Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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111.寺の夜

 叶は勢いよく体を起こした。教会の長椅子で寝ていたらしい。呼吸が乱れ、全身に汗をかいていた。

 

「叶さん? どうされましたか?」

 

 声をかけられたことにも気づかず、叶は恐怖で身震いし、自分の体を抱きかかえるように両腕を擦り合わせた。

 

 あれはダメだ、やばい。ましろはあまりにもヤバすぎる。あんなの、虚空教どころじゃない。怪物だ。招いたのは失敗だった。あれならまだ鷹宮リオンの方が……。

 

「叶さん」

 

 再び声をかけられても叶は気づかなかったが、クレアは叶の心の内をわかっているかのようなタイミングで言い放つ。

 

「叶さん、ましろさんがキャスターのサーヴァントの召喚に成功したようです」

「……なんですって?」

 

 叶はようやく傍らに立っていたシスター・クレアを認めた。クレアは何も言わず、叶の疑いの視線を拒絶するかのようにすました顔で目を瞑っていた。

 

 叶は理解すると、教会の高い天井を仰ぎ、絶望した。

 セーブポイントが変化したのだ。

 元々自分の意志で時間を戻していたわけではなかったが、まさかこのタイミングとは……。

 

 ましろはこの舞台に必要な役者だったということか。自分が、招いてしまった。

 

 叶は愕然として肩を落とす。

 

 ましろが聖杯戦争に参加するのは決定事項になってしまった。叶はもうましろを選ぶ立場には戻れない。

 

 再び恐怖が込み上げてくるが、叶はそこから逃げるように席を立ちあがると、毅然とした表情を作っていった。

 

「クレアさん、今夜、ましろさんを討ちます」

「……それはさすがに……こちらから呼んでおいて横暴というものでは?」

 

 クレアの躊躇いを叶は理解できたが、龍脈に居座って力をためたましろは虚空教ですら手が付けられなくなる。早いうちに何とかしないと、また……また……。

 

「筋が通らないことは理解しています。でも、事情が変わったんです」

 

 無茶苦茶なことを言っていると叶も自覚していたが、クレアはひとまず叶を信用して受け入れてくれたようだった。叶は教会を出ようと歩き出すが、自らの手の甲を見て思い出したように立ち止り、クレアに言った。

 

「あ、それと、マスターの権限をお譲りします。昨日の会議を見ての通り、セイバーは僕とは相性が悪く、扱いにくい。クレアさんが適任でしょう」

 

 クレアは目を丸くし、唇の下に指を当てて天井を見つめたあと、視線を叶に戻して言った。

 

「……はい?」

 

―――

 

 柳洞寺の焼け残った柱の間を縫うように影が移動していく。

 

「葛葉、反対側!」

 

 叶の声に反応して葛葉が急転換し、そこに蠢く影目がけて剣を振りかざす。

 激しい金属音が鳴った。

 

「っとぉ! 危ないなぁ!」

 

 葛葉の剣をシャベルで受け止め、ましろは笑っていた。

 

 葛葉は付き合わずに剣を二度、三度、と無言で叩きつける。ましろは焼け落ちた寺の内部をスキップするような軽い足取りで葛葉を翻弄し、人間を超えた膂力を持つ葛葉の剣をスコップで軽くいなし、防いでいく。

 

 葛葉とましろが大太刀周りを演じる中、少し離れた場所から叶は銃口をましろへと向けた。ましろはニヤリと表情を崩す。ましろの首に巻かれていた赤いマフラーがふわりと浮き上がって銃口とましろの間に割り込んだ。

 

「くっ!」

 

 叶は移動を始める。マフラーが叶の方へと勢いよく伸びてきたからだった。

 

 一方で、マフラーのもう一端は鞭のようにしなって葛葉へと襲い掛かる。葛葉は剣で斬ろうとするが、マフラーは硬質化しており斬ることができなかった。弾かれたマフラーは辺りを斬り裂きながらしつこく葛葉を付け狙い、葛葉はそれをいなしていく。

 

「そこにいたらあぶないよ」

 

 ましろの声とともにミシミシと嫌な音がした。葛葉は頭上を確認し、暴言を吐き捨てましろの方へ駆けだす。葛葉の背後から屋根の崩壊が始まった。

 

 ましろのいる場所は安全なのだろう、余裕そうに、だらんと垂らした両手でスコップを後ろ手に持っている。横に長くして体にぴたりと付けられたスコップは明らかに葛葉を迎え撃つ構えではなかった。

 

 背後から来る風に崩壊した屋根の灰を感じ、葛葉はましろの立っている方へ飛び込んだ。

 

 床に身を横たえる葛葉。右足の感覚がなかった。見ると右足の膝から下が崩壊に巻き込まれていた。だが、これはすぐに治る。それよりも今問題なのは……。

 

 葛葉はすぐ横に立っているましろを見上げた。ましろは葛葉の首に向けてスコップの刃先を振り上げていた。

 

 葛葉は表情を怒りで歪めるが、気配を感じ、横目で確認する。

 ましろが鋭敏に葛葉の目線を読み取ってそちらに注意を向けた。その瞬間に、ましろの足元の床を突き破って杭が幾本も伸びてきた。

 

「もう、だからあぶないって!」

 

 ましろはギャグマンガのキャラクターのようにあたふたとその場で足踏みし、なんとか杭をかわす。だが、サーヴァントの攻撃はこれで終わらない。

 

 ましろに急接近し、セイバーが聖剣を振りかざす。ましろはこれにも素早く反応し、自らの身を守るようにスコップを翳した。

 が、ましろは寺の薄い壁を突き破って中庭まで吹き飛んでいった。

 

 中庭ではトランプ兵をはじめとする怪物たちを貫きおびただしい量の杭が血に塗れてそびえていた。

 

 ましろは杭の一本に衝突して止まると、力が抜けたように杭に背中を預け、苦笑する。

 

「なるほどね」

 

 ましろの傍らに黒いドレスを着た白髪の少女が現れる。少女は泣きそうな顔で言う。

 

「ごめんねましろ。突破されちゃった」

「いいさ。アリスちゃんは十分やったよ。っていうかこんなの、どうにもならない」

 

 ましろがゆっくりと立ち上がると、杭から背中を離し、正面の葛葉と叶、シスター・クレア、そしてセイバーとバーサーカーに対峙する。

 

「ましろ、私にはもう……!」

 

 少女が悲痛な声で言った。ましろは冷や汗を流しながらも敵を見据えていった。

 

「いいんだ、大丈夫。僕に任せて」

 

 そうして、ましろは少女の前に進み出る。ましろは苦笑を浮かべながら言った。

 

「やあやあ、これってあまりに酷いんじゃないの? 僕、君たちのために来たんだけどなあ」

 

 サーヴァントたちは警戒を解く様子はなく、また、マスターたちは誰一人答えようともしない。ましろはため息をついて言った。

 

「ひどいなあ」

 

 肩をすくめて両手を開いたましろの指先がぺろんと奇妙に柔らかく捻じ曲がった。捻じ曲がった指先はふわりと宙へ漂うように持ち上がる。その捻じ曲がりと浮揚はましろの全身を駆け巡っていき、ましろの体は骨格も筋肉も無くなって、薄い紙にでもなったようにくねくねと歪みながら浮き上がった。

 

 叶は目を擦った。おかしいのは僕だけなのか……? しかし葛葉とクレアも困惑したように目を見張っていた。

 

 くねくねと揺らめくましろの体は大きくなりながら、まるで風に煽られてでもいるかのようにこちらに向かってくる。

 

「叶逃げる――」

 

 葛葉がこちらに走り出そうとしたが、明らかに遅かった。ましろはもはやこの場の全員を呑み込む大きさとなって眼前まで迫っていた。

 

 葛葉は固く目を瞑って両腕で顔を覆った。

 叶も両腕で防御の態勢を作るが、予想していた衝撃はいくら待っても来なかった。

 

 叶は目を開ける。同じように目を開けた葛葉とクレアも周囲を見渡した。ましろはいない。ましろのサーヴァントの少女は怯えたように縮こまっている。こちらのサーヴァントは何も変化などなかったかのように構えている。

 

「あ……」

 

 とふいにシスター・クレアがこぼす。何事かと叶と葛葉が目を向けると、クレアは震えながら二人の方を向く。そして

 

「ああああああああああああああっ‼」

 

 突然顔を手で覆って叫び出した。

 

「おいどうした!」

 

 葛葉が駆け付けようとするが、それを叶が手で制す。クレアはふらふらとよろめきながら顔を抑えて叫び続けた。

 

「あああああああ、あ、ん、あっ、あッ、あ、っ、あはっ、あは、あははははは!」

 

 クレアの叫びは唐突に笑い声へと変わる。二人は耳を疑った。クレアの笑い声はましろの声そっくりだったのだ。

 

 クレアが手を下ろし、顔を上げる。その目は闇の中で爛爛とした黄色の光を帯びていた。クレアは二人を見て凶悪な笑みを浮かべると、右手を伸ばして言った。

 

「令呪をもって命ずる……敵マスターである葛葉を殺せ」

 

 セイバーが焦ったようにクレアを見るが、クレアは口許を歪めて笑うだけだった。セイバーは震えながらゆっくりと身を返し、葛葉に向けて剣を構えた。

 

「葛葉まずいよ……僕たちもやらないと」

「くそっ、なんでこうなっちまうんだ……! やらなきゃいけねえのかよ、おい!」

「やらないと二人とも死ぬ!」

 

 葛葉は思いつめた表情でクレアを睨み、しかしセイバーが突撃してくる気配を読み取って言った。

 

「くそっ、令呪をもって命ずる! バーサーカー、敵マスターであるシスター・クレアをっ……」

 

 葛葉の声が途切れた。不審に思って叶が見ると、バーサーカーの杭が葛葉の足を貫いていた。一方、静かになったクレアの方でも、杭が足を貫いていた。

 

 そして、二人とも同時に体を反って叫び出した。

 

「今度はいったい何が……」

 

 後ずさった叶の足に激痛が走る。叶は視線を下へと向けた。叶の足を一本の細い杭が貫いていた。

 

「これ、バーサーカーの……」

 

 言いかけたとき、叶の体の中心を、下から太い杭が突き刺さった。杭は内臓を押し上げながら、突き破りながら上へ上へとせり上がってくる。

 

「あっ、がはっ! あ、が、あぁ……!」

 

 叶は口の端から血を垂らしながら、知らず知らず自分の体が一本の杭に沿って真っすぐに固められていくのを感じていた。

 

「葛葉、ごめん……」

 

 痛みのあまり涙を流しながら、叶はゆっくりと意識を手放していく。

 

 叶の肩に手が置かれた。冷たくなっていく体はその手から体温を取り戻し、遠のいていた意識は明瞭になっていく。

 

「謝んなよ、なんも悪くないんだから」

 

 その言葉と同時に叶の体をまっすぐに貫いていた杭はふっと消え去り、硬直して留められていた体が緩んで倒れ込む。その肩を葛葉が支えた。

 

 叶の足からは血が流れていたが、葛葉は既に回復していた。シスター・クレアもまた、その傷口は黄金の粒子を吹きながら癒えていくところだった。

 

「よくわかんねえけど、俺たち、同士討ちで全滅するところだった。バーサーカーが助けてくれたんだ」

 

 葛葉の説明を聞いて叶は衝撃を受けた。クレアもまた表情を青くしていた。きっと叶が見たのとは逆に、葛葉とバーサーカーが襲い掛かる幻を見ていたのだろう。

 

 危なかった……。叶は気を引き締め、敵の方に目を向けた。ましろは少女の横にうずくまってぜえぜえと喘いでいた。

 

「サーヴァント! 僕の体に何したぁ……!」

 

 咳き込みながらましろが叫ぶ。バーサーカーは肩をすくめて一歩進み出た。

 

「余は貴様には何もしておらぬ。ただ、同胞にかけられた浅はかな呪いを余の呪いで上書きしただけのこと。もし貴様が同胞の体に入っていたというなら三人分の呪いを味わったことになるが、まあ、それは貴様が勝手にしでかしたこと。余の責任ではない」

「まだだ、僕にはまだ、やらなきゃいけないことが……!」

 

 ましろは口から血を吐き出し、杭に寄りかかって立ち上がる。傍らの少女はましろを支えようと寄ったが、同時にましろを怖がってもいるのだろう、手を出して触れることもできず、怯えた目で震えていた。

 

 バーサーカーは葛葉に言った。

 

「マスターはこれより目に焼き付けよ。本当の呪いを、数多の人の憎悪を背負わされしこの咎を」

 

 バーサーカーの魔力が高まっていく。叶にはバーサーカーの周囲の空間が歪んで見えていた。

 

「余の宝具のお披露目だ。さあ、血に濡れた我が人生を此処に捧げようぞ」

 

 バーサーカーは両腕を大きく、柔らかく広げてみせる。まるで目の前にいる敵二人を迎え入れようとでもいうかのように。実際、その目に浮かんでいたのは慈悲だったのだろう。

 

 バーサーカーは丁寧に、自らを指し示すその宝具の名を喚んだ。

 

血塗れ王鬼(カズィクル・ベイ)

 

 開かれたバーサーカーの胸を突き破り、どす黒い色をした無数の杭がましろと少女向かって猛進する。

 

「ましろ、ましろぉ……!」

 

 少女は泣きそうになりながらましろの名を呼び、ついに躊躇いを捨ててましろの手に触れた。ましろはハッとして少女の手を取る。

 

 手を繋ぎ合った二人は殺到する杭の山を見た。

 

―――

 

 水面の揺らぎは反復する。タイルの張られた天井で光は波となって漂い、水音は遠くから近くから囁いてくる。プールには光が差していた。部屋の奥、中央の壁はアーチ形に開かれて、差し込む外の光はアーチを通してこの部屋の中に緩やかに広がり、溶けていく。

 

 外には、夕陽に焼けた空が広がっている。その空に向けて退屈そうに足を投げ出して、座っているのは神父の服を纏った叶だった。

 

 叶がぷらぷらと揺らす足の遥か下には厚い雲海がゆっくりと闊歩する。夕陽に縁どられて光り輝く雲の群れは、まるで空全体で動く巨大な一枚板のようだった。

 

「風もないし」

 

 と叶は呟いた。

 

 叶は顔を上げた。叶の頭上から影が舞い降りて着地すると、叶の隣に腰掛けた。

 

「わりぃ、待たせたな」

 

 葛葉が叶の方に顔を向けて言った。

 

「うん」

「それで……まあ、行けるとこまでは行ってみたけど、やっぱり上も下も、ずっと空が広がってた。ここには地上も宇宙もない、ただ空だけがある。お前の言うとおりだったわ」

「そう」

 

 叶は相槌をうって頭上の空を見上げた。

 

 太陽もないのにどこまでも夕陽が広がっている。そもそも、これは本当に空なのだろうか。

 

「疲れた? もうちょっとここにいる?}

 

 叶が言うと、葛葉は少し考える素振りを見せ、言った。

 

「そうだな。もうちょびっとだけ、な」

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