問題解決能力はある方だ。
ロキシー・ミグルディアはそう自負している。
ミグルド族の集落を出て冒険者になり、時にパーティを組み、魔法大学に通い、迷宮を踏破する中で身についた能力であると感じていて、事実そうだった。
だからSランクの転移迷宮でヘマをしてパーティからはぐれても、油断はできないがなんとかなるだろう、と思っていた。
巨大な甲虫・蜘蛛に似た魔物は数えればキリがなく、餌に群がる羽虫のような夥しさをもってロキシーを襲った。
ロキシーは魔物を倒しながら空間の魔法陣を次々と踏み、魔物が現れない部屋を発見。なんとか逃げ込んだ。
脱出のヒントも何もない中、自力で迷宮の構造を推察しつつ、出口をめざす。
目標は明確で、手段も過去の経験からわかる。
正気を失ってはならない。
しかし転移迷宮はそれ自体が知能をもっているかのようにロキシーをジワジワと追い詰めた。
時々、魔物が自滅することはあった。
魔物の群れが激しく共喰いをして、ロキシーが何もせずとも全滅した事もあった。
法則性を探れば体力の温存ができると思い、その時は糸口が見えたような気がした。
気がしただけであった。
なぜ魔物がロキシーを襲わず死ぬことがあるのか、結局わからなかった。
神の気まぐれ。
そう表現するしかない。
光源は自分の火と、壁に埋まる天然の魔照石のみ。
水は魔術で出せるが、食糧は自分に解毒をかけながら魔物の死骸を胃に押し込むしかない。
ビリビリと気を張り、死にそうになりながら魔物を倒しては魔法陣だけの小部屋に逃げ込む。
出口はない。
もしかすると、とうに自分は死んでいて、それに気づかず死ぬ前の行動をグルグルと繰り返しているのではないか。
そう思うと深い絶望に包まれたが、痛みが、疲労が、ロキシーにまだ生きている事を教える。
「はぁ……はぁ……」
魔力は底を尽きそうだ。
また辿り着いた唯一の休憩所で、ロキシーはカタカタと震えていた。
魔物の自滅は、特殊な薬剤や香を炊くことで人為的に起こす事ができると聞いた覚えがあるが、ロキシーはまったく何もしていない。
ロキシーにとって不規則に起こる幸運は、彼女から正常な判断力を奪った。
必ずしも起こり得ない事象に賭け、無理を通した結果負傷。
大人しく撤退していれば消費せずに済んだ魔力を、使ってしまう場面もあった。
ロキシーの選択肢は二つ。
衰弱して死ぬか、
魔物に喰い殺されて死ぬか。
むごい結末は、迷宮に囚われた冒険者にはありふれたもので。
我が身がその目前にあると知っても諦めず、彷徨うこと一ヶ月。
とうとう限界は近づいていた。
(死にたくない……死にたく、ない)
出口じゃなくていい。
転移魔法陣を踏むヘマをやる前に通ったポイントなら、どこでも。
知っている場所に出れさえしたら、どんなにいいか。
ロキシーは一縷の望みにかけ、今度こそ自分の知る場所に転移することを願った。
白亜の軸に青い魔石のスタッフを強く握り直し、転移魔法陣を踏み——
魔物の群れの前に、転移した。
前衛はアイアンクロウラー、
後衛がマッドスカル、
中衛であり、粘性の高い糸を吐き仕留めようとしてくるのが、
魔物は上級ランクほど知能が高い。
土魔術にてドーム状の壁を作り護身。
フロストノヴァで魔物ごと一帯を凍結。
その後も次々上級魔術を繰り出しながら、ロキシーは闘った。
際限なく、奥の魔法陣から魔物は湧いてくる。
残り少なくなった魔力が着実に消費されていくのを感じながら、思考と攻撃はやめない。
手を止めれば、すぐに殺される。
「あっ」
魔力の枯渇寸前に起こるめまい。
足元がふらつき、粘糸に杖を絡め取られる。
カランと落ちる杖に視線をやるが、取りに行く隙はないと悟る。
血の気が引き、気の遠くなる心地がした。
へなへなと腰をつき、ロキシーは魔物に向けて震える手を伸ばした。
今の状態で、杖なしで放てる魔術の威力など知れている。
「汝の求めるところに……」
手の先に小さな氷の煌めきが現れ、それは攻撃魔術に変化することなく消失した。
カチカチ、キチキチと大顎を鳴らしながら、アイアンクロウラーの群が迫り来る。
アイアンクロウラーの後ろにはタランチュラ。さらに後ろには、壁のような泥人形。
逃げ場のない死。
死ぬ。
生きながら喰われて死ぬ。
死ぬ覚悟もしていない。
死を拒否するほど現状も受け入れられない。
ガタガタと震え、息を小刻みに吸う。本能が絶叫しようとする。
仲間は、それを聞きつけられる距離にいないだろう。今までどんなに探しても合流できなかったのだ。
いや、こんなドジな女はとうに見捨てられているかもしれない。
しかし、迫る死は、突如としてロキシーの前から取り除かれた。
「え……?」
至近距離で、アイアンクロウラーの頭部がめこっと凹んだ。
青色の長い三つ編みを揺らし、ロキシーは呆然とする。
目の前の魔物だけではない。静寂の空間を見渡すと、ここにいた魔物はすべて同じような死に様を晒していた。
奥の魔法陣は死骸が塞ぎ、これ以上魔物は出てこれないようであった。
……助かった。
「あは」
ロキシーはその光景を凝視する。
口元だけが歪んだ笑みを浮かべた。
まただ。
また、これだ。
悍ましい力が、奇跡的にわたしを除いて働いた。
これが何某かの神による加護だなんて思えない。
気まぐれのようにわたしを助けるのに、大きな手でわたしを掴んで、迷宮の外に置いてもくれない。
生かすもならず、死ぬもならず。
恐怖もある。いつこの力がわたしにまで及ぶのだろうという恐怖だ。
こんなのは、呪いだ。
わたしは永久にこのまま——
「ぁ、ああっ、あああぁあぁあっ!!」
助けて。
誰か、ここから出して。
お願い。
成人した女性にしては小さな拳で地面を殴りつける。
いやだ、いやだ、と子供のように喚きながら、這うように移動し、杖を拾いあげようとして、震えた手が取り落とす。
亀のように縮こまってロキシーは泣いた。
物心ついてから今に至るまでの記憶が、泡のように浮かんでは消えていく。
辛い記憶も、楽しい記憶も一緒くたに。
ロキシーの幼い頃の記憶。
夜だろう。まだ暗い時に起きた小ちゃなロキシーは、自分を挟んで眠っていたはずの両親を探す。
洞穴のような巨大な甲羅の下は、親子三人の住まいだ。
ロキシーは、外と内を曖昧に区別する革布を押し開き、安堵した。両親はすぐ外にいる。
念話の使えないロキシーは、声を出さないと振り向いてもらえない。
ロキシーは息を潜めて、月明かりの下の両親を見つめた。
青い髪の男女は、静かに微笑みを交わしていた。
いや、静かではないのだろう。
ロキシーには聞こえない音で、二人は会話をしているのだ。
察した瞬間ロキシーは幼心に強烈な寂しさを憶え、わざと大声で泣いた。
いけないんだから。わたしを仲間はずれにして、いけないんだから。
両親の注目を得ても、とんでもない仕打ちを受けたというふうに泣いた。
(ああ、本当に……わたしは昔から、お母さんとお父さんを困らせてばかり……)
今こそ思う。
わたしもあれが欲しい。
幸せが欲しい。幸せになりたかった。
壁が一部、轟音を立てて崩れた。
ロキシーはビクッと体を起こし、崩れた壁の方を見つめた。
土煙の向こうから、人影が歩いてくる。
彼は奇妙な死に方をした魔物を見て一瞬不思議そうな顔をしたが、そんなことは些細なことであるとばかりに、ロキシーに向かってくる。
人である。
極限の生活をしていたロキシーの前に、人間が現れた。
一ヶ月間の孤独をしばし忘れ、ロキシーは彼に見惚れた。
「ロキシー……」
ロキシーは彼に見覚えがない。
しかし青年は、なぜかロキシーの名を呼んだ。
人族の青年である。
魔術師らしいローブを着ているが、その下の躰はガッチリしている。
柔和な顔立ちは、世間で言われる格好いい男性像からは少し外れていたが、造りは整っていた。
ミグルド族のロキシーとしては、濃すぎないちょっと子供っぽさの残ったその顔のほうがむしろタイプである。
「ああ、可哀想に。こんなに泣いて」
謎の青年は、ロキシーの顎を王子様もかくやという優しい仕草で持ち上げた。
自分が酷い顔であることを思い出し、ロキシーはさっと顔をそむける。
「あ、あれ?」と青年が困惑した声をあげている。
「その……近寄らないでください。臭いので」
「く、臭いですか……すみません」
「え!? 違います! わたしがです!」
想定外の伝わり方をした。
孤立奮闘している間に喋り方を忘れてしまったかとロキシーは慌てる。
気が狂いそうなところを正気に戻してくれた好みの男性に、いきなり臭いなどと言うわけがない。
「そ、そうですか、よかった……。いや、俺は気にしませんよ?」
しかし、彼は何者なのだろう。
聞き間違えでなければ、さっき名前を呼ばれた。
なぜわたしの名を知っているのか。
ロキシーは青年を見つめる。
見れば見るほど、カッコイイ。
青年は気を取り直すように首を振った。
彼はキラリと爽やかな笑みを浮かべ、ロキシーに手を差し伸べた。
「さあ、ここから出ましょう」
「はひ……」
ロキシーは決定的に恋に落ちた。
その青年こそ、ルーデウス・グレイラット。
あの時5歳であった愛弟子の成長した姿であることを、ロキシーは少し後に知ることになる。
艶のある色を調色板の上に絞り出した。
ものはそれぞれ材質が異なる。布と陶器の質感の違いを、どうしたら表現できる?
色を混ぜ合わせれば肌の色をあらわせる。
でも、肌の色の、その陰影をあらわすには?
透明な水はどう描くの?
技術は学校が教えてくれる。
モデルもいくらでもいる。
可愛い妹たち、美しい妊み女のシルフィ。
人種の多様な大学の生徒。
しかし、素描が乏しいと、私は感じる。
「お姉ちゃん、もう暗いよ」
アイシャがやってきて、ふと気づいた。
日が暮れると、室内は素描のようになってきく。
アイシャが手燭の灯芯の火を部屋の蠟燭に移した。
灯火に照らされた色は、陽光の下のそれと異なる。
ものは光によって色を変える。当たり前のことだけれど。
「もうすぐ完成?」とアイシャが画布を覗き込む。
「なんとなく、安心するような風景だね。帰りたくなる? っていうか……へへ、あたし変なこと言っちゃった」
なだらかな丘陵に散在する小さい農家。畑に身を屈めた農夫らの姿もみえる。丘の斜面には羊が群れ、羊飼いは寝そべり、牧羊犬が群れを見張っている。
村人の治療院であり、村の信仰の中心であろう小さい教会。粉挽小屋の水車が西日を照り返していた。
「あなたの生まれた地よ、アイシャ。故郷のブエナ村。私にはこう見えていたの」
かつて好きだった、仕合せを感じていた景色。
私は、私の神秘世界を、画布に映し描きたかった。
いまは無い故郷は美しいけれど、私が真に表現したかったものは、これではない。実在したものは不可視の光になり得ない。
私の神秘世界を描くためには、もっとたくさんのものや事象を見つめなればいけなかったのだと気づく。
そうしてそれは、不自由になっていくこの躰では実行できないのだろう。寂しさはあるが、後悔はない。
パウロ、ゼニス、リーリャ、ルーデウス、ノルン、アイシャ。そしてシルフィエット。
安穏を引き換えに、たいそう私を大事にしてくれた彼らを、私は自らの死によって裏切るのだ。
私を失った彼らは、深い哀しみを知るだろう。だがこれから先の〈時〉が、その痛哭を瞬時でも忘れさせるだろう。
あなたたちにゆたかな時を。そのために私ができるのは、何か。
パウロ視点
我が息子、ルーデウスの躍進は凄まじいものだった。
まずラノア王国からベガリット大陸のラパンまで、実在が都市伝説レベルの転移魔法陣を使い、移動にかかる時間を大幅に短縮。
オレらが集めたどの迷宮解説の本より、ルディが大学から借りてきた『転移の迷宮探索記』の方が何倍も役に立った。
さらには初めて入った迷宮で、壁をぶち抜きながら進みロキシーを救出した。
オレらの制止の声も聞かずどんどん進んでいくルディに、夢でも見ているのかと思ったが、現実だった。
こちらがサポートする場面はあったが、初めての迷宮——それもS級でも、戦力として頼りになる。
相変わらず、優秀すぎる息子だった。
そんなルディでも、弱気な場面はあった。
ラパンで再会した初日のことだ。
ルディがゼニスのために研究をしていて、その結果動物を人為的に魔獣化できるようになったと話を聞いたときは、オレの息子は今後どんな分野で名を残すようになっちまうんだと途方に暮れた。
だが、話を聞いてみれば、頑張っているのに思うように成果が出ないというありきたりな悩みを持っていた。
賢いオレの息子は、賢いが故に、なんでも自分の責任だと思い込んでしょげていた。
励ましてやりながら、ルディにはまだ父親が必要なんだと思えば、嬉しくもあった。
そもそもルディがここに来たのは、シャリーアに送り出した娘、シンディより、ロキシーの死の予言があったためだそうだ。
転移迷宮の守護者は
そして、シンディはそいつがいる迷宮の中は視えない、相性が悪いと言っていた。
だからゼニスの居場所、迷宮の守護者の正体を知ったのも、バードラ・ヤードラという万里眼持ちの男によってだ。
なぜ急に視えるようになったのか。
何となくだが、良くない予感がする。
前までできなかった事が急にできるようになる。
剣術においても勉強においても、それは成長だ。喜ばしい事だ。
しかし、シンディの力に限っては、あれが増すのは悪い事だ、不吉なことだとオレの直感が言っている。
赤ん坊の頃は白痴ではと心配したシンディ。
そんな心配も忘れるほど、あの子の子供時代は健康そのもので、よく笑いよく泣き、下の子の面倒をよく見ていた。
しかし、年々躰が成長し、大人に近づいていくシンディを見ていると、どうにも……オレの母親のような翳りを見てしまう。
病人、あるいは死と近いところにいる人間の儚さ。
実際、躰は弱くなった。数ヶ月おきに、怠さによって寝込んでは寛解を繰り返していた。
魔大陸でルディとボレアスのお嬢様を守ってくれた男——ルイジェルドによると、かつてスペルド族の集落にも、予知の力を持ち、呪うことによって人を転ばせられる女はいたようだ。
穏やかな表現の裏に、転ばせる以上の事象が隠されていることは、誰が聞いても明らかだ。
しかしルイジェルドの幼少時に、集落では最後のその女は寿命で絶えており、詳しくは彼も知らなかった。
スペルド族の霊媒師とシンディが似た存在だとして、スペルド族の方は寿命まで生きた。
その力のせいで短命という事はないだろう。
そう思っていたが、やはりシンディは、少し違うのかもしれない。
オレは悪い想像を振り払う。
この場においての優先順位を間違えちゃならねえ。
今はゼニスだ。ゼニスを救うことだけ考えろ。
ルーデウスを戦力に加え、ロキシーを救出し、再び迷宮に潜った。
そして第六階層まで攻略し、ルディが発見した隠し部屋に、オレたちはいた。
赤い光を放つ魔法陣。
あれに乗れば、ヒュドラが待ち受ける大広間に転移する。
それは検証済みだ。
体勢を立て直すために一度戻ってきたのだ。
ヒュドラの背後、結晶の中に閉じ込められたゼニスを見て、オレは冷静さを欠いた。
覚悟していたことだったのにな。
激情を抑え込んでいるうちに、作戦会議によって、ヒュドラを倒す方針が決まった。
主力はオレとルディ。
オレがヒュドラの首を落として、ルディが傷口を焼く。
エリナリーゼ、タルハンド、ロキシーはそのサポートだ。
オレはダメな父親だ。
結局、この自慢の息子の父親として振る舞えるのは、ルディが助けを求めた時だけ。
泣いて苦しんでいた7歳のルディは、もう立派な大人になった。
頼りになる息子に向き合う。
「なあ、ルディ」
「はい」
「シンディに約束した手前、こう言うのはあの子に悪いとわかっているが、言わせてもらう。親の言うべき事じゃねえが、いいか」
それを口にするのに、躊躇いはあった。
だが、オレはルディを対等な仲間だと思っている。
認めている。
だから下手な優しい言葉をかけるより、これがいいと思った。
「死んでも母さんを助けろ」
ルディはふいをつかれた顔をした。
やがて眉頭が力み、固く引き結ばれた唇の口角が、少し上がる。
あと数秒続けば、ニヤつくな、とどついていた所だ。
ルディの口元がニマついたのは、ほんの一瞬であった。
「……はい!」
そう答えるとき、ルディは覚悟の決まった表情をしていた。
そうして再戦したヒュドラは、強敵だった。
実際に戦闘にかけた時間は、数時間足らずだったはずだが、ビリビリと研ぎ澄ました神経には何倍も長く感じた。
オレは首を次々落とした。
エリナリーゼ、タルハンドによって、迫る他の首は退けられる。
首を落とせる馬力のある剣士がオレしかいないため、仲間にはとにかく補助に徹してもらう。
断面はルディが魔術で焼き焦がして再生を阻止。
ロキシーは負傷した仲間を即座に癒しながら後方支援。
焼き焦げた断面を喰いちぎり再生、炎のブレスを吐いてくるヒュドラに臨機応変に対応しながらも、着実に追い詰めていった。
「だぁらぁぁぁ!」
そして、八本目を切り落とした。
ルディの火魔術の熱気、爬虫類が焼け焦げる匂いを感じる。
残る首は、一本。
こいつを潰せば、ヒュドラは斃れるのだと確信があった。
しかし奴は今際の際で、必死に抗った。
頭のない首を振り回し、オレらを近づかせんとしたのだ。
首はそれぞれがバラバラな鞭のように暴れまわる。
癇癪を起こした奴がめちゃくちゃに腕を振り回すような、知能の低い動き。
しかしヒュドラは巨大だ。
威力は爆発的。
エメラルドグリーンの鱗は鋭く、当たれば人体は簡単に切断される。
ルディは、立ち尽くしていた。
片目の色が変化していたように見えたが、それによってむしろ気を取られたのか、反応できていなかった。
油断……したわけじゃないんだろう。
咄嗟のことに、体が動かなかったのだ。
一瞬のフリーズが、迷宮においては命取りとなる。
ボサッとするな! ルディ!
「馬鹿野郎!」
ルディを突き飛ばし、卸金のような首にぶち当たるのを回避する。
オレらはまだヒュドラの首の射程内だ。
一瞬の間を置かず次が来る。
今度は頭つきの首だ。
ルディはまだ反応できていない。
抱えて退避するべきだったか!?
考える猶予はない。
オレはルディを蹴り飛ばし、
そして、首はオレの腹に。
時間の流れがごく遅くなり、ヒュドラの鱗の継ぎ目まで、ハッキリと見えた。
視界がブラックアウトする。
黒い空間に、シンディだけが見えた。
過去の幻影だろう。
最後に見た時のままのシンディは、オレに行かないでほしいと涙を流している。
——お母様を助けにいくのは、よして。お父様が死んでしまう。お父様まで……。
それを告げるまで、どんな葛藤があったのだろう。
何度オレの死に様を、先んじて視たのだろう。
どんな思いでそれを選択肢に入れたのだろう。
わかってあげられないことばかりだ。シンディに対しても、ルディに対しても。
父親としての出来、不出来にかかわらず、オレは我が子に愛されている。
愛してくれる分愛していた。
慕ってくれるからには報いたかった。
ごめんな、シンディ。
お前の予言通りにはならねえよ、って。
生きて帰る、って。
約束、守れそうにねえや。
——おえんわ、そりゃあ、おえんよ。
知らない女の声が聞こえた。
異国の言葉か、意味はわからない。
ただ、囁くような声音は、ゾッとするほど艶かしかった。
オレはいと小さきものになり、大きなものに包まれている。
そう感じた。
ぬるりとした感触。
それらが細かな触手のように、さわさわと躰を這ったと思えば、無数の小蛇が幾重にもオレに巻きついているのだった。
「がっ!?」
一瞬の幻覚だ。
オレは腹部に大きな衝撃を受け、吹き飛ばされた。
闘気は意味をなさず、骨が砕け、内臓はひしゃげただろう。
仰向けになったまま立ち上がれず、ごぼっと血を吐き出す。半身の感覚が失せていた。
ぼやける視界で、ルディが最後の頭を落とすのが見えた。
オレの名を呼ぶ声を、水中にいるかように聞きながら、痺れる手をのばす。
走ってきたギース、ロキシーによって抱き起こされ、駆け寄ってきたルディに手を握られる。
「パウロさん、よかった……! ルディ!
「いけます! 父さん! 意識を保ってください!」
淡緑色の光を全身に感じる。
治癒魔術を発動した時にあらわれる光だ。
オレは笑いそうになった。死者にそれは必要ないだろう。
そう、死者に治癒魔術は無意味だ。
神級ならば死者蘇生も可能とどこかで聞いたことがあるが、いくらルディといえど、使えるのは上級治癒魔術までのはずだ。
待てよ。
ということは、オレは生きているのか?
「当たりどころがよかったのか、何かがクッションになったのか……儂は絶対死んだと思ったぞ。やれやれ、九死に一生を得たのう、パウロ」
「上半身と下半身が泣き別れになってもおかしくありませんでしたわ。内臓破裂だけで済むなんて、悪運の強い男ですわね」
「は、はぁ!?」
聴力と視力が明瞭になり、ガバッと身を起こそうとするオレをギースが押さえつけた。
胸のあたりに激痛が走り、オレは顔を歪める。
「おっと、まだ先輩の治癒魔術は終わってねえぜ。大人しくしてやがれってんだ」
「あっ、皆さん、見てください! ゼニスさんが……!」
ロキシーが指さした方向——ゼニスがいる方向から、あえかな物音が聞こえる。
パキパキと結晶にヒビが入るような音だ。
ルディは、真剣な顔でオレの腹に手をあて、ブツブツと詠唱を唱えている。
それ以外のやつらが、同じ方を見て歓声を上げた。
死ぬような目に遭いながら、オレは生き延びた。
生還した。