Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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113.奥の部屋

おかえりなさいと……迎えてくれる……あなたは……私だったのです……

私に声をきかせて……あなたの声は繰り返し……こごえる私にむちをうつ……

 

 

 叶の頭の中でもう何度聞いたかわからない少女の声が唄う。少女は最後に笑い混じりに言った。

 

とぎれ、とぎれの……少女の声は……積み木が崩れて消えました……。

 

 トン、と指で弾かれた積み木が音を立てて崩れていった。

 

 

 蛍光灯の掠れる音がじりじりと肌を撫でていく。停滞した空気は湿気混じりの生温いカーペットの匂いを帯びている。

 

 叶の眼前には黄色い壁紙に彩られた奇妙な空間が広がっていた。そこに扉などの空間の区切りを示す徴は何もない、ただただオフィスとも廊下ともいえない黄色い空間がどこまでも続いているだけだった。

 

 叶は呆然としながらもゆっくりと現実を受け入れていた。

 

 また、ここに戻ってきてしまった……。

 

 

 前方からスピーカーを激しくハウリングさせたような怪物の咆哮が空間を震わせる。遅れて男の悲鳴も聞こえてきた。

 

 叶は意識して呼吸し、まだ寝ぼけていた頭を目覚めさせる。空間に意味もなく乱立する黄色い壁の一つに背中を添わせ、顔だけを出して声のする方を伺った。

 

 天井にどこまでも続く蛍光灯の、明かりが示す一本の道。その光も薄暗くなっていく遠くの曲がり角を、たった今葛葉が走って曲がってきた。さらに、葛葉のあとから黒い針金を束ねた影のような怪物も。

 葛葉は悲鳴を上げ、怪物への罵倒を叫びながら逃げていた。

 

 叶は壁から半身を出し、葛葉についてくるよう合図を出す。葛葉は叶を見て一瞬驚いたようだったが、この状況から解放されるとわかってニヤリと笑った。

 

 葛葉が叶の隠れている壁に差し掛かかろうというところで、叶は走り出した。

 

 曲がり、曲がり、幾つもの壁を縫うようにして狭い道へ。黄色い壁が圧迫感を与えるほど左右に迫った道を半身で走り抜けると蛍光灯の明かりの届かない暗い空間を駆け抜けまた狭い道へ。

 

 背後からは叶に歩調を合わせるようについてくる葛葉の息遣いが聞こえてくる。怪物の咆哮はもはや遠い。

 

 叶は小さな部屋に出る。正面の壁には叶の腰の高さほどに刳り貫かれた穴があり、向こう側へ抜けられた。叶は壁の穴に向かって飛び込んだ。向こう側の黄色い部屋に出ると、受け身を取って立ち上がり、少し距離を取る。すると穴から葛葉が転がり出てきた。

 

 ぜえぜえと息を荒くしてへたり込む葛葉に叶はほほ笑み、持ちこんでおいた水を差し出した。葛葉は水を何の疑いもなく受け取ると、半分ほど一気に飲んで息をついた。

 

「ありがとうな叶。お前がいなかったら、たぶん逃げきれずに終わってた」

「奴らしつこいからね」

 

 葛葉はもう一口水を呑み、ペットボトルを叶に渡してきた。叶はそれを受け取りながら、葛葉の右手を見ていた。令呪は消えていた。少し黙った後、葛葉が不安そうに言う。

 

「のんきに話してるけど、ここは大丈夫なのか?」

 

 叶は笑って答えた。

 

「うんたぶん。でもまあ、移動しよっか」

 

 叶は振り返る。正面の黄色い壁には黒い塗料でスプレーされた矢印が描かれていた。

 

―――

 

 やはり、自分以外にもやり直してる人間がいる……。

 

 教会の長椅子で横になり、天井を見ながら叶は考え事をしていた。

 

 柳洞寺はもぬけの殻。襲撃計画は失敗に終わった。恐らくこの流れだと終盤にはまたあの黄色い部屋へと全員が転移させられるのだろう。

 

 部屋の攻略は進んではいるものの、出口の見当がまったくついていないのでいったいどれだけ進んだのか、あるいは出口に向かって進んでいるのかもわからなかった。

 

 ……これはもはや、誰か自分以外にゲームのやり直しを出来る人物がいて、その人物が盤上を動かしているとみて間違いない。

 

 叶は何気なく手の甲を見た。そこには三画の令呪があった。叶はぼーっとその令呪を見つめていたが、瞬きし、ゆっくりと体を起こした。

 

 おかしい。マスターとしての令呪は既にクレアさんに譲渡したはず……。

 

 悪寒が体を駆け巡り、叶は立ち上がった。少しふらつきながらも昼の陽ざしで明るい中庭の方へと歩いていく。

 

 柱廊の柱に寄りかかりながら、叶は中庭へと踏み入る。叶は目蓋を閉ざした。暗い視界が少し赤みを帯び、目蓋の上から温かな陽射しが照り付ける。

 

 視界が暗転する。カットが射しこまれるように今まで見ていた教会の中庭は差し替えられ、舞台は瞬く間に学校へと切り替わった。叶の横にはシスター・クレアと葛葉、そしてそのサーヴァント二騎がいる。

 

「「あーはっはっはっは!」」

 

 妙に悪者ぶった女の笑い声が二つ。見上げると、屋上に笹木咲と椎名唯華、そして二人の間にボロボロの状態で椅子に縛りつけられたましろの姿があった。椎名が笑って言った。

 

「高校をあたしらのものするのは防がれたけどなぁ! こいつ一人いれば、1200人の魂なんていらないんだよぉ!」

 

 一方、笹木咲は眼下のマスターたちではなく、腰をかがめてましろの顔を覗き込んでいた。

 

「何から隠れてたのかはわからんけど、うちらを警戒してなかったのは間抜け過ぎたな。なめてたやろ? なあ、なめてたんやろ? わざわざ結界の近くを潜伏場所に選びやがって……うちら程度に見破れないと思った⁉ ねえ今どんな気持ち? サーヴァントを不意打ちでやられて、為す術なく捕まって。ねえ今どんな気持ちなのー? ねえねえ教えてってー」

 

 唇をほころばせ、切り傷の浮かぶましろの頬を指で弄りながら笹木が問いかける。ましろは口の中に滲む血を噛みしめながら言った。

 

「お前の名前、覚えたからな……」

「え、ありがとう……? まあ、うちはお前の名前覚えんけどな」

「来世も、そのまた来世も、お前を不幸にし続ける。ぶっ殺してやるからな……」

「あははは! 何を言うかと思えば……いいよいいよ、何度だって遊んでやんよ」

 

 笹木咲はにっこりと笑ったまま、ましろに背を向けて言う。

 

「だから今生は諦めてくれ」

 

 笹木の合図でサーヴァントたちが動き出す。ましろを中心にピンクの光を放つ結界が立ち上がる。ましろの体は薄桃色の炎に包まれ、紫雷と樹木の混ざり合う渦が飲み込んだ。

 

―――

 

 ぴちゃぴちゃと水が跳ねる。倒れた状態の叶の傍らで、少女がプールの縁に座り、水に素足を浸け戯れていた。

 少女は叶を見下ろすと、その無機質な両手で叶の顔の輪郭を包むようにしてなぞり、囁くように言う。

 

バックルームにはみんなあるから……

あなたの体が尽きないうちに……私の声が尽きないうちに……

早く……早く……

ママのえがおを呼び戻して……

 

 叶は息をするのも忘れて少女の顔を見つめていた。少女は泣いていた。

 

 

 プールの縁から見る水面はキラキラと浮き沈みを繰り返す。いつまでも、いつまでも……いつまでも、この気怠さにかまけていたかった。

 

 叶はゆっくりと腕を持ち上げ、手の甲に令呪が無いのを確認すると、いつかのように転がってプールの中に落ちた。声をかけてくれる相棒はもういない。攻略したいと思うのなら、自分の体だけで進むしかない。

 

 温かな水に浸っても叶の心は冷めたまま、叶の体はゆっくりと水面へ浮上していく。重くなった衣服を引きずるようにしてプールから上がった叶は温いタイルの上を一歩一歩進んでいった。

 

 緩やかな階段を降りていった先で、叶は広い部屋に出る。その部屋の周囲には壁がなく、壁の代わりに白い大理石の柱が取り囲んでいる。柱の向こうには宇宙のような暗闇が広がっている。

 

 部屋の中央には冷たい光を放つプールがあった。そして、プールの手前には開きかけの門があり、門からは少し水に浸かった小道がプールを横断するように続いている。プールの中央、小道の先には家が一軒建っていた。

 

 叶が門を抜け、プールの小道を歩いているとき、家の窓の前に人が立った。暖色の明かりの中に浮かび上がる人の影は叶に向かって手を振っていた。

 叶はノブに手を掛けるが、思い直してノックをしてみた。

 

 どうぞー、入ってきてくださーい。

 

 声が掛かり、叶はノブを回して家の中に入る。

 

 簡素な家だった。キッチンとリビング。リビングに木のテーブルとテーブルを挟んで向かい合う椅子が二つ。テーブルの上で天井から吊るされたランプが揺れている。

 

「ようやく来てくれましたね。さあさあ、こちらに座ってくださいよ」

 

 叶の背後で扉を閉め、叶を席に案内したのは夕陽リリだった。叶が黙って席に着くと、向かいに夕陽リリが座った。

 

「ははっ、そんなに警戒……はしてないか。何の話かはだいたい想像つきますよね」

 

 当然。向こうから接触がなければこちらから接触するつもりだったのだ。敵の領域の中でとは思ってもみなかったが。確かに、ここ以上に秘匿性の高い場所はないだろうけれど……相変わらず大胆なことをする。

 

「ま、ここまで連戦連敗の負け犬同士、協力できるところは協力しましょうっていう、そんな感じです」

 

 あっさりと言ってのける夕陽リリに叶はまたもや黙ってしまった。

 

 ……夕陽リリは足を閉じ、両手を膝に置いて少し上目遣いで叶を見つめている。

 

「……夕陽リリさん、あなた、そんなに上品な方でしたっけ?」

「えぇ、そっちを気にしますか? んじゃあ、失敬して」

 

 踏みつけるように椅子の上に片膝を立て、胸の前の膝に両手を組んだ夕陽リリは、斜に構えた顔で挑発的に笑った。

 

―――

 

 あんな協力は、無意味だった。運命は表情すら見せることなく叶と夕陽リリを打ち負かし続けた。

 

 作戦会議と称して突発的に起こる夕陽リリとの話し合いで、夕陽リリが表面的にはへらへらと笑いながら、だんだんと追い詰められていってるのがわかるのも叶には辛かった。

 

 あれから、どれだけ繰り返しただろう。どれだけ、葛葉の体が砕かれるのを見てきたことだろう。既視感の海の中を漂いながら、自分の望んでいた展開はどんどん遠ざかっているように思えてならなかった。

 

 叶は腕を持ち上げて手の甲を見る。

 

「……あるんだ」

 

 令呪が現れたり消えたり、もうめちゃくちゃだ。どこから今が始まっていたのか。過去はいつ過去になっていたのか。もう何も分からない。今このときはひょっとすると、記憶の中のある時間を思い出しているだけなのかもしれない。

 

 砂漠に風が吹く。乱れる髪を抑え、巻き上がる砂塵に目を細めながら目線を上げると、砂漠の砂に沈みかけている校舎の時計をバックに、鷹宮リオンとでびでび・でびるがニヤニヤと笑いながら浮遊している。

 

 そう思いきや、カシャン、と音がなって世界は夜と化す。

 

 鷹宮リオンは無表情になり、その傍らのサーヴァントは長髪のキャスターに姿が変わる。キャスターがこちらに剣を向ける。きりきりと張り詰めたような、妖精の悲鳴のような甲高い音が夜空に鳴り響き、剣は五色の光に煌めきだした。剣先から、光の渦が放たれる。

 

 だめだ、もう全部が煩わしい。

 

 そう思ったのを機に、全てが他人事のように遠ざかった。現実感もなく、叶は目の前の光景をぼうっと見つめていた。

 

 だが、叶は横合いから飛び込んできた誰かに弾き飛ばされた。

 

 かすかな痛みと共に、叶の体は砂にまみれて転がった。叶の体を抱き留める誰かの体に触れて、世界はぐんと元の距離を取り戻していく。

 叶は体を起こした。だが、傍らの人物は起き上がらなかった。

 

「葛葉……!」

 

 叶を救い出した葛葉は痛みに呻いて横たわっていた。見ると、背中の羽根が消失している。敵の宝具に巻き込まれたのだろう。

 

「ごめん葛葉、僕のせいで……」

 

 叶は自らの翼を広げると、葛葉を抱き寄せて空を飛んだ。敵は……追ってきていない。叶は速度を落とし、上体を安定させると、腕に抱いた葛葉を見やる。

 

 羽根は根元近くで完全に絶たれており、しかもあの宝具の光が羽根の根元に残り、葛葉の体を分解しようとしつこく浸食を繰り返していた。

 

 叶は咄嗟に聖言を唱えて羽根の元をなぞったが、効き目があるようには思えなかった。

 

「悪ぃな……」

 

 掠れるような息とともに葛葉は声を絞り出す。

 

「いいよ、喋らないで。僕が何とかして見せるから」

 

 何とかして見せる……これは葛葉を安心させるための虚言だった。葛葉がそれを素直に受け取ったのかどうかはわからないが、体の力みが抜けていったのが分かった。

 

 叶は考えざるを得なかった。

 

 どうしてこうなった? ただ僕らは静かに暮らしていたいだけなのに。どうしてこんな目に遭わなきゃいけない? 理不尽だ。こんなの。

 

 叶の脳裏をこれまで出会った理不尽な存在たちが揺蕩っていく。鷹宮リオン、剣持刀也、ましろ……。ましろとは最初、理不尽に抗うために組んだはずだった。それがこんな……こんな……。

 

 叶はふっと表情を落とす。自分が感情に呑まれかけてることに気づいたのだ。

 

 理不尽に抗うために理不尽を利用する。悪い考えじゃなったはずだ。じゃあ、まだ試せることは残ってる。願いが無害ならどうでもいいと、奴らは言っていたじゃないか。きっと、この願いなら許される。あとは……。

 

 叶は葛葉へと視線を落とし、呟くようにぽつりと言った。

 

「なあ葛葉。もしも、もしもだよ、世界にはお前と僕だけしかいなくてさ、それがずっと、永遠に続くとしたら、どう? 嫌?」

 

 葛葉は叶へと視線を返す。少し眠そうに見えるが、震える唇で言葉を発した。

 

「なんだよ急に……別に嫌じゃねえ、けど……そうなるしかなかったんなら……仕方ねーんじゃねえの……」

「そっか」

 

 叶はほっとして今後の作戦を練り始めていたが、葛葉がうわごとのように続けた。

 

「しかしまあ……それはそれであり、かも、な……世界に、お前と、二人だけ……なら……すごく……すごく、静かなんだろうな……」

 

 思いを馳せたのだろうか。葛葉は安らかな表情で目を瞑った。

 

 ———

 

「あれ、これもう叶ってない?」

 

 プールの縁から水の中に足を下ろし座っていた叶は眼を瞬かせた。

 

「ひゃっほぅ!」

 

 歓声とともにスライダーを滑ってきた葛葉が生温いプールへ飛び込んだ。

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