Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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114.目覚めの方へ

「叶」

 

 葛葉が呼び掛けても叶は聞こえていないかのように螺旋階段を上り続けた。葛葉は釈然としない様子で頭の後ろに腕を組む。

 

 螺旋階段に差し掛かってから、もうずっと叶はこの調子だった。

 

 葛葉が仰ぎ見た螺旋階段の最上階には天窓が張られていた。この天窓が室内の唯一の明かりだった。同時に天窓からは水が浸み出していた。

 水は螺旋階段を伝い落ち、葛葉と叶の足元を濡らしている。

 

 葛葉は足元の水を踏み抜き叶の背に呼び掛ける。

 

「おい、叶ぇ……」

 

 消えゆく葛葉の声。葛葉は目を細め、疑いの眼差しを叶の背に向けていたが、ようやく確信し、言った。

 

「お前、ここから脱出する気ないだろ」

 

 水音は砕け、足音が止まった。見上げると、叶は足を止めて葛葉を見下ろしていた。

 

「どうしてそう思うの?」

 

 そこで浮かべられた叶のほほ笑みは、葛葉にとってはもはやそれが答えであるかのような笑みでしかなかった。葛葉はその笑みを直視できず、少し顔を逸らして言う。

 

「どうしても何も、わかるよ。行きたくない場所を避けて、ずっとその周りをぐるぐる回ってるだろ」

 

 叶の笑みが変化する。まるでよくできた子どもを見て親が浮かべるような笑みだった。

 

「へえ、やるじゃん」

 

 叶は再び階段を上がる歩みを再開する。逃げようとしているわけではないとわかって葛葉もその背を追いかけた。階段を上がりながら叶は言った。

 

「あーあ、まさかバレてるなんてなー。葛葉には隠し事できないね」

 

 葛葉は鼻を鳴らして言う。

 

「ったりめーだろ。どれだけ一緒にいたと思ってんだ」

「え」

 

 叶が聞き間違えかとふり返る。それで葛葉は「ああ……」と自分が何を言ったのか理解して目を伏せた。

 

「いや、いい。忘れろ。それより理由だ。お前の理由を聞かせろ」

「理由ねえ……」

 

 叶は曖昧に濁したまま階段を上がり、葛葉もまたそれ以上追及はしなかった。そのうち、二人は螺旋階段を上り切った。

 

「見てあれ」

 

 叶が天窓を指差した。天窓は降り注ぐ水で滲み、窓の四方からは水が漏れて滴っている。そんな状態でも、葛葉には分かった。水に滲んで波打つ煌々とした光は、間違いなく月の光だった。

 

「どうしてこんなとこに月が……」

「ああ、あれね、本物の月じゃないよ」

 

 叶は目を細め、寂しそうな表情で言った。

 

「あれはどこかの、臆病で寂しがり屋の女の子が作った……シェルターみたいなものかな」

「ああ? なんだそれ……」

 

 二人は水に濡れた窓の向こうの月をしばし見上げていたが、葛葉は叶が口許で呟くのを聞き逃さなかった。

 

「もうここまで来ちゃったか」

 

 葛葉が言及しようと口を開きかけたとき、叶は葛葉の方を見て言った。

 

「じゃあ、少しだけ進もうか」

「進むんだな?」

「うん」

 

 叶はその笑みで葛葉の真剣な眼差しを受け止めると、おもむろに歩き出した。

 

ーーー

 

 森の中の四角く切り抜かれた池では波紋に月が揺れていた。やがて波紋が治まると、月はくっきりと水面に姿を現す。

 

 暗い森の奥へと進んでいくと唐突に開けた丘に出る。丘は焚火で明るく照らされて、ぱちぱちと弾ける炎は引き攣るような森の静寂を柔らかに間断し続ける。葛葉と叶は焚火を前にしてじっと座り込んでいた。

 

 叶は横目で葛葉の方を見た。葛葉は項垂れるような姿勢で焚火をじっと見つめたまま動かない。その髪先から垂れた滴が首筋を伝い流れていった。

 

「寒くない? 大丈夫?」

 

 叶が声をかけると、葛葉は「んあ?」と眠そうな表情で流し目を送ってきた。

 

「わりい。ぼっとしてたわ。ああ、寒くない。寒くないよ別に。っつーかさ、叶。どうせならこの下の家に泊まればよかったんじゃねーの?」

 

 葛葉はそう言って丘から見下ろせる景色を目線で示した。

 そこには点々と連なる一軒家の明かりが見えた。町、というほどではない。森の中の開けた空間に唐突に一本の道路が敷かれており、道路に添うように十件にも満たない家が並んでいるのだ。

 

 叶は視線を葛葉に戻して言った。

 

「だめだよ、それは」

「なんでだよ」

「殺されちゃうから」

「……じゃ、仕方ねーか」

 

 苦笑し身を引いて座り直す葛葉を叶はどこか遠くに見つめていた。

 

 葛葉は聞きたいことがあるのだろう。それを誤魔化し続けているせいか葛葉との間に距離を感じ、漂う空気にもどかしさを感じるようになってしまった。葛葉も、同じだろうか。

 叶は葛葉から目線をあげ、夜空の月を見て言う。

 

「空が明るくなったら移動しよっか」

「あ? ……ああ、俺も疲れたし、それでいいや」

 

 葛葉は火の粉の届かない程度に焚火の傍まで来ると、叶に背を向けて寝転がった。叶もまた、上体を倒して地べたに寝転がる。

 

「なあ、叶」

 

 葛葉が呼び掛けたので叶は顔を葛葉の方に向ける。が、葛葉は肩を落としたように言う。

 

「いや、なんでもない」

 

 叶は少しだけ微笑ましくなり、勇気を出して自分から言った。

 

「明日になったら、ちょっと話そうか」

 

 その言葉が意外だったのか、葛葉がパッと振り返った。そして、叶と目を合わせるとすぐにまたそっぽを向いてしまう。葛葉は乾きかけの頭を軽く掻いて言った。

 

「明日な。ありがとよ」

 

ーーー

 

 ゲームセンターに並ぶゲームの筐体はそれぞれで色鮮やかな光を放ち、独り言のように明るい電子音を吐き出し続けていた。

 

 キラキラと流れていく光と音、その奥で、筐体を突き合わせて対戦する二人組、葛葉と叶は黙々と手元のレバーにボタンを繰り、画面を凝視している。

 

 画面に照らされた叶の表情は少し苦しそうだ。それに対して葛葉の表情は高揚を抑えるような緊張を帯びている。やがて、勝者を宣言するコールが鳴り響くと、葛葉はガッツポーズと共に立ち上がった。

 

「っしゃぁぁぁ! 見たか叶! 俺の勝ちだ! これで100勝98敗232ドロー、約束通り全部話してもらうからな」

 

 反対側に座り天井を仰ぐ叶はため息をついて言う。

 

「約束だし、仕方ないね」

 

 葛葉は叶の顔を見てひとしきり喜びをかみしめると、これまでの疲れが来たのか椅子にどっと腰を下ろし、前のめりに筐体に体を預けて言う。

 

「お前……粘り過ぎだろ」

「えー。だって恥ずかしいから言いたくなかったんだもん」

「お前からすりゃそうか。いや、それにしても……」

「うん」

 

 ゲーム画面の淡い光の下で、葛葉は眠そうに何度か瞬きする。満ち足りた疲労に流されながらも、葛葉はゆっくりと口を開き、もう終わってしまったその時間を振り返るようにして言った。

 

「楽しかったな」

 

 叶もまた表情を緩めて言う。

 

「そうだねぇ」

「でも、行かねえと」

「うん」

 

 どちらからともなく二人は気だるげに席を立つと、ゲームセンターの喧噪からゆっくりと離れていった。

 

ーーー

 

 暗転した劇場に映写機のフィルムの回る音も遠のいて、スクリーンが明るくなる。

 

 客席には最前列に二人だけ、葛葉と叶が座っている。

 

 葛葉はしばらくは映像に見入っていたが、落ち着いたのか傍らに準備してあるポップコーンを食べ始めた。

 

 叶もまた最初は映像にげんなりした様子だったが、すぐにリアクションに疲れてポップコーンに手を伸ばし始める。セリフはあるものの、効果音も背景音楽もなく、二人がポップコーンを食べる音が劇場に目立って聞こえていた。

 

 時間は流れていく。叶のポップコーンがなくなり、叶の指先は容器の底をコツコツと叩く。叶が傍らの葛葉の顔を見てみると、葛葉はスクリーンの映像を真剣に見ているようだった。叶は容器の底に触れたまま逡巡するが、容器から手を出し、シートに深く腰掛けた。

 

 スクリーンでは叶が瀕死の葛葉を抱いて夜空を飛ぶシーンが映し出されていた。叶は再び葛葉の方を見る。葛葉は何を考えているだろう。映像は叶のセリフに差し掛かる。

 

(なあ葛葉。もしも、もしもだよ、世界にはお前と僕だけしかいなくてさ、それがずっと、永遠に続くとしたら、どう? 嫌?)

 

 叶の隣でひじ掛けに体を預けて座っていた葛葉は何を聞かれたのかと目を細め、映像の中の叶に応答するかのように少し口を開く。

 

(「別に嫌じゃねえけど……」)

 

 葛葉の目が見開かれる。葛葉は知らず知らずひじ掛けに預けていた体を浮かせていた。

 

 映像はバックルームに戻り、聞きなれたプールの水音が再び劇場を満たしていくと、葛葉は体の中の息すべてを吐き出すようにしてシートに深く背中を預けた。

 

 スクリーンは黒く染まり、そのまま光を失い暗闇に消えていった。頭上のライトが点灯し、劇場は明るさを取り戻す。

 

 叶も葛葉も、しばらく何も言わずにシートに座り込んでいた。葛葉が頭を背後の背もたれに置いて言う。

 

「叶ぇ、こういうの、もっと早くに言ってくれないと……」

 

 叶は何も言わずに顔だけを動かして葛葉の方を見る。葛葉は天井を仰いだまま続けた。

 

「だってさ、俺、すげー馬鹿みたいじゃん……」

 

 そこでようやく葛葉は叶の方を見た。叶は一瞬、葛葉の表情を受け入れられなかった。葛葉は目尻を赤くし、今にも泣き崩れそうなほど不安定な表情をギリギリで保っていたのだ。葛葉は言った。

 

「俺、ずっとお前のことをさ……俺が、お前のことを守ってるって、そう思ってたんだ。でも、違った……」

 

 そこで葛葉はほほ笑んだ。泣きだしそうなまま、その言葉を丁寧に伝えるために、柔らかにほほ笑んだのだった。

 

「叶、ありがとう。ずっと、ずっと、お前は俺を守ろうとしてくれてたんだな」

 

 叶は思わず耳を疑い立ち上がった。

 

「……は? いやいや、待ってよ。葛葉、今まで見てなかったの? 僕は何度も葛葉に守られてきたんだよ? 僕のせいで何度も葛葉は死んだんだ」

「でも、その度に受け入れられずにやり直した」

 

 叶は押し黙った。葛葉はそんな叶を見上げてほほ笑む。

 

「お前は背負わなくてもいい俺の死を背負い過ぎた」

 

 そうして葛葉も席を立ちあがった。叶は意地悪な笑みを浮かべて言う。

 

「へえ、だからもう解放されるべきってこと?」

「ばか、違ぇよ」

 

 葛葉は叶の肩に手を置くと、しっかりと目を合わせて言った。

 

「俺をお前の隣に立たせてくれっていう……そういう話だよ」

 

 葛葉は言い終えると、フリーズした叶から目を逸らして体ごとそっぽを向く。

 

「俺はさ、お前と一緒に今を生きたいんだよ。まだ来ない明日をお前と待つことのできる、新しい今を」

 

 葛葉は言い終えると、劇場から先に出て行った。一人残された叶は呆然としながらも頭の中を整理し、俯いた。

 

「葛葉、やっぱり僕の主人公はお前だけだよ」

 

 口の中で噛みしめるように言うと、劇場の外へと足を向けた。

 

ーーー

 

 指令室と書かれた重い扉の先で、精密機械の光は夜景のビル群のように暗闇に広がる。天井にも届く高い機械が左右に並び、狭くなった通路を進んだ先では、大量のモニターが生白い光を放っている。

 

 モニターに映し出されているのは監視カメラに撮影された映像、黄色い部屋やプールなど、二人がこれまで通ってきた場所と、通ったことのない知らない場所の映像だった。

 

 モニターの前に設えられた長机には先客がいた。そいつはふんぞり返るように回転椅子に深く腰掛けて長机の上に足を乗せ、無数のモニターの光を浴びていた。

 

 二人に気づいて椅子ごと二人の方に体を向けたそいつは皮肉げに笑う。

 先客の名は、剣持刀也だった。 

 

「なんですか、これは?」

 

 剣持刀也は叶を見つめて言う。

 

「いったいなんなんですか、この事態は。これが僕らに対する切り札だって? 冗談じゃない。こんな化け物をコントロールできると本当に思ってたか?」

 

 叶が何も言わずに黙っているのを見て少し怒りをすかされた剣持は、不満げに目を細めてモニターに向き直った。

 

「伏見は、ここまでか……くそ!」

 

 剣持は机に拳を叩きつけ、ぶつぶつと口許で呟き続ける。

 

「シスター・クレアも花畑チャイカも魔使も、あれからカメラには映らない。夕陽リリは……まあ、彼女はどうとでもなるか」

 

 二人を無視してモニターに注意を集中し始めた剣持に、葛葉が言った。

 

「なあモチさん、あんたの虚空じゃどうにもなんねーのか?」

「ならない」

 

 剣持はモニターの方に体を向けたまま言った。

 

「もうどうにもならないよ。ここに来るとき、僕から虚空が剥がれていったんだ。ましろさんは僕の能力をずっと研究していたか、あるいはこの空間の性質に虚空が引っ張られたんでしょうね……いや、違うか?」

 

 剣持はそこで思いついたことがあったのか少し検討するように顎に手を当てて、自分の考えをまとめるように口に出し始める。

 

「僕が今追い詰められているこの状況こそ、虚空が望んでいたもの……?」

 

 再び一人の世界に入り始めた剣持に、叶は一歩進み出て言った。

 

「ここに来る途中、月を見ました」

 

 剣持の目が再び叶を見据えた。

 

「そうか。もうそこまで」

 

 剣持は頭上を見上げ、そこに整然と並ぶ暗く四角いパネルを見つけると、少し頬を緩めて二人の方を見て言った。

 

「言い訳にもならないでしょうけど、僕は、自分を蝕む虚空を委員長に満たしてもらいたかったんだ……」

 

 叶と葛葉が何も言えないでいると、剣持は少し歯を見せて笑い、立ち上がった。

 

「もういいでしょう? 僕は先に行かせてもらいますよ。脱出方法は見つけてませんが、いつまでもここに居るわけにもいきません。まあ、上手くはいかないでしょうね。さようなら。また会えるといいですね」

 

 剣持はそう言うと、叶と葛葉の間を通り過ぎ、どこかへと歩き去った。

 

ーーー

 

 照明の絞られた薄暗い室内に、張り巡らされたジャングルジムのカラフルな立体は時おり色めき立つ。繰り返し聞こえてくる子どもの笑い声は、叶の頭の中であの詩の音を結びそうになってはその手前で散っていく。

 

 足元を無数のボールに埋めながら、叶はネットの向こうにプラスチックの滑り台が佇んでいるのを見る。

 

「葛葉」

 

 背後でボールに身を埋めて寝転がる葛葉に叶は呼び掛ける。

 

「もうすぐだよ」

 

 葛葉がボールの音をさせて体を起こしたのを感じ、叶は重い足取りで歩みを進めた。

 

 薄暗いプレイルームの奥で、葛葉と叶は子どもたちが積み木などの玩具で遊ぶために設けられたささやかな空間に辿り着く。

 

 この空間の中心には街灯が一つだけ設置されており、その光の届くギリギリの距離にこの空間を仕切るために積まれたソフトブロックが見えていた。

 

 そして、街灯の光のあたる真下には、崩れた積み木と、開いた状態で投げ出された一冊の絵本が落ちていた。

 二つの影が絵本と積み木の上に長くかかる。その影の内の一つ、叶はしゃがみ、積み木を一つ拾い上げた。普通の積み木だった。肌色に近い木目が浮かび上がっていて、縁の面は積み上げるときに引っかかるようにギザギザになっていた。

 

 叶が積み木に触れても少女の痕跡は何も見つからない。あの声はもう聞こえなかった。

 傍らの葛葉を見ると、葛葉は叶と同じように絵本を拾い上げていた。

 

「葛葉」

 

 叶は呼び掛けて手を差し出す。葛葉は素直に絵本を渡してくれた。叶はその絵本が記憶のなかにあるものと同じであることを確かめると、葛葉の方を見た。

 

「ここからはもう後戻りできないよ」

 

 葛葉はその言葉を聞いて緊張感を取り戻すように言う。

 

「ああ。いいよ」

「きっと後悔するよ」

「……かもな。でも、もういいって」

 

 あえて軽い調子で笑い、葛葉はいった。

 

「覚悟は決まってる」

 

 叶は頷くと、落ちている絵本を手に取った。

 

「今から僕たちは物語のクライマックスに飛び込む」

 

 緊張した葛葉の様子を尻目に叶は絵本を開く。葛葉は覗き込もうとして叶の横にしゃがみ込み、顔を絵本に近づけた。

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