コミュ症を拗らせ過ぎた結果、もうひとりの人格を生み出してしまったぼっちちゃんの話   作:モルモルネク

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えー、またやりました。めちゃくちゃ長いです、大体店長さんのせいです。


星のようにはなれなくて

 

 あれから数日、ひとりさんのバイト初任の日は瞬く間にやってきた。もはや馴染み深いような気もする下北沢の地を歩き、目指す先はもちろん今日からの職場となるライブハウスSTARRYだ。

 

 表に出ているのはひとりさんではなくわたし。俯かずひとりさんよりちょっとだけ高い目線で街並みを見据えると、不思議と心地良かった。すれ違う人達はわたしになんて一瞥もくれず通り過ぎるだけで、わたしの居場所はひとりさんの内だけなのだと再確認させてくれるから。

 

『もう一人の私。今日は本当にごめんなさい……私、コミュ症直すなんて威張っておきながらいきなり頼りきっちゃって』

 

 そんな感傷に浸っていると、ひとりさんが話しかけてきたがその様子はあまりにも暗い。バイトをすると決まった日から、今日に至るまでずっとこの調子だった。きっとわたしに対する後ろめたさと、それでもバイトに行きたくないという恐怖心がせめぎ合い、ネガティブスパイラルに陥っているのだろう。

 

 昨日なんて何を思ったのか、風邪をひいて休もうと氷風呂の準備すら始めてしまう始末。本当に、止めるよう説得するのが大変だった。ひとりさんにはもう少し自分の身体を大切にしていただきたい。

 

『気になさらないでください。そういう時のためのわたしなんですから……それに、ひとりさんだってずっとわたしにバイトを任せるつもりじゃないんでしょう?』

 

『う、うん。……まだ怖くて心の準備ができないけど、バイトも頑張りたい。虹夏ちゃん達がせっかく、私の為に誘ってくれたんだから』

 

『ええ、ではちょっとずつ慣れていきましょう。大丈夫、それまではしっかりわたしが支えてみせますから』

 

 ひとりさんだって、わたしにバイトを押し付けたかった訳じゃないことは十分に分かっている。頑張りたかったけど、それでも自信のなさからあらゆる不安に押しつぶされそうで逃げてしまっただけ。仕方のないことだ、ひとりさんだって誰だって急には変われない。だけど、変わろうとすることに意味があるのだとわたしは信じている。

 

 わたしが、変わるためのきっかけになればいい。ひとりさんの代わりにバイトをこなして、仕事の内容をメモして記憶して。それをわたしがひとりさんに教えて、本番で間違えないように何度も予行練習をするのも良いだろう。そうやって、少しずつ段階を踏んでいけばひとりさんだってバイトを出来るようになるはず。虹夏さんとリョウさんと一緒に楽しく過ごす時間を増やすお手伝いができるのだから、わたしにとっても本望だ。

 

『で、でも、一時的とはいえバンドの為にもう一人の私を働かせるなんて……私クズバンドマンなのでは?あががっがっががが自己嫌悪が!!?』

 

『ま、まぁまぁ。ひとりさんのために働けるなら、わたし嬉しいですから!』

 

『もう一人の私……いつもすまないねぇ』

 

『ひとりさん、それは言わない約束でしょう?……なんて、ふふ』

 

 ようやっと調子を取り戻してきたひとりさんとのやり取りに笑みを溢していると、いつの間にかSTARRYの入り口が目前に迫っていた。薄暗く狭い地下へと続く階段を降りていくのは、まるで秘密基地を目指しているかのようで不思議と胸が高鳴ってしまう。

 

「……ふぅ」

 

 扉の目の前に立ち、ドアノブを握りながら一つ深呼吸。決してひとりさんほどではないが、わたしも少しばかり緊張していた。何せわたしも高校生になったばかりでバイトは初めて。失敗するつもりはないし、卒なくやれるだろうという自負もあるが油断は禁物。今日のわたしは新参者、ひとりさんの為にも気を引き締めるとしよう。

 

「チケットの販売は五時からですよ」

 

『ぴっ!?』

 

 そうして扉を開けようとしたところで、わたしの背後から見知らぬ誰かの声が投げかけられる。ひとりさんの悲鳴を合図にして振り返ると、ライブハウスのスタッフであろう大人の女性がじっとわたしを見下ろしていた。その表情はどこか睨んでいるかのように目付きが悪く、かけられた声もどこか素っ気ない。ひとりさんが怯えてしまったのも無理からぬことだろう。

 

 人目を惹く金髪に特徴的な癖毛、初見の印象は大きく異なるものの外見は虹夏さんに良く似ている。そして虹夏さんはかつて言っていた、お姉さんがライブハウスの店長をやっているのだと。つまり、目の前の女性こそがこのSTARRYの店長であり虹夏さんのお姉さんに違いない。そうわたしが結論づけるのに、時間はかからなかった。

 

「まだ準備中なんで」

 

「あの、わたし後藤ひとりっていいます。伊地知虹夏さんからの紹介で、今日からここで働かせていただくことになっているんですが……」

 

 わたしをただの客だと思っている店長さんに軽く頭を下げ、自己紹介と共に状況説明をする。これからお世話になる職場の上司であり、すでにお世話になりきっている虹夏さんの身内でもある。決して粗相があってはいけないのだが、ひとりさんが今後働くことを考えればやりすぎもよくない。店長さんに対するわたしの身の振り方、なかなかに難儀しそうだ。

 

「ああ、虹夏の言ってた新しいバイトか。それじゃ突っ立ってないで中入りなよ」

 

「は、はい」

 

 言われるがままに入り口を通り抜けて、店長さんの後ろをついて歩く。店長さんはドリンクカウンター前に用意された椅子を引っ掴むと、無造作に腰を下ろしては持っているレジ袋を机の上に投げ出した。

 

 レジ袋の中身はおにぎりと紙パックのジュース、遅めの昼食なのかもしれない。そのジュース『いいこりんご100』はわたしも馴染みがあり、優しい口当たりが好きでふたりのためにお母さんが買っているものを少しだけ分けてもらっている。好んでいる飲み物が同じ、そんな些細で無意味な親近感を店長さんに抱いていた。

 

「私、ここの店長やってる伊地知星歌。よろしく」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

『店長さんちょっと怖い、苦手なタイプ。で、でもでも虹夏ちゃんのお姉様だし……うぅ、やっぱり怖い!』

 

『そんなに怖がらなくても。これは私見ですが、きっと優しい人だと思いますよ?』

 

 店長さんこと星歌さんのぶっきらぼうな雰囲気に、案の定と言うべきかひとりさんはすっかり委縮してしまっていた。これは完全な憶測になってしまうけれど、星歌さんだってきっと優しい人のはずで、ひとりさんもそこまで怯える必要はないと思うのだ。

 

 だってあの虹夏さんのお姉さんなのだ。虹夏さんと星歌さんの歳の差は、ひとりさんとふたりくらい離れているように見える。それは、虹夏さんが星歌さんを見て育ってきたということ。ならばきっと、底抜けの善人な虹夏さんのお手本となった星歌さんもきっと優しい人だと思うのだ。

 

「お前、この前虹夏達と一緒にライブやってたギターの子だろ?」

 

「そうですね」

 

「ライブの時も、そうやって堂々としてたら良いんじゃない?ビビり過ぎで正直見てらんなかったんだけど」

 

『がはぁっ!?』

 

 当然店長である星歌さんは結束バンドの初ライブもみていた訳で、率直過ぎるその感想はひとりさんにダメージを与えてしまっていた。わたしと比較されるような発言は、ひとりさんの心に何よりも効いてしまう。虹夏さんに続いて星歌さんにすら違和感を秒で抱かれる。歓迎会の時点で痛感してはいたのだけど、わたしにひとりさんのフリは致命的に向いてなさそうだ。

 

 かといって、泣き言を吐いたり裏に引っ込んだりすれば更にひとりさんを追い込んでしまいかねない。たとえ向いてなかろうが、わたしのやるべきことはただひとりさんの為に行動することのみ。

 

「す、すいません。ステージの上だとどうしても緊張してしまって……」

 

「ライブ中は誰もそんな事情は配慮してくれない。……それに、演者が縮こまってると観客だって不安になる。だから、ステージの上では精一杯に胸を張りなよ。自分の一番の音を届けるためにな」

 

『……もしかして、私アドバイスして貰えてる?』

 

『ですね。自信を持てば、ひとりさんの演奏はもっと良くなるって。そう言ってくださってるんですよ』

 

『……て、店長さん良い人!好き!』

 

 あまりにも好意的に解釈してしまったが、星歌さんなりの助言であることは確か。ひとりさんの恐怖心もだいぶ緩和されたようで一安心だ。

 

 厳しい言葉ではあったけど、ひとりさんに刺さる意見。虹夏さんのバンドメンバーという接点はあれど、星歌さんにとってひとりさんは初対面の新人バイトでしかない。そんな相手にこうして言葉を尽くしてくれたのだから、わたしとしても感謝の気持ちしかなかった。

 

「ありがとうございます。店長さんの言葉、しかと受け取りました」

 

「別に礼とかいらないから。言いたいこと言わせて貰っただけだし」

 

「でも、嬉しかったので」

 

 わたしがお礼の言葉を告げると、星歌さんはどこか照れたかのように露骨に顔を逸らしてしまっていた。こういう言い方をしてしまうと大人の女性には失礼かもしれないが、実はかなり可愛らしい人なのかもしれない。

 

 大人の女性としてのカッコ良さと威厳があって、どこか可愛らしい一面も持ち合わせているお姉さん。同じ女性として憧れてしまうというもの。だからだろうか、ついひとりさんには似つかわしくない笑みなんかが溢れてしまう。

 

「あー……コレ、飲むか?」

 

「はい!……ありがたくいただきますね」

 

 言葉に詰まったのか、星歌さんが何処か気まずそうに件のジュースを差し出してくれたので、有り難く受け取る。『これ、わたしも好きなんです』なんて言い出しそうになる口を必死に抑えつつ、紙パックにストローを刺して中身を喉に流し込んだ。

 

 ひとりさんはコーラなんかの炭酸飲料を好んでいるけど、わたしはあまり得意じゃないからこういう優しい味わいが落ち着く。同じ身体なのに、味覚が異なっているなんて我が事ながら不思議なものだ。

 

「……」

 

「……」

 

 ただ二人で紙パックのジュースをへこませるだけの、奇妙な時間がわたしと星歌さんに流れる。ひとりさんならばこの時間を気まずいと評するかもしれないが、わたしにとっては心地よい沈黙に感じられた。誰かと味覚を共有して同じ時間を過ごす。それが、わたしには得難いものだからなのかもしれない。

 

『す、凄いねもう一人の私。店長さんともう仲良くなって』

 

『仲良く……ひとりさんには、そう見えたのですか?』

 

『う、うん。もう一人の私も楽しそうだったし』

 

 それは、決して喜んではいけない事だ。わたしが私情を挟みすぎれば、今後肩身の狭い思いをするのはひとりさんだから。わたしの味覚や趣向、感情にしたってひとりさんより優先すべきものなど一つもない。第一、わたしが誰かと仲良くなったところでその先に待つのはきっと不幸ばかりだ。

 

 勘違いをしてはいけない。わたしはひとりさんの代わりに仕事をしにきただけ、それを決して忘れるな。

 

「お!ぼっちちゃん早いねー、感心感心!」

 

 そんな戒めを自分に言い聞かせていると、虹夏さんがいつもの元気な声とともに階段を下りてやってきた。その後ろにはリョウさんの姿も続いており、結束バンドメンバー勢揃い。星歌さんとのささやかな時間は終わらせて、わたしもバイトに向けて気分を切り替えねば。

 

「お姉ちゃん、ひとりちゃんにしっかりと優しくしてあげた?」

 

「そんなん知るか。バンドメンバーだろうがなんだろうが、特別扱いはしない。仕事に私情を挟むな……あと、ここでは店長と呼べ」

 

「もー、そういう話じゃないでしょ!昨日も言ったじゃん。ひとりちゃんは人見知りしちゃう子だから、怖がらせないようにって!」

 

「頷いた覚えないから。そもそも人見知り?コイツはそんな風には見えないけど」

 

 店長としての立場からか必要以上に厳しい態度を取る星歌さんに、一転して気安い態度で食ってかかる虹夏さん。後ろのリョウさんが何の反応も見せないあたり、このやり取りも伊地知姉妹の日常らしい。姉妹だからこその言い合える気安い関係、ということなのだろう。

 

 しかし、虹夏さんは星歌さんにまで話を通してくれていたのか。もしかすると、先ほど一声かけてくれたのもそのお陰なのかもしれない。あまりにも配慮が行き渡り過ぎている、本当に虹夏さんには頭が上がりそうにもない。

 

「お前こそ、こんな子に向けてぼっちちゃんて。イジメか?」

 

「ぷっ」

 

「やっそれは違くて!ひとりちゃんだからぼっちちゃんで深い意味は……おいそこ元凶の山田笑うなぁ! 」

 

「あの、あだ名に関しては本当に甚く気に入っていますのでその辺りで……」

 

『良いあだ名だと思うんだけどな……』

 

 ぼっちちゃん呼びの伝聞の印象は最悪で、星歌さんの一言を発端にライブハウス内は大騒ぎ。リョウさんの語った通り、嘘偽りなくアットホームな職場に違いなかった。この賑やかな空間に立っているのがわたしではなく、ひとりさんになる日が一日でも早く訪れてくれればいい。

 

「とにかく、全員揃ったのならとっとと仕事に入れ」

 

 星歌さんはそう締めくくると、背を向けて机の上のパソコンに向き合い始めた。これ以上会話をするつもりはないと背中で語っているけど、もう既に面倒見が良過ぎたくらい。この辺りも、星歌さんから虹夏さんに受け継がれた要素なのかもしれない。

 

「ぼっちちゃん、お姉ちゃんと二人で大丈夫だった?また無理とかしてない?」

 

「いえ、店長さんには本当に良くしてもらったので。ライブのアドバイスなんかも貰っちゃいましたし」

 

「なら良かったよー……ほんっとお姉ちゃんってツンデレさんなんだから」

 

 虹夏さんの口ぶりから察するに、あの星歌さんの可愛らしさはわたしの勘違いではなく平常運転のものらしい。更に、今では妹に厳しくしつつも陰ながらそのお願いを叶えてあげる妹想いのお姉さん。なんて文脈すら感じ取れてしまうので、気を抜くとまた笑みが漏れ出てしまいそうだった。

 

 

「よし、それじゃあバイト始めよっかぼっちちゃん!」

 

 

 そんな虹夏さんのかけ声により、盛大な前振りを置いたわたしとひとりさんのバイト生活が幕を開けた。

 

 

 ◇

 

 

 わたしが仰せつかった記念すべき初仕事は、シンプルにフロアの清掃だった。並べられていたテーブルを片付けて、モップ等を用いて拭き掃除を行う極めてシンプルな作業。言ってしまえば、ミスをしようがないくらいに簡単で誰にでもできるような仕事だ。

 

 しかし、今のわたしはひとりさんの代役。調子に乗ってテキパキと作業を進めてしまうわけにはいかない。ひとりさんは残念ながら、要領よく物事をこなせるタイプではない。わたしとは掃除を進めるペースだって大きく異なるので、わたしのペースがひとりさんの基準だと思われては後々困ったことになってしまうのだ。

 

 だから決して急がず、極めて丁寧に隅々までモップをかけていく。ライブハウスという長時間人が過ごす場所なのだから、綺麗にしすぎたって損はないはず。ひとりさんも作業自体は丁寧なので、これならいつ入れ替わってもそこまで違和感を持たれることもないだろう。

 

『この仕事なら私でもできるかも。掃除なら、学校で私もよくやったし!』

 

『それは良かったです』

 

『そ、それにお喋りで自分だけハブられてみじめに一人で掃除する必要もないし、学校より楽そう』

 

 掃除という普遍的な作業にすらトラウマを抱いている辺り、ひとりさんの闇は相当に深い。こういうとき、どう励ましたら良いのかわからなくなるのが凄くもどかしい。無理だとは分かりつつも、わたしもひとりさんと同じ傷を分かち合いたかった。

 

「ぼっち、手際いいね」

 

「あ、リョウさんお疲れ様です。……そ、そうでしょうか?」

 

 一緒にモップ掛けをしていたリョウさんが手を止め、不意に声をかけてきた。内容はわたしの仕事ぶりを賞賛するもの。完璧に役割を遂行していると思った矢先にこの有様、顔が引き攣っていやしないか不安だった。いやそれとも、引き攣っていた方がひとりさんの解像度としては高いのだろうか。もう自信も何もあったものではない。

 

「私がいちいち指示しなくても、して欲しい場所を掃除してくれる。凄い楽」

 

「ありがとうございます。お力になれているようなら、嬉しいです」

 

 動揺から、お礼の言葉も辿々しくなってしまう。リョウさんの言う通りで、仕事の要領とは作業速度だけでなくその仕事運びにもあるということ。言葉にしてしまえば当たり前で、それだけわたしの浅はかさも浮き彫りになるようだった。

 

 ただまぁ、これはさしたる問題ではない。仕事運びなんて日数を重ねる度に慣れていくものだし、掃除すべき場所くらいはいくらでもひとりさんの裏からわたしが教えられる。落ち着けわたし、いちいちつまらないことで狼狽えてはひとりさんが不安がってしまうだろう。

 

「なるほど。これがピカピカぼっち」

 

「あの、リョウさん?」

 

「ぼっち、私が教えるべきことはもう何もない。そういうわけで、体調悪いから休憩してくるね」

 

「えっ、ちょ……お、お大事に?」

 

 リョウさんは一方的にわたしに免許皆伝を申しつけると、サムズアップとともに颯爽とどこかへ身を隠してしまった。その一連の動作はあまりにも機敏で、とても体調不良を訴えた人間のものではなかった。しかし、わたしとしてはその言葉を素直に受け取るしかない状況でもある。

 

 いつもと変わらず元気そうだったが、リョウさんは表情があまり変わらない。実は最初から我慢をしていた、なんてこともあるのかもしれない。幸い一人でも仕事自体に支障はないし、ゆっくりと身体を休めてほしいものだ。

 

『もう一人の私。もしかしてなんだけど、リョウさん仕事サボってるんじゃ……』

 

『いや、そんなまさか。リョウさんともあろう人が新人を放置してサボるなんてことはない……ですよね?』

 

『だ、だよね!バンドメンバーを疑うなんてよくない!』

 

『そうですとも!』

 

 ひとりさんの懸念はわたしの頭にも確かに過ったが、それでもわたしはリョウさんを信じたい。ひとりさんをバンドメンバーに迎えてくれた、クールでミステリアスなベーシスト。そんな尊敬できる人物のままであって欲しいのだ、切実に。

 

「あれ、ぼっちちゃん一人?リョウは何処行ったの?」

 

「リョウさん体調不良みたいで……大丈夫でしょうか?」

 

 設営準備の手伝いにより一時離脱していた虹夏さんが戻ってきたので、早速先ほどの出来事を報告する。心優しい虹夏さんが幼馴染であるリョウさんの不調を心配する、そんな光景への期待をありったけに込めて。

 

「リョウの悪癖がまた……後でお姉ちゃんに報告しないと。あのねぼっちちゃん、リョウの言うこといちいち真に受けちゃダメだよ?涼しい顔して平気でサボろうとするんだから」

 

「……」

 

『……』

 

 わたしもひとりさんも言葉がでなかった。リョウさんには意外とズボラな一面もある、その事実を魂の奥底にしまっておこう。大丈夫、これでもまだクールでミステリアスだがちょっとお茶目な部分もある変人ベーシストだ。まだ全然尊敬できる、無理やりにそう自分を納得させた。

 

 

 ◇

 

 

「掃除も終わったし次は……ぼっちちゃんもドリンク覚えよっか!」

 

「は、はい」

 

 虹夏さんと二人で掃除を終わらせて、わたしの次の仕事はドリンクスタッフになった。フロアの清掃とは違い、生身の人間相手に接客を行わなければいけない仕事。バイト初日からいきなり接客はひとりさんにとって荷が重いだろうし、やはりわたしの判断は間違っていなかったみたいだ。

 

「トニックウォーターはここから、ビールはこのサーバーね。カクテルは後ろの棚に――」

 

 ドリンクカウンターの内へと入り、一つ一つ指差しながら虹夏さんが丁寧にわたしへと仕事を教えてくれる。決して聞き流さぬように頷きながら、ポケットに用意していたメモ帳とペンを取り出して、だいたいのドリンクの種類と場所をメモ帳に書き記していく。

 

『もう一人の私。い、今の覚えられた?』

 

『ええ、おおよそは。走り書きですが内容はメモしておきましたので、帰ったら一緒に覚えましょうね』

 

『あ、ありがとう!流石もう一人の私、生まれついてのバイトリーダー!』

 

 わたしにしたって今日が初バイトだし、この場合はバイトリーダーなのは明らかに虹夏さんの方である。突っ込み所満載ではあるが、ひとりさんの褒め言葉は心地よくあえて訂正する気すら失せてしまう。ひとりさんの役に立てること、間違いなくそれがわたしの働く原動力だ。

 

「やっぱり真面目だね、ぼっちちゃんは。何処かの誰かさんと違ってやる気たっぷりで助かるよー」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

『直前までズル休みしようと思ってました、ごめんなさい!』

 

 ひとりさんは自分をやる気なしとでも判断してしまったのか、表に出ているわけでもないのに平謝りしていた。ひとりさんだってその根っこはいたって真面目なのだから、どうか気にし過ぎないで欲しい。上手にできないことにやる気を持って臨める人間が一体どれほど居るだろうか。ひとりさんだって卒なくこなせるのならばバイトに前向きになれたはず。それこそギターのように、ひたむきに一生懸命に。

 

 何処かの誰かさんことリョウさんは、いつの間にか受付の仕事に戻っており怒るに怒れなかったらしい。なんて奇妙なバランス感覚を備えている人なんだろう。

 

「ドリンクスタッフは注文されたドリンク注いで、渡すだけだから」

 

「会計とかはないんですか?」

 

「そうなの。チケット代金とは別に五百円払うと貰える、ドリンクチケットとの交換制なんだ。ほら、これがドリンクチケットね」

 

 レジ作業もなく、ただ注文されたドリンクを渡すだけの接客業としては珍しいくらいに単純な工程。ひとりさんにもおあつらえ向きで、虹夏さんがバイトに誘ってくれたのはこの辺りの理由もあるのかもしれない。

 

 手渡されたドリンクチケットはギターのピック状になっており、ライブハウスの物だと一目で分かる秀逸なデザインだ。

 

「ワンドリンク五百円、結構割高なんですね」

 

「意外とストレートに切り込んでくるねぼっちちゃん。……実は、ライブハウスは一応飲食店扱いなんだよ」

 

「興行場ではなく、ですか?」

 

「よく分かんないんだけど、興行場として営業許可貰おうとすると飲食店より条件が厳しいらしいんだ。だからドリンクを提供して、あくまで飲食店としてお店開くんだってー」

 

「なるほど」

 

 ライブハウスの成り立ちはわたしの想像以上に複雑であったらしい。ライブハウス店長の妹さんらしい、とても興味深い話。今後、ひとりさんにバンド関係の人付き合いが増えていくのならば覚えて損はない。しっかりと記憶しておくことにしよう。

 

『私はいつの間にか飲食店なんて魔境に迷い込んでいたのか……』

 

『でも、複雑な作業はありませんし。……むしろ、飲食店デビューするチャンスじゃないですか?』

 

『……う、うん』

 

 励ましてみても、ひとりさんの反応は芳しくない。しかし、フロアを見渡せばライブ時間が近付いていることもありお客さんがちらほらと入ってきていた。彼等の対応をしなければいけない以上、ひとりさんにばかり意識を割く訳にはいかない。

 

「いつの間にかお客さん入ってきたね!ぼっちちゃん今から忙しくなるよ〜」

 

「は、はい。頑張ります」

 

 ここでミスなんてしようものなら、虹夏さんや星歌さんはもちろんのことひとりさんにだって迷惑がかかってしまう。ひとりさんの様子は気がかりではあるけど、今だけは目の前の仕事に集中しよう。

 

「すいません、コーラください」

 

「はーい!ぼっちちゃんコーラ一つ」

 

「はい、少々お待ちください」

 

 注文を受け、プラスチックの容器に飲み物を注ぎフタをしてお客さんに渡すだけの単純な作業。気をつけるのは、お客さんに不快感を与えないように丁寧な対応を心がけることだけだ。

 

「どうぞ……ありがとうございました」

 

 お客さんに真顔で目線を合わせ飲み物を手渡し、去っていく時には頭を下げる。それが、ひとりさんのフリをしているわたしにできる限界。笑みを浮かべ愛想を振る舞うのが接客として正しいのだろうけど、その対応をひとりさんに求めさせてはいけないから。

 

「ぼっちちゃん、次ジンジャーエール」

 

「わかりました」

 

 虹夏さんはわたしの動きを見て特に問題はないと判断してくれたようで、間髪を容れずに次の注文を申し付けてきた。

 

 そこからはもう、ただの繰り返し。注文を受けては飲み物を渡し、頭を下げて。たまにお手洗いの場所を尋ねてくるお客さんがいれば案内してあげて。わたしに課せられた仕事を淡々と、機械的に処理し続けるだけだった。

 

 

「ライブ始まったから暇になったねー。今日のバンドはどれも人気あるし勉強になるから、ぼっちちゃんもよく見ててね!」

 

 気付けば、お客さんはもう捌けてしまっておりドリンクカウンター前はガラガラ。虹夏さんの言葉通り、ステージ上ではライブが始まっていてフロアは独特の喧騒に包まれていた。

 

 仕事が一段落ついたことを悟り、ほっと一息吐く。大した仕事をしたわけでもないのに、どっと疲労した感覚を覚えているのが不思議でならなかった。最近のひとりさんが運動不足気味であることを考えたって、ここまで消耗するはずがないのに。

 

「今日の接客良かったよ、ぼっちちゃん。ちゃんとお客さんに目を合わせて接客できてたね!」

 

「す、すいません。あれが精一杯で……」

 

「十分だよ。人見知りのぼっちちゃんがお客さんに一生懸命向き合ってくれて、あたし嬉しかったな」

 

 一生懸命か、その言葉はどこまでわたしに相応しいのだろう。ひとりさんのため、そういう前置きをするならばわたしは真剣に仕事に向き合ったつもりである。だけど、目の前の虹夏さんに向けてだけは口が裂けても言えそうになかった。わたしが手を抜いていたのは、純然たる事実だから。

 

「虹夏さ……虹夏ちゃんは、どうしてそこまでわたしを気にかけてくれるんですか?」

 

 全てはひとりさんに向けられた言葉。虹夏さんの目の前にいるのがわたしなことが申し訳なくて、居た堪れなくて。そんな弱気な言葉すら口から滑り落ちてしまう。虹夏さんが気にかけているのは、ひとりさんだ。わたしという人格を虹夏さんは知らない、知らせるつもりもない。こんな問いかけには、なんの意味だってありはしないのに。

 

「あたしね、ここのライブハウスが好きなの。ライブハウスのスタッフがお客さんと関わるのってここと受付くらいだし……良い箱だったって思ってもらいたい気持ちがいつもあって」

 

「虹夏ちゃんにとって、大切な場所なんですね」

 

 きっと、こんな陳腐な言葉では語りきれないほどの想いが秘められているのだろう。虹夏さんのバンドにかける情熱に、今ステージを眺めるその輝かしいばかりの目を見れば痛いほどにそれが分かるような気がした。

 

「うん!だからね、ぼっちちゃんにも良い箱だったって思って欲しいんだ……楽しくバイトして、楽しくバンドしたいの。一緒に」

 

 虹夏さんの表情がわたしには眩しすぎて、ステージ上へと目を逸らしてしまう。そこではお客さんも演者も皆楽しそうに笑っていて、この光景こそが虹夏さんの描く理想であり願いなのだとすぐに理解できた。自分自身への苛立ちから、手をきつく握りしめてしまう。

 

 そんな場所で、わたしは何をしているんだろう。虹夏さんが楽しんで欲しいと願ったお客さん達。その人達がどんな表情をしていたかなんて、わたしは一つとして覚えていやしない。わざと作った無表情を貼り付けて、手を抜いた接客をやって、虹夏さんの願いを踏み躙った。

 

 そして、ひとりさんの心の準備ができるまで明日からもそれを平気で続けていくのだろうか?

 

 迷うまでもないことだ。何よりも優先すべきはひとりさんで、その結果誰かの感情や願いを取りこぼしたとしても受け入れるしかない。わたしは決して、高望みが許されるような安定した存在じゃないのだから。それが虹夏さんのものであったとしても、無視すべきなんだ。わたしがそうしたって、虹夏さんの想いは必ずいつかひとりさんが掬い上げてくれる。なら、なんの問題だってありはしない。

 

 わたしが納得すれば、誰も傷つきやしない。だからわたし、わたしは――

 

『代わって、もう一人の私』

 

 どこか安心するような、力強い声がわたしの内から響いていた。ひとりさんの要請に、思わず頷きそうになるのを踏みとどまる。まだバイトは、わたしの役目は終わっていない。ひとりさんの意思を確認するまでは、終われない。

 

『でも、一旦落ち着いたとはいえまだ接客中ですし……』

 

『……私、変わりたい。今の私じゃ、もう一人の私に隠れたまんまじゃダメだって思ったから。虹夏ちゃん達と一緒に楽しくバンドも、バイトもして。お客さんを楽しませるライブができるように、努力したい!』

 

 考えれば、当たり前のことだったのかもしれない。誰よりも人の心に敏感なひとりさんが、虹夏さんの期待と願いを受けて何もしないままじっとしてる訳がなかったのだ。わたしが単に、ひとりさんの勇気と覚悟を見誤っていただけ。

 

 ひとりさんに善を尽くしてくれている虹夏さんに、ひとりさんが必死で応えてそれを返そうとしている。ならば、わたしがいらぬ心配を挟んで間に入るのは無粋でしかない。わたしの今日の役割は終わったんだ、潔く裏に引っ込むとしよう。

 

『それに、私のせいでもう一人の私が辛そうにしてるのは……絶対に嫌だから!』

 

 わたしはひとりさんの返事を待つことすらなく、意識の裏へと駆け込むようにして引っ込んだ。そうしなければきっと、賑やかなライブの空気をぶち壊してしまうような醜態を晒してしまいそうだったから。

 

 どうして、ひとりさんにはそこまで人の痛みがわかってしまうのだろう。わたしの感傷などいつか消えてしまうような幻でしかないのに。誰かの期待を裏切りたくないなんて、ひとりさんの人生にとって邪魔なわたしの願いすら汲み取ってしまう。

 

 無理を通してでもわたしを大切にする、それがひとりさんの真心なのだろう。ひとりさんに優しくされるたび、胸が温かくなりそして泣き出したくもなってしまう。その真心に報いるためにも、わたしは決して自分を大切にはしない。ひとりさんを大切にする上で、それが最も妨げになる要素なのだから。

 

 

 その後、ひとりさんは数人のお客さんの相手をした。ジュースを持つ手は震え、浮かべた笑みもぎこちなく不格好だったけど。最後までお客さんに目を合わせ、笑顔で接客しきってみせたのだ。

 

 ひとりさんもお客さんも虹夏さんも、皆笑みを浮かべていて。羨ましいくらいに理想の光景がそこには広がっていた。それも全てひとりさんが勇気を出したおかげ。昨日氷風呂を用意しかけたとは思えぬほどの、急成長だ。

 

 ひとりさんはしきりにわたしを凄いと褒めてくれるけれど、本当に凄いのはひとりさんの方である。恐ろしくても、上手くいかなくても、誰かのためにここまで大きな一歩を踏み出せるのだから。

 

 

 ◇

 

 

「じゃ、今日はお疲れ」

 

「お疲れ様です、店長さん」

 

 無事バイトを終了させて虹夏さんとリョウさんに別れを告げると、星歌さんがわたしの見送りのために外まで出てくれていた。一介のバイトに対する店長の対応にしてはやり過ぎで、それだけ虹夏さんのことが大好きなのだろうなぁと微笑ましくなってしまう。

 

 ひとりさんは接客後、全ての精神力を使い果たし再びわたしの裏に引っ込んでいった。予定になかったいきなりの接客をこなしてみせたのだ、帰ったらわたしもたくさんひとりさんを褒めてあげよう。今日くらいは、いくらでも調子に乗っていただきたい。

 

「今日のバイト、大丈夫だったか?」

 

「あの、どういう意味でしょうか?」

 

「どうって……テキパキ仕事してた奴が、接客で急に挙動不審になったら気にもなるだろ。自覚があるのか知らんが、途中死にそうな顔してたぞ」

 

 ドキリとした。虹夏さんはあの時ライブの方に注意を向けていたから、あの時の顔は誰にも見られていないと思ったのに。というか、どうして星歌さんはずっとわたしの仕事を見ていたんだ。いくらなんでも虹夏さんの言いつけを忠実に守りすぎだろう。まさか真実を喋る訳にもいかないし、どう言い訳をしたものか。

 

「ま、何があったかは知らないけど。バイト中に困ったことがあったら言いなよ、店長としてサポートくらいはするからさ」

 

 しかし、予想していた追求は何もなかった。それどころか、星歌さんからはわたしのバイトに肯定的な意見すら出てしまっている。どうしてこう、伊地知家の人達は許容範囲が大きすぎるのだろう。普通、おかしなバイトがいたら警戒するものじゃないのか。わたしにとっては好都合だけれど、釈然としない気分だ。

 

「何も聞かなくて良いんですか?」

 

「聞かないでくださいって顔に書いてあるからな。そもそも、心の相談なんてされた所で私には何もわからん。……ただ、頑張り屋のバイトには私も楽しく働いてほしい。それだけだよ」

 

 そんな顔をしているのだろうか。ひとりさんがアレで表情豊かなのはわかるけれど、わたしが得意なのは愛想笑いくらいのものだから。表情から何かを読み取られるなんて、初めてのことかもしれない。

 

 『虹夏さんにもそうやって、素直にしてみたらどうですか』なんて告げたら星歌さんはどんな反応をするだろう。余計なお世話だ、とまた照れたように可愛らしくそっぽを向くのだろうか?

 

 意味のない妄想だ。ひとりさんが放つはずもないような台詞、それを口にすることは許されない。まだひとりさんと星歌さんに大きな関わりはないが、これからバイトを続けていけば親交も深まるだろう。意外と相性が良くて、仲良しになるかもしれない。そういう可能性を、潰したくはないから。

 

「ありがとうございます。……それでは店長さん、さようなら」

 

「気をつけて帰れよ、ぼっちちゃん」

 

 結局、あまりにも無難な言葉だけを残して星歌さんに別れの言葉を告げる。最後に勿体ぶるようにあだ名呼びをして、後ろ手を振って去っていく姿は様になっていた。

 

 階段を上がり、空を見上げればすっかり真っ暗になっていて。下北沢の街灯に阻まれながらも、朧げながらに星の光が瞬いている。

 

『……虹夏ちゃんにリョウさん、店長さんも。皆、優しかった。私、明日からもバイト頑張れそう!』

 

『その意気ですよ、ひとりさん。一緒に明日からも頑張りましょうね』

 

 階段を登り切った瞬間、ひとりさんがタイミングを計ったかのように声をかけてくる。概ね同意だが、果たして今日のリョウさんは優しいと評して良いのだろうか。一応、あの突拍子のなさで掃除の時間だけは変なことを考え込まずに済んだという側面はあるのだけど。

 

 この様子ならば、明日からはひとりさんが表に出てバイトに赴くことができるだろう。一週間以上はかかっても不思議ではないと考えていたので、異例の大躍進だ。ひとりぼっちではなく、他の誰かと交流することでひとりさんは飛躍的に成長している。

 

 この調子ならひとりさんがわたしを必要としなくなる日も、そう遠い未来の話ではないのかもしれない。

 

 もう一度星空を見上げる。STARRY、星々の集まる場所。本当に優しくて素敵な人ばかりだ。ひとりさんもその輪の中に加わって、ギタリストとしても、一人の人間としてもその輝きを強めていくのだろう。

 

 そこにわたしも加われたら、なんて。想像の中でだけなら、星に願うことも許されるのだろうか。

 




下北沢で星なんて見れるのか?と疑問に思いましたが、原作でもアニメでも映ってたので気にしないことにしました。次回から、ようやく喜多ちゃんも出せますね。やはり四人揃ってこその結束バンド、楽しみです。
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