コミュ症を拗らせ過ぎた結果、もうひとりの人格を生み出してしまったぼっちちゃんの話   作:モルモルネク

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 皆さん、長い間お待たせしました。弁明は後書にでもつらつら書いておくので、まずは今回のお話を楽しんでいただければ幸いです。


素直になるべき人

 

 アー写撮影を行った日から数日後、迷いを振り切ったひとりさんとわたしは協力し、程なくして一つの歌詞を完成させた。その曲名は『ギターと孤独と蒼い惑星』。ひとりさんも星というワードに着目して作詞を行ったことが、何処か通じ合えているようで嬉しくもあった。

 

 ひとりさん本人が語っていたように、その歌詞の内容ははっきり言ってほの暗い仕上がりだ。理解できない世の中、理解されたいのにその手段も方法も分からない自分自身。やり場のない承認欲求、そのための手段から情熱へと変わっていったギターと過ごし続けたその日々。確かに暗いけど、ひとりさんらしい優しさと直向きさに溢れていて、結束バンドの初楽曲としてこれ以上ない仕上がりになったとわたしは思うのだ。

 

 結束バンドのメンバーの皆も、そんなひとりさんの歌詞を認めて褒め称えてくれた。特に、今回の歌詞を完成させるきっかけとなってくれたリョウさんが『これでこそ、ぼっちだね……少ないかもしれないけど、誰かに深く刺さるんじゃないかな』と、かつてと同じ満足げな微笑みで肯定してくれたのが印象的だった。

 

 リョウさんの言葉の通り、ひとりさんの在り方と切実なその叫びはきっと誰かの心に響き染み渡るのだろう。少なくとも、わたしには深く刺さったから。まるで、ひとりさんが気付かれてはいけないわたしの存在を、ここにいると叫んでくれているかのようで。まぁ、流石にその解釈はわたしの都合の良過ぎる妄想に過ぎないのかも知れないけど。

 

 とにかく、そういう訳でオリジナルソングの歌詞も無事完成し、結束バンドの活動は順調そのもの。ここにリョウさんの曲が付けば、後は次のライブに向けて前進あるのみだ。

 

「えー、諸君。お待ちかねの給料だぞ」

 

「やったー!!」

 

「……やった」

 

 本日もSTARRYに集まってミーティングをしていた結束バンドの皆に向けて、いくつかの封筒を携えた星歌さんが得意げな顔でそう語りかける。今日は月末ということで、STARRYでも給料日ということらしい。そんな朗報に、ひとりさんも含めて誰もが喜び色めいていた。

 

 労働と社会を一際恐れ、避け続けていたひとりさんがこうして無事に給料日を迎えている。それは一ヶ月以上もひとりさんが困難に立ち向かい逃げずに頑張り続けた証拠であり、あまりにも感慨深いものがある。気を緩めれば、感極まってしまいそうなくらい誇らしい気持ちでわたしはいっぱいだった。

 

「はい、ぼっちちゃんの分」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 虹夏さんから順番に封筒を渡されていき、最後にひとりさんが星歌さんから恭しく封筒を受け取る。思えばわたしも含めて給料を渡されるというのは初めての経験で、お札が数枚だけしか入っていないその封筒は不思議とどこか重いように感じられた。

 

「家遠いのにたくさんシフト入ってくれて助かるよ。来月からもよろしく」

 

「あっ、えっ、はい……ら、来月も頑張らせていただきます!!」

 

『へ、えへへ……店長さんから褒められちゃった』

 

『わたしから見ても、この一ヶ月間本当に頑張っていたと思います……偉いですよ、ひとりさん』

 

『もう一人の私が居てくれたからこそ、だよ。……よし、来月からも頑張るぞ〜』

 

 星歌さんがひとりさんの頑張りを褒めてくれたこと、そしてわたしの存在をいつだってポジティブに捉えてくれるひとりさんの心遣いに胸が熱くなる。シフトを積極的に入れて、シフトに穴が空いた時には代役を買って出たこともあるほどにひとりさんは本当に頑張っている。

 

 ライブのノルマの為、と片付けるには頑張りすぎているくらいで。バイトなんて絶対に無理だとまで言っていたひとりさんが、どうしてそこまでしているのかという理由をわたしは尋ねられずにいる。それは、もしもわたしの為という答えが返ってきたら、どうして良いかわからないからなのかもしれない。

 

『に、二万円……私の汗と涙の結晶!』

 

『よかったですね、ひとりさん』

 

『うんうん!』

 

 席に戻りひとりさんが封筒からお札を取り出すと、姿を覗かせたのは諭吉さんがきっかり二枚。誇張抜きに、ひとりさんが汗水垂らし時には涙を流しながら手に入れたお賃金だ。この喜びようも、頷けるというものだろう。

 

『何に使おう?新しいスコア、漫画大人買い……あっ、ふたりにプレゼントとか、お母さん達にケーキを買って驚かせるのもいいかも』

 

 初めての給料を目の前にして、ひとりさんはその使い道に夢を膨らませている。その使い道すらも、ひとりさんらしい優しさに溢れていて微笑ましい気持ちになる。

 

 しかし、悲しいかな。ひとりさんは忘れているようだけど、このバイト代の幾らかはバンドのノルマ代として徴収されることになる。そんな事実を覚えてしまっているとはいえ、喜びに浸るひとりさんに水を差したくはなく、わたしは内心で苦笑いを浮かべる他なかった。

 

「じゃあ折角のところ悪いんだけど、ライブ代徴収するね!」

 

「……聞いてください。新曲、さよなら諭吉」

 

「ごめんねー……あたしだって心苦しいんだよ〜!」

 

 リーダーである虹夏さんから伝えられた通告に、ひとりさんは絶望の表情を浮かべながら徐にギターを構えて弦を爪弾いている。そんな絶望の旋律も虚しく、気まずそうな虹夏さんの手によってひとりさんの封筒から一万円があえなく徴収されることになった。

 

 なかなか気の毒になる光景だけど、こんな光景もバンドをやっていくのならばきっと日常茶飯事。インディーズでバンドをやるって大変だと、わたしも身に染みる思いである。

 

『でも仕方ないよね、元々このためのバイトなんだし……まぁ毎月ここでバイト頑張れば結束バンドが活動できるんだし、これでいっか』

 

『ですね。それに、まだ一万円は残るのですから。使い方だってよりどりみどりかと』

 

『えっ、でもこの一万円はもう一人の私の分だから……』

 

『はい?』

 

 さも当然とばかりに、残りの給料をわたしに差し出そうとしているひとりさんに思わず耳を疑ってしまう。お小遣いやお年玉を、なんの疑問もなくわたしに分け与えてしまうような人だということは分かっていた。しかし、給料すらもその範疇に収まっていたことに驚愕を隠せない。

 

 それは、ダメだろう。わたしが表に出てSTARRYで働いたのはほんの一日だけで、その日すら最後は自分の力で仕事をやり遂げたのだ。ずっと努力して勤労に勤しんだのは間違いなくひとりさんであり、その対価を見ていただけのわたしが受け取る権利なんてあるはずもないのだから。

 

『わたしのことは気にしないでください。そのお給料は、ひとりさん自身の頑張りで稼いだ正当な報酬なのですから。気兼ねなく、全てをひとりさんが受け取るべきですよ』

 

『頑張れたのは、もう一人の私のお陰だから。もう一人の私がアドバイスをして応援してくれて、見守ってくれないとナメクジみたいな私にバイトなんて出来るわけなくて……。全然一人で働いてるつもりもなくって……だ、だからもう一人の私にも受け取って欲しいんだ』

 

『ひとりさん……』

 

 ひとりさんの中では、いつだって二人で一緒に働いているという認識だったのかも知れない。口調はいつも通りに控えめだけど、そこからは確固たる意志のようなものが読み取れてしまって。経験則として、こういう時のひとりさんはわたしが何を言っても譲らないのはよく理解している。

 

 心苦しさはあるけれどひとりさんの心意気を無碍にはしたくないし、そもそもわたしの意見よりひとりさんの意見が尊重されて然るべきだ。ただ、この一万円を全額わたしが受け取ってしまうのは問題があるし、ここは折衷案をわたしが用意すべきだろう。

 

『では、この一万円は二人で分け合いましょう。わたしも結束バンドの活動を応援していますから、これくらいはさせてください』

 

『う、うん!……へへ、今回もはんぶんこ、だね』

 

 わたしという人格が生まれた後、初めてひとりさんがお小遣いを貰った日。ひとりさんは何の疑いもなく、わたしにお小遣いを分け与えながらはにかんだように笑っていた。あの日と全く同じ表情を、きっと今のひとりさんもしているのだろう。

 

 ひとりさんは昔と比べると大きく良い方向に変わっていっている。ギターが達者になりバンドを組んで、最近では明るさや積極性なんかも少しずつ覗かせつつある。それでも、ひとりさんがわたしを大切にしてくれている事実は昔から何一つ変わっていなくて。変わらないこともある、そう信じさせてくれるのが何より嬉しく感じられた。

 

「みんなで海の家とかでバイトしちゃう?」

 

「イイですね、海!」

 

 そんな懐かしくも温かな思い出を振り返っていると、虹夏さんと喜多さんが何やら談笑し盛り上がっていた。内容は今後のバンド活動の資金繰りについてだろうか。二人とも根っこから明るい性格をしているし、きっと通じ合う部分も多いのだろう。海の家でのバイトなんてひとりさんは御免被るのだろうが、わたし個人としてちょっぴり楽しそうと思えてしまう。

 

「……」

 

 楽しそうな二人を横目に、視界に映っているリョウさんの方へ注意を向けると、我関せずとばかりに一人佇んでいる。そして、リョウさんの視線は時折じっと窺うようにひとりさんへと向けられていた。

 

 アー写撮影の日を過ぎてからというもの、わたしの自意識過剰でなければリョウさんは今までよりずっとひとりさんを見る機会が増えた気がしている。端正な顔から放たれる鋭利な視線は、まるでひとりさんの奥底にいるわたしを見透かしてしまっているようで。あり得ないとわかってはいるのだが、底知れない居心地の悪さみたいなものをわたしは感じ続けてしまっている。

 

『そっ、そうだ。もう一人の私、今ならリョウさんにお金返して貰えるんじゃ……?』

 

『確かに、絶好の機会と言えるかもしれませんね』

 

 給料日なのだから絶対にリョウさんはお金を持っているはずだし、バレたら怒涛の勢いでリョウさんを叱り付けてしまうであろう虹夏さんも喜多さんとの会話に夢中。リョウさんとの金銭関係に終止符を打つのに、これ以上ないシチュエーションと言えるだろう。

 

『ではひとりさん、少しだけ代わって貰ってもよろしいでしょうか?』

 

『うん、ゆっくりで大丈夫だから……!』

 

 ひとりさんのお言葉に甘えて、身体の主導権を代わってもらう。借金の徴収なんて名目でわたしが表に出ると言うのにひとりさんの声色はどこか嬉しそうで、その真意を少しだけ測りかねてしまう。わたしがちゃんとお金を回収できるか、心配でもしてくれていたのだろうか。

 

「リョウさん、少しよろしいでしょうか?」

 

「どうしたの、ぼっち」

 

「先日貸したお金、返してください」

 

「……なるほど、わかった」

 

 虹夏さんと喜多さんが未だに会話に花を咲かせているところを確認してから、こっそりリョウさんに近付いて話しかける。ひとりさんはゆっくりでいいと気遣ってくれたけど、借金の徴収という悲しい作業に時間をかけたくはない。前振りはなしで、単刀直入に要件だけを伝えることにした。

 

 頷き、ごそごそと懐を漁るリョウさんを見ては正直安堵してしまう。まさかとは思いつつも、平気で借金を踏み倒す可能性をわたしは捨てきれてはいなかったから。これでリョウさんの先輩としての尊厳は守られて、わたしとの歪な関係性も完全に終わりを迎えることだろう。めでたしめでたし、だ。

 

「謹んでお返しいたす」

 

「ありがとうございます……うん?」

 

 リョウさんから小銭をありがたく受け取り、その金額を確認する。内訳は百円玉が三枚に五十円玉が一枚、合計三百五十円。おかしい、リョウさんのあの時の会計はカレーと飲み物代を含めて千円以上は超えていたはず。この金額では明らかに足りていやしなかった。

 

「あのリョウさん、金額が少し……いや、結構足りていないのですが……?」

 

「ごめん。ノルマ代払ったらそれしか残らなかった」

 

「……えぇ」

 

『リョウさん、お金無さすぎる……!?』

 

 リョウさんの口から告げられた世知辛すぎる現実に、思わず呻き声のようなものを発してしまう。失礼なことは承知だが、漏れ出そうになるため息を必死で我慢した結果の不可抗力なのでどうか許して欲しい。今も、気を抜けば頭を抱えてしまいそうだ。悲痛な声をあげているひとりさんは既に、意識の裏で盛大に頭を抱えてしまっているに違いない。

 

「確認ですが、本当にもうこれだけしかお金ないんですか?」

 

「うん。先月あんまりシフト入れてなかったし、楽器のローンがいくつか残っててやり繰りが苦しくて……」

 

 疑うつもりはないけれど、事実確認としてそう問いかければリョウさんからは概ね予想通りの返事をもらうことになった。お金遣いが荒いと虹夏さんから聞いてはいたけど、想像以上だ。普段のクールな表情とは打って変わって弱々しい表情を作って釈明しており、そんな仕草すら様になってしまうのだからけっこうズルい人だと思う。

 

 でも、リョウさんが今ここまで困窮してしまっている原因として、喜多さんの多弦ベースを買い取った事実は大きいはずだ。その事実を言い訳として使わないのはリョウさんなりの先輩としての格好付けであり、優しさなのだろう。そう考えれば、これ以上わたしから何か言うようなことがあるはずもなかった。

 

「……わかりました。では、期限なしの分割払いということにしましょう」

 

「本当にごめん、必ず返します。あれだったら、利子とか付けるけど」

 

「いらないですよ、利子なんて」

 

 別にお金が欲しい訳ではないし、リョウさんとひとりさんの間でお金のやり取りをして欲しくなかったから間に入っただけなのだ。だから、リョウさんに返済の意思が見てとれた時点で催促をする必要性はない。今考慮するべき事柄はそんなことじゃなく、金欠気味なリョウさんの私生活についてだろう。

 

「そんなことより、お金なくて今月リョウさんは大丈夫なんですか?」

 

「えっ……それは、大丈夫。お腹が空いたら、その辺の草でも食べて生きていくから」

 

「それは止めた方が良いんじゃ……この前だって、草を食べてお腹壊してたじゃないですか」

 

「でも、虹夏を頼りすぎると怒られるし」

 

「だったら、わたしを頼ってください。リョウさんがお腹空いてるのでしたら、軽食くらいいくらでも作ってあげますから」

 

 野草を食べて飢えを凌ぐなんて、間違っても女の子のやるべきことではないし健康にだってよくない。わたしの料理の腕は嗜む程度で大したものは作れないけれど、よくわからない野草を口にするくらいならサンドイッチやお菓子の方がリョウさんの身体のためになるはずだ。

 

 大した手間ではないし料理をすることだって嫌いじゃない。そう続けようとしてリョウさんの表情を見ると、呆気にとられたような珍しい表情を浮かべていた。

 

「どうしましたか、リョウさん?」

 

「いや。そんなに心配してくれるんだ、と思って」

 

「そんなの当たり前です。リョウさんはわたしの……」

 

 わたしは一体、何を口走ろうとしているのだろう。ひとりさんの代わりとしてならともかく、自我を剥き出しにした状態でリョウさんを友達と呼べる筋合いなんてわたしは一つも持ち合わせてはいないのに。そんな、分をわきまえない行為を無自覚に行おうとしていた自分に嫌気がさす。

 

 わたしを頼って、なんてどの口が言えたのだろう。そんな軽口の結果で、時間を奪われて負担が増すのは間違いなくひとりさんだというのに。ひとりさんが頼ってくれるのなら、それだけで良かったはずなのに。いつからわたしはここまで欲深くなってしまったのか。

 

「そっか。じゃあ困ったらその時は、ひとりを頼らせて貰おうかな」

 

「……はい」

 

 途中で不自然に言葉を切ったわたしの内心をどれくらい悟ってくれたのか、リョウさんはわたしの肩にそっと手を置いて、穏やかな声でわたしが最も欲していた言葉を告げてくれていた。口角が吊り上がり、笑みを浮かべてしまいそうになるのを必死に堪える。

 

 これ以上は、本当に良くない。リョウさんは少しずつ、ひとりさんが抱えるわたしという存在にきっと気付きつつある。その上で、こうやって適切な距離感で接してくれているのかもしれない。でも、そんなリョウさんの対応にわたしが甘え続けてしまえば、ひとりさんの居場所を狭める結果に繋がってしまいかねないのだ。

 

「リョウ先輩と後藤さん、最近仲良いですよね」

 

「確かにそうかも。作詞担当と作曲担当で通じ合う部分があるんじゃないかな?」

 

「ズルいです、私もリョウ先輩と通じ合いたい!」

 

 気付けば、虹夏さんと喜多さんもこちらを見ながらあれこれと話し合っていて。完全に引き際を見誤ってしまっている。そもそもお金を返して貰った時点でわたしはさっさと引っ込むべきだったのだ。皆の違和感がこれ以上加速していく前に、わたしは退散するとしよう。

 

『ではひとりさん、後はよろしくお願いしますね』

 

『え?……も、もう良いの?』

 

『はい。これ以上は、野暮ですから』

 

『……うん、わかった』

 

 再びひとりさんの意識の裏に引っ込み、ほっと息を吐く。昔はひとりさんに代わって何かをするなんて当たり前のように出来ていたのに、結束バンドのメンバーの前ではどうしても心が掻き乱されるような疲労感を覚えてしまう。その感情の中に名残惜しさが含まれているかもしれないのを、わたしは自分で認める訳にはいかなかった。

 

「ぼっち」

 

「あっ、えっ、は、はい!……なんでしょうか?」

 

「曲、作ってきたんだけど」

 

 入れ替わったばかりの瞬間に話しかけられ、動転するひとりさんに伝えられたリョウさんの発言。それは、結束バンド初のオリジナルソングが完成したという驚きの吉報だった。

 

 

 ◇

 

 

「えっ、かなり良くない?」

 

「はい、とっても!」

 

 リョウさんのスマートフォン、そこから流れる出来上がった『ギターと孤独と蒼い惑星』の音源に四人全員で耳を傾ける。虹夏さんと喜多さんはその出来栄えに早速感動した様子で、少しだけ興奮しながらそれぞれ感想を口にしていた。

 

 わたしは音楽についてはにわかも良いところなので下手なことは言えないけれど、それでも素晴らしい曲だったと素直にそう感じた。ロックバンドらしくカッコいい曲調に仕上がっていて、アマチュア感を感じさせない綿密な構成。これをひとりさんの歌詞を見てからの数日で作ったというのだから、リョウさんの手腕には驚かされるばかりだ。

 

『……リョウさん、すごい』

 

『ライブ、楽しみになってきましたか?』

 

『う、うん。自信はあんまりないけど私、ステージの上でこの曲をみんなと弾いてみたい』

 

 作詞を担当したひとりさんも一際感動しているみたいで、リョウさんの作ってきた曲に聴き入っているようだった。ひとりさんにとっては大きな挑戦であり重圧に違いないライブについても、不安より期待が上回ったみたいで良いモチベーションに繋がっている。

 

 かくいうわたしも今からライブの日が楽しみになってきてしまっている。リョウさんの作った曲にひとりさんの歌詞が載せられ、喜多さんがそれを歌う。そして、全員の演奏をリーダーの虹夏さんが纏め上げる。それはとても素晴らしい光景であろうことが、容易に想像できるから。

 

「ぼっちの書いた歌詞見てたら、浮かんできた」

 

「やったじゃーん、頑張った甲斐あったね!」

 

「褒めて遣わす、よしよし」

 

 猫を可愛がるかのようにリョウさんはひとりさんの顎を撫で摩り、唐突に舞い込んだ厚遇にひとりさんはご満悦だ。包み隠さずいうならば、リョウさんが少しだけ羨ましい。

 

 わたしもひとりさんを褒める時にこうやって、頭を撫でてあげたり、抱きしめたりできたらどれほど良かっただろうと何度思ったことか。そういった衝動を持て余しすぎて、ふたりに対するスキンシップが過剰になっているのは少しだけお姉ちゃんとして恥ずかしいのかもしれない。

 

「せ、先輩、私も頑張ってるんですよ!ほら、こんなに弾けるようになりました!」

 

「すごい」

 

「凄いですか!?じゃあ、私にもよしよしくださ〜い」

 

「あたしの夢、叶っちゃうかもな」

 

 ひとりさんに対抗して喜多さんがリョウさんと戯れ合う中、虹夏さんがぽつりと小さく呟く。それはさりげないながらも万感の想いが込められているようで、わたしの耳に印象的に残ってしまっていた。

 

『もう一人の私、虹夏ちゃんの夢って……?』

 

『わたしも聞いたことはありますが、その内容までは定かじゃないですね』

 

『売れて武道館ライブ、とかかなぁ……』

 

 あり得ないことではないのかもしれない。これは勝手な印象になってしまうけれど、いつだって虹夏さんはバンドのために一生懸命だから。その夢も大きく尊いものなのだろうと、わたしは半ば確信のようなものを抱いていた。

 

「うし、来月ライブ出来るようお姉ちゃんに頼んでくるね!」

 

「え、まだ言ってなかったんですか?」

 

 意気揚々と立ち上がる虹夏さんに、わたしも喜多さんと同じ疑問を抱いていた。ライブに出る、というのは果たしてそうも簡単に一言で済むものなのだろうかと。オーディションだとか音源審査だとか、いくつかの手続きを踏まえてようやくライブに出られるようなイメージがあったから。

 

 まぁ、ライブハウスの店長である星歌さんが身内だからその辺りが緩いのかもしれない。ひとりさんも気になっているのか、いつもの定位置に座り仕事を進めている星歌さんに視線が向けられていた。

 

「大丈夫!この前もすぐ出させてくれたもん。ね、お姉ちゃん?」

 

「は?出す気ないけど」

 

「え?」

 

 自信満々に、どこか甘えるように喋りかけた虹夏さんに対する星歌さんの返答は、あまりにも冷たい否定の言葉だった。先程まで和気藹々とした空気を醸し出していたSTARRYの一室が、唐突に張り詰めた緊張に晒されている。普段通りなのは星歌さんと、その傍でスマホを弄っているPAさんだけだった。

 

「え、なんで?オリジナル曲もできたのに……」

 

「それはこっちに関係ない」

 

『ど、どうしようもう一人の私。な、なんだか空気が、ヤバい……』

 

『ひとりさん、まずは落ち着いて話を聞いてみましょう。星歌さんだって、意地悪を言っている訳ではないでしょうから』

 

『う、うん……』

 

 尋常ではない空気にひとりさんが身を縮こまらせている。昔からひとりさんはこういう、ピリついたような空気が苦手だった。こういう状況は今までなら、わたしが代わりに場を宥めていたのだけど今はその手段は使えない。わたしにできるのは、こうして少しでもひとりさんの不安を軽減してあげることくらいだ。

 

「あっ、集客できなかった時のノルマなら払えるよ?」

 

「お金の問題じゃなくて、実力の問題」

 

「この前は出してくれたじゃん」

 

「あれは思い出作りのために特別にな」

 

 それは明らかな星歌さんの嘘だとわたしには感じられた。だって、初めてのバイトの日にひとりさんは星歌さんからアドバイスを貰っているから。本当に思い出作りのためだけに場所を設けてやったバンド相手なら、次を想定した助言なんてするはずがないのだから。

 

「思い出作りって……」

 

「普段はデモ音源審査とかオーディションしてんの、知ってんだろ」

 

「そう、だけど」

 

「悪いけど、五月のライブみたいなクオリティーなら出せないから」

 

 出せない、と再び直接的な発言を聞いたことで虹夏さんの表情が一層曇る。ここまで聞いて、わたしはようやく星歌さんの言わんとする意図を察することができたような気がした。つまり、ライブに出れて当たり前という考えは止めろということなのだろう。

 

 基準に満たないようなバンドを出すメリットはライブハウスにはない。今後のためにも、ライブに出たいのならオーディションに出て実力で掴み取って見せろと、そんなメッセージのはずだ。多分間違ってはいない、だって星歌さんはオーディションに出さないとは一言も言ってないのだから。

 

 星歌さんらしい、厳しさの中に優しさも込められているらしいやり方だとは思う。ただ、やり方があまりにも素直じゃなく分かりづらいのは、少しだけ虹夏さんが不憫に感じられた。

 

「出せないって、じゃああたし達は……?」

 

「一生仲間内で仲良しクラブやっとけ」

 

 そして、最後の一言は明らかに言い過ぎだった。虹夏さんが遊びでバンドやっているつもりなんかなく全力だということは、虹夏さんを少しでも知る人なら絶対にわかるはずなのに。虹夏さんを怒らせてでも発破をかける、それも星歌さんの思惑なのだろうか。

 

「まだなんかあんの?」

 

「っ!……未だにぬいぐるみ抱かないと、寝れない癖に〜!!」

 

「なんだあの捨て台詞」

 

 虹夏さんにとっても、我慢ならない一言だったのだろう。カンカンに怒り、やり返しの割にはあまりにも可愛らしい捨て台詞を残してSTARRYから飛び出して行ってしまった。虹夏さんの台詞の穏当さと、星歌さんやリョウさんが慌てた様子がないということから緊急事態ではないはず。ひとまず安心、ということだろうか。

 

『店長さんがライブに出す気ないって、本当かな……』

 

『そんなことはありませんよ』

 

 不安そうに、怯えを滲ませながらひとりさんの発言を即座に否定する。せっかく星歌さんとひとりさんも打ち解けつつあるのだ。ここでひとりさんに怖いというイメージを持たせてしまう訳にはいかない。優しい星歌さんのイメージを守るのもわたしの責務なのだから。

 

『分かりづらいですけど、あれは星歌さんなりの期待の裏返しみたいなものでしょうから。ひとりさんはそのまま、今までの星歌さんのイメージを大切にしてください』

 

『そう、かな。いやうん、そうだよね……。さすが、店長さんと仲良しさんなもう一人の私!』

 

 たった一日しか付き合いのないわたしと星歌さんの仲の良さはともかくとして、ひとりさんの星歌さんに対する恐怖を取り除けたのならば問題ないだろう。そうなってくると次の問題は、飛び出した虹夏さんが何処へ行ってしまったのかということだろうか。

 

「ぬいぐるみって、このヨレヨレのパンダとウサギのこと?」

 

「あら可愛い」

 

「その画像消せ、今すぐに!」

 

 リョウさんとPAさんが星歌さんににじり寄り、何らかの画像を見せながら二人で揶揄っている。文脈的に星歌さんがぬいぐるみを抱きしめながら眠っている画像なのだろう。多分、いや間違いなくとっても可愛らしさに溢れている写真に違いない。場違いながら、見たいという野次馬心がわたしの内にも芽生えて暴れ出しそうだった。

 

「何してるんですか、追いかけますよ!」

 

「えー……」

 

「面倒そうにしないで!……ほら、後藤さんも行きましょう」

 

「あっ、はい」

 

 喜多さんの必死の訴えにより、わたしも正気に戻る。そう、喜多さんの言う通り今は出て行った虹夏さんを探すのが先決だ。リョウさんが居れば虹夏さんの行きそうな場所もわかるだろうし、合流して今後の結束バンドの立ち回り考えるのが最善のはず。

 

「いや、店長まだ話したいことあるみたいだし。ひとりは話を聞いてから、後で追いかけてきてよ」

 

「えっ」

 

「それじゃ任せた、ひとり」

 

 しかし、唐突なリョウさんの提案によりひとりさんはその足を止めることになった。星歌さんの話にはまだ続きがある、というのはわたしも同意する。でもその相手にひとりさんを選んだこと。そして、含みをやたらと持たせて渾名ではなく名前を呼んで見せた意図がわたしにはわからない。

 

 そんな理由を考える暇もなく、リョウさんは喜多さんに連れられて外に出てしまって。わたしとひとりさんだけがこの場に残されてしまう。さて、どうしたものか。とりあえずひとりさんのサポートをしながら星歌さんに話を――

 

『ひ、ひとりさん?急にどうしたんです……?』

 

『ご、ごめんもう一人の私。で、でも、私も店長さんと話すのはもう一人の私の方が良いと思って……だから、お願い』

 

 なんて思考を働かせた瞬間、突如としてわたしの意識が表に浮上していた。慌ててひとりさんに理由を尋ねると、曖昧な理由ながらも力強い返事が返ってくる。これはわたしが理解もできなかったリョウさんの意図を、ひとりさんは正しく汲み取った結果ということなのだろうか。

 

 理解はできない。でも、ひとりさんと今の星歌さんが喋った結果、かえって心の距離が離れてしまう懸念があるのは確かだ。そして何より、リョウさんに任せられ、ひとりさんのお願いも追加された。わたしの性分として、この申し出を無碍にするなんて選択肢は最初から存在していなかった。

 

『分かりました。任せてください、ひとりさん』

 

『うん。ありがとう、もう一人の私』

 

「あー……座りなよ、ぼっちちゃん」

 

「はい、失礼しますね」

 

 ひとりさんからのお願いを了承すると同時に、星歌さんから着席を勧められる。こうなってはわたしに退路はないし、覚悟を決めては椅子を移動させて星歌さんの正面に腰を落ち着ける。

 

 星歌さんの顔を正面から見据えると、何処か疲れたように大きく息を吐いては引き締まった表情を崩していて。その仕草だけで、さっきまではだいぶ無理をしていたのだと伝わってしまう。星歌さんのこういう不器用な優しさが、わたしはかなり好きなんだと思う。

 

「……」

 

「……」

 

 話のとっかかりを探しているのか、頬杖をついたまま星歌さんは口を開かずにいる。わたしはこの沈黙も嫌いじゃないけれど、虹夏さん達を待たせ過ぎるのも忍びない。ここは一つわたしから話を切り出して、場を和ませるとしよう。

 

「あの、わたしもぬいぐるみは好きですし恥ずかしがることはないと思いますが……」

 

「別に私は好きじゃねーよ!」

 

「そ、そうでしたか」

 

 先程のぬいぐるみの件についてわたしが口にすると、星歌さんは顔を赤くして露骨に強く否定をしていた。その反応だけで、星歌さんもわたしと同じでぬいぐるみが好きなんだなと確信できてしまう。隣でPAさんもくすくす笑っているので、空気を解すことには成功したのだろう。

 

 これ以上追及をするのはただの意地悪になってしまうので、話をすぐに打ち切って星歌さんが本題を切り出すのを待つことにする。

 

「……コホン、それでライブの話なんだけど。ライブに出たいならまずオーディション。一週間後の土曜日に演奏見て決めるから、虹夏達にもそう伝えて」

 

「分かりました、皆に伝えておきますね」

 

 星歌さんが切り出した内容は、概ね予想通り。少しだけ期間は短く感じてしまうけど、結束バンドには確かなチャンスが与えられるようだった。後はよくも悪くもひとりさんと結束バンドの頑張りと実力次第。やはり、わたしから何か問いただしたり真意を探ったりする必要性はなかったみたいである。

 

「今日のぼっちちゃんは、動じないんだな」

 

「え……?」

 

「最近のぼっちちゃんの様子からして、もっと狼狽えて慌てふためくもんだと思ってたからさ」

 

 星歌さんの鋭い発言に、言葉を詰まらせてしまう。考えてみれば当たり前のことだった。星歌さんはもうひとりさんを一ヶ月以上も見続けているのだから、初めてのあの日のように振る舞えば違和感を持たれてしまうに決まっている。

 

 当然で、いいことのはずなのに。星歌さんの内にはもうわたしは残っていないのだと考えると、どうしてだか胸が痛かった。

 

「店長、言い方」

 

「分かってる……。ぼっちちゃん、別に責めるつもりはないんだ。最初に言ったように、私は言いたくないことを詮索しようとは思わない。そもそも、人なんて誰だって二面性を持ってるものだろ?だから、必要以上にぼっちちゃんがそれを気に病む必要はないんだ」

 

「はい……ありがとう、ございます」

 

 二人には、今のわたしの表情がどう見えていたのだろう。勝手に傷付いていたところに、ひとりさんではなく明らかにわたしを気遣う声が投げかけられて、不意に泣きそうになる。

 

 星歌さんも確信に至っているかはともかくとして、ひとりさんの淵に隠れているわたしの存在に気付きつつあるのだろう。そうじゃなかったら、あのような発言は出てくる筈がないのだから。気付いた上で、わたしを傷付けないように敢えて触れないでくれている。お父さんやお母さんといい、本当に大人という存在には敵いそうもない。

 

「これはライブとは関係ないんだけど……ぼっちちゃんに言っておきたいことがある」

 

「……なんでしょうか?」

 

「言いたいことがあるならさ、ハッキリ言いなよ」

 

 それは、どういう意味なのだろう。ともすれば、詮索はしないという先程の発言と矛盾しかねない言葉。いつものように、星歌さんなりの優しい意図が込められた発言であろうことは予想できる。だけど、あまりにも言葉足らずで情報量の少ないそれにわたしは首を傾げることしかできなかった。

 

「店長、そんな回りくどい言い方じゃ伝わりませんよ?」

 

「けど、他に言いようがだな……」

 

「後藤さん。この人、後藤さんがバイトに入ってからずっと私に相談し続けてたんですよ?やれぼっちちゃんが今日も怯えている、今日も無理をしてるんじゃないかー、絶対におかしいって。挙げ句の果てには、パソコンに齧り付いて調べ始めちゃったりして……ほんっと、ツンデレですよね」

 

 PAさんからの告げ口の内容は衝撃的過ぎて、空いた口が塞がらなくなってしまう。わたしが最初にわたしとして星歌さんに接した時点で、気付かれてしまうのは必然だったのかもしれない。この人だけ最初から、わたしを基準としてずっとひとりさんを見ていたのだから。

 

 ずっとずっと、数分程度しか接することがなかったわたしの残像を、この人は実体だと定めて忘れずに追いかけてくれていた。それはなんて、わたしには勿体無い程の真心なんだろう。

 

「それは、星歌さんらしいですね……」

 

「ねー、私もそう思います」

 

「お前、それ以上喋ったらクビな」

 

「はーい」

 

 得意気に語るPAさんに、星歌さんが緘口令を敷いている。そんな照れ隠しも、まったくもって星歌さんらしい照れ隠しで笑みが浮かんでしまう。PAさんも事情を察しているであろうに、こうして何も聞かずただありのままに気楽に接してくれている。あまりひとりさんとも喋ることはなかったけど、なんて気の良い人なんだろう。

 

 こんな素敵な大人に見守られて働けるひとりさんは、きっと幸せ者だ。そして、わたしも。

 

「初めて会った日も、さっきリョウと話してた時も、こうしている今も。ぼっちちゃんは辛いことを隠して耐えているように見える……それは違うか?」

 

「どうして、そう思うんですか?」

 

 しらばっくれたり、誤魔化したりするつもりはない。ただ単純に疑問で仕方なかった。いくらわたしのことを気にし続けてたとはいえ、どうしてそんな結論に至ることが出来るのだろうと。わたしはひとりさん以外には、繕うのも強がるのも下手であるつもりはなかったから。

 

「だぶるんだよ、子供の頃の虹夏に……」

 

「虹夏さんに、ですか?」

 

 予想外にも程がある回答に、面食らってしまう。あの虹夏さんの幼少期なんて、きっと朗らかで可愛らしい子供だったことは想像に容易い。その虹夏さんがこんなわたしに似ていただなんて、あり得るのだろうか。

 

「昔の私は不甲斐ない姉でさ、虹夏を放って一人ぼっちにしていたことがあったんだ」

 

「……」

 

「その時の、悲しくてどうしようもない現実に一人で耐えていた時の虹夏に……ぼっちちゃんはそっくりだよ」

 

 時折、寂しそうな表情を浮かべていた虹夏さんの姿を思い出す。星歌さんというお姉ちゃんと一緒に暮らし、一緒に働いて日々を過ごしている。今まで姿を見せず、話題に上がることもなかった虹夏さんの両親。もしかすると、察するに余りある状況にあったのかもしれない。

 

 わたしは一体、どれくらい目の前のこの人に心配をされているのか想像もつかなかった。

 

「ぼっちちゃんが何を抱えて、どうして隠すのか私にはわからないけどさ。……辛いことを一人で抱える必要なんてないんだ。家族でも友達でも、私みたいな上司でも、誰にだって吐き出していい」

 

「星歌さん……わたしは」

 

「ぼっちちゃんはまだ子供なんだから、私たちみたいな大人に頼ってくれていいんだよ。……言いたかったのは、それだけ」

 

 星歌さんは、ただのバイトの子に過ぎないわたしに対しても大人の責任を果たそうとしてくれている。それはどれほど、ありがたく心強い存在なのだろう。わたしが仮に秘密をぶち撒けて、それでどんな問題が発生しようともきっと星歌さんは親身になって一緒に問題を解決してくれる。

 

 だからこそ、そんな善意はわたしには勿体なさ過ぎる。いつか星歌さんの前からも消え去ってゆく、わたしには。

 

「……では、一つだけ。星歌さんに言いたいことがあるんです」

 

「言ってみなよ」

 

「虹夏さんには、もう少しだけ素直になったほうがいいと思います。……姉妹なんですから」

 

「それは余計なお世話だ」

 

 いつの日か夢想したみたいに星歌さんを揶揄ってみれば、あの日の通りに照れたように可愛らしくそっぽを向いてくれていた。わたしがわたしらしく振る舞って、それを自然に受け止めて返してくれる人がいる。わたしにはそれだけで十分、これ以上は毒にしかならないだろう。

 

 星歌さんは弱さを曝け出して良いのだと諭してくれた。それでも、わたしはひとりさんのヒーローで居ると決めたのだから。最後の瞬間まで、ひとりさんの前でだけは強がっていたいのだ。

 

「それじゃあ、わたしもそろそろ虹夏さんを探しに行きますね」

 

「そう……虹夏のこと、よろしく」

 

「後藤さん、今度私ともお喋りしましょうね。後藤さんの使っている美容品、私気になってるんです」

 

「その時は、是非。星歌さんもPAさんも、今日はわたしの話を聞いてくださりありがとうございました」

 

 最後に二人に頭を下げて、STARRYを後にする。初めて両親に自分の存在がバレていることを悟った時のような、嬉しいとも悲しいともわからない複雑な感情がわたしの心を支配していた。

 

 スマートフォンを見ると、リョウさんから位置情報が記されたロインが送られて来ていた。無事虹夏さんを見つけたようで、集合場所を伝えてくれたらしい。随分長いこと星歌さん達と喋ってしまったし、急いで向かうことにしよう。

 

『もう一人の私の言う通り……店長さん、すごく優しかったね』

 

『ひとりさん……ええ、そうですね。わたしには勿体無い程に』

 

 計ったようなタイミングで、ひとりさんが喋りかけてくれる。ひとりさんはわたしと星歌さん達の会話を聞いて、何を感じ何を思ったのだろう。ひとりさんはその間一言も喋ることがなかったから、わたしにはそれを窺い知ることはできない。

 

 ひとりさんが一言もあの会話に口を挟む事がなかったのは、間違いなく意図してのことだ。初めてのバイトの帰り際、星歌さんが見送ってくれた時もひとりさんは敢えて口を閉ざしていたから。その行動にどんな理由があるのかもわたしにはわからないし、それを尋ねる勇気も持ち合わせていない。わかるのは、わたしに対する気遣いからの行動に違いないということだけ。

 

『私、オーディション頑張る……もう一人の私を認めてくれた店長さんに、私達結束バンドのことも認めて欲しいから』

 

『はい!オーディションで、星歌さんに目にもの見せてやりましょう』

 

 結果として、ひとりさんのやる気に火が付いているのは僥倖だ。一週間後のオーディションに向けて、わたしもひとりさんの為にできることを精一杯やって見せようか。

 




本当にお待たせしてすみません。原因は年度末特有の忙しさと、軽いインプット期に入ってしまったせいです。それらは解消したので、次回からこそは週一程度の投稿ペースに戻していきたいと思います。

今回のアニメ五話にあたる部分は、ちょいと長くなりそうですね。次回は喜多ちゃんと虹夏ちゃんそれぞれにスポットが当たるかも。今後とも、応援よろしくお願いいたします。

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