Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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102.夜の……海の……教室の……

 月ノ美兎

 

 同時代で魔術世界を塗り替えていく彼女の活躍に鷹宮リオンは憧れていた。

 表に出ている情報ならばなんでも求めたが、鷹宮家では取引相手が月ノ美兎に潰されたこともあって彼女の情報は制限されていた。それでも鷹宮リオンは諦めず、父親にわがままを言って彼女のことを教えてもらい、いつか自分も魔術世界を大きく変えるんだとその胸に情熱を燃やしたものだった。

 

 しかし当然のこと、月ノ美兎は鷹宮リオンとは違う境遇にあった。

 

 幼き頃、ヨーゼフ博士の非道な実験のために施設から攫われた彼女は、実験を唯一生き延びた悲劇の少女でもあった。

 

 実験。それは人間の天地を繋いで無限を再現しようというおぞましいものだった。普通なら、入り口と出口を繋いだところで一人一人の人間の性質は違い過ぎる。無限どころか栄養がいきわたらず、また感染病などによって簡単に死んでしまうだろう。しかし、ヨーゼフ博士は偏執的ともいえる執念でこれを乗り越えた。

 

 世界中から種族を問わず念入りに選ばれた零歳から百歳までの、そして百歳から零歳までの円環を成す199人は、みな魔力の波長も生体の波長も滑らかに揃えられたかのような数値を描いていた。零は百を追いかけ、百は零を追いかける。この循環運動の中に始まりと終わりは消滅し、数字と距離の隔たりも埋没して、全ては無限へと奉仕する糧となる。

 

 繋ぎ目から虹の光を溢し始めた199人を見て、ヨーゼフ博士は歓喜したという。それは誰もが夢に見ていた無限に違いはなかったのだろう。

 

 しかしアクシデントが起こる。発生した無限に人の体が侵され始めたのだ。

 実験室を包み込む虹の光の中に血が噴き上がった。繋がれた人間たちはあちこちの骨がねじ曲がっていくのに耐え切れず、血溜まりにのたうち回り、くぐもった悲鳴を上げて倒れていく。一人倒れればそれが綻びとなって無限を支えきれず、連鎖的に人は倒れていった。

 

 博士は最後に煌めく虹の光を見上げて嘆いた。やはりだめなのか、自分ではもう不可能なのか、と。

 

 光が収まった後の実験室は廃墟も同然に破壊し尽くされていた。博士は実験室内を点検しながら次の実験について考えを巡らしていたが、数多の屍を乗り越えた先、実験室の端の方で、少女がすやすやと寝息を立てて眠っているのを見た。

 

 少女の周囲では虹の光が小さくパチパチと弾けていた……まるで、少女の運命を祝福しているかのようだった。

 博士は確信した。この子は無限に選ばれたのだと。

 

 この少女こそが月ノ美兎である。

 

 

 少女と博士との生活については残っている資料が少ない。ただ、後の少女自身の口から語られたことでは、少女はよくそこらの雑草をちぎって食べており、博士はそれを見つけるたびに「汚い! やめるんだ!」と手に持っている新聞で少女の頭をはたいたという。

 

 少女と博士との関係については謎が多い。ただ、その最後については有名だ。少女は15歳になった日、博士を幽閉、監禁した。これを機に少女は自由となり、その身に宿す無限によって、たちまち魔術世界の脚光を浴びるのだった。

 

 少女は世界にとって有益と思われる魔術師たちの実験や、あるいは単に好奇心に適った実験に惜しみなく協力して自らの地位を築きあげていった。反対に、明らかに誰のためにもならなそうな、つまらなさそうな行為を手伝うことはなかった。

 恐らく、彼女自身に強い正義感があったわけではないだろう。だが、彼女の行為は根源を願い権力闘争に明け暮れる魔術師たちの権力基盤を確実に弱め、追い詰めていく。

 

 彼女が気付いたとき、彼女は莫大な懸賞金が懸けられた賞金首となっていた。しかし同時に、彼女の周囲には、彼女を命がけで守ろうとする派閥が出来上がっていた。

 

 既存の権力者たちとの対立が決定的になったとき、彼女は有名な宣言を行った。

 

「力を持った魔術師たるもの清楚でなくてはなりません! 清楚にあらずんば魔術師にあらず! ここに、魔術師たちが常日頃から清楚であるかを確認し、清楚の見本たらんとする組織、清楚委員会の立ち上げを宣言します!」

 

 清楚委員会を立ち上げてからの彼女は対外的には委員長として振る舞い、誠実な他組織を支援する傍らで、自分に害為す敵対勢力を清楚でないと非難して堂々と排撃していった。何が清楚で何が清楚でないか、その判断の政治的なバランス感覚も良く、清楚委員会、及び委員長はその活動のたびに支持者を増やしていくことになる。

 

 この判断には聖堂教会の良心と言われたシスターが委員長補佐に就任した影響も大きいだろうと言われているが、他に、新興国家の第二皇女や傭兵集団を率いるエルフ、有名財閥の御曹司など、派閥には彼女の交友関係の延長で加わった者が多いことも注目に値するだろう。

 

 委員長は順調だった。魔術世界を滅茶苦茶にしているという非難はついて回ったが、実際には清廉潔白、魔術の未来がそのまま人類の未来になるような、魔術師たちの努力によって多くの人々にその恩恵が行き渡るような、そんな美しい世界の到来も夢ではなかった。

 

 しかし、彼女は突然失踪する。清楚委員会はこの直前、戦争にでも出るような大掛かりな準備をしている様が目撃されているが、真相はわかっていない。

 

 月ノ美兎、委員長……彼女の無際限の魔力とフットワークの軽さによる数多の実験協力は現代魔術を圧倒的なスピードで革新し、同時に魔術師らしからぬ妙な庶民感覚と良識、そして庶民感覚では説明できない異端の発想力によって、魔術世界はまさしく彼女を中心に回り始めていた。彼女は伝説だ。あるいは怪物。魔術世界における特異点……。

 

 そんな委員長、月ノ美兎が、今……私の前にいる!

 

 

 鷹宮リオンは後ずさった。すると背後に椅子があり、鷹宮は足の力が抜けたように席についてしまう。

 

「……あれ?」

 

 鷹宮は机に手をついて辺りを見回した。聞こえてくるのは波の音。窓の外では異様に大きな月の元に、夜の暗い海がどこまでも続いている。

 月の投げかける一筋の光は海上の小さな波の一つ一つを丁寧に照らし出し、この教室にまで届いていた。

 

「あ、今寝てたでしょ」

 

 顔を覗き込んで笑ったのは、向かいの席に座っていたショートヘアのお淑やかそうな少女だった。少女は薄い黄色い瞳をちかちかと瞬きさせてほほ笑んだ。

 

「寝てるなら寝かしとったらえーのに。ほらリオンちゃんも、寝とけ寝とけ」

 

 鷹宮を気遣うようにそう言ったのは、銀髪をポニーテールに結んだ気の強そうな少女だ。

 

 鷹宮にもまだ状況が把握できていなかったが、どうやらお互いの席をくっつけているらしい。鷹宮の隣の席ではでびでび・でびるが目を回している。

 

 そしてもう一人、長方形を作るように固められた四つの机に横付けされた、もう一つの机。ちょうど鷹宮とショートヘアの少女の隣でニヤニヤと笑っていた少女、月ノ美兎が言う。

 

「もう、楓ちゃんったら。寝かそうとしないでください、大事な話があるんですって」

 

「そーかそーか。そりゃ悪かったなあ」

 

「ほんとですよもう。せっかくここまで来てくれたのに、勘弁してください」

 

「一理あるな」

 

 銀髪の少女がニカっと笑う。それに応えるように月ノ美兎もささやかな笑みを浮かべた。なんてことはない、夜の教室で、高校生たちで話をしている……それだけのことだ。月ノ美兎を含めてみんな高校の制服を着ているし、演出されているこの空気感は鷹宮リオンにとっても心地のいいものだった。しかし……。

 

 鷹宮は小声ででびるの肩を揺すった。

 

「でび、大丈夫なの?」

 

 でびるの目の焦点がゆっくりと鷹宮に合うと、でびるはだらんと舌を出して吐き気を訴える。

 

「うぅ、小娘……この空間気持ち悪い」

 

 無理もない、と鷹宮は思う。この空間の魔力濃度は尋常じゃない。ほとんど異世界と言ってもいい。恐らく、この空間は今も虚空に呑まれ続けている。月ノ美兎はそれを無限の魔力量でもって空間を作り続け、無理矢理対抗しているのだ。悪魔であるでびるはこの空間の影響を鷹宮より強く受けているのだろう。ふと鷹宮は月ノ美兎がこちらを見ていることに気づく。月ノ美兎は言った。

 

「はい。それにしても鷹宮さん、長々と説明ご苦労様です」

 

「はい、え?」

 

 鷹宮には意味が分からなかったが、ショートヘアの少女と銀髪の少女が反応した。

 

「なるほどなるほど。そんなことがあったんだ~」

 

「ウチらの知らん間に美兎ちゃん大変やったんやな」

 

 二人は興味深そうに月ノ美兎を見つめた。月ノ美兎はふふんと笑って鷹宮を見、人差し指を立てて言った。

 

「ちなみにわたくしから補足させていただくと、ヨーゼフ博士の目的は無限なんかじゃありませんでしたよ」

 

 呆気にとられた顔を浮かべてる鷹宮を見て、月ノ美兎は笑って続きを言う。

 

「無限は単なる副産物です。博士の目的は、異なる人間同士が異なる人間のまま一つの生き物としてすくすくと元気に育っていくこと。そしてそんな生き物の傍らで、自分の人生を歩みなおすこと」

 

「……は?」

 

 鷹宮は月ノ美兎が何を言っているのか理解できなかった。

 

「わかりませんか?」

 

 そう尋ねてきた月ノ美兎に対し、鷹宮は素直に答えた。

 

「わからないっす」

 

「ですよね! 私も私も! いぇーい!」

 

 共感を得られたとばかりにテンションを上げた月ノ美兎は鷹宮にハイタッチを要求したが、その手が鷹宮の手と重ねられることはなかった。月ノ美兎は切り替えていった。

 

「とにかく、これがヨーぜフ博士の夢であり、罪滅ぼしであり、ある種の屈曲した人類愛だった、ということらしいんです。幽閉も仕方なかったんですよ。あのヤロウ再びわたくしを入れて実験しようとしてたんで。わたくしも花も恥じらう15歳でしたし……ちょっと、二人の男性と前後で繋がるのはいささか嫌だったというか……ねえ?」

 

「そ、それはまあ……」

 

 鷹宮は苦い顔をしながら頷いた。次いで同級生二人は喝采を送った。

 

「ようやった美兎ちゃん! 舐め腐った態度取る奴はぶっ飛ばしたらなあかん!」

 

「いいと思うよ。嫌なことは嫌って言わないと自分だけが辛くなるから」

 

 月ノ美兎は二人の言葉を嬉しそうに受け取ると、少し申し訳なさそうに切り出した。

 

「それではそろそろ……」

 

 月ノ美兎が言い切る前に二人は立ち上がった。

 

「大事な話やろ。ええで」

 

「先行ってるね」

 

 そうして二人は教室の後ろの扉から出て行った。しばらくは廊下から足音が聞こえていたが、それも聞こえなくなると教室は静まった。

 

「二人とも、わたくしが幼い頃、同じ施設で仲良くしてくれていたお友達なんです」

 

 月ノ美兎が、二人の出て行った扉を見ながら言った。鷹宮もまた月ノ美兎の顔を見ると、二人の出て行った扉を目で追いかけた。

 

「あれから普通に育ってたらこんな感じかなって、わたくしが想像して勝手に作っちゃいました……たぶん似てないんだろうな」

 

 どっかで幸せになってればいいんですけど……と、月ノ美兎はそう言って、もう扉の方を見るのを止めた。

 

「さて、と」

 

 月ノ美兎はすっと立ちあがると、鷹宮を見て言った。

 

「昔々あるところに、学級委員長の女の子がいました」

 

「え?」

 

 鷹宮には月ノ美兎が突然何を言い出したのか理解できなかったが、月ノ美兎はおかしかったらしく、笑いながら教壇の方へ歩いていった。

 

「ふふっ、昔々ときましたか。これまた仕込んでくれましたね」

 

 そうして月ノ美兎は教壇に上がると、教卓の前に立って号令をかけた。

 

「起立! 気を付け!」

 

 椅子の足が床と擦れる音が二つ鳴った。月ノ美兎はぴっと背筋を伸ばして立ったあとで、誤魔化すように体を横に傾けて、笑って付け足した。

 

「なぁんて、言っちゃったりして」

 

 そうして教壇から、気を付けの姿勢で立っている二人を見下ろした。

 

「おい、動かないぞ! 座らせろ!」

 

「着席させてよぉ!」

 

 文句を言う二人を眺めながら、月ノ美兎は二人の方へと歩みを進めていく。

 ぷるぷる震えて必死に抵抗する二人を前に、月ノ美兎は軽やかな笑みを浮かべて言った。

 

「では贈り物がなんなのか、確かめるとしましょう」

 

「僕たち話すことなんて何もないよぉ!」

 

「そーだそーだ! 贈り物とか意味わかんない!」

 

「いや、わかんなくていいですって。貴方たちには」

 

 月ノ美兎は鷹宮リオンの胸へと手を伸ばす。その手はかざされるだけで胸に触れることはなかったが、鷹宮には自分の奥がまさぐられているように感じられて吐き気を憶えた。

 

「これ、世界卵……? まさか実在していたとは……なるほど、これを使えば私も晴れて学級委員長というわけですか」

 

 月ノ美兎が淡々と分析を進める間、鷹宮は身を捩り、何かを吐き出そうとするように咳を溢し始める。それを見てでびるが訴えた。

 

「おいやめろ! 小娘が苦しんでる!」

 

 聞こえているのかいないのか、月ノ美兎は鷹宮の胸に手をかざしたままでびるをちらとだけ見て、うん、と自分の中で納得を得たかのように頷いた。

 

「そうですね。もういいでしょう。では鷹宮さん」

 

 お疲れ様です……。月ノ美兎は告げると、自分の手を鷹宮の胸の中に挿し入れた。

 

 鷹宮が目を見開いて悲鳴をあげた。でびるが歯を食いしばってもがくが、気を付けの姿勢から動くことはできなかった。

 

「おや?」

 

 月ノ美兎が呟くのと同時に、タン、とエンターキーに指を落とすかのような音が鳴る。

 

 月ノ美兎の手は弾かれたように鷹宮の胸から押し出された。見ると、その手は手首から先が無くなっており、断面はポリゴンと化して空間上に消えていた。

 

「なんですかこれ……防御システム?」

 

 月ノ美兎は不服そうな表情で腕の断面を見つめると、ぱっぱと腕を振って断面を制服の袖に隠す。

 

「なるほどなるほど。手続きを踏まないといけないわけですね」

 

 うーん……と月ノ美兎は側頭部を親指で押し、悩みながら鷹宮の向かいの席に座ると、机に目を落とした状態で言った。

 

「気を付け、着席」

 

 今まで二人の体を縛り付けていた力がふっと抜けて、二人は席へと崩れ落ちた。

 

 机に突っ伏して肩で息をする鷹宮、対してでびるは息を切らしてはいたものの、歯を食いしばると、月ノ美兎に殴り掛かった。

 しかし、でびるの拳は見えない力に阻まれているかのように月ノ美兎には届かなかった。

 

「あははははっ! クソ雑魚パンチやめてくださいよ~」

 

「この! くそっ!」

 

 月ノ美兎がけらけらと笑いたてるなかで、でびるは引っ掻いたり、噛みつこうとしたり、果てには魔弾を放つが、それらが月ノ美兎に届くことはなかった。

 月ノ美兎は見兼ねた様子ででびるに言った。

 

「いいですか、でびでび・でびる? わたくしたちの今いる空間は全部わたくしがリアルタイムで作ってるんです。でも、なかなか上手く作れなくて、ところどころ不安定になっちゃうんですよね。例えばここの空間」

 

 と月ノ美兎は自分とでびるの拳との間の空間をひょいと手で抜き取って見せた。

 

「わたくしのこの手の中にある空間、こう見えて地球より大きいんですよ? ほらほら」

 

 そう言って、月ノ美兎は手の中にあるものを飛ばすように、すっと手のひらをでびるの方に向けて払った。

 もう一度殴り掛かろうとしていたでびるは茫然として立ち尽くすことになる。

 

 ぎゅん、と月ノ美兎が遠ざかった……いや、でびるの方から離れている? でびるはそこに立ったままなのに、目まぐるしい勢いで教室の空間が延長し、でびると月ノ美兎との距離が開いていく。月ノ美兎の姿が、そして鷹宮の姿も見えなくなり、どこまでも縦に引き延ばされた教室で、でびるは一人取り残された。

 

「あははは! 面白いでしょ~? これをこぉうやって、やってあげるとですね、もぉ~っと、面白いんですよ~」

 

 どこかから月ノ美兎の声が聞こえてきた。でびるが辺りを見渡そうとした瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ。

 

 教室が柔らかく(たわ)んでいく。まるで手でこねられてでもいるかのように壁や天井が曲がりくねり、縦に長かった教室が横に引き延ばされたかと思えば、薄く薄くどこまでも引き延ばされ、次には丸め込まれていく。見えないほど遠くなっていた月ノ美兎が一瞬で目と鼻の先に立っているかと思えば一気に遠ざかり、気づけば上に、下に、後ろにいる。そして、ついにはでびるの体もまた空間の歪みに捉えられ、ぐにゃりぐにゃりと歪んでいった。

 

「がぁっ! ふぎゅっ、うわああああああああああああ‼」

 

 でびるの絶叫が歪んだ教室にこだました。

 

 鷹宮が異変に気付き、バッと体を起こして叫ぶ。

 

「やめて!」

 

 それを見て月ノ美兎はもういいかと頷いた。

 

「ほい!」

 

 そんな軽い掛け声とともに、今まで起こっていたことが嘘のように消え、でびるは再び鷹宮の隣に立っていた。

 

「あ……あぇ?」

 

 放心状態で見上げてきたでびるを鷹宮は抱きしめる。そんな二人を見て月ノ美兎は笑い、商談でも持ちかけるように机の上に両肘をついて言った。

 

「ところで鷹宮さんの中を見てるとき、面白いものを見ちゃいまして」

 

 でびるを胸に抱いたまま鷹宮は警戒の目つきで月ノ美兎を見つめた。月ノ美兎はコホンコホンとわざとらしい咳払いをすると、満を持して言う。

 

「聖杯、わたくしが用意してさしあげましょうか」

 

 これは二人にとって完全な不意打ちだった。二人の驚愕がよほどおかしかったらしい、月ノ美兎はぷっと吹き出して笑い始めた。

 

「なんですか? できないと思ってたんですか~? ちょっといい加減にしてくださいよ、わたくしを誰だと思っているんですか~、もう」

 

 からかわれてでもいるかのように月ノ美兎は笑う。でびるは胡散臭そうな目を向けたが、鷹宮は違った。

 

 鷹宮リオンの目は揺れていた。鷹宮の頭の中に幾つものイメージが飛来していた。

 

 もしも、でびでび・でびるがサーヴァントとして召喚されなかったら……もしも椎名に襲われたときに葛葉が助けてくれなかったら……もしもましろが助けてくれなかったら……イメージの全ては鷹宮リオンの死に行き着いた。

 

 実際には存在しない出来事のはずなのに、それらのイメージは余りにも鮮烈で、鷹宮が振り払おうとしても、イメージは自分たちの存在を主張するかのように鷹宮の意識を支配した。

 

 線の細い長髪の魔術師が、鷹宮リオンの首元に指先でそっと触れ、ほほ笑む。彼は安心させるためにか薄い笑みを浮かべていたが、そのイメージもまた鷹宮リオンにとっては悲劇的なものでしかなかった。彼は言っていた。

 

「大丈夫ですよ。貴方には、手を差し伸べてくれる者が必ず現れる……」

 

 鷹宮リオンは縋ってしまったのだ。これで全てが解決する……万能の願望機って、そういうことでしょ!?

 よくよく考えると、私に手を差し伸べてくれる人がいるとすれば、そんなの……月ノ美兎以上に相応しい人なんかいない……!

 

 鷹宮は先ほどまで自分やでびるが受けた苦しみも忘れ、月ノ美兎を救い主ででもあるかのように見つめ始めた。

 

 そもそも、鷹宮の魔力が枯渇せずに今生きていられるのはこの月ノ美兎のおかげなのだ。今までの恐怖のイメージを横切るように、一羽の黒い蝶が月光をなぞって暗い海の上を翔んでいく。

 

「聖杯を、いただけるっていうんですか……?」

 

 絶望の中に希望を見出したかのような、鷹宮の泣きそうな声にでびるは驚愕する。一方月ノ美兎は胡散臭い笑みを浮かべていった。

 

「ええもちろん、ほら、ちょーっと待っててくださいねー」

 

 鷹宮に見えないよう机の下に両手を隠し、何やら魔力の操作をすると、月ノ美兎は両手を机の上に置く。その手には透明に輝く聖杯があった。

 

「じゃーん、せーはーい!」

 

 笑顔で差し出された聖杯に、鷹宮は恐る恐る手を伸ばした。

 

「な、何だよこの展開……小娘、だめだ、そんなの怪しすぎるよ!」

 

 でびるが声をあげるも、鷹宮には届かず、鷹宮は聖杯を手に受け取った。

 

「こむす、むぐっ!」

 

 でびるがなおも声を上げようとすると、何者かに口をふさがれた。見ると、月ノ美兎が片手を背に隠して怪しげな笑みを浮かべている。でびるの頭の中で月ノ美兎の声が聞こえた。

 

「しっ、静かにしていてくださいね。これはでびちゃんのためでもあるんですから」

 

 でびるは険しい顔で月ノ美兎を睨みつけ、頭の中で声を返した。

 

「てめえ、悪魔とでも契約する気かよ……」

 

「場合によっては。でも、今回契約するのはわたくしじゃありません」

 

「なんだとぉ?」

 

 月ノ美兎の意味深な笑みに嫌な予感がして、でびるは鷹宮の方を見た。

 

 鷹宮は聖杯の輝きに瞳の光を埋没させて、掠れた弱い息で言った。

 

「みんなを、はいしんしゃに……」

 

 聖杯はその声をしっかりと受け止め、光を放ち始めた。

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