Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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109.虚空教教祖

「よし! マオちゃんゴー!」

「行くぞっ! でびでび・でびるっ、お願い!」

 

 でびるの力を示す青い光が魔使の体を包み込み、魔使は鳩から飛び降りた。魔使は分身して数を増やしながら降下していく。

 

 魔使の役目は高機動で直接剣持を狙えるライダーの補佐だった。嫌がらせのようにあちこちから剣持を付け狙うのだ。魔使は日ごろの恨みをここで晴らしてやると執念に燃えていた。

 

 下で次々と起こる爆風に煽られる髪を気にも留めず、夜見はしばらく下の戦いを見下ろしていたが、じきに鷹宮とでびるの方を見て言った。

 

「でび様、リオン様、準備はいいですか?」

「ん! いい!」

 

 鷹宮が答えるのも束の間、でびるはにやりと笑うと夜見の言葉も待たずに鷹宮と二人の体を魔力で包み込み、鳩から外へ投げ出した。

 

 悲鳴を上げて無様に落ちていく鷹宮と夜見。でびるへの罵倒が混じるも、やがては二人ともでびるの力の統制に身を任せ、地上へ向けて降下する。

 

 虚空へと押し寄せる風が二人の髪を揺らすが、その体がもっていかれることはなかった。地上では怪物たちの戦いが行われており、今も伏見の視界を塞ごうとした魔使の分身がついでとばかりに消し飛ばされた。

 

 鷹宮は少し怖気づいていたが、夜見を見ると今からあの場に降り立つのが楽しみで仕方ないという顔をしていた。

 

 やがて二人と一匹の正面に虚空が見えてくる。鷹宮とでびるは自然と虚空の方に目がいった。今まであそこに自分たちがいたのだ。だが、鷹宮は不思議とさっぱりした感情で虚空を見ていられた。

 

 虚空は無表情にそこにあるものを呑み込むだけだ。それ以上でも、以下でもない。鷹宮の意識はすぐにこれからの作戦の方へ戻っていく。

 

 と、ドン! と音が鳴って下から魔使が打ち上がってくる。

 

「あぶなーい!」

 

 という声に反応して二人はすんでのところで躱す。夜見は打ち上がって落ちてくる魔使をキャッチしたかと思うと、その頬をつまんで引っ張った。

 

「いひゃっ! よぅみ、いひゃい、いひゃい!」

「本体じゃねーか!」

 

 八重歯を覗かせ目に涙を浮かべる魔使を見て、夜見は怒り、今度は拳をぐりぐりと魔使の頭部に押し付ける。

 

「えぇぁ⁉ なぁにやってるんだよー⁉ 本体がやられたら死んじゃうんだよー⁉」

「や、やめて夜見。ごめんて。草の茂みに隠れてたけど見つかっちゃったんだって。剣持がにやにや笑いながらこっちを指差してきたと思ったら、ガッくん先輩がにやにや笑いながら腕を振って…うぅ……」

 

 魔使はぶるぶるっと全身を震わす。

 

「サーヴァントを前に……アイツら余裕だな」

 

 激戦のさなかにも関わらず無意味にちょっかいだけかけにいく男どもに鷹宮は呆れてしまう。

 

 とは言っても、でびると鷹宮と夜見の着陸を目前にしてサーヴァント二騎の攻撃は激しさを増していく。地上へ舞い戻った魔使の翻弄もあり、伏見の手は地上へ下りてくる三人には向けられない。

 

 足りない目を補って指示を出す剣持もまた、三人を目に留めながらサーヴァントへの対処を優先せざるを得ない状況だった。

 

「ここから狙えませんか?」

 

 夜見が聞くが、鷹宮は首を振った。

 

「たぶん無理。上からだと角度が悪くて狙いにくいし、狙った瞬間からこっちが最優先で狙われちゃう。そうすると私もこういう武器は慣れてないから、狙いをつける暇も無くなっちゃうかも。でも、最大限の一発を当てたいから絶対に外せない」

「そうですか……となると作戦通りですかぁ」

「あの、ごめんね」

「いいですよ別にー。さっき触らせてもらった感じですと夜見には魔力が足り無さそうでしたから。リオン様のお心のままに……ってやつです!」

 

 はにかんだ夜見を見て、鷹宮は苦笑する。そうして笑ってみると体から余計な力が抜けていき、鷹宮は自分が緊張していたのだと知った。

 鷹宮の夜見を見る目が尊敬へと変わる。夜見は落下地点を見て少し表情を引き締め、言った。

 

「ではこのまま!」

 

 その後に鷹宮が続く。

 

「敵陣の、真上に!」

 

 敵の攻撃を警戒してだろう。でびるの元で二人の降下の速度は速まり、もはや落下ともいえるスピードで剣持に向かって落ちていく。剣持は頭上から近づいてくる敵を見てほくそ笑み、伏見に支持を出す。

 

「ガッくん、今です!」

 

 セイバーの剣を陰の双剣で受け止め、伏見は頭上を仰いで笑う。伏見の頭上ではライダーが降りてくる三人と合流しようとしていた。

 

「ひひっ、制空権を死守してたのはこのためなんだよなあ!」

 

 伏見はセイバーとの鍔迫り合いを続けたままで、地面に落ちる自分の影を踏み抜いた。

 

 とぷん

 

 そんな音とともに、影は重たい液体となって、辺りの地面を巻き込みながら不自然なほど沈み込んだ。

 

 セイバーは沈む地面に足を取られそうになり、苦々しい表情で伏見から距離を取った。

 そして、その揺り返しが中央に戻ってきた瞬間、伏見を中心にして影が高い渦となって噴出する。

 

 夜見の方へ手を伸ばしていたライダーは慌ててその手を引っ込め、黒馬を急停止させると間一髪で影の渦から逃れた。

 

 影の渦の中では、剣持と伏見、そして夜見と鷹宮とでびるが睨みあっていた。

 

 伏見が凶悪な笑みを浮かべながら両手を掲げ、渦の中めいっぱいに広がる炎を噴射する。

 

「リオン様ー!」

 

 炎を防ぐ術のない夜見が鷹宮にしがみつく。鷹宮は夜見を片手に抱き寄せながらでびると目配せし合い、手のひらの上の宝石を起動させた。でびるの強化も宝石に加わり、三人は真紅の光を放つ球体の内側に包み込まれていった。

 

 噴射された炎が球体にぶつかる。球体内部は炎の轟音で揺れ、外の空間も炎一色に包まれていく。

 

「り、リオン様ぁ! ここここれっ、これぇ、本当に大丈夫なんですかぁ⁉」

 

 吹き付ける炎に怯えて夜見がわめく。鷹宮はぎゅっと唇を引き結びながら防壁の維持に努めていたが、夜見を落ち着かせるために何とか答えた。

 

「これくらいのが続いてくれるならね……!」

 

 もちろん、続かなかった。

 

 ぺたり、ぺたりと防壁に二つの手のひらが触れた。炎の中から現れ出た伏見はニヤリと口角を釣り上げる。伏見の手のひらの内側では昏い影が暴れ回っていた。

 

 これは割れる……!

 

 嫌な予感から鷹宮はすぐに黄金の鎌を喚び出すと、夜見を離してそれを両手で握り、おもいきり振りかぶった。

 

 影に侵食された防壁は粉々に砕かれた。その瞬間に巨大化した鎌を鷹宮は振るう。半月状に振られた鎌は炎を斬り裂き、その外側を巡っていた影の渦をも斬り裂くと、最後には伏見へと向かう。

 

「おおっと! それは無理だ」

 

 伏見は逃げるようにその場を離脱して鎌を避けた。

 

「でび! よるみ! よけてー!」

 

 言うだけ言って鷹宮はさらに巨大化させた鎌をしっちゃかめっちゃかに振るう。その刃は伏見だけでなく、剣持すらも射程に入れていた。

 

「って、いやぁぁぁぁ!」

「小娘! おまっ、嘘だろ⁉」

 

 巨大な鎌が喉のすぐ前を通った夜見は悲鳴を上げ、でびるもまた鎌の軌道から慌てて外れる。渦が消えて突入してきたサーヴァントたちも例外ではなく、味方からの不意を打った攻撃に対処しなくてはならなかった。

 

「滅茶苦茶すんなぁ……くっそ、剣持刀也! 刀で受けようなんて思うなよ!」

 

 荒れ狂う鎌を躱しながら伏見は隣の剣持に呼び掛ける。剣持もまた鎌を躱しながら答えた。

 

「そんなことはわかっています!」

 

 伏見は剣持を横目で観察する。激昂して鷹宮リオンとでびでび・でびるを見上げている剣持には以前までの余裕は感じられない。鎌を躱す身のこなしは明らかに精彩を欠いている。

 

 伏見ガクは何か覚悟を決めるように深呼吸をすると、剣持から目を逸らし、再び頭上を見上げた。

 

 伏見の和服の袖が重々しく持ち上がる。伏見がゆっくりと顔の前まで持っていった手のひらには、まるで水面から掬ってきたような影が揺れていた。影は伏見の顔の前で浮き上がると、その形を次々とナイフに変えていく。ナイフは上空の鷹宮たちに向けて一斉に射出した。

 

「攻撃パターンの変化を確認しました! では、夜見はこの辺で失礼させていただきます~!」

 

 夜見は鷹宮たちの前に進み出ると、肩越しに振り返って言った。

 

「うん、またね」

「ではな!」

 

 鷹宮は手を振ってほほ笑む。でびるは笑顔で両手をあげて送り出す。

 

 夜見は笑みを返すと、今度は下でこちらを見上げている魔使マオに目を向けた。

 

「マオちゃんもね」

 

 小さく呟くと、夜見は迫ってくる影のナイフを見て、すっと表情を失くした。夜見は全身で風に抵抗するように、そして影のナイフを受け入れるかのように両手を空中に投げ出した。

 

 影のナイフがその体を貫こうとした瞬間、夜見は静かに目を瞑る。その体はナイフの触れた胸から順に、大量のトランプへと変化していった。

 

 最後にアイメイクのされた鮮やかな目許がトランプへ変わる。そのときにはもう、トランプは剣持と伏見の頭上を覆うほどの量にまで膨れ上がっていた。

 

 影のナイフはトランプに突き刺さってあらぬ方へ逸れていく。そして、吹き荒れるトランプは虚空へと引き寄せられて舞い上がり、鷹宮とでびるの姿を隠していった。トランプは虚空の周囲に群がったが、すぐに数を減らして最後には一片も残らず無くなっていく。

 

「くそっ! 奴らはどこへ行った⁉」

 

 剣持が取り乱し、辺りを見回すが、伏見はどこ吹く風で影の剣を構える。

 

 セイバーとライダーが挟み撃ちする格好で突撃してくるのが見えていた。伏見は影の剣の先端をライダーに向ける。すると、その剣先は滑らかにライダーへと向かって伸びていく。

 

 ライダーは黒馬を跳躍させて躱そうとするが、影の剣先は空中で折れ曲がってライダーについて来る。

 

「えい!」

 

 とライダーは雷を帯びた剣で影を斬り払うと、そのまま剣をもう一振りし、伏見へと雷撃を返した。伏見は影の剣で雷撃を受けると、振り向きざまに向かってくるセイバーを薙ぎ払うように剣を振るった。

 

 セイバーの剣と伏見の剣が交わり、鍔迫り合いになった。伏見は挑発するように笑う。セイバーの足元の影が沼と化し、人の形をぎりぎり保った者たちが影の中から手を伸ばして、セイバーを沼へ引きずり込もうとしていた。

 

 それに対して、セイバーもまた笑った。少し冷や汗を流しながらも、自分を引き込もうとする者たちの影響を無視してしっかりと立っていた。

 

 伏見は目を細める。

 

 先ほどから違和感はあったが、やはり効き目が薄いか……。少なくとも今こうして沼に浸かっているにもかかわらず精神汚染の影響はほとんど出ていないように見えた。

 

「サーヴァントってぇのはどいつもこいつも……っ⁉」

 

 伏見は表情を変え、セイバーの剣を逸らして影に沈み込む。そのまま影の中で地下を高速で移動し、剣持の後頭部に銃を突きつけようとしている鷹宮リオンの腕を落とそうと姿を現した。だが、それを鷹宮は読んでいた。

 

 鷹宮と伏見との顔の間に二つの宝石が浮かんでいた。伏見はその宝石の意味をすぐに理解した。一つは自分を守る防御用のものだろう。そしてもう一つは、間違いなく爆発する……。

 

 背後には無防備な剣持がいる。躱しそうになるのを堪え、伏見は両手を前に突き出す。

 爆発が起こった。

 

 鷹宮とでびるは宝石の防御壁に守られていた。伏見と剣持の側は伏見の手の中の影が爆風を吸収していた。

 しかし、防御姿勢を取って動けなかった伏見に対し、鷹宮は宝石の防御壁の中でフリーだった。

 

 爆風をその手の中に納めきった伏見が見たのは、鎌を振りかぶった鷹宮リオンだった。

 

「はは、まじかよ」

 

 死を直感した伏見だったが、背後で剣持が叫んだ。

 

「かわせぇ!」

 

 考えるより早く、伏見の体は剣持の声に従っていた。上体を逃しながら、顔を傾ける……と、背後から伸びてきた剣が伏見の頬を浅く切る。だが、その剣の尖端は鎌を振り上げた鷹宮の喉元に突き付けられていた。

 

「うっ……」

 

 鷹宮はくぐもった声を漏らす。剣持が前に進み出ると、鷹宮が一歩後ずさり、鎌を力なく下ろした。

 

「おっと、でびでび・でびるさん。何もしないでくださいよ。」

 

 怪しい光を放ち始めていたでびでび・でびるの瞳から魔力が霧散する。剣持は背後にいるサーヴァントたちも見据えながら鷹宮に問いかけた。

 

「希望があると思いましたか?」

 

 鷹宮は何も言わない。剣持は気にせず続けた。

 

「月ノ美兎に会ったと言いましたね。彼女は元気そうでしたか?」

 

 その質問を聞いて、鷹宮は笑った。

 

「ええ、元気そうでしたよ……でもちょっと寂しそうだったかも。だって、あんな場所に女の子一人で閉じ込められておくなんて、ほんと趣味が悪いと思いません? 解放してあげたらどうですか?」

 

 これに今度は剣持が笑う。

 

「あははははっ! ありえない! 一度虚空に落ちたものは僕にもどうにもなんねえから! しかし彼女をただの女の子扱いとはずいぶん大きく出ましたねえ。いいですか? 月ノ美兎は無限の可能性を持つ唯一無二の人類だったんです。そう、月ノ美兎は僕の母になってくれるかもしれない唯一の女性だった……それを、そんな簡単に解放するわけねえだろうがよぉ!」

 

 感極まった剣持は一度落ち着くと、たった今自分が感極まったことを後悔するように言った。

 

「人間とは虚しい生き物。一度生まれてしまえば最後、虚空の中を溺れるように生きるしかないんですよ」

 

 それに対して、鷹宮はそうかもね……と沈んだ表情で受け入れながらも言う。 

 

「でも、友だちがいれば、虚空の中だって楽しく泳いでいけると思うけどなぁ」

 

 剣持は間が抜けたように真顔で突っ立った後、戸惑うように聞き返す。

 

「……は? 友だち?」

「うん。あと、何かに夢中になれればそこが虚空の中だってことも忘れられるかも」

「はっ、そんな馬鹿なことが……」

 

 首を振る剣持を遠くから見ていた伏見は違和感を覚えていた。何か嫌な感じ、というよりもっと直接的な言い方をするならば、自分たちが負ける予感をひしひしと感じていた。

 

 この嫌な感じはどこからだ……? 伏見は探るが、わからない。だが、伏見はあることに気づいて叫んだ。

 

「剣持、銃を確認しろ!」

 

 伏見の声を受けて剣持が鷹宮の両手とホルスターに目を走らせるがそこにあのファンシーな銃はなかった。

 不気味なものを感じながらも剣持は聞いた。

 

「お前……! あの銃をどこに隠した⁉」

 

 鷹宮はゆっくりと片手を上げる。親指と人差し指を立てて銃の形を作ると、人差し指を剣持の方へ向けてくすりと笑い、呟いた。

 

「ばーん」

 

 剣持は刀を突き付けているのも忘れて後ずさった。

 

「な、何を……」

 

 そこで何かに気づいたか、剣持はバッと横を見た。その瞬間、パチュンッ、という水が弾けるような音とともに、剣持の額にピンクのハートが弾け、剣持は吹っ飛ばされて地べたに倒れ込んだ。

 

 鷹宮はその場に膝を着く。心配して寄り添おうとするでびるを安心させるように手をあげると、顔を上げて言った。

 

「ありがとね、葛葉くん」

 

 鷹宮の見上げた先には葛葉が立っていた。葛葉は頭を掻くと、倒れた剣持を振り返って言う。

 

「いや、いいけど……。あれでよかったのか?」

「うん」

 

 と鷹宮は頷く。

 

「それで、これからどうなるんだ?」

 

 葛葉の問いに鷹宮は笑い、立ち上がった。

 

「少し離れよっか」

 

―――

 

 剣持は起き上がると、頭を抑えて立ち上がった。

 

「おい、大丈夫なのか?」

 

 心配して駆け寄ってきた伏見ガクの声に上手く答えられず、ふらついたところを支えられた。

 

「ふっ飛ばされてたけど、どこにも異常はないのか?」

「はい、たぶん。妙な浮遊感はありますが、それ以外には頭痛くらいですよ」

 

 そう言って、剣持は伏見に軽く笑いかける。そこで伏見は驚愕した。

 

「お前……! もう一度こっちを見ろ! 俺の目を見ろ!」

「なに? やめてください、頭に響く。あんまり大きな声を出さないでくださいよ」

 

 剣持は言われた通り伏見の目を見た。胸が熱い。頭が重い……。伏見は息を飲むと、やられた、と天を仰ぎ、言った。

 

「言いにくいんですけど……刀也さん、目がハートになってます」

「はーと?」

「はい、ハート」

 

 と伏見が手で♡のマークを作って見せる。剣持はポカンとした顔でそのハートを見つめると、ぞっとしたような表情になり、両手で顔を覆った。

 剣持は息を荒くしながらも体内に魔力を走らせ、自分の体に何が起こっているのかを探ろうとした。

 

「これは……魅了……?」

 

 剣持の言葉を聞いた瞬間、伏見の顔が少しからかうような笑みを帯びたのを剣持は見逃さなかった。剣持は伏見から顔を背け、呟く。

 

「そんな馬鹿な……! 僕がこんな低レベルな魅了なんかにかかるわけが……」

 

 そこで剣持はハッとして気づく。

 

「これはまさか、純粋無垢(ロリ)⁉」

 

 剣持は愕然とした表情で頭を両手で抑えつけ、必死にそれを否定するかのようにぶんぶんと勢いよく頭を左右に振った。

 

「いや、まさかそんな、純粋無垢が魅了の魔術なんて覚えてるわけがない! これは何かの間違いだ! 純粋無垢は自然体がもはや魅了なのであって、魔術でわざわざ魅了なんて使う必要は……」

「刀也さん、話変わってきてます、それ」

 

 伏見のツッコミで少し我に返った剣持は、ゆっくりと鷹宮の方を向いた。

 

「僕は、どうなる……?」

 

 ♡の目で問いかける剣持。先ほどとは立場が逆転し、余裕の表情で笑いながら鷹宮は言う。

 

「さっきも言ったけど、友だちがいれば虚空の海だって泳いでいけると思うんだよねぇ」

「何が言いたい⁉」

 

 出来の悪い子供に言い聞かせるように鷹宮は言った。

 

「だからさぁ、虚空教の教祖ぉ? あなたが委員長の友だちになったげなよ」

 

 案外相性いいとおもうんだよねー……と鷹宮は流すような目で付け足した。

 

「はぁ⁉ だからわかるように言えって! 委員長はもう虚空の中に落ちてんだよ! 戻ってこないって言って……」

 

 剣持はそこでようやく気付き、言葉を切った。嫌な予感をひしひしと覚えながら頭上を仰ぐ。頭上には虚空が渦を巻いている。それはどんどん大きくなっている……いや、違う。こちらに近づいているのだ。

 

「やめろ!」

 

 剣持は手をあげ、虚空を押さえつけようとした。だが、意思に反してその手は余計に虚空を呼び寄せる手となってしまう。剣持はまっすぐに伸ばした自分の手が柔らかく開いていったのを見た。

 

「くっ、これが魅了か!」

 

 剣持はもう片方の手を突き出すが、やはりその手も同じように剣持の命令には従わず、結果的に剣持は両手を開いて虚空を自分の中に迎え入れるような形をとらされてしまう。

 

「くそ! くそがぁ! ふざけるなよ! こんなことがあってたまるものかぁ! 伏見! 伏見ガク! どうしてだ、どうして僕を助けてくれない⁉ 夕陽リリ! 夕陽リリはどこだ! 家長! 家長むぎ! わかってんだぞ、どうせどっかから僕を見てんだろ! 僕を助けろ! おい、誰か、返事をしろよ! 返事をしてくれ……こんな、こんな……」

 

 剣持はその場から動くことができなかった。足が強制的に膝を着いたからだ。

 

 夕陽リリは目を逸らしたくなったが、最後まで見届けるべきだと思い目を開く。

 

 妙なことに、地べたに膝を着き、天に向かって両手を広げる剣持の姿は、敬虔な宗教者が神を崇める姿そのものだった。ただ、その宗教者が今から自分の体に迎え入れるのは、全てを消し去る虚空だ。

 

 虚空が眼前に迫っても、剣持は抵抗をやめず、♡の目のまま叫び続けた。

 

「くそ、またか! またなのか⁉ ……うるせえ、語り掛けてくんな! やっぱりな、クソ虚空がっ! ずっと狙ってやがったな! 駄目だっつってんだろ! 僕を吞んだって満たされることなんかないんだって! 一度目で学べ! もう無理なんだよ、こっちはよぉ!」

 

 剣持の訴えが何なのか、誰と話をしているのか、理解できた人間はこの場にいないだろう。虚空は変わらずゆっくりと剣持へ落ちていく。剣持の視界いっぱいに虚空の渦が広がった。剣持は顔を背けて体を反らせて何とか逃れようとするが、限界はもうすぐそこだった。

 

「虚空にっ、呑まれる!」

 

 剣持の言葉と同時に、するすると剣持の体が虚空に巻き込まれ、巻き取られていく。

 

「ああああああああああああああ!‼」

 

 剣持の悲鳴は剣持の口が消え去ると同時に聞こえなくなった。その体も、初めからそこになかったかのように、空気までも、その存在感はきれいさっぱり消え失せていた。

 

「委員長も怒ってるだろうなぁ。こりゃあ、二人で謝り倒すしかないっすね」

 

 伏見ガクは呆れたように笑うと、その場を駆けだして虚空の中へ飛び込んでいった。

 

 その直後に、虚空は風となって消えてしまった。後にはクレーターだけが残されていた。

 

 

 

「あ~、もう無理」

 

 鷹宮は前に倒れ込む形で両手を地面についた。精神的な重荷が降りたぶん、今度は身体の重さがのしかかるように感じられた。

 

 そういえば、どうして自分はここにいるんだろう? 

 

 思えば今日は色々あり過ぎた。おりコウとの長いゲームのこと、虚空教との遭遇、虚空での委員長のこと。配信ばかりしていてまともな戦闘は今回が初めてだというのに、明らかに自分よりも強い、怪物みたいな相手と連続で戦った。それでもよく戦えたのはきっと……。

 

 鷹宮が顔を上げると、ちょうど降り立ったでびでび・でびるがそこに立っていた。でびるは鷹宮の方に歩み寄ると、顔の下まで来て、そして鷹宮の喉に手を置いた。でびるの手が光り、鷹宮の喉に魔法陣が浮かび上がる。

 

「あ……」

 

 そこで初めて鷹宮は喉に走る痛みに気づいた。鷹宮は喉に手を当てる。温かい。手を見ると、血がだらりと着いていた。よく見ると、鷹宮の白い制服には流れ出た血が染みていた。思えば、息が苦しかった気がする。きっと剣持が動揺した時に手元が狂ったのだろう。喉の傷はでびるの魔法陣の下で塞がり、癒えていく。

 

「馬鹿だなぁ、小娘。喉切られてるのに気付いてないでやんの」

 

 けたけたと笑ってみせるでびるだったが、その笑い方には馬鹿にするような調子はなく、どこかほっとしたような、抜けるような笑い方だったので、鷹宮も少しだけ頬を緩ませる。

 

「仕方ないでしょ、怖かったんだもん、いろいろ」

 

 鷹宮は首に手を当てた。傷は完全に塞がっていた。鷹宮は四つん這いになっていたのを足を寄せて正座し、でびるを見つめて言った。

 

「んっ。でび、ありがとうね」

 

 でびるは笑って答える。

 

「今更なに? たくさん治してきたじゃん」

「そうだっけ? じゃあ今までのこともだよ」

「ふーん。じゃ、ま、受け取っとくね」

「うん、でびがいなかったら私、とっくに……」

 

 鷹宮はそこで言葉を切ると「ううん、違うかも」と首を横に振り、でびるに笑いかけた。

 

「でびがいなかったら、ここまでこれなかった」

 

 それを聞いてでびるは意外そうに目をきょとんとさせるも、ニシシ……と笑って言った。

 

「まあ、僕もちょっと楽しかったかもね。お前がいたからだよ、小娘」

 

 二人はほほ笑むように見つめ合う。

 

「でび、もうちょっとだけお願いしてもいいい?」

「聞く必要あるの? それ」

 

 鷹宮は地面に手をついて立ち上がり、でびるはゆっくりと宙に浮き上がって鷹宮の肩の後ろについた。

 

 でびるは不敵に笑みを含んで言った。

 

「ボクたちを待っててくれるなんて、人間は優しいんだねえ」

「……それだと私が人間じゃないみたいじゃね?」

 

 二人の前ではライダーとともに黒馬にまたがる花畑チャイカと、剣を構えるセイバーを従えるように立つシスター・クレアが佇んでいた。

 

   〇

 

 夜が明ける。先ほどまでどこか生温かった風が冷たくなっていく。木にもたれて座っていた夕陽リリは差し込んできた太陽の光に目を細めた。夕陽リリの白と黒の衣装には血が滲み、それがどんどん広がっていく。夕陽リリの呼吸が荒く、細くなっていく。

 

 木陰に座る夕陽リリは涙ぐみ、はなをぐずらせるが、顔を上げてそこに立っていた男を見ると、ゆっくりと腕を持ち上げて涙をぬぐった。男は夕陽を見下ろして言った。

 

「やはり、友が虚空へ消えるのは堪えるか?」

「はは、そんなわけ……傷口が痛くて痛くて仕方がないだけですよ」

 

 男は腕を組むと、納得したように頷いた。

 

「ふむ、なるほど。確かにずいぶんと苦しそうだ。楽になりたいかね?」

「ええ、助かります。もう、お願いしますよ」

 

 男は錬成した小ぶりの白い剣を夕陽リリの首の側面にあてがう。夕陽リリはそれを受け入れるかのように軽く首を傾けて目を閉じた。ふっ、と男が笑った。

 

「やはり、最後まで苦しむといい。それが君の償いだ」

 

 そう言って引かれた剣を名残惜しそうに見つめながら、夕陽リリは挑発的に笑った。

 

「はっ、なんだよ……正義の味方が聞いて呆れますね」

 

 男はむっとして言う。

 

「やはり知っていたか。まったく、くだらんことを掘り起こすもんじゃない」

「未来人に隠し事なんて百年早いですよ。未来では単に過去を見るだけでない、過去に遡って干渉することすら……干渉、する事すら、でき、る……」

 

 妙なところで言葉を区切ったかと思いきや、深刻な表情になった夕陽リリを前に、男は困ったように白髪の頭を掻いて言った。

 

「そもそもだね、もう君の世界と私の世界は別物と化しているのだ。そう単純な話ではあるまい」

 

 夕陽リリはそこで思いだしたかのように言った。

 

「そうだ、そういえば、世界卵のアレは……!」

「ああ、一種の抑止力……この世界に対するささやかな抵抗、と言ったところか。アレは本来虚空の中で使われるものではない。この世界の内側で使い、この世界に穴を開けて破綻させるのが目的だったのだろう」

「そうでしたか……そうですよね、全部、私のせいですね、私さえいなければ、ここまで大きなことには……ほんと、なにやってんだかなぁ……はは」

 

 夕陽リリが自嘲気味に笑うと、男は軽蔑するような眼差しで夕陽リリを非難する。

 

「馬鹿を言うな。人一人が背負える責任には限りがある。それとも君は、君の周囲にいる人間は無能の愚図ばかりだとでも言うつもりか? この世界はゲームで、自分一人がプレイヤーだと? 誰にも理解してもらえないと本当に思っているのか? 身の程を知るがいい」

 

 夕陽リリは目を見開いたままゆっくりと視線を下ろし、俯いた。しかし、ふふっと笑って男を見上げ、言う。

 

「ずいぶんと、あなたに、ふさわしいセリフじゃないですか」

「ふっ、君は本当に……やはり最後くらい、そうして惨めにくたばってみるのもいいだろう」

 

 そう言って男は去ろうとする。夕陽リリは声をあげて男を呼び止め、苦痛に呻いた。

 

「呼び止めてしまって、すいません……最後のお願いです。木陰に、移動させてもらえませんか? 先ほどから、太陽が眩しくて辛いんですよ」

 

 男はじっと夕陽リリを見たまま、身動きしない。夕陽リリはからかうように付け足した。

 

「その筋肉なら筋力Bくらいはあるんでしょう? 私のような、か弱い女の子の十人や二十人、なんてことないですよ」

 

 男は能面なような表情で言った。

 

「……その役目は彼女に譲るとしよう」

 

 そうして男は再び踵を返す。男は最後に言った。

 

「さようなら、夕陽リリ」

 

 

「りりー!」

 

 声とともに空から降ってきた魔使マオは夕陽の体を見てパニックに陥った。

 

「うわ、これやばっ! えっと、回復は、回復術式を……あ」

 

 儚くも夕陽リリの眼前で崩壊する魔術術式。夕陽は目を瞑ると、魔使に言った。

 

「魔使……この木の裏の、影になってるところに……」

「はぁ? 何言ってんのー? さっさと病院に行かなきゃだめでしょーが!」

「いや、そうじゃなくて……」

「ほら行くよー」

 

 魔使は夕陽リリの体の下に腕を差し込み、お姫様抱っこをすると、森の中を駆けだした。魔使は走りながらなんとか回復術式を組めたらしい。魔使の手に触れられている部分からじわじわと温かくなっていき、痛みが癒えていくのが分かった。

 

 夕陽リリは先ほどまで座っていた木の根元が遠ざかっていくのを見つめながら、ついに諦めて言う。

 

「魔使、病院じゃなくて、虚空教の日本支部に」

「ん、オッケー」

 

 魔使は方向転換する。このペースならすぐに森を抜けるだろう。夕陽リリは込み上げてくる安心感を胸に抱きながらも、言わなくてはならないことを言った。

 

「魔使、これ方向……逆だな」

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