Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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101.月の波音

「でび様……!」

 

 懐かしい声とともに、誰かがでびるの手を取った。細く、華奢な手だったが、次にはとんでもない力でもってでびるの全身は暗闇から引っ張り上げられた。

 

「ふぇ……?」

 

 床に倒れ伏したでびるはゆっくりと顔を上げた。小さな部屋だった。両側の壁には棚があり、棚には埃を被ったゲームのパッケージが並ぶ。奥の小窓からは夕陽が射しこんでいるようだったが、夕陽はでびるに背を向けて立つ、ピンクのカーディガンを羽織った女に遮られていた。

 

「美大生? ひょっとして、美大生なのか……?」

 

 でびるが呼び掛ける。女は窓の方を向いたまま言った。

 

「でび様、こんなとこにいちゃだめです。早く起きなくっちゃ」

 

「何言ってるの? 僕はほら、目だってちゃんと開いてるよ」

 

「ううん。でび様まだ目開けてないよ。ちゃんと見てあげて。じゃないと……」

 

 そこで女は小さくだが、振り返った。逆光で表情は見えなかったが、でびるはその姿に目を奪われた。女は言った。

 

「リオン様が死んじゃう」

 

―――

 

 でびるは目を覚ました。周囲に広がるのは暗闇……いや、闇があるわけではい。そこに奥行きは全くなかった。それを空間と呼んでいいのかどうかわからない。奥行きがないにもかかわらずぶつかる壁も存在していない。電源の入っていないモニターの向こう側がでびるの頭に思い浮かぶが、それが正しいのかどうかもでびるにはわからない……でびるが漂っていたのはそんな場所だった。

 

 隣を見ると、鷹宮リオンが同じように漂っている。

 

 でびるは鷹宮リオンを揺り起こそうと手を伸ばし、異変に気付く。悪夢にうなされているのか汗を流して呻いている……それはいいのだが、それよりも鷹宮の体は常にその末端からドットのように細かな点となって霧散し、かと思えば虹色の光とともに霧散した手足が元通りになるという様相を繰り返していた。でびるはひとまず起こそうと鷹宮の体を揺する。

 

「小娘、僕、僕だよ! 起きて! 返事して!」

 

 繰り返し揺すられた鷹宮はゆっくりと目を開くと、傍らのでびるを眠気眼で認めた。

 

「うん、ん……でび?」

 

「小娘!」

 

 目覚めた鷹宮の後頭部にでびるは抱き着いた。鷹宮は未だにぼーっとしているようで、さほど興味も無さそうに辺りを見渡すと、また目を閉じようとした。

 

「おい寝るな! それより小娘、お前の体は大丈夫なのか?」

 

「ああ……」

 

 と鷹宮は自らの体を見下ろした。やはりどうでも良さそうだった。

 

「たぶん、これのせい」

 

 鷹宮が胸に手を当てると、その胸から光り輝く卵が現れた。卵の発する光は鷹宮の霧散した手足を復活させているものと同じ、虹色の光を放っていた。

 でびるは目の前で卵を見て気づく。先ほど夢で見た美大生と同じ魔力の波長……。

 

 鷹宮はでびるが納得する間もなく卵を再び胸へと収める。鷹宮のあまりにとっかかりのない様子にでびるは少し不安を覚えた。

 

「小娘どうした? ずいぶん元気ないじゃんかよ、どこか痛いのか?」

 

「え、元からこんなもんだよ……」

 

 そう言うと、鷹宮はうっすらと目を開けた状態で首元に手をやった。

 

「どうした? 痒いのか?」

 

 でびるが鷹宮の首に手をやろうとしたとき、鷹宮の首元に黒い蝶の文様が浮かび上がった。

 

「あ……」

 

 何かを思い出したかのように鷹宮リオンはぽっかりと口を開けた。それがきっかけだったのか、首元の文様から小さな黒い蝶がひらひらと現れ、でびるの顔の前で砕け散った。

 

 でびるはパチパチと瞬きし、何が起こったのか聞こうと鷹宮を見た。だが、鷹宮の首元の文様からは、次々と黒い蝶が湧き出し始めた。蝶たちは虚空の中に砕けて散っていく。

 でびるは気づいて声を上げた。

 

「これ、お前の魔力じゃねえか! 小娘止めろ! 魔力が流出してる!」

 

 でびるが文様を抑えようとするが、蝶はでびるの手を押し退けて鷹宮の体の外へと出て行ってしまう。鷹宮はでびるに言った。

 

「ごめん、これはきっと、私の中からの……」

 

 掠れた声は露のように消えていく。でびるは文様に触れてなんとかその正体を見極めようと魔力を走らせた。

 

 でびるは確信する。たぶん、小娘の内側には穴が空いていた。元々なのか、聖杯戦争のさなかに出来たのかはわからないが、それは確かに虚空が付け入る隙となるような、暗く、何もない、小娘らしからぬ領域だった。この穴に虚空がアクセスして、外に拡がる無間の虚空と繋がろうとしているのだ。

 

「小娘、僕と契約しろ!」

 

 なりふり構わずでびるが叫ぶ。鷹宮は眠そうにでびるを見上げて言う。

 

「え、もう契約してるじゃない」

 

「違う、マスターとサーヴァントの関係じゃなくて! 僕の契約者になれって言ってんだ! そうすれば、少なくとも小娘の内側にあるその穴は埋めてやれる。埋めてやれるはずだから……!」

 

 懇願するでびるの声も、もはや鷹宮には届かなかった。鷹宮は虚ろな目を拡げ、ぶつぶつと独り言を呟き始めていた。

 

「もしでびちゃんと出遭ってなかったら、私は何を願ってたんだろう……」

 

「小娘しっかりしろ! 大丈夫だって!」

 

「……この聖杯戦争で聖杯を取れば、みんなに認めてもらえると思ってた。けど私には何にもない。もう、期待に応えられない……」

 

「期待になんて答えなくていいよ! お前はお前でいてくれるだけでいいんだ! 小娘!」

 

「……ああ、みんなの言うとおりにしとけばよかったな。私なんて所詮……」

 

 鷹宮は目に涙を浮かべて、砕け散っていく蝶の姿を見つめるのだった。

 

「くそ!」

 

 もはや時間がない。でびるは一方的に契約することを決意した。でびるは鷹宮の頬をぺちぺち叩きながら耳元で叫ぶ。

 

「小娘、諦めるのはまだ早いよ! 目ェ開けろ!」

 

「そうですよ。目を開けて、顔を上げてください」

 

 でびるのものではない、女の声が聞こえ、鷹宮は目を開く。

 

「あ、月の光……」

 

 穏やかな波が寄せては返す、夜の静かな浜辺だった。鷹宮は昼間の温度の残る砂浜の上でゆっくり身を起こすと、傍らのでびると顔を見合わせる。次いで、二人は海の方を見た。

 遠くからの月が、海上を照らしていた。

 

 一羽の黒い蝶が砕けもせず、月へと飛んでいくのを見て、鷹宮は涙を流した。

 

「最後がこんな、静かな場所で良かった」

 

 そうして首元に手をやり、鷹宮は違和感を覚えた。

 

 蝶の流出は止まっていた。海の上を飛んでいったのが最後の一羽だったのだ。

 

「でびちゃん、これ、変じゃない……」

 

 途端に鷹宮は冷静になり、恐ろしくなった。ここは何もない虚空のはず。なのにどうして、砂浜が、海が、そして月なんかが在るのか……。

 

 そのとき、月からゆっくりと、二人の座る砂浜に柔らかな虹が降りてくる。虹……あの空に掛かる七色の光の橋が今、海を跨いで月と砂浜を結んでいた。

 

 鷹宮とでびるが注視する中で、唐突に月に小さな影が浮かびあがる。影はぽん、ぽん、と虹の上を柔らかく弾みながら大きくなっていく。月から現れたそれは、どうやら虹の橋を渡って二人の元に来るらしい。二人は警戒して立ち上がるが、その姿がはっきり見えると力が抜けたように警戒を解いた。

 

 宇宙服だった。少しずんぐりむっくりとしたシルエットだとは思ったが、傷一つないピカピカの宇宙服で、上機嫌に重力も軽く虹の上を跳ねている。

 ヘルメットの後方からはなぜかツインテールのような髪が伸びており、そいつが跳ねるたびにツインテールは空中に曲線を描いて流れていく。

 そして、ヘルメットの面には白のスプレーで書いたような簡素な顔がついており、その表情は浜辺にいる二人を見てピコピコと喜びを表すものへと変化する。ヘルメットの上部には、兎を象った耳がついていた……。

 

 砂浜に降り立ったそいつは、砂を踏みしめて二人の方を向いた。

 

 カチ、と音がして、ヘルメット上部の耳についたライトが点灯し、二人を明るく照らし出す。ピコン、と胸に取り付けられた液晶にツインテール姿の女の子の姿が浮かび上がる。

 

「あー、テステス。聞こえてますか?」

 

 液晶の女の子は身を乗り出して尋ねたが、二人は答えられずに呆然と液晶を見つめていた。

 

「あれ、聞こえてない……どうしよっかな、こういう場合は」

 

 宇宙服を着たそいつと液晶の女の子がうーん、と同時に肘を組んで何やら考え始めたが、やはり同時に何かを思いついたようで、人差し指を立てて、液晶の女の子が言った。

 

「もうこれ、取っちゃいましょうか」

 

 宇宙服を着たそいつが自分のヘルメットに手を掛けると、ぷしゅー……と間の抜けた音とともに内部の空気が排出され、ヘルメットが取られた。

 

 星がよく見える日の夜空のような、そんな瞳に鷹宮は目を奪われる。女はヘルメットを脇に抱えると、長いツインテールをぱっぱと後ろに払い、左右の前髪のヘアピンの位置を調節した。

 

 その女を鷹宮は知っていた。同時代に生きる魔術師なら誰もが知っているだろう。たった一代で嵐のように現代の魔術世界を変革した女。

 

「つ……つ、つ……」

 

 鷹宮は頬を引き攣らせて言った。

 

月ノ美兎(つきのみと)⁉」

 

 名前を呼ばれて女は「お!」と嬉しそうに反応すると、鷹宮を見てにっこり笑うのだった。

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