のウェイティングメイドとはいっても、彼女も身の回りのことはご自分でできますし、私は基本的にはこの家のメイドです。
ただ、シンシア様が結婚して家を出ていくとき、のっぴきならない事情で家を出て行くとき、私もついていきたいのです」
結婚か。
結婚かあ……。
別に、この家にずっといても構わないんだが。
しかしパウロとゼニス、リーリャが帰ってきたら、彼らは俺とは別の家に住むんだろうか。
そしたら、当然未婚のシンシアもそっちに移るよな。
ノルンとアイシャもだ。
嫌だ。
確かに俺は十六歳で、この世界では既に責任ある大人だ。
七歳で家を出た。転移事件さえ起こらなければ、十歳で家に帰るつもりだった。
数年しないうちに、ロキシーが通っていたラノア魔法大学の存在を思い出して、入学のためにまた家を出ていたかもしれない。
無詠唱魔術が特別生、あるいは学費免除の対象に足るスキルであると知って、村の友達も誘って全員仲良く入学だ。
いや、訪れなかった未来の話はよそう。
失った分を取り戻したい。家族でまた暮らしたい。
そう思うのは、自然なことだろう。
俺にとっては大切な家族で、シルフィも幼い頃から知っているとはいえ、シルフィにとっては義両親や小姑だ。
同居を嫌がられたらどうしよう。
ルディの家族は生きてるのに、ボクのお母さんとお父さんは、と泣かれたら申し訳が立たない。
「ご主人様はシンシア様を大切にしておられるご様子。シンシア様がご主人様のそばを離れるとき、腹違いでも妹の私が一緒ならば安心でしょう。たったそれだけの、小さなお願いです」
と、アイシャは完璧な理論を振りかざしてきた。
自信満々だ。承諾を確信しているのだろう。
正直、悩んでいる。
というより、同居して日の浅いうちに出て行く話をされて、寂しい。
寂しくて何も言えない。
黙り込んでいる俺に、アイシャは不審そうな表情をし、
徐々に、あれ? おかしいな? と不安そうな顔をしはじめた。
「お兄ちゃん、ダメ……ですか?」
アイシャは眉を下げて、胸の前でぎゅっと手を組んでいる。
アイシャは可愛い。あの赤ん坊がこんなに大きくなった。そんな感慨があれば無条件で可愛いものだ。
向こうは俺のことをかっこいいお兄ちゃんとは思ってはいなくても、俺にとってはノルンと同じ、歳の離れた可愛い妹だ。
「いや、ダメじゃないさ。シンディを任せられる相手が身内っていうのは、ありがたい」
「本当!?」
「ただし、アイシャが少しでもそれを負担に感じるなら、すぐに相談しなさい。お前にとって俺はよくわからない相手だろうけど、俺はアイシャのこともいつでも助けたいと思ってる」
「……はい!」
アイシャは「じゃあ、宣言してください!」と笑顔のまま言った。
アイシャをシンシアのウェイティングメイドにすると、主人の俺に宣言してほしいらしい。
形式が大事なのだと言われた。
俺の発言にそこまで効力はないが、アイシャが望むなら、宣言しよう。
えー、ゴホン。
「俺は、アイシャを、我が妹シンシアのウェイティングメイドに任命する」
「拝命します」
アイシャはまた、恭しく頭を下げた。
今更だが、シンシアに許可を取らずにこんなやりとりをして良いのだろうか。
怒りはしないだろう。「アイシャがずっと一緒なら嬉しいわ」とニコニコされるだけな気がする。
「あぁ、よかった。お兄ちゃんが許してくれて」
アイシャがくすりと笑う。
その眸の奥が、深いのに気がついた。
いたずらが成功した子供という表現では収まらない。
たくらみが成功しつつある大人の女のようであった。
「そういうことで、改めてよろしくね、お兄ちゃん! お母さんも、ご主人様の命令なら何も言わないだろうし!」
そう思ったのも一瞬で、アイシャはすぐに元気に拳を握りしめ、上機嫌に部屋を出ていった。
「……」
アイシャは俺を恨んでいるのかもしれないな。
幼少期はほとんど関わってやれなかったし、転移事件の後、シーローン王宮でリーリャと共に監禁されていたのに、すぐに助けに行けなかった。
シンディが助けに行ったが、アイシャしか連れ出せなかった。
シーローン王宮にはザノバがいた。俺であればもっと話は早かっただろう。
俺とパウロより先に救出にきたシンディに恩を感じる一方で、最初から兄が来ていればよかったのに、と苛立つ気持ちもあるだろう。
おまけに、そんな相手に仕えろとリーリャには教育されるのだ。
嫌気がさして、誰があんなやつ! と内心で舌を出していてもおかしくない。
まあ、いいか。
シンディとノルンのことは好きなようだし、表面上は俺にも好意的だ。
時間をかけて、ゆっくり仲良くなろう。