コミュ症を拗らせ過ぎた結果、もうひとりの人格を生み出してしまったぼっちちゃんの話 作:モルモルネク
ひとりさんの自室の押し入れ。その薄暗く狭いジメジメとした空間が、ひとりさんのギター演奏のホームグラウンドだ。ひとりさんはそこで、正座をして小さく蹲るようにしながらギターを構える。そしてわたしは、ただひっそりと意識の底でひとりさんの演奏に耳を傾ける。あの日、ひとりさんがギターに触れてから毎日欠かさず行われている、わたしたちのルーチンワークだ。
ひとりさんが器用に指先を動かして、ギターの弦を掻き鳴らすと、アンプを通じて電子的な信号がわたしの聴覚へと叩きつけられる。普段のひとりさんからは考えられないような、自信に満ち溢れたストローク。そこから放たれる音色は、聞け、そう強く主張するかのような情動を感じられた。わたしが三年間欠かすことなく聞き続けた音楽。わたしにとっては、ひとりさんのギターこそが音楽そのものになってしまった。
そう、ひとりさんがギターを弾き始めてから三年が経過した。その間、欠かすことなく練習を続けたひとりさんの腕前は、それはもうわたしでは推し量れないほどにレベルアップしていた。音楽の良し悪しをわたしなんかが語るのは烏滸がましいかもしれないけど、ひとりさんは技術だけならプロにも負けていないのではと思っている。
『今日も良かったですよ、ひとりさん』
「もう一人の私……」
『な、なんでしょうか……?』
演奏を終えたひとりさんに労いの言葉をかける。しかし、その返事の声はとても暗かった。コレは明らかにわたしに褒められて自尊心を満たすモードに入っていない。きっと、いや、確実にこれからひとりさんは自己否定のスパイラルに陥る。そうなってしまえば、立ち直らせるのは一筋縄ではいかないのだが、予知できたところでひとりさんのコレを止めることはできない。わたしにできることは、ただ続きの言葉を促すだけだ。
「……私はどうして、こんな場所で一人ギターを弾き続けてるんだろう?」
『それは、その……バンドメンバーを集められず、ライブに出られなかったからじゃないでしょうか?』
「う、ううう……。やっぱり、私は三年かけてもバンドメンバーどころか友達ひとりすら作れないダメ人間!心の拠り所といえば、ギターともう一人の私だけ!引きこもり一歩手前の社会不適合者なんだ……」
ひとりさんの発作が始まってしまった。首はガクガクと痙攣させてるし、何か良からぬ液体が口から垂れているような感触もある。中学生の頃より、確実に悪化してしまっている。
ひとりさんの夢、バンドメンバーを集めて文化祭でライブをすること。その夢は中学の三年間で果たされることはなく、わたしとひとりさんは高校生になってしまっていた。
一応、ひとりさんも頑張ったのだ。CDを持ってきて机に置いたり、バンドグッズを持ってアピールしたり、お昼のリクエストソングでデスメタルを流してみたりと。あまりに他力本願で努力の方向性として間違っているかもしれないが、どれもひとりさんにとっては勇気のいる行動だったはず。だから、わたしだけはその積み重ねを評価してあげたいと思う。
わたしも協力したけれど、あまり力になることはできなかった。わたしが表に出て、近くの席の子や一緒に掃除当番になった子に声をかけて、交流を深めてみたり。三年生の時には文化祭に出るために、バンドメンバー集めをわたしが行ったこともある。ただ、どれもうまくはいかなかった。どんなに関係が順調に進んでも、いざわたしが引っ込んでひとりさんが関わる段階になれば、すべて崩壊した。
別に、ひとりさんが悪いわけじゃない。わたしが上手に付き合える人でも、ひとりさんが精神的に受け入れられないのは当たり前の話。わたしとひとりさんは同じ身体に存在しているとはいえ、好みも性格も何もかも違う別人格なのだから。そもそもの話、ひとりさんの交友関係のために、別人のわたしがでしゃばってあれこれするなんて、あまりに傲慢な行為で上手くいくわけがなかったのだ。
ひとりさんの友達もバンドメンバーも、ひとりさんが作らなくてはならない。それが中学の三年間で学んだことだった。わたしが未熟なばっかりに、ひとりさんやわたしに関わってくれた人達みんなを不幸にした。反省しかない、わたしも自己嫌悪に陥りそうだった。しかし、わたしまでもがネガティブになっては、ひとりさんが一生このままになってしまうので、そんな暗い考えは思考の隅に追いやることにした。
『過去を悔やんでも仕方がありません。未来に眼を向けましょう、ひとりさん。新環境である秀華高校で、今度こそライブをやりましょうよ、ね?』
ひとりさんの通う秀華高校は県外で、移動に片道2時間もかかってしまう紛れもない新環境だ。自分の過去を誰も知らない高校に通いたい。それがひとりさんの希望だった。小学校から中学校という連続した変わり映えのしない環境は、ひとりさんに悪影響しかなかったから、わたしもそれに同意した。お父さんとお母さんはさすがに反対したけれど、わたしの説得と説得材料にしたわたしの成績で、渋々ながら納得をしてくれたのだ。
「でも、もう一ヶ月経つのに私、クラスメイトに話しかけられたことないし……。既にもう一人の私に頼りっぱなしだし。やっぱり私みたいな陰キャにライブなんて無理だったんだよ」
わたしの言葉は、焼け石に水とばかりにひとりさんにはちっとも響いていなかった。ただ、ひとりさんがこう返したくなる気持ちもわかる。環境を大きく変えたのに関わらず、結果は中学の焼き直し。不貞腐れたくもなるだろうし、わたしもこの問題に具体的な助言ができなくなってきている。
強いていうならば、ひとりさんが頑張ってコミュニケーションに臨むしか解決法はないのだろう。でも、ひとりさんは頑張ってないわけじゃない、むしろ頑張り続けている。頑張って頑張って頑張り続けてあの結果で、そんなひとりさんに「もうちょっと頑張ろうよ?」なんてわたしは口が裂けても言えやしない。
アドバイスができない以上、仕方がない。わたしはあまり使いたくはない、禁断の奥の手を使うことにした。
『そんなことありませんよ。……だって、ひとりさんは登録者3万人越えの人気ギター動画投稿者【guitarhero】じゃないですか! そんなスゴい人にやってやれないことなんてないはずです』
「え、えへ、そ、そうだよねぇ! 私、ギターヒーローだもんね!文化祭でライブをやるくらい、お茶の子さいさいっていうかぁ……うへへ、へへ」
奥の手の効きはあまりにも迅速で、あれほど自己否定を繰り返していたはずのひとりさんの姿は既にない。根拠のない自信に満ちあふれる、自己肯定マシマシのひとりさんに早変わりしていた。
ギターヒーロー、それは動画投稿サイトのアカウント名。投稿されている動画はもちろん、ひとりさんのギター弾いてみた動画のみだ。顔出しもせず、一言足りとも喋らず、刺激的なパフォーマンスがあるわけでもない。ただ、売れ線バンドの曲をひとりさんが片っ端から掻き鳴らす、それだけのアカウントに3万人ものチャンネル登録者がいる。それは、3万人もの人間を純粋なギターの腕前だけで惹きつけたという他ならぬ証拠であり、ひとりさんの自尊心の源となっている。
だから、そこをちょっと刺激してあげればひとりさんは復活する。やり過ぎると、今度は動画投稿者として生きるので学校辞めると主張し始めるので、使いすぎは厳禁。だからこその奥の手である。
「そうだ、今日も人気バンドのカバー動画アップしなきゃ……。あっ、前の動画にもうこんなコメントついてる、さすが私」
『大衆も、ようやくひとりさんの良さに気付いてきたようですね』
すっかり上機嫌となったひとりさんは、ノートパソコンを操作して自分の動画のコメント欄を見て悦に入っている。わたしもコメント欄に眼を通してみると、そこはひとりさんを賞賛するコメントばかりで、彼らはみんなギターヒーローこと、ひとりさんのファンであることが窺えた。わたしの敬愛するひとりさんが褒められているのは、鼻が高い。その上、わたしはこの演奏を毎日余すことなく味わっているんだぞ、なんて優越感も湧き上がってきていて。不覚ながら、わたしもひとりさんと同じくらい御満悦である。
【この曲バンド組んで文化祭で弾きました!全校生徒全員盛り上がりました〜!】
「いいなぁ、ライブ……」
そんなわたし達を現実に引き戻したのは、キラキラと青春でコーティングされた一際眩しいコメントだった。なんて恐ろしいコメントなんだろう。もし、ひとりさんが先程ネガティブを終えてなかったら、フラッシュバックで精神をやられていたに違いない。ぽつりと羨むだけだったひとりさんの様子に、わたしはほっと一息吐きたい気分だった。
「その手があったか!?」
『うわっと……ひ、ひとりさん?』
そんな矢先、完全にボリューム調整をミスった大声を出し、天啓を得たとばかりに押し入れの天井を見上げるひとりさん。その様子はまるで、世界の秘密を知って打ち震えているかのようだった。
きっと、コメント欄に影響を受けて何か思いついてしまったのだろうけど、ひとりさんの視線はもうパソコンに向けられていないので、わたしに確認する術はない。ただ、こういったひとりさんの突発的な思いつきは悉くうまくいかない。それがわたしの経験則。しかし、わたしの言葉なんて耳に入っていないかのように、なにやらウキウキと部屋を漁り始めるひとりさんを止める気には、やっぱりなれなくて。
『どうか明日こそ、ひとりさんが報われますように』
狭い部屋の天井に、通算何度目かわからない祈りを捧げておくことにした。
◇◇◇
翌日、わたしとひとりさんは2時間ほど電車に揺られた後、高校へと続く通学路を歩いていた。ひとりさんの足取りは軽い。いつもは学校に行きたくない思惑が滲み出てしまうほどにトボトボと歩くのに、今日に限ってはスキップすら始めてしまいそうな陽気さだ。一転、わたしの方はといえば学校にたどり着くのを1秒でも遅らせたかった。その先の結果を直視したくない。そう思ってしまうくらいに今のひとりさんの格好は、アレだった。
『あの、本当にこの格好で学校に行くんですか……?』
我慢できずにそう問いかけると、ひとりさんは足を止めて、お店の窓ガラスに映った自分の姿をまじまじとみる。そこに映っているのが、いつも通りのジャージ姿のひとりさんならどれほど良かっただろうか。
いつもの垢抜けないジャージ姿に背負われたギターはいい。本当はジャージで登校するのもどうかと思うけど、まだひとりさんらしいと言える。だが、片腕ごとに6つも付けられたカラフルなラバーバンド、缶バッジが所狭しと並べられたトートバッグ、わざわざファスナー全開にして見せびらかしている前衛的なロゴのバンドTシャツ。それらが恐ろしいほどの個性を主張してしまっていた。言葉を選ばずにいってしまうのなら、ダサかった。
「う、うん。……今日の私、カッコよくキマってるよね?」
『……ひとりさんはいつでもカッコいいですよ』
口から出かかるありとあらゆる否定の言葉を飲み込んで、とにかくズレていようがひとりさんを肯定する言葉を吐き出す。わたしはひとりさんの逃げ道だ。現実はひとりさんに辛く厳しいから、わたしだけはひとりさんを肯定してあげなければいけない。だから、決してダサいだなんて感想を口にしてはいけないのだ。今のひとりさんはハイセンス。思い込め、わたし。
「もう一人の私ってば褒め上手! ……うん、我ながら只者じゃない感が半端じゃない。存在感すごい!」
『……今日のクラスではきっと一番ですよ』
只者じゃない感が半端じゃないのも、存在感がすごいのも決して間違いじゃない。だけど、ひとりさんのソレは決してオシャレなバンド女子としてのものではない。それは、TPOを弁えない痛々しいバンドオタクとしての存在感になってしまっている。そんな事実を伝えたら、今日の学校は全部わたしがこの格好で過ごす羽目になってしまうので、間違っても言えないけれど。
まぁ、センスの良し悪しはともかくとして、今のひとりさんが目立つ格好であるというのは紛れもない事実。ひとりさんの作戦はきっと、バンド女子としてアピールすることで音楽好きに話しかけてもらおうという魂胆なのだろう。中学の時と同じく他力本願ではあれど、その趣旨でいえばひとりさんの服装は決して間違いじゃない。明らかに過剰なのはこの際眼を瞑るとしよう。そう、クラスにこの格好のひとりさんでも臆せず話しかけてくれる、肝っ玉の持ち主さえいれば成功するはずなのだ。
そんな人、わたしのクラスにいるのだろうか?
「はぁ〜……」
そんなのいるはずがなかった。浮かれた気分のままに、あの姿のまま学校へと突撃したひとりさんの末路は悲惨だった。教室に入った瞬間は、確かにクラス全員の注目を集めることができた。だが、それだけだ。すぐさまクラスメイト達は凄いものを見てしまったと、一斉に眼を逸らしてしまう。そして、そこから誰もひとりさんを視界に入れようとはしなかった。
ひとりさんも最初は抵抗していた。音楽雑誌を読んだりして、更なるバンド女子感をアピールしようともしていた。しかし、時間が経つ度にその精神は削られていき、ジャージのファスナーは閉められて、ラバーバンドは外されていき、時間と共に武装解除を余儀なくされていって。放課後には完全に武装解除して、フルアーマーひとりさんはただの陰キャに逆戻りしていた。
圧敗したひとりさんは敗走。学校から出ると帰路につくわけでもなく、フラフラと街中を彷徨っては、最終的に寂れた公園のブランコに腰を落ち着けて、深いため息を吐き出していた。ファミレスや喫茶店じゃなく、誰もいない公園というあたりがなんともひとりさんらしい。
「まぁ、私も分かってはいたんですよ。他力本願で物事がうまくいくはずがないなんてことは……あ、今のなんだかもう一人の私っぽい」
ひとりさん自身が、おかしなテンションに身を任せていたことをだんだん自覚してきたようで、それほどショックが大きくなさそうなことだけが幸いだった。
『でも、これでひとりさんがバンド好きだってことは嫌でもみんなに伝わったはずですから。一歩前進……今日も頑張りましたね、ひとりさん』
「うぅ、もう一人の私の優しさが傷ついた心に染み渡る……」
目元に湿った感触。ひとりさんはどうやら涙ぐんでいるようだ。わたしの何気ない言葉にこんなにも感情を見せてくれて、同じ身体に住む人格のはずなのに、わたしとひとりさんは別の生き物のように思えてならない。ひとりさんの心は純粋で、精巧な硝子細工のように繊細で脆く傷ついてしまいやすい。わたしのような無骨な人格とは違いすぎる。だから、わたしという外骨格が現実との緩衝材になってあげなければいけないのだと、強くそう思う。
さて、この後はどうしようか。そうだ、この前ひとりさんが興味を向けていた、オシャレな喫茶店に行くのも良いかもしれない。入店とか店員とのやり取りとか、そういったひとりさんが尻込みする事柄を全部わたしがやってしまえば、ひとりさんも安らいでくれるはず。名案、そうと決まれば早速ひとりさんに提案を……と思ったところで、一際大きく朗らかな声が公園に響き渡った。
「あっ、ギターーーーー!!」
「あっ、えぇ、な、なに……?」
突如襲ってきた見知らぬ誰かの声に、ひとりさんは可哀想なくらい狼狽えながら声の出所を探る。そうすると、そこには同年代くらいの女の子の姿があって。そして、彼女はみるみるとこちらに駆け寄ってきていて、あっという間にひとりさんのパーソナルスペースに侵入しそうな勢いがあった。
「ひぇぇ……。もう一人の私、お願い!」
『任せてください』
ひとりさんからの緊急ヘルプ要請に頷くと、ひとりさんは意識の底にそそくさと引っ込んでわたしの意識が浮上する。見知らぬ他人からの唐突すぎる接触。ひとりさんが逃げてしまうのも無理からぬことだろう。身体の主導権を得たわたしはブランコから立ち上がり、近づく女の子を迎え入れる。
「それギターだよね。弾けるの?」
「はい、弾けますよ」
女の子の第一声は、やはりギターについて。まさか、ギターを弾いているところが見てみたいだなんて安直な理由で声をかけた訳じゃないはずだ。女の子のその質問の意図を測りかねつつも、わたしは努めてにこやかに回答しながら女の子に顔を合わせる。
金髪のサイドテールに、首元に巻いたリボン結びのスカーフが特徴的な可愛らしい女の子だ。声もハキハキとしていて愛嬌もあり、おおよそひとりさんとは別の世界で生きている人間に違いない。そんな女の子が、切羽詰まった様子でギターの演奏者を求める理由はなんなのだろうか。
「そっかそっか、良かったぁ〜……じゃなくて! いきなりごめんね。あたし、下北沢高校二年の伊地知虹夏」
「わたしは秀華高校一年の後藤ひとりです。よろしくお願いします、虹夏さん」
『あまりにもスムーズ……これが陽キャ同士の会話』
色々会話をすっ飛ばしていることを思い出したのか、虹夏さんが自己紹介をしてくれたので、私も倣って自己紹介をして軽く頭を下げる。ひとりさんなら絶対取らない対応をしているが、他校の生徒ならば問題はない。少しでもひとりさんに良い印象を持って欲しい、ただその一心で会話をする。
ひとりさんもちゃっかり裏で話を聞いているようで、そんな思考がわたしに流れてきていた。多分、わたしも虹夏さんも根っからの陽キャという訳ではないだろうし、陽キャでなくてもこれくらいの自己紹介は……いや、やめよう。わたしの不用意な思考で、ひとりさんをこれ以上傷つけるわけにはいかない。
「丁寧にありがと。ひとりちゃんしっかりしてるんだねぇ」
「いえいえ。わたしなんて、うっかりやらかしちゃうことも多いですし……。それで、虹夏さんはわたしにどういったご用でしょう?」
「あ、そうだったね。……その、今ちょっと困ってて。無理だったら大丈夫なんだけど、大丈夫なんだけどぉ……うん、思い切って言っちゃおう!」
話を繋げつつ、虹夏さんにどういった要件か尋ねると途端に歯切れが悪くなった。頼み事が苦手そうにも見えないのに、こうも戸惑うのはそれほどの厄介ごとなのだろうか。
「お願いっ! あたしのバンドで、今日だけサポートギターしてくれないかなぁ!?」
「バンド、ですか?」
「これからライブなのにギターの子が突然辞めちゃって……。どうか、何卒、何卒〜!」
『む、無理無理無理無理。私が今から知らない人とライブなんて……』
両手を合わせて拝み倒してくる虹夏さんに、人見知りから拒否の言葉を並べ立てるひとりさん。本来なら、ひとりさんの意見に従って断るのがわたしの役目。しかし、わたしは今回あえてその役目を一旦放棄することにした。
だって、これは千載一遇のチャンスだ。誰かがひとりさんをバンドに誘ってくれる。そんな他力本願のひとりさんが夢にまで見たシチュエーションが今、奇跡的に実現しているのだから。この奇跡を逃してはいけない。そう確信したわたしは、ひとりさんを説得するために行動を起こすことにした。
「あの、すいません。両親に連絡をする時間を貰っても大丈夫でしょうか? 終わったら、バンドの件は必ずお返事をしますので!」
「もちろん。あたしこそ、急にやってきて無茶なこと頼んじゃってごめんね。ゆっくりで大丈夫だから〜」
スマートフォンを取り出して、電話をしたいと持ちかけると虹夏さんは快く頷いてくれた。もちろん、両親にわざわざ電話をするなんていうのは嘘だ。ひとりさんを説得する時間を得るための言い訳に過ぎない。待たせてしまうことを心苦しく思いつつも、スマートフォンを持ったまま公園の片隅に移動する。万が一にも、わたしとひとりさんの会話が虹夏さんの耳に触れることがないようにだ。
『も、もう一人の私。電話ってなんで……』
「あれは嘘です。ひとりさん、わたしの話を聞いていただけるでしょうか?」
『う、うん』
電話をするという言い訳を使った以上、喋っていないと不自然なので口頭でひとりさんに話しかける。引っ込み思案が悪さをしているだけで、ひとりさんもライブをやりたいと思っているはず。だから、勇気づけてあげればきっと、今回の話を受け入れてくれると信じたい。
「虹夏さんのバンドのサポート、受けてみませんか? ひとりさんにとって、これ以上ないチャンスだと思うんです。ギターが辞めてしまったようですから、上手くいけばバンドに入れてもらえるかもしれません」
『む、無理だよ。私もライブはやってみたいけど、虹夏ちゃんみたいな人と私が一緒になんて……迷惑になっちゃうだろうし』
「今回は虹夏さんの方から誘ってくれているんですから。だいぶ緊急事態みたいですし、感謝こそされど迷惑に思われたりなんてしませんよ。……それに、仮にそんなこと言われたら、わたしが許しませんから」
決めるのは最終的にひとりさん自身。だからひとりさんも本心ではライブに出たがっている事実に安心した。この説得はわたしの独り善がりではない。そうわかったのなら戸惑う必要なんて一つもない。普段より強い言葉を使ってひとりさんに語りかけていく。
『もう一人の私は……私がライブに出たら、嬉しい?』
「そんなの、当たり前です。わたしはひとりさんのファンですから。ライブでカッコ良くギターを弾くところ、是非見てみたいです」
『……わかった。私、頑張ってみる』
わたしの説得が功を奏したのか、ひとりさんは控えめながらも頷いてくれた。わたしは思わずガッツポーズなんてしてしまいそうだった。それくらいにこの一歩は偉大だ。ここがひとりさんの伝説のはじまり。ここから多くの人々をそのギターの音色で魅了して、ゆくゆくは武道館を賑わせるほどのビッグなバンドスターになるに違いない。ひとりさんにはその才能がある。小躍りすらしてしまいそうなほど晴れやかな気分だ。
いけない、落ち着こう。まだライブが成功したわけでもないのに、演奏するわけでもないわたしが浮かれてどうする。これから頑張るのはひとりさんだ。ひとりさんが少しでもライブに集中できるようフォロー、それくらいしかわたしには出来ないのだから、その役目を全うしなければ。
「そ、それでは虹夏さんのところに戻りましょう。待たせてしまってますし……ほら、ひとりさん交代です」
『ガッカリされたらどうしよう……死ぬしかないかな』
「虹夏さん優しそうでしたし大丈夫ですって! ほら、わたしも裏からお話のサポートしますから。……あと、わたしに話しかけても良いですけど、いつもみたいに声に出しちゃダメですからね」
わたしの後押しによって、ひとりさんはなんとか表に出てきてくれた。そして、猫背で俯きながら虹夏さんのところへと歩いていく。ひとりさんは不安そうだったが、虹夏さん面倒見も良さそうだったし、そもそもお互い音楽好きの仲間のはず。きっと、二人の相性は悪くないのだとわたしは思うのだ。
「……あ、あのぅ、お、お待たせしました」
「ううん、全然大丈夫……ひとりちゃん、さっきよりなんか元気ない?」
ひとりさんと虹夏さんのファーストコンタクトで、さっそく虹夏さんにわたしとひとりさんの違いを感じ取られてしまっていた。顔は俯きっぱなしだし、目を合わせようとしないし、そもそも声がわたしの時より小さすぎる。わたしとひとりさんの違いなんて歴然で、誰だって気付いてしまう。
中学三年のバンドメンバー集めの時もそうだった。わたしが声をかけてバンドメンバーを集めて、親密になっていって。そうしてしまったから、初の合わせ練習のときにひとりさんが表に出るとすぐに気付かれた。メンバーの一人が『元気ないね、大丈夫?』と声をかけた瞬間、ひとりさんは盛大に吐き出しながら意識を失った。わたしと思われながら演奏をすることに、ひとりさんは耐えられなかったのだ。当然、一度も合わせ練習をすることもなくバンドは解散。わたしもひとりさんも心に大きな傷を負った。
だが、今回は違う。わたしと虹夏さんはまだ数分しか話していないから、虹夏さんとひとりさんは一からの信頼関係を築けるだろう。それに、今回は誘われている立場なのだから、ひとりさんも気兼ねなく一緒に演奏ができる。本当に、かつてないほどの好条件。この話を運んできた虹夏さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
『う、疑われている……ど、どどどどどうしよう!?』
『虹夏さんは心配してくれているだけですよ。……えーと、そうですね。お父さんの好きなバンドが解散して、ショックを受けていることにしましょう』
急にテンションが下がったように見えるのは虹夏さんも不安だろうし、理由づけが必要だった。だから、偽の電話の内容を改竄して伝えるようにひとりさんに指示を出した。これなら、親子でバンド好きなのが虹夏さんにも伝わるし、変に虹夏さんが心配してしまうこともないだろう。
「あっ、えっと……電話で、お父さんが好きなバンドが解散したってめちゃくちゃ落ち込んでて。……それで私、どうやって励まそうかなって悩んでまして、ハイ」
「あちゃー、それはショックだろうねー。……ひとりちゃんは、お父さんと仲良いんだ」
「あっはい」
わたしの嘘はうまく機能したようで、虹夏さんも納得してくれた。ひとりさんの相槌があまりにも単調なのはもう仕方がない。初対面の人間相手にきちんと会話ができているだけで、上出来なのだから。
お父さんの話を出したとき、一瞬だけ虹夏さんの表情が曇ったように見えたのはわたしの気のせいだろうか?
「じゃあ、ひとりちゃん。バンドのサポートの件なんだけど、どうかな?」
「……ふ、不束者ですが、よ、よろしくお願いします!」
「ありがとう! よーし、それじゃあ早速ライブハウスへゴー!!」
「あ、ああああのあの虹夏ちゃん待って心の準備が、ああああぁぁぁ……」
さっきはゆっくりで良いと虹夏さんは言っていたものの、緊急事態故にあまり時間の余裕がなかったのかもしれない。ひとりさんの手を取っては、問答無用とばかりに引きずるようにして公園から駆け出してしまっていた。
そんな虹夏さんの手が、わたしにはとても心強く思えた。だって、わたしはひとりさんの側に寄り添うことはできても、こうして手を引っ張ってあげることは決してできないのだから。