2026年10月11日開催の、むてんマーケットにも参加する予定です。
巫女転生関係は考えてませんが、何か出そうと思っています。
無職転生の同人即売会にご興味のある方、ぜひ覗きに来てください。
ルーデウス視点
ナナホシの研究に協力する日に、俺はシンディも連れてきた。
俺の記憶違いか同姓同名の他人でなければ、二人には面識がある。
転移事件後に、シンディがオルステッドに助けられ、ナナホシも加わって三人で旅をしていた話は聞いている。
食堂に出てきてくる時はあるものの、基本的には引きこもりのナナホシだ。
うちに風呂に入りに来ることもあるが、シンディはその時学校にいたりして、タイミングが合わなかった。
再会はまだ果たしていないだろう。
「なあシンディ。サイレントの本名は知ってるか?」
「サイレント・セブンスターさんではないの?」
そう訊き返すシンディは、サイレントの名を聞いたことはあっても、性別や背格好、本名までは知らないようだ。
やっぱりな。
俺はルイジェルドとまた会えて嬉しかった。
シンディとナナホシも、感動の再会——になるかは知らんが、会って嫌なことはないはずだ。
「ルーデウスです。今日は妹も連れてきました」
二人の再会の手引きをしてやろうと、研究室の扉をノックした。
「チッ……どうぞ」
いつも通りの、気怠げな声。
舌打ちまでついてきたのは、部外者を連れてきた事への苛立ちだろう。
入口でまごついたシンディの背中をゆっくり押す。
机に向かっていたナナホシがこちらを振り返る。煩しそうだ。
不躾な同伴者を拒絶するように、視線を、俺の隣に向けた。
その表情が、徐々に驚きに変わる。
「ナナホシ」
所在なさげに、申し訳なさそうに、シンディが声をかけた。
再会の笑顔はそこにはなく、寂しそうに眉が寄っていた。
教室で自己紹介をした時のような余裕はない。
……。
なんか、思っていたのと違うな。
シルフィの時のように、キャー! 久しぶり! とキャピキャピした感じを想像していた。
もしかして、喧嘩別れをしたのか?
「シンシアなの?」
ナナホシは、誰に対してもそっけない。
この世界の全部が嫌いだと言っていた。
だが、俺から見ると、ナナホシは妙にこの世界に馴染んでいると感じる時がある。
しかもインテリ層ではなく、猥雑な冒険者側の方にだ。
実験が行き詰まった時、食堂で生徒に絡まれた時、彼女の口からは流暢なスラングが飛び出る。
聞いたエリナリーゼがケラケラと笑い出すようなやつだ。
俺はあまり使わない。所詮は温室育ちの坊ちゃんだからだ。
ナナホシはこの世界やこの世界で暮らす人間が嫌い。
というより、嫌いであろうとしている。
何を見ても何も感じないし、何を食べても美味しくない。
そんなポーズをとり続けようとしている印象だ。
「シンシアよね……?」
ナナホシはシンディから視線を固定されたまま、ガタンと立ち上がった。
目は見開かれ、唇を震わせている。
ナナホシは、元の世界では未成年だったのだ。
そう思い出させるほど、無防備に呆然としていた。
「……嘘でしょ。だって、あんなに小さかった……いや、もう、それだけ経ったのね」
ナナホシは感情をグッと飲み込んだように見えた。
名前を呼ばれて許しを得たというように、シンシアはナナホシのそばに寄った。
「私、十三になったわ」
そう言って手を握った。
正面から目を合わせたシンディに、ナナホシは気まずそうに眼を伏せて逸らす。
背は、同じくらいだ。シンディのほうが少し高いか。
「一緒にいたころは、ずっとお姉さんに見えていたけれど、私とそう変わらなかったのね」
シンディは、少し辛そうだった。
何かを後悔しているようにも見える。
俺は二人の間に何があったのか、詳しく知らない。シンディも、楽しい旅であったと言っていた。
万物には必ず終わりがある。楽しい冒険も例に漏れない。
別れ際に、二人の間に、どんなやりとりが交わされたのか、俺は知らない。
ただ思い出を語るシンシアが楽しそうだったから、喧嘩別れなど想像していなかったのだ。
ナナホシは最初、俯いていた。
肩が震えている。
泣いているのかと思った。
だが、泣き声の代わりに聞こえてきたのは、笑い声だった。
ナナホシは顔を上げ、クスクス笑っていた。
「何よ、十三歳なんか、まだ全然年下じゃない」
そうして二人は抱き合った。
シンシアも安心したように抱きしめ返した。
転移事件から六年。
そのうちの一年以上を、二人は共に過ごした。
突然知らない環境に飛ばされて、ナナホシに至っては言葉も通じない。
助け合って生きていた一年間は、人生において、ずっと濃い時間だったろう。
少なくとも、険悪のまま終わる事はないようだ。
俺がナナホシの実験に協力した後も、シンディは研修室に残った。
二人はいろんな話をしたようで、その日は、シンディがナナホシの研究室に泊まるほどであった。
そういえば、ナナホシは俺が転生者である事を、シンディに伝えるのだろうか。
バラされて困ることはないが、俺の場合は前世が前世だ。
心の準備は必要というか、せめて自分から打ち明けたい。
俺の心配をよそに、シンディから転生について訊かれることはなく、ナナホシは以前より頻繁にうちに来るようになった。
妹たちと共に風呂に入り、うちで食事をして、そのまま泊まっていく。
アイシャは四歳の時に面識があったらしいし、天才同士、何らかのシンパシーを感じているのか、意外とナナホシとの相性は良いようだ。
そして、今年も冬追いの祭りが始まった。
市庁舎前の広場では、昼間から火を焚き、人々は酒を飲み交わす。
長い冬の終わりを祝い、きたる春を迎えるための儀式だ。
北方大地では、どの国も必ずこの祭りをやるらしい。
町の広場や十字路で、大きな仮面を被り冬と夏に扮した住民が、歌い罵り戦っている。
あくまで戦うふりで、実際に殴ったり切り掛かったりすることはない。
しかし伝統行事であるだけあって、見応えはある。
見物人の間を仮面が駆け抜けるなかで、立派な仮面ほど常に中心におり、よく目立つ。
仔細は知らないが、仮面の群れの中にも序列はあるのだろう。
去年は見に行かなかったんだっけか。
今年は、ノルンが行きたいと言って、俺とシルフィ、アイシャとシンディの全員で来たのだ。
ノルンはじっと魅入っている。
シルフィは「こういうお祭り、ブエナ村でもやってたね」と懐かし気だ。
「お兄ちゃん」
何処かに姿を消していたシンディが戻ってきた。横にはアイシャも連れている。
人混みでわからなかったが、アイシャも連れて行っていたのか。
この世界には子供の人攫いなんかざらにある。
身内が離れてもすぐに気づけるように、もっと気を張りたい。
「どこに行ってたんだ?」
シンディは華やかな仮面の群れを手のひらの先で指した。
「ああして、仮装して戦うのは、昔から町に住んでいる人たちがやっているのですって」
「そうらしいな。仮面も代々受け継がれてきたって」
と、シルフィから聞いたことを思い出しながら相槌を打った。
民の心を掴むためか、アリエルはここに留学してから、ラノア王国の文化や伝統についても勉強したらしい。
その余波というべきか、護衛術士のシルフィにも、ある程度知識は備わった。
「祭礼の仕切り役の方に、来年からうちも参加させていただけるように、頼んできたわ。
こころよく頷いてくださったの。いきなり重要な役は任せられないけれど、グレイラット様も是非に、と」
「勝手に決めてくるんじゃない」
「やん」
ビシッとデコピン。
仮装に参加できるのは大人だけだが、うちで成人しているのは俺とシルフィだけ。
成人した男が参加するのが一般的なようだし、シャリーアのグレイラット家からは、俺しか候補がいないのだ。
一家で唯一の男として、妻と妹たちの前で良いところを見せたい気持ちはある。
段取りや振り付けの練習もあるだろうに、俺の予定を聞かず決めてくるのはいかがなものか。
別に、参加できないほど忙しいわけではない。
ある程度古参で固まっている中に、新参として飛び込むのがアウェイ感があって嫌だなとかもない。
ただ、事前に相談は欲しかったと思う兄心。
シンディは自分の額を撫で、上目遣いに俺を見た。
にこっと励ますように微笑まれる。
「お兄ちゃんとシルフィにも、子供が生まれるでしょう?」
「そりゃ……できたら嬉しいけどさ」
「えっ、う、うん。まあ……ね」
シルフィと見つめ合い、なんとなく照れながら頷く。
子供か。
自分たちがつい最近成人したような感覚だから、あまり意識していなかったが、確かに、シルフィとの子供はほしいな。
ゼニスも俺を産んだのが17とか16歳の頃だ。
いても、いいんだよな。
「お兄ちゃんが頑張れば、良い役を息子に引き継げるわ。ここで永く暮らすなら、そういう繋がりも大事だと思うの」
「ああ、そうだな」
抜け目ないシンディの頭を撫でる代わりに、顎の下を撫でる。
シンディは嬉しそうに目を瞑った。「ごろごろごろ……」と口で言っている。猫のつもりか。
茶番はさておき、結婚して家も買ったし、しばらく動くつもりはない。
ラノア魔法大学は教育機関としても優秀だ。もしも俺とシルフィに子供ができたら、魔術の才能があってもなくても通わせてやりたい。
そう考えると、シャリーアを向こう数十年の定住地とするのが良いだろう。
「それにね」とシンディは俺の手を外した。
俺の片手に自分の両手を添えたまま、形の良い唇は未来を語った。
「もしお兄ちゃんの都合が悪くなっても、大丈夫よ。次の年は、きっと父様もいらっしゃるもの」
そうだといいな、と俺は思った。
ゼニスの救出は困難をきわめる。迷宮から救い出せても、すでに人格は喪われている。
迷宮に入ったが最後、誰かが命を落とすだろう。
その誰かは、パウロの仲間かもしれないし、はたまたパウロ自身かもしれない。
シンシアは予言した。彼女の予言は、外れない。悪い報せほどよく当てる。
シンシアとしては、ゼニスの救出は中止し、パウロには生き残った家族に目を向けてほしかったようだ。
ゼニスのことを愛していないわけじゃない。
ただ、災害に遭ったのだから仕方がなかった、と諦めていただけだ。運命と定めるほど受け入れてはいないが、どうにかできるとは思っていなかった。
パウロは、諦めずに、発った。
シンシアを説得し、生還を約束して。
俺は、パウロを信じて待っている。
シンディもそうなのだ。
それから一ヶ月後、シンディは一枚の絵を描き上げた。
途中で寝込むことはあったものの、学校を休みながら完成させたようだ。
看病は、手紙の通りアイシャが引き受け、俺はあまり関わらせてもらえなかった。
一週間も経てば、少し顔色が白いが、いつも通りのシンディが出てきて、ちょっと安心したものだ。
完成した絵には、冬を追放する祭りを楽しむ、人々の姿が描かれていた。
仮装した冬に、ある若者はふざけて矢をつがえ、ある老婆は親しげに声をかける。
後ろでは、家の鎧戸から子供たちが顔を出して大通りを眺め、手を伸ばす冬を警戒した顔で眺めている。
そんな祭りの日の一幕を切り取ったような、見事な絵であった。
絵は、大学に展示された後、シャリーアの市庁舎に寄贈の形で引き取られた。
うむ、やはり、スペルド族の真実を啓蒙するには、絵本の形が良いだろう。
シンディに絵を描かせ、量産のためにそれを版画にして、本文は、ノルンに書かせてみようか。
相談すると、二人とも大賛成してくれた。
絵・シンシア、
文章・ノルン、
監修・俺、
のチームで、しばらくやってみよう。
兄妹の共同作業だ。
さらにはシルフィの妊娠も発覚した。
近ごろ体調が悪いと思っていた時に、シンディにおめでたを告げられ、念のために医者にみてもらうと、見事的中していた。
「皆様へのご報告は済ませておきました」
とは、使者のように町中を回ってくれたアイシャの言葉だ。
それによると、だいたいの奴らが祝いに来てくれるらしい。
アリエルも、妊婦に危険な仕事はさせられないと、護衛の仕事は二年間は休ませるようだ。
「ありがとう、シルフィ」
「ふふ、ボク、ちゃんとルディの奥さんになれた、って気がするなあ」
シルフィが、俺の子供を妊娠している。
人生で、いちばん嬉しい出来事だ。
ソファの上でふざけあっているアイシャとノルン、二人に揉まれて流れ弾を喰らっているシンディを眺める。
ふっと幼い頃の光景が、それに重なる。
じゃれあう俺とシンディと、リーリャの腕の中や膝の上から、なんとかして混ざろうとしてくる赤子のアイシャとノルン。
ゼニスの肩を抱いて、満ち足りたように眦を下げていたパウロ。
第三者のような目線で思い出すことができるのは、俺に前世があり、それが二回目の子供時代であったからだろう。
当事者として過ごしながら、前世の人格で、客観的に捉えることができていた。
幸せな家庭だったと思う。愛されていたと思う。
あの時のパウロは、今の俺なのだ。
俺はいつしか、愛される側から愛する側になっていた。
憂いはある。
子供は無事に産まれるのか、
シルフィが俺よりアリエルを選んだらどうするか、
アイシャと仲良くなれる日はくるのか、
ノルンがある日突然グレちゃったりしないか、
シンディの体調が悪化しないか。
まあ、そのくらいの悩みは、誰にでもあるものだろう。
シルフィとまだ見ぬ我が子が増えた家庭で、俺は、シンディとノルン、アイシャ、パウロとゼニス、リーリャとまた暮らせるのだ。
転移事件で、一時は崩れ去ったものが再建しつつあった。
理想は、すぐそこにあった。
シルフィの妊娠が判明してから二ヶ月、
シンシアとノルンが入学してから四ヶ月が経ったある日、病床から快復したシンシアは、唐突に言った。
ロキシー・ミグルディアは迷宮で死ぬだろう、と。
シンシア視点
私の躰は蛇を飼う壺なのだ。
中で増えたら、外に出してさしあげねばならない。
それは出産の形をとって出てくる。
出産には、苦痛が伴う。
胎は痛み、躰は怠くなり、気絶と覚醒を繰り返しながら耐え忍ぶ。
終わったとき、脚の間には、蛇の死骸がある。
形あるものとして誰でも触れられる蛇は、トウビョウ様がうつそみに顕現するための憑代に過ぎず、それ自体に呪う力も、強い穢れもない。
しかし前世からある信仰のせいで、無情に打ち捨てることもできず、その時々でちょうど良い容れ物に溜めては、燃やし捨てている。
なにより辛いのは、終わった後の、生命力をごっそりと削られたような感覚だ。
前世のチサと比べたら頑丈なこの躰でも、やはり、何十年とは持たぬだろう。治癒魔術も気休めだ。
初潮以来、あれは来ない。
休みなく妊み続けているのだから、来る暇もないのだ。
それでも癒えるのが早いのは、父様と母様譲りの丈夫さのおかげである。
何回目かの産褥を終えた私は、アイシャに面倒をみられながら風呂に浸かっていた。
削り整えた石を組み合わせた浴槽のへりにしゃがみ、半袖のアイシャが湯に手を入れてかきまわす。
いつのまに半袖だ。冬はとうに終わったらしい。
私の面倒を見るためとはわかっているけれど、水遊びをしているみたいで、かわいい。
かわいいわね、アイシャ。
手にすくったお湯を、パシャパシャと肩にかけてくれた。
「お加減はいかがですかー?」
「心地いいわ。ありがとう」
洗髪の手伝いばかりか、寝たきりになった時の清拭や下の世話をもアイシャはためらいなくしてくれるのだろう。
まだ子供の彼女に、そこまではやらせたくない。
動けるうちは、なんでも自分でやりたいのに。
「さ、お姉ちゃん、あたしに身を委ねて」
「ぁ、よして、そんな……あ、あぁ〜……」
アイシャはへりに布をかませ、私の頭を仰向けにのせると、頭皮や耳の下、頸を指圧し始めた。
気持ちいい。とろけてしまう。私が溶けてお湯になってしまう。
のぼせそうになる前に冷たい水が差し出され、髪には香油が擦り込まれた後、大量のぬるま湯で流される。
誓って普段はここまでさせていないけれど、躰が怠いときはつい頼ってしまう。
アイシャは張り切ってくれて、その結果、至れり尽くせりである。
侍女三、四人分の働きだ。
「お加減どうかなー?」
「ほにゃ……」
ふにゃふにゃになり、私とお湯の境があやふやになった頃、「ボクもいい?」とシルフィもやってきて、躰を洗いはじめた。
昨夜は腹が張って、念のため風呂を控えていたのだ。
私は兄夫婦の家に居候をさせてもらってから、毎日の入浴が習慣になりつつある。
それはシルフィも同様なのだった。
「よいしょっと」
シルフィも足からそっとお湯に浸かった。
少しずつ丸みをおびてきたシルフィの腹を見つめる。
産まれるまで、あと六月といったところだろう。女の子である。
チサにも姪や甥はいただろうが、姉しゃんたちは遠くへ嫁いでいって、関わりはほとんどなかった。
腹にいる時からこんなに見守ることができるなら、きっといっそう可愛らしいのだろう。楽しみである。
「具合はもう大丈夫?」
ちゃぷちゃぷと湯を分けながらシルフィが近寄ってきて、私の顔色を覗き込むように頬に手を添えてきた。
私はそのやさしさに微笑みを返した。もっとも労られるべきは妊み女のシルフィなのに、こうして自然と私のことを心配してくれるのだ。
「ええ、アイシャのおかげで、とても良い気分よ。明日から、また学校へゆけると思うの」
「学校かあ」
安心したように手を離したシルフィが、顎先まで湯に沈む。
天井近くに取り付けられた小窓を見上げている。夜であれば意識に昇ることはないが、昼間だと、湯けむりが差し込む陽に照らされているのが見えた。
「アリエル様は休学させてくださったけど、けっこう動けるし、学校、まだ行けばよかったな」
「そうかしら。お勤めも学問も休んで、家で過ごすべきよ」
「だって、ルディが心配なんだもん。赤ちゃんは嬉しいけど、ほら……しばらくできないってことだし、我慢できなくて、うっかり別の子に手を出しちゃったりして。
あ、いま、動いた気がする」
「お父さまに色が増えるのはいやなのかしら」
はっきりとした胎動はまだ感じとれない腹をじかに触らせてもらいながら、シルフィの不安を宥める。
大学に通っていたときも教室は別であるし、授業も被ってはいなかった。たとえ学校通いを再開しても、シルフィの憂いは晴れないだろう。
不安の種は、子に障りがあるからと、抱かれないことにあるように思う。
シルフィは兄が初めてだったというし、意中の相手との躰の結びつきは、強烈であっただろう。
しかしそのせいで、兄からの好意の大半は、性慾にあるのやもと思ってしまっている。
「お兄ちゃんは、シルフィを深く好きよ。昔から、かわいいかわいい、とよく仰っていたもの」
「男の子だと思ってたくせに」
シルフィは濡れた白い毛先を耳にかけた。つーんとむくれ顔なのは、私に兄を重ねているのかもしれない。
娘の年頃で、もうすぐ母親になるのだ。
まだ女と男でいたい気持ちもあろう。できるかぎり、夫婦仲を扶けてやりたいものである。
「アリエル王女様と、ルーク様がしっかり見張っててくださるわ」
「うん、おばあちゃんもね。……じゃあ、大丈夫……かな?」
アリエル様は、アスラ王国の王女様であり、シルフィの友人である。
転移事件後、シルフィが王宮に転移したことまでは知っていたが、彼女は被災者の立場から、王女様お抱えの魔術師になっていたのだ。
妊娠前のシルフィは術士として影のように控え、騎士のルーク様は堂々とアリエル様のそばに立ち、揃って彼女を護衛していた。
人の上に立つことに物怖じせず、気品に溢れたアリエル様の振舞いは、尊い血筋を感じさせるには十分であった。
そんな彼女に、ノルンと共に生徒会室に招かれ、お茶会に参加させられたときは、たいそう緊張した。
ミリシオンでも、王族と少人数で、密に話すような機会はなかったのに。
アリエル様は、私がここにきた経緯に後ろ暗いことがあるのも見抜き、なんでも頼ってほしいと仰ってくださった。
ペルギウス様の話題を出した時も、彼の城のみごとな調度品や絵画について、興味深そうに聞いてくださったのだ。
またお喋りしましょうね、もっとあなたと仲良くなりたいのです、と美しい人に手を握られてしまっては、誰でも骨抜きである。
あの距離の近さは、ミリシオンの女学校でのあれそれを思い出して、ちょっとドキドキする。
私のエスになりたいと言ってくださる上級生はたくさんいたが、アリエル様の美しさは格別だ。
少しひんやりとした、柔らかで肌理の細かい手の感触を思い出し、ほやほやする。
シルフィは私を見つめていたが、ふと微笑んだ。
嫣然な笑みであった。
「ボク、シンディなら、いいよ?」
「え?」
「他の子に行くくらいなら——」
「こほん!」
わざとらしい幼い咳払いが聞こえ、バチャンと湯が跳ね上がった。
すっぽんぽんのアイシャが、腰から下を湯に浸かって、むっつりと私たちの前に立っていた。
「お湯もったいないし、あたしも入るね」と途中から入浴していたアイシャである。
「奥様! 実の兄妹でというのは、少々時代遅れかと!」
アイシャに雛のように威嚇されたシルフィは、「ごめん、ごめん」と手を振った。
「アイシャちゃんにそういう話は早かったね」
「子供扱いして……!」
悔しそうなアイシャを抱き寄せる。
言い返したいなら澱みなく言葉が出てくるアイシャだが、シルフィの身を気遣ってか、あるいは遠慮があるのか、それ以上は言わなかった。
湯を溜めておいてくれてから少し時間が経っていたため、アイシャの周りのお湯の温度を火魔術で上げる。
私の得意と苦手系統は、シルフィと真逆である。
シルフィは風魔術が得意で、火魔術が苦手。
私はその逆だ。ことに、火と水の混合魔術でお湯を出すのは得意である。
ナナホシとオルステッドとの旅で、主に私とナナホシに必要な場面が多かったためでもある。
ナナホシは同じ町にいるけれど、オルステッドは今どこにいるのかしら。
温かい水球をいくつか浮かび上がらせ、シルフィの肩や首筋に弱くかける。
産湯なら、いくらでも出せる。まかせてほしい。
「アイシャがじゅうぶん温まったら、上がりましょう」
シルフィが言ったようにはならないだろう。
お兄ちゃんのことは好き。家族としても、人としても。
想像はしていなかったけれど、抱かれるのも、そのせいで祟り殺されても、きっといやではない。
でも、私はとうに、産まれる前から、清くないのだから。
チサのままでは気にもしなかっただろうけど。
兄の血筋に私の呪いを遺してはいけない。
兄と私は、結ばれてはいけないと思う。
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シルフィは兄の移り気を心配していたが、きっと大丈夫だろう。
兄にとって、結婚したいと思うほど特別なひとは、けっこう少ないのである。
幼い頃から一途だったシルフィ、魔大陸を共に生き延びたエリスさんの二人だ。
エリスさんとは、微妙な感じになっているから大丈夫として……。
もう一人、兄には敬愛する少女がいる。
幼少期のほんの数年だが、彼女との関わりは、兄には得難い思い出だったようである。
彼女の下着も、いまだ持っているみたいだ。
私の方はというと、蛇を産むほど、力は増した。昔は視えなかったものも、今では視えるようになった。
目が冴えるような緑の鱗に阻まれて視えなかった、迷宮でのことも、わかるようになる。
父様は死なない。生きて帰ってこられる。
ただし視えた図は、めでたしめでたしとは締められないものであった。
母様が睡る迷宮を踏破するのは、父様と、父様の昔の冒険者仲間タルハンドさん、ヴェラさんとシェラさん、そしてロキシーである。
ロキシーとタルハンドさんとは、皆で移動している時に、途中から合流したのだった。
ロキシーは記憶に朧げにある青髪の少女の姿のまま、私が大きくなったと喜び、そして「ウェンポートで会いそこねてっ、わたしがどれだけ悔しかったことかっ!」とわなわな震えていた。
知らぬ間に世話をかけていたらしい。
イーストポートで、母様の救出にいく父様たちと、兄のところへ身を寄せる私たちとで二手に分かれた。
気をつけて、と帽子を押さえて手を振ってくれたロキシーが。
ひょっとしたら私よりも幼い外見で、しっかりしていたロキシーが。
優しいけれど、時々物言いがふてぶてしいところが面白いロキシーが。
ロキシー・ミグルディア。
迷宮に閉じ込められて亡くなる。
トウビョウ様の力では、襲い来る魔物を殺してやることはできても、迷宮から解放してやることはできない。
これは、どうしたら。
迷宮には入ったことがあるけれど、私、ぜんぶオルステッドに任せきりだったわ。
魔物を殺して、必要な時に火だの水だのを魔術で調達しただけ。
代わりに助けてくれる、強い人は。
ペルギウス様……は、魔族を嫌っている。
オルステッド……は、どこにいるかわからない。
アトーフェ様……は、言葉の通じる相手じゃないわ。
キシリカちゃん……魔眼は豊富だけれど、ちいさい女の子が戦力になるかしら。
ゾルダートさん……も、急に旅立ったら、クランの冒険者が大勢困るでしょうし。
「シンディ、深刻な顔して、どうした?」
「……ロキシーが死ぬわ……」
兄は色々なものを巻き込みながら倒れた。