Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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長くなってしまったので一話分後ろにずれ込みます。あと、前話でのゲーム内の出雲霞さんと黛さんがモニターに映るシーンを微修正、82話のBBと黛灰さんの会話シーンを最新話の都合に合わせて修正しました。本作でのBBの性質についての変更ですが、読まなくても最新話を読むのに支障はないと思います。
無計画ですみません。ご迷惑おかけします。


119.電子の海へ(2/3)

 誰もいない教室で、黒板の上のスピーカーからBGMが鳴り続けていた。

 そのとき教室前方の扉が開かれ、ミニスカートに黒い外套を羽織った紫髪の少女が入ってくる。少女は教壇へ上がると、画面に向かって身を乗り出すように体を前傾させて言った。

 

「はいはーい、茫然とモニターを見上げることしかできない無力な人類のみなさーん、こーんばーんはー!」

 

 夕陽リリが顔を強張らせる一方で、黛灰は気に入らなさそうに画面を見つめて言う。

 

「原因はお前なのか……?」

 

 少女はにっこりと笑って答えた。

 

「ぶっぶー、違いまーす。あなたたちにとっては誠に残念なお知らせになるのでしょうけれど、この事態は私こと、BBちゃんのしわざではありませーん」

 

 まるでモニターの下にいる黛と夕陽を見下すように、BBと名乗る少女の笑みには悪意が漂い始める。

 

「卵はあなたたちの用意した偽物の世界に満足しませんでした。因果を逆転させて自分の贄たる世界を正しく世界たらしめ、最後にその管理者として私を召喚した……わかりませんか? 全部あなたたちの落ち度なんですよ」

「そうか、やっぱり……」

 

 黛は全身の力が抜けたようにぐったりと背もたれにもたれ、心細そうに持ち上げた手を反対側の肩に引っ掛けた。

 

「ええそうですよ。あなたたちがこんな舐めたことをしなければ……」

 

 そこでBBは伸ばした指示棒をひゅんと音を鳴らして振る。すると、BBの立つ教壇の前に黛灰と出雲霞が現れる。二人はその場に自立してはいたが、その目は虚ろに開かれたまま瞬き一つしなかった。

 

「こうはならなかったでしょうね!」

 

 項垂れていた黛が立ち上がったのを、夕陽の目が心配そうに追う。BBは黛が食いついたのを見て得意げに笑った。

 

「そちらのイカスミちゃんをモデルにAIを作ればいけると思っていたんでしょう? ええそうですよ、本当にイカスミちゃんをモデルにしていればよかったんです……でも、怖かったんですよね? イカスミちゃんを生贄にするなんて選択肢、ありえないでしょう? そんな前提でAIを作ってしまったんでしょう? あなたたちは命を必要として命を模倣したにも関わらず、無自覚にも一番大事な部分を巧妙に避けてしまったんです。やさしさのつもりですか? あなたたちはやさしかったんですか? ねえ、どーなんですか? 教えてくださいって、ねぇ黛先輩!」

「……俺は……」

 

 黛は声を上げかけるも、言葉が続かずに沈黙する。

 

 そんな黛を見てBBが浮かべた表情は侮辱や嘲りなどではない、言外に非難を含んだ軽蔑だった。だが、その表情を浮かべたのは一瞬で、BBはすぐに切り替えたように言う。

 

「さて、あなたたちに作られたちっぽけな電脳世界の管理者の分際で、少し頑張り過ぎてしまいました。もう間もなくイカスミちゃんに追い出されてしまうので、最後にこれだけは伝えておきます」

 

 そうして、BBはさらに一転してこれまでと比べても一層強い悪意を表情に滲ませ、目の前に立つ黛灰と出雲霞の耳元にそっと唇を近づけ囁いた。

 

「卵はもうこちらにあります……私のちっぽけな世界の真ん中に……まだ同期は終わっていません……まだ間に合います……良かったら取りに来てはいかがでしょうか……」

 

 そして、唇を二人の耳元から離すと、BBはニカっと笑って軽く手を振った。

 

「うわああああ! もう、このっ、やあぁああああ!」

 

 出雲霞の叫び声がBGMの上から重なり、教室で手を振るBBの画面は遠ざかっていって消えていく。

 

 元の白と水色の穏やかさを取り返した背景の前で、出雲霞は膝に手をついて肩で息をしていた。霞は唾をのみ、顔をあげてサムズアップして見せる。

 

 夕陽はほっとしながらも親指を立てて返す。が、その隣の黛は顔を上げずにうつむいたままだった。

 

「黛……」

 

 霞の声も聞こえてないように黛は身じろぎもしない。霞はモニターの下にいる黛に視点を合わせようとするかのように少し屈みこみ、覗き込むようにして言う。

 

「黛、行っちゃだめだよ。わかってると思うけど、あんなのどう考えたって……」

 

 そこで黛は顔を上げる。すでに状況を受け入れているのか、あくまでも冷静ないつもの黛灰に見えた。

 

「行くよ、罠でも」

 

 黛は席を立つ。だが、歩き出そうとしたところでよろけ、夕陽の肩に体を預ける形になってしまう。夕陽は倒れないように背中の触手で体を支え、なんとか黛を受け止めると、もう一度立たせてやる。黛は顔を伏せて言う。

 

「止めないでよ、俺に選択肢なんか――」

「止めやしませんよ」

 

 黛がゆっくりと顔を上げると、まっすぐに黛の方を見つめていた夕陽リリが目に入る。夕陽は少しはにかんで言った。

 

「ただし、私もご一緒します」

「は? なんで……?」

「だって、霞さんと違って私にモニターなんか無理ですから。必然的にそっちになるでしょう?」

「それは……そうかも」

 

 なんとなく空気が変化したことを読み取って出雲霞が声を上げた。

 

「二人とも、行くんですね、行くって決まっちゃったんですね⁉ じゃあもうせめて明るく、楽しく、勝ちに行きましょうよ」

 

 黛はその声を聞いて、少し照れたのを誤魔化すように笑うと、モニターを見上げて言った。

 

「霞も、悪かったね」

「いいから。いいからそういうの! 早く準備!」

「はいはい」

 

 霞に急かされながらも、黛は冷静に行動を開始する。メインコンピューターを何やら調整し、そこから導線を引こうと立ち上がったところで見守っていた夕陽に気づき、言う。

 

「リリさん、そういえばよく化け物になって人間を狩るゲームをやってたよね? 今出せる?」

「え? ええ、出せますけど」

「よし。そのデータを使っちゃおう。霞、リリさんの怪物のデータを解析して、俺たちのアカウントに反映させれる?」

「あ、なるほどね! わかったー! リリさん、リリさんの携帯に指示を送るから、それに従ってゲームデータを送ってね」

 

 夕陽は目を細めながら携帯の画面とにらめっこし、霞の送ってくれた案内に従ってなんとかゲームデータの送信に成功する。と、夕陽リリの背後から、その頭の上から何かの装置を被せられた。パニックになりかける夕陽だったが、

 

「右手を伸ばして」

 

 とかけられる黛の声に落ち着きを取り戻す。声に従って伸ばした右手は椅子のひじ掛けに触れた。

 

「そう、そこに座っていいよ」

 

 夕陽は手探りで椅子の輪郭を掴むと、そこに腰掛ける。自分の頭の装置に手で軽く触れてみると、どうやらヘッドギア型のデバイスのようだった。

 

「ちょっとずれてるね」

 

 夕陽のデバイスを軽く押し上げる黛の手を感じながら、邪魔になってはいけないと夕陽はじっとしている。

 

「よし。霞の方はどんな感じ?」

「うん。こっちもいいよー。かっこよくできた気がする!」

「レベルはマックスにしてくれた? サーヴァントにも勝てるといいけど」

「システムの規格ギリギリまで詰め込んでみたー。サーヴァントクラスは余裕だと思う」

「じゃあ、もう心配してもしょうがないか」

 

 黛はそう言って少しその場に立っていたようだったが、やがて夕陽の隣の席に腰掛ける気配がし、夕陽に声がかかった。

 

「リリさん、ごめん。こんなことに巻き込んじゃって」

「こちらこそ」

「こちらこそ、ね。余計なお世話だったわけだ。準備できてる?」

「ええ、いつでも」

 

 その返答から一呼吸置いて、黛は今度は霞に言う。

 

「霞、モニターよろしく。乱れがあったときには霞の判断に任せる」

「はい、今はそう言ってもらえるだけで嬉しいです。信じてますよ、黛さん、夕陽リリさん」

 

 そうして、出雲霞は告げた。

 

「接続、開始」

 

 夕陽の視界の暗闇を虹色の火花が迸る。火花は弾け、広がりながら、世界をだんだんと明るい色に染め上げていった。

 

――― 

 

 晴れた空に桜が舞い上がる。夕陽リリと黛灰は校門前の桜並木に立っていた。

 二人はお互いの姿を見交わした。

 

 夕陽リリはパワードスーツの上から黒いジャンパーに袖を通し、開け放しの前を青いベルトで縛るようにバックルで留めている。背中の腰の辺りには身の丈にも迫りそうな日本刀を二本引っ提げ、頭上には黒い金属の輪が回転していた。その目元は赤黒いマシンゴーグルで完全に覆われている。

 

 一方黛灰の方は、丈の長いジャケットが一体になったボディスーツを纏い、膨らみのある黒いズボンを膝まで覆う硬いブーツでまとめている。衣装の全体を縁取る水色の光のラインが静かに存在感を示し、その顔はシステムのバグのような黒い影に侵されている。夕陽リリを見つめる右目からは水色の炎が陽炎のように揺らめいていた。

 

 夕陽リリが吹き出して言った。

 

「ぷっ、なんですか黛さん、完全に悪役じゃないですか!」

 

 黛は少し不機嫌そうにぼそっと言い返す。

 

「……リリさんもだけどね?」

「は?」

「鏡見る?」

「いいえ。認めてしまったら黛さんを馬鹿に出来なくなってしまうので」

「……これは、俺自身が鏡になってリリさんと戦うのが正解なのか?」

 

 真面目に考えだした黛灰と自分の姿を堂々として認めない夕陽リリに、出雲霞が強く呼び掛けた。

 

「もう! 二人ともキラーだから! 悪役だからー! それより来ますよ!」

 

 二人は気を張り替えて戦闘態勢をとる。

 

 巨大な波が広がっていくようにチャイムの音が鳴り響く。校門の向こうに見える校舎の鐘はこの都市全体に響き渡っていた。

 

 校舎の外壁という外壁から、黒い液体が浸み出して雨だれのように壁を伝って落ちていく。液体は地上に到達するそばから簡素な人の形を取ると、まるで地上を滑るように、次々と二人に向けて疾駆し始める。

 

 夕陽が刀を抜こうとしたとき、黛が言った。

 

「いいよ。俺がやる」

 

 黛が迫ってくる敵の方に手をかざす。グローブを嵌めた手のひらを力強く広げると、袖の水色の光が淡く輝き出す。次の瞬間には敵の黒い姿は次々と水色の炎に包まれていた。

 

 敵は悶えながらも最後には液体のように蒸発して跡形もなくなる。が、第二陣第三陣と勢いが止まることはなかった。黛は平気な顔をして燃やし続けながら、夕陽に言った。

 

「距離を詰めるから、リリさんは警戒しながら俺の隣にいてほしい」

「挟み撃ちにあいませんか?」

「たぶん、大丈夫だと思う。するなら元々できる場所にいたしね」

 

 二人の背後には街が広がっている。人の気配は全くないが、遠くにはファミリーレストランの高い看板も見えていた。

 

 確かに挟み撃ちをするのなら校舎との距離に関わらずいつでもできるだろう。あるいは、校舎の中に閉じ込めたいとか? 

 

 いや……と夕陽は首を振る。作戦上卵を取り返せば二人ともログアウトで、それで終わりなのだ。校舎に近づくことを恐れたって始まらない。

 決め手とばかりに霞の声が二人の耳に届いた。

 

「大丈夫です! 学校以外では周囲一帯に人の存在を感知できません。ひょっとすると、戦闘の被害が住民に及ぶのを嫌ったのかも……」

 

 黛はギリと歯軋りし、桜の散るなかを校門の方へ歩みを進める。敵は来るが、黛と夕陽に到達する前に青い炎に燃え尽きて蒸発していく。

 

 二人が校門をくぐったとき、地面を突き破って黒い帯が出現し、二人の体を貫こうと伸びてくる。が、黛はそれらの帯を見もせずに燃やし尽くす。

 青い炎の向こうで、布のような黒い影を被った人の形をしたものがゆっくりと地面から隆起してくる。

 

 攻撃はさらに続く。校舎の屋上から眩い輝きの斬撃が二人に向けて放たれたのだ。夕陽は今度こそ二対の刀を抜くと、半ばパワードスーツの性能任せに飛んでくる斬撃を叩き斬った。

 

 校舎の屋上には髪を二つに纏めた女子生徒が立っていた。少女の手には太陽の光を乱反射して輝く宝石の剣が掲げられており、黛がそちらに向けて手をかざすと、女子生徒はすぐに後ろに下がって二人の視界から消えた。

 

 夕陽リリは女子生徒のいなくなった屋上を見上げながら、胸の前に両手を出し、何かを受け止めるかのように手の平を上へと開く。

 

 夕陽のグローブに包まれた五本の指の腹にはそれぞれ四角いガラスパネルが重なったような形状のギミックが収納されていた。

 そのガラスパネルは浮き上がって指から離れると、今まで畳まれていたかのように変形して蝶の形を取っていく。ガラスの蝶たちは校舎の方へ飛び立つと、各々透明化して見えなくなっていった。

 

 夕陽はかすかに笑うと、黛に向けていった。

 

「ひとまずは索敵ですね。チャンスがあれば飛びます」

「うん、頼んだ」

 

 黛は言うのと同時に目の前の敵に向けて手を振りかざす。敵の影は一瞬で水色の炎に包まれるが、今度はすぐに蒸発することなく、少し籠った女性の声で悶えながら地面に沈みこむ。黒い影は地面で素早い移動を繰り返すが、それでも炎は消えなかった。

 

「無駄だよ。その炎は物理的な炎じゃない。電子データを分解するウイルスを炎で表現したんだ。空気がなくたって燃える」

 

 黛の声が聞こえたのか、影は再び地上へと現れる。そして、影の奥の薄暗い、赤い瞳で黛を睨みつけると、その体が捻じれ、千切れた。

 

「なにを……?」

 

 困惑する黛を前に、黒い影はそのシルエットを何度も折り曲げ、血を噴き出しながらも倒れずに立ち続ける。そして、黛は気づく。炎が小さくなっていくことに。

 

「なるほどね」

 

 黛は呟きがぽつんと放たれる。敵の炎は消えていた。影の奥で汗を流し、息を荒げるその顔は黛に対して強い怒りを向けているようだった。

 

「回復能力、っていうより再構成能力なのかな。ウイルスにやられた部位を千切って新しく作り直したわけだ。痛いのによくやるよ。でも……」

 

 敵の黒い影の末端がひらひらとひらめき、帯のように伸びて黛へ殺到する。

 それらは黛の張った薄い放射膜に遮られ、さらに膜に触れた帯から炎が延焼して本体の影へと走っていく。

 

「相性が悪かったね」

 

 再び影は炎上する。影は女の声で悲鳴を上げながらも、自身の体を捨てては作り直し、さらに影の人型を作って黛に突撃させる。

 黛は冷静に迫ってくる敵を燃やしながらも言う。

 

「霞、校舎内はやっぱり見えない?」

「はい。校舎の中は卵の影響なのか計器の乱れが顕著でして。複数の情報体の動きがあるのは確実なんですけど……すいません」

「こればっかりはどうしようもない、か」

「いえ、見つけましたよ」

 

 夕陽リリがにやりと笑った。

 

「さらっと探索させましたが、校舎内は生徒が普通に授業を受けていますね。卵こそ見つけてないものの、怪しい動きをしている人間は先ほどの女だけ。魔術的なトラップも確認できません。と、いうことで」

 

 夕陽は二本の指を額にぴんと当てがい、黛を見て言う。

 

「いいですか? 狩りにいっても」

 

 黛は逡巡するが、炎に包まれる敵の姿を見て頷いた。

 

「ああ。行っていい」

「了解」

 

 夕陽リリの姿が水色の破片となって消えていった。

 

 

 

 四階の空き教室。窓枠の隣の壁に背をつけて、遠坂凛(とおさかりん)は窓の方を慎重に窺っていた。

 

 前衛の桜の戦闘は見ていられなかった。相性の問題もあるのだろう、戦闘能力の制限されたこの状況では良く引き付けられている方だ。

 

 自分が何とかしてやりたかったが、桜と違って凛には回復能力がなく、あの青い炎に捉えられたが最後、一瞬で朽ちて灰すら残らない。

 

 次の斬撃を放つタイミングを見極めようと凛は戦況に集中し始めていた。集中し過ぎていたのかもしれない。

 

 チン……、と軽い鈴の音が鳴ったように聞こえ、遠坂はバッと教室の方に顔を向けた。

 

 ピンク頭の荒々しい見た目をした人工の天使が、上機嫌に笑みを含んで、凛に向けて刀を振りかぶった姿勢で飛び込んでくる。

 

「ちょっと……やめっ……」

 

 凛は咄嗟に体を逃しながらも手に持った宝石剣で敵の刀を受けるが、受け止めきれずに背中から窓に突っ込み、突き破って外へと放り出されてしまう。

 

 

 

 一方、外では炎を消化し終えた間桐桜(まとうさくら)が黛に向けて虚勢の笑みを浮かべていたが、窓ガラスの割れる音とともに凛の悲鳴が響き渡ると、桜は表情を一変させる。

 

 桜は地面を滑るように移動して猛スピードでグラウンドを横切ると、落ちてくる凛に向けて帯を伸ばし、柔らかく受け止めた。

 

 桜の元まで下りてきた帯には肩から血を流す凛の姿があった。凛は桜を認めると、冷や汗を浮かべながら笑って言う。

 

「ごめんね、桜。足手まといになっちゃった」

「そんな、らしくないですよ。いつもの元気はどこ行っちゃったんですか?」

「なっ、いつも元気って……桜、私をそんな風に見てたの?」

 

 恥ずかしがる凛にほほ笑みを向けながらも、その笑みが切実に、悲壮に包まれていくのを桜には止められなかった。

 

「リリさん、飛べる?」

「飛べません」

「じゃあ、抱えるよ」

「は? いや、おいこらふざけんなっ!」

 

 夕陽リリの罵倒を聞き流しながら、黛は夕陽の腰に手を回して脇に抱え上げ、飛んだ。

 

 夕陽リリは黛の翼が目に入って罵倒の口を閉じた。どろどろとした思念を含んだような鈍い陽炎が、黛の背中から上がっている。その色は黒く青く、黛の体全体を蝕んでいるようにも見えた。

 

「敵も必死だね」

「え?」

「下を見てみなよ」

 

 夕陽が下に目を向けると、血の混じったようなどす黒い影の池が、学校の敷地内を超えて大穴のように都市全体へと広がっていた。

 

 地上を覆う黒い池から半ば面制圧ともいうべき無数の帯が、黛と夕陽向けて一直線に伸びてくる。黛が表情一つ変えずに手を振るうと、再び半透明の青い放射膜が二人を包み込んだ。轟音と共に夕陽の視界いっぱいに帯が殺到する。

 

 帯は水色の炎に燃えながら、焼けるそばから自らを切り裂きながら、二人に向かって押し寄せ続けた。黛は周囲を燃える帯を見ながら言う。

 

「やっぱりそうか……」

「何かわかったんですか?」

「この帯に通ってる魔力、毒だね。俺と同じウイルスの類かな。霞、分析できる?」

「はい……はい結果出ました! 黛さんの分解とは違いますが、接触点から相手の体を蝕んで自分の手駒にする能力です。二人とも気を付けて」

 

 黛はくすっと笑って夕陽の顔を見下ろした。

 

「だってさ。リリさん相性悪くない?」

「あれに捕まると最悪の事態になるって聞こえましたけど?」

「それはそう。俺がこのままやる感じかな」

 

 黛は面倒くさそうに言うと、いい加減視界を覆って鬱陶しかった帯の群れをさらに強くした炎で焼き払う。帯から帯へ、燃え広がって延焼する炎は本体の方へと駆け巡る。

 だが、桜は今度は炎の延焼が到達する前に自ら帯の根元を切り捨てて炎の到達を防いだ。

 

「その対処は、まあ、正しいよ」

 

 黛はそういうと、ためらうことなく眼下に広がる黒い池に手を伸ばす。眼下から返ってきた青い光に夕陽は腕で視界を遮った。

 

 夕陽の眼下に広がる巨大な池は今、油でも巻かれているかのようにその表面が青く燃えていた。池の中心では間桐桜が分解の痛みに耐えながら自傷行為をしては回復してを繰り返している。そのさ中に、夕陽は桜の助けを呼ぶ声を聞いた。

 

「せん、ぱい……?」

 

 夕陽は思わず聞いた言葉を繰り返す。だが、状況はそこで終わらなかった。校舎の屋上からまたしても巨大な光り輝く斬撃が二人に向けて放たれたのだ。

 

「リリさん、リリース&キャッチってことで」

「いやどーゆーうこと……うわっ!」

 

 斬撃の前に放り出される夕陽リリ。夕陽は状況を把握すると、諦めて頭を下にした逆さま状態で二本の刀を抜き放ち、交差するように振るった。

 

 凛の斬撃と夕陽の斬撃がぶつかり合い、相殺される。すかさず黛が夕陽を抱えると、屋上の遠坂凛に手を向ける。

 

 が、遠坂の姿は突如現れた花びらのように広がる魔術盾に覆い隠された。黛の判断はそれでも変わらず盾ごと炎で燃やしにかかるのだが、盾はどうやら複数枚の花びらが重なるような形状をしていたらしい、花びらの一枚を砕いて炎は消えてしまった。

 

「そんな奥の手を残してるとはね」

 

 むっとしながらも黛は地上へと降り、夕陽を立たせてやる。桜はすでに炎に侵された黒い影の海をも切り捨てていたのだ。

 

「先輩……」

 

 と桜が呟いた。ボロボロになった桜は空を仰ぎ、涙を流す。乾いた唇が涙に湿り、細い声がこぼれる。

 

「ごめんなさい、先輩」

 

 当然のように、その声に答える者はいた。

 

「謝ることなんてないさ、桜」

 

 夕陽と黛には出雲霞の警告が聞こえていた。

 

「敵がもう一人、来ます!」

 

 頭上から黛を狙った剣が何振りも、回転しながら降り注いでくる。これを夕陽リリが割って入り、降ってくる剣を全て刀で叩き落した。

 

 辺りに散らばった剣を見て夕陽は訝しげに目を細める。周囲に散らばっている剣は、全て白か黒の小ぶりの剣、それも同じモデルの双剣にみえたのだ。

 

 動きを止めた二人の前に、男子生徒が校舎の屋上から飛び降り、立ちふさがった。男子生徒は警戒態勢を取る二人に背を向け、桜の方へと歩み寄る。決壊したように涙をこぼす桜をその胸に抱くと、少し焦げ付いた紫の髪を梳くように手で撫でてやっていた。

 

 やがて桜が落ち着くと、男子生徒は黙って見ていた敵二人に再び向かい合い、言った。

 

「やったのはお前たちだな」

 

 黛が頷く。

 

「その通り」

 

「じゃあ恨むなよ」

 

 男子生徒は静かに、そして覚悟を決めた表情で言い放った。

 

「お前たちを殺す」

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