コミュ症を拗らせ過ぎた結果、もうひとりの人格を生み出してしまったぼっちちゃんの話 作:モルモルネク
放課後。予定通りにひとりさんはSTARRYへとバイトに向かうことにしたのだけど、そこに一つの想定外が発生していた。なんと、喜多さんが同行を申し出たのである。
喜多さんのバイタリティは凄まじく、早速今日からギターの教えを受けたいのだと熱く主張。放課後にはバイトがあると説明を受けても、バイト終了後の僅かな時間でもいいからと尽く食い下がる。練習時間よりも待ち時間が明らかに上回ってしまうのに、冷めることのない熱意。それだけで、喜多さんの原動力となっている元バンドメンバーへの罪悪感が根深いのだと感じられるようだった。
喜多さんからのアプローチにたじたじになりながらも、ひとりさんはこれを承諾。そういった経緯により、今回のバイトの旅の道連れとして喜多さんが加わることになった次第である。
もちろん、バイト先で待ち受けているはずの虹夏さんとリョウさんにも連絡済みだ。ギターヒーローの動画概要欄然り、ひとりさんは文面になった途端あることないこと書こうとする癖がある。要らぬ誤解を生まぬために、今回はわたしが『駆け出しの同級生にギターを教えることになりました。見学のため、本日ライブハウスへと連れてきてもいいでしょうか?』と簡潔にロインで伝えておいた。
虹夏さんからは『新ギターボーカル勧誘のチャンスだね!歓迎のための準備しておくから!!』と可愛らしいスタンプと共にそんな返信が。文面から察するに、初心者でも虹夏さんにとっては勧誘対象らしい。才能の片鱗が感じられれば、経験は問わないということなのだろうか。経験者三人の中に初心者一人は歪にも感じるが、それは結束バンドの問題。部外者であるわたしがあれこれ考えても仕方のないことだ。
『もう一人の私……助けて、タスケテ。眩し過ぎて焼け死ぬぅ……』
『もう少し、もう少しですから。虹夏さん達と合流するまでなんとか持ち堪えましょう!』
『うぅ……もう一人の私が陽キャ語を翻訳してくれなかったら、確実に死んでいた』
下北沢には既に辿り着き、STARRYまでは残り徒歩十分程度。しかし、喜多さんを先導して歩くひとりさんは既に満身創痍となっていた。
放課後の移動時間すらも喜多さんの明るさは留まることを知らず、輝かしい笑みを浮かべたままひとりさんへと喋りかけ続けた。その話題もクラスでの青春エピソードから愛用している美容品の話と多岐に渡り、極めつけには頻繁に行われる自撮りとイソスタへの写真の投稿。そんな喜多さんの一挙一動が、日陰の生き物であるひとりさんに大きなダメージを与えてしまったのである。
わたしも最大限のサポートはしたが、ひとりさんがいつ意識を失っても不思議ではない会話の応酬に生きた心地がしなかった。むしろ、ここまで人間の形を保ち会話をやり通したことが快挙と言えるだろう。ここ最近のひとりさんの成長ぶりには驚かされるばかりだ。
その一方で、下北沢に着いてからはひとりさん以上に喜多さんの様子がなんだかおかしい。あれだけ饒舌だったのに口数は激減し、学校での自信溢れる立ち振る舞いが見る影もないくらい、所在なさげに視線を彷徨わせている。この瞬間だけを切り取れば、ひとりさんよりよっぽど挙動不審に見えてしまう程だ。
まさか喜多さんに限って実は人見知りなどということはあり得ないし、一体どうしたのだろう。下北沢に嫌な思い出でも抱えているのだろうか。
「後藤さんのバイト先って下北沢だったのね……」
「あっ、はい。……来たことあるんですか?」
「私の入ってたバンド下北系だったから。それに、メンバーの先輩達がここに住んでて……」
「な、なるほど」
その発言を聞いて喜多さんの様子にようやく合点がいく。つまり、こうして下北沢を歩くことで元バンドメンバーに鉢合わせないか不安だったということ。逃げるという気まず過ぎる別れ方をしてしまった以上、不意に出会ってしまえば修羅場となるのは避けられない。あの喜多さんですら警戒してしまうのも頷ける。
ただ、流石にその心配は杞憂だろう。この多くの人々が行き交う下北沢で、特定の誰かに捕捉されるなんて確率は相当低い。例えるならば、ひとりさんが虹夏さんにたまたま拾って貰えるくらいの天文学的確率。世間はそんなに狭くはない、たまたま鉢合わせるなんて偶然はおいそれと起こらないはずだ。
『喜多さんも不安になったりするんだ……なんか親近感。よ、よし、ここは下北女子である私が喜多さんをしっかり案内しないと……』
『……そうですね。なんと言っても、今日のひとりさんは先生なんですから』
『う、うん!』
ひとりさんが下北女子の定義に当てはまっているかは怪しいけれど、とても良い心がけだと思う。初めて下北沢を歩く時は一人で歩くのすら精一杯だったのに、今ではこうして喜多さんへの配慮すら見せられるようになっている。ひとりさんも少しずつ自分を認め、前向きになろうとしていた。そんな事実を認識する度に微笑ましさと、僅かな寂しさをわたしは抱いている。
「あっあの、喜多さん!もう少しで着きますので……場所はSTARRYって所です。そこにバンドメンバーの虹夏ちゃんとリョウさんが待っているはず……」
「……ゴメン、私やっぱり帰る」
「えっ……なんで」
そんなやる気を見せたところに喜多さんの突然の帰宅宣言を被せられて、ひとりさんは言葉を失ってしまう。そしてわたしも、そのあまりの突拍子のなさに面食らってしまった。あれほどやる気に満ち溢れていた喜多さんが急に帰ろうとするなんて、異常過ぎる上に不自然極まりない。
ひとりさんの発言から帰らなければならない事情が生まれた、そう考えるのが妥当なのかもしれない。しかし、こうも形振り構わずひとりさんからも逃げ出さなければいけないような事情がさっぱりわからなくて、その得体の知れなさに恐ろしさすら感じる。そんな混乱するわたし達に構うことすらなく、喜多さんはひとりさんの顔を両手でむんずと捕まえながら矢継ぎ早に言葉を続ける。
「後藤さん肌柔らかっ!?……じゃなくてっ!理由は言えないけどどうしてもそこには行けない。ここに来たことも私と後藤さん二人の秘密に――」
「おーい、ぼっちちゃーん!!見学の子のためにお菓子とか買ってきたよー!」
「がっ!!?」
鬼気迫る様子の喜多さんに反比例するかのように、その背後から平和そのものな虹夏さんの呼び声が響く。ひとりさんが僅かに視線を動かすと、ご機嫌そのものな表情でお菓子の詰まったレジ袋を抱える虹夏さんの姿を確認できた。買い出しに出掛けていたところを、ちょうど巡り会ってしまったのだろう。
もう一度喜多さんに視線を戻すと、学校の人気者がしてはいけない表情と声を出してしまっている。その姿は普段のひとりさんなんて比較にならないほど絶望感に溢れていて、ここでようやくわたしは喜多さんの事情を窺い知ることができた。
喜多さんは逃げてしまったバンドの先輩に謝るために、ひとりさんへとギターの指導をお願いした。そして、虹夏さんはライブ当日にギターの子が逃げてしまったのだと語っていた。ひとりさんの口から虹夏さんとリョウさんの名前が飛び出た瞬間、おかしくなった喜多さんの挙動。つまり、そういうことなのだろう。
「って、あーーーーーー!!逃げたギターーーーーーーーーーー!!!!」
「あひいいいいいいい!!」
犯人を見つけたとばかりに指を差し、声を荒らげる虹夏さんに昼休みの溌剌さが嘘のように狼狽える喜多さん。目の前の光景こそがこの奇妙な巡り合わせが真実であることを嫌でも語っていた。
『逃げたギターって……?』
『結束バンドの逃げたギター……それが喜多さんだったということでしょうね』
『えっ!?』
ひとりさんにとってはまさに晴天の霹靂だろう。純粋な善意のもと喜多さんへの指導を買って出ただけなのに、いつの間にか最も出会いたくないであろう人物との再会を手引きした形になったのだから。
「喜多ちゃん、何でここに?」
「あれ、何してるの」
「何でもしますからあの日の無礼をお許しください!どうぞ私をめちゃくちゃにしてくださいっ!!」
「誤解を生みそうな発言やめてー!!」
虹夏さんに遅れる形でリョウさんが現れると、もう状況はめちゃくちゃだった。クラスの人気者であるはずの喜多さんが、往来のど真ん中で地面に額を擦りつけんばかりの勢いで土下座する光景はあまりに辛い。数年ネガティブなひとりさんを見続けたわたしですらも目を背けたくなるほどに、その姿は悲壮感に溢れ過ぎている。
なんとか喜多さんに頭を上げさせようと手を尽くす虹夏さんに対して、リョウさんは感心したように喜多さんの痴態を観察し続けている。元結束バンドメンバーの見せるあんまりな惨状に、わたしもひとりさんもただひたすらに置いてけぼりを食らってしまっていた。
『ど、どどどどどどうしようもう一人の私!?』
『まぁ、こういう時は……なるようにしかならない。そういうものですよ』
ようやく思考が現実に追いついてきたのか、大慌てのひとりさんにわたしは力無くそう答えることしかできない。実際問題、きっかけはひとりさんだとはいえこの状況は喜多さんの身から出た錆。ひとりさんにもわたしにも、今できることなんて状況の推移を見守ることくらいのものだ。
一つだけ改めるとするならば、世間は狭くないなんていうわたしの浅はかな認識くらいだろうか。
喜多さんが逃げたことによりひとりさんは結束バンドメンバーに出会い、そのひとりさんが今度は喜多さんを結束バンドへと引き合わせた。人間同士の出会いは偶然の産物ではなく、運命的な巡り合わせの下に行われているんじゃないか。そんなメルヘンな考えを抱いてしまうくらいには、世間というモノは狭いらしい。
ならば、ひとりさんがわたしという存在を望んで生み出してくれたのも、必然に違いないのだと。わたしはそんなロマンチックな思考に浸りながら、目前の事故めいた悲しい人間模様からの現実逃避を行うのだった。
◇
「喜多ちゃん全然ギター弾けなかったんだ……だから合わせの練習頑なに避けてたんだね」
「はい……」
虹夏さんの必死の説得により喜多さんはなんとか落ち着きを取り戻し、事情聴取の場はSTARRY内へ移されることになった。メンバーミーティングの時と同じように、丸テーブルを四人で囲むがその空気は重苦しい。虹夏さんの用意したお菓子も、リョウさん以外は誰も手をつけずに寂しく佇んでいた。
喜多さんからのおおよその説明を受けても、虹夏さんとリョウさんに動じた様子はない。むしろ今までの喜多さんの不審な行動に合点がいったと、納得すら得ているみたいだった。やはりこの重苦しさの原因は喜多さんで、現在も涙目のまま可哀想なくらい肩を縮こませてしまっていた。
『喜多さん気まずそう。私にも何か言ってあげられることないかな……』
『気持ちはわかりますが、ここは虹夏さん達に任せるのが最善でしょう』
喜多さんの逃亡がなければひとりさんの結束バンド加入もなかった訳で、個人的な心情としては喜多さんの味方をしてあげたい。ただ、この件に関してはわたし達は完全な部外者。当事者の虹夏さん達を差し置いて、あれこれと口を挟むのは違う気がするのだ
それに、わたし達がわざわざ割って入るまでもないという確信もある。虹夏さんにリョウさんも、必要以上に喜多さんを責め立てたりするような人でないことは分かりきっている。虹夏さんなんてずっと心配し続けてくれたほどの聖人なのだし、見守っていれば悪い結果にならないのは明白だった。
「突然音信不通になったから心配してた」
「先輩っ!!」
『リョウさんさすが!』
『ほら、やはりわたし達の尊敬する先輩方は器の大きさが違うのです』
意外にもこの気まずい空間を打ち破ったのはポッキーを咥えたリョウさんで、その一言だけで喜多さんは幾分か元気を取り戻していた。
ここ最近は仕事をサボりがちでダメなイメージばかりが先行していたけど、リョウさんもここぞという場面では優しさを発揮できる素晴らしい人物なのだと再確認する。ひとりさんの初ライブの時も庇ってくれたその優しさ、あれが幻でなかったことが素直に嬉しいと思えた。
「死んだかと思って、最近は毎日お線香をあげてた」
「いや、勝手に殺さない殺さない」
こういう一言多い部分も場を和ませるための冗談だと思いたいのだけれど、それはどうだろう。リョウさんなら本当にやりかねないと、頭の片隅で告げるわたしがどうやっても居なくなってくれない。
「あの……怒らないんですか?」
「気付かなかったあたし達にも問題あるし。それに、ぼっちちゃんのお陰であの日はなんとかなったしね!」
「は、はい!」
喜多さんの疑問を受けると、虹夏さんは気持ちよくこちらに笑いかけてくれて。ひとりさんは控えめながらも、力強くそれに頷いて見せた。
経緯はどうあれ、喜多さんの逃亡をきっかけとして今の結束バンドがあるのは疑いようのない事実。わたし達にとっては感謝すべきであり、虹夏さん達もきっと同じような認識でいてくれてるのだろう。あまり大きな心配はしていなかったけれど、無事丸く収まりそうで一安心だ。
「でっでも!それじゃ私の気がおさまりません、何か罪滅ぼしをさせてください!」
「そんなこと言われてもな〜……」
話が纏まったかと思ったところで、喜多さんだけが納得いかないとばかりに異議を申し立てていた。誠意を見せるためにギターを覚えようとしていたくらいだし、こうも呆気なく許されたことが落ち着かないのだろう。しかし、罪滅ぼしといっても慰謝料を要求するわけにもいかないし難しいモノである。
「じゃあ今日のライブハウス手伝ってくれない?忙しくなりそうだから」
「それだけじゃ……」
「ううん、十分助かるよ。よろしくね、喜多ちゃん!」
そんな懸念も、後ろで話を聞いていた星歌さんの提案により解決されることになった。喜多さんはライブハウスのために貢献することで罪滅ぼしができるし、虹夏さん達も仕事が分散されて楽をできる。さすがは一つの店を預かる大人の女性、非常に上手い落とし所だと言えるだろう。
『よかった。喜多さんが虹夏ちゃん達と仲直りできて』
『……そうですね』
ひとりさんの言う通り、一件落着と素直に喜ぶべきなのかもしれない。しかし、今日という日を終えた後のひとりさんと喜多さんの行く末。それだけがわたしには気がかりだった。
喜多さんは元バンドメンバーへの謝罪を果たしてしまった。それは、ひとりさんからギターを教わる理由も消え失せてしまったことに他ならない。明日からの学校では何事もなかったかのように、喜多さんはクラスの輪に戻り、ひとりさんはわたしの裏に引っ込んで日陰の生活を送るのだろうか。
全ては二人の心意気次第、そう理解はしている。けれど折角結んだ二人の縁が、明日からもどうか交わり続けて欲しいのだと。自分勝手にも過ぎるそんな願望を、わたしは捨て去ることができそうにもなかった。
数分後、臨時要員の喜多さんを加えてSTARRYの業務は開始された。
「あいつ、臨時なのに使えるな」
「ホント、喜多ちゃん手際いいね!」
自分から罪滅ぼしを志願しただけに喜多さんの働きぶりはかなりのもので、その姿を見て伊地知姉妹が満足げに頷いていた。あまり似ていないようでいて、こういった細かい仕草が似通っていることに姉妹であることが強く感じられて、何だか微笑ましい。
二人が感心するのも当然と言ってしまえるくらいに、喜多さんのバイト適性は高かった。仕事を一つ教えれば、メモも取らずにスポンジのごとく吸収して教えてないことすらアドリブでこなしてしまう要領の良さ。PAさんを初めとしたスタッフさん等とも、呆気なく打ち解けてしまうコミュニケーション能力の高さなど。クラスどころか学年を通した人気者という肩書きは伊達ではなく、バイトという環境において喜多さんはあまりに優秀だった。
『店長さん、なんであんな服持ってるんだろ……?』
『集めるのが趣味、なんじゃないですか?可愛いものが好きでも不思議ではないでしょうし』
『さすがもう一人の私、店長さんへの理解度が違う!』
星歌さんの意向により、鼻歌混じりに清掃を行っている喜多さんの服装はメイド服に仕立てられていた。星歌さんには縁遠そうな服ということもあり、ひとりさんは疑問を抱いているようだけど、わたしとしてはそこまで首を傾げる程ではないという印象だ。
可愛らしい一面のある星歌さんのことだ。自分には似合わないと理解しつつも、陰ながらそういった服や小物を集めて欲求を満たしている。そんな隠れた趣味があっても不思議ではないと思うのだ。まぁ、さすがにこれはわたしの勝手な妄想が含まれ過ぎているかもしれないけれど。
「ぼっちちゃんも着てみるか?きっと似合うと思うけど」
「ご、ごめんなさい!むむむむむりです!!」
「お姉ちゃん!ぼっちちゃんのこと困らせちゃダメでしょ!」
「困らせるってお前。私なりに交流を図ろうとだな……」
メイド服に視線を注いでることに気付いたのだろうか。気軽にそんな提案をしてきた星歌さんに、ひとりさんはぶんぶんと大袈裟に首を振り否定した。制服で学校に通えないひとりさんに、メイド服は壁が高過ぎる。
星歌さんはどうにも初日のわたしのイメージを引きずっているようで、後藤ひとりを物怖じしない性格だと思っている節がある。だから、今回のようなコミュケーションエラーが度々二人の間で発生してしまっているのが現状だ。言うまでもなくわたしのせいであり、虹夏さんに注意されている星歌さんには本当に申し訳なく思う。
「ま、いいや。私は仕事に戻るから……ぼっちちゃんも、何か困ったことあったら言いなよ」
「……あっ、はい」
丁度いい機会と取ったのか、そう言い残すと星歌さんはバックヤードの方へと引っ込んでいった。ひとりさんも初日に抱いていた恐怖は消え去っているようだし、星歌さんもだんだんひとりさんの取り扱いに慎重にはなってきている。わたしという余計なフィルターが消えて、二人が打ち解けるまではもう一歩といったところだろうか。
「お姉ちゃん、ぼっちちゃんにだけなんか甘くない?」
「そ、そうですかね……うへへ」
「そうだよ!あたしにももうちょっと優しくしてくれても良いのにさ……」
頬を膨らませて拗ねたように口を尖らせる虹夏さん。普段は優しく頼れる先輩のイメージが強いから、こういった妹然とした振る舞いは新鮮だ。星歌さんも実の妹にこそ優しく接してあげればいいのに、なんてわたしは笑っている場合ではない。
星歌さんがひとりさんに甘いというか、過度な心配を向けているのは事実だ。最初の内は新人バイトが心配なのだろうで済ませられたが、それが今日に至るまで毎回続けられていると話は別。星歌さんが何らかの具体的な意味を持ってひとりさんを観察していることが理解できてしまう。
お父さんとお母さん然り、大人という生き物はわたしが想像もできないほどに周囲をよく見ている。だから、星歌さんがわたしの存在に気付くはずがないなんて楽観視はできない。誰にも迷惑をかけないためにも、もう少しわたしが気を引き締めないといけなさそうだ。
「あっそうだ……喜多ちゃん愛想良いし受付も覚えてみる?教えるね!」
「はいっ!」
喜多さんの仕事ぶりにポテンシャルを感じたのだろうか、虹夏さんは臨時バイトにも拘わらず店の看板役ともいえる受付すら教えることにしたようだ。両者ともに明るい性格で波長が合うのか、仲睦まじくまさに花の女子高生といった空気感を放っている。
『今日入ったばかりの喜多さんより仕事ができない私ってなんなんだろう……社会不適合者?』
『喜多さんと比べるのはやめましょう、ね?人には向き不向きがあるんですから……』
そんな空気感に当てられて、ひとりさんがネガティブに入ってしまっていた。喜多さんは女子高生の中でも相当な上澄み、比べる相手が悪過ぎる。無意識のうちに誰かと自分を比べてしまい、自身の心を傷つけてしまうのがひとりさんの悪い癖だ。そんな癖すらも、元を辿ればわたしの存在が原因となるのだからつくづく嫌になる。
「ぼっち、今日は暗いね」
バイトが始まってから姿を見かけなかったリョウさんが、不意に現れて声をかけてきた。虹夏さんが買ってきたお菓子の一部であろうグミを次々と頬張っている状態で。まさか今まで仕事をせずに、こうやってお菓子を食べ続けていたのだろうか。喜多さんの罪滅ぼしを思えば、こうして休んでいるのもある意味では正解なのかもしれないけれど、星歌さんに見つかったら大目玉をくらいそうだ。
「あっ、いえ……喜多さんはバイト初日であんなに仕事できるのに、私はなんてダメバイトなんだろうって」
「そんなことないと思うけど、ぼっちは頑張ってる。メモ取りして、苦手なのに愛想良く接客もして。誰もやりたがらない仕事も積極的にやってくれるし、みんな助かってるよ」
「えっ……いっいやそんな私なんて……ふへっ」
流れるように差し込まれるひとりさんの自虐を、リョウさんはいつものマイペースを維持したままサラリと否定してくれた。ひとりさんはその褒め言葉に瞬く間に機嫌を直しふにゃふにゃになっている。一方でわたしといえば、リョウさんのさり気ない一言に目頭が熱くなる感覚を覚えてしまうほどに。不覚にも、いたく感動をしていた。
だってそうだろう。虹夏さんとは違い、どこか他人への関心が薄そうなあのリョウさんがひとりさんの仕事ぶりをしっかりと見て、評価してくれていたのだから。これを喜ばずして、何を喜ぶというのだろうか。
「主に私が助かってる。これからもたくさん働いて、私をサボらせてほしい」
「は、はい!私、リョウさんの分までお仕事頑張りますね!」
『ひとりさん、リョウさんの分の仕事は請け負っちゃダメですからね?』
『あっ、そっ、そうだった……』
再び余計な一言を放ち、またサボるために去っていくその後ろ姿にしても今では許せるような気がした。ひとりさんが落ち込んでいるのを察知して、わざわざ一声かけてくれたのだという背景を知っているから。今後わたしの中で、リョウさんの尊敬できる先輩という評価が揺らぐことはきっとないだろう。
「ぼっちちゃーん!手が空いてるなら、喜多ちゃんにドリンク教えてあげてよ」
「あっ、はい!」
いつの間にか喜多さんへの受付講座は終了していたようで、手持ち無沙汰となっていたひとりさんに虹夏さんからそんな仕事が割り振られることとなった。慣れてきたとはいえまだまだ新人バイトの身。他人に仕事を教える立場になるなんて、ひとりさんにとっては大仕事であろう。
『よし、名誉挽回のチャンス。……喜多さんのためにも、しっかりとお仕事を伝えられるようにしないと』
『わたしのメモを存分に活用してください。……大丈夫。家での練習を振り返れば、きっと上手くやれますとも』
普段のひとりさんなら尻込みしてしまうところだが、先程リョウさんに認められたのが効いているのかかなり前向きだ。今後長く働き続けるのならば、バイトの後輩に教えることもあるだろうし良い機会であると思う。
ひとりさんは家でギターの練習だけでなく、わたしが教える形で仕事内容の復習もしている。メモには抑えるべき要点や気をつけなければいけないことも纏めてあるので、その経験や知識を上手に使えば大失敗だけはしないはずだ。
ひとりさんと喜多さんの交流を深めるためにも、わたしはあまり出しゃばらずにひとりさんの健闘を見守りたいと思う。
◇
「ーーこ、こんな感じで、ドリンクスタッフは注文された飲み物を渡すだけなので。喜多さんならきっと大丈夫だと思います。……あっ、後は、ソフトドリンクとアルコールを間違えることがないように、気を付けていただければ……はい」
「大体分かったわ、ありがとね後藤さん!」
わたしの予想通り、ひとりさんによるドリンクスタッフ講座は特に大きな問題もなく進行していた。わたしのメモと睨めっこしつつ何度もつっかえながらにはなってしまったが、最後まで立派にやり遂げたことをわたしだけは評価してあげたい。
喜多さんにも随分助けられたと思う。ひとりさんの説明不足になってしまった部分も自ら自然と補足してくれたし、なにより急かしたり馬鹿にしたりせずきちんと、ひとりさんに合わせたペースで話を聞いてくれたのがありがたかった。ちょっと突っ走り過ぎる傾向はあれども、喜多さんも確かに善良で惹かれてしまう人柄をしている。だからこそ、ひとりさんの友達でいて欲しいなんて欲張った考えが頭をよぎり続けてしまうのだ。
「そのメモ、全部後藤さんが書いてるのよね?良かったら見せてくれないかしら?」
「えっ、あっ、はい。……どうぞ」
ひとりさんが頼りにしていたわたしのメモ書き、喜多さんはそれに興味を抱いたようだった。このメモにはバイトのこと以外何も書かれてないし、見られても問題はないので止めるようなことはしない。困るとしたら所々に添えてしまっている、わたしの考えたデフォルメキャラを見られるのが恥ずかしいくらいのものだ。
「……すごい。細かいけどわかりやすくて、バイトマニュアルみたい。後藤さん、とても仕事熱心なのね!」
「あっいや、……そ、それは」
「この楽器のキャラクター達もとっても可愛い!……本当に、ちょっとでも怖い人なんて思ってた自分が恥ずかしいわね」
「……」
図らずも、わたしのメモ書きの内容はひとりさんのイメージアップに繋がってくれたようだ。喜多さんの人脈の広さは学年随一だし、ひとりさんが怖いという学内でのイメージは次第に薄まっていくと思う。自分のしでかした過ちを、何とかわたし自身の手で払拭できそうで何よりだ。
しかし、目の前で誉められているはずのひとりさんはどこか浮かない顔をしていた。
『ひとりさん、どうしましたか?』
『このメモ……もう一人の私が書いたのに。どうして私が褒められてるんだろうって、思って……』
『……気にしないでください。わたしの努力なんて、ひとりさんだけが知ってくれれば良いんです。いつも言ってるじゃないですか』
『……ごめん』
謝る必要がないともいつも言っているのに、ひとりさんは生真面目だ。いつからだったろう、ひとりさんがわたしの努力を自分のものとして受け取るのを嫌がるようになったのは。
多分、中学生の途中からだ。ギターヒーローとして動画を投稿するようになって、賞賛のコメントが貰えるようになった時くらい。その時から、ひとりさんは自分の努力を誰かに認めてもらう喜びを知ったのだろう。そして、自分の努力が誰かに横取りされてしまう虚しさ。そんな余計な感情までをも想像してしまった。その日から、ひとりさんはテストの答案を自分では両親に見せなくなったから。
わたしにとっては、辛過ぎる気遣いだった。わたしは自分の努力で、ひとりさんが喜んでくれればそれだけで良かったのに。ひとりさん以外の誰かからの賞賛なんていらない。誰かから認めてもらう喜びなんて、頼まれても知りたくはない。知ってしまったらきっと、わたしはわたしでいられなくなってしまう。
自らのつまらない承認欲求のために、大切な誰かの人生を傷付ける存在なんてただの化け物だ。そんな化け物に、わたしは決してなりたくなかった。
「ねぇ、後藤さんって何でバンド始めようと思ったの?」
「え」
微妙な雰囲気になりかけていたので、喜多さんの質問にはだいぶ救われた。そう、ひとりさんはわたしのことは過度に気にせず、今は喜多さんとのコミュニケーションを大切にして欲しい。
『なんでって、インドア趣味なのに派手でかっこいいし人気者になれるから……どうしようもう一人の私、理由がどれも不純すぎる!?』
『まぁまぁ。音楽を始める理由に高尚も低俗もないでしょうし、ひとりさんの思うままを語るべきだと思いますよ?』
ちやほやされたいから。言葉にするとあまりに俗っぽくて、ひとりさんが隠したくなる理由もわからなくはない。ただ、ひとりさんが代わりの理由を用意すると世界平和だとか大言壮語をかまして押しつぶされそうな未来しか見えないのだ。そういう観点から、建前は用意すべきではないと思う。
「あっ、あの、私憧れてる人が居て……。ライブに出て輝けたら、少しでもその人に並び立てるかなってずっと思ってて。ギターを触り始めたきっかけは、そんな感じです……」
「わかる、わかるわ後藤さん!私も先輩に憧れて、近付きたくってバンドに入ったの……お揃いね!」
「き、奇遇ですね……へへへ」
喜多さんとひとりさんはそんな共通点を見つけて、どこか通じ合っているようだった。やはり正直が一番、なんて隠し事ばかりのわたしが口にする権利はないのかもしれない。
ひとりさんの語る憧れの人、それが誰を指すかが分からないほどわたしは鈍いつもりはない。私だけのヒーローになって欲しい、そんなひとりさんの願いは今日に至るまで忘れたことはない。ひとりさんの求めた憧れの存在であれるように、日々を積み重ねてきた自負もある。
しかし、そう在れるのも限りがある。最近は不甲斐ない姿を見せてしまうことも多いし、逆にひとりさんに助けられる場面すらあったくらいだ。ひとりさんが成長していく度に、わたしは理想ではいられなくなっていく。もう少しだけ理想で居続けたい、なんて未練がましく縋りつく心をわたしはきちんと抑えつけられているだろうか。
何よりも、わたしは自分自身の心こそが最も信用ならなかった。
ライブの時間が目前に迫ると、ひとりさんと喜多さんの担当するドリンクカウンターにもドッと人が押し寄せた。星歌さんが言った通りに忙しく、今日出演するバンドが人気なのだと窺えるようだった。
しかし、普段より多いお客さんもなんのその。喜多さんのポテンシャルはそれを凌駕しており、明るく丁寧に応対をして次々と客を捌いていった。ひとりさんが若干手持ち無沙汰になってしまうほどの猛烈な働きぶり。あっという間にピークは過ぎ去り、ドリンクカウンターの前は閑散とした状態に戻っていた。
「あの、喜多さんの言ってた憧れの先輩って……」
「うん、リョウ先輩。……先輩の路上ライブ見て、一目惚れしたの」
ライブが始まりお客さんも捌けたということで、ひとりさんが先ほどの会話の続きを再開した。喜多さんは頬を赤らめるとうっとりした様子で、憧れの先輩がリョウさんであることを告げていた。そういえば、喜多さんの感情が爆発したのはいずれもリョウさんがきっかけとなっていた。納得である。
『リョウさん、他のバンドもやってたんだね』
『結束バンドの結成自体が最近ですからね。……当たり前といえば、当たり前でしたか』
わたしも少々驚いてしまったがリョウさん達は明らかに楽器慣れしてたのだから、結束バンドが初のバンド活動と捉える方がおかしいくらいだった。しかし、そうなるとリョウさんと虹夏さんはそれぞれ別々のバンドで活動をしていたのだろうか。初めての出会いの印象から仲良し二人組の印象が強く、あまり想像出来なかった。
「演奏聴いてからリョウ先輩の活動ずっと追ってたんだけど、前のバンド突然抜けちゃって……」
「は、はい」
「その後、結束バンドのメンバー募集を知って思わずやりたいって言っちゃったの」
「す、すごい行動力ですね……」
『ひとりさん、参考にしちゃダメですからね?』
『だ、大丈夫。私には真似したくてもできないし……』
そうは言うけれども、暴走したひとりさんの行動力はどこか喜多さんに通ずるものがあるような気がして非常に心配だった。どうかひとりさんには後先考えた行動を心がけていただきたい。
「バンドって第二の家族って感じしない?ずっと一緒にいて皆で同じ夢を追って……友達とか恋人を超越した不思議な存在だと思うのよね。部活とか何もしてこなかったし、そういうのに憧れてたんだ」
「わ、私も分かるような気がします」
『こう聞くと喜多さんのいうバンドって……なんだか私ともう一人の私みたいな関係だね、えへへ』
『ひとりさん……ええ、そうですね』
ひとりさんがわたしのことを家族と、もしくはそれ以上に大切な存在だと想ってくれている。それだけでわたしは元気をもらえて、これから先も頑張り続けられるような気がした。どんな恐ろしい結末だって、その事実だけで笑って受け止められると信じられるのだ。
「そう、私は結束バンドに入って先輩の娘になりたかったの!友達より深く、密に!!」
『どうしようもう一人の私……急に喜多さんの言ってることが何もわからなくなってしまった』
『……世の中、理解しない方が良いこともたくさんありますから』
喜多さんの倒錯した願望については、苦笑いで流すしかなかった。今回の会話で喜多さんのリョウ先輩に対する憧れや、バンドに対しての思い入れが決して軽いものではないことが良く伝わった。だからこそ、これから喜多さんはどうしていくのだろうと気になってしまう。結束バンドへの再加入を、願ったりはするのだろうか。
「……だから、後藤さんがライブを成功させてくれて安心したわ。私みたいな嘘つきは抜けて、後藤さんみたいな立派なギタリストが入ってくれて。これが、きっと正しい結束バンドの形なのよ……」
「き、喜多さんは……もう、バンドやらないんですか……?」
「うん。一度逃げ出した無責任な人間は、ダメよ……バンドなんてやっちゃ」
喜多さんの出した結論は、結束バンドとの決別だった。話はお終いとばかりにライブの方へと、顔を逸らしてしまう。語っている内に、喜多さん自身が辛くなってしまったのかもしれない。わたしでは喜多さんの出した結論に異論を挟むことはできない。喜多さんの抱える鬱屈とした心境の一端が、少しだけ理解できてしまったから。
たとえ周りが優しくて自分の行いが許されたとしても、自分が一番自分を許せない時がある。わたし達の中学三年のバンドメンバーの事件、彼女達だって優しかった。謝罪をした時には、わたしの所業に対しても優しく寛大な心で彼女達は許してくれた。それでも、謝罪以降にわたしが彼女達に会いにいくことはなかった。彼女達に対して、合わせる顔を持ち合わせていなかったから。
きっと、喜多さんも似たような心境なのだろう。結束バンドに対して、自分の居場所はないのだと諦めてしまっている。
『もう一人の私……一度逃げ出した人間にはもう、立ち向かう資格はないのかな』
『そんなことはありません、絶対に』
だが、客観的事実として逃げるという行為自体が否定されるべきではないはずだ。辛くて、息苦しく上手くいかなくて、何度も逃げながら前に進んできたひとりさんの積み重ねは、誰にも否定させはしない。いくらだって逃げて良いはずだ。辛いことに耐え続けて潰れてしまうくらいなら、逃げてくれた方がよっぽど良い。
『一度逃げたらそれで終わりなんて、悲しすぎます。……逃げた人間だって、許されても良いはずです。少なくとも、わたしはそういう人達に寛容でありたい』
『うん。もう一人の私なら、そう言ってくれると思ってた』
ひとりさんもわたしの言葉に力強く頷いてくれた。ひとりさんの人生は逃亡に塗れていて、でもそんな人生を最近は肯定しつつある。そう思えるようになったのは、結束バンドという新たな居場所のお陰だ。だからこそ、同じ逃げた負い目から居場所を捨てようとしている喜多さんのことが放って置けないんだろう。
『喜多さんスキンシップ多いから分かったんだけど……左手の指先の皮が、硬くなってたんだ』
『それって……』
『たくさん努力したんだと思う……だから私、喜多さんに結束バンドに残ってもらいたい』
喜多さんも逃げ出すつもりなんてなかったのだ。なまじ要領が良いタイプだから、ギターもライブ前までには弾けるようになると自分を信じていた。何度も何度も練習して、それでもダメで。後悔と無力感に苛まれたまま逃げ出すことしか出来なかった。そう考えると、あまりにやるせない。
『ということは、喜多さんを引き止めるんですよね?』
『そうしたい……でも……』
『勇気が出ませんか?』
普通の勧誘の時ですらかなり無理をしていたのだ。それが今度は、辞めようとしている人間を引き止めるなんて難題に挑むしかない状況。ひとりさんが尻込みしてしまうのも当然だ。それでも、踏み出さなければ望んだ結果は得られないし、わたしが代わることもできはしない。何も言わずに、黙してひとりさんの言葉を待つ。
『こうして欲しい、なんてそんなワガママを……もう一人の私以外に、私は向けてもいいのかな?』
ひとりさんの人付き合いは今まで、どこまでも受け身だった。結束バンドのメンバーに対してすらそうで、だからこそ分からないのだろう。他人の心に自分から踏み入る行為が、許されるのか。
こうして欲しい、こうあって欲しい。そんな感情はひとりさんの言うようにワガママなエゴなのかもしれない。でも、誰かに深く関わるということは自分を曝け出して他者を暴こうとする行為そのものに他ならない。そうやって傷つけ合ってお互いを知って、相互理解を深めていく。それが正しい人付き合いで、友達との触れ合いと呼ぶのだろう。
だったら、ひとりさんはもうそれを知るべきだ。ひとりさんが本当に心を曝け出せる相手が、自分の心の内にしか居ないなんて悲しすぎる。
『もちろんです。存分に言ってやりましょう』
『えっ!?で、でも、迷惑じゃ……』
『ひとりさんだって、昼休みに喜多さんから無茶な頼みごとをされたじゃないですか。あれだって言ってしまえば迷惑です、おあいこですよ』
『それはそうかもしれないけど……』
『だから、好き放題言ってやれば良いんです。……それで、もし失敗したら一緒に反省して。また明日、頑張ればいいのですから』
『……うん。私、頑張ってみる!』
いい返事だった。ひとりさんもその心と自分の世界を、もっともっと外側へと広げていく瞬間が来ている。少し寂しいけれど、わたしはその背中を精一杯に押してあげようと思う。それこそがわたしの、役目なのだから。
◇
「今日はありがとうございました。これからもバンド活動頑張ってください、陰ながら応援しています。……それでは」
バイトの時間が終わり解散が告げられると、喜多さんは荷物を纏めて我先にと帰ろうとしていた。罪滅ぼしが終われば、すぐにでも消えるつもりだったのだろう。自分のせいで捨てざるを得なかった場所、そんな空間から一秒でも速く立ち去りたかったのかもしれない。
「き、喜多さん……待ってください!」
「後藤さん?……どうしたの?」
それをひとりさんが引き止めた。STARRYの入り口前に立ち塞がり、両手を広げて通さないぞと懸命なアピールをしながら。ひとりさんは怖気付かずに一歩踏み出して立ち向かうことを選んだのだ。わたしももう見守ることしかできないけれど、きっと悪い結果にならないという不思議な確信がある。
ひとりさんは誰よりも人の痛みに寄り添える人だと、この身を持って知っているからだ。
「あっ、あの!もう一度私達と一緒にバンド……やってみませんか?」
「……ごめんなさい。さっきも言ったけど結束バンドには入れないわ。ギター弾けないし、一度逃げ出した人間だもの」
喜多さんらしくもなく顔を俯かせたまま、これっぽっちも揺らいだ様子すら見せずに拒否をされる。少し誘われた程度では、喜多さんの結論が変わることはないのだろう。そうも簡単に自分を許せるのなら、喜多さんがこれほど思い詰めることもなかったはずだ。
「でっ、でも、喜多さんはギターの練習をたくさんしていたはずです。私には、わかります。……だから、本当はバンド続けたかったんじゃないですか……?」
「だとしても、私がギターを弾けなくて逃げ出した人間だって事実は一つも変わらないわよ……」
「喜多ちゃん、ぼっちちゃん!まずは一旦落ち着いて――」
「虹夏、ここはぼっちに任せてみよう」
一歩間違えれば言い争いにも発展しそうな緊張した空気に、たまらず虹夏さんが割って入ろうとする。それをリョウさんが押し留めてくれて、その対応がなによりありがたかった。ひとりさんは今、人生で一番の勇気を振り絞っている。その結果を、最後までちゃんと見届けてあげたかったから。
「き、喜多さんはバンドはもう一つの家族だって、言ってましたよね?……そんな大切な場所を、私は喜多さんに捨てて欲しくないんです……」
「そんな人達を裏切ったのが私……もう合わせる顔なんてないの。……後藤さんみたいなカッコいい人には、わからないかも知れないけど……」
それは明確な喜多さんの拒絶の言葉だった。お前なんかに分かるはずがない、そんな線引き。喜多さんからしてみればひとりさんは成功した人間で。失敗した喜多さんにとっては、ひとりさんの言葉なんてどれも上から目線で聞き入れ難い言葉なのかも知れない。
だからこそ、ひとりさんの言葉は喜多さんに届くはずだ。失敗して、挫折して、逃げ場すらなくて。わたしのような人格を生み出して逃げることしか出来なかったひとりさんの言葉なら、喜多さんにはなによりも響くはずだから。
「……私も、逃げました!」
「え?」
「小学校の作文コンクールから逃げました!算数のテストからも逃げました、運動会からも逃げました、六年生の半分以上は全部捨てて逃げました!中学校からはギターばっかりで、たくさんの障害に目を背けて逃げ続けました!そのせいで、三年生の文化祭ライブからも逃げ出しました!!……私は、逃げて逃げて逃げてばっかりの、ダメ人間です!!!」
皆、言葉を失っていた。わたししか知らないひとりさんの、苦難に溢れた悲しい来歴。それをひとりさんは、大声で惜しげもなくぶちまけたのだ。
ひとりさんは自己肯定感が低いけれど、それでも見栄や知られたくない事柄なんてのはいくらでもある。自分の情けない部分を自ら晒すのに、どれほどの覚悟がいるのかなんてわたしには想像もつかない。
他人の心に踏み入るのなら、まずは自分の心を曝け出してから歩み寄る。それがひとりさんの選んだ、友達との触れ合い方なのだろう。わたしには到底真似できない接し方だ。
「何もそこまで言わなくても……」
「でも!……それでもいいよって、言ってくれた人が居るんです。ダメダメで迷惑かけてばっかりなのに、次頑張ろうって何度だって励ましてくれて。その人が支えてくれたから……私はこうして今、結束バンドにいます。……だから、喜多さんに私もそうしてあげたいんです!」
ひとりさんの言葉を信じるならば、わたしはひとりさんの人生に良き影響を与えられていると自惚れてもいいのだろうか。ひとりさんの純粋な心を守り続けて来たのだと、胸を張ってもいいのだろうか。それはわたしの最後の瞬間までわからないし、きっと今後も誰からも評価はされない。
それでも、この瞬間だけは確かに認められているようで。胸が空くような想いを抱けていたのだけは確かだった。
「ギターが弾けないのなら、私が教えます。虹夏ちゃん達への負い目が消えないのなら、何度だって一緒に謝りましょう。……こんな私じゃ頼りないかも知れないけど、精一杯寄り添って支えます!……ですから、私達と一緒に結束バンド、やりませんか?」
「後藤さん、私……っ!」
最後までひとりさんはその想いのありったけを、吐き出してみせた。腕は震えっぱなしで、喉はカラカラ。肩で息をしていて、顔なんてもう涙でぐちゃぐちゃだ。全身全霊を込めて、ありのままぶつかってみせたひとりさんの言葉は喜多さんに届いたのだろうか。
喜多さんは既にひとりさんに背を向けていて、口を引き結びながら虹夏さんとリョウさんへと向き合っている。それだけで、喜多さんの結論がどう変わったのかなんて火を見るよりも明らかになっていた。
「伊地知先輩、リョウ先輩。恥知らずなことを言っているのはわかっています。でも、私はもう後藤さんからは逃げたくないんです!……だからお願いします、もう一度私を結束バンドに入れてください!」
「わ、私からもっ……お願いします!」
喜多さんは腰を直角に曲げて、深々と頭を下げては二人にそう訴えかけた。ひとりさんも、慌てた様子で続くように頭を下げている。誠意を表すためなのだろうけど、ちょっと仰々し過ぎるかもしれない。
虹夏さんとリョウさんの性格。そして先ほどまでのやり取りを見ていたことも踏まえれば、二人の出した結論もきっと明るいものに違いないのだから。
「ぼっちちゃんも喜多ちゃんも、顔を上げてよ。これじゃあたし達が虐めてるみたいじゃん」
虹夏さんの困ったような一声が、張り詰めていた空気を霧散させてくれる。ひとりさん達が顔を上げると、虹夏さんとリョウさんが笑顔で顔を見合わせてくれていた。それがなによりも今後の結束バンドの行く末を示してくれているようで、わたしも心の内で笑顔になれそうだった。
「あたし達のギターがこんなに熱心にラブコールしたギターボーカルだもん。これはもう、結束バンドに迎え入れるしかないよね。ね、リョウ!」
「うん。ぼっちも郁代もロックだった。……歓迎する。これで、スタジオ代もノルマも四分割」
「素直な言い方しなよ〜」
「伊地知先輩、リョウ先輩……ありがとうございます!」
結束バンドの朗らかで仲睦まじい雰囲気が帰ってくる。ひとりさんもいつの間にか小さく笑みを浮かべていて、これにて結束バンド再結成。一件落着といったところだろうか。わたしは何もしていないのに、不思議と肩の荷が降りたような爽快な気分だった。
「き、喜多さん。これで元通り、ですね……えへへ」
「うん!私、頑張るっ……結束バンドのボーカルとして、後藤さんのためにも……っ!!」
「あっああああああっ、喜、喜多さん、おっ、おちおちおち、落ち着いて……」
感極まったのか目に涙を携えながら、喜多さんはひとりさんに抱きついて決意表明をして。そんな人生初のシチュエーションにひとりさんは盛大に狼狽えて、虹夏さんとリョウさんは微笑みながら見守ってくれている。
どうしようもないほどの、青春の一ページ。ひとりさんが自分の頑張りでその光景を勝ち取ったのだから、わたしはなによりも誇らしかった。今日の帰りはひとりさんがなんと言おうと、わたしの貯金を切り崩してケーキを買おう。
今日はひとりさんが自分から友達を作った、記念すべき一日なのだから。