コミュ症を拗らせ過ぎた結果、もうひとりの人格を生み出してしまったぼっちちゃんの話   作:モルモルネク

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 長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。そして宣言より、二日ほど遅れての投稿になったこともごめんなさい。ロスタイムということで、是非楽しんでいただければ幸いです。


君ときみの家まで。

 

 きくりさんのありがたい協力もあり、無事チケットノルマをひとりさんは達成した。ライブ当日までの困難は全てクリアされ、後は本番に向けて練習あるのみ。わたしとひとりさんもそう確信していたのだが。

 

「ど、どうしよう……」

 

 そんな確信は裏切られ、ひとりさんはまたしても呆気なく窮地に立たされていた。わたし達の自室、その場所でただスマホを呆然と見つめたまま、突然降って湧いた困難にひとりさんは震え慄いている。

 

 スマホの画面に表示されているのは結束バンドのグループロイン。そこに突如投下された虹夏さんからの一言が、今こうしてひとりさんを窮地に立たせているのだ。

 

『みんなでライブTシャツのデザインを考えよう! それで、よければぼっちちゃんの家でやりたいなって思うんだけど、どうかな?』

 

 他の人からしてみれば、友達が自分の家に遊びに来たいというだけの何の変哲もないロインにしか見えないだろう。しかし、ひとりさんにとっては違う。

 

 虹夏さん達結束バンドのメンバーは、ひとりさんにとって初めての友達だ。悲しいけれど、それまではひとりさんには誰一人も友達が居なかった訳で。だから友達を家に招くというのも、初めての出来事なのだ。友達を初めて家に招待する、そんな一大イベントが突然やってきてしまっては、ひとりさんが慌てふためいてしまうのも無理からぬことだろう。

 

 かく言うわたしもひとりさん程ではないが、今回の出来事に少し面食らっている。もちろん、ライブでの一体感を高めるためにライブTシャツを作るというのは極めて自然な流れだと思う。ただ、それをひとりさんの家でやろうと虹夏さんが提案したのが少し意外だった。

 

 今までのバンドミーティングのようにSTARRYでやるのだとばかり思っていたし、その方が敢えてあまりにも遠いひとりさんの家を選択するよりはよほど自然なはずだったから。

 

 前々からひとりさんの家を見てみたいと思っていた。ひとりさんだけ長い時間移動しなければならないことを申し訳なく思っていた。そんな風に理由を考えることはいくらでもできるけど、どれもなんだかしっくりこない。

 

 この提案にはバンドTシャツの作成以外に、何か別の意図があるのではなかろうか。そんな疑念がわたしの頭を過ぎりそうになってしまい、慌ててこの考えには蓋をすることにした。そんなことを疑ったって意味はない。どんな意図があるにせよ、虹夏さん達のことだからきっとひとりさんのことを考えての提案に違いないのだ。

 

 ひとりさんに向けてみんなの優しさを信じるべきなどと言ったわたし自身が、結束バンドのみんなを疑うなどあってはならないことだろうから。

 

「どどどどどど、どうしよどうしよどうしよ……!?」

 

 くだらない思考を費やしている内に、ひとりさんはますます追い詰められているようだった。スマホを片手にガタガタと震えるひとりさんをこれ以上放置するのは流石に忍びない。わたしも一緒に問題の解決に移ることにしよう。

 

『ひとりさん、一緒に考えましょう?』

 

「もう一人の私……で、でも」

 

 助け舟を出せば喜んで乗ってきてくれる。そんなわたしの予想に反して、ひとりさんの返事の歯切れは悪い。いや、そもそもそんなわたしの見積もりは既にひとりさんには通用しないのかもしれない。オーディションやチケット売りと、最近のひとりさんは自分の力だけで困難を解決しようと頑張っていることが多いから。

 

 立派な心掛けだとは思うけど、今回ばかりはそう肩肘張らなくてもいいと思うのだ。結束バンドに加入してからの数々の困難に比べれば、言ってしまえば今回はとても些細な問題。むしろ微笑ましいとすら感じるくらいなのだから、ひとりさんが一人で抱え込む必要なんてないだろう。

 

 むしろ、こういう時に頼ってくれないのは少しばかり寂しく感じてしまう。なんて、わたしの勝手で邪な感情は外に置いておくべきだろうけど。

 

『とりあえず、お父さんとお母さんに話しに行きませんか? 虹夏さん達を家に招く以上、了承は得るべきでしょうから』

 

「……えっ?」

 

 とりあえず行動の指針を示して見せれば、ひとりさんも乗っかってくれるだろうか。そんな期待を込めて発したわたしの提案は、ひとりさんに驚きと困惑を持って受け取られていた。

 

 なにかおかしい気がする。こう言って見せれば少なくとも、明るい声をひとりさんから聞けると思っていた。なのに現実は、ますますひとりさんの困惑を深めてしまうばかり。わたしとひとりさんで、何か致命的な思い違いがあるんじゃないか。そう思えてならなく、わたしの心にも動揺が走り始めていた。

 

「よ、呼ぶの……? 虹夏ちゃん達を、家に」

 

『すいません。その、ひとりさんはもしかして……虹夏さん達を家に呼ぶつもりではなかったのですか?』

 

「う、うん……」

 

『それは、どうしてでしょうか?』

 

 質問を質問で返すような不躾な真似をひとりさんにしてしまったのは、本当に申し訳なく思う。でも、思わずそんな問いかけを返してしまうくらいには、その言葉が意外に過ぎた。

 

 ただでさえ頼まれごとや押しに弱いひとりさんだ。悩んで悩み抜いて、その結果どうしても断ることができない、とても優しい人。そんなひとりさんが真っ先に断るという結論にまで至るとは思えなかったのだ。

 

「……虹夏ちゃん達が家に来たら、もう一人の私が困ると思ったから」

 

 その答えを聞いた瞬間、わたしの心は急激に冷えていくようだった。ひとりさんは合わせるべき相手もいないのに何処か伏目がちで、声色には隠し切れない申し訳なさが滲んでいる。何を一人勝手に浮かれていたのだろう、わたしは。自己嫌悪の感情が沸々と湧いて出てくる。

 

 ひとりさんの家に友達が遊びに来る、きっと素敵な思い出になるだろう。だなんて楽観的かつ呑気な捉え方をしていたのはわたしだけで。ひとりさんは今回の出来事をもっと重く、それこそ死活問題のように捉えていたんだろう。理由は敢えて問い直すまでもなく、こんなわたしの存在を最大限配慮してしまったから。

 

「お家は、もう一人の私の居場所だから……もう一人の私が窮屈な思いをするのは違うと思った。だ、だから、私断らないとって、それで……」

 

 事実、ひとりさんの言う通りではあるのだ。結束バンドの皆が家に来てしまうとわたしは大いに困るだろう。家の中には、どうしてもわたしの生活と存在の痕跡が残ってしまう。それを隠し通すのにはかなり神経を使うだろう。そして何より、ふたりと両親が皆にどんな対応を取るのか。わたしにはこれっぽっちも想像できなくて、ただ恐ろしい。

 

 窮屈な思いをするのだろう。最も過ごしやすいはずの場所で、その日は息を吐く暇もないような状態を強いられるのかもしれない。でも、わたしはそれで良かったはずじゃないか。元よりそういう存在だ。なのに、わたしは既にひとりさんにとって、そんな風に思わせてあげられる強い存在ではなくなってしまったのだろうか。

 

『もう一人の私の時間と居場所を大切にしたい……ううん、大切にできるんだって。私はもう、証明しないと』

 

 路上ライブでの、ひとりさんの想いが自然と想起される。その宣言通りに、ひとりさんはわたしの存在を守ってくれようとしている。ひとりさんの心を守るために生まれたはずの、このわたしが。

 

 矛盾している、倒錯している。それは間違っていると、わたしの存在意義を揺さぶるかのように本能がわたしの存在を責め立ててくる。そうだ、もうわたしの存在は枷でしかないじゃないか。ひとりさんの心を導くこともできず、足を引っ張るだけの存在でしかないのなら。

 

 わたしの存在なんてもう、いらないんじゃないか。

 

『そんな自分を、ひとりちゃんはもう少しだけ認めてあげてもいいんじゃないかな?』

 

 違う、そうじゃない。そうじゃなかったはずだ。わたしが歩んできた積み重ねを否定するのはやめるんだって、あの人の言葉で決めたんじゃないか。お酒で自分を追い込みながら、疑う余地もないくらい真っ直ぐとわたしを肯定してくれた人の言葉を、必死で思い返す。

 

 自分の問題だけで手一杯だったひとりさんが、少しずつ周囲の誰かに眼を向けるようになっていった。虹夏さんの夢を叶えたいと奮闘し、リョウさんの音楽への情熱と向き合って歌詞を書き、喜多さんの心に寄り添っては支えるように。そのどれもがひとりさんの成長の結果であり、わたしはその優しさの発露を尊いものだと肯定してあげたい。

 

 わたしの存在を守りたい、その感情も同じ優しさなのだから。わたしがその優しさを否定するような感情を、抱くべきじゃないんだ。

 

 ひとりさんの成長が積み重ねの結果ならば、自惚れのようだけどそれはわたしという人格との積み重ねに他ならない。わたしとの日々がひとりさんに良き影響を与えてきたのだと、今こそ信じてみよう。

 

 いらないだなんて、勝手に自分を見損なうな。ひとりさんの優しさを愚弄しないように。

 

「もう一人の私……だ、大丈夫?」

 

『……ええ、大丈夫です。心配してくださってありがとうございます、ひとりさん』

 

 しばらくわたしが黙りこくっていたせいだろう。ひとりさんから恐る恐る心配の声が上がっていた。少し悩んでから、ただありがとうの言葉を告げることにした。ごめんなさいがきっと、一番ひとりさんを悩ませてしまうだろうから。

 

 このままわたしが何も言わなければ、ひとりさんは虹夏さんの提案を断ってしまうだろう。誰かの為に何度も一歩を踏み出してきたひとりさんなら、きっとそうしてしまう。

 

 でも、ひとりさんの願望がわたし自身の存在を理由に破棄されてしまう。そんな事象をわたしは決して許容できない。弱音を吐いたり、自身の存在を否定するでもなく、わたしがしてあげられることはなんだろうか。

 

 そんなの決まっている。強く、頼り甲斐のあるヒーローのような自分を演出し続けることだ。それがわたしの本質であり、始まりだから。結局そうすることしかできないという、諦観を多分に含んでいるのは少し格好付かないけれど。

 

 本来のわたしがそんな強い存在に程遠いことは、わかっている。つまらないことで傷付いて、自分のネガティブな感情さえ上手く処理することができない。こんな弱いわたしがヒーローに相応しくないことも、重々承知している。それをひとりさんも察しつつあるのだ。だからこうして、守ろうとしてくれているんだろう。

 

 それでも、ひとりさんがこんなわたしに望んでくれた在り方を最期まで貫き通したい。ひとりさんが生んで与えてくれた優しさと強さ。虚勢だったとしても示し続けることくらいは、わたしにもできるはずだ。

 

 だってわたしが必死で強がって見せれば、決して暴かないでいてくれる人だから。

 

『でも本当は、虹夏さん達をお家に呼んであげたいんですよね?』

 

「い、いや……そんなことは全然! これっぽっちも!!?」

 

『嘘ですよ』

 

 本心をつついて見せれば、ひとりさんはわかりやすく動揺を示してくれた。昔から、どうしても嘘を吐くのが下手っぴな人だった。そういう所が、本当に健気で愛おしいと思う。

 

 ふたりがちょっぴり意地悪く、ひとりさんの嘘を指摘する様を真似してみた。無邪気に、その声色の内に好意を覗かせて。何も心配なく、不安がることなどないのだと伝わるように。ふたりみたいに可愛らしくできている自信はこれっぽっちもないけれど、今この時間をなんて事のない日常として受け取って欲しいから。

 

『友達を家に招待するの、憧れてたんですよね? ふたりが家に友達を連れてくるたび羨ましそうに見ていたの、ちゃんと知ってるんですから』

 

「よく、知ってるね。さすがもう一人の私……」

 

『もちろん。いつも一緒に居るのですから』

 

「そうだね。一緒だ……へへ」

 

 少しだけ肩の力が抜けた様子のひとりさんに、ほっとする。わたしが生まれてから、ひとりさんの心の内でずっと一緒に過ごしてきた。だからこうやって、本人がひた隠しにしていた事柄を察せられる。

 

 ひとりさんはどうだろう。逆も然り、なんてことはあって欲しくない。わたしの心の奥底の弱さはどうか、完全にバレないで欲しい。いつもはもう少しひとりさんに似ていればと思っているけれど、嘘が下手な部分だけは似て欲しくないと祈っている。

 

「……私、上手にできないかもしれない。私のせいで、もう一人の私のことがバレちゃうかも。それでも、私は虹夏ちゃん達を呼んでいいの?」

 

 恐る恐ると、ひとりさんがそう確認してくる。声には隠しようもない恐怖が滲んでいる。ひとりさんの友人に存在を悟られたくない。そんなわたしの意図を汲み取って、必死に守ろうとしてくれている証拠。

 

 きっかけの一言をひとりさんがわたしに求める、いつも通りの光景。でもその本質は、今までとは全く逆のものだ。気遣われているのも、守られているのも、後押しを受けているのもわたし。こうしてひとりさんに支えられなければ、強いわたしとして立つことすらできない。

 

 こんな弱いわたしをまだ、赦していて欲しい。わたしが消える最後の時までは、どうか。

 

『いいんですよ……わたしのことはもう、問題じゃないんです。だからひとりさんは心置きなく、自分の望みを叶えてあげてください。それがわたしの、幸せでもあるのですから』

 

 わたしの存在の秘匿なんて、本当はもう重要なことじゃないのだ。虹夏さんや喜多さんが、今更わたしの存在を知ったとしてもひとりさんを否定することは決してないだろう。眼を背け続けていたけど、そもそもリョウさんには半分以上バレているような気もするのだから、本当に今更だ。

 

 そしてひとりさんも、わたしとのギャップで傷付いてしまうこともない。それは先日のきくりさんとの路上ライブで証明されている。わたしを通した期待を背負いながらも、ひとりさんは輝いていられるのだとギターを持って証明してくれた。

 

 躊躇っているのはもう、わたしの心だけだ。虹夏さんや喜多さんに正体を明かすことで、傷付いて傷つけられることを恐れているだけ。そんなちっぽけな理由のために、ひとりさんが自分を追い詰める必要は一つもない。

 

 バレないに越したことはないが、わたしはもうバレたとしても仕方がないとすら思っている。誰かを傷付ける覚悟が出来たわけでもないし、心からそんな覚悟を今後も持てやしないだろうけど。我慢をすることだけは、得意なつもりだから。

 

「……うん。私、虹夏ちゃん達を呼びたい」

 

『はい』

 

 たっぷりと迷って。何度も部屋中に視線を泳がせつつも、ひとりさんは最終的に頷いてくれた。まだ始まった段階の話でしかないのに、満足感を覚える自身の感情に不信感を覚える。私はまだ正常だろうか、きちんとひとりさんの為に言葉を費やせているのだろうか。

 

「で、でも! 私だけじゃ皆をもてなしてあげられるか不安だから……もう一人の私も、手伝って欲しい!」

 

『はい、任せてください。きっと、大丈夫ですから』

 

 ひとりさんはいつだって、わたしの欲しい言葉をくれる。でも今回は少し、ニュアンスが異なるのかもしれない。わたしが欲しがって止まない言葉を意図的に選んでくれた、そう捉える方が自然だ。

 

 言い知れない感情を抑え込むように、何の保証にもならない言葉がわたしの口から滑り落ちる。大丈夫、わたしとひとりさんの関係はまだ、大丈夫だ。

 

 ひとりさんの手助けをする。わたしにとって当たり前だった筈の行いをするのが、日に日に難しくなっていく。ここ最近はいつもそうだったけど、とりわけ今日は酷い。何度も何度も自己否定をする心を騙して、中途半端な是正を繰り返す。そんな人間未満のプロセスを踏まえないと、ひとりさんの力にもなれやしないなんて。

 

 そもそも、昔と同じ関係を続けられる訳ないのだ。昔ほどひとりさんは弱さを抱えていないし、わたしも今では自身の強さを殆ど信じることができていない。自明の結果なのだ。その果てでこの関係のバランスが完全に崩れ去った時、わたしがどうなるかなんて語るまでもない。

 

 だけど、それがなんだというのだ。ボロボロで不恰好でも、ひとりさんの前だけでは格好を付けて前に進み続けろ。ひとりさんの進む道にわたしの道が続いていなかったとしても、決して立ち止まることはない。

 

 ひとりさんの進むべき道の標として消え去れるのならば、本望だから。

 

 

 ◇

 

 

「そういう訳で、バンドの友達を家に呼びたいんだけど……」

 

 結束バンドの皆を家に招くことが決定したので、わたしの指針通りまずはお父さんとお母さんに許可を得ることにした。リビングのソファで、二人仲良く座って団欒していた両親に、ひとりさんがざっくりと説明をしている。

 

「ひとりが……」

 

「……友達を家に?」

 

 ひとりさんが説明を終えると、お父さんとお母さんは顔を見合わせながら硬直する。ひとりさんの言葉を呆然と鸚鵡返ししているその表情は、正に鳩が豆鉄砲くらったとでも言うべきな驚きの表情だった。

 

「き、聞いた? ひとりちゃんが初めて友達を連れてくるって……」

 

「あ、ああ! こうしちゃいられない、お父さん今から横断幕を作ってくる!!」

 

「私も……お赤飯、お赤飯炊かないと!?」

 

「ちょ、ちょっと……お父さん、お母さん!!?」

 

 暫く戦慄いた後、唐突にテンションをぶち上げたお父さんとお母さんは、ひとりさんの次の言葉を待つこともなく、浮き足立ちながら動き出してしまっていた。予想通りどころか、その遥か上を行くほどのオーバーリアクションに内心で笑みを浮かべてしまう。こういう時の勢いは正に、ひとりさんのご両親なんだなと実感する次第である。

 

 しかし、お赤飯はともかく横断幕ってなんだろう。嫌な予感がして、とっても気楽な頭痛を覚えていた。

 

「とりあえず、許可ってことでいいんだよね……?」

 

『二人とも歓迎する気満々みたいでしたから、そうでしょう』

 

「お父さんとお母さん、凄い反応だったね……びっくりした」

 

『それだけ、ひとりさんが友達を連れて来たことが嬉しかったんですよ……もちろん、わたしだってそうです』

 

「そ、そっか……少し照れくさいけど、嬉しいな」

 

 温かな家族模様に、どん底の縁を漂っていたわたしの感情も回復していくようだった。とても優しく、賑やかなこの家庭だからこそひとりさんは健やかに育ったのだろうと、強くそう思う。

 

 そして、今日この日までわたしがひとりさんの側に居られることも、お父さんとお母さんのお陰に違いなかった。

 

「よ、よし。私も虹夏ちゃん達を歓迎する為に、頑張らないと……!」

 

『ですね!』

 

 お父さん達の勢いに載せられるように、意気込みを新たにするひとりさん。わたしもようやく回復して来た調子の下、元気よく追従することにした。

 

 実際、これからやらねばならないことは少なくない。一応、部屋は毎日欠かさず整頓しているつもりだけど、お客さんを上げるなら改めて徹底的に掃除する必要があるだろう。それに、やたら数の多い貯金箱だとか飾っているふたりの描いてくれた絵だとか。そういうわたしの痕跡が色濃く残っているモノは隠さないといけない。

 

 明日になったら、来客用の飲み物とお茶請けも買って来ないといけない。特にせっかくお茶請けを買うのならば、流行に敏感で話題性の強いものが好きな喜多さんの喜ぶものを買ってあげたい。そのためのリサーチも必要だろうか。

 

 こうしてざっと挙げるだけでも、やることは山積みだ。ひとりさんが不安がることなく当日を迎えられるように、わたしも誠心誠意サポートを務めなければ。

 

「バンドの友達が遊びにくるの?」

 

「ひっ!? な、なんだふたりか……」

 

 背後から声をかけられて、戦々恐々としながらひとりさんが振り向いた先にはふたりが居た。お父さん達との先程のやり取りをふたりも見ていたのだろう。興味深々といった様子で、ひとりさんに上目遣いを向けている。

 

「お姉ちゃん達は遊ぶんじゃなくて、お仕事をする為に集まるんだよ。それも……崇高かつ、バンドの今後を左右する大切なお仕事のために」

 

 ひとりさんが、やたら仰々しく言葉を並べてふたりに説明する。決して嘘じゃないけれど、その内容はあまりにも大袈裟すぎる。流石にバンドTシャツのデザインくらいでバンドの今後は左右されないし、喜多さんなんかは半分くらいひとりさんの家で遊ぶつもりで来そうな気もする。そもそも、肝心のひとりさんだって内心では友達と家で遊べることに浮かれているに違いない。

 

 いつも通りに、お姉ちゃんとして良いところを見せようとひとりさんは見栄を張りまくっているようだ。

 

「えー、嘘だー!」

 

「う、嘘じゃないもん」

 

 しかし、例の如くそんな見栄はふたりには通用しないようで。即座に嘘だと断じられてしまっていた。実際かなり嘘寄りでもあるため、わたしとしてもあまり擁護できそうにない。

 

 先程わたしもふたりの所作を真似させて貰ったけど、こうして見るとやはり雲泥の差を感じる。ふたりがやるだけで、無邪気かつ愛くるしさに溢れるのだから本当に何もかも違う。

 

 常々思うのだ。わたしと接する時の素直なふたりはもちろん可愛らしくて仕方ない。でもそれはそれとして、ひとりさんの前でだけ見せる、ちょっぴり生意気なふたりは違った可愛さに溢れていると。

 

 別にそんなふたりの姿を見ていたくて、静観を貫いている訳ではない。ないったらない。

 

「ギター弾く方のお姉ちゃん。お仕事をする人はね、そんな風に浮かれきってはしゃいだりしないんだよ?」

 

「そ、そんな言い方一体どこで覚えて……」

 

「ギター弾かない方のお姉ちゃんが教えてくれた!」

 

「も、もう一人の私!!?」

 

『ふ、ふたりは聡明な子ですね……ひとりさん』

 

 得意げなふたりの言い回しに、ひとりさんはすっかりタジタジだ。その一端を担っているのがわたしだということまで判明してしまい、なんとも気まずい気分になる。裏切られたとばかりに震え声をあげるひとりさんに、言い訳がましい言葉を並べることしかできない。

 

 まだ五歳であるふたりには、わたしもできる限りわかりやすい言葉遣いをするよう努めてはいる。ただ、不意にふたりの前でもこのお堅い口調が漏れ出てしまうのはよくあることなのだ。そういう事がある度に、好奇心旺盛なふたりはどういう意味でどうやって使うのか聞いてくる。そして、わたしも得意げになってこれまで何度も教えて来た。

 

 その学習の成果が、今回ひとりさんを言い負かすのに使われてしまったのだろう。内容はともかく、学んだことをこうしてすぐ実践できるのだからふたりは本当に賢い子だと思う。そして、わたしの真似をしてくれるのがなんだか凄く嬉しかった。被害者となってしまったひとりさんには申し訳立たないが。

 

「でも、お友達来るの初めてだから浮かれちゃうのもしょうがないよね。よかったね、ギター弾く方のお姉ちゃん!」

 

「がっ!!?」

 

 最後に、ふたりの悪気ない善意100%の言葉によりひとりさんは撃沈。断末魔をあげながら膝から崩れ落ちる。これにてひとりさんとふたりの言い争いは終結。尤も、言い争いと呼ぶにはあまりにも平和で微笑ましい限りのものだけど。

 

 ただ、今度からはあまり言い過ぎないよう、後でふたりに言い含めておかないと。歳の離れた妹に言い負かされるひとりさんを何度も見るのは忍びないし、わたしにはかなりその責任がある。

 

「ねぇ、ギター弾く方のお姉ちゃん」

 

「な、なにふたり? お姉ちゃんちょっとこれ以上は限界というか……」

 

「わたしも……お姉ちゃんの友達に会っても、いい?」

 

 先程とは一転して、力無い声で所在なさ気にしながら、ふたりがひとりさんに問いかけていた。普段のふたりの性格を考えれば、ひとりさんの友達に会うのにこうして許可を取ったりはしないようにも思える。なのにこうしているのは、負い目があるからなのかもしれない。

 

 わたしの為とはいえ、以前ひとりさんの友達について声を荒げてしまったから。そのことを気にして、勝手に会ってはいけないと思い込んでしまったのだろう。人の心の痛みがわかるふたりの、その幼さにしては切なすぎる気の遣い方だった。

 

『……もう一人の私は、どう思う?』

 

『最終的にひとりさんが決めるべきだとは思いますが……少なくともわたしは、会っちゃいけないなんてふたりには言いたくありません』

 

『うん、わかった』

 

 ひとりさんへの返事は、悩むまでもなく決まっていた。人懐っこいふたりだから、結束バンドの皆の前でもきっと気兼ねなく甘えに行くのだろう。そして虹夏さんや喜多さんも、目一杯可愛がってくれるに違いない。リョウさんだけは、子供の扱いが上手そうには見えないから予想はつかないけども。

 

 そんな素敵な出会いを、わたしの存在を理由に邪魔してしまうなんてことは、あってはならないから。

 

「いいよ、ふたり」

 

「ほんと!?」

 

「でも、一つだけお姉ちゃんと約束。お友達の前では、ギター弾かない方のお姉ちゃんの話は禁止……約束できる?」

 

 それは、後でわたしがふたりに言っておかなければと悩んでいた言葉。先んじてひとりさんがその言葉を迷いなくふたりに告げたことに、ただ呆気に取られてしまう。

 

「うん、わかった!」

 

 ひとりさんが持ちかけた一つの約束。殆ど悩むこともなく、はっきりと頷いてみせたふたりは、すぐにどこかへと走り去ってしまった。多分、ジミヘンと遊びにでも行ったのだろう。実は最初から、この了承を得ることだけが目的だったのかもしれない。

 

 だけど、ふたりがすぐに頷いたことだけは少し意外だった。今までのふたりの反応からして、一悶着あるものだとばかり思っていたから。いやでも、本当はふたりも話してはいけないことだと既に気付いていたのかもしれない。ふたりは今までも、家族以外の誰かにギター弾かない方のお姉ちゃんの話をすることはなかったから。

 

『ありがとうございます、ひとりさん。わたしが言うべき言葉でしたのに……』

 

『ううん、気にしないで。もう一人の私じゃ、言い辛いことだったろうし』

 

 情けないけれど、ひとりさんが代わりに伝えてくれてわたしは強く安堵していた。同じ言葉を伝えようにも、わたしではここまでスムーズに行うことは多分できなかった。どころか、また余計なわたしの感情を悟られて、ふたりを傷付けた可能性すらある。本当に感謝する他ない。

 

「じゃあ、私達も準備始めよっか」

 

『そうですね。ではまず、部屋のお掃除を……』

 

「う、うん。で、その後は部屋の飾り付けをしないとね」

 

『はい、部屋の飾り付け……部屋の飾り付け??』

 

「喜多さん来るんだし、陽キャっぽくミラーボールとか置いた方が良いよね……あ、後はクラッカーもたくさん用意しないと。あとあとグラサンに一日巡査部長の襷に……」

 

『え、あっ、ちょ、ちょっと……ひとりさん!!?』

 

 ああ、忘れていた。お父さんとお母さんがあれほどはしゃいでしまうのなら、それはもちろん娘のひとりさんにも当てはまる。テンションの上がり過ぎたひとりさんが、明後日の方向を目指し始めるのは正に当然の帰結。

 

 まるで誕生日パーティーの準備でもするかのような語り口のひとりさん。そして仮に誕生日パーティーだったとしても、逸脱している物体すら準備しようとしてしまっている。

 

 ひとりさんに普通の友達の招き方をレクチャーすること。それが真っ先にわたしがやらねばならない責務であるようだった。

 

 

 ◇

 

 

 今日は虹夏さんと喜多さんが、我が家に遊びに来る日。リョウさんに関しては、予定の日付が決まった数瞬後に不参加の表明がなされていたので来るのは二人だけ。バンドのグループロインにて『いかない』とだけ添えたその豪胆さに、わたしは戦慄したものである。

 

 そのリョウさんに対して、虹夏さんが何の反応を示すことがなかったのも、印象的といえばそうだったろうか。もしかすると、リョウさんがこういうイベントごとを避けるのは虹夏さんにとっては当たり前のことなのかもしれない。

 

 さて、現在時刻は虹夏さん達の到着予定の十分ほど前。ひとりさんはといえば、玄関の前で皆さんの到着を待ちわびている。なんと、一時間ほど前からずっと。何度も準備できているか確認し、玄関に戻っては不安になって部屋に戻る。そわそわと繰り返すさまは、そのままひとりさんの期待と不安を表しているようだった。

 

『あの、ひとりさん。部屋でとは言いませんが、せめてリビングで座って待ちませんか? ずっと立ちっぱなしでは疲れてしまうでしょうし……』

 

「なんだか落ち着かなくって……喜多さんと虹夏ちゃんが遠路はるばるやってくるのに、私なんかが寛いで待つのは申し訳ないというか、ごめんなさいっていうか」

 

『まぁ、わたしもその気持ちは少しだけわかってしまいますね』

 

 ただ待つだけというのはなんとも落ち着かない。なんでもいいから、出来ることをやれれば良いのにというもどかしさはよくわかる。予定の時刻までもう十分前にもなってしまったのだ。このまま玄関で待ち続けてもいい、そんな気分にわたしもなっていた。

 

「でも、何もなしに普通に迎えて本当に良いのかな? ……や、やっぱりクラッカーとかファンファーレで盛大に歓迎した方がいいんじゃ」

 

『大丈夫です。そこに関しては、全面的にわたしを信用してください。お願いします』

 

 わたしの必死の説得の甲斐あってか、なんとか歓迎方法の軌道修正をすることはできた。部屋は念入りに掃除をしただけだし、いつものピンクジャージとはいえひとりさんの格好も極めて普通。ミラーボールや一日巡査部長を回避できたことを、我がことながら誇りたい。

 

 しかし、ひとりさんを否定せずにやんわりと説得をするのはなかなか骨が折れた。あんまり盛大にお持て成しをしては、迎え入れられる側も緊張してしまう。そういう方向性でひとりさんの感情に訴えかけることで、なんとか説得をすることができたのだ。

 

 まぁ、仮にひとりさんがズレた歓迎をしたとしても、お二人はそれはもう優しく受け止めてくれるのだと思う。ただその対応を受けて、滑ったという事実に打ちのめされるひとりさんが発生してしまうのも事実。避けられる悲劇なら、きちんと避けておくべきだろう。

 

『それに、歓迎するという意味ならお父さんのアレだけで十分でしょう……』

 

「そ、そうなのかな」

 

 現在、我が家の外壁の二階部分には立派な横断幕が垂れ下がっている。まるで旅館が上客を迎え入れるもののような、お父さん渾身の一作がだ。本当に、はっちゃけてしまった時に突っ走る方向性が親子そろって似すぎている。

 

 あれだけで歓迎の気持ちなんて、盛大に伝わるだろう。伝わりすぎにならないといいけど。

 

「ぼっちちゃん、来たよー」

 

「こんにちはー」

 

『き、来ちゃった! もう一人の私、これって一体どうすればいいんだっけ!?』

 

『そこのボタンを押しっぱなしにしながら喋ってください。そうすれば、外に声が届きますので』

 

 家のインターホンが鳴らされて、そこから慣れしたしんだ二人の声が発せられる。インターホンの使い方で悪戦苦闘するひとりさんに説明をしながら、玄関口での対応なんかも初めてだったかなんてしみじみと今までを思い返す。一人で留守番をしている時も、お客さんが訪ねてくるたびにヘルプを頼まれたっけ。

 

 そういう些細なお手伝いもだんだん減っていくのだろうか。違うか、減らしていかなければ駄目なんだ。

 

「あ、い、今開けますので! どうぞ上がってください……」

 

「はーい、お邪魔しまーす」

 

「ぼっちちゃん、今日はありがとね。急なお願いでびっくりさせちゃったでしょ?」

 

「い、いえ、気にしないでください」

 

 ひとりさんが玄関を開けて、虹夏さんと喜多さんを招き入れる。すでに夏真っ盛りということもあり、お二人ともすっかり夏の装い。よく似合っており、喜多さんも虹夏さんもお洒落さんだということがよくわかる。ひとりさんもしっかりコーディネートすれば、決してお二人に劣らないほど奇麗に仕上がるだろうに。

 

 もったいないというのは流石にわたしの個人的な望みが過ぎるので、決して口に出すことはないけれど。

 

「それでぼっちちゃん。いきなりで悪いんだけど、一つ質問良いかな?」

 

「え……な、なんですか?」

 

「あたし達を出迎えてくれたあの横断幕は、いったい……?」

 

「それ、私も気になってました!」

 

 虹夏さんが早速、非常に言いづらそうにしながらも当然の疑問について口にしていた。あれをスルーしろというのは流石に酷。なので虹夏さんもどうか、この件には喜多さんくらい気軽に触れてほしいと思う。

 

「あ、あれはお父さんが作ってくれたんです。私、友達を家に連れてくるのも初めてなので、張り切ってくれたみたいで……」

 

「な、なるほど、お父さんがね!まさかぼっちちゃんがアレ作るはずないもんね……そっかそっか」

 

「私、一瞬旅館に来たのかと勘違いしちゃった。良いお父さんなのね、ひとりちゃん!」

 

「あ、はい」

 

『もう一人の私、本当にありがとう……!!』

 

『これくらい礼に及ばず、ですよ。ひとりさん』

 

 虹夏さん達の何とも微妙なリアクションを見て、ひとりさんも色々と察するものがあったのだろう。わたしに対しての本気過ぎる感謝が、内心で響き渡る。ご満悦な気分に浸りそうにもなってしまうが、今日はまだ始まったばかり。気を緩めずに行こう。

 

「ひとりちゃん。これお土産、ご家族で召し上がってね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

『紙袋からオシャレな何かが溢れ出てる……そういえば、もう一人のわたしも今日のために似たようなお菓子買いに行ってたよね。こ、これが陽キャ同士の嗜みなんだ』

 

『敢えて喜多さんに寄せましたからね』

 

 喜多さんから受け取った紙袋を覗き込みながら、ひとりさんが何やら感心している。とは言っても、わたしのは所詮付け焼き刃なので若干の不安があったりする。わたしなりに、最近流行っているお菓子を調べて買ったつもりではあるから、気に入ってくれるといいんだけども。

 

「映画もありますよ!」

 

「ちょっと喜多ちゃん……今日の目的ちゃんとわかってる? 遊びに来たんじゃないんだからね」

 

「もちろんです。私も色々と考えてきましたから!」

 

「ならいいけど……」

 

 何だろう、今の会話は。表面上は遊び気分の喜多さんを、虹夏さんがやんわり注意しただけの会話にも見える。ただ、それだけで片付けられない程度に、二人の暗黙の了解じみたものも感じてしまって。

 

 例えば、ライブTシャツのデザインをしにきたと公言しなかったこと。そんな小さな違和感が、どうしてか気になってしまう。

 

「ライブTシャツのデザイン……を考えるん、ですよね?」

 

「……そうそう! お揃いにした方が、バンド!って感じがしていいでしょ?」

 

 違和感をひとりさんも感じたのか、ひとりさんも首を傾げながらそう確認していた。こころなしかハッとした様子で説明する虹夏さんの様子に、ますます違和感も強くなっていく。

 

 わたしだけじゃなくひとりさんも気付いてしまうあたり、気のせいではないんだろうけど。下手なことを言って、今日を楽しみにしていたひとりさんを不安がらせたくもない。今はこの違和感は捨て置いて、事の経過を見守るしかなかった。

 

 

「ここが私の部屋です……ど、どうぞ」

 

「これはなんというか……ひとりちゃんらしいというか」

 

「……そうでもないような」

 

 二階にあるひとりさんの部屋に案内された喜多さんと虹夏さん。初めて見るひとりさんの部屋に対する二人の感想は、なんとも微妙なものだった。

 

 悪い意味で予想通りの反応。いくら隠してみたところで、この部屋はひとりさんとわたしが一緒に暮らす部屋であることに変わりはない。ひとりさんしか知らない二人が、部屋のイメージに違和感を感じてしまうのはある意味当然といえた。

 

 虹夏さん達から見て、今のひとりさんはどんな女の子に見えているだろうか。引っ込み思案で人見知りだけど、芯の強いところもあって。それでいてギターに一生懸命で、誰かのためにも同じくらい頑張れる。そんな風に見てくれていたら、嬉しい。

 

 そこにどうか、わたしの影が紛れ込んでいませんように。

 

「あ、あのぅ、変なところがあったりしたでしょうか……?」

 

「ううん、全然! すごく整頓されてるとことか、ぼっちちゃんぽいなって思うし」

 

「ですね。ただ、もう少し音楽に溢れてる感じの部屋を想像してたから、驚いちゃって」

 

「あ、ギター関係の機材とかは全部こちらに……」

 

「「おおー」」

 

 喜多さんの感想を受けて、ひとりさんが押し入れの襖を開く。中はまさにひとりさんの秘密基地といった様相になっていて、アンプやらエフェクターも所狭しと並べられている。バンドのポスターやCDも充実していて、まさにロックそのものな部屋。

 

 その光景に二人は興味津々な様子。先ほどの違和感なんて忘れて見入っているようで一安心だ。一応ギターヒーローバレに配慮して、撮影関係の機材は隠してあるのでその辺りも抜かりはない。

 

「へー、すっごい。でも、どうしてこんなに押し入れの中が充実してるの?」

 

「私、いつもはここでギターを練習してるので……」

 

「押し入れの中で!? なんで!?」

 

「あ、その、薄暗くて狭いところの方がなんだか落ち着きまして……」

 

「ひとりちゃん、小動物みたいね。可愛い!!」

 

「流石喜多ちゃん、全肯定……」

 

 喜多さんの何でも全肯定なスタイルに虹夏さんが半ば呆れ気味だけど、わたしにとっては何より心強い味方だ。しかし、小動物か。押し入れに籠るひとりさんを外から眺めることなんてないので想像だにしなかったけど、隅っこで丸くなるひとりさんは確かにリスみたいで可愛いかもしれない。

 

 新解釈だ。

 

「よし! それじゃ、このままひとりちゃんの部屋の探索開始ね!」

 

「ごめんねぼっちちゃん。少しだけ喜多ちゃんに付き合ってあげてくれないかな?」

 

「え、ぁ、はい……多分、大丈夫だと思います」

 

『だよね、もう一人の私?』

 

『ええ、みられて困る物は何一つないはずです』

 

 嬉々として部屋内をくまなく調べようとしている喜多さん。これも友達同士だと、定番のやり取りなのだと調べて来たので対策はしている。このために、ふたりの描いてくれた絵やわたしの貯金箱なんかは全て隠しておいた。

 

「ひとりちゃん、この中見ても良いかしら?」

 

「そ、それは……いい、ですけど」

 

 喜多さんがさっそく目を付けたのは、姿見の前に置かれた木製の収納ボックス。そこにはわたしが用いている、クリームやコンディショナーやコスメ等の美容品一色が詰め込まれている。真っ先に目を付けるあたり、流石は喜多さんである。

 

 正直これも隠すか迷ったのだが、いつかはひとりさんも向き合わなければいけない問題。今回はその始まりとして、敢えて残しておいたのである。

 

「間違いないとは思っていたけどこのラインナップ……流石ね、ひとりちゃん」

 

「ぼっちちゃん、全然自分からそういう話しないから知らなかったけど。やっぱり凄いんだ」

 

「私、人一倍ケアに気を使ってる自信あるんですけど……ひとりちゃんも相当だと思います」

 

 今まで同年代の子と美容品の話をする機会もなくて、お母さんと相談しながら買い揃えるしかなかった。それがこうして、他ならぬ喜多さんに認めてもらえると自信も付く。ひとりさんのために、努力しておいて良かった。

 

「え!? このヘアケアのセット、かなり高いブランド物のやつじゃ……」

 

「私も気になってたんだけど、お値段的に手を取りづらかったのよねー」

 

「あ、まぁ、できれば良い物を使いたくて……?」

 

「ぼっちちゃんが綺麗な理由の、一端を垣間見た気がする……」

 

『え?? 喜多さんでも買い渋るような代物を私に使ってるの!?』

 

『ひとりさんの綺麗な髪を守るためなら、わたしは妥協を挟みません』

 

『ひ、ひえぇぇぇぇ……』

 

 ひとりさんにバレてしまったことで要らぬ気遣いを強いてしまいそうだが、こればっかりは止めるつもりもない。高ければ高いほど良いなんて盲信するつもりもないけど、高いには高いなりの理由があるのも確か。試供品を試した時にあまりの使用感の良さに感動した。愛用している理由の八割がそんな私情なのは、秘密とさせて欲しい。

 

 それに、わたしのお金の使い道なんてそれくらいしかないから良いのだ。ひとりさんはお小遣いに加えてバイト代までわたしに分け与えてくれるせいで、貯金箱の中身は増え続けるばかりなのだ。

 

 そもそも、ひとりさんのお小遣いは多過ぎる。まるで、初めから二等分することを想定しているかのような金額が、毎月のように渡されているのだ。その理由がわからないほど無関心にはなれないから、わたしだって使い方には気を付けてしまう。

 

「こんなに綺麗なんだから、ジャージ以外も着ればいいのに。ぼっちちゃんなりのこだわりがあるんだろうけど……勿体無いよ!」

 

「あ、いえ。私なんか虹夏ちゃんや喜多さんほど可愛くないですし……」

 

「ひとりちゃんはもっと自信を持つべきね。やっぱり私と夏服を買いに行きましょ? 一緒にコスメ見たりもして、きっと凄く楽しいわ!」

 

「き、機会があれば……」

 

「やったぁ! 約束ね、ひとりちゃん」

 

 ひとりさんの回答はいわゆる、消極的なお断りという奴なのだろうが。陽キャ流の勢いたっぷりな喜多さんにそんな意味合いが伝わるはずもなく。瞬く間に、喜多さんの中で約束へと変換されてしまっていた。

 

『わ、私、とんでもないことを安請け合いしたことになったのでは!?』

 

『良い機会ですし、どうでしょう。ひとりさんもオシャレに目を向けて見るというのは』

 

『直視した結果眩しさに焼かれそう……うぅ』

 

 本当ならこんな一歩引いた台詞ではなく、代わろうとか一緒に頑張ろうと言ってあげたい。でも怖いのだ、その約束を本当に守れるのか自信が持てなくて。自分の限界を悟る度に、先のない未来へと目を向けるのが怖くなる。

 

 こんなことを考えるのはよそう。今は、楽しい時間なのだから。

 

「かわいいぬいぐるみだねー。ぼっちちゃんも、こういうの集めるの好きなの?」

 

 続いて虹夏さんが反応したのは、普段は枕元である場所に置かれているぬいぐるみ達。いつも四、五体ほど日替わりに並べられていて、ふたりが持っているのを含めればまだまだ居る。虹夏さんが手に取っている、虎のぬいぐるみはわたしの密かなお気に入りだ。

 

 しょぼくれた顔をしていて、なんとなく俯きがちなのがひとりさんを連想させてしまい、ついつい可愛がりたくなってしまう。

 

「好き、といいますか。ゲームコーナーとかに行く度に妹が取ってーとせがんできまして……で、取ったら取ったで何故か私の部屋に置いていくんです」

 

 特に遊ぶのに使うでもなく、ふたりがぬいぐるみをわたし達の部屋に置いていく理由はわからない。ふたりが取って欲しいとせがむぬいぐるみは毎回わたし好みのデザインであり、そういう趣向が似通っているのがちょっぴりお姉ちゃんとして嬉しかったりもする。

 

「姉妹とっても仲良しなのね。ひとりちゃん、UFOキャッチャーとか得意そう!」

 

「あ、いえ。得意どころか、多分へたくそまであるかと……」

 

「得意じゃないのに、毎回取ってあげるの?」

 

「へ? そ、そうなりますね……」

 

「ぼっちちゃん、やっぱり良いお姉ちゃんなんだねぇ」

 

 虹夏さんがいたく感動していた。下手くそで何千円も吸い込まれながらも、諦めずにぬいぐるみを取ってあげる健気な姉の姿を想像したのだろう。実際は、わたしが数百円の投資で手に入れるのが現実である。

 

『に、虹夏ちゃんにあらぬ誤解を……でも、本当にUFOキャッチャーが得意なのはもう一人の私の方だし』

 

『実はわたしも、上手とは言い難い気がするんですけどね』

 

 こんな些細なことくらい自分の手柄にしたって良いと思う。ただ、結束バンドの皆でゲームセンターに遊ぶことはあるかもしれない。そこで余計な期待を生んでしまうのも微妙かと、納得する。

 

 言った通りに、多分わたしもUFOキャッチャーはあんまり得意じゃない。ひとりさんとの違いは単純に、そこまで自力で取ろうと頑張ってないかだけである。

 

 店員の前で何ゲームかプレイして、失敗する様を見せるようにする。その後、いかにも困った風に取れないのだと相談してみせれば、大抵の場合は取りやすい位置に景品をズラしてくれるものなのだ。最近になってふたり自身がそのやり方を実践していた話を聞いて、少しばかりの後悔も覚えてしまったけど。

 

「あ、これって皆で撮ったアー写ですよね」

 

「ほんとだ。ぼっちちゃん、こんなに大切にしてくれてるんだね」

 

「と、友達とそういう写真撮るの初めてだったので……嬉しかったんです。今でもよく、見返します」

 

 話題がまた移り、注目を集めたのはフォトフレームに収められた結束バンドのアーティスト写真。ひとりさん自身が語る通りに、初めての友達との思い出の一枚だ。

 

 この写真をひとりさんが大量に印刷して、壁中に貼ろうとしていたのには本当に度肝を抜かれた。ひとりさんの大切という気持ちの表れなのは理解できるが、絵面がホラーすぎる。こういうのは量より質なのだと説得をしたのは、未だに記憶に新しい。

 

「……そっか。ぼっちちゃん、学校では一人で過ごしがちなんだっけ」

 

「はい。ひとりちゃんの魅力を、私からみんなに伝えられたら良いんですけど……」

 

「あの、わ、私は結束バンドの皆さんが居てくださったら十分ですので……」

 

 不自然に途切れることとなった喜多さんの言葉には、どんな続きがあったのだろう。学校でのわたしが他人を避けていることに気付いてしまっている人だから、複雑な感情があることは想像に難くない。もちろんわたしだって、ひとりさんが学校で友達と楽しい時間を過ごすことを望んでいる。

 

 ただ、最近ひとりさんの友達の在り方でふたりと揉めてしまったわたし達としては、この話題はあまりにも気不味い。先程の楽しい空間から一転、一時的に微妙な空気が流れる。

 

『仕切り直すという意味でも、ここは一度飲み物を取りに行きましょう』

 

『もう一人の私、ナイスアイデア!』

 

「わ、私飲み物とか取ってきますので、楽にしててください……」

 

「ありがとう。ほら喜多ちゃん、そろそろバンドTシャツ考えるよ!」

 

「はーい」

 

 部屋を退出して、一時的に一階のキッチンへと戻る。これでいい。虹夏さん達も作業に入ることにしたようだし、帰った時には元の和やかな空気に戻っているだろう。後はわたし達も、気にした風もなく戻ってくればいい。

 

『コップはやっぱりワイングラスがいいかな……どう思う?』

 

『普通ので良いと思いますが……タルトの切り分けもしないとですし、良ければ代わりましょうか?』

 

『そ、そうなんだ。じゃあ、もう一人の私にお願いしようかな』

 

『任せてください』

 

 今は誰にも見られていないので、ひとりさんに代わってもらう。これくらいの準備はひとりさんも出来るので、代わってもらった理由はちっぽけなわたしの老婆心でしかなかったりする。両親は現在出かけているので、一階は静かなものだ。

 

 お茶の準備をして、昨日買ってきたフルーツタルトに包丁を入れる。最近テレビ番組で紹介された有名店のものらしいから、味は確かだろう。

 

 ヒヤリとする場面は何度かあったものの、今のところ順調だ。やはりあの時、自分の見栄を張り通して良かったと思う。この家で、ひとりさんが友達と楽しそうに喋る姿が見れたのだから。つい上機嫌になって、タルトを切り分けながら鼻歌なんぞ歌ってしまう。タルトはきっちり六等分、余ったのは両親とふたりの分だ。

 

 不意に、わたしの鼻歌が他の音で掻き消される。わん!という元気のよい鳴き声によって。

 

「ジミヘン?……わたしに構って欲しいなんて珍しいね。ふたりは一緒じゃないの?」

 

 我が家の愛犬であるジミヘンが駆け寄り、わたしの足元に鎮座していた。一度手を洗ってから、ジミヘンを撫でてやると加えて一鳴き。肯定、ということでいいのだろうか。

 

 そうした後に、なにやら首を上に向けてはわんわんと二鳴き。注目すべきはそっち、と主張するかのようだ。

 

「二階?……二階になにかあるの?」

 

『もう一人の私……ふたりって、お父さん達と出かけたんだっけ?』

 

「ふたりですか? いえ、今日はお留守番のはずですけど……」

 

 お父さんとお母さんのお出かけの誘いを、ふたりは直接断っていたので間違いない。言われてみれば、リビングの方を見渡してもふたりの姿は見当たらない。お母さん達の寝室で、お昼寝でもしているのだろうか。

 

『か、代わってもう一人の私!!』

 

「ど、どうしたんです、ひとりさん?」

 

『とにかく代わって、はやく!!』

 

 なんの説明もないままに、わたしが身体を明け渡すよりも速く、ひとりさんが身体の主導権を奪い取る。滅多にひとりさんがしない行動、それが緊急事態であることを何よりも物語っていた。聞いたこともない切羽詰まったひとりさんの声に、ますますわたしの困惑は強くなっていく。

 

 ひとりさんは用意していたお菓子も、ジミヘンすらも放ったらかしにして一目散に階段へと駆け出していた。そこまで至って、ようやく呑気過ぎたわたしも緊急事態がなんであるのかを悟ってしまう。

 

 虹夏さん達の前から席を外したわたし達。一階の何処にも姿が見当たらないふたり。これらの情報が意味することはなんなのか。わたしの心の内を、悪い想像が一気に駆け巡っていく。頭の冷静な部分が、その想像は今現実になっているのだと何度も突きつけてきて、目眩がしそうだった。

 

 何度も転びそうになりながら、ひとりさんが階段を駆け上がる。ひとりさんの部屋の襖から、声が漏れ出ていた。大きな声で何かを訴えかける、ふたりの声が。

 

「ギター弾かない方のお姉ちゃんはね、凄くて、カッコよくて、ふたりにとっても優しくって、ギター弾く方のお姉ちゃんが大好きなの!!……でも、でもね、きっとすごくさびしいんだとおもう」

 

 息が苦しい。わたしはふたりのこの感情に、どう向き合えばいいのだろう。虹夏さんと喜多さんはわたしの存在に対して、どんな感情を持ってしまったのだろう。何一つとして、答えなんて出せやしない。この現実を見て見ぬふりをして、なかったことにしてしまいたかった。

 

 でも、ひとりさんの足は止まらない。わたしが目を背けた事柄も、いつかは逃げられなくなるのだと示すように。どうあっても、止まってはくれない。

 

 

「ギター弾かない方のお姉ちゃんは、けっそくバンドが……虹夏ちゃんと喜多ちゃんのことが、大好きだから! 虹夏ちゃんと喜多ちゃんも、ギター弾かない方のお姉ちゃんのことを――」

 

「ふたりっ!!!」

 

 

 襖を思い切り開け放ち、けたたましい音が鳴る。そして、それに負けない程の絶叫じみたひとりさんの声が、部屋に響き渡っていた。

 

 ふたりが持っている、わたしが隠したはずの結束バンドを描いた絵。先程まで、ふたりが必死に語りかけていた言葉達。ふたりが持っている絵とわたし達を何度も往復する、動揺しきった虹夏さんと喜多さんの視線。

 

 その全てが、この状況が致命的に手遅れであることを物語っていた。

 

 あんなに穏やかな時間が流れていた部屋を、重苦しい沈黙だけが支配する。わたしが、何かを言わないと。この状況を解決できる言葉を吐けるとすれば、それはわたしだけだから。誰も悪くはない、気にしなくていいんだと、言わなきゃいけないのに。

 

 わたしはただ、こんなつもりじゃなかった現実に打ちのめされるばかりで。ひとりさんに、代わって欲しいという言葉を放つ勇気すら持つことができなかった。

 

「あたし達が頼んだの。ふたりちゃんに、お姉ちゃんのこと教えてって……だから、ふたりちゃんを怒らないであげて欲しいんだ」

 

 最初に沈黙を打ち破ったのは、意外にも虹夏さんだった。こんな異常な状況下でも、真っ先にふたりを庇おうとしてくれている。とても強く、優しい人だ。じゃあ、そんな人を巻き込んで呆然と見ているだけのわたしは、いったい何の化け物なんだろうか。

 

「怒っては、いないんです。ふたりがちゃんと家にいるか、心配になっただけで」

 

 ひとりさんの返答は、怖いくらいに冷静だった。今のわたしにはとてもできやしない、理性的で平和な答え。

 

 どんな感情を原動力として、その冷静さを発揮しているのかわかってしまうのが辛い。あからさまではない嘘を吐いてしまうひとりさんを、わたしは見たくなかった。

 

「ふたり。お姉ちゃん達、今から大事なお話をしなきゃいけないから。一階でジミヘンと遊んでようね」

 

「……うん」

 

 形式上の、この場を締め括るためだけの姉妹の会話。虹夏さんと喜多さんも、当然この言葉を額面通りに受け取ったりしないだろう。それでも、二人とも口を挟むことができない。迂闊に立ち入ってはいけない姉妹の問題だと、わかってしまうのだろう。

 

 ふたり自身が示した、わたしの存在のせいで。

 

 頷いたふたりの手を引いて、再びひとりさんが部屋を後にする。ただ冷え切った姉妹のやり取り。その中でふたりの手を取るひとりさんの手つきが、ひたすらに優しかったことだけが、辛うじてわたしの心を繋ぎ止めていた。

 

 

 ◇

 

 

「どうして、あんなことしたの?」

 

「……」

 

 一階のリビングで、目線を合わせたひとりさんが真顔でふたりを問いただす。悪いことをした自覚があるのかふたりはずっと俯いたままで、口を引き結んで何も語らない。ひとりさんも一切目を背けないから終わることがなく、こんな状態がもう、しばらく続いていた。

 

 虹夏さんと喜多さんを部屋に待たせ続けてしまっているが、わたしたちの誰一人として、そこに配慮を行き渡らせる余裕を失ってしまっている。

 

『ひとりさん、わたしはいいんです。バレても仕方ないって、ずっと思ってたくらいなんですから』

 

 これは心からの本音だ。バレた後の後始末なんて、わたしが勝手に傷付いていれば終わる話でしかない。むしろ、ふたりがバラしてくれて良かったとすら思っている。ふたりがそうしたのなら納得できるし、正当性があるだろうから。

 

 こんなことで、ひとりさんに怒ってほしくない。怒りなんて、最もひとりさんから縁遠い感情だ。それを向け続けるのは、本人が一番辛いはずだ。それを向ける相手が妹のふたりなら、尚更。

 

『ごめんもう一人の私。今だけは、何も言わないで欲しい……』

 

『……すいません』

 

 しかし、こう言われてしまえばもう黙るしかない。かつて自分がひとりさんを突っぱねた卑怯な言い方。そのズルさがまさに今わたしに返ってきていた。

 

 ひとりさんはもう、わたしを言い負かす手段すら持ち合わせている。それを今、こんなタイミングでだけは知りたくなかったけど。

 

「お姉ちゃんとの約束なんて、どうでもよかった?」

 

「そんなことないっ!」

 

 ひとりさんが切り口を変えると、ふたりは初めて反応を返した。ふたりにとって我慢ならない一言だったのだろう。それはそうだ、ひとりさんとの約束が大事じゃなかったはずがない。大事で、何よりも大切だったはずで。

 

 それでも破らざるを得なかった理由が、何かあるはずなのだ。

 

「約束を破ったら、ギター弾かない方のお姉ちゃんが困ること。ふたりはちゃんと知ってたよね」

 

「……うん」

 

 ひとりさんの叱り方は理知的だ。頭ごなしに否定せず、ふたりの事情もしっかり聞いた上で叱ろうとしている。決して理不尽な怒りを向けているわけじゃないから、止められない。止めるための理由を、見出すことができない。

 

「じゃあ、ふたりはどうしてあんなことしたの?……なんで、約束を破っちゃったの?」

 

 ひとりさんも、怒りの限界が来てしまったのかもしれない。叱るような剣幕はもう既になく、納得できる理由であって欲しいと、ふたりに縋ってすらいるような声の絞り出し方だった。

 

「……いやだった」

 

 ふたりもまた、ひとりさんの限界に呼応するように。固く引き結んだ口が解けて、その本音が漏れ始めてしまう。

 

「お姉ちゃんの友達が、おねえちゃんのともだちなのにっ……おねえちゃんのことしらないのが、どうしてもいやだった! だからわたしっ、がまんできなくて、それでっ……」

 

 ありったけの、ふたりの小さな身体には重すぎるほどの気持ちを吐き出して。そして堰を切ったかのように、ふたりは泣き出してしまった。それも普通の泣き方ではない。自分が泣く資格なんてないとばかりに、必死に声を抑えようとして。でも涙と悲しみは後から何度もやってくるから、堪えきれなくて何度もしゃくりあげてしまう。

 

 五歳の女の子がする泣き方ではなかった。幼い妹にさせていい泣かせ方では決してなかった。こんな状態にまで追い詰めてしまったのは、わたしの罪だ。自分の罪の罪禍を、まざまざと見せつけられている。

 

「ごめんなさい……おねえちゃん、ごめんなさい……」

 

 涙を流しながら、許しを乞い続けている。本当に悪いのはわたしなのに。健気な妹の優しさに甘え続けた結果がこれだ。大切を胸に秘め続けるなんて、誰かに背負わせていいことではなかったんだ。ふたりなら大丈夫だなんて、勝手に見放して。自分はいつか消えるからと、己しか省みることをしなかった。

 

 隠し続けることの辛さなんて、わたしが一番に気付いてあげなくちゃいけなかったのに。

 

『ごめん。私これ以上、ふたりを叱れない……』

 

 脳裏にひとりさんの言葉が響く。その言葉尻は震えていて、今にも崩れそうな危うさを孕んでいる。驚きはない。ふたりが辛いのなら、ひとりさんも辛いと考えるのが、当然の道理だったから。

 

『私もふたりと、同じだったから。もう一人の私だけが欠けた世界で、結束バンドの皆が笑ってて……私も笑ってる。そういう時間が、たまにだけど……すごくつらかった。だから、ごめん』

 

 わたしの意識が唐突に浮上する。心の奥底に引っ込むことで、わたしに泣いている姿を見せないように、慮ってくれたのだろう。大切な人の悲しみを分かち合ってあげることもできないという事実が、こんなにも無力と感じるなんて知らなかった。

 

 瞬きをすると、目尻に溜まった涙が一粒だけ溢れ落ちた。ひとりさんはほんの一瞬だけ引っ込むのが遅かったのかもしれない。泣きそうになったことは山ほどあれど、ほんとうに涙を流したことは一度もないから。場違いにも、新鮮味を少しだけ味わってしまう。

 

 手の甲で掬い取るとひとりさんの涙は、透き通っているかのように純粋に見えて。やはりこれは、わたしから流れ落ちるものじゃないんだって納得してしまう。

 

「辛かったのか、ひとりさんは」

 

 ぽつりと呟いて、今更気づくなんて馬鹿なのかと己を罵倒する。知っていたじゃないか、隠しごとに向かない人で、承認欲求を拗らせた人だって誰よりも知っていた。そんな人が、大切を隠し続ければパンクするなんてもっと早くに察してあげるべきだった。折を見て、もういいんだよってわたしが言ってあげなきゃいけなかった。

 

 わたし一人が強がって見せる分にはいいと思っていた。でもそれは結局、ひとりさんにもずっと強がることを強いてしまっていて。その結果がこの顛末なのだから、救えない。

 

 ふたりを泣かせて、ひとりさんまでも泣かしてしまった。傷付け、悲しませてしまうくらいなら消え去るべきだと己に課していたのに。消え去りたくなるような罪を自覚しても、いつかのような統合の前兆は訪れてくれない。わたしは意外と、生き汚いのかもしれない。

 

 こんなわたしが、今更何をしてあげられるのというのだろうか。

 

「ごめんなさい、ふたり。たくさん我慢させちゃったよね……本当に、ごめん」

 

「ぎたーひかない方の、おねえちゃんは、わるくないっ……わたしが、ふたりが、わるいこっ、だったから……」

 

「違う。ふたりは誰も傷付けてない、気にしなくていいの……ふたりはいつだって、わたしの立派な妹だよ」

 

 痛ましく涙を流し続けるふたりは放っておけなくて、ハンカチで涙を拭ってあげながら慰めの言葉をかける。出まかせの、抜本的な解決にもならない空虚な言葉にどれほどの意味があるのだろう。その結果を示すように、ふたりの涙も止まってはくれない。

 

 わかってはいるのだ。わたしのやるべきはハリボテの言葉を並べることじゃなくて、今すぐにでも自分を大切に扱うことだって。それだけが、ふたりとひとりさんの涙に報いる方法なんだって、理解だけはしている。

 

 でも、どうしても無理なんだ。消えればいい、死んでしまえばいい、もとより生まれるべきではなかった。自分を否定する言葉と感情はいくらでも湧いて出てくるのに、わたしを大切にしてあげられるやり方はこれっぽっちも思い付いてくれない。

 

 今更過ぎるのだ。ひとりさんの代わりとして生まれて、自分の存在を常に下に置いて生きてきた。だんだんひとりさんの人生を奪うことが怖くなって、いつかいなくなることだけを免罪符に生き長らえてきたのに。そうすることでしか自分を保てなかったわたしが、どうして自分を大切になんてできるのだろうか。

 

 そして現実的な視点で考えた時にも。社会で生きる上で、いつかわたしの存在は必ずひとりさんのハンデになる。冷たい現実ばかり目を背けることができなくて、消え去るしかないとわたしの理性は一度も結論を変えてくれたことがない。

 

 こんな惨状を目の前にして、ふたりとひとりさんの涙を目の前にしているのに。自分が消え去るべきだと断じることしかできないわたしを、人でなしと呼ばずして何と呼ぶのだろうか。

 

『答えはもうひとりちゃんの中にあるんだって信じてみてよ』

 

 優しくない人でなしだから、結論は変えられない。でも、こうやって自分を追い詰めることが最も愚かだということも証明されていて。自分を肯定することは不可能で、自分を否定することも許されない。わたしの進むべき道なんて、あるのだろうか。

 

 きくりさん、わたしの中に答えなんてあるのでしょうか。信じてみたいのに、わたしにはもう、わからないのかもしれません。

 

「これからは、我慢しなくていいよ。家族以外にだって、好きなだけお姉ちゃんの話をしていい……だから、だから」

 

 わたしはまだ、ふたりのお姉ちゃんとして側に居ていいかな。

 

 妹に決して向けてはいけない言葉を、自己否定とともに呑み込む。その関係すら疑ってしまう言葉を吐き出してしまえば、本当におしまいだ。

 

 ふたりは耐えきれなくなったように、わたしの胸に顔を押し付けながら泣きじゃくる。少しだけ安心した。さっきみたいに、一人で涙を堪えてしまうよりはよほど良い。

 

 縋り付いてくるふたりの身体にそっと手を回して、あやす為に後頭部を何度も撫でる。こうして抱きしめることすら、何度も手を彷徨わせてやっとできたことに、無性に泣きたくなる。思いっきり涙を流せば、この陰鬱とした心模様も少しは晴れるのだろうか。

 

 首を横に振る。わたしの生涯のこれまでとこれからに、涙という弱さは存在しない。

 

 ヒーローですらない人でなしに、涙は必要ない。

 




 後藤家訪問編、前編といったところでしょうか。かなり地獄すぎる場面で切ってしまった気もしますが、ご容赦ください。後編に当たる部分も、現在執筆中ですので必ず近いうちに投稿します。
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